2016年09月04日

尊敬する人 Vol.3 ちあきなおみ

 北海道電脳新聞の新企画「尊敬する人」、第3回は、伝説の歌姫であり、「タンスにゴン」のCMでも有名な(爆笑)ちあきなおみさんです。
 初回が米国公民権運動の主導者マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、第2回が第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディときていたから、これは予想がつかなかったでしょ(笑)!
 でも、僕にとっては、彼らとも、ある意味で同じ心の地平にいらっしゃる(それがどういう意味かは、皆さんでめいめいに探ってね!)、とっても、すてきな女性なんだなあ!
 マイ・ベスト・シンガー(女性部門)だしね!
 ちあきなおみさんの来歴は、例によって、ウィキペディアで事前に確認をお願いします。

 まず1972年の第14回日本レコード大賞受賞曲「喝采」。
作詞・吉田旺、作曲・中村泰士
https://www.youtube.com/watch?v=RMH5vLqfRHU

僕が7歳の時の曲なんだけれども、小学2年生の僕は一気に心をもって行かれました。
まあ、もともと、ませガキだったけれどね。
ビートルズは解散直後の1970年、5歳で、「レット・イット・ビー」から入っているし。
深夜ラジオ「オールナイトニッポン」の1970年末、ビートルズ解散特集を録音して頂いて。
「喝采」は、恋人の死について歌った実話曲との話がずいぶん出回ったけれども、あれは当時の事務所が売らんかな、のために流したガセネタらしいね。
あるいは、エディット・ピアフ「愛の賛歌」の路線を地でいこうとしたのかもね。

エディット・ピアフの人生
http://www.d3.dion.ne.jp/~masaji.s/New124.htm
1949年のところです。

「愛の賛歌」
 https://www.youtube.com/watch?v=1gTGmbA40ZQ

 で、ちあきなおみさんはいつからか、オリジナル曲ではなく、他の人の歌をカバーする世界になっていきます。
 そしてそのどれもが、オリジナルをリスペクトし、オリジナルを生かしたうえで、ちあきなおみの世界になっている!
 出色です。
 ここでは、超有名な2曲をご紹介しましょう。

 「黄昏のビギン」=故水原弘さんの曲。
作詞・永六輔、作曲・中村八大という最高のコンビです(これに歌・坂本九とくれば、ご存じ「六八九トリオ」ね!)。
https://www.youtube.com/watch?v=8aN-tucDI-k

 「星影の小径」=故小畑実さんの曲。
https://www.youtube.com/watch?v=JeCNMRAu6TU

いやあ、立て続けに聴くと、もう、泣けてくるなあ!
ちあきなおみさんは、ご主人・郷硏治さん(宍戸錠さんの弟)が1992年に亡くなって以降、いっさい公に姿を現さなくなりました。
 それだけ、郷さんを愛していらっしゃったんだなあ!
 きっと、歌われるお歌も、いつからかはわからないけれども、僕たちファン向けにではなく、存命中の郷さん一人へのラブレターだったのではないかな、と僕などは思っています。
 それで十分によいのです。
 おこぼれで。
 だって、それだけで十分、すてきなんだもの。
 僕の心が満たされるんだもの。
 ちあきなおみさんには、ほんとうは、シャンソンを歌って頂きたいけれどね!
 いまでも、たまに、北海道新聞の休刊日などに、通常テレビ面のところに、「ちあきなおみCD10枚セット」とかの広告が出るジャン。
 そしたら、彼女は最大10万セット、平均1万セット出るんだってさ!
 すごいよなあ!
 ちあきなおみさんが「現役引退」された後は、その後継者としては、僕は八代亜紀さんに期待しています!
 数年前、米国NYのジャズバーでライブもしてるしね!
 次は、石川さゆりさん。
 「ウイスキーが、お好きでしょ」は、もう誰でもご存じでしょう。
 その後は、森昌子さん(エロ森進一と離婚されて、良かった良かった!)。
 加藤登紀子さんとお友達で、最近シャンソンにも進出し始めているようですね。
 日本の、とびきり歌のうまい女性シンガーには、確かに受け継がれていくものがあるんだなあ!
 そして、やっぱ演歌歌手って、すごいんだなあ!
 あ、そっか、日本の演歌=シャンソンってことなんだ!
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2016年09月01日

尊敬する人 Vol.2 ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ

 北海道電脳新聞の新企画「尊敬する人」、第2回は、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディです。
初回が同時代のマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師だったから、あるいは予想された方も多かったかもしれませんね。
僕がケネディを好きなのは、とにかく、男としてかっこいい! の一言に尽きます。
まったくもって、ミーハーなんだけれども。
でも日本の政治家でケネディほど、すてきな人は見つけられていないし、スポーツマンとしても世界中を見渡しても、監督としての星野仙一さんぐらいだから(楽天が優勝した時に、最後の最後にマー君を登板させた侠気=おとこぎ=! 女性にはわかっていただけるかなあ?)、まあ、しゃーねーなーって感じです。
なにが、かっこいいのか?
それは、僕にとっては、ずばり、決断力です。
1962年のキューバ危機に際しての、核戦争ぎりぎりまで交渉を持っていっての平和への落とし方(僕としては、たとえ交渉が決裂したとしても、ケネディは絶対に核戦争を回避したと確信していますが)、1960年1月20日の就任演説(「たいまつは若い世代に引き継がれた」「国が君になにをしてくれるかではなく、君が国になにをするかを問うてください」=うわあ! なんて、かっこいいのだろう!)、1963年6月、陸の孤島であった西ドイツ・西ベルリンにおいて行われ、自由を尊ぶ市民を勇気づけた「私はベルリン市民である」演説−どれもこれもが図ったように、かっこいい!
実は、セオドア・C・ソレンセンという、敏腕のスピーチライターが書いたものなんだけれども、J・F・Kの意向を100%反映したものであることは間違いがないよね!
そして、旧ソ連に先を越されていた宇宙のことに関しては、1960年代中に人類を月に送ると宣言しての「アポロ計画」の推進。
ねえねえ、見た見た見た?
僕は見たよ、テレビの生中継、釧路で、白黒テレビで。
4歳の1969年の真夏、アポロ11号、月面着陸!
いまでも名前を覚えてる、アームストロング船長、オルドリンさん、コリンズさん。
「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な一歩である」(アームストロング船長が月面に足を踏み出した時の第一声)
69年には、J・F・Kは暗殺されてしまっていて、もうご存命ではないのだけれども、そうした一連の「夢」=「アメリカンドリーム」のプロデューサーが、まさしく彼だったよね!
うわあ、なんてすてき!
私生活ではジャクリーンなんて、すてきな奥さまがいらっしゃるのにも関わらず、マリリン・モンローと乳繰りあっちゃったJ・F・K(僕はモンローみたいなボインちゃんのセクシー系は、はなはだダメダメなんだけれども、まあ、それは個人の好みの問題だよね)。
ケネディに心酔していたクリントン氏は、そんな、いけないところも学んで、実践しちゃったのは、記憶に新しいところです(笑)。
 でも、ケネディが撒いた種って、ほんとに大きいんだよな。
 青年海外協力隊がそうだからね。
 もともと近い組織が日本にはあったのだけれども、ケネディの「平和部隊」(部隊とか言っちゃうのが、USAのいけないところだと、僕などは思うのだけれど)を経て、世界的な組織になりました。
 だから、ケネディはほんとうは、ロシア(旧ソ連)が弱体化したいまにおいて存在している人ならば、「世界連邦」「世界政府」などというものを実現していたのではないかなあなどと、夢想してもおります、僕はね。

そんなわけで、きょうは、1961年1月20日、米国ワシントンにおける第35代アメリカ合衆国大統領就任演説をご覧ください!
夢と希望をいただきま〜す!
https://www.youtube.com/watch?v=VAASNl_kiC8
https://www.youtube.com/watch?v=6KJshrKmwG4
posted by Kato at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月31日

尊敬する人 Vol.1 マーチン・ルーサー・キング・ジュニア

 北海道電脳新聞の新企画「尊敬する人」を始めます。
 「尊敬する人」というより「僕を育ててくれた人」って感じかな。
 僕は、道産子である亡き父(十勝管内池田町出身。38歳で肺がんで死にました)と77歳の母(釧路市出身)が愛し合って生まれた子どもだけれども、「育ててくれた人」って意味で言えば、血も人種も国籍も、ほんとにほんとに多様なんです。
 そんなわけで、僕は、あっちこっちにブレながら、齢51歳のいまを生きてるって感じなんだ。
ブレたといっても、道がわからなくなったわけじゃないよ(笑)。
 次から次に、バトンをタッチするように、すてきな人が現れて、僕の「子育て」を引き継いでくれて、いまの自分があるというか。
だから、一回も非行に走ったことはないし、酒も煙草も成人映画も、それぞれ許された年齢から始めたものです(その代わり、酒も煙草も成人映画も、いまだにやめられないけれど=笑)。
 それは、そういう必要性を感じなかったから。
 背伸びはしたかったけれども、僕はとりたてて背伸びをしなくってもいいなあと思っていたからなんだ。
人と出会うのが、ほんとうに好きです。
 だから、新聞記者として、毎日いろいろな方と出会えるのは、天職だと思っています。
 たくさんの、ほんとうにたくさんの、同一の意見を持たない方、むしろ正反対の思想・信条をお持ちの方と出会う、血も人種も国籍も違う人と出会うというのは、楽しくってならないのです。
 こういう、自分とまったく違う人がこの世に存在するというのは、とってもすてきだし、面白い。
 生きてて良かったなあと、日々、思える瞬間です。
 知らなかった世界に出会えるからね。
 そんな思いを理解していただける一助に、この新企画「尊敬する人」がなれば、幸いです。

マーチン・ルーサー・キング・ジュニア
(以下、ウィキペディアより)

 まずは、この動画をご覧ください。
 1963年8月28日に行われ、20万人(故郷・釧路の人口より多いのでは?)が参加したワシントン大行進で、キング牧師がリンカーン記念堂の前で行った“I Have a Dream”(私には夢がある)のお話です。


 「アイ・ハブ・ア・ドリーム」「アイ・ハブ・ア・ドリーム」「アイ・ハブ・ア・ドリーム」〜このリフレインの、なんと甘美なこと!(ゆっくり、やさしくお話されているから、中学生の英語の勉強には、とてもよいのではないかな?)
それを、決して絶叫調ではなく、心を込めて、信じてくれている人々に諭すようにお話なさるキング牧師さまが、なんと凛々しいこと!
 すてきだなあ!
 かっこいいなあ!
 男惚れするなあ!
 やはりオリジナルに勝るものはないと思うから、こうしたものを映画化しても、その感動はこれっぽっちも湧かないの、僕の場合はね!(米国の場合、なんで他の国の名作映画をいちいち、広い意味での米国人に演じ直させてリメークするかというと、英語の字幕では読めない人=アフリカンアメリカンとかメキシカンとか、スパニッシュとか。あるいは米国はいまだに識字率が低いよう=が多いからなんですって。ちょっと盲点ですよね)
 それにね、僕が、米国のことは「大っ嫌い!なんだけど、大っ好き!」って、愛憎半ばに思っちゃうのは、米国はこうした20万人参加の市民運動に対して、政府が最後の最後にはちゃんと応えるでしょう?
 この時も、翌年1964年7月2日に、アフリカンアメリカンを奴隷としていた南部出身のジョンソン大統領が署名して「公民権法」が制定されました。
 J・F・ケネディが1963年11月22日に暗殺されなければ、この年のうちに制定されていたはずですがね。
 そんな訳で、米国はシチズン=人民を大切にしているなあと、思うのです。
 僕は米国を嫌いになりきれないのです。
 日本国も、そうであってほしいなあ!
 というか、僕は、時がくれば、そういう北海道にするつもりです!
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2016年08月30日

NHKの「原子力発電所再稼働反対『みなさまのNHK』解説委員総決起集会番組」(笑)

NHKの「原子力発電所再稼働反対『みなさまのNHK』解説委員総決起集会番組」(笑)ですが、以前挙げていた映像が終盤、音声が聞こえづらいことがわかりましたので、以下の映像に差し替えます。
これもおそらく早晩、消される可能性が大きいですので、ぜひ早めにご覧くださいね!

http://hiyashitanukian.blog.fc2.com/blog-entry-592.html
posted by Kato at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

水橋孝カルテット「男が女を愛する時」

 加藤浩嗣の名曲アルバムです。
 きょうの一曲は、水橋孝カルテット「男が女を愛する時」。
 僕の(ほんとうはいまも愛している元妻との)結婚式のラスト、お客さまがお帰りの際に会場で流した曲です。僕の現状では、号泣ものの曲なんだけれどもね(泣)。
 元歌は米国のアフリカンアメリカン、パーシー・スレッジの同名ソウル。ウィキペディアによると、「ビルボード」誌のR&Bシングル・チャートとBillboard Hot 100の両方で1位を獲得する大ヒットを記録した。この曲は、アトランティック・レコードのシングルとしては初めてゴールドディスクに達した−とのことです。
 僕が知ったのは、釧路の栄町公演前ジャズ喫茶「ジス・イズ」(小林東マスターのご闘病で、数年前に閉店しております)で、水橋孝カルテット版が先です(釧路湖陵高校時代は毎週末通っていたからね)。一回聴いただけで、心をえぐられました。そのころ、湖陵にもほかの高校にも「心の君」はいなかったので、「いつか王女様が」って感じで、飽くことなく、「ジス・イズ」に行くたびにリクエストしていました(それで、冒頭に書いた結婚式の際には、小林東マスターにお願いして、カセットテープにダビングしていただきました)。
 元歌はソウルだと知って、ミサキレコード(釧路出身の方には懐かしいでしょ?)で、シングル盤を取り寄せていただきました。3分ほどの短い曲なんです、実は。それを水橋孝カルテットは11分50秒で演奏しています。それも、熱く、熱く、心を込めて。
 楽器を演奏なさる方なら、数分聴いてすぐにおわかりだと思うのですが、音を外したり、かすれたりなんだり…決して「うまい」演奏とは言えない。
 でも、僕は、ここでカルテットが観客と出逢い、心を込めて演奏する…CD(むかしはもちろんLPレコード盤)なので映像はないのだけれども、そんな、熱く、微笑ましく、涙もろくなった僕には涙腺ゆるゆるものの世界が見えてくるのです。
 このとき、カルテットは「もしかしたら、このジャズアルバムは、僕たちの音楽活動の中で最初で最後のアルバムになるのではないだろうか」−そんな覚悟をしていたのではなかろうか、僕はそんな「一世一代の覚悟」をも聴いてしまうのです。

https://www.youtube.com/watch?v=37kn_-YBa74
posted by Kato at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする