2015年01月27日

木に花咲く

 劇団新劇場「木に花咲く」(作別役実=「木に花咲く 戯曲集」(三一書房所収)=1981年、演出山根義昭=2009年初演)を1月24日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 満開の桜の木の下で酒を飲む老婆のもとに、頭に包帯を巻いた少年が現れる。おばあさんっ子の少年は学校でいじめにあっているという。老婆の娘の夫は入婿で二人の夫婦仲に亀裂がある。少年をめぐって対立する老婆と父と母。そして亡き祖父の不思議な語りかけ。
「一度だけ。ここに来たことがあったよ」
「アリを殺すのを手伝ってくれてね」
 少年はどこへ行こうとしているのだろうか?(以上、チラシより)
 大学時代から「不条理演劇」と言われる別役作品は大好きで(僕は特段「不条理演劇」だと思ったことはないのだが)、自分が芝居に関わっているわけでもないのに、授業をサボっては大学構内にある演劇博物館で別役の戯曲集を借りて読んでいた(アルバイトを掛け持ちしても、演劇、映画を見まくっていたので金が足りなくて、実際に劇場で見られた別役舞台の本数はそう多くない)。ただ、この作品については知らなかった。寓意性、寓話性が特徴だと思っていた別役作品にしては、リアリズムの度合いが強く思えた。山根の演出の色なのかもしれない。
 パソコンで読める「図書新聞」(2012年11月10日)に、別役本人が「私にとっての昭和」と題して文章を書いている。この作品に関わる一部を引く−。
 五十四年(加藤注・1979年)に世田谷で『朝倉少年祖母殺害事件』、五十五年に川崎市高津区で『金属バット殺人事件』があり、「家庭内暴力」の時代となった。「家族」というものが、既に崩壊しつつあったということをあからさまに示し、同時に、反体制に向かっていた「学生運動」のような衝動が、内向しはじめていたことを示すものと言えるであろう。「体制に向けられていた悪意が、家庭に向かい、次には自分自身に向かうことになるだろう」と言われていたが、まさしく情勢は、そのように進行しつつあったのだ。
 私は、『朝倉少年祖母殺害事件』を材料にして、『木に花咲く』という芝居を書いた。今、振り返ってみると、少年の眼でも、少年の親の眼でもなく、祖母の眼で事件を振り返っていることに気がつく。つまりここまでくると、「昭和」という時代を確かめるよりどころとして、我々は、この事件の「祖母」の立場に立たざるを得ない、ということであろう。
 −以上。
 「昭和」という時代−1971年を舞台とした劇団イナダ組「カメヤ演芸場物語」(@コンカリーニョ)と本作とが札幌演劇シーズン2015冬の演目として同時に上演されているのは単なる偶然かもしれない。でもその偶然はとても貴重で有意義な同時性だと思う。
 「昭和」という時代、ひいては行く先の見えない現代を考察する意味においても、「カメヤ」と本作でコンカリとZOOをはしごし、過去と現在、未来に思いをいたすことには大きな意味があると僕は思う。
 A、B2パターンの配役だが、斉藤和子は主役の老婆(祖母)役を全公演で熱演している。
 札幌演劇シーズン2015冬については http://s-e-season.com/ をご覧ください。
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2015年01月26日

カメヤ演芸場物語

 劇団イナダ組「カメヤ演芸場物語」(作・演出イナダ=2004年初演)を1月25日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。
 物語は昭和46年(1971年)。秋から冬にかけての浅草にある演芸場。劇場のことがさっぱり分からない支配人。学生上がりの進行係。婚期が遅れた事務員。仲が悪いトリオ漫才師。惚けた落語家。喧嘩ばかりの夫婦漫才師。下手くそ過ぎる奇術師。一癖も二癖もある者達ばかり。ある日、学生運動の一斉検挙があり一人の若者が演芸場に逃げ込んでくる……。「亀谷ミュージック劇場(ホール)」の続編にあたる作品。 劇団イナダ組が贈る、昭和人情物語!!(以上、チラシのあらすじに「1971年」のみ挿入)
 「亀谷ミュージック劇場」(2002年)は札幌・道新ホール公演を見ているから、てっきり本作も見たことがあると思ったら、どうやら初見だった。04年11月初演とのことだから、その年7月に小樽に異動した僕はきっとなんらかの事情で見られなかったのだろう。
 新鮮で、なのにどこかとても懐かしかった。
 「新鮮で懐かしい」とは、矛盾をはらんだ言葉だと思われるかもしれない。でも、そういう温かみを宿した芝居として僕の胸には染み入ってきた。
 時代設定は僕が6歳のころ。「そうそう、そうだった、そうだった」と、全編うなずく場面がいっぱいだ。学生運動など、時代が若く燃えていたあのころの、演芸場に生きる人たちならではの人情、温もり。でもそれは僕の記憶では、あのころの市井の人たちにも共通するものだ。物語に寄り添いながら、あのころはきっとそうだったんだろうなと、僕などは幼少時の身の回りの経験をなんとか思い出し、あるいは想像しては新鮮な懐かしさに浸る。イナダならではのギャグを織り込みながらの流れるような語り口のうまさとサービス精神を大いに堪能し、武田晋をはじめ藤村忠寿、ツルオカ、山村素絵、能登英輔、赤谷翔次郎、山田マサル、氏次啓らの芸達者ぶりに安心して身も心もゆだねる。
 そしてふと思った。このころ、1971年にはまだ生まれてもいなかったご両親のお子さんたち(20歳くらいまでの方)は、この情感たっぷりな、ある意味では良い意味で「べた」とも言える、いかにも「昭和」の一断面を切り取った大衆的な人情物語をどう楽しんだのだろう。
 日本人の笑いのツボ、人情、温もり……は変わっているだろうか、引き継がれ、受け継がれているだろうか。変わっていてもそれは当然であり、時の流れなんだろうけれど、もし本当にすっかり変わってしまっていたなら、どこかちょっと寂しい気もする。感傷的に過ぎるかな。
 札幌演劇シーズン2015冬については http://s-e-season.com/ をご覧ください。
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2015年01月21日

デイヴィッド・コパフィールド

 札幌座「デイヴィッド・コパフィールド」(原作C・ディケンズ、翻訳中野好夫、構成・演出清水友陽)を1月18日(日)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 清水が構成・演出を手がけた札幌座の初演2012年版(同年12月4日に劇評掲載)の全64章を再構成、「がらがらぽん」して作り直した作品だ(だから「初演を見たから、今回はいいや」とは思わずに、別物として見ていただきたい)。僕には初演時とはまったく違って見えた。そして今回の方がしっくりきた。一部の出演者が変わったから、だけではないだろう(初演21人→今回18人)。時を経て、清水や出演者らの読み込みが深くなり、小説を演劇化する際の章の取捨選択と描き方がより的確になったのかもしれない。初演時は各シーンの展開が素早く、台詞や動きを追うだけで精いっぱいだった印象があるが(つまり各シーンに感動しているいとまがなかった)、今回はそうではなかった。それに初演会場のシアターZOOより横幅の広い劇場で(奥行きは同じくらいかもしれない)、それを左右、中央と有効に使い分けてシーンを展開した演出の妙が感じられた。
 主人公のデイヴィッドは初演時と同様、加齢とともに3人が演じ分けた。少年期=堀田結→青年期=信山・E・紘希→壮年期・佐藤健一。それぞれが過去・未来の自分を見つめる場面があったりして、演劇的趣向に富む。初演で青年期のデイヴィッドを演じた成田愛花が今回はデイヴィッドの母と妻を演じるなど、初演を見た観客だからこその面白さも隠されている。もちろん初演を見ていなくても十分に面白いと思う。
 デイヴィッドの保母などを演じた小島達子が脇役ながら特によい。昨年はプロデューサー、演出家(僕は入院中で見られなかった)として新たな才能を開花させたが、もともと「突貫(小僧)女優=過去に演じた役柄を見ての僕の造語です」として芝居を回していくのに長けた人である。だからといって自分が目立つのではなく、相手役を引き立てることのできる人だ。初演時には配役されていなかったと思うが、今回の起用はまさに的確だったと思う。
 デイヴィッドの異性の親友アグニスなどを演じた高子未来もすてきだ。ここ4、5年の札幌座での好調を持続している。僕は彼女が旧TPS(現札幌座)研修生時代からのファンで、ここ数年の活躍はとてもうれしい限りだ。「こういう女性に密かに好意を持たれていたらうれしいな」と僕が思うような役を実に魅力的に演じた。押すでもなく引くでもなく、自然体で通している。
 ユライヤ・ヒープ役の弦巻啓太もぬるぬる感が良かった。初演時の亀井健さんにも勝るとも劣らないぬるぬる感。3月、東京・下北沢での演出家コンクール、期待しています(結果のいかんにかかわらず、エントリー作品の札幌公演もしてね。お願いします)。
 忘れてならないのは、ちょっと頭が足りない感じの役を好演した山野久治。この役柄、初演時にはだれが演じたのか覚えていないのだが、こういう脇の脇の役柄を大切にしないと、2時間10分という(札幌演劇としては)長めの演劇は成功しないのではないか。隠し味である。
 今回の公演、実はデイヴィッド本人というより、彼を取り巻く周辺の人々をいっそう丁寧に描写することで(漁師ダンを演じた、すがの公、しかり)、冒頭に書いた、初演時よりしっくりきた感じがしたのではないだろうかと思っている。
 音楽は札幌座チーフディレクター斎藤歩が担当。臨場感を引き立たせていた。よく彼のブログを読んでいるが、忙しい中での創作、お疲れさまでした。
 終演後、深川市在住の松井哲朗さんと劇場近くの居酒屋で、本公演の成功と僕の退院祝いを兼ねて一献傾けた。
 本公演を見て、僕はある名作戯曲の公演演出を清水に提案したいと言うと、松井さんも「あ、それは100%賛成する。お願いしようよ」とおっしゃる。きっと清水の微に入り細をうがつ演出なら、だれもが心に留め置きたい、感動という言葉を超えてしまう舞台になるだろう芝居。楽日にもう一回見た後に、その演目を清水にそっと打ち明けようと思っている。
 札幌演劇シーズン2015冬については http://s-e-season.com/ をご覧ください。
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2015年01月12日

ガベコレ−garbage collection

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。
 今年の観劇初めは1月10日(土)、札幌・シアターZOOでの極東退屈道場(大阪)「ガベコレ−garbage collection」(作・演出林慎一郎、振付原和代)。
 大阪の都市計画をダンスやビデオ、スライドを交えて批評的に描いた作品、とでも言えるだろうか。ノアの方舟についての言及があるなど、21世紀のこれからの創造をイメージさせる内容でもあった。全体的には、もう一つ突き抜けてほしいなという感じはしたのだけれど。
 当初から大阪と札幌での公演が計画されていたので、昨年9月の上田文雄札幌市長による2026年冬季五輪への札幌市の立候補表明記者会見なども場面としてつくられていた。終演後に聞いたところ、札幌市から記者会見の資料を取り寄せ、北海道新聞記者らによる質問も再現したとのこと。よく取材されているな、とは思った。
 きょうは私の50歳の誕生日。
 新たな気持ちでこれからを過ごそうと決意した次第。
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