2013年03月24日

消エユキ。

 コンカリーニョプロデュース「消エユキ。」(作南参=yhs、演出ごまのはえ=京都・ニットキャップシアター)を3月10日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。
 元マネージャーの店長(町田誠也)と元演歌歌手の妻景子(榮田佳子)が経営するスープカレー店「キエユキ」。ここでアルバイトをしながら劇団を主宰している水本(彦素由幸)が店内で、次回公演に向けたミーティングを招集した。だが水本と大学からの付き合いの大塚(織田圭祐)は、自ら劇団を旗揚げすると言っていち早く抜ける。やがて就職活動中の大学生の劇団員らも次々に辞めていくと言いだし…。
 南参の本であるし、榮田、彦素、小林エレキ(水本の先輩で、タレント活動もしている別の劇団主宰者役)と、私の好きな俳優が出ている芝居なので、感想はその日のうちに、帰宅直後にさささっと書けるものだと高をくくっていた。
 それが、前日9日に見たOrt-d.d(東京)「わが友ヒットラー」がどっかと心の内に居座ってしまっていて、いままで的確な言葉が浮かばないままになっていた。以前、年末の「アワード」で書いたように、それぞれの芝居は絶対評価をしようと思っていた私なのに…こんなことってあるんだなあ、ほんとに。自分でもちょっとした驚きだ。
 閑話休題。この芝居について。
 別れの季節である3月、雪が淡く消えゆく3月に似つかわしい芝居だと思った。登場人物それぞれの心の内奥にまで土足で踏み込んでいくのではなく、淡彩色でデッサンした感じとでも言えようか。
 南参と言えば、私などには「しんじゃうおへや」「忘れたいのに思い出せない」といった渾身の力作真面目系や、一方で目いっぱい脱力した「オレタチ(コントユニット)」「ヘリクツイレブン」といったコメディーが思い浮かぶが、本作はそのどちらでもない、いわば無力系に挑んだのではないかという気がする。
 そして無力的なもの、無力感、無気力、そうしたものを描くのは、渾身力系とか脱力系を描くのより、部外者が想像する以上に実は難しいことではなかろうか、とも思ったものだ。
 戯曲を手にしていないからト書きにあるのかどうかわからないが、ごまのはえは劇場空間をいっぱいに使って役者を歩かせ、走らせ、自転車をこがせた。そうして、描くのは難しいだろう無力系をなんとか舞台に現出させた。さぞ力業だったことだろう。
 その結果、芝居全体を覆う無力感が確かに伝わってきたからこそ、ラストの水本が景子に言う台詞がよく生きる。ほかの芝居ではあまり感じることのない、淡くもろそうだが、確かな一歩を踏み出す場面である。不思議な感慨をもたらす芝居だった。南参の新境地でもあろうか。
 ただ欲をスープカレーになぞらえて言わせていただければ、いまひとつのコクはあってもよかったかなとも思う。上演時間75分程度がもう少し長くなってもいいから。
 思い出すに、やはり不思議な感触だった。おかわりしたい味わいだ。


posted by Kato at 03:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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