2017年07月24日

都に雨の降るごとく

おはよう!
きょうのNHK朝ドラ「ひよっこ」、たまらなかったなあ。
まるっきり俺なんだもん。
取材されてもいないのに。
ぼろ泣き。
愛していればこそ別れねばならないことって、あるんだよなあ。
1988年3月、早稲田大学の卒業式の後、釧路から来てくれたお袋(片親)を高田馬場駅に送った。
東京女子大学の1年生の琴弾き乙女・慶子ちゃんを吉祥寺に迎えに行き、下北沢で飯を食い、三軒茶屋のアパートに帰った。
自殺した歌手岡田有希子さんに似ていると自己紹介した女の子。
東京女子大学の演奏会に賛助出演して、仲良くなった。
アパートの荷物は、前の日にすべて出していた。
寒い中、ずっと抱き合っていた。
ぼくも彼女も、セックスの経験はなかった。
ぼくには、「彼女からのお誘いでのお付き合いだけれど、セックスの『やり逃げ』はしたくない」という思いが強くあった。
ぼくはその日も、セックスをしたいとは思わなかった。
キスをした。
「加藤さん、ほんとうに好きな人にキスされるのって、とってもうれしいものなのね」
慶子ちゃんは言った。
命を懸けて慶子ちゃんを守りたい。
そう、ぼくは心に念じた。
ぼくたちの会話をぼくは覚えていない。
夜が明けてきた。
首都高速ルート246を走る車の音がした。
ぼくの耳の中でジャズギタリスト、パット・メセニーが幻の音を奏で始めた。
「イフ・アイ・クッド」 「if I Could (できたなら)」
ぼくには、ぼくたちにはなにができただろう?
もし、ぼくが、ぼくたちがなにかをできたなら、ぼくたちは変わっていただろうか?
夜が明けた。
土砂降りだった。
ぼくが持つ1本だけの傘をさして、二人で三軒茶屋の街に出た。
その日の晩に、ぼくは上野から夜行列車で青函トンネルが通ったばかりの札幌に向かう。
慶子ちゃんは3人いる兄のうちの2番目(妹一人)、長野・信州大から大学院に進む、大好きなお兄ちゃんの引っ越しを手伝いに行く。
パット・メセニー「イフ・アイ・クッド」はまだ、ぼくの頭にながれていた。
一本の傘の中に二人。
二人とも、言葉はなかった。
互いに互いをどれだけ愛し、求め、けれど求めるほどに悲しく寂しく切なくなるかを知っていた。
地下鉄東急新玉川線(当時)三軒茶屋駅。
彼女は渋谷行きに乗った。
ドアが閉まる。
ドアの窓越しのキス。
彼女はかつてなく微笑んだ。
キリッと向こうに向き直った。
「さようなら! 慶子ちゃん!」
ボロボロに泣きながら、ぼくは彼女の背中に言った。


posted by Kato at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

中嶋しゅうさんを悼む

俳優の中嶋しゅうさん(69)が6日、東京芸術劇場(池袋)での舞台出演中に床に転落し、お亡くなりになった。
北海道新聞によると、主役を務める寺島しのぶさんの父親役で、2人がやりとりしている第1幕の途中、約75a下の床に転落したという。毎日新聞によると、客席から向かって舞台の右端で突然、前のめりに客席側へ転落したという。
妻は俳優の鷲尾真知子さん(68)。

“性格俳優”中嶋しゅうさん、大好きだったな。
テレビや映画では存じ上げていたけれど、もともとのお仕事である舞台役者として俄然、決定的に目が離せなくなったのは2003年だ。勤め先の新聞社の文化部記者時代に年末回顧で、中嶋さんが極めて大切な役を演じた芝居「ニュルンベルク裁判」について少し触れている。
2003年12月26日(金)
■劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」(9月釧路・10月東京)
*浄瑠璃的美学
 観劇数はダンス、演劇など242本(24日現在、複数観賞含む)。
 Kバレエカンパニー「白鳥の湖」(6月)の新解釈や物語る意志。劇場全体を使う桝谷博子バレエ教室「ピーターパン」(9月)の娯楽性。「DANCE MIX」(1月)のクラシックバレエと現代舞踊、「イエロードッグスパイラル」(3月)のダンスと演劇の出合いは大切にしたい。
 問いが普遍性を帯びた千年王國、SKグループ、串田ワーキングin北海道2年目「コーカサスの白墨の輪」(9月札幌ほか)、俳優金田一仁志の「あの頃(ころ)に戻り隊」(11月)など可能性に満ちた芝居。
 出演者が順に2、2、3、4人の劇団北芸「この道−」(別役実作。加藤直樹演出の近松浄瑠璃的美学が秀逸)、どもプロデュース「父と暮せば」(7月江別ほか)、シアター・ラグ・203「ディープッペンシュピーレ」(来年1月11日(日)深川、21(水)・28日(水)札幌で再演)、TPS「亀、もしくは…。」(12月、札幌ほか)は再演か再演込み。好評ゆえの再演か、再演ゆえの熟成か。舞台の「今、ここ」を一過性でなく見据えて深い。
 東京観劇では野田地図「オイル」、ひょうご舞台芸術「ニュルンベルク裁判」。「9・11」が暴いた「今、ここ」への手探りを道内でもぜひ。

良い舞台役者の条件は「一声、二顔、三姿」とされる。2002〜04年の演出家串田和美さんによる北海道での芝居づくり(串田ワーキングin北海道)に参加された、しゅうさんはまったくその通りだった。串田ワーキングには演劇記者として3年間、夏になると密着したが、ぼくには一見いかつく見えた、しゅうさんのお顔は、楽しい時には目が細くなって顔がくしゃくしゃになったものだ。少年のように可愛らしかった、と言えば失礼だろうか?
先に紹介した「ニュルンベルク裁判」、いまは便利な時代なもので、インターネットに情報が残っていた。。
この芝居、しゅうさんは米国の田舎判事の役。ナチス・ドイツの大物戦争犯罪人を裁くのに、自分では決定的に力不足だと思っていて、びくびくそわそわ、戸惑い、不安を抱き、手探り状態で裁判を進める。法廷劇を遙かに超えて、しゅうさんは人間ドラマに昇華していた。すごかった。
新宿・紀伊國屋サザンシアターで終演後、感動で泣けて泣けてしまってしばらく席から立てず、ようやくの思いでロビーに出たら、ほかのお客さんがほとんどいなかったもの。
2003年はもう更新できないだろう年間最多観劇(244本)をした年。劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」に震え、1988年の大学卒業以来に見た野田秀樹芝居=野田地図「オイル」に胸を突かれ、ひょうご舞台美術「ニュルンベルク裁判」で泣いちまって、演劇愛好者として忘れられない1年だったな。
幸せだった。
実はこのころ、しゅうさんの芝居を見るためによく上京してた。
しゅうさんの芝居に合わせて、なにかを取材することにして東京出張を起案したりしてね。しゅうさん、いまはないベニサン・ピット(両国)でのtpt(シアター・プロジェクト・トーキョー)公演が多かったからさ。しゅうさんのtpt芝居、十勝管内鹿追町→帯広三条高校出身の鐘下辰男さん演出で、しゅうさん出演という芝居もあったはずだな。
芝居って、もちろん戯曲(チェーホフ、ブレヒトetc.)や演出家、劇作家、俳優で見ることが多いけれど、こと「この男優を見たい」っていうのは唐十郎と野田秀樹、それに中嶋しゅうさんだったな。

中嶋しゅうさん、すてきな芝居をほんとうにありがとう。
安らかにおねむりください。
合掌
posted by Kato at 17:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする