2016年02月29日

楽屋

 愛宕劇団(札幌)「楽屋〜流れるものはやがてなつかしき〜」(作清水邦夫=1977年初演、演出たいちさやか)を2月28日(日)、札幌・シアターZOOで見た。僕が見たこの作品としてはかつてなく上品な演出の仕上がりで、とっても楽しめた。
 この作品は2月12日(金)に劇団演研(帯広市)の創立40周年記念札幌公演「楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」(演出片寄晴則)を同じシアターZOOで見たばかり。こんなことってあるのね(笑)。片寄さんには無断で申し訳ないが、あらすじは演研のチラシを援用して書くことにする。
 チェーホフの「かもめ」を上演中のとある劇場。その楽屋には、念入りに化粧をしながら来るはずのない出番を待っている女優が二人(年長・青坂章子、年少・星果歩)。そこにニーナ役の主演女優(中間真永)と、かつて彼女のプロンプターを務めていた新人女優(NaNa☆)が入ってくる。なんと、その若い女優は、主演女優に「主役を返せ!」と詰め寄るのだが…。
 初めて出会ったカンパニー。札幌にある愛宕音楽院(学院長中間真永)の俳優コースの、青坂は講師、星は研究生らしい。NaNa☆はシンガー。チラシではニーナ役の主演女優と新人女優は別の女性が出る予定だったのだが、インフルエンザなどでキャスト変更したとのこと。それでいてこの完成度とはすごいなあ。
 本来はこういうことはしないのだけれど、あまりに見た間隔が近いので演研版と比較すると、演研はアマチュアならではの戯曲読み込みから突き詰めた求道的な芝居への向かい方で、いぶし銀の質の高い舞台化という感じ。おそらくはプロを目指している愛宕はそれよりはエンターテインメント性に強く舵を切った感じで、きらきら光る水晶のような印象を受けた。どちらもどちらの取り組み方も出来栄えもすてきです。
 演研は出番を待っている女優2人の化粧の場面がリアリズム演出で実際に化粧をするのに対し、愛宕はマイムで済ませ、お顔を「汚さない」。そんなところの劇作の違いも実に面白かったな。
 同じ戯曲で、ほんとに10カンパニー10色なんだな。
 そういえばね、こういうのがあります。
 坂手洋二さんの燐光群アトリエの会で「楽屋」フェスティバル!!!
 http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/7cfb0fd96fbc61535a95106c0ed34855
 演研さん、愛宕劇団さん、どもさん、劇団パーソンズさん、ご参加してみてはいかがですか?
 きょうも素晴らしい芝居を見て、心豊かに過ごせたことでした!。
posted by Kato at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

加藤浩嗣アーカイブス<それぞれに>「太陽にのぼった男」*5

1996年3月11日(月)夕刊

<それぞれに>「太陽にのぼった男」*5*佐藤英夫さん(51)*旭川で洋品店を営む*時を超えて問い続ける“意味”

 かばん、ネクタイのほか、赤、青、黄など原色のランジェリーが並ぶ店内を、佐藤は腕組みして歩く。営業は夜七時から明朝四時。正月以外は休まない。旭川の歓楽街「三・六」。仕事帰りのホステスや彼女らにねだられた酔客が来る。
 早朝録画した高校英語講座を営業中に学んで数年になる。そんな縁で、客のフィリピン人ダンサーたちにクリスマスパーティーやミサによく招かれる。
 彼女たちの実情を知り、心を痛める。「日本人はどうも人権感覚が希薄だ。自分ばかりでなく、他人に対しても」
 ある冬、彼女らの一人が駆け込んで来た。同僚が風邪をこじらせたという。救急車で、病院に運んだ。後で聞くと、彼女の店の人がすぐに連れ帰ったという。店の責任者から「勝手に病院に連れて行くな」と文句を言われた。「保険もなかったんでしょう。すぐ国に送りかえされたのか…」
 「太陽の塔」ろう城の意味は、佐藤もうまく説明できない。
 「アメリカの公民権運動、フランスの五月革命、中国の文化大革命。六〇年代後半は疾風怒とうの時代。その風に背を押され、熱に浮かされた。僕でなくてもだれかがしていた。ただ、黙ってても分かってくれる人、言葉を尽くしても分からない人がいると思う」
 これから−についても答えが見つからない。
 「昔は貧困、差別、人権問題も社会主義革命で解決すると思われてたが…。今、出口は見えない」。逆に「どう思いますか」と問われた。記者も答えられなかった。
 趣味は釣り。酒はたしなむ程度、たばこ、パチンコ、マージャン、競馬はしない。二男一女に「矛盾を矛盾のままに生きてほしくない」と望む。いつか「太陽」にのぼったことを自分の口から話す時、子供たちならその意味を、分かってくれると信じている。
(敬称略)
 加藤浩嗣記者
=おわり=

【写真説明】歓楽街の中の店で、一人じっと思いにふける
posted by Kato at 05:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月27日

つれづれなるままに ♯25 加藤浩嗣アーカイブス<それぞれに>「太陽」にのぼった男・4

1996年3月8日(金)夕刊

<それぞれに>「太陽」にのぼった男*4*佐藤英夫さん(51)*旭川で洋品店を営む*「生活者の視点」で矛盾問う

 「太陽の塔」ろう城で未決拘置期間四カ月を含む六カ月を広島刑務所で過ごした。その後、大阪市西成区で自由労働者の生活向上を目指す釜ケ崎共闘会議に参加する。
 しかし−。一九七〇年代初め、大衆との連帯、共闘を求めていたはずの学生、労働者の運動は先細りし、武装闘争などに先鋭化。釜ケ崎も、自由労働者が既成のセクトに分断されて囲い込まれ、内ゲバの袋小路に入っていた。
 「自由労働者の生活向上といっても、結局は金がなければ自立した運動ができないのじゃないのか」
 やみくもに動くのでなく、定職に就き資金をため、生活者の視点で矛盾を突く。そうした運動でなければ本物じゃない。そう痛感した。父が体調を崩したとの知らせもあり、旭川に戻った。大阪に飛び出た六九年から、五年たっていた。
 現在、旭川地裁で欠かさず傍聴する公判がある。旭川刑務所の磯江洋一服役囚が、八二年九月から昨年十月まで昼夜二十四時間の独房生活を強いられたことに対し、国に起こしている損害賠償請求訴訟。磯江は東京・山谷の東京日雇労組書記長などを務めていた。彼の顔は、大阪で同様の運動をしていたころ知った。しかし裁判の行方に注目するのは、自身の体験も絡む。
 広島大封鎖事件は、最高裁まで十年かかって懲役刑一年二カ月が確定した。佐藤は旭川に帰って店を切り盛りしていたため旭川刑務所に収監されたが、短い運動時間や入浴時間、軍隊式行進などに疑問を抱き、所長に待遇改善を要求。法相に「情願書」を提出した。途端にわずか二週間で網走刑務所に移された。「市民も、受刑者の人権はなくていいと考えがち。でもその部分から改善されなきゃ。その意味で、学園闘争で相当数のインテリが獄中体験したのは、改善に向けては良かったと思う」
(敬称略)

【写真説明】明け方、辺りのネオンが消えるまで、洋品店の営業が続く
posted by Kato at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

つれづれなるままに ♯24 加藤浩嗣アーカイブス<それぞれに>「太陽」にのぼった男・3

1996年3月7日(木)夕刊

<それぞれに>「太陽」にのぼった男*3*佐藤英夫さん(51)*旭川で洋品店を営む*見下ろせば「不調和」ばかり

佐藤が侵入した万博のシンボル「太陽の塔」の構造は想像通りだった。職員用らせん階段を上がり内部の最上部へ。「黄金の顔」につながる長さ約四メートルのパイプは腹ばいで通った。修理作業員用ドアの一カ所に錠があったが、朝買った鉄ノコギリで壊した。入場客に気がとられていたのか、警備は手薄だった。だれにも会わなかった。
 一九七〇年四月二十六日午後五時すぎ、塔の目玉の中で叫んだ。「権力の祭典・万博をつぶせ!」
 地上六十二メートルから見下ろすと、万博は「変てこりん」だった。七重の塔のそばに、布団を膨らましたようなパビリオン。「どれも自分の国、企業さえ目立てばいいと主張していた」。うたい文句の「人類の進歩と調和」とは裏腹な「本質的な不調和」。科学文明の進歩こそが人類の幸福につながる−という声高なメッセージがあふれる会場を眺めながら、持ち込んだラジオでベトナム戦争のニュースを聴いた。
 「主張は分かった。下りないか」。説得のため万博協会の服をきた男が作業員用ドアに来た。のどが渇いていた佐藤は「ビールを買ってくれ」と金を渡したが、男はこれを断り、代わりに一リットルパックの水を差し出した。なえかけていた気力がよみがえった。あとでこの男は警察官だったと聞いた。夜はサーチライトに照らされた。食事をしていないため大便はなく、小便もじきに出なくなった。ただ寒かった。
 携えた「葉隠」「万葉集」「萩原朔太郎詩集」を再読した。「葉隠」は「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」と説く。「動機が純粋なら結果は二の次。犬死にでも恥にはならないとする思想が、アナキストそのものと思った」。ろう城約百五十九時間で逮捕された佐藤は「ぼくはアナキストだ」と叫んだ。(敬称略)

【写真説明】「太陽の塔」の目玉の中で「万博粉砕」を叫んだ(矢印)=1970年4月26日
posted by Kato at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

つれづれなるままに ♯23 加藤浩嗣アーカイブス<それぞれに>「太陽」にのぼった男・2

1996年3月5日(火)夕刊

<それぞれに>「太陽」にのぼった男*2*佐藤英夫さん(51)*旭川で洋品店を営む*デモに無力感 反万博は僕が…

日本の高度成長は、政治の季節とともにあった。六○年安保、七○年安保…。佐藤はそのいずれにも深くかかわった。
一九四五年一月、旧満州の新京(現・長春)に生まれた。父は土木官吏。戦後、家族は母の故郷旭川に引き揚げる。たばこ、靴、タイヤ。売れるものは何でも売った。やみ市には活気があった。
五四年、天皇行幸を前に、やみ市は一掃される。「天皇はご存じない。でも、引き揚げに続いて、多くの家族が路頭に迷った」。この時、父が出した店が、現洋品店の前身だ。
六○年安保は旭川工業高入学の年。大学生の朝ビラに呼応し、「戦争はいやだ!」のプラカードを掲げ、デモ行進した。その痛快さ。「戦後の民主教育で、市民、学生が初めて権利意識に目覚めた」
七○年安保“前夜”の六八年七月、旭川市役所を退職する。友には「青年は荒野を目指す」と告げた。
「ベトナムに平和を! 市民連合」(ベ平連)のデモに明け暮れた六九年八月。大阪城公園で開かれた「反戦のための万国博」(ハンパク)にも参加した。しかし、キャンプして話し合うだけの集会に心は満たされない。大江健三郎「ヒロシマ・ノート」の感動を胸に、広島へ向かった。
広島大は全共闘学生がバリケード封鎖中だったが、構内に入れてもらった。数日後、機動隊が封鎖を解除、初めて逮捕される。保釈後、裁判所の収監状から逃れて長崎、京都へ。
万博一般公開初日の七○年三月十五日、反万博のデモで多数が逮捕されたことを知る。「マスコミに反万博の主張は出ない。デモ、ビラまきもだめだ。少ない犠牲で効果的、象徴的な行動はないか」。シンボル「太陽の塔」でのアピールを思いついた。「学生でも労働者でもない。地位、身分がないのは僕だけ。僕がやるしかないと思った」
(敬称略)

【写真説明】父の代からの洋品店を守る
posted by Kato at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

つれづれなるままに ♯22 加藤浩嗣アーカイブス<金曜羅針盤 タイムカプセル>戦後

 こんにちは。北海道電脳新聞の新企画として<加藤浩嗣アーカイブス>を連載します。
 北海道新聞に入社して、この春で満28年、と半端(笑)。いまは内勤で記事を書くことはありませんが、かつて外勤で執筆した記事で懐かしいものを蔵出ししてお読みいただこうという趣旨です(異動で外勤に行けば、また書きますよ)。
 今回の企画は毎週金曜日夕刊<金曜羅針盤>に文化部記者持ち回りで連載していた<タイムカプセル>。
 通常考えるタイムカプセルには入れない、形状として入れられない、でもそっとしまっておいていつか出しては「そのころ」「あのころ」に思いを致したいというものを記者自身が考えて書くという、僕はとても好きな企画でした。
 調べてみると、僕が担当したのは計9回。もっと書いておけばよかったなと悔やまれてもいます。
 きょうご紹介するのは僕が書いた中では3番目に当たるものですが、つい先日フェイスブックに女優大竹しのぶさんの趣旨「いつまでも戦後でいいんじゃない」をシェアしたので、まさにその「戦後」でいきます。
 つまり僕は15年も前に「戦後」をタイムカプセルに入れて未来の子どもたちに送り届けたいと考えていたわけです。
 でもまさかそれをこんなにも早く開封するとは思わなかった…。
 静かに深く強く確かに僕は闘います。



2001年8月17日

<金曜羅針盤 タイムカプセル>戦後

 多くの「戦後」があった。この約百年間でも日清、日露両戦争、のち第一次世界大戦と称される戦争が続いた。それら「戦後」はそのまま、メビウスの輪がもとの道につながるように「戦前」になだれ込んだように見える。ただいずれも“勝ち戦”だったから、この夏も語られる「戦後」とは違う色彩を帯びていたかもしれない。
 今、「戦後」と言えば、一九四五年のポツダム宣言受諾による無条件降伏の後、を意味しよう。「玉音放送」のあった「あの戦争」。それから五十六年。体験者の多くは失われ、歴史的事実をさえ知らない若い人が増え、「戦後」というくくりや、意味の問い直しも意識されにくい時代になった。
 五六年の経済白書の結語「もはや戦後ではない」は、「戦後」が強烈に意識されていたゆえ流行語になった。戦後十一年、経済的には焦土からの「復興」から「成長」の段階に入ったとする宣言だった。この言葉は英文学者、評論家の故中野好夫が「文芸春秋」の五六年二月号に書いた「もはや“戦後”ではない」の引用だ。中野は混乱や犯罪、退廃がすべて「戦後」という言葉でくくられ片づけられる風潮に疑義を唱え、安易な「戦後」への寄りかかりから脱して未来への見通しに腰を据えるべきだと説いた。
 「戦後」、「戦後・後」といった時代への問いかけは今も意味を持つはずだ。評論家、加藤典洋氏の「敗戦後論」に端を発する論争も記憶に新しい。「もはや戦後ではない」経済発展が行き着いたバブルとその崩壊が問うもの。世界最終戦争を予言したカルト教団の暴走−。
 戦前、戦中ではなく、いつまでも「戦後」であり続けることの意味を考えたい。それには今を、いつか来た「戦前」とさせない不断の積み重ねが大切だろう。さらに一歩進め、戦争を前提としない、「戦後」という言葉さえ超えた平和な世界とは、ユートピアにすぎないだろうか。
(加藤浩嗣)
【写真説明】全国戦没者追悼式で献花する小泉首相=15日、東京・日本武道館
posted by Kato at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

つれづれなるままに ♯21 加藤浩嗣アーカイブス<それぞれに>「太陽」にのぼった男・1

 こんにちは。北海道電脳新聞の新企画として<加藤浩嗣アーカイブス>を連載します。
 北海道新聞に入社して、この春で満28年、と半端。いまは内勤で記事を書くことはありませんが、かつて外勤で執筆した記事で懐かしいものを蔵出ししてお読みいただこうという趣旨です(異動で外勤に行けば、また書きますよ)。
 連載第1回目は各界各層の方々の人生の一断面を切りとった北海道新聞夕刊社会面企画「それぞれに」から。
 僕は〜覚えていらっしゃる方はおられるかなあ?〜1970年の日本万国博覧会(大阪万博)で岡本太郎の「太陽の塔」に籠城したある男性(1996年当時、旭川在住)の人生の一瞬に迫ります。
 すでに96年3月1日付けで札幌への転勤が決まりながら、僕はその日その日のルーティンワークをこなし終えた夜に彼の経営するランジェリーショップに通い詰め、お話をうかがったのでした。
 ちなみに題名の「『太陽』にのぼった男」は長谷川和彦監督の映画「太陽を盗んだ男」(沢田研二、菅原文太、池上季実子)のもじり。
 僕はやっぱりアウトローが好きな、ファンキーなアナーキストなんだな(笑)。



1996年3月4日(月)夕刊

<それぞれに>「太陽」にのぼった男*1*佐藤英夫さん(51)*旭川で洋品店を営む*「目玉」占拠岡本太郎と対じ

 一月七日。佐藤英夫は、「前衛芸術家岡本太郎死去」のニュースを、旭川の三・六街にある自分の店で知った。「日本万国博覧会ではシンボル『太陽の塔』を制作し…」。テレビが岡本の業績を繰り返し伝える。
 佐藤は、二十六年前、万博会場で岡本と対じした時のことを、思い出していた。記者団に取り巻かれた岡本は、自作の塔を囲む空中回廊にいた。カメラを向けた岡本と、三十メートルの距離で数分間向き合った。言葉は無かった。その時佐藤は赤ヘルメット姿で塔頂上の「黄金の顔」の目玉部分に居座っていた。

太陽の塔の目玉男
万博乗っ取り男

 各紙は佐藤をこう呼び、連日その動向を報じた。
 「人類の進歩と調和」をテーマとした万博は一九七○年三月十四日、大阪・千里丘陵を会場に開幕した。九月十三日まで百八十三日間の総入場者は、六千四百二十一万人。日本の人口の半数以上が詰め掛けた。太陽の塔は高さ七十メートル。会場中心部に位置し、繁栄ニッポンを象徴するように天空目指して伸びていた。
 それに「ノー」を叫んだのが佐藤だった。「国家権力と大企業の祭典・万博粉砕」。こう訴えて四月二十六日夕からろう城した。青タオルの覆面。ジャンパーに黒ズボン。時折、観客に手を振り、「バンパクをつぶせ」などとアジ演説した。
 ろう城一週間目の五月三日朝。「寒さに負けて」降り、威力業務妨害、建造物侵入の現行犯で逮捕された。佐藤の乗っ取り劇は、その後の熱狂的な万博人気にかき消されていった。弁護は、樺島正法弁護士(53)=大阪市在住=が買って出た。樺島の提案で、弁護側証人として岡本の出廷を求めた。岡本が海外の仕事に出向いていたため実現しなかったが、佐藤は「岡本は国際的な芸術アナキストともいうべき人。私のろう城を悪く思わなかったはずだ」と今も考えている。
                ◇
 「太陽の塔」に立てこもったあと、懲役刑を終え、故郷旭川で家業の洋品店を切り盛りする男がいる。時代と向き合って生きてきた佐藤の「あのとき」そして「いま」を追う。(敬称略)
  文・加藤浩嗣記者
(五回掲載します)

【写真説明】岡本太郎との縁を淡々と語る
posted by Kato at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

つれづれなるままに ♯20 「北海道電脳新聞」についての意向調査

 こんにちは。
 劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」ならびにフェイスブック(FB)の僕のページ「北海道電脳新聞」を読んでいただいてありがとうございます。
 きょうはみなさんに意向調査を呼び掛けたいと思います。
 というのは先日、面識があり親しくしていただいている「電脳新聞」読者から「せっかく電脳新聞にいろいろな話題をシェアしてくれるのはうれしいんですけど、その間合いが早すぎて読むのが追いつかない。それにFBの他の人の原稿を読む妨げにもなっている」とチャットで指摘されました。
 実はこのことは僕自身が懸念していたことです。
 もともと本業が新聞記者であるのでさまざまな話題を拾い集め伝えたいという思いが勝り、少し血道を上げすぎて自分独りの時間を費やしすぎてきたような気がします。だからこれからは1日にシェアする記事も減らします。また政治の話題などヤフーニュースからのシェアは極力やめるつもりです、そちらで読んでいただければいいだけのことですから。
 以上のことについてみなさんはいかがお考えになりますか?
 これへのコメントでもいいですし、公開で言うのは避けたいという方はチャットで知らせてくれてもいいです。
 ボランティアなんてたいそうなものじゃない、僕の物好きでやってることなわけですから、黙殺していただいてもかまいません。
 ともかく、1日のシェアの本数は減らしますので、ご了承ください。
 また一方で、こうした分野の記事を手厚くしてほしいなどのご要望もお寄せくださいね。
2016年2月17日
「北海道電脳新聞」加藤浩嗣
posted by Kato at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

「北海道電脳新聞」創刊の辞(2月10日にフェイスブックにアップした原稿です)

「北海道電脳新聞」創刊の辞
私、加藤浩嗣はここに北海道電脳新聞を創刊いたします。
◎編集方針
 1・「不偏不党」を掲げます。ただ、自分がこれしかないという考えにはいったん、積極的にのめり込みます。ただ、納得できれば、考えをひょいひょい変えます。自分で判断がつかないことについては、広く意見を募集します。
 2・「エロ」と「真面目」のバランスを取ります。僕の思春期を形成するのに大いに役立ったメディアプログラムはTV深夜番組「11PM」と雑誌「月刊(週刊)プレイボーイ」。それを手本に、硬軟織り混ぜた「ちょいワル・エンターテインメント」を目指します。
 3・日本国内はもとより全世界に無数に散らばるFB特派員(あなたです)の情報を有効に生かします。必要があれば、自ら現場に出向いて取材します。
 4・長期連載の劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」で、北海道内外の演劇、舞台芸術振興に一役買います。
 5・疑問・質問は365日24時間、受け付けています。なにぶん僕はべたべたな文系なので、理数系の疑問・質問解決にはFB記者(あなたです)のお力をお借りすると思います。よろしくお願いします。
 6・契約不要、もちろん無料です。「加藤浩嗣」で検索するとすべての記事が読めます。ご一読された方はシェアしていただければ幸いです。「目指せ! 人民日報(中国共産党機関紙)の部数越え!」(笑)。
 7・新しい記事をアップするのが途絶えた時は僕が死んだものだと思って、読者のみなさんは供養のためにちょい贅沢な、おいしいものを食べてください。
2016年2月10日(水)2時50分
編集主幹・主筆 加藤浩嗣(日本国北海道札幌市在住、釧路市出身)

あらためて、ご一読された方はシェアしていただければ幸いです。
posted by Kato at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

つれづれなるままに ♯19 エディさんの頭の中?!

 ウィキペディアによると、エディさんが南アフリカのチームのHCになるのは「2015年9月21日、スーパーラグビーに参戦するストーマーズヘッドコーチに内定」とのことだが、あくまで内定ということであって、そこにいたるまでに年俸とか待遇とかについての話し合いは当然続けていたわけだよね。
 やっぱりわかんねえな、エディさんの頭の中?!
posted by Kato at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

つれづれなるままに ♯18 エディ・イングランドの楽しみ

 ラグビー欧州6カ国(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、イタリア)対抗戦シックス・ネーションズを毎週末、WOWOWで楽しんでいる。
 前JAPANヘッドコーチ(HC)であるエディ・ジョーンズさん(Eddie Jones、1960年1月30日−)がHCを務めるイングランドは2戦2勝といい出足だ。
 エディさんのことは特別なファンというわけじゃないけど、目が離せない存在だ。言い方が難しいし、まだよく僕の心の中に評価が収まっていない感じもするのだけれど、いまも行く末も徹底的に見守りたい人物の一人だ。「日本人の誇りを取り戻す」第1目標は見事に実現してくれた。
 僕がエディさんに引かれるのは、昔の明治大ラグビー部の故北島忠治監督(きたじま ちゅうじ、1901年2月23日−1996年5月28日)のように好々爺じゃなく、選手以上にステップアップ&功名心ありありのところかなと思う。
 もしかしたら指導しているチームが勝ち続けることより、その連勝によってだれかに求められ、自分がキャリアアップすることこそが主眼なんじゃないかなんてちょっと失礼なことまで思えてきてしまうほど、彼が選手たちに求めることは厳しく、熱い。もちろん自分にこそ厳しいのだけれど。
 彼の指導の結果、JAPANは2015年イングランド大会で過去の実績から見ると信じられない3勝1敗の成績を収め、ラグビーが一躍日本の人気スポーツになって、ルールを知らない人までもがラグビーというスポーツに注目するようになったのはご存じの通り。
 でもエディさんはそんなことには興味がなさそうに〜一時ストーマーズ(The Stormers、スーパーラグビーに参加する南アフリカのラグビーチーム)のHCに内定しながらも〜イングランド協会から代表HC就任の打診があると、ほいほい行ってしまった。
 ここですごいなと思うのは〜W杯イングランド大会の開幕前にJAPANの協会幹部と確執があったことは本当らしいけれども〜JAPANのHCを務めている最中に、次の仕事をまさにイングランド大会の初戦でぶち当たり、選手たちに「ヤツらを殺せ!」なんて檄を飛ばしていた南アフリカのクラブチームのHCと決めたことだ。
 だって普通そんなことしないでしょ?
 初戦が南アフリカ戦だってことは1年以上も前からわかっていることだし、それに命を懸けていることを周囲に見せつけながら、次の就職先が南アフリカのチームだなんて!
 常識的な判断の持ち主なら「八百長を勘ぐられるかもな」ぐらいのことは考えるでしょう。結果によっては、たとえば南ア戦のラストでいえば、エディさんの指示通りペナルティーゴールで32−32の同点引き分け、でも勝ち点では2−3でJAPANの負けとかね、わざとJAPANに滅茶苦茶なコーチングして負けるように仕向けてってとか。
 この辺の出処進退を考えないというか、考えてもしちゃえるっていうのが、エディさんの「天才と狂気」の在りかかなと俺などは思うんだけど。どうでしょう?
 そこで考えるのが、南ア戦のラストでリーチ・マイケル主将がスクラムを選択したのはJAPANの勝利をたぐり寄せたのと同時に、エディさんのHCとしてのコーチングのアップにも一役買ったのではないかなということ。
 北海道民が誇るべき“道産子”リーチ主将の決然としたリードは闘将エディさんの燃えたぎる心にも油を注いだのではないか?
 実は孤独であったろうエディさん。
 W杯終了後に放送されたNHK総合の30分番組「NEXT」のJAPAN特集で、暗い夜にバスの最前列に一人で座っていたエディさんの姿が目に焼き付いている。
 いま最も実現してほしい対戦はW杯2019日本大会でのJAPAN対エディ・イングランド!
 JAPANとしては南ア戦以上のゲームをしてご恩返しをしよう!
posted by Kato at 06:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月15日

遭難、(再観)

 北翔舞台芸術四年目卒業公演「遭難、」(作本谷有希子=2007年の第10回鶴屋南北戯曲賞受賞作、演出森一生、演出補村松幹男)を2月14日(日)、札幌・北翔大学ポルトホールで再観した。
 この作品をかつて札幌で別の座組で見た時には良い戯曲で面白い芝居だなと思った記憶があるが、それはどうやらあくまで本谷の戯曲レベルにとどまっていたようだ。出演者5人の肉体を通して物語られる演劇としての魅力には乏しかったのだろうなということだ。
 それが13日(土)に見た北翔舞台芸術四年目卒業公演は「この座組はすごいな」ということになり、つまり血液が通い、切れば痛そうな骨肉が伴う芝居になっていた。
 幸い14日も僕は他の予定がなくて、自宅から気軽に歩いて行ける距離であることからこんどは何も考えずに舞台芸術に浸る、埋没するということができた。
 無条件に感動した。快感だった。
 上演時間2時間余とは東京演劇のスタンダードではあるが、ふだんの札幌演劇なら「ちょっと長いかも」と思われるのだろうが、この座組によるこの芝居に限ってはあれよあれよという間、もうこの5人の座組では見られないのかと思うと寂しくなるほどだった。
 そして評価をより上に高めた。
 これはちょっとご祝儀評価も加味しているが「シアターホリック(演劇病)『北海道演劇の宝』賞」を贈ります!ということに決めたのである。
 これは2009年に、いまは活動を終えてしまった劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」のために特設した最高賞だ。
 よりわかりやすく金の点から言えば、札幌演劇人だけで創られる芝居の料金のほぼ上限である3000円に値するということです。
 それだけいいものを僕は見た、見せていただいた。
 感謝感謝、感謝の一言なのです。
 終演時の役者あいさつでは、まだ会員が僕一人の「北海道スタンディングオベーションの会」会長(何をするかと言えば「すてきな芝居には最大限の賛辞であるスタンディングオベーションを贈ろう」というだけで、別に会則も入会規程もないし、ある演奏会や舞台公演、スポーツイベントなどで立ち上がって拍手を送ったら自動的に会員になる、なってしまうという緩い会です)として、最前列で、そうした。
 僕のそんな立ち拍手姿を見て、俳優さんの少しはにかんだ表情をみるのも好きなんです。
 そういうわけで「遭難、」に関わったすべての人にすてきな時間と空間を頂いたことに感謝をしながら、僕のルーティンである、ラグビーW杯JAPAN対南アフリカ戦の録画を見つつ心を安らかにして1時すぎには安眠しようとしている僕なのです。
posted by Kato at 00:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

訂正・みんなで「遭難、」を見よう!

 あ、間違えた、あと1時間だ。早く着替えなくては。
 こんなことで訂正出すなんて…情けない。
posted by Kato at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みんなで「遭難、」を見よう!

きょう14時、札幌・北翔大学ポルトホール(南1西22)で千秋楽が開演の、北翔舞台芸術四年目卒業公演「遭難、」(作本谷有希子=2007年の第10回鶴屋南北戯曲賞受賞作、演出森一生、演出補村松幹男)。
これはほんとにぜひご覧いただきたいですね。
この素晴らしい作品自体をご覧いただきたいというのと同時に、大晦日にブログで発表する「シアターホリック(演劇病)マイベスト」とはどの程度のレベルのものなのかということを知っていただくためにも良い機会かと思った次第です。
 そうなんです。決めました、北翔舞台芸術四年目卒業公演「遭難、」への「マイベスト」授賞。なんの権威も賞金、賞品も出ない授賞ですが(笑)。
ぜひ、あなたのその目でご覧になって、僕の年末のアワードはこういうレベルのものに贈られるのかと実感していただきたいですね。
開演まで、残すところあと2時間。
観劇無料で、受付に募金箱があります。募金は全額ユニセフに寄付するそうです。
posted by Kato at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

遭難、

 北翔舞台芸術四年目卒業公演「遭難、」(作本谷有希子=2007年の第10回鶴屋南北戯曲賞受賞作、演出森一生、演出補村松幹男)を2月13日(土)、札幌・北翔大学ポルトホールで見た。ある俳優に恋をした。
 男子中学生が自殺未遂となり、その母親が中学校でいじめがあったはずだと“殴り込む”。身に覚えのないことと黙り込む4人の教師たち。だが次第に事実が明らかに。責任転嫁と疑心暗鬼のスパイラルの果てに「トラウマ語り」の欺瞞を鋭くえぐる、快感ブラックコメディ。出演は女池祥子(教師里見)、茎津湖乃美(同石原)、岡田萌(同絵國)、児玉大樹(同不破)、田中亜希美(母親)。照明倉田麻奈、音響金汝珍、舞台監督湊谷優、宣伝写真竹中沙耶果、制作・宣伝美術女池祥子。
 本谷は小説「異類婚姻譚」で今年、第154回芥川龍之介賞を受賞したばかり。「遭難、」の舞台化選定はこの前に決まっていたようだが、実にタイムリーではないか。
 出来栄えにうなった。目を見張った。
 すごい! 
 5人ともが生身の役柄を生きている!
 学生演劇だけでなく大人のカンパニーにおいても、また東京で見る、東京から来るカンパニーであっても、役柄の重みによってかどうか わからないが、とかく役者によって長短が目につくものだが、それが感じられなかった。
 これはちょっと奇跡に近いことだ。見て良かった。心に大儲けした。
 東京・下北沢などの小劇場で時間つぶしに聞いたこともないカンパニーの芝居を見て、それが心のミットにストライク!という感じ。
 ほんとうにありがたいったら、ない。
 本公演にかかわった学生さんが卒業後に舞台芸術にかかわるのかどうかはわからないが、この「遭難、」は僕の観劇史に永遠に残る作品になった。
 この座組そのままで札幌演劇シーズンで披露してもらえたらうれしいな、と思うほど。決して大袈裟じゃないよ。疑う方がいらっしゃったら、ぜひその目で見てみてほしい。それほどに感動したんです。ほんとに恐れ入りました。
 楽日14日(日)は14時開演。上演時間2時間余。
 観劇無料で、受付に募金箱がある。募金は全額ユニセフに寄付するとのこと。
 ポルトホールは自宅から10分と近いので、きょうも見に行くつもり。上質な舞台は通い付ける価値がある。
 一目惚れのお相手は…それはお会いしたときにお話するとしましょう(笑)
posted by Kato at 05:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛の顛末 ボーイズビイシドアンドナンシー

 劇団コヨーテ「愛の顛末 ボーイズビイシドアンドナンシー」(作亀井健、演出亀井健、手代木敬史、2014年初演)を2月13日(土)、札幌・ブロックで見た。愛の刹那、刹那の愛…むき出しの愛と熱情ほとばしる演劇らしい演劇だ。若い人っていいなって、51歳の僕は嫉妬する。
ある朝、鴨江士郎(チヤゲンタ)の恋人、寺沢みなみ(寺地ユイ)が殺害された。鴨江は容疑者になるが、真犯人を探す決意をする。ときは、何度目かの戦後。三姉妹(長女ナガムツ、次女スズエダフサコ、三女山口萌)は、失われた家族を再生しようと生活していたが、友人寺沢みなみの死に直面する。犯人探しを依頼された探偵(亀井健)。しだいに暴かれる死までの人間関係。事件を探るうちに、愛のかたちが歪み、生きるものの姿が浮き彫りにされていく。人の心の奥のミステリー。出演はほかに手代木敬史、前田透、木山正太。
物語は英国のパンクロッカー、セックス・ピストルズの伝説的ベーシスト、シド・ヴィシャスと恋人ナンシー・スパンゲンの実話、愛と死を元に構成されている。
そのためか、亀井にしては物語の輪郭や構造がはっきりくっきりしていて登場人物への感情移入もしやすい芝居。といって亀井の創作のありあまる情熱を減じたのでも覚ましたのでもないだろう。きっとこれまでの作品以上にうまく整理したということだ。亀井作品に時に置いてきぼりにされる僕としてはとても助かったし、ストレートな愛の言葉には十分に強く胸を打たれた。
 上田知、川崎舞の美術がすてきだ。舞台奥のついたての絵画など、色彩のトーンは若干抑え気味に、しかし舞台の世界観を的確に反映して視覚的に物語をサポートすることに成功している。
 亀井演ずる探偵が、というか黒縁眼鏡をかけた亀井がジョニー・デップにそっくり。僕もフェイスブックの表紙はジョニーを意識して高校時代の同級生の女の子が造形してくれたものだが、なにぶん元が違いますからね。負けました(笑)。
 寺地のナンシーがキュートで適役。こんなに可愛いナンシーなら、引く手あまたであることはとっても自然だ。
 札幌演劇シーズン2016冬のトリを飾る渾身の一作。見終えた後、少し肩をいからせて歩いている自分に気が付く。人を愛することはすてきだ。たとえどんな絶望の淵にあっても。
 開演は14(日)と楽日20日(土)が15、19時。その他の日は20時。上演時間1時間50分。
posted by Kato at 03:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月13日

前項「楽屋」の表題について

 前項「楽屋」の表題に「?」が2カ所ついてしまいましたが、これは「波線」のつもりで送信したものです。劇団演研のみなさん、読者のみなさん、ごめんなさい。以後、気を付けます。加藤浩嗣
posted by Kato at 06:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

楽屋?流れ去るものはやがてなつかしき?

 劇団演研(帯広市)の創立40周年記念札幌公演「楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」(作清水邦夫=1977年初演=ウィキペディアには「累計上演回数が日本一である」とありますが、根拠が書かれていません。まあ、そうだとは思いますが=、演出片寄晴則)を2月12日(金)、札幌・シアターZOOで見た。過不足ない、馥郁たる時間の流れるすてきな芝居だった。
 チェーホフの「かもめ」を上演中のとある劇場。その楽屋には、念入りに化粧をしながら来るはずのない出番を待っている女優が二人(年長・上村裕子、年少・野口利香)。そこにニーナ役の主演女優(坪井志展)と、かつて彼女のプロンプターを務めていた新人女優(金田恵美)が入ってくる。なんと、その若い女優は、主演女優に「主役を返せ!」と詰め寄るのだが…。 
 すてき、素晴らしい、魅惑的。4人の女優がみんな魅力的。渡辺えりより、小泉キョンキョンより、蒼井優より…これは内緒ね!
どんなに言葉を尽くしても片寄率いるこのカンパニーを賞賛するには足りないな。なぜならこちらが感動しているそばからもうその先へ行こうとするから。
公演終了後の懇親会と称したいつもの飲み会は本当に楽しい宴だが、片寄はもうそこで参加者から、よりすてきな作品になるためのヒントをつかもうとしている。頭が下がります、ほんとに。そしてそうした姿勢はプロには真似ができないものでしょう。アマチュアならでは。
なぜなら、次はこれ、その次はこの作品…などと数年先まで作品のスケジュールが決まっているプロがそれほどにひとつの作品に心を砕いていたら、おそらく神経がすり減ってしまって持たない、かなわないだろうからです。
その点、劇研はとことんまで突き詰めて、終演後の飲み会で観客から何かを得て、次のステージではそこからなお掘り下げようとする。貪欲、いや愚直なまでに「演劇を研究」して実践する。これはプロには真似のできないことです。ほんとうにすてき、素晴らしい、魅惑的。アマチュアとしての極北です。
 というわけで、帯広、十勝の演劇については、片寄ならびに今回は舞台監督を務めた富永浩至がどっしり構えているので安心しています。良いもの、良質なものを見せるには目利きの存在が必要なんです。自分一人で探そうったって、そうそう簡単なことではありません。
僕にもいました。たとえば、釧路のいまはなきジャズ喫茶「ジス・イズ」の、病後のリハビリに励んでいらっしゃるマスター小林東さん。彼の背中についていくと、いつも「本物」に出逢えた。舞踏家大野一雄先生とか画家中西夏之さんとかね。本物の振りをしているニセ者はすぐに見分けられた。
短い人生、ニセ者につかまっている時間はなんだかんだいって無駄ですからね。
道東の方々は片寄&富永がいる限り、彼らが指し示すものに付き従っていけばいいんじゃないかなあ。そこから、余裕があればさらに視野を広げるという感覚で。僕が小林東さんにそうだったように。
というわけで、帯広&道東の方は、片寄が主人の喫茶&シアター大通茶館(帯広)に通いつけましょう!
千秋楽13日(土)の開演は14時。前売り完売らしいけど、当日券は出るようです。ちなみにシアターZOOの過去最高入場者数はシアタープロジェクトさっぽろ(TPS。現・札幌座)のシェイクスピア「冬物語」で126人だったかな。ぜひ詰めかけて、舞監富永に汗を流していただきましょう(笑)。
posted by Kato at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

しんじゃうおへや

 yhs「しんじゃうおへや」(脚本・演出南参=2009年シアターZOOで初演、10年同劇場での再演でシアターホリック「北海道演劇の宝」賞に選定)を2月11日(木)、札幌・コンカリーニョで見た。再演時に劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」で「yhsはこの一作をもって、北海道のリーディングカンパニーになったと言っていい。いや、少なくとも私は言う。全国どこへ持っていっても自信を持って見せられる、また見てほしい作品だ。できることなら、北海道でも『裁判員裁判』が始まり一般市民が『死刑』を選択することがあり得る事態になった今、せめて道内の地方裁判所所在地である函館、旭川、釧路ぐらいででも巡演できないものだろうか。それだけ多くの方に見てほしい、というより、見て考えてもらうべき芝居だ」と書いた作品だ。
 第1話、執行の予行演習を行う刑務官たち(能登英輔、櫻井保一、甲斐大輔、氏次啓、熊谷嶺、青木玖璃子、最上朋香、山田プーチン)の葛藤と衝突。第2話、執行装置の修理にやってきた3人(田中温子、井上嵩之、佐藤杜花)の電気工事士のパニック喜劇。第3話、この部屋がどこで、自分が誰なのかを尋ね続ける男(小林エレキ)と、それから逃げ続ける女(曽我夕子)、そしてそれを取り巻く人々。ラストシーン、3つの物語が重なる時、一つの真実が浮かび上がる。死刑を巡り、人間の存在を探る、社会派エンターテイメント。〜札幌演劇シーズンのチラシより。
 私は初演時に「『死刑制度』という難しいテーマに切り込んだ作品だった。南参は鉱脈を掘り当てた気がする。実際、北海道でも裁判員裁判が始まっていることだし、さまざまなバリエーションをつけて、ぜひ再演してほしい」と希望を託した。
 果たして南参は翌年、若干改訂し再演した。それは私の年末の「シアターホリック(演劇病)」アワードで“新作”と考えて「マイベスト」にすべきか、それとも再演だから「殿堂入り」にすべきか、そんな迷いの域を遥かに超えた高みの地平に立っていた。
 初演、再演会場であるシアターZOO=地上から階段を下りた地下にある劇場という北海道内では珍しい構造的特徴に着目し、その一点からのみ発想された(!)という(日本で採用されている)絞首刑の物語が、「死刑制度」というとかく是非論で語られがちなテーマさえも南参の熟考の末にその二元論から解き放たれ、新たな光が当てられ普遍的な価値を獲得するに至ったものである。
 そして今回、劇場をより広く高い、地上1階のコンカリーニョに移しての3演目。的確な舞台装置を創っての劇作は、過去2演にも増して現在と過去、夢と現(うつつ)の重層的な意味合いが凝縮された、忘れがたい余韻を醸す実に巧みに計算し尽くされた芝居になっていた。誤解を恐れずにいえば、ラストシーンは限りなく美しい。
 刑務官のリーダー役能登英輔の職務に対する矜持と威厳、死刑囚役小林エレキの狂気の迫真性、コメディエンヌとしての魅力をいかんなく発揮し終始重めのトーンの芝居に明るさを添えた田中温子。それに一挙手一投足をゆるがせにしないすべてのキャスト…。
静かに確かに持続する緊張感の中で、役者たちが物語に従属することなく拮抗し、見事に屹立していた。だからこそ「死刑制度」という重いテーマが、役者たちの肉体を通して表現されると重すぎることなく、見る側の心に自然にじんわりひたひたと確かな説得力を持って染み通ってくるのである。見る側の「思いの入り込む余地」を担保し「想像力=創造力」を促すのである。川西敦子の劇中音楽も過不足なく良かった。
 初演から再演、劇場を変えての3演へと私の想像の域を遥かに超えて高く大きく飛躍し、同時に鋭く深化していた。ほんとうにうれしいことだ。
 開演は12日(金)19時30半、13日(土)14時。前売り完売とは思うが、当日券に並ぶ価値あり!

 なお本作品は3月12(土)、13日(日)に大阪・「in→dependent theatre 1st」でも上演される。フェイスブックの大阪の「友達」(可愛い女の子が多い)に宣伝しようっと。
posted by Kato at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

さっぽろ冬物語・5見

札幌座「さっぽろ冬物語」(原作ウィリアム・シェイクスピア「冬物語」、脚色・演出・音楽斎藤歩)を2月10日(水)、札幌・大通西5丁目の英国グローブ座雪像特設ステージで見た。通常上演時間3時間の芝居をエッセンスに絞り込んだ15分間を満喫した。 
5(金)〜11日(木)に合計31ステージ行われるうち、見たのは5回目。野外ステージだけに空模様が重要な観劇ファクターだ。
きょうははじめのうちは雪が小降りだったが、15分の最中にけっこう強い降りになった。でも舞台上の熱演に心は温かい。
18時45分の開演を見たのは初めて。この時間になると、照明がとても美しい。ピンク、青、緑…と極彩色。雪の中の夢のようで、とても贅沢な気分になれる。
もちろん観劇無料。シェイクスピア芝居の入門編としても最適だろう。
寒い国、暖かな国の住人を染色で対照的に表現する衣装が贅をこらして見事。札幌座は旧TPS(シアタープロジェクトさっぽろ)だった10年ほど前に「冬物語」を上演したが、その時の衣装だ。それが時を経て再びお目見えする。次はいつ再演されるかわからない。貴重なこの時に見ておくのがよいだろう。
極寒の中の芝居は「歴史上最も低い気温の中で上演されたシェイクスピア劇」としてギネスブックに申請してもいいのでは! もし通れば、北海道の演劇史上、画期的だ。
あす千秋楽の開演は午後4、5、6、6時45分。
伝説を見に行こう!
posted by Kato at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

亀、もしくは…。

 札幌座「亀、もしくは…。」(原作カリンティ・フリジェシュ(ハンガリー)「亀、もしくは居酒屋の中の気ちがい」(岩崎悦子訳)、脚色・演出・音楽斎藤歩)の2015年限定特別改訂バージョンを2月7日(日)、札幌市教育文化会館小ホールで見た。
 まずは僕が初めて見て北海道新聞に書いた劇評をアップする。この作品の劇評はさまざまなところに何回も書いてきたけれど、初めて書いたこれが一番過不足なく素晴らしさを伝えている気がする。
 再掲にあたっては大筋はそのままとし、今回の再演に向けては不要な情報を削除し、今回の出演者名を書き加えた。、
2003年12月2日(火)夕刊
<ステージ>
TPS(シアタープロジェクトさっぽろ)+文学座「亀、もしくは…。」
*社会の深層見据えた批評性
 こんなブラックジョークを思い出す。精神病院で患者が浴槽に釣り糸を垂れている。
 医師「釣れますか?」
 患者「ばかだな、先生。ここ、風呂場ですよ」
 カリンティ・フリジェシュ(ハンガリー)の上演十数分の戯曲「亀もしくは居酒屋の中の気ちがい」(岩崎悦子訳)をTPS所属以前の斎藤歩が1時間に脚色、演出し1995年に初演した。
 もう何度再演されただろう。これほど再演を重ねられたのは、斎藤が書き加えたラスト数分の、世界への確かな意志表明が胸を打つからだ。同様に精神病院が舞台の演劇・映画「カッコーの巣の上で」のように直接人間性解放をうたったものではない。だが、マイナス要素ばかりの末のプラスへの劇的転換は、混迷した社会にあって人生肯定の乾いた希望のメッセージとして響くだろう。その意味では、ほとんど斎藤のオリジナル作品と言えるかもしれない。
 自分を救世主モーゼや「亀」だと思っている患者のいる精神病院の密室。理事長の叔父の紹介で見学に来た医学生(弦巻啓太)と医師(斎藤歩)、看護士(すがの公)、「亀」(清水友陽)がすったもんだの騒動を繰り広げる。
 男性4人、今回に限り登場するシスター(橋口幸絵)の計5人の1時間の小品だが、社会の深層を見据えた批評性に満ちている。それは正常と異常の境への問い掛けであり、人が日常生きる中での“演技”、権威への盲信への覚めたまなざしでもある。
 ◇11月27日、東京・笹塚劇場(仮)
 95年といえば、TPSもその母体の北海道演劇財団(96年設立)もまだ存在しておらず、斎藤歩は93年設立のA・G・S(アーティスツ・ギルド・オブ・サッポロ、札幌舞台芸術家協議会)のメンバーだった。
 だが、この作品を96年の札幌公演で見た在京の演劇関係者が瞠目し、A・G・Sは東京国際舞台芸術フェスティバル'97に招待され、その公演を見た在京の演劇プロデューサーらが予想以上の圧倒的な水準の高さに度肝を抜かれ、99年から同フェス(いまは少なくともこの名称では開催していないようだが)に「リージョナルシアター(地域演劇)・シリーズ」が設けられた−という、知る人ぞ知る逸話がある。当時のA・G・Sがいかに先駆的で素晴らしい地域演劇の担い手だったかがわかろうというものだ。

 後半の食事の場面、アドリブと思われるかもしれませんが…会場で斎藤歩戯曲集を買って読んでみてください。きっと驚きますよ。
 橋口のシスター、彼女は実は…斎藤の戯曲、芝居への見通し、先見性の確かさには舌を巻きます。20年以上も前に、いまの、今回の特別バージョンとしての再演を見据えていたとは! 尋ねたところ斎藤本人は否定しましたが、いいえ、きっと深層心理にはあったんだろうなと、彼の才能に限っては思ってしまう次第です。
 20年以上の長きにわたり札幌発、いえ、僕の中では日本発の芝居のトップレベルに君臨し続ける名作であり傑作。
 誇張ではありません。芝居を見たことがない方には、ぜひこの作品を観劇初めとしていただきたい。
 劇場でお会いしましょう!

 問い合わせは北海道演劇財団へ電話1(プッシュホン)011・520・0710へ。
posted by Kato at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月08日

つれづれなるままに ♯17  ファン目線でほかの関連本とは一線を画した面白いラグビー本

 紀伊國屋書店オーロラタウン店(にわかラグビー本がけっこう揃っていて、僕にはうれしい書店)で「W杯イングランド大会 ラグビーファンみんなの観戦記」(キョーハンブックス、本体1300円+税)を見つけ、ぱらぱらめくって即購入。先のW杯関連のラグビー本は、友達に貸しているから正確な数字じゃないけど、10冊くらいになったかな。今回のはラグビーライターじゃなく、ラグビー女子ファンがファンならではの目線で書いたり座談会をしたりしているのが特徴であり、新鮮で魅力的だ。
「在英日本人女性レポーターの日本戦全4試合観戦ルポ 現地はこんな雰囲気だった」はテレビの試合中継だけではわからなかった各試合会場の様子が手に取るようにわかる。やっぱり「現場に行く」というのは取材の基本だ。
 「日本大会に向けサポーターはどうあるべきか!」は2019年に向けてのサポーターたちの貴重な提言がいっぱい。
 「南アフリカ戦勝利の女神 サリーさん発見物語」は南ア戦終盤にテレビ中継でJAPANユニホームを着ている姿が大写しになった「カモーンジャパーン」のあのチャーミングな女神を直撃した面白い記事。よく見つけたなあと感心していたら、SNSで探して、本人から連絡があったんだって。この時代ならではの取材方法だなあ(僕は10年以上、外勤から遠ざかっているのでわからないが、弊社でもこれが普通になっているのかな?)。
 彼女はスポーツ総合誌「ナンバー」(文藝春秋社)のいま発売中の数号前のものにすでに登場したが、実はこの雑誌の女性著者が文藝春秋社に情報提供したものであることがわかる。この「ミニコミ誌」ならではの、「特ダネ」を放棄してまでの機動性は大いに評価したい。
 それに南ア選の中継で何度も大写しになってJAPAN勝利の瞬間にはうれし泣き顔が世界に発信された中年男性吉村さん(僕は首だけ出す日の丸の衣装を着ている姿から「クリオネおじさん」と呼んでる)までがスコットランド戦直前に見つかり、直撃インタビューされている!
 ね、面白い編集の本でしょ!
 裏表紙入れて82ページでこの値段とは「ちょっと高い」と思われるかもしれないが、実はこの本、広告は「4年後へ向けての英会話レッスン」の1ページしかない!(僕が先に「ミニコミ誌」と書いた理由だ)
 ね、ラグビー大好き女子たちが「イングランド大会の素晴らしさを細かなところまで伝えたい」「これを日本らしく浸透させて日本大会も成功させたい」って心の底から願い、手弁当的に作った本であることがわかる(サッカーW杯に比べてラグビーW杯はまだ手づくりの余地が残されている気がする。気がするだけだけど)。
 どうぞ、買って読んでみてください。
 3年半後には札幌ドームでもゲームが行われる。その日本大会を成功に導くためにも。もう準備は一部始まっているということでしょうね(笑)。
 そうそう、例によって表紙は五郎丸ポーズです!!
posted by Kato at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月05日

さっぽろ冬物語

 札幌座「さっぽろ冬物語」(原作ウィリアム・シェイクスピア「冬物語」、脚色・演出・音楽斎藤歩)を2月5日(金)、札幌・大通公園西5丁目の英国グローブ座雪像特設ステージで見た。
通常上演時間3時間の芝居をエッセンスに絞り込んでの15分間! それでも“痩せ衰えた”感じがしないのがすごい。むしろ短いけれど、いや短いがゆえに物語のテーマが熱く立ち上がる。北海道弁が飛び交うなど遊び心がいっぱい凝らされた超絶の時間だ。僕が見た開幕ステージは終演時の北電本店の温度計が氷点下2.1度。実に寒かったけど面白かった。上演は11日(木)まで、午後に1日4、5ステージで合計31ステージ。新たな伝説の始まりだ。
もちろん入場無料。シェイクスピア芝居の入門編としても最適だろう。
 寒い国、暖かな国の住人を色で対照的に表現する衣装が贅をこらして見事。札幌座は旧TPS(シアタープロジェクトさっぽろ)だった10年ほど前に「冬物語」を上演したが、その時の衣装だ。それが時を経て再びお目見えする。斎藤に当時から今回の雪まつりプロジェクトが頭にあったかを確認したが、「なかった」とのことだ。次はいつ再演されるかわからない。貴重なこの時に見ておくのがよいだろう。
 極寒の中の芝居として「歴史上最も低い気温の中で上演されたシェイクスピア劇」として、ギネスブックに申請してもいいのでは! もし通れば、北海道の演劇史上、画期的だ。
 上演の回によって英、韓、中3カ国語と台湾の言語の字幕がついたり、スマートフォンに字幕を配信する画期的な試みが行われている。詳細の問い合わせは北海道演劇財団電話1(プッシュホン)011・520・0710へ。
 あす以降のタイムスケジュールは次の通り。
 開演は6(土)、7日(日)が午後1、4、5、6、6時45分。8日(月)が午後3、4、5、6、6時45分。9(火)〜11日(木・祝)が午後4、5、6、6時45分。
 僕もアイスキャンドルの火がはっきりと浮かび上がる、より遅い時間の開演のものなど、何度も足を運ぶ予定だ。

 札幌座はカンパニーの代表作「亀、もしくは…。」(原作カリンティ・フリジェシュ、脚色・演出・音楽斎藤歩)も6(土)、7日(日)と9(火)〜11日(木・祝)に上演する(8日休演)。こちらは入場料3000円。
posted by Kato at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

札幌座「亀、もしくは…。」会場が漏れていました。

 すみません!
 札幌座「亀、もしくは…。」の会場は札幌市教育文化会館小ホールです。
posted by Kato at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雪まつりの雪像上で札幌座「さっぽろ冬物語」上演!

 通常上演約3時間かかるウィリアム・シェイクスピアの「冬物語」を、札幌座が「さっぽろ冬物語」(脚色・演出・音楽斎藤歩)として超絶の15分で、さっぽろ雪まつり期間中の5(金)〜11日(木・祝)、大通5丁目会場の英国グローブ座雪像特設ステージで上演する。
 観覧無料。
 英、韓国、中国、台湾の4カ国語の字幕をスマートフォンに配信する画期的な試みにも挑戦する。
 問い合わせは北海道演劇財団電話1(プッシュホン)011・520・0710へ。
 日程は次の通り。
 開演は5日(金)と9(火)〜11日(木・祝)が午後4、5、6、6時45分。6(土)、7日(日)が午後1、4、5、6、6時45分。8日(月)が午後3、4、5、6、6時45分。

 札幌座はカンパニーの代表作「亀、もしくは…。」(原作カリンティ・フリジェシュ、脚色・演出・音楽斎藤歩)も4(木)〜7日(日)と9(火)〜11日(木・祝)に上演する。こちらは入場料3000円。
posted by Kato at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はじめまして、札幌。はじめまして、「らまのだ」です。

 リーディングライブ番外公演・さっぽろ編「はじめまして、札幌。はじめまして、『らまのだ』です。」を1月31日(日)、札幌・「お茶とギャラリー 今日の月」で見た。「らまのだ」というのがカンパニー名。由来はなんだろう? 尋ねるのを忘れた。

 上演されたのは三つの作品で、いずれも「らまのだ」の南出謙吾作、森田あや演出(だと思う。これも確認し忘れ、いかん)。3本目は公演前日に書き上げたという新作。1、2本目に出ているのは札幌演劇人。3作合わせて上演時間50分かな。

 1・「ちゃんとした夕暮れ」(小林テルヲ、飛世早哉香)仲良く食事をする女子高生と中年男性。二人の関係は一体…。間違いだらけの中年男性の、間違いながらも切実な想いは、届くのか?
 2・「天気予報をみない派」(小松悟、中塚有里)十数年ぶりに再会したかつての恋人。長い年月は二人の間に静かに立ちはだかる。だんだんぬるくなっていくコーヒーとともに甦る、はかなく懐かしい時間。
 3・「ひとりぶんの嘘」(南出謙吾、森田あや)お酒の陽気に任せてたくさん嘘をついてしまった。漠然とした不安とさみしさは、ほんのひとときの波なのに。

 初めて出逢うカンパニーなのになんだか懐かしい。昔の友達的に懐かしいというのと、なんだか馴染む、なつくなというなつかしさと。見触り耳障り(は普通、好ましくないものに使うけど、ここでは肯定的に)手触り肌触り、そうしたものがなにか、いい。心地よい。僕は一回逢っただけで好きになってしまった。というのが言い過ぎだとしたら、気になってしまった。

 1、2はこの順番で連作、と素直に受け止めた方がいいのだろう。日常のどこにでも転がっていそうな情景がとても愛おしく感じさせられる作劇。村上春樹のごく初期の「午後の最後の芝生」(「中国行きのスロウ・ボート」所収)とか、上質の短編小説を思わせる終演。好きです。

 新作3、南出、森田の役者としての力量に目を耳を見張った。すごい。相当な実力派だ。心を胸を熱く揺さぶられた物語。出来たてだからか未完成だからか、ぷつんとした幕切れが切ない。心の中で泣く。

 観客の感想をもとにどんどん物語を膨らませたり、ブラッシュアップしたりするのだという。というカンパニーは数多いのだけれど、「らまのだ」は本当にそうしてくれている気がする。

 大事な情報を忘れていた。南出は「終わってないし」で2015年度・希望の大地の戯曲「北海道戯曲賞」優秀賞を受賞。僕はこの日はこの前に前年度の大賞受賞作品「悪い天気」を見た。きっと「らまのだ」のお二人も前日か前々日に「悪い天気」を見たのではないかな。

 教室の一番離れた所に座っている気になる女の子のとてもすてきな表情を発見して、うれしくなった気分になった観劇。
 小さな芝居、小さな時と場を大切にしようと思う。

 シアターZOO幹事として帰りがけに南出に「リゼット」への応募を勧めたのだけれど、札幌の劇場としてならレッドベリー・スタジオが似合いそうなカンパニー。
 そういうポエティックなカンパニーが札幌演劇界からは減ってしまった気がする。だれか、知ってるよ!という方がいらっしゃったら、こんど教えてください。よろしくお願いします。
posted by Kato at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

悪い天気

 2014年度・希望の大地の戯曲「北海道戯曲賞」大賞受賞作品「悪い天気」(作藤原達郎、演出前田司郎=五反田団主宰)を1月31日(日)、札幌・かでる2・7ホールで見た。
 悪い天気の夜に、男と女が公園のベンチでおしゃべりをします。女が夢の話をします。男はあまり聞いていません。そこに眼鏡をなくした男が現れます。外灯の調子が悪くて、チカチカします。天気はどんどん悪くなります…(公演時配布のパンフレットより〜いやあ、書いていて、ほんとに過不足なく物語のあらすじそのものだなあと感嘆する、よくまとまったいい文章だ)
 出演は男に山谷怜、女に土屋梨沙、眼鏡をなくした男に中藤奨。

 3日間にわたり3ステージ上演され、僕が見たのは千秋楽だったが、この作品ほど知り合いの方々から「加藤さん、どう見た? どう思った?」と尋ねられた芝居はない。そう聞いてきた方たちは決して観劇初心者ではないのだが、いちように自分が抱いてしまった感慨が、いや自分がある感慨を抱いてしまったことが心底不安だったり、ある種の高揚感を持たれたりしていたようなのだ。
 「全然面白くなかったな」と思った人は、演出の前田がパンフレットに「これは第一回北海道戯曲賞の大賞に輝いた大変権威ある作品ですので、『つまらないなあ』とお感じになったとしたら、もしかすると観るほうに問題があるのかもしれませんね」などと寄せたコメントを読んで、「やっばいな、俺、観客としてどっかに問題があるのかあ」なんて焦って、僕がどう見たかを慌てて聞いてこられたのかもしれない。
 逆に「すごく面白かった」という感想を抱かれた方は内心「加藤って、演劇に携わったことなんて一度もないのに、劇評ブログなんて十年も続けて、演劇の審査なんかもやって偉そうにしてるけど、これわかんないようじゃこんごは認めないな、影響されないな」などと、ほくそ笑んでおられたかもしれない。
 それほどに「僕がどう見たか」「どう感じたか」を聞かれることが多かったので、「こりゃ責任重大だな」ということが頭をかすめたのだが、最終的には「ま、熟睡しなきゃ、いい芝居だろ」程度の無責任を伴って、僕は会場に足を運び、いつものように最前列に座ったのだった(この日は最前列は暗幕で覆われていたので、実際には2列目)。
 さて…

 面白くなかった、ある場面以前は、ちっとも全然。
 面白くなった、ある場面以降、がぜんものすごく。
 ある場面とは、雨の降り始めである。
 そして「雨」、だけが面白かった。
 それは前田の演出の力を思い知ったということである。

 本作は昨年2月に北海道演劇人によるリーディング公演があり、僕も見たが、雨の記憶はない。
 パンフレットの最終ページには本作出演者の1人が傘を持って写っているが、雨が小道具として降った記憶はない。リーディング公演でもあることだし、金のかかる雨の小道具の登場は見送られたのだろう。

 そうして1年をへての本公演での小さな豆を使った「雨」。
 これに、僕は、胸を、突かれた。面白く、なった。むしろ、爽快、だった。
 豆が舞台の床に落ちて、高く、はねる。本当のような雨音がする。目をつぶれば、本当に雨が降っていると思ったかもしれない。
 雨に感動した芝居は初めてかもしれない。紙吹雪による雪の芝居は数え切れないほど多いけれど。
 雨、そのものに、雨音、そのものに感動したのだ。
 だからこの際、物語なんて、どうでもいい。
 上演1時間の間中、豆の雨が降っていれば感動するか?と問われれば、おそらくしないと思う。
 どうでもいいような、思い切ってすべてはしょってもいいようなそれまでのシーンがあっての、残り10分程度となっての、満を持しての雨だったから胸を打ったのだと思う。
 そう考えれば、小道具に感動した舞台というのも初めてかもしれない。
 しかも誰の思いも託されたのではない、男女3人の外側からきたもの、いわば天災としての雨なんてものに。そんなこともあるのだなあ。
 やはり、芝居は奥が深い。
 またひとつ僕は新たな観劇体験をした、といえば大袈裟だけど。
 そんなところでいかがでしょうか?
 僕の感想に興味を持たれた方々…。

 実はこの日の観劇で芝居以上に感動したことがあったので、それを紹介してパソコンの文字を打つのをやめる。
 それは僕の三つ左隣に腰掛けた、まだ小学生未満かな、少女の存在だ。
 彼女はお母さまと来ていたようなのだが、劇の進行に従っての表情がとても豊かだったのだ。
 最初は両手を膝の上に置いて黙って見ていたようなのだが、なんらかの場面から、芝居の妖精が彼女の耳元でささやき始めたのですね。
 僕がちっとも面白くない場面でも「きゃはははは」と声を上げて笑ったり、手を叩いて笑ったり。幕が掛けられていた最前列の背もたれに両肘を乗せてその上に顎を乗せて…などと実に多彩な楽しみ方をしていた。
 劇の中途からは「この子、この場面はどういうふうに見るかな?」って、劇そのものより女の子の反応を楽しんでいた。
 そして雨の場面…「うわあ!」なんて声を出すかと僕が勝手に思っていた彼女はとても神妙に見ていた。
 芝居の妖精が芝居の神様に換わったのだろうか?
 劇の終わりにはとても元気に笑顔で拍手していた。
 彼女、この、もしかしたら観劇初め、一生の宝物になるかもしれないなあと僕は思う。
 芝居によっては年少者の入場を制限しているものもあるからね。
 でもよかったなあ、よかったかなあ、よかったっていつまでもかみしめてほしいなあ。
 20年後、71歳の僕が足を運んだ芝居で、彼女はヒロインを演じているかもしれない。
 その日を楽しみに僕は生きる。
posted by Kato at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする