2016年09月07日

一方的な通り魔的離婚について書いた、僕の命をつなぐための文章二つ

もうそろそろ眠ろうと思っているんだけれど、最後に、ちょっと読むには「痛い」文章を書くね。
もし、読み続けていて「痛く」なったら、きょう読み続けることはやめて、あす以降にしてください。
周知の通り、僕は7月上旬に、一方的に離婚されました。
理由も通知されず、本人からの意向も知らされないまま。
ただ、元妻が契約した女性弁護士からのただ1通の調停離婚の後庵によって。
僕は調停なんてめんどくさいことはしたくなかったし(叔父=母の弟=が調停委員をしていたし、父=書記官=も母も裁判所職員という裁判所一家だったから、仕組みはわかる)、元妻にいろいろな意味でご迷惑をかけただろうから、協議離婚にして頂いたのだけれども。
それにしても、協議離婚だからなんなのか、いっさいの情報がないんだよ。
元妻が離婚を選ぶに至った心の軌跡というものが。
それを僕に間接的に伝える努力を、その女性弁護士もいっさいしてくれない。
僕は、これから、どうしたらいいのだろう?

手元に、女性弁護士にあてて書いた手紙のデータがあったので、記します。
ちょっと、えぐいかも。
読みたくなくなったら、やめてくださいね。


※9月1日11時29分送信
小川さま
僕は5月14日(土)に札幌・中村記念病院に入院いたしました。
病名は「ヘルペス脳炎」です。
通常なら唇の周りなどにできるヘルペスが脳内にできるという奇病で、ウィキペディアによりますと、100万人に2〜3人という、ごくわずかな罹患率らしいです。
しかも、世界的にも再発の例は報告されていないもの。
僕は、2014年10月にも発症しており、世界初の再発とのことでありました。

それで中村記念病院に入院していたのが5月14日(土)〜31日(火)。
退院の際には、妻と、郷里・釧路に住む妹が付き添ってくれ、その足で、日ごろ鬱病で通い付けの札幌・幹メンタルクリニックへ行きました。
するとそこで、躁病のため(結局、躁病&鬱病の「双極性障がい)入院加療の必要あり、との診断を受け、翌日、幹メンタルクリニックの提携病院である、札幌・旭山病院への入院が決まりました。
その晩(5月31日)は、妻、妹と、円山にある通い付けの居酒屋で晩餐をし、翌6月1日(水)10時30分、3人でタクシーで旭山病院に行きました。
主治医・木村永一さんの見立てでは、精神科で3カ月の入院加療が必要との診断でありました(その場には、妻、妹も同席しておりました)。

その日から、長い入院生活が始まりました。
妹は3日ほどして帰釧し、妻は1週間ほど通ってくれました。
僕が毎日来てくれる必要はない旨を話し、その後、週末ごとに僕が円山の自宅に外泊(1泊)することにいたしました。

ところが早くも6月第3週には、主治医・木村さんが「加藤さんは治ったようなので、退院しても大丈夫です」とおっしゃったのです。
でも僕は、新聞記者という職業柄、なかなか取材することなどない精神科病院の実態を新聞紙上で広く紹介したいと思い、また、この旭山病院が北海道中を見回してもどうやら最先端の先進性のある精神科病院であることを知り(患者さんの権利を守ることなどにおいて)、主治医・木村さんに、8月末まで取材をさせてほしい、退院後にルポ記事を新聞紙上に掲載したいと依頼し、快くOKの返事を頂いたのです。

僕はこの事実を、妻にも伝え、了解を得ました。
いま思えば、表面上の了解だったのかもしれません。
そうして、僕という「完治」したはずの患者は、週末ごとに妻の待つ家へ帰宅し(1泊)、円山周辺の飲食店で夕食を共にしていたのです。
そういう中で、妻の突如としての不在、数日後の小川さんを通じての調停離婚のご案内(封書)が届いたのです。

妻が自宅にいてくれた最後の日(僕といてくれた、という意味です)、病院への送りのバスを待つ間に、僕と妻は話をしました。
いや、いま思えば、僕からの一方的な語りかけだったかもしれません。
旭山病院の先進性について、笑いの絶えない患者さんたちと触れあい、驚いたこと(僕は精神科病院はいわゆる「気狂い」の巣窟だという思い込みがありましたから)、入院患者さんには若い女性も多く、その大半が身勝手な夫からの一方的な離婚で心を徹底的に痛めつけられていること−などを話した記憶があります。

この日に限って、僕は妻に、マルヤマクラス前から出る、送りのバスのところまで来てくれるよう頼み、かつ、バスが角を曲がって、お互いの姿が見えなくなるまで手を振り合うことを提案しました。
妻は、そうしてくれました。

そして、次の外泊時に帰宅すると、妻の姿はありませんでした。
布団やパソコン、チェロなど、彼女にとって必要最小限のものとともに。

最初は、友達の家にでも行ってるのかな、と軽い気持ちでいたのですが、時間がたつにつれ、不安に襲われました。
そして小川さんからの封書を見つけて読み、僕は一気に奈落の底へ突き落とされました。

ここから、僕はほんとうに、「精神病患者」になりました。

毎日毎晩の嘔吐、めまい、立ちくらみ、体全体のだるさ、食欲不振、不眠、下痢…。
自分がそういう精神的落ち込みにあることは、病院に戻っても、木村医師をはじめ旭山病院のスタッフにも打ち明けられず、ただ、その日が早く過ぎればいい、早く退院したいという思いが深まりました。

もともと8月末とされていた退院を、僕は8月18日(木)に早めました。
木村医師にしてみれば、6月第3週には退院を勧告していたのだから、なんの問題もなくOKを頂きました。

そうして、自宅マンションで、一人の生活が2週間過ぎたところです。

小川さん、小川さんが最初におっしゃられたように、妻は「疲れた」だけなのかもしれません。
ただ、僕は、よりを戻そうなどということではなく、「僕のなにが、どう悪かったのか」「どういうことだから、25年間にわたって築き上げてきた夫婦関係を、いきなり、一方的に、デッドエンドしたかったのか」を知りたいのです。

もしかしたら妻は、僕が、旭山病院に入院した当初より、徹底的に「心の病」の罹患者になってしまったことをわかってもらえていないのかもしれません。
そういうことを願うのは無理で、協議離婚においてはルール違反なのかもしれませんが、この離婚という選択を再考するかどうかは別として、せめて、その僕の真実、事実を、妻に知って頂きたいのです。

小川さんには意外かもしれませんが、貴法律事務所にうかがう時、僕は、精いっぱいの虚勢をはっていました。
変だけれど「負けるもんか!」と、思っていたのです。
でも、もう限界が近づいているような気がしてなりません。
死は選びません、怖いから。
でも、どうして生きていけば良いのかも、わからないのです。

妻との25年間は、たしかに彼女に、迷惑をかけっぱなしだったと思います。
ほんとうに申し訳なくて、すまなくて、謝りたくて、いまこうしていても、涙が出てきて、しょうがありません。

でも、あの最後の日、送りのバスを待ちながら、妻と自宅マンションで過ごした数分間は、かつてないほどの幸福感に包まれていたのです。
「これなら僕は、僕たち二人は、今後もやっていける」と確信した数分間だったのです。

「僕のなにが、どう悪かったのか」「どういうことだから、25年間にわたって築き上げてきた夫婦関係を、いきなり、一方的に、デッドエンドしたかったのか」−それを知ることは、妻に教えて頂くことは、僕が、次のパートナーと関係を構築する際にも欠かせないものだと思うのです(そんな奇特な女性がいるとはまったく思えませんが)。

妻が、送りのバスが角を曲がるまで、優しく、すてきに手を振ってくれて、それで次に帰宅してみたら、突然の不在、理由もわからない、そして、いきなりの離婚−などという現実からは、僕は人生を生きていくための次の一歩を踏み出すのに際して、なにも学べないし、ただ「心の病」が増幅し深まるばかりだし、これから先、どうして、妻以外との人間関係を構築して生きていったらいいのか、まったくわからないのです。

ほんとうに、こんなこと、しちゃいけないだろうとはわかっているんです。

でも、どうか、僕が一人の人間としてもう一度、再生できるために、妻が離婚を選択した真実を知りたいのです。
僕は、一人ででも、生きていきたいんです、人間として。

小川さん、どうか、ほんとうに、よろしくお願いいたします。
小川さんが個人として「◎◎だと思いますよ」との推測のご回答なら、はなはだ失礼ですが、それは必要ありません。
妻の真実の思いが知りたいのです。
どうか、よろしくお願いいたします。

乱文、長文、ほんとうに失礼いたしました。

なお、自宅でパソコンが使える状況が復活し、これは自宅のパソコンからの送信です。

加藤浩嗣

※9月1日16時30分

小川さま
こんにちは。
11時29分に通信をお送りしましたが、その時よりは、僕の気持ちをよりわかりやすくお伝えする言葉が見つかった気がするので、あらためて送らせて頂きます。

結論から申し上げれば、僕は妻から、もちろん小川さんを通じてですが、離婚を決意、実行するに至った「心の真実」を教えていただきたい、ということです。
日本国憲法第24条で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」と規定されていることを小川さんにお伝えするのは、釈迦に説法であります。
今回の場合、僕は調停なんてことはしたくないし(元札幌高裁の叔父が退職後、札幌で調停委員をしておりましたので、仕組みはわかります)、妻がそう望むなら、ということで、素直に協議離婚を選びました。
ただ、それにしても、僕は妻が離婚を選択するに至った、一切の情報を知りません。
心の推移を知りません。
前のメールで明らかにしました通り、会うのが最後になった日は、街頭で最後まで病院への送りのバスに手を振ってくれたのです。
そんな、やさしい妻が、25年間、連れ添った妻が、もしかしたら僕を自死に追いやるかもしれないような選択を、一人で決断したとは、とうてい思えないのです。
それに、ある日、病院から帰宅したら、調停離婚の文書が届いていて、僕は長年迷惑かけたこともあり、離婚理由の真実を知らされないまま協議離婚に応じることにし、そうしたら離婚理由を知らされないまま、財産は半分に分与すると言われる。
これは実態として、悪質な結婚詐欺としか思えないのです(妻はそんな卑劣なことをする唾棄すべき女性ではないと、僕は、第三者から今後の人生において、僕の離婚について説明を求められた際には、命を懸けて証明しますが、その第三者はとうてい納得されないでしょう)。
よく、結婚も離婚も紙切れ一枚とは言われますが、時間をかけてお互いをわかり合い、この人となら、ということで婚姻した相手と、いっさいの理由の説明もなしに、ただ「疲れたから」ということだけで、一方的に離婚できるというのが、現状の日本国のあり方なのでしょうか。
僕は、考えれば考えるほど、よくわからなくなるのです。
世の中で一番、だれよりも愛していた、信じていた、なにもかもを任せきっていた、掛け替えのない妻に、いまでも信じられないし、信じたくもありませんが、卑劣な置いてきぼりを食わされたことは、これから僕が、一人の人間として社会に復帰して一歩、歩みを進める際に、唯一であり最大の障害になるのは、間違いないことなのです。
どうか、妻の言葉を聞いたうえで、僕にお教えください。
よろしくお願いいたします。



長々と、ごめんなさい。
僕、いま、フランツ・カフカ「変身」の不条理の中で、アルベール・カミュ「異邦人」の実存を模索している。
もしかしたら、もしかして、この苦境を脱したら、ノーベル生き方賞を取れるかも!(そんな賞はありませんってば=笑)

ガールフレンドになってくれる女性、募集!
芝居とか映画を見て、それを語りに夕食を共にしてくれる方。
いま、ぜんぜん働けていないので、割り勘でね!
よろぴく!
posted by Kato at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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