2017年07月07日

中嶋しゅうさんを悼む

俳優の中嶋しゅうさん(69)が6日、東京芸術劇場(池袋)での舞台出演中に床に転落し、お亡くなりになった。
北海道新聞によると、主役を務める寺島しのぶさんの父親役で、2人がやりとりしている第1幕の途中、約75a下の床に転落したという。毎日新聞によると、客席から向かって舞台の右端で突然、前のめりに客席側へ転落したという。
妻は俳優の鷲尾真知子さん(68)。

“性格俳優”中嶋しゅうさん、大好きだったな。
テレビや映画では存じ上げていたけれど、もともとのお仕事である舞台役者として俄然、決定的に目が離せなくなったのは2003年だ。勤め先の新聞社の文化部記者時代に年末回顧で、中嶋さんが極めて大切な役を演じた芝居「ニュルンベルク裁判」について少し触れている。
2003年12月26日(金)
■劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」(9月釧路・10月東京)
*浄瑠璃的美学
 観劇数はダンス、演劇など242本(24日現在、複数観賞含む)。
 Kバレエカンパニー「白鳥の湖」(6月)の新解釈や物語る意志。劇場全体を使う桝谷博子バレエ教室「ピーターパン」(9月)の娯楽性。「DANCE MIX」(1月)のクラシックバレエと現代舞踊、「イエロードッグスパイラル」(3月)のダンスと演劇の出合いは大切にしたい。
 問いが普遍性を帯びた千年王國、SKグループ、串田ワーキングin北海道2年目「コーカサスの白墨の輪」(9月札幌ほか)、俳優金田一仁志の「あの頃(ころ)に戻り隊」(11月)など可能性に満ちた芝居。
 出演者が順に2、2、3、4人の劇団北芸「この道−」(別役実作。加藤直樹演出の近松浄瑠璃的美学が秀逸)、どもプロデュース「父と暮せば」(7月江別ほか)、シアター・ラグ・203「ディープッペンシュピーレ」(来年1月11日(日)深川、21(水)・28日(水)札幌で再演)、TPS「亀、もしくは…。」(12月、札幌ほか)は再演か再演込み。好評ゆえの再演か、再演ゆえの熟成か。舞台の「今、ここ」を一過性でなく見据えて深い。
 東京観劇では野田地図「オイル」、ひょうご舞台芸術「ニュルンベルク裁判」。「9・11」が暴いた「今、ここ」への手探りを道内でもぜひ。

良い舞台役者の条件は「一声、二顔、三姿」とされる。2002〜04年の演出家串田和美さんによる北海道での芝居づくり(串田ワーキングin北海道)に参加された、しゅうさんはまったくその通りだった。串田ワーキングには演劇記者として3年間、夏になると密着したが、ぼくには一見いかつく見えた、しゅうさんのお顔は、楽しい時には目が細くなって顔がくしゃくしゃになったものだ。少年のように可愛らしかった、と言えば失礼だろうか?
先に紹介した「ニュルンベルク裁判」、いまは便利な時代なもので、インターネットに情報が残っていた。。
この芝居、しゅうさんは米国の田舎判事の役。ナチス・ドイツの大物戦争犯罪人を裁くのに、自分では決定的に力不足だと思っていて、びくびくそわそわ、戸惑い、不安を抱き、手探り状態で裁判を進める。法廷劇を遙かに超えて、しゅうさんは人間ドラマに昇華していた。すごかった。
新宿・紀伊國屋サザンシアターで終演後、感動で泣けて泣けてしまってしばらく席から立てず、ようやくの思いでロビーに出たら、ほかのお客さんがほとんどいなかったもの。
2003年はもう更新できないだろう年間最多観劇(244本)をした年。劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」に震え、1988年の大学卒業以来に見た野田秀樹芝居=野田地図「オイル」に胸を突かれ、ひょうご舞台美術「ニュルンベルク裁判」で泣いちまって、演劇愛好者として忘れられない1年だったな。
幸せだった。
実はこのころ、しゅうさんの芝居を見るためによく上京してた。
しゅうさんの芝居に合わせて、なにかを取材することにして東京出張を起案したりしてね。しゅうさん、いまはないベニサン・ピット(両国)でのtpt(シアター・プロジェクト・トーキョー)公演が多かったからさ。しゅうさんのtpt芝居、十勝管内鹿追町→帯広三条高校出身の鐘下辰男さん演出で、しゅうさん出演という芝居もあったはずだな。
芝居って、もちろん戯曲(チェーホフ、ブレヒトetc.)や演出家、劇作家、俳優で見ることが多いけれど、こと「この男優を見たい」っていうのは唐十郎と野田秀樹、それに中嶋しゅうさんだったな。

中嶋しゅうさん、すてきな芝居をほんとうにありがとう。
安らかにおねむりください。
合掌
posted by Kato at 17:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする