2016年09月08日

2019年に向けた、僕の基本的なお約束10点

2019年に向けた、僕の基本的なお約束10点が出来ました。
福島県川俣町。
未曽有の災害「3・11」をまさに体験して、生きるということの重み、生かされていることのありがたみを、日本中、いや、世界中のどこよりもわかっていらっしゃるはずなのに(泣)。
脳梗塞から復帰した町長に、車椅子に座ったままでの発言を、「前例がない」として、許可しないという。
車椅子から降りて、立ってしゃべれってことなんだろうかね?
なんなんだろう?
「前例がない」?
前例って、つくるもんだべや!
経験するもんだべや!
てめえらが「3・11」という、悲しみの極みの「前例」を、世界中に教えてくれたべや!
うわ〜ん(泣)!
どこまで、お馬鹿さんなの?
てめえら!
「3・11」の被災者であるはずの、あなたたち!
これって?
僕にはまったく理解できないんだ!
これじゃあ、そもそも、両足がないハンディーキャッパーは町長として認めませんって、言ってるわけじゃん!
あやややや!
読者のみなさん、どう思われますか?

僕は、これまでフェイスブックをしていて、一度もみなさんに求めたことはないのですが、今回だけはお願いします!

この記事を拡散してください!

そして、絶対に、この、ちょっといかれたクソ議会議員連中をつぶそう!
川俣町民の皆さまに、頭を冷やして、選び直していただこう!

いわゆる「被災者」「災害弱者」の中にも、やっぱりお馬鹿さんはいるのだということで、あえて「3・11」を強調しました。
決して「被災者」は、いい人ばっかりだけなのではない!
その、つらさ、空しさ、悲しみから、どう学び、どう生き直すのか、なのではないかと、僕はほんとうに思う。
この思いも、北海道民の皆さまと共に考え、実践していく。
共感を得るには、ものすごく難しいだろうけれども。

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2016年09月07日

僕の小さな決意 Vol.1

僕の小さな決意は2019年ですが、ただいまから、お願いごとを受け付けます(「お願いごと」って、別に、やさしい言葉を選んだのではなく、そうした政治用語を忘れてしまったのん)。
福祉・保健とか、芸術・文化とか、スポーツとか、建設とか、いろいろね。
僕は北海道庁、ならびに14支庁(+公共施設)に「北海道すてき募金」箱を設けます。
1円以上でOK!
それは、今回の大雨災害などに迅速に対応するためです。
そんな時に、いちいち道議会を開いて予算化して、国に激甚災害指定を申請して、なんて、やってられないべさ!
素早く、素早く、北海道にお住まいの方の命を守る!
僕は、絶対に、やる!
posted by Kato at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一方的な通り魔的離婚について書いた、僕の命をつなぐための文章二つ

もうそろそろ眠ろうと思っているんだけれど、最後に、ちょっと読むには「痛い」文章を書くね。
もし、読み続けていて「痛く」なったら、きょう読み続けることはやめて、あす以降にしてください。
周知の通り、僕は7月上旬に、一方的に離婚されました。
理由も通知されず、本人からの意向も知らされないまま。
ただ、元妻が契約した女性弁護士からのただ1通の調停離婚の後庵によって。
僕は調停なんてめんどくさいことはしたくなかったし(叔父=母の弟=が調停委員をしていたし、父=書記官=も母も裁判所職員という裁判所一家だったから、仕組みはわかる)、元妻にいろいろな意味でご迷惑をかけただろうから、協議離婚にして頂いたのだけれども。
それにしても、協議離婚だからなんなのか、いっさいの情報がないんだよ。
元妻が離婚を選ぶに至った心の軌跡というものが。
それを僕に間接的に伝える努力を、その女性弁護士もいっさいしてくれない。
僕は、これから、どうしたらいいのだろう?

手元に、女性弁護士にあてて書いた手紙のデータがあったので、記します。
ちょっと、えぐいかも。
読みたくなくなったら、やめてくださいね。


※9月1日11時29分送信
小川さま
僕は5月14日(土)に札幌・中村記念病院に入院いたしました。
病名は「ヘルペス脳炎」です。
通常なら唇の周りなどにできるヘルペスが脳内にできるという奇病で、ウィキペディアによりますと、100万人に2〜3人という、ごくわずかな罹患率らしいです。
しかも、世界的にも再発の例は報告されていないもの。
僕は、2014年10月にも発症しており、世界初の再発とのことでありました。

それで中村記念病院に入院していたのが5月14日(土)〜31日(火)。
退院の際には、妻と、郷里・釧路に住む妹が付き添ってくれ、その足で、日ごろ鬱病で通い付けの札幌・幹メンタルクリニックへ行きました。
するとそこで、躁病のため(結局、躁病&鬱病の「双極性障がい)入院加療の必要あり、との診断を受け、翌日、幹メンタルクリニックの提携病院である、札幌・旭山病院への入院が決まりました。
その晩(5月31日)は、妻、妹と、円山にある通い付けの居酒屋で晩餐をし、翌6月1日(水)10時30分、3人でタクシーで旭山病院に行きました。
主治医・木村永一さんの見立てでは、精神科で3カ月の入院加療が必要との診断でありました(その場には、妻、妹も同席しておりました)。

その日から、長い入院生活が始まりました。
妹は3日ほどして帰釧し、妻は1週間ほど通ってくれました。
僕が毎日来てくれる必要はない旨を話し、その後、週末ごとに僕が円山の自宅に外泊(1泊)することにいたしました。

ところが早くも6月第3週には、主治医・木村さんが「加藤さんは治ったようなので、退院しても大丈夫です」とおっしゃったのです。
でも僕は、新聞記者という職業柄、なかなか取材することなどない精神科病院の実態を新聞紙上で広く紹介したいと思い、また、この旭山病院が北海道中を見回してもどうやら最先端の先進性のある精神科病院であることを知り(患者さんの権利を守ることなどにおいて)、主治医・木村さんに、8月末まで取材をさせてほしい、退院後にルポ記事を新聞紙上に掲載したいと依頼し、快くOKの返事を頂いたのです。

僕はこの事実を、妻にも伝え、了解を得ました。
いま思えば、表面上の了解だったのかもしれません。
そうして、僕という「完治」したはずの患者は、週末ごとに妻の待つ家へ帰宅し(1泊)、円山周辺の飲食店で夕食を共にしていたのです。
そういう中で、妻の突如としての不在、数日後の小川さんを通じての調停離婚のご案内(封書)が届いたのです。

妻が自宅にいてくれた最後の日(僕といてくれた、という意味です)、病院への送りのバスを待つ間に、僕と妻は話をしました。
いや、いま思えば、僕からの一方的な語りかけだったかもしれません。
旭山病院の先進性について、笑いの絶えない患者さんたちと触れあい、驚いたこと(僕は精神科病院はいわゆる「気狂い」の巣窟だという思い込みがありましたから)、入院患者さんには若い女性も多く、その大半が身勝手な夫からの一方的な離婚で心を徹底的に痛めつけられていること−などを話した記憶があります。

この日に限って、僕は妻に、マルヤマクラス前から出る、送りのバスのところまで来てくれるよう頼み、かつ、バスが角を曲がって、お互いの姿が見えなくなるまで手を振り合うことを提案しました。
妻は、そうしてくれました。

そして、次の外泊時に帰宅すると、妻の姿はありませんでした。
布団やパソコン、チェロなど、彼女にとって必要最小限のものとともに。

最初は、友達の家にでも行ってるのかな、と軽い気持ちでいたのですが、時間がたつにつれ、不安に襲われました。
そして小川さんからの封書を見つけて読み、僕は一気に奈落の底へ突き落とされました。

ここから、僕はほんとうに、「精神病患者」になりました。

毎日毎晩の嘔吐、めまい、立ちくらみ、体全体のだるさ、食欲不振、不眠、下痢…。
自分がそういう精神的落ち込みにあることは、病院に戻っても、木村医師をはじめ旭山病院のスタッフにも打ち明けられず、ただ、その日が早く過ぎればいい、早く退院したいという思いが深まりました。

もともと8月末とされていた退院を、僕は8月18日(木)に早めました。
木村医師にしてみれば、6月第3週には退院を勧告していたのだから、なんの問題もなくOKを頂きました。

そうして、自宅マンションで、一人の生活が2週間過ぎたところです。

小川さん、小川さんが最初におっしゃられたように、妻は「疲れた」だけなのかもしれません。
ただ、僕は、よりを戻そうなどということではなく、「僕のなにが、どう悪かったのか」「どういうことだから、25年間にわたって築き上げてきた夫婦関係を、いきなり、一方的に、デッドエンドしたかったのか」を知りたいのです。

もしかしたら妻は、僕が、旭山病院に入院した当初より、徹底的に「心の病」の罹患者になってしまったことをわかってもらえていないのかもしれません。
そういうことを願うのは無理で、協議離婚においてはルール違反なのかもしれませんが、この離婚という選択を再考するかどうかは別として、せめて、その僕の真実、事実を、妻に知って頂きたいのです。

小川さんには意外かもしれませんが、貴法律事務所にうかがう時、僕は、精いっぱいの虚勢をはっていました。
変だけれど「負けるもんか!」と、思っていたのです。
でも、もう限界が近づいているような気がしてなりません。
死は選びません、怖いから。
でも、どうして生きていけば良いのかも、わからないのです。

妻との25年間は、たしかに彼女に、迷惑をかけっぱなしだったと思います。
ほんとうに申し訳なくて、すまなくて、謝りたくて、いまこうしていても、涙が出てきて、しょうがありません。

でも、あの最後の日、送りのバスを待ちながら、妻と自宅マンションで過ごした数分間は、かつてないほどの幸福感に包まれていたのです。
「これなら僕は、僕たち二人は、今後もやっていける」と確信した数分間だったのです。

「僕のなにが、どう悪かったのか」「どういうことだから、25年間にわたって築き上げてきた夫婦関係を、いきなり、一方的に、デッドエンドしたかったのか」−それを知ることは、妻に教えて頂くことは、僕が、次のパートナーと関係を構築する際にも欠かせないものだと思うのです(そんな奇特な女性がいるとはまったく思えませんが)。

妻が、送りのバスが角を曲がるまで、優しく、すてきに手を振ってくれて、それで次に帰宅してみたら、突然の不在、理由もわからない、そして、いきなりの離婚−などという現実からは、僕は人生を生きていくための次の一歩を踏み出すのに際して、なにも学べないし、ただ「心の病」が増幅し深まるばかりだし、これから先、どうして、妻以外との人間関係を構築して生きていったらいいのか、まったくわからないのです。

ほんとうに、こんなこと、しちゃいけないだろうとはわかっているんです。

でも、どうか、僕が一人の人間としてもう一度、再生できるために、妻が離婚を選択した真実を知りたいのです。
僕は、一人ででも、生きていきたいんです、人間として。

小川さん、どうか、ほんとうに、よろしくお願いいたします。
小川さんが個人として「◎◎だと思いますよ」との推測のご回答なら、はなはだ失礼ですが、それは必要ありません。
妻の真実の思いが知りたいのです。
どうか、よろしくお願いいたします。

乱文、長文、ほんとうに失礼いたしました。

なお、自宅でパソコンが使える状況が復活し、これは自宅のパソコンからの送信です。

加藤浩嗣

※9月1日16時30分

小川さま
こんにちは。
11時29分に通信をお送りしましたが、その時よりは、僕の気持ちをよりわかりやすくお伝えする言葉が見つかった気がするので、あらためて送らせて頂きます。

結論から申し上げれば、僕は妻から、もちろん小川さんを通じてですが、離婚を決意、実行するに至った「心の真実」を教えていただきたい、ということです。
日本国憲法第24条で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」と規定されていることを小川さんにお伝えするのは、釈迦に説法であります。
今回の場合、僕は調停なんてことはしたくないし(元札幌高裁の叔父が退職後、札幌で調停委員をしておりましたので、仕組みはわかります)、妻がそう望むなら、ということで、素直に協議離婚を選びました。
ただ、それにしても、僕は妻が離婚を選択するに至った、一切の情報を知りません。
心の推移を知りません。
前のメールで明らかにしました通り、会うのが最後になった日は、街頭で最後まで病院への送りのバスに手を振ってくれたのです。
そんな、やさしい妻が、25年間、連れ添った妻が、もしかしたら僕を自死に追いやるかもしれないような選択を、一人で決断したとは、とうてい思えないのです。
それに、ある日、病院から帰宅したら、調停離婚の文書が届いていて、僕は長年迷惑かけたこともあり、離婚理由の真実を知らされないまま協議離婚に応じることにし、そうしたら離婚理由を知らされないまま、財産は半分に分与すると言われる。
これは実態として、悪質な結婚詐欺としか思えないのです(妻はそんな卑劣なことをする唾棄すべき女性ではないと、僕は、第三者から今後の人生において、僕の離婚について説明を求められた際には、命を懸けて証明しますが、その第三者はとうてい納得されないでしょう)。
よく、結婚も離婚も紙切れ一枚とは言われますが、時間をかけてお互いをわかり合い、この人となら、ということで婚姻した相手と、いっさいの理由の説明もなしに、ただ「疲れたから」ということだけで、一方的に離婚できるというのが、現状の日本国のあり方なのでしょうか。
僕は、考えれば考えるほど、よくわからなくなるのです。
世の中で一番、だれよりも愛していた、信じていた、なにもかもを任せきっていた、掛け替えのない妻に、いまでも信じられないし、信じたくもありませんが、卑劣な置いてきぼりを食わされたことは、これから僕が、一人の人間として社会に復帰して一歩、歩みを進める際に、唯一であり最大の障害になるのは、間違いないことなのです。
どうか、妻の言葉を聞いたうえで、僕にお教えください。
よろしくお願いいたします。



長々と、ごめんなさい。
僕、いま、フランツ・カフカ「変身」の不条理の中で、アルベール・カミュ「異邦人」の実存を模索している。
もしかしたら、もしかして、この苦境を脱したら、ノーベル生き方賞を取れるかも!(そんな賞はありませんってば=笑)

ガールフレンドになってくれる女性、募集!
芝居とか映画を見て、それを語りに夕食を共にしてくれる方。
いま、ぜんぜん働けていないので、割り勘でね!
よろぴく!
posted by Kato at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

2019年北海道知事選挙立候補にあたっての、僕の基本的な公約10点

2019年北海道知事選挙に立候補するにあたっての、基本的な公約が出来ました。
1〜5はまだ、内緒にしていただけるとうれしい(まあ、こうして公にしちゃったわけだけれども)。
反自民・反公明の人には拡大してOKです!
政治が嫌いな方、ほんとうに、ごめんね。
でも、俺、1回だけ勝負するから、許して!

1. 当選した日の午前零時が回ったら、「北海道国」を建国、独立する。
2. 1の理由として、安倍晋三(自民党・公明党)政権の憲法改悪から、北海道を守る。「北海道国」は日本国憲法+αの憲法でいく。
3. 2の理由として、安倍晋三(自民党・公明党)政権の天皇陛下を「元首」にしてしまう憲法改悪から、天皇陛下をお守りする。北海道国の象徴は天皇陛下になっていただく。
4. 北海道を大統領制にする(まあ、つまり、初代は僕ね)。普通に考えると、議院内閣制。でも、それだと解散があるの。いっつも、どきどき、ひやひやしなくちゃならない。それをなくするための大統領制。解散がない4年間、ゆっくり政策を考え、実行できる体制にする。
5. 自衛隊を「北海道自衛隊」として、専守防衛の組織にする。在日米軍とも決別。
6. 北海道電力泊原子力発電所を即時廃炉にする。北海道の西岸は風が強いので、風力発電を国家的に推進する。あと、川を生かした水車発電とか。
7. JR北海道とは別に、北海道国有鉄道を組織する。赤字しか見込めない北海道新幹線の推進とは、もう、おさらば(JR北海道さん、ご勝手に)。廃止されてしまった鉄路(夕張線とか)を復活すると共に、全道時計回りの鈍行の観光鉄道をつくる(僕のタイムラインを見てもらえれば、詳しく書いているよ)
8. いま、民間が運営している、シアターZOO、コンカリーニョ、パトス、サンピアザ劇場などを、国営化する(プログラムには口出ししません)。そこで働く方は公務員。
9. 心と体のハンディキャッパーを公務員として雇用を拡大する。例えば、心のハンディキャッパー公務員は、そうした病がある方の話し相手になって頂くだけで、十分だと思うんだ。そうして、みんなで、すてきな北海道をつくっていく。
10. 幼稚園、保育園に希望に添う形で全員入られるようにする。希望がなくなれば廃止とか。場所としては、演劇劇場を有効活用する。
※あ、1〜5はね、クーデターになるんです。
失敗したら、僕、死刑。
だから慎重に取り扱ってください。
posted by Kato at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月05日

尊敬する人 Vol.4 坂本九

 北海道電脳新聞の新企画「尊敬する人」、劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」では100件以上のアクセスがあるなど、ものすごく評判がいいようです。
 ありがとうございます。
 第4回は坂本九さんを取り上げます。
 なんか、坂本九と言っても、しっくりこないな(笑)!
 やっぱり、僕にとっては、ただの、九ちゃん!
 あの、いつ、悲しみ顔が現れるのかわからない、どんな苦境にあっても、いっつも、とっても、すてきな笑顔満載、そんな、印象の方なのです!
 さっき、ウィキペディアで見たら、やっぱり、坂本九ちゃんファン=絶対に日本航空を使わない人って、いるんだって。
実は、僕も、その一人なの。
全日空が通っていない土地でない限りは、絶対にJALは使わない、使えない。
それほどに衝撃的だったなあ、1985年8月12日JAL123便。

 「見上げてごらん夜の星を」
作詞・永六輔 作曲・いずみたく
https://www.youtube.com/watch?v=3hNQsRmAAC0

「上を向いて歩こう」
作詞・永六輔 作曲・中村八大
https://www.youtube.com/watch?v=bbH754gScuk

もうね、僕、ボロ泣きです!
いやあ〜この曲は2019年に僕が北海道知事選挙に立候補して、たまさか当選した場合には、何番目かの「国歌」にするからね!(一番目は「虹と雪のバラード」)
よろぴく!
「上を向いて歩こう」はね、いまから20年前くらいの本州で大雨災害があったときに、濁流に呑まれたバスの乗客が、みんなバスの上(天井)に上がって、みんなで夜中に眠らないように歌い続けたのが、唯一、みんなが世代を超えて歌詞を知っている「上を向いて歩こう」だったんだって!(うわわわわ! またまた、ボロ泣き!)
「上を向いて歩こう」は、九ちゃんがレコード盤で歌っていて、普通に歌われているのは「思い出す、秋の日」までなんだけれど、唯一、歌詞4番として「思い出す、冬の日」の歌詞もあるのは知っていますか?
それはね、映画なの。
「上を向いて歩こう」という映画で、共演は高橋英樹、吉永早百合だったかな?(日活)
九ちゃんも出ているその映画のみで、「思い出す、冬の日」が歌われています!
ええとね、1964年の東京五輪の直前で、たしか、代々木の第2体育館前だったな。
みんなが集まって歌うという。
一回、NHK-BSでやったよ。

https://www.youtube.com/watch?v=ive2aOrIg-Y

九ちゃんはね、坂本九っていうんだ、ほんとはね。だけど…ちっちゃいから…(笑)
九ちゃんと言えば、夏の中学、高校の文化祭のファイアーストームでかかる「ジェンカ」だよね?
みんなはしたことがないかも!
最近は近隣住民への配慮から、ファイアーストーム自体をしないもね!
あすこで生まれる男女交際って、あるんだけれどなあ!
残念だわね。
釧路湖陵高校の文化祭は、たしか夏休みを終えた、いま時期で、手作りの大きな人形を担いで、北大通りを歩いたんだ!
そして、校庭の真ん中で焼いて、3年生分、30クラス分焼いて、その火の明かりでフォークダンス!
すてきでしょう?
僕はいまでも忘れられないな。
いままで、ちゃんと生きてきて、この高校に入って良かったと思った!
女の子がみんな、きれいに思えた!
すべて、この時間、この世界を、守りたいと思った!
そうか、僕が釧路湖陵高校を卒業して、もう33年か!
甘酸っぱかったなあ(笑)!
僕は恋をしていないと生きて行かれない人間だからね、いっつも、すてきな女性を探して生きています!
君が僕のことを危険だと思ったら、あんまり、近づかないようにね(笑)!
posted by Kato at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする