2016年01月31日

カラクリヌード

 札幌ハムプロジェクト「カラクリヌード」(脚本・演出すがの公=2009年初演)を1月30日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 近未来、地下採掘工場で働くロボット・ゼロ助(村上友大)は人間の女性・リコ(傍嶋史紀)に恋心を抱くが、彼女は人間の恋人・権藤(飯野智行)との結婚を控えていた。法律が変わり、外国の戦場へ徴兵されたゼロ助の中で「何のために働くのか」という疑問が大きくなって行く。やがて彼は敵の残骸で自身を改造、醜い殺戮絡繰兵器となりつつも、愛するリコを奪還するために地下六千メートルを掘り進み日本を目指す。(札幌演劇シーズン2016冬のチラシに役者名など加筆)
 出演はほかに天野ジロ、フルサキエミ、渡辺ゆぱ、セガワケイ、中江聡、山村鯨太、すがの公。
 清水友陽、弦巻啓太、橋口幸絵とともに「札幌座四天王(ディレクター)」(僕の造語です)をなす、すがの公(通称ハム)。前項で書いた弦巻がリーディングヒッター(首位打者)タイプだとすれば、ハムは僕にとっては凡打もあるが当たった時の飛距離は特大なホームランバッターだ。
 で、本日の「カラクリヌード」はホームラン。泣けたよ。
 「え? そうかなあ? これが?」と思う方も多いかもしれないが、僕はきょうこの作品に世界の融和への揺るぎないユートピア志向を見た。
 この、どうしようもなく危うい橋を、危うい政権がわたっている現在において。それは初演のころには抱きもしなかった感慨であって、時代が、世界が、この危うい作品世界に近づいて来ちまったってことはどうしようもなく危ういことなんだけれども。だから、いまこの危うい時期にこそ見ていただきたいと切望する。
 群としての動きの切れ味がよく、一方で個としての動きの繊細さにも目を引かれる。札幌と東京(札幌ハムプロジェクト★東京支部)と両方に拠点を持っていることの意味がきょうの芝居でわかった。札幌を東京から見る、東京から札幌を見るという、複眼の視点を得ていることがいま、ハムの強みになっていると確信した。
 周縁から徐々に中心に迫っていく感じの演劇構造はラヴェル「ボレロ」にも似て、わくわく感を高めること請け合い。真っ黒な素舞台に真っ黒な衣装、小さないくつかの発光体が時にパントマイムか舞踏、舞踊のように観客の「想像力=創造力」「思いの入り込む余地」を刺激する。
 この芝居を円山公園かどこかでテント芝居で見てみたいと思った。ラスト、テントの奥が開けてその向こうに一筋の光があったときの…ああ、想像しただけで泣けてくる。それほどに未来へのユートピア志向が強く、期待を抱かせるのだ。
 僕たちはこの危うい世界の中で、一筋の道を探りながら生きていかなければならない。
 そんな重い心持ちの方はぜひ、この芝居を見て、ハムに話しかけてみてください。
 
 札幌演劇シーズン2016冬については次のHPをご覧ください。
 http://s-e-season.com/
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2016年01月30日

ユー・キャント・ハリー・ラブ!

 弦巻楽団「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」(作・演出弦巻啓太=2005年初演)を1月30日(土)、札幌・コンカリーニョで見た。
 「恋愛は幻想に過ぎない」が自説のシェイクスピアが専門の大学教授、奥坂雄三郎(おうさかゆうざぶろう、松本直人)は、ある日、ラジオから流れる気象予報士・冬樹里絵(岩杉夏)の声に「恋」をする。初めての感情に戸惑い、周りが見えなくなる奥坂は、これまでの持論を放り捨て、ひたすら恋に向かって暴走する! 教え子(遠藤洋平)や姪で助手兼秘書(深津尚未)、取材に来た雑誌編集長(小林なるみ)を巻き込んだ遅すぎる初恋は、はたして成就するのか?! ウェルメイドコメディの決定版!!(札幌演劇シーズン2016冬のチラシに役者名など加筆)
 初演は同じ琴似の小さくてかわいいレッドベリー・スタジオだった。いまより舞台が狭いから、セットも小さかっただろう。そこから大切に愛おしむように再演を繰り返され、4演目となる今回は大きな劇場で10ステージ中、半分が前売り完売になった。隣家、あるいは親戚の子どもの成長を見守ってきたようで、おじさんもとてもうれぴ〜。
 弦巻啓太は「一人演劇シーズン」ができる希有な札幌演劇人である。
 宣伝の言葉にあるように、弦巻はまことにウェルメイドな作家だ。三つの言葉を与えられて舞台を創りなさいという課題を与えられたなら(例えば「汚職」「痴漢」「北方領土」とかね)、おそらく弦巻は札幌演劇界の中で最も早く最もおもしろい、観客受ける芝居を創る手練れなのではないか。
 ウェルメイドという言葉はとかく「安っぽい」という値踏みにつながりかねないが、弦巻にあってはその心配はまったくない。コンスタントに70点、あるいは80点以上の「商品」を創り続けている「有印良品」な演劇人なのだ。それは先にも書いたように札幌演劇界にあって希有な存在と言えよう。
 試みに、弦巻の「一人演劇シーズン」を僕の好みでセレクトしてみる。
 まずは翻訳者渋谷哲也氏が瞠目したライナー・ヴェルナー・ファスビンダー「ブレーメンの自由―ゲーシェ・ゴットフリート夫人 ある市民悲劇」 (ドイツ現代戯曲選30) の演出があろう。現存した女性毒殺魔の物語だ。これは飛び抜けての100点満点。
 続いて3本柱(以下はいずれも弦巻の作・演出)。切ない愛おしい恋物語「果実」、本作「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」、近松浄瑠璃を織り込んだ出世作「死にたいヤツら」。さらに僕は、弦巻はなかなか再演してくれず幻の名作になりつつあるのだが「センチメンタル」を選ぶ。
 前置きが膨大になった。表題作の魅力を要点で読み解く。
 本作で触れられるシェイクスピア作品は弦巻によれば15点以上。それらを知っていれば、知らないよりは確実に隠し味になる。つまり本作は、より広大な芝居の世界へ一歩を踏み出そうとする人への後押し、応援歌でもあるのだろう(演劇人というより、なお観客への)。
 松本の大学教授は4演目にして初々しい。
 初々しい松本の大学教授が恋をするのだから、岩杉の初々しさは言わずもがなである。
 二人の初々しさをいっそう引き立てるのは、編集長の小林だ。終演後「なるみ、良かったよ」と握手した小林は以前から知っていた女優だが、あらためてその体躯の「小ささ」に驚いた、きょう、さっき。あまたの舞台や、映画「そこのみにて光輝く」で大きく熱くある程度の重みをもって感じられる小林は、やはり大女優なのだと実感する。うまい表現が思いつかないが、とりあえず「札幌演劇界の寺島しのぶ」並の「演技派」であることは間違いない。
 ウェルメイドコメディの基本だが、明るく軽やかな弦巻演出である。この軽やかさが、とかく「シェイクスピア作品って暗くて重そうじゃない?」との懸念を払拭する。おそらくシェイクスピアさんも墓の中で舌を巻いているであろう明るさであり軽やかさなのだ。
 弦巻は確実に正統なシェイクスピア作品の案内人である。
 
 きょうの舞台は年配の観客が目立った。どうしたことかと弦巻に聞いたところ、札幌えんかんが年間プログラムの一環に今回の演劇シーズン5演目中2演目を選べるようにしたのだとか。とってもいいサポートだ。札幌の演劇が「シーズン」から「イヤー」に、そして「オールタイム」になるきっかけではないか。

 札幌演劇シーズン2016冬については次のHPをご覧ください。
 http://s-e-season.com/
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2016年01月28日

熱海殺人事件・訂正

第五段落に誤りがありました。訂正します。

大音量の音楽ときらびやかな証明→大音量の音楽ときらびやかな照明
posted by Kato at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

熱海殺人事件

「熱海殺人事件」(作つかこうへい=初演1973年、1974年に岸田國士戯曲賞を当時最年少の25歳で受賞、演出いのうえひでのり )を1月27日(水)、札幌・道新ホールで見た。

 「熱海で工員の大山金太郎(中尾明慶)が女工・山田アイ子(愛原実花)を絞め殺したという」取るに足らない事件を刑事たちがそれぞれの美学を犯人に押し付け、何とか「捜査のし甲斐ある」「哲学的な意味のある」事件に育て上げようとする物語。木村伝兵衛部長刑事(風間杜夫)と片桐ハナ子(愛原=2役)、新任刑事・熊田留吉(平田満)と富山の女性。そして、大山とアイ子との愛。三者三様の愛憎劇が絡みあい、哀切な人間ドラマを展開してゆく。決して色あせることのない永遠の名作である(以上、コープさっぽろ文化鑑賞会パンフレットより)。

 まさに同パンフにある通り、「演劇史上に燦然と輝く伝説の舞台」である。それを、つか(1948年4月24日〜2010年7月10日)のオリジナルキャストである風間、平田、さらには、つかの愛娘である愛原で見られるという僥倖。僕は胸が高鳴り、心の中で落涙を禁じ得なかった。
 単純な芝居気狂いに育って本当に良かった。

 実は2015年12月13日(日)に東京・新宿は紀伊國屋ホールという、つかの本拠地で、ツアー開始間もないこの芝居を見ている。でも出来は断然、きょうの道新ホールが良かった。紀伊國屋では体調的に良くなかったのか、風間の声が大音量の「白鳥の湖」に負け続けるなど、いまひとつの出来だったと思えたのだ。期待が大きかっただけに「こんなはずじゃ」と嘆きまでしてしまったものだ。そして紀伊國屋公演のチケットを購入する際には明らかになっていなかった道新ホール公演。これはまさに伝説の傑作の名に恥じない出来栄えだったと思う。死後5年以上経って、ようやく、つかを心の底から悼むことができた。

 大音量の音楽ときらびやかな証明、いのうえによりおそらくは「口立て」も継承されたであろうかの饒舌。そこには紛れもなく“つかこうへい以前(第一世代)”でも“つかこうへい以後(第三世代)”でもない“つかこうへい”がいた。

 なんだかきょうはうれしすぎて、まだそれほど言葉が言葉として浮かんでこない。
 だから札幌の櫻井幸絵さん(劇団千年王國代表・橋口幸絵)のフェイスブックに付けたコメントをもって、感動の言葉に代えたい(文中の「君」とは櫻井さん)。

 正直、君の劇評というもの、いや、君が他の演劇作品について肯定的にも否定的にも言及した言葉を読んだのは初めてじゃないだろうか。
 君ほどの札幌演劇界のトップランナーの一人をしてこれほどのリスペクトを寄せられる伝説の舞台を、同じ時と場で目撃、体験でき、なおかつ同様の感動に胸を揺さぶられたこと、その奇蹟的な瞬間を味わえたことに、この上ない幸運な永遠の一瞬、一瞬の永遠を感じずにはいられない。
 まこと、すてきだったね。

 つかさん、僕はあなたに逢うのが遅すぎた。
 でもあきらめてはいないよ。
 札幌にも櫻井さんのようにあなたをリスペクトし、あなたに一歩でも近づこうとしている演劇人がたくさんいる。
 そうした志ある人たちと僕は一緒に歩んでいく。
 芝居を愛していく。
 待っていてください。
 みな決して追いつけはしないだろうけれど、きっとあなたと同じ風景を見る。
 違う場所から。
 百人百様に。
 さようなら、つかこうへいさん。
 そして、いつまでも心の中に。
 合掌
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2016年01月22日

平岸我楽多団

 HTB「平岸我楽多団」を1月22日(金)1時20分に見た。面白かった。
 札幌演劇界の実力派イレブン☆ナインの女優3人、小島達子、上總真奈、生水絵理が居酒屋で周囲に恋に行き遅れた感をびしばし発しながら「男は見た目?内面?地位?」についてマシンガントークを繰り広げる30分。
 納谷真大が脚本を書いていて、ここではホームグラウンドであるイレブン☆ナインの芝居とはひと味違うスピード感が心地よい。
 深夜帯の大人の時間だから、下ネタにも話は及ぶが、年長である達っちゃんがちょっと恥ずかしそうな素振りをしていたのが可愛くてご愛きょう。
 もたいまさこ、室井滋、小林聡美の「やっぱり猫が好き」(1988〜91年)を思い出す。
 いいもの見たな。
 なんか次週は違う趣向のようだけど、これはこれで積み重ねていってほしいなと思える。
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2016年01月18日

つれづれなるままに ♯16 「美談」の裏を見極めたい

フェイスブック・ページ「たった1人の女子高生のために存続された日本の“駅”に海外から称賛の声が続出」

 というJR北海道の心温まる話、美談(FBの記事です)を、だれかがさらに感動させようという美談にフレームアップしようと事実を捏造し歪曲した疑いが浮上した。
もうコピーするのは捏造再生産になるだけなので、それを僕が検証した部分だけをアップします。

 ○○さん(冒頭のページをシェアされた方)、こんにちは。
 このビジュアルが拡散されたことで、不届きな自称カメラマンが大挙現地に押しかけて彼女に写真モデルまがいのポーズ、シチュエーションを演出しているらしく、現地在住の方が「静かにしておいてくれませんか」ってすごく神経使って下手にSOS出していましたがね。
 海外から称賛の声って、あの「中国」ですよ。
 もうこれ以上の拡散はやめて、いま拡散している人は削除すべきではないかと思うのですが。
また、実態としてもJR北海道はこの女子高生一人のためにこの駅、路線を存続しているようではないようです(どこかのFBでこの記事を検証し批判されている文章を読んだのですが、あいにくどこだったか忘れてしまいました。彼女が使うこの駅の存続はたまたまの「ついで」のことだそうです。つまり彼女を送迎するためだけの運行ではないということ)。
 留萌線などの生活路線廃止を視野に入れているJR北海道が、方や一人の少女のためだけに駅を、路線を存続するという「美談」があり得るでしょうか?
 この「美談」が手放しの「美談」として取り上げられることを、僕は最も恐れています。
 留萌線利用者の反発も相当なものでしょう。
実はきょうも12時間後からの夜勤なので時間があるのにまかせて、よく調べてみました。そうしたら、驚くべき事実の捏造が浮上しました。
 この画像の元ネタの「+4」をクリックすると、「いい話」の舞台(使われている写真)は1日2本(1往復)の上白滝駅だということがわかります。
 一方、旧白滝、下白滝は1日4本(下り1本、上り3本)で、北海道新聞では昨年7月22日に掲載された記事で旧白滝駅から遠軽高校に通う高校生を取材していて、「旧白滝で乗り降りしている人は自分以外にほとんどみかけない。私が卒業したら廃止になるかもしれないと聞いていた」とのコメントを掲載しています。
 彼女はテレビにも取材されているようですが、利用しているのは1日4本が停止する「旧白滝駅」なのです。
 遠軽高校によると、上白滝駅や下白滝駅からの通学者はいないとのこと。
 時刻表を見ると、下り列車は遠軽方面へ7時台の列車が1本で、確かにJRが配慮していることはうかがえます。
 でも旭川方面の列車は3本あることがわかります。
 つまりこの「美談」は一部メディアによってはいっそう脚色された「美談」として伝えられている節があるのです。
 感動の物語にも、周到に作り込まれた嘘と、巧まずしてそうなった本当との二つがあるように思います。
 新聞記者として、自戒を込めて「美談」に付き合っていきたいと思います。
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2016年01月17日

つれづれなるままに ♯15 「時代の変化に乗り遅れがちな日本」経済新聞さん、お疲れさまです


 日本経済新聞さんの1月13日朝刊1面コラム「春秋」に、なんだか「すてきうれしい感動」とは真逆のベクトル感情が湧いたので、ご紹介します。

 人生で最も後悔したのは何か、と問われ、英歌手デビッド・ボウイは「自作の『すべての若き野郎ども』を他人にあげてしまったことだ」と振り返ったことがある。弟分バンドのモット・ザ・フープルの代表曲となり、洋楽名曲百選のような企画でよく取り上げられる。

▼自分でヒットさせておけば、ロックの伝説としての名声は一層高まっていたに違いない。すでに大スターなのだから1曲くらい惜しまなくてもよいではないかという気もしたが、その飽くなき貪欲さが成功の秘訣のひとつだったのだろう。自作曲の将来の売り上げの証券化にいち早く取り組むなど商才にも結構たけていた。

▼「火星から来た宇宙人」を名乗り、ウルトラマンをまねたような扮装(ふんそう)で歌い踊る。子供だましと言えばそれまでだが、怪獣特撮ものやコスプレなどの日本のサブカルチャーを世界に広める大使的役割を担ってくれたことは忘れてはならない。本人も日本が気に入り、飛行機嫌いなので船に乗ってまで来日したこともあった。

▼アルバムを出すごとに曲調が全く違い、見た目も変化した。昔からのファンをがっかりさせることもあったが、常に変わり続けることで新たなファンを獲得してほぼ半世紀、芸能界の最前線に立ち続けた。最新作の発売は亡くなる2日前である。時代の変化に乗り遅れがちな日本の経営者は、そこにもよく注目してほしい。

 「子供だましと言えばそれまでだが」の部分さえなければ、「さすが日経。こういう経済的な視点で文化を捉えられるのか」ともなりそうですが、まさにその部分を書いてしまったがゆえの致命傷。
 日経にとって文化は、超大企業の節税策、お目こぼしとしての善意にしか映らないのでしょうね。
 図らずも欧米超大企業の文化メセナへの不理解をも想像させるコラム。
 やっぱり日経は日本企業の御用聞きなんですね。
 「時代の変化に乗り遅れがちな日本」経済新聞さん、お疲れさまです。
 
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つれづれなるままに ♯14 新聞記者2年未満の僕が撮った顔くび写真

僕が道新で初任地・木古内支局にいた時、渡島管内福島町出身の男性漁船員の船が南洋で沈没して彼が行方不明という情報が入った。
札幌本社からの情報で僕は彼の福島町の実家へ行った。
ご自宅にはお母さんが一人でいて、まだ沈没の事実をご存じなかった。
玄関の壁に息子さんが乗船する、まさに沈んだ漁船の写真が額に飾って張られてあった。
僕は知る限りの事故の情報を伝えたうえで、「たくさんの方に息子さんのことを知っていただき、無事を願っていただくために」などとうまいことを言って、顔くび写真を撮らせてくれるよう頼んだ。
当時はまだ1人死亡の自動車事故などでも顔くび写真が載る時代だった。
お母さんはさして疑いもせずにアルバムを玄関まで持ってきて、複写させてくれた。
僕はそのお母さんと、釧路に残す自分のお袋のことを思いながら、世間話までもした。
新聞製作までにはまだ時間的余裕のある午後のことだったし、すぐに帰ったら、なんだか顔くび写真だけを撮りに来たようで、とても悪い気がしたからだ。
そうこうするうちに車でここまで1時間以上かかる函館から新聞社他社や通信社、NHKなどテレビ各局の記者が来た。
僕の知らない記者ばかりだ。
テレビ局はカメラをお母さんに向けて回した。
やばいな、と僕は思った。
みるみるお母さんが不機嫌になり、不安になっていくのがわかる。
泣き出した。
「ごめんね、お母さん」
そう心の中でつぶやきながら、与えられていた仕事のすべてを終えていた僕は一人だけその家を辞去した。
いまでも忘れられない、入社2年未満の出来事。

僕がさしたる苦労もせずに複写できた顔くび写真は翌日の朝刊に掲載された。
息子さんの水死体は発見された。
地球的規模では広い南洋で米粒以下と思われる遺体の発見は幸運なことと言えるのかもしれない。
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2016年01月16日

つれづれなるままに ♯13 今朝の朝刊に思った新聞とSNSの微妙な関係

 今朝の北海道新聞、朝日新聞両紙を読んで「なるほど。その手があったか」と虚を突かれた。
 軽井沢バス転落事故で亡くなられた被害者の顔写真=新聞業界用語では「顔(がん)くび写真」という=のことである。
 名前とともに(フェイスブックから)(ツイッターから)(高校HPより)(高校ラグビー部のブログから)(友人提供)とある。このうち冒頭の「虚を突かれた」というのは、昔ながらの入手方法である(友人提供)=加藤注・被害者をよく知る人からの直接的な入手。実はこれが記事を書くより何倍も苦労することが多い=を除く4ルートについてだ。
 「ちょっと大丈夫かな?」と一瞬、懸念が頭をよぎりもした。
 大丈夫か?というのは、プライバシー保護の観点から昨今、顔くび写真の掲載が減った現状の中で、載せても大丈夫か? 亡くなられたご本人、ご遺族のご意向を無視していいのか?ということでは、この際、ない。
 なぜなら、少し乱暴な言い方をすれば、死者はいずれも生前、フェイスブック=承認した「友達」とのみのやりとりが主体という点ではクローズドサーキット的だが、見ず知らずの人からの「友達」申請は一切承諾しないという人はどうやら少数派のようだ=やツイッター、HP、ブログに自らの顔を出すこと自体には否定的、消極的でなかったと推定されるからだ。
 大丈夫か?というのは、端的に言えば「その写真、本当に彼? 彼女?」という点。もちろん、顔くび写真が「入手しやすくなった」分、裏取りの確認はこれまで以上に慎重に行われていると思いたいのだが…万が一の取り違えは許されない仕事だ。
 まさか、僕のフェイスブックの顔写真を見て、「この加藤浩嗣って死者、チェ・ゲバラに瓜二つだな」と思いつつ使ってしまうおバカな記者さん、メディアさんはいないと思うけれどね(笑)

 ※・顔くび写真について、僕(51歳)は道新入社当時、掲載することによって読者に死者への思い、追悼を増すことで、事件事故の再発への意志を促す、といった説明を受けていたように記憶する。それでもプライバシー保護の観点から、当時よりはよほど、顔くび写真を掲載する事件事故の規模についてはずいぶん引き上げられたようだ。
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2016年01月12日

つれづれなるままに ♯12 生を受け半世紀+1

 2016年1月12日、51歳になりました。
 この世に生きて半世紀を過ぎました。
 あっという間だったな。
 つらいこともあったけど、いまは楽しい思い出でいっぱい。
 これからも一つ一つ積み重ねる。
 村上春樹さんも67歳の誕生日おめでとうございます。
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つれづれなるままに ♯11 シルヴィ・ギエムはジャンヌ・ダルク

 1月11日(月)、NHKの21時のニュースで、バレエダンサー、シルヴィ・ギエムがインタビューを受けていた。
 映像は彼女と彼女が踊る「ボレロ」。
 「人間は(さらなる高み、地平へ向かうために=僕が言葉を補足したが、こうしたところだろうと思う)闘い続けなければならない」と熱く語る彼女は、ジャンヌ・ダルクそのものだった。
 ギエムの前途に幸いあれ!
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2016年01月11日

つれづれなるままに ♯10 野坂昭如氏を悼む

 前項の追記

 まこと野坂昭如氏は慧眼の人であった。
 合掌


 訂正
 前項は♯9でした。訂正します。
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つれづれなるままに ♯8 「日本国」として「JAPAN」として

 読む方によっては嫌な印象を受けるかもしれない文章だが、事実を書くように気を付ける。

 昔々、もう25年は前のことになると思うが、討論ならぬ言いっ放し合い番組「朝まで生テレビ」の「日本はなぜ五輪でメダルを取れなくなったか」という旨のテーマの回で、当時はまだ元気でいらっしゃった作家の野坂昭如氏がおおむね以下の趣旨のことを述べていた。
 〜それを解消するのは長期計画なら簡単。六本木でブラック・アメリカンと遊んでる女の子たち(当時はまだ「ガングロ」という種族は出現していなかったと思う=注・加藤)に、どんどんハーフを産んでもらえばいい〜
 番組で共演者からの反応は冷笑だったり「やばいやばい」という感じだった。
 でも時が経って、いかがだろう。実際に進行しているのは、そうした国際結婚(結婚には至らない例も多くあろう)によるハーフの日本人の増加。そして、特に「見た目の違い」が目立ってしまう彼ら彼女らのずば抜けた身体能力による「日本国」のスポーツ面での活躍、再興なのである。
 陸上競技しかり、先にW杯が行われたラグビーしかり。
 僕はこの傾向を決して否定的に捉えていない。そういう「時代」なのだと思っている。
 今回のラグビーW杯でいえば、常々、JAPANに外国出身選手が多すぎる(先の大会では31人中10人)と現状を酷評していた(邪推だが、エディーさんの次の次あたりのHCを狙っていた)清宮克幸氏が、リーチ主将をはじめ外国出身選手が「君が代」を高らかに歌い、南アフリカを撃破した際にはNHKのスポーツニュースで大粒のうれし感動涙を流し、自説を撤回した。
 また箱根駅伝では数十年も前からアフリカ出身の留学生が大活躍しているのは誰もがご存じのことだろう。
 そうなのだ。
 例えば私の母校である大学が箱根駅伝でランナー10人が全員アフリカンで優勝してもうれしさは少し減じるが(実際には各競技とも外国出身選手は人数制限があるので、そんなことにはならない)、いまや日本国のスポーツは外国出身選手の力を借りることで活性化し前進しているのである。
 また意外にも「国民的スポーツ」プロ野球などはいち早く外国出身選手、特にブラック・アメリカンを引き入れた競技である(言うまでもなく、僕の大好きだった阪神タイガースのブラック・アメリカン「木枯らし紋次郎」こと=打席に立つ時にいつも爪楊枝を咥えていた。若い方には信じられないでしょ? こんな個性=カークランド選手のことが念頭にある)。
 そうした現象の進展を快く思われない方ももちろんおられるだろう。おそらくは心情的にライト・ウイングに位置される方は特にだ。
 でもどうなんだろう。大和民族だけの「日本国」で後塵を拝していくのを我慢するだけか、血は薄くなっても「JAPAN」として期待を次代に託すべきか。
 ラグビーは今回のW杯で、もうそこをクリアした競技だと受け止めた上で、2020年の東京五輪については考えどころなのである。
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2016年01月10日

つれづれなるままに ♯8 ラグビーW杯2019年日本大会で、JAPANは2分の1の確率で札幌ドームで試合をするという驚きのうれしい事実!!!!!

なんとラグビーW杯2019年日本大会で、JAPANが札幌ドーム(収容人数41410人)で試合をする確率が僕自身が予想していたより高そうだという話。
 きのうトリプルデートの前に買った「がっつり! ラグビー」(日本文芸社。444円+税)という雑誌を読んだら、競技場キャパには定めがあり、ティア1(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、イングランドなど強豪10カ国)同士の対決と開催国日本の試合は収容人数4万人以上に決まっているのだそう。
 日本大会の開催地は12カ所。
 開幕戦のJAPANは東京スタジアム(調布市。49470人)と決まっていて、JAPANの予選プールは残り3試合。
 で、この開催場所は札幌ドームと横浜国際総合競技場(72327人。決勝戦はここで開催)、小笠山総合運動公園エコパスタジアム(静岡県袋井市。50889人)、豊田スタジアム(愛知県豊田市。45000人)、大分スポーツ公園総合競技場(40000人)のどれかなんだ。
 つまり、実に5分の3!
 いや、赤字必至とされる収益面を考えて横浜でもやらないはずはないから、4分の2なんだろう、つまり2分の1。
 これって、うれしい意味で実に超やばくない?!
 札幌でJAPANが観戦できるかもしれないっていう、この確率5割という数字!?(僕的には、地理的事情を鑑みて、札幌、大分が裏当確ではないかとにらんでるんだけど…)。
 なんだか、がぜんチケット獲得への意欲が高まってきたなあ。
 2019年の札幌市長と北海道知事には誘致運動を進めていただきたい!!

追記
 あらためて考えたら、なんのことはない、札幌ではJAPANがゲームをしないとしたとしても、ティア1のゲームが必ず組まれるってことじゃない。こりゃすごいことだな。できることならベストスリー(オールブラックスかワラビーズ、スプリングボクス)を! 
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つれづれなるままに ♯7 1時間半かかるルーティン

 年頭に、僕のルーティンはなんだろう? なににしよう?と考えていたんだけれど、実は昨年9月末からずっと続けていることに気が付いた。
 言わずもがな、ラグビーJAPANの南アフリカ戦の映像を見ること。
 おかげでずっと心身ともに好調を持続している。
 大学の後輩の五郎丸選手はじめ「道産子」リーチ主将とか、みんなに感謝感謝だ。
 僕のルーティンは1時間半かかるけど(笑)「流し見」でもわかる領域に入ってきたから大丈夫。
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2016年01月09日

つれづれなるままに ♯6 わかって楽しいラグビー観客心得

いまもまたラグビーW杯、JAPAN対南アフリカ戦の録画を見てる。
観戦専門のラガーマンだけど、札幌ドームでも3、4戦は行われるだろう2019年の日本大会に向けて、いま思ってる観客心得を書いておこう。
@応援するチームはブレイブ・ブロッサムズ(JAPANの愛称)でもオール・ブラックス(ニュージーランド代表の愛称)、ワラビーズ(オーストラリア代表の愛称)、スプリングボクス(南アフリカ代表の愛称)でもいいけど、対戦相手チームも同様にリスペクトして好プレーには称賛を贈ろう。
ラグビーは「紳士のスポーツ」であり、試合が終われば「ノーサイド」と言って「敵も味方もない」というのが伝統。その王道に乗っかろう。
Aスタジアムでは日本人ばかり固まって座らずに「大漁旗」も振り回さずに〜19年日本大会はサッカースタジアムを利用するところが多いようだけれど、少なくとも僕が、見る側が一番、サッカーとは違いを見せたいと思っているのがこれ。
サッカーは各ゴールの後ろに双方のサポーターがそれぞれ陣取って「大漁旗」のようなばかでかい旗を振って応援することが多いけれど、実はどちらのチームの応援というのではなく純粋にラグビーを愛するファンにとっては目障りなんじゃないかな。イングランド大会でも国旗はみんな小旗だった。
それに「ノーサイド」の後、日本人だけじゃなく世界中のラグビーファンと興奮を分かち合った方が感動が増すんじゃないかなとも思うんだ。
まあ大会実行委がチケットをどういう方法で販売するかにも関わってくるんだけれどね
Bラフプレーには容赦なくブーイングを〜W杯からラグビーを見始めた人が周りには多いけど、よく質問されるのが「どうしてラグビーの選手はサッカーの選手に比べてレフェリーに文句を言わないの」ってこと。
これは@で書いたようにラグビーが母国で「紳士のスポーツ」とされ(サッカーは対照的に「労働者のスポーツ」とされる)「ノーサイド」の精神が深く根付いているから。つまり「ノーサイド」となれば、同じラグビーを愛する仲間同士なんだな。
そしてレフェリーはラグビーの国際統括団体「ワールドラグビー(WR)」のルールブックによれば、試合を支配する「マッチオフィシャル(その試合を公的に代表して支配するもの)」。ルールブックはレフェリーを「唯一の事実の判定者」と規定しているんだ。
そうしたレフェリーの「支配下」にある選手が判定に抗議しない(できない)のは当たり前というわけだ。
ただ、ラグビーのレフェリーは試合中によくしゃべるよ。たとえば「(背番号)3番、それ以上、前に出ないで」とか「そこでは手を使っちゃダメ」とかね。
ラグビーにおいてレフェリーは「唯一の事実の判定者」である一方、反則が少ない、フェアで楽しいすてきなゲームをつくろうともしているんだ。最近はレフェリーがマイクを付けているゲームが多いので、テレビ中継でその指示が聞こえることも多い。
あす10日(日)、ちょうど全国大学ラグビー選手権決勝、帝京大(7連覇がかかってる)対東海大(「道産子」リーチ主将の母校)が放送されるから、ぜひとも見てみてください。
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2016年01月05日

つれづれなるままに ♯5 ラグビーJAPAN=高倉健…って、その心は

きのうは夕刊だったから早く寝たけれど、きょうは朝刊の19時出勤なので、リズムを調整するためもあって、またラグビーJAPAN南アフリカ戦をみてる。もう250回にはなる。毎回泣いてる(笑)。
もし人間界より上の何者かがさじを加減した試合だったのだとしたら、これほどスポーツの醍醐味を知っている何者かはいないだろう。
なにせ得点経過からしてそう。80分間のうち、JAPANが3回だけリードする場面があるが(前半の五郎丸の先制ゴール、リーチ主将のトライ&ターンオーバーと後半冒頭の五郎丸のペナルティーゴール)、あとは南アにリードされてはJAPANが追いつく、決して追い越さないという展開。そうしてなんとか耐えながら食らいついていって最後の最後に大逆転してそのまま終わるんだ。
あ、と思ったら、さっき画面に「終」の文字が僕にとっては浮かんだ。
そうだ、そうなんだ、そうだったのか! 
このJAPAN南ア戦は実は東映任侠映画だったんだ! そう、高倉健主演の。「死んでもらいます」ってやつ。耐えて耐えて、最後に斬る。
そうだったのかあ!
それに気付くと、なぜこんなにJAPAN南ア南ア戦が僕にしっくりくるのかがよくわかった。これなら日本人の琴線に触れるわけだわ。興行収入で絶対、東宝を抜けない東映、ラグビーの階層でティア2に甘んじているJAPAN(ティア1は英国4協会とかなので、絶対、上には行けないと思うけど)。これは二重写しになる。
ラグビーJAPAN=東映仁侠映画。この発見は評論家としての自分としても痛快だな。
あ、東映の関係者さん、絶対このゲームを映画化しないでください。
ええっ、やっぱり目先の金目当てで映画化したいって?
絶対にこけます。このゲームはどんなドラマになってもゲーム自体に劣ること必定!
posted by Kato at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

2015アワード・欠落分の追加

 読者と当該カンパニーのみなさんにお詫びしなければならない。
 8月の公演時に「北海道演劇の宝」賞を贈ると告知していた作品を落としていた。
 ブログを克明に読み直さず、手帳と記憶に頼っていたための欠落。
 謹んでお詫びの上、訂正いたします。
 申し訳ないので、公演時の劇評を前売り情報など不要な部分を除いて全文掲載します。
 
 実験演劇集団「風蝕異人街」の「『青森県のせむし男』」〜肉の墓を背負って闇を歩く〜」(作寺山修司、演出・潤色こしばきこう)を8月2日(日)、札幌・シアターZOOで見た。
 寺山作品ならではの試みで、一句詠みます。
 夏盛り胸にぐさりと刺さって傑作
 本来なら大晦日に発表する「シアターホリック(演劇病)アワード」の最高賞・「北海道演劇の宝」賞に決定!! おめでとうございます。
寺山が主宰した劇団「天井桟敷」の旗揚げ公演作品(1967年)。大正家に仕えていたマツ(堀紀代美)の産んだ赤子は背中に墓石を背負ったようなせむし(三木美智代)であった…。母と子の怨念、生まれてきたこと自体の哀しさ。男と女の性の情念の世界。(以上、チラシより)
 風蝕フリークの僕としては当然期待していたが、ここまですごい作品になるとは正直、想像していなかった。それほど、すべてを説明しすぎずに身体で魅せて、見る側の「想像力=創造力」を刺激してやまない。見る側の「思いの入り込む余地」が、説明したがりのこしばとしては(笑)十二分に担保されているのである(「かっこ」内は、素晴らしい作品をたたえる際の僕の常套文句)。
そして言わずもがななのだが(笑)、当日配布のパンフレットで、こしばが演出の意図を説明しすぎていないのがなによりいい!! 今後もこの程度でお願いします。
 僕が薄っぺらい劇評を長々と書くより、出演者の名前を紹介することで読者の方々の胸に刻まれることの方が豊かで多いと最近思うようになったので、そうする。
 三木美智代(ここ数作、いつも以上に乗ってるね)、堀紀代美(“紀代美節”、冴えています)、平野たかし、斉藤秀規、小山由美子(フリー=作品に欠かせない脇役を好演。いつも僕の体調を気遣ってくれてありがとう)、栗原聡美(劇団新劇場=色艶満開。新境地を開いたのでは)、国門綾花(COLORE=女学生トリプルキャスト(ほかに柴田、小池のうち、僕が見た2日昼のステージは彼女)。役者は観客を感動させる存在であって、自ら感動して泣いてしまってはダメ、観客が引いてしまう。でもきょうの、叙情があふれ出して我慢できなくなっての一筋の涙は許す=偉そうだけれど、32年間、芝居を見続けてきた僕の持論。抜群に良かった。特に「せむし」三木との二人芝居は近松浄瑠璃的美学を思わせ秀逸。あやちゃん、本当に良かった。役者としてワンランク上がっていたよ)、柴田知佳(劇団アトリエ)、小池瑠莉(劇団resonance)、町田良介、汝、小林利津子、岡田有香、福田泰子、西條よし江、九十九銀礼、祓川さをり、倖田直機。
 演奏はジャンベ・石橋俊一、薩摩琵琶・黒田拓、二胡・凛子。この三者がまたすばらしい。変に遠慮してしたてに出て役者陣に合わせるのではなく、堂々と主張してこそ演技、ひいては作品全体を引き立たせている。映画なら小樽出身の名匠・故小林正樹監督「怪談」(1964年、原作小泉八雲)での音楽担当、故・武満徹を彷彿とさせる仕事ぶりだ。圧巻、圧倒的なのである。
posted by Kato at 02:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする