2015年06月27日

ルル

札幌座「ルル」(原作フランク・ヴェデキント「地霊・パンドラの箱−ルル二部作」(ドイツ)=「地霊」1897年、「パンドラの箱」1904年だが、「地霊」1895年とする資料もあり=、翻訳岩淵達治、演出橋口幸絵、音楽嵯峨治彦、振付東海林靖志)を6月25日、札幌・シアターZOOで見た。
貧民街で新聞編集長のシェーン博士(清水友陽)に拾われたルル(坂本祐以=劇団千年王國)は、彼の愛人になりながらもシェーン博士により初老のゴル博士(すがの公)と結婚させられる。ルルの少女のようなあどけなさと奔放な色香に魅せられた写真家のシュバルツ(渡邊豊大)もまたルルに言い寄るが、浮気現場をゴル博士に見つかってしまう。激高したゴル博士は心臓麻痺により死に、シュバルツがルルの二番目の夫となるが、彼女の悪魔のような本性を知り絶望のあまり自殺してしまう。シェーン博士はルルから逃れるため良家の令嬢と婚約するが、息子(山口健太=箱人会議)とルルの関係を疑い、嫉妬に狂った博士はルルにピストルを向ける……。
出演はほかに木村洋次、山本菜穂、市川薫、亀井健(劇団coyote)。上演時間2時間弱。
上演中、ずっと鳥肌が立っていた。なにより、ルルこと坂本のコケティッシュで奔放な小悪魔的存在に魅了され、一方でジェットコースター芝居とでもいうべき、ルルの波瀾万丈の人生の軌跡に心を焦がしていた。坂本=ルル、エロティックさといい、男たちを手玉に取る悪女のありようといい、なんともぴったりの配役だ。
清水、すがの、渡邊をはじめ彼女を取り巻く俳優たちも脂がのっていて楽しい、うまい。
「悪女」といえば札幌座の次回公演、同じドイツのR.W.ファスビンダー原作「ブレーメンの自由」(演出弦巻啓太)のゲーシェ(宮田圭子)を思い出す。ルルとゲーシェ、この2人の悪女っぷりのすさまじさ。今回「ルル」を見て、8月には「ブレーメンの自由」を見て、ドイツ的悪女の悪魔的魅力を堪能するのもいいだろう。
「ルル」は終盤、まさにジェットコースター的に流転する。この小悪魔的悪女の行き着く先に思いが先走る。そうこうする中での切り裂きジャックの出現。なんなんだ、これはいったい?
終演後の初日乾杯で演出の橋口と話した。橋口はラスト、ルルは死んだつもりで演出したという。でも僕にはルルは死んでいないと見えた、思えた。復活したのではないか、と。なぜか? 芝居全体が「夢魔」の世界のようであるからだ。全編が見る人を惑わす夢の世界のように思えるからだ。決して、見ていて心楽しいだけの夢ではない。悪夢かもしれない。けれど、どこまでも魅惑的なことは確かだ。おそろしく、かつ心を惑わす悪魔的な夢。そうした夢を見られることは日常生活ではめったにない。ぜひ、ごらんあれと願う。
めくるめく嵯峨の音楽、東海林の振付、エキセントリックで底なし沼的な美術(高村由紀子)も舞台効果をいっそう高めている。
開演は28日(日)14・18時、29日(月)19時、30日(火)14時。
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2015年06月16日

「半神」で情けない訂正

 6月14日の劇団アトリエ「半神」で、題名、文中に「半身」とあるのは「半神」の誤りでした。
 なんとも情けない訂正。久しぶりの執筆で気が緩んでいたか。
 コメントで指摘してくれたアトリエ代表の小佐部明広くん、ありがとう。そして申し訳ない。
posted by Kato at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月14日

半身

 劇団アトリエ「半身」(原作・脚本萩尾望都、脚本野田秀樹=「夢の遊眠社」時代の1986年初演、演出・脚色小佐部明広、振付柴田知佳)を6月14日(日)、札幌・シアターZOOで見た。遊眠社の初演を見ている僕は小佐部がどんな球を投げてくるのか楽しみだったが、期待以上の出来栄えに大満足。終演後、トイレで一緒になった小佐部(音響を担当)にすてきな芝居への感謝の言葉をかけ、地下の劇場を出て地上に上がり、中島公園の北海道神宮のお祭りの露店のおいしそうな香りをかいで、大通公園そばの道を歩きながらYOSAKOIの賑やかな音を聞き、徒歩で帰宅してテレビをつけると、日ハムが移籍してきたばかりの矢野謙次選手の3ランで逆転勝ちした。なんともうれしい休日。これでまた翌日から元気で働ける。
 醜いが頭のいい姉・シュラ(柴田)と、美しいが頭の弱い妹・マリア(びす子)。ふたりの体はくっついていて、1つの心臓を共有しながら生きていた(加藤注・いわゆるシャム双生児姉妹)。ある日ドクターが彼女たちの死を告げる。彼女たちを救うには1年と24時間の分離手術を施さなければならない。しかし分離手術で生き残ることができるのは片方だけ。生き残ったのは、シュラか、マリアか。そして、切り離された半身はどこへ行ったのか。
 出演はほかに(家庭教師の)先生に小山佳祐、2人の両親に伊達昌俊、本吉夏姫、老数学者に遠藤洋平、アンサンブル的な役柄としてスフィンクスに信山E紘希、ハーピーに茎津湖乃美、ユニコーンに有田哲、マーメイドに女池祥子、ガブリエルに山木眞綾。
遊眠社(シュラ=円城寺あや、マリア=竹下明子=まったくの余談だが、野田の最初の奥さま)が88年、90年と再演し、90年夏にエディンバラ国際演劇祭に参加した芝居。遊眠社解散後の99年に野田地図がシュラ=深津絵里、マリア=加藤貴子で再演した。
今回の観劇に当たり、録画していた99年のBS放送を再見したり、86年の初演を思い出したりしたが、小佐部は99年バージョンを採用したようだ(「ニコニコ動画」では両方見られます)。
出演者11人とも若いが、演技の長短がそれほどなく全体に安定していて、時に力強く時に繊細に演じられ、見る人にぐいぐい伝わってくる。細かなところもないがしろにしない小佐部演出の訴求力はぐんと増したのではないか。本公演は小佐部がジャンル分けする「名作劇場」の5作目だが、こうした「脚本は折り紙付き」という高みに挑んで、それをなんとかかんとか自分のものにしてしまい、「伝える」「伝えきる」というのはとても良いことだし、大切なことだ。そうしたいわば“勉強”がオリジナル作品の出来栄えにも必ずや反映していくだろう。その意味では数年前、劇団パーソンズの畠山由貴ちゃんも清水邦夫の傑作戯曲「楽屋」に挑んで見事な成果を上げたし、札幌の若手実力派劇団といわれるカンパニーの関係者はとても謙虚で、道を踏み外さず、今後がとても頼もしい。僕が常々書いていることだが、創り手と観客の「創造力=想像力」を構築することは本当に大切だと思う。
なによりもうれしいのは12日(金)からの全6ステージが前売り完売だったとのこと。小佐部によれば、アトリエ初らしい。野田と同時代人と思われる僕ら世代の方々も大勢見えたし、評判を聞いてか、きょうも当日券が出ていた。芝居の世界はとかくとっつきにくいと思われがちだけれど、良いものを提供すればちゃんと人は見てくださるものなのね。
小佐部、柴田、小山、有田、伊達の「アトリエ・ファイブ」にあらためて感謝。賛助出演の皆さんもお疲れさま。とてもとてもすてきな芝居でした。
小佐部、「オイル」プロジェクト、期待しています。それにやっぱり、柴田、小山、有田、伊達の「赤鬼」は見たいなあ。
posted by Kato at 19:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする