2016年03月22日

「もういちど」について、もういちどだけ・演劇プロデューサー=制作者の重要性

 劇団アトリエ「もういちど 〜蛙(かわず)飛びこむ水の音〜」(演出・脚本小佐部明広)は5日間8ステージで619人(1ステ77人)がご覧になったそうで、小佐部はじめカンパニー関係者は驚き喜んでいるようだが、僕にしたらもっと入っていい、入ってほしかった芝居だ。1ステ90人ぐらい。だって狭い狭いといわれるシアターZOOにしても定員は90人だからね。舞台、観客席のつくり方によってももちろん変わってくるのは承知の上でだけれど。
 まあ、けっこう詰めて座っていた気がするし、カンパニー記録を更新したのだから、予想ではもう少し少ない入場者と見込んでいたのかもしれない。
 そこで次回作品はどうするかだね。
「2016年の予定」というチラシを見てるんだけど、次は4月にコンかリーニョの遊戯祭。でもあれか、遊戯祭ではほかのカンパニーとの空間併用だから、あまり自由に組み替えられないか。
 だとしたら7〜8月の演劇シーズンでZOOなんだけど、「学生ダイアリー」は再演だからなあ。大学サークルの部室が舞台だから、過去演から大幅には変えられないでしょうね。
 ほんとうに空間を遊んで集客を図るのは11月のコンカリということになりますね。でも日程を見ると金〜日曜日の3日間なんだな。
 と、目を一番下に転ずると、12月にZOOで「汚姉妹」でアトリエ「おしまい公演」は水〜日! 何ステなのかはわからないけど、勝負をかけてきた気がするね。
 俺、北海道新聞文化部の舞台担当記者だった15年前から、カンパニー関係者には「日曜日が千秋楽の芝居の劇評を上演中に道新夕刊に劇評書いてほしいと思ったら、初日は水曜からにして!」って言い続けてきたんだ。
 なぜか?
 新聞製作の事情からなんだ。
 主に劇評が載る夕刊の芸能面は先作りといって、たとえば水曜夜の芝居を見たとしたら、その日に原稿を書いても、編集本部という新聞製作の部署が作業するのは翌木曜日なんだ。木曜日に金曜日配達の夕刊をつくる(あ、これは15年前、まだ土曜夕刊に芸能面がなかったころのスケジュールだな=笑。でも金曜夕刊で劇評を読んだ方が土、日の観劇を促せるよね、そうすれば集客増えるし)。
 ということで、俺が舞台担当だったころは、札幌座(当時のTPS)とかハムこと菅野公くんとか千年王国の橋口幸絵さんらには「できることなら水曜初日にして」って言ってた。
 いまはメディアのプレビュー用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E5%85%AC%E6%BC%94
にゲネプロなどを公開するカンパニーも増えてきたようで、これはとてもよいことだと思います。
 お願いしたいのは、できることなら俺にもプレビューのご案内はほしいところなんだけど。俺はプレビューだけで見たことにして済ませて本番は見ないということは絶対にないので。
 多くの演劇シーズンの公演では初日(あるいは前半)、可能なら中日、ほとんどは楽日と2、3ステージは見てるからね。
 「もういちど」の成功で、今後の集客はどうなるのかな? 「汚姉妹」はどれほど集まるのかな?って、いまからもう楽しみです、集客の「成長」が目の当たりにできるのは。
 
それに関連して「制作」について書きます。
「もういちど(再観)」で「アトリエは決定的に『制作』が弱いと思う。」って書いたんだけど、ちょっと言葉足らずな気がしてさ。
より丁寧に正確に言うと、「人気カンパニーには必ず有能な制作がいる」「有能な制作がいるのに売れないカンパニーはない」「有能な制作は時にはよりよい環境を求めてカンパニーを渡り歩く」「あるクリエーター(劇作・演出家)の創造への人気を形(金)に変えられるのはプロデューサー(制作者)だ」ってことです。
つまり、「制作」という仕事を「プロ」としてやっているわけですな。食うための仕事として。
札幌演劇界ではこの点、まだまだ大学サークルなどの仲良しグループ的な関係の延長というのが続いていて「○○さんの芝居、舞台の世界観が好きだから、○○さんにどこまでもついていく」っていう、クリエーター至上主義のままだと思います。
 でもそうだと、クリエーターの創造力が低下してきたときには芝居自体に魅力がなくなり、集客も伸び悩み、結果、無念にも空中分解してしまうってことにもなりかねない。
 そんなときにクリエーターは古典や名作戯曲に挑戦して、地力が回復したり、新たな発想の源をつかんだりすることをすればいいわけですが、自分の新作新作でやってきたプライドでそれもできない−なんてことになったら、最悪のケースですね。
 そうした場合のアドバイザーになるのも、プロデューサー=制作者だと思います。
 そしてここからは僕の持論に過ぎないのですが、もしあるカンパニーで独りだけ芝居で食うことができるとしたら、それは「地味」で「地道」で「継続的」な仕事をすべき「プロデューサー=制作者」にするべきではないかと思うのです。
 なぜか?
 簡単に言えば、自分の思いを舞台に載せたいクリエーター(劇作・演出家)は次から次に各方面から湧き出てきますが、他人の思いが舞台に載るのに尽力するプロデューサー(制作者)の傑物はなかなか出てこないからです。
 僕が傑出した制作者として思い浮かべるのは燐光群の古元道広さん。
 もうとっくに募集の締め切り過ぎてるんだけど、こんなこともあるようなので、お知らせしておきますね。
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/745f13e9f725568d2f03da22a5dedc9f
 演劇カンパニーが本当の意味で演劇カンパニー=会社として機能していくには、頭脳としてのクリエーター(劇作・演出家)同様、心臓としてのプロデューサー(制作者)は決定的に必要だと思うのです。
posted by Kato at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「もういちど 蛙(かわず)飛びこむ水の音」について、いまひとたび

劇団アトリエ「もういちど 〜蛙(かわず)飛びこむ水の音〜」(演出・脚本小佐部明広)について、2回書いて2回とも書き忘れました。
書かなきゃと思っていたのに。
音楽についてです。
クレジットによると、山崎耕佑、日下拓人、橋本啄実の3人。
舞台ではなく観客席の上手側に3人縦に並んで、演奏していたのはギター、ベース、キーボード、サックス(?)を主体に、そのほかにも楽器ではないものまでさまざまあったような。
決して舞台上の出来事に追従するのではなく、音楽だけ独立して聴ける素晴らしい演奏でした。
舞台と音楽が互いに互いを高め合っている、刺激し合っている、それこそがコラボレーションということの極みでしょう。
この魂を込めた、もしかしたら演劇人としての生命を懸けた作品に気のおけないミュージシャンの生演奏を頼んだということからも、小佐部が本作にどれほどの思い入れを込め取り組んでいたかが感じられるというものです。
本当に素晴らしい、すてきな芝居でした。
で、この芝居はスズナリみたいに古く狭い窮屈なところなんかではなく、三軒茶屋のシアタートラムとか池袋のシアターイースト(ウエスト)といった最新の劇場空間で観たいと思ったものです。
小佐部、じっくり大切に時間をかけて育てて、やるときには東京の舞台関係者・ファンに「札幌演劇ってすごい!」といわれるように、息の根を止めるように深く強く確実にな!
posted by Kato at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もういちど 蛙(かわず)飛びこむ水の音(再観)?あるいは小佐部明広は「若者たちの神」になり得ているか?

 劇団アトリエ「もういちど 〜蛙(かわず)飛びこむ水の音〜」(演出・脚本小佐部明広)を3月21日(月)、札幌・ターミナルプラザことにパトスで再観した。
 上演中の芝居3本の中でどれを見るか迷ったのだが、これを選んで良かったといまは思う。19日(土)に見落としていたものが見えて、評価が定まった。
 あらすじやキャストについては19日に見た際のレビューをお読み頂きたい。ここではその先へ行く。
 といっても小佐部からのメッセージがあまりに多く大きすぎて、正直、消化し切れていないのが実情なのだが。試みに、この芝居を見た頭に浮かんでくる言葉をつらつらと書き連ねてみる。
 俳句、言葉、メッセージ、檄文、カルト、オカルト、ナチスドイツ、ヒトラー、ニーチェ、ツァラトゥストラ、ワグナー、ゲーテ、ファウスト、エロス、タナトス、死なう団事件、国粋主義、天皇制、国家社会主義、国粋主義、連合赤軍、浅間山荘事件、オウム真理教、歴史、記憶、戦争、輪廻転生(生まれ変わり)…。
 一目して、札幌演劇界の枠を超えた作品であることがわかる。
 だがそれは少なくとも僕一人にとっては大歓迎だ。
 札幌芝居を15年以上見てきて、札幌座の斎藤歩をはじめとしたディレクターの諸作品や南参、イナダ、イトウワカナ、納谷真大らの仕事に証される、質の高さとか出来の素晴らしさとかだけではない、「もういちど」は思想的、思索的、イデオロギー的に東京演劇界に殴り込みを掛けられる舞台が登場した、という気がする。
 小佐部が勝負を懸けた一作だったのではないか。
 僕はこれからは小佐部の作品を野田秀樹や鴻上尚史(解散したが、1980年代から疾走し続けた「第三舞台」の主宰者。いまは別カンパニーを主宰している)、唐十郎、坂手洋二ら、現代日本演劇のトップランナーの仕事と向き合う気持ちで批評することなると思う。
 きっと言葉は厳しくなる(先に挙げた札幌演劇人に対しては甘い言葉で、というのでは決してない。小佐部の舞台がきっと、こうした日本のトップランナーの仕事に向き合うのに必要な「理論武装」を僕に求めてくるのではないか、という覚悟だ)。

 僕の早稲田大学時代(1984〜88)の観劇体験を話そう。
 その時代に一番見ていたのは、先に書いた鴻上尚史の「第三舞台」だ。僕が初めて見たのは84年9月、下北沢のザ・スズナリでの「モダン・ホラー」。人気は飛ぶ鳥を落とす勢いで、翌85年2月には紀伊國屋ホールに初めて進出し「朝日のような夕日をつれて85」を上演した。
 いまでもよく思い出すのは、行く先々の第三舞台上演中の劇場ロビーで鴻上が23歳上の、2008年に73歳で亡くなった、私が尊敬するジャーナリスト筑紫哲也さんと談笑していた情景だ。開演前、終演後に関わらず。二人とも難しい顔をしていることはなく、いつも談笑だった。取材者と取材先というより情報交換をする同志のような感じだった。
 当時、筑紫さんは僕が早稲田に入学した4月から「朝日ジャーナル」(現在廃刊)の編集長を務めていて、若者たちに熱狂的に支持される各回各層の人との対談「若者たちの神々」を連載していた(第1回の対談相手は学術書「構造と力」がベストセラーになった浅田彰さん。懐かしや)。
 鴻上も「神々」の一人だった。で、僕もできたら小佐部とは筑紫さんと鴻上のような関係が築けたらと思っている。と、こんな我田引水な結論ですみません(笑)。
 閑話休題。当時の筑紫さんは53歳くらい、鴻上は20代後半。で、10代最後の僕(いま51歳)にとってはまさに同時代の悩みや希望、絶望、そこからの脱出の手立てを探るための心の頼りとなる(お二人とも)「神」であった。
 小佐部もそろそろ20代を折り返す頃だろう。小佐部は少なくとも北海道の若者の「神」になっているだろうか?
 芝居という表現手段は生身の人間を媒介にし、手を伸ばせば触れられる間近に繰り広げられるメディアであることから、創り手と受け手とが映画やその他のメディアより近接、緊密な関係性を構築できるものだと聞いたことがある。
 小佐部の場合はどうなのだろう。いまの大学生たちは小佐部の芝居に「われ」や「われわれ」を感じ、期待を託しているだろうか? それをつかみ取ることが、小佐部ならびに劇団アトリエのブレークの鍵になると思っている。
 それともう一つ、これは叱咤激励だが、アトリエは決定的に「制作」が弱いと思う。小佐部が本作「もういちど」を契機にブレークするか否か、したか否かは次回作を見なければわからないが、第一線の兵士(小佐部や役者、大道具、小道具、衣装、照明、音響ら)がいくら最前線に突進していっても、制作による兵站(へいたん)が滞ってしまってはもうどうにもならないのである。本作「もういちど」の満員御礼をチャンスとして、制作にいっそう力を入れてよいのではないか?
 もう一つ付け加えるなら、演出としての「身体性」ね。

 そうした諸々の事情を鑑みて、この作品に贈った「シアターホリック(演劇病)マイベスト」を取り下げる。
 と同時に「北海道演劇の宝」賞を贈る。ぜひ受け取ってください!

 「もういちど」に関わったみなさん、お疲れさまでした!
 そして、素晴らしい芝居をありがとう!
 これ以後、劇団アトリエの芝居はアマチュアではない、プロの仕事として批評していく。どうぞよろしくお願いいたします。
posted by Kato at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月20日

前項の文字化け訂正します

前項でやはり異体字が文字化けしていましたね。
裏方の山崎明彗さんは崎の字が異体字でした。
posted by Kato at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空家珈琲とぽぽ えぴそーど2 そろそろなべ焼きうどんはじめちゃいます

東区市民劇団オニオン座「空家珈琲とぽぽ えぴそーど2〜そろそろなべ焼きうどんはじめちゃいます〜」(作・演出西脇秀之)を3月20日(日)、札幌市こどもの劇場やまびこ座で見た。
地下鉄の駅からほど近く、使われなくなった玉ねぎ倉庫がありました。いつからかこの空家にご近所が集い、楽しくおしゃべりしたり歌ったり、ついで喫茶店を開いたりしました。季節はめぐりめぐってぐりぐりめぐって何度目かの食欲の秋。あいもかわらず空家カフェ「とぽぽ」では、用もないのに人が集まり、つれづれなるままにカウンターに向かい、愚にもつかぬ話と新メニューの具の話で盛り上がっているようで……。
出演(当日配布のキャスト表に基づく。これだけ書くのはちょっと冒険、ミスがないといいなあ)は増田碧、田中伶奈、小川征子、菅原千聖、大西美枝子、本吉夏姫、三浦和枝、工藤由貴、増田洋介、江崎未来、吉野直美、佐藤颯、笹森佳世子、脇愛美、狹田春香、狩野智滉、浦川智菜、大塚修司、佐々木峻、木下響輝、大元結依、川森栞里、牧野桃花、山内花、宮腰麻涼、片桐鼓、中村日満里、村井奏大、裏方の2人は森口恵、山粼明彗。
ここに、太文字で書かれる「物語」はない。地域に根ざして生きる人々の日常にふと立ち現れた「さざ波」とでもいったものを、たいそう愛おしく大切に見つめ、すくう西脇のまなざしがあるだけだ。
そうしてできた芝居は、西脇によれば「ぐだぐだな話」であり、「大きな物語よりずっと手前の、『生きてることの手触り』そのもののような、その手触りをそのまま楽しむような、そんな作品」であるという。
謙遜に違いないが、芝居小屋で会うといつも眼を細めてやさしく微笑みながら、静かに自分の立ち位置を踏み外さずに守っているといった風情の西脇の人柄がそのままにじみ出たような作風である。
 それは札幌演劇界を一瞬にして、つむじ風のように席巻することはないかもしれないが、演劇に関わる、舞台を心ゆくまで楽しむ人たちにこそ、なくてはならない心のよりどころとなる時であり場であろう。
 というわけで、札幌では斎藤ちずさんが引っ張る西(琴似)の温故知新音楽劇と並ぶ伝統舞台となった東(東区)の市民劇。私は病気もあって見るのは3年ぶりかと思うが、なにより演じている、関わっている人たちの笑顔、温かさ、楽しく心休まる物語に、今回も胸底からあったかいものを頂いて帰ってきたのであった。
 ここ数年見ないうちに、出演者による生演奏と歌なんていうのが始まって、ずいぶん進化したね。驚いた。それに楽しかったなあ。「なあなあ」、いいなあ。覚えたいなあ。もうすぐしたら踊りも出てきそうね(笑)。楽しみにしてます。
 楽日21日(月・祝)は11・14時30半開演。2時間の芝居です。
posted by Kato at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もういちど  蛙(かわず)飛びこむ水の音

 劇団アトリエ「もういちど 〜蛙(かわず)飛びこむ水の音〜」(演出・脚本小佐部明広)を3月19日(土)、札幌・ターミナルプラザことにパトスで見た。
 西暦2100年頃の日本。片田舎の廃墟。 約80年前、ここを拠点として戦争が始まったらしい。学者は、その廃墟でなにかの原稿を見つける。それは約80年前に書かれた原稿であった。歴史が蘇る。片田舎の少年少女。なんの変哲もない俳句塾。満天の星空。歯ぎしりとため息。幼い神様ごっこ。救済と聖なる戦い。その全てが、永遠に繰り返される。(チラシより)
 出演(コロスを除く)は有田哲、伊達昌俊、塚本奈緒美、脇田唯、倖田直機、信山E紘希、長枝航輝、新谷菜摘、若月篤、田邊幸代、種田基希、高橋寿樹。
 役者は札幌演劇界の20代前半の「オールスターキャスト」と言える布陣である。果たして本作は小佐部が「結成5周年を記念して、5年前に札幌劇場祭TGR2011で新人を受賞した『もういちど』を元に一から書き直し」ただけあって、「シアターホリック(演劇病)マイベスト」に値する。もうそれは言える。
 2020年の東京五輪を目前にした時期〜俳句という趣味、言葉の世界、カルト的な宗教&政治、まちおこし、歴史、記憶、戦争、輪廻転生(生まれ変わり)…。
 おそらくは小佐部のいまの立ち位置であらん限りの問題意識を詰め込んだ芝居だろう。破綻はない。最後まで地力で持っていって見せる。同世代の芝居としては群を抜いている。世界への意思表明として素晴らしい。文句なく「マイベスト」を贈る。それは間違いない。これを「わからない」という方には僕が説明したいくらいだ(芝居の説明って野暮だけどさ)。
 そうしたことを書いた上で、でも僕はより高いレベルの芝居になれると思う。この作品は仕立て直すことが出来ると思う。
 役者は申し分ない。あとは小佐部が思索を高め、かつ深められるかどうかにかかっている。それが叶えば、本作は東京・下北沢のスズナリなどで演劇評論家や大向こうを唸らせる作品になるはずだ。
 再々演を考えるべきだ(重ねて書くが、役者の布陣は申し分ない)。
 その際、念じてほしいのは野田秀樹(野田地図)の劇中のトリックスター(狂言回し。野田芝居では野田が演ずる)を活用してなどの娯楽性(13日に野田地図「逆鱗」を見てきたが、上演時間2時間余のうち15分は“水増し”してた気がするなあ=笑)と、唐十郎(唐組)の芝居の意味がわからない人の懐、脳内にもすっと入り込んでくる大衆性、坂手洋二(燐光群)の「一作筆誅」(造語)のテロリスト性。上演時間は10分延びて2時間でもかまわない。
 本作「もういちど(再演)」は観客としての僕にとっては「マイベスト」を贈りつつも、まだ「北海道演劇の宝」賞の途上にあるのだ。
 小佐部は賢いから、僕の指摘した点などはすでに自覚しているかもしれない。その「賢さ」を一度振り捨て、若干物足りないとも思える身体性に懸けよ!
 期待している。
 開演は20日(日)14・19時、楽日21日(月)12・16時

 「劇団アトリエ」は2016年12月で終了いたします。
 そうだ。チラシが入っていた。
 「来年から組織のあり方を改めて、団体名を改称いたします。」「来年1月からは新しい団体名で活動を始めます。」とのことだ。
 ドキッとした。驚かせんなよ(笑)
posted by Kato at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

またやっちゃった!

二つ前の「転校生」の後の「?」は「〜」です。
こうなることを失念していた。
置き換えてお読みください。
ごめんなさいね。
posted by Kato at 03:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「転校生」を見て思い出した詩・井坂洋子「制服」

すてきな舞台「転校生」から脳が勝手に連想したのは井坂洋子の詩「制服」。
こんな詩です。

制服

ゆっくり坂をあがる
車体に反射する光をふりきって
車が傍らを過ぎ
スカートの裾が乱される
みしらぬ人と
偶然手が触れあってしまう事故など
しょっ中だから
はじらいにも用心深くなる
制服は皮膚の色を変えることを禁じ
それでどんな少女も
幽霊のように美しい
からだがほぐれていくのをきつく
眼尻でこらえながら登校する
休み時間
級友に指摘されるまで
スカートの箱襞の裏に
一筋こびりついた精液も
知覚できない



こうした詩を口ずさんでは、異性に物狂おしいほどの渇望を抱きつつ51まで生きてきた俺って、やっぱりいたいけな変態だな(笑)
posted by Kato at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「転校生」?芸術としての供養のあり方

 「転校生」を見終えて劇場入り口で観客を送っていた演出の橋口幸絵に「3月11日という公演日は選んだの?」みたいなことを尋ねたら「偶然」とのことだった。
 僕は望ましい偶然だったと思いたい。
 いのちに結び付く母性をたたえる女の子たち20人による生身の素足の心素っ裸の素晴らしい舞台は、天災で犠牲になった方たちへのなによりの供養になったのだと思いたい。
 芸術による一つの供養のあり方として心に刻みたい。
 謹んで亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
posted by Kato at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

転校生

 高校生演劇ワークショップ+発表公演「転校生」(作平田オリザ、演出橋口幸絵、演出・振付櫻井ヒロ)を3月11日(金)、札幌市教育文化会館小ホールで見た。
 高校の教室。クラスの女子高校生たちの一日。課題図書に何を選ぶか、親戚の病気や近しい人の出産のことが話題となっている。そこへ「朝起きたらこの学校の生徒になっていた」という転校生がやってくる。
 大人の女性になりきる前の少女たち20人による、やさしく丸みを帯びたしなやか伸びやかな感性のステージ。みずみずしい健康的なエロスが舞台いっぱいに横溢。最前列の僕は例によってうれし涙。すてき、軽やか、素晴らしい。僕が少年だったら仲間に加えてほしいところだけれど、やっぱり指をくわえて舞台袖で眺めているしかないんだろうな…だって少女であることは天に与えられた特権なのだから。
 橋口とヒロさんの演出、振付のパートナーシップ、信頼感に裏打ちされて最高だな。
 最高賞・「北海道演劇の宝」賞を贈ります!(2月の北翔大「遭難、」、3月のこぐま座人形劇「モイモイ・オーシャン・パラダイス」に続いて早くも3作目です)
 出演者全員の名前を書いて顕彰します。
 川瀬海希、日高孝子、浅井萌、加藤美咲、石井南帆、工藤真里、冨樫美羽、青木南月実、小野弥月、佐藤楓子、幅寺貴梨花、吉井裕香、柳瀬日菜子、茂木アンジェリー、松尾明花音、霜沢花朋、横尾陽菜、赤川楓、仁木わかな、飯塚彩夏
 これは1ステージ限りという希少性において新たな北海道演劇伝説になるね!
posted by Kato at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

つれづれなるままに ♯29 劇作家+演出家+舞台監督も手の届かない、傑作舞台への画竜点睛

 先週末は3本ものいい芝居を見て、叫び出したいほどうれしかった。
 劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」にアップしたのと違い、実際に見た順番は@朝まで生ゴヅラ2020A超時空概論 FRUITS BASKET 2016Bモイモイ・オーシャン・パラダイス−だったわけだけど、能楽などの「序破急」にも似て、劇場回りを進めるほどにどきどきわくわく感が深まるという願ってもない日だった
 なによりたくさんの人と出会えたことがうれしい。言葉を交わせたことが感激だった。
 僕はフェイスブックを初めたのが昨年末からと日が浅いのだが、最近はあらかじめ「友達」になっていただいた方と実際にお会いするということをずっと続けている。
 そして例えば観劇の際、生の声をお聞きするということがいかに大切なことなのかをあらためて身をもって知った。
 「あ、加藤さん。見に来ていただいて、ありがとうございます!」
 入場の際にスタッフにこうして声を掛けられたら、確実にその芝居の受け止め方、好感度が2割はアップするんだな、これが。
 つまりこういうことです。
 チェーホフの「三人姉妹」を続けざまに見るとする。先にプロの芝居で、チケットもぎりの時に掛けられた言葉は「ありがとうございます」と一言。舞台は斬新な演出が面白くて10点満点で8点の出来。
 それを見終えた足でより小さな劇場へ行く。
 「加藤さん、いつもありがとうございます」
 「ついさっき○○の『三人姉妹』を見てきたよ。ベジタリアンの三姉妹がラストでトマトジュースや野菜ジュースを飲みながら『生きていきましょうよ』なんて言って、けっこう斬新な演出だったわ」
 「うちはオーソドックスですよ」
 「うん、わかってる。チェーホフ演出も初めてだろ、あいつ」
 もうここで、僕はこのカンパニーを心情的に応援している。前のめりになっている、という筋合いだ。
 だから相当なダメダメ演出でなければ、僕の、このカンパニーを応援する心情が隠し味になって受け取り方に自然に加点している。でもこうしたことは普段から普通の人ならそうしてしまっていることではないだろうか。
 これはどういうことかと考えると、実は、制作スタッフは劇場で演劇制作の仕事をしているだけではなくて、最後の最後に観客の受け止め方への心情を和ませる「演出」をしている「最終演出家」なのではないかということだ。
 よく芝居が舞台に載ったらもう劇作家や演出家の手を離れて舞台監督(舞監)のものだという言い方をされるけれど、それと同様かそれ以上に、入場の際の制作スタッフの笑顔の「ようこそいらっしゃいました」との一言は大きな情動を生むのだと思えて仕方がない。
 そうして見たアマチュアカンパニーの「三人姉妹」は、たとえダメダメ演出であっても制作スタッフの笑顔で加点されているから、僕の胸には「ダメダメ」が外れて普通の「三人姉妹」になっていることだろう。
 究極的なことを言えば、舞台という総合芸術は劇場にかかわる一人一人が「最終演出家」なのだろうと思う。
 映画でもそうでしょ? せっかくすてきな映画を見た後、買って帰ろうと思ったパンフレットが売り切れになっていたら、ちょっと残念な気持ちになる。その日その映画を見た思い出としてはやるせなくなる。それと一緒です。
 芝居それ自体がダメダメでも制作スタッフが良ければ、その日その舞台を見た思い出はすごく素晴らしいものになる。制作スタッフのおもてなし、ホスピタリティはまさに「画竜点睛」だと思うのです。
 そんなすてきな総合芸術、舞台体験を楽しみにしていますよ!
 
 今週末は教文で「転校生」、コンカリで羊屋白玉ちゃんの指輪ホテルを見て、日曜は上京して野田地図を見ます(あ、怪獣無法地帯も見られるかも!)。
 すんごいラインナップだなあ、我ながら(笑)
posted by Kato at 04:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

つれづれなるままに ♯28 建設中の新国立競技場で聖火台を置く場所が場内にないことがわかったらしいから、ちょっと僕なりに考えてみた

 建設中の新国立競技場で聖火台を置く場所が場内にないことがわかったらしい。関係者のだれもがいままで気付かなかったそうだ。
 ということは不要だったんだってこと。不要とまでは言わなくても、競技大会会場として準備するべきものとしては本質的ではなかったということ。問題解決はとても簡単だと思う。
 聖火・聖火台がどうしても必要だというんなら、わざわざ新国立競技場の屋根の上に創ったりするんじゃなく、日本全国の各家庭とか各企業とか各団体の建物にそれぞれ灯せばいいんじゃないかな。火はそれぞれSNSみたいにどんどんシェアしてさ。で、オリンピックが終わった後も、灯し続けたい人は灯し続ければいいし。
 そうしたものを独占しようとするから利害・利権が生じて面倒なことになるのだろうしね。僕のアイデアなら聖火で一儲けしようとする輩も出てこないだろうし、「これが本当の聖火です」ってものをみんなが持ち続けるのって自由で平等でいいんじゃない?
 すてきなバーでマスターがカクテルの上に灯してくれた聖火に照らされた彼女にプロポーズするってのも流行りそう(笑)
 こんな聖火の使い道、どうでしょう?
 僕の自宅マンションなら差し詰め、聖火をシェアして仏壇に灯すなあ。なんだかすてきな感じがするんだけど。
 そうしたいと思った人は聖火を盆の迎え火、送り火にしてもいいよね。
 僕なら私ならこうしたいというアイデアがある方、これにつけてくださいな!
posted by Kato at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

良かった! シアターホリック’(演劇病)サービス向上に圧倒的前進! 観劇人生の最高傑作の楽曲付き!

心配していたんだけれど、ユーチューブの映像がうまくつながった!
これは当ブログのサービス向上に圧倒的前進!
舞台で使われた楽曲や映像などを紹介できることになった。
うれしいなあ。
ということで、ブログの冒頭で、生きようを問われた、いままでのところの観劇人生の最高傑作と紹介している太田省吾作・演出の転形劇場「水の駅」で使われた、アルビノーニ「オーボエ協奏曲 第2楽章」を紹介しますね。
舞台では2倍の遅さで流されました。
https://www.youtube.com/watch?v=OjcxJI5H5GE
posted by Kato at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

超時空概論FRUITS BASKET 2016 ルーキー・ミーツ・フューチャーオーエル

 演劇集団空の魚プロデュース 2016札幌学生合同卒業公演 バス来ない、私帰る。(通称バスバック)「超時空概論FRUITS BASKET 2016〜ルーキー・ミーツ・フューチャーオーエル〜」(脚本松崎修、演出熊谷つぐみ)を3月5日(土)、札幌・ブロックで見た。
 宇宙星暦3016年、若者を中心に爆発的人気を誇るスポーツ・FRUITS BASKETが突如歴史から姿を消した。ひとりの新人選手・銀河超最(ギンカワコスモ)の記録をのぞいて…。それから遥か未来の時代、宇宙情報誌編集部・素粒子(モトツブコ)は、突如現れた謎の男・Kビーンからの使命を受け、タイムワープでこの謎を解き明かすことに…! 2人が出会うとき、 宇宙の歴史が変わり始める!? 演劇集団空の魚プロデュース、1993年生の学生を中心としたメンバーによる合同卒業公演。
 かつて札幌・サンプラザ劇場で上演された作品の改訂再演ですね。若者らしい疾走感が心地よいです。頼もしいです。
 僕が見た16時の回は役者さんで一人、本領を発揮できていないだろう人がいた。二役演じていて、一役は大丈夫なのに、もう一役になると何度もセリフに詰まり、完全に止まってしまう。同じ場面に出ている別の役者さんが小声でセリフを伝えてもなかなか入らない。負のスパイラルに陥ったんだろうな。見ていて気の毒だった。
 でも大丈夫だからね!
 人生の大方はやり直しがきく。
 ほら、この公演も楽日のきょう6日(日)は14・18時と2回ある。
 捲土重来!

追記・人生の大方はやり直しがきくことについて
 30年前の東京での大学生時代、僕は当時あった週刊誌「朝日ジャーナル」で告知のあった集会やイベントによく顔を出してはいろいろな方のお話をうかがい、学んでいた。
 いまでも忘れないのはタレントで参議院議員も務めた中山千夏さんのお話だ。「死刑制度廃止について考える」趣旨だった。
 千夏さんは死刑制度に反対の立場だった(30年後のいまがどうであるかはわからない)。僕は漠然と「ない方がいいよな」というスタンスだけれど、愛する人を殺された被害者の心情を考えると簡単には「死刑廃止!」とはいまも言えない。
 千夏さんのお話の詳細はもうほとんど忘れている。けれど唯一、鮮明に頭に刻み込まれているエピソードがある。
 それは、千夏さんは友人と将棋や囲碁をする時、相手方に一切「待った!」は認めないということだ。なぜか?
 千夏さんは、千夏さんにとってプロではない将棋や囲碁は「遊び」だから、一切「待った!」、やり直しは認めない。
 その代わり、「人生の『待った!』ややり直しは認める」ということだ。何度も、何度でも、かはわからない。一回きりかもしれない。
 ただ少なくとも(相手方の)人生の一回の「待った!」ややり直しは認めるということだ。
 それは「人生だから」「人生は一人一度きりだから」。
 だから千夏さんは彼女にとっては「遊び」である将棋や囲碁では一切「待った!」ややり直しは認めないんだと。
 いい話だな、と思った。
 中山千夏さんの名曲「あなたの心に」を贈ります。
 ユーチューブ貼り付けは初めての試みだけれど、うまくいったらお慰み(笑)
 https://www.youtube.com/watch?v=FPAF_Kv78Jc
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朝まで生ゴヅラ2020

笑の内閣(京都)「朝まで生ゴヅラ2020」(作・演出・作詞・作曲高間響=日高管内門別町(現日高町)出身)を3月5日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
2015 年、北海道泊沖に上陸した怪獣ゴヅラ。火器兵器での殺害は困難と判断した米軍により、活火山寝前山まで誘導し火口に突き落とす作戦が決行された。しかし、ゴヅラはなお火口内で生き続けていた。それに対し政府は、ゴヅラが目覚めた時こそ日本単独で倒すため、対ゴヅラ用巨大ロボットメカゴヅラを開発。莫大な税金を投入する事への反発や、強大な軍事兵器に転用可能なことへの周辺諸国の反発をはねのけメカゴヅラは開発された。しかし5 年の月日が過ぎ、いまだゴヅラは目覚める気配はなく、ついに財務省から莫大な維持費がかかるメカゴヅラの廃棄を迫られる。しかしその直後、ゴヅラが目覚める兆候が現れたため、防衛省防衛政策局政策運用課対ゴヅラ対策課技官の水野が、寝前山麓にある旅館「宝屋」に派遣し避難を呼びかけるも、宝屋の面々はまったく危機感がなかった。その間にも復活が近づくゴヅラ。果たして日本と宝屋の運命はいかに…?
 細かなところにとてつもなくこだわる高間独特の視点は健在。過去に見た同カンパニーの物語よりすごく現実味を帯びた作品に思えたためなのか、僕の場合は爆笑という感じでなく、くすくすっていう感じだったな。
 ザ・ピーナッツをリスペクトした等身大の妖精が可愛い。
 高間と東宝特撮シリーズを語り合ったら時間は尽きないだろうな(笑)
 楽日6日(日)は13時開演。
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モイモイ・オーシャン・パラダイス

 やまびこ座・こぐま座プロデュース 北海道の人形劇シリーズPart2「モイモイ・オーシャン・パラダイス」(作・演出・美術沢則行、共同脚本・演出補立川佳吾)を3月5日(土)、札幌市こども人形劇場こぐま座で見た。
 のっけから劇場関係者の方にははなはだ失礼かつ衝撃的なことを書くが、「こども人形劇場」の看板は本公演をもって下ろしていただかなければならないのではないか(笑)。僕が見た19時の回はおそらく150人以上はいただろう観客の9割はOver20=成人です。それどころか僕のようにOver50が7割を占めたのでは? いや「こども人形劇場」でいいのか…僕もあなたも彼氏も彼女もみんながこどもに戻り、というか、こどもの心をつかの間取り戻し、心の底から楽しんでいたっけ。「童心に帰る」というやつですね。一言、感動! 文句なし! 「北海道演劇の宝」賞を贈ります!
 いまから80年前、小樽・オタモイ岬に二人の男が命懸けで巨大レジャーランドをつくり、一日数千人の客が集まる一大観光名所になったが、第二次世界大戦で閉園状態になり、戦後、再開されたが、火災でメーンの龍宮閣が焼け落ちた−という史実を膨らませた人形劇。
 まず僕の場合、物語に心を動かされますね。夢や希望を胸に、そこに野心も加わった“プロジェクトX”的な男のロマン、あ、これ、男女差別じゃありません…男女区別です(笑)。
 それを目に見えるものとして具体化した沢の人形たち。人形劇が盛んなチェコを本拠地に活動しているだけに、チェコ国立芸術アカデミー演劇学部人形劇科の先輩でもあるヤン・シュヴァンクマイエル(1934年〜)を思わせる、ちょっと怖めな、ヤバイもの見たさの好奇心を突いてやまない人形たちが見る者の心を揺さぶり、夢幻の世界へ誘います。
 人形、美術の造形には遊び心いっぱい。登場人物の一人、「おばあ」(でいいのかしら)なんてほんとに面白い人だけど、ちょっとした遊びが心の余裕、遊び、ひいては人間存在への信頼を感じさせます。
 龍宮城は海の中、乙姫さまも龍宮王も海の中、どきどきわくわく海の中。そこを目いっぱい微に入り細をうがって想像力を駆使して贅沢に描く一方、現実世界は意外と写実的に抑えた感じで、いかに沢が龍宮の使いの罪な人なのかがわかります(笑)。蒸気機関車なども微細に描かれるから、もともと非日常というか「いま、ここではないいつか、どこか」に心引かれる旅人なのであろうな、沢は。
 もちろん観客の「想像力=創造力」への沢の手の差し伸べ方は尋常じゃないです。劇全体に「思いの入り込む余地」も十分。というわけで今年2作目の「北海道演劇の宝」賞贈呈は当然です(1作目は2月の北翔大「遭難、」)。
 キャスト・スタッフの名前を記し、顕彰します。
 キャスト(五十音順)〜会田優子、縣梨恵、後藤克樹、立川佳吾、宮川聖子
 スタッフ〜作・演出・美術沢則行、共同脚本・演出補立川佳吾、美術製作中川有子・細川絵里子・藤田直子、衣装・演出補アキヨ、衣装安尻美代子、大道具新貝伸二、音楽八幡浩暢、音響西脇秀之
 上演時間1時間
 
楽日6日(日)は11・14時開演。満員売り止めらしいですが、当日券が各回10枚程度出るそうです。いまは風が強いけれど、朝食食べて並んで見るだけの価値はあります。大の大人が人形劇観劇の楽しみをこどもから奪ってもたまにはいいのだろうと思うのです(この場合は当日券を買ってしまうという意味ね)。沢はこども向けには創っていないはずだから、こどもの心を忘れていない人向けに創っているはずだから。

追記・むかしテレビ番組「探偵ナイトスクープ」で「パラダイス」紹介のコーナーがあったけれど、いまもやっているかしら。好きだったなあ、あれ。小樽の植物園みたいなところも紹介されたはずだな(笑)
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2016年03月05日

つれづれなるままに ♯27(26欠番) ブレイブブロッサムズのファンの道産子に6月、すてきなプレゼント!

 いま、どきどきわくわくする企画に、英国在住の日本人男性ラグビージャーナリストと着手しています。
 まだ固まっていないので、すべからく公にすることは控えますが、ラグビーJAPAN(ブレイブブロッサムズ=勇敢なる桜たち)好きにはたまらない話です(オールブラックスとかワラビーズとかスプリングボクス好きにもたまらないと思うんだけど)。
 でもちょっとだけさわりを明かすと、ブレイブブロッサムズの北海道のファンの方には6月20(月)〜22日(水)のうちの1日は楽しいことがあるかも、ということです。
 もうちょっと明かすと「カモーン! ジャパーン!」です。みなさん、もちろんご存じですよね(笑)。
 さらに明かすと、JAPAN「勝利の女神」です。
 ああ、すべてをつまびらかにしたい!
 4月上旬にはできると思うので、楽しみにお待ちくださいね!
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ごめんなさい

おことわり。
またやっちゃいました。
前項の題名の2カ所の?は「〜」(波線)です。
ごめんなさい。
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星くずロンリネスpresents教文演劇フェスティバル2014短編演劇祭優勝記念公演「短編演劇祭でコントだって言われちゃった劇団の集まる演劇祭?演劇とコントの狭間をぼんやりと考える?」

星くずロンリネスpresents教文演劇フェスティバル2014短編演劇祭優勝記念公演「短編演劇祭でコントだって言われちゃった劇団の集まる演劇祭〜演劇とコントの狭間をぼんやりと考える〜」を3月3日(木)、札幌市教育文化開館小ホールで見た。うおおおお! 上田龍成よ! これは「星くず」から「考える〜」までを題名として捉えた場合「世界一長い題名で、かつ一演目ずつがぐっと短い演劇祭」としてギネスブックに申請してもいいんじゃないか?! 素晴らしいアイデアだよ!
上演時間各20分以内という短編演劇なわけで、中身の詳細説明は省く。正直、説明を書いているうちに20分以上経ってしまうような演目もあるからだ(笑)。上演演目は以下の通り。上演順に書こうと思ったけど、すでに忘れてしまっているので当日配布の案内表に従う。各カンパニーの後の「狭間」などは僕なりの判定。
@星くずロンリネス「グッと嫁ぐ-僕を救う妖精の話-」(脚本・演出上田龍成)=狭間
A南参(yhs)×劇団リベラルシアター「やめた。」(脚本南参、演出Chihiro)=コント
Bパセリス(関西)「死ぬまでにしておきたいこと」(脚本・演出浅海タクヤ)=狭間
C青春事情(関西)「アマゾネス」(作・演出青春事情)=演劇
D特別出演・コントユニット 霊6(脚本霊6、演出熊谷嶺)=コント
トークゲストに「大王」こと後藤ひろひとさん。
 で、「最優秀狭間」は星くずロンリネス。見ていない人にネタをちょっと紹介すると、星くずの題名で「グッと嫁ぐ(ぐっととつぐ)」は前から読んでも後ろから読んでも一緒でしょ? それを生かした劇作です。
 それにしても上田のプロデューサーとしてのアイデアはピカイチ!(演目の趣向もね)
 本来は大晦日恒例の発表なんで早いけど「シアターホリック(演劇病)企画賞」を贈ります。
これを教文で続けるには、星くずがまた今年か来年に短編演劇祭で優勝することが必要なわけで…頑張ってくださいね!
 あ、僕も星くずを推しました、「狭間」に(笑)
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2016年02月29日

楽屋

 愛宕劇団(札幌)「楽屋〜流れるものはやがてなつかしき〜」(作清水邦夫=1977年初演、演出たいちさやか)を2月28日(日)、札幌・シアターZOOで見た。僕が見たこの作品としてはかつてなく上品な演出の仕上がりで、とっても楽しめた。
 この作品は2月12日(金)に劇団演研(帯広市)の創立40周年記念札幌公演「楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」(演出片寄晴則)を同じシアターZOOで見たばかり。こんなことってあるのね(笑)。片寄さんには無断で申し訳ないが、あらすじは演研のチラシを援用して書くことにする。
 チェーホフの「かもめ」を上演中のとある劇場。その楽屋には、念入りに化粧をしながら来るはずのない出番を待っている女優が二人(年長・青坂章子、年少・星果歩)。そこにニーナ役の主演女優(中間真永)と、かつて彼女のプロンプターを務めていた新人女優(NaNa☆)が入ってくる。なんと、その若い女優は、主演女優に「主役を返せ!」と詰め寄るのだが…。
 初めて出会ったカンパニー。札幌にある愛宕音楽院(学院長中間真永)の俳優コースの、青坂は講師、星は研究生らしい。NaNa☆はシンガー。チラシではニーナ役の主演女優と新人女優は別の女性が出る予定だったのだが、インフルエンザなどでキャスト変更したとのこと。それでいてこの完成度とはすごいなあ。
 本来はこういうことはしないのだけれど、あまりに見た間隔が近いので演研版と比較すると、演研はアマチュアならではの戯曲読み込みから突き詰めた求道的な芝居への向かい方で、いぶし銀の質の高い舞台化という感じ。おそらくはプロを目指している愛宕はそれよりはエンターテインメント性に強く舵を切った感じで、きらきら光る水晶のような印象を受けた。どちらもどちらの取り組み方も出来栄えもすてきです。
 演研は出番を待っている女優2人の化粧の場面がリアリズム演出で実際に化粧をするのに対し、愛宕はマイムで済ませ、お顔を「汚さない」。そんなところの劇作の違いも実に面白かったな。
 同じ戯曲で、ほんとに10カンパニー10色なんだな。
 そういえばね、こういうのがあります。
 坂手洋二さんの燐光群アトリエの会で「楽屋」フェスティバル!!!
 http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/7cfb0fd96fbc61535a95106c0ed34855
 演研さん、愛宕劇団さん、どもさん、劇団パーソンズさん、ご参加してみてはいかがですか?
 きょうも素晴らしい芝居を見て、心豊かに過ごせたことでした!。
posted by Kato at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする