2014年12月31日

2014アワード・訂正の訂正

訂正部分で間違えました。
▽札幌座「秋のソナチネ」
人が何かを食べながら一人亡く場面が→一人泣く場面が

まったくなにをやってるんだか。間違え癖だけは直っていないようです。すみません。
posted by Kato at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014アワード・文字化け直し

「2014アワード」の中にいくつか文字化けが出てしまいました。
わかる範囲で直しておきます。
ごめんなさい。
▽劇団アトリエ「ピータァ・フック」
演劇をやっている人々はなにを考えているのか。この公演を最後に
▽札幌表現舎プロデュース「名医先生」
とても良いものだ。
▽「風蝕異人街」の「THE BEE」
こしばならではの解釈で
▽Theater・ラグ・203「さよならと言う前に To say Good bye is to lead to Heaven a little」
これこそ村松のニヒリズムの極点とも言おうか。
▽札幌座「西線11条のアリア」
ウィキペディアによると文法的には不正確とされているが、
▽札幌座「秋のソナチネ」
人が何かを食べながら一人亡く場面が
▽yhs「つづく、」
末代に「つづく、」ものとして「時」を生きていかなければいけない

それでは。
posted by Kato at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014アワード

なんとか命拾いした2014年ももうすぐ終わる。
“独断と偏愛に満ちた”「2014アワード」を発表する。
今年の観劇数は80本(同一作品の複数回観劇を含む)。本数がもともと少なく推移していた上に、11、12月は入院していたため1本も見られず、昨年より49本減った。100本を割ったのは21世紀になって初めてだ。観劇日の順に挙げていく。
◇シアターホリック「奨励賞」
▽intro「言祝ぎ(ことほぎ)」(作・演出イトウワカナ、観劇日1月19日(日)、札幌・コンカリーニョ)。新しい年を祝いたくても祝えなかった“三姉妹”の再生の物語。設定は奇抜とも言えるが、力まない自然体の演出と語り口で、物語がすーっと自然に身の内に入ってきた。人の再生はほんの小さなきっかけでよいのだなと思える、すてきないじらしいラスト。こういう小さいけれども切実な応援歌が病み上がりの僕にはいたく染みる。   
▽札幌座「ダニーと紺碧の海」脚本ジョン・パトリック・シャンリィ、翻訳鈴木小百合、演出橋口幸絵、1月26日(日)=Bチーム=彦素由幸、榮田佳子、2月2日(日)=Aチーム=谷口健太郎、山本菜穂、札幌・シアターZOO)。見終えて約1年後の感想を本当に短くまとめると、B=要を得てコンパクト、A=ダイナミック、そうしたところになる。もちろん両チームともそれぞれに魅力的だった。たった一晩の永遠。僕にも訪れてほしいと思うことしきり。
▽劇団アトリエ「ピータァ・フック」(作・演出小佐部明広、3月2日(日)、札幌・シアターZOO)。劇団自身をモデルにしたと思われる演劇カンパニーを舞台に、劇中劇、劇中劇団を巧みに描いたメタシアター(メタシアターとは僕なりの解釈では「演劇についての演劇」「演劇について考えさせる演劇」)。ある道内カンパニーが2014年3月、3年後に再び札幌にやってきて、3年前と同じ作品を上演する。演劇をやり始めた頃のあの根拠のない自信はどこにいったのか。3年後、団員の多くは座付き作家の作品をつまらないと感じるようになっている。彼らはいったいどうして演劇をやり続けているのか。演劇とはいったいなにが面白いのか、演劇にかかわることはどれだけ大変なのか、演劇をやっている人々はなにを考えているの��
�。こ
の公演を最後に、彼らはそれぞれの道を歩み出す。演劇をやる現代の若者たち、大人になりきれない人々をドキュメンタリー調に描く。世阿弥が残した能楽用語「離見の見(りけんのけん)」が効いていた。いまや演劇、アートの領域を超えて、人生を生きる場面についても応用されている言葉だと思うが、そうした、舞台で演ずる(人生を生きる)自分たちを、自分たちから離れた所から客観視する目が生きていた。そうした冷静な目で、決して声高にではなく自分たち演劇人のそれぞれの過去と現在、未来、つまりは歩みを描くことで、この作品は演劇カンパニーをも超えて、何かに打ち込む、人生を懸ける、どうしようもなくそうしてしまう人たちの在りようを描いた作品として普遍性を獲得したのではないか。
▽柴田智之一人芝居「寿」(作・演出・出演柴田智之、音楽烏一匹(sax)、トーコ(dr、key)=ともにムシニカマル)、5月6日(火)、札幌・レッドベリースタジオ)。柴田が福祉施設(老人ホーム)で働いた経験を基に創作した芝居(40分)+舞踏(30分)。精神はどこまでも果てなく自由だ。柴田の入魂、鎮魂−。それがあくまで押しつけがましくなく、全体的にユーモアをたたえて表現されたことに深く胸を打たれた。
▽札幌表現舎プロデュース「名医先生」(作ニール・サイモン=1973年、演出Mr.Oyaji=山野久治?、6月14日(土)、札幌・シアターZOO)。出演者が良い意味で渋く確かな芸達者ぞろいで、上質な演劇だった。 ロシアを舞台に、役者5人(山野久治、松橋勝巳、小林エレキ=yhs、小出あつき、屋木志都子)が何役もこなす短編7話のオムニバス形式の芝居。今年還暦を迎えた山野の節目を飾る舞台として企画されたらしい。ニール・サイモンらしいペーソスとユーモアに満ちた、人生の機微を感じさせる佳品に仕上がっていた。役者渾身の全力投球という芝居ももちろん見応えがあるが、出演者それぞれのこれまで生きてきた人生をも映し出すような、全力投球というよりは緩急を交えた、滋味あふれるこうした舞台もとても良い�
��の��
�。
▽実験演劇集団「風蝕異人街」の「THE BEE」(原作筒井康隆「毟りあい」、共同脚本野田秀樹、コリン・ティーバン=ロンドンバージョン2006年初演、日本バージョン07年初演、演出こしばきこう、6月28日(土)、札幌・シアターZOO)。ロンドンバージョンによる作劇。まさに暴力の連鎖、エスカレート、最後には、うまい言葉が見つからないのだが、「自業自得」。まるっきり「核の抑止力」という言葉でもって地球を何度も破滅させられるまでに至った冷戦下の大国を見ているようだ。良く言えば「異化効果」、換言すればどこかではったりを効かすことが多いこしばだが、本作では野田のオリジナルに忠実に表現したように思う。僕としては、ラストに映像と音で現れ、何かを象徴する「THE BEE(蜂)」を、
こし�
��ならではの解釈で、劇中もう少し多用しても良かったように思う。力作だった。
 ▽弦巻楽団「アンダー・ザ・レインボウ」(作・演出弦巻啓太、7月6日(日)、札幌・シアターZOO)。チラシには「(結団以来の)第20回記念公演は、原点に立ち返るスリラー・コメディ」とあったが、僕には「サイコ・サスペンス・スリラー」に思えた。まあ、どちらの言い方にしてもよくできていた。見ているうちに、肌がぞわぞわ毛羽立つ。95分間、過不足がないし、行きつ戻りつ、あるいは一気の矢印的転換の自在にもよく目配りが利いていて、見応えがあった。
 ▽星くずロンリネス「キンチョーム−I Wanna Be Your Boyfriend−」(作・演出上田龍成、教文短編演劇祭2014・予選8月16日(土)、決勝8月17日(日)、札幌市教育文化会館)。後輩の女の子への愛の告白を計画した男が、緊張を解く薬「キンチョーム」を飲んだため、副作用で「さ行」が話せなくなるというコメディー。「星くず」らしくスライド文字も巧みに使った劇作。20分を過不足なく使った手際に拍手。
▽Theater・ラグ・203「さよならと言う前に To say Good bye is to lead to Heaven a little」(作・演出村松幹男、9月7日(日)、札幌・ラグリグラ劇場)。荒廃した近未来のうらぶれた女郎屋。「不思議なもんだよな。アレが起きて世の中はこんな風になっちまった…」。「延びろ 延びろ 天まで 延びろ 『私は死ぬんだね?』 そうすりゃ いつかは 天国へ」。人を動物を、街をも消し去る「アレ」の正体は不明なまま、物語は進行する。女郎のレイ(萬年わこ)を駆け落ちに誘う女衒(村松幹男)。そうした中、この女郎屋も「アレ」の渦中に…。「アレ」を、「3・11」後に代表される、混迷の奈落へと落ち込み行くような今日的状況と捉えることもできよう。芝居は一見、救いようのない絶望だ。これこそ村松のニヒリ�
��ム��
�極点とも言おうか。けれども滅び行くものたちの向こう側に、ニヒリズムの深い霧の彼方に、かすかに希望の灯はともっているようでもあった。
 ▽劇団パーソンズ「深爪に愛。」(作・演出畠山由貴、9月20日(土)、札幌・シアターZOO)。よくぞここまで徹底した、というほどの救いのなさがむしろ見事だった。終演後、しばし客席に腰を置いたまま、絶望的な気分に襲われた。芝居全体が「生」と「死」を象徴する劇作。であればこそ、芝居の最初と最後の大音響の音楽やレーザー光線みたいなものは、僕には場違いに思え、なくもがなと感じた。
▽古典劇上演集団「テアトロ・マアルイ」(母体は実験演劇集団「風蝕異人街)の「声〜La Voix humaine〜」(作ジャン・コクトー=1930年初演、演出こしばきこう、9月28日(日)、アトリエ阿呆船)。上演時間63分という短時間に凝縮された「彼」との熱愛、そして「彼」に新たな恋人ができたがゆえの別れ。劇的などんでん返しがあるわけではないが、かつて幸せの絶頂にあった、そして今や絶望の淵に立たされた女(堀紀代美)の狂おしいまでの嫉妬、執念、悔恨、悲哀、諦観が如実に浮き彫りにされ、心をいたく打った。
◇道外カンパニーの道内公演賞
▽笑の内閣(京都)「ツレがウヨになりまして。」(作・演出高間響=北海道出身=2012年初演、2月15日(土)、札幌・シアターZOO)。愛国心を問う思想系ラブストーリー。
高間さんは韓国公演をしたいと願っていたが、どうなるだろうか。
▽劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」(作別役実=東京・下北沢の本多劇場の杮落としとして1982年初演、演出柄本明、3月22日(土)、札幌・シアターZOO)。本作の題名には「アガサ・クリスティのサミュエル・ベケット的展開による悲劇的・喜劇的・不条理劇的推理劇、モンティー・パイソン風ドンデン返し付き」という文言も付くようだ。論理的でありながら、その論理がどこか不思議でおかしい“別役節”の真骨頂。そして予告通りの大どんでん返し。僕もあっと驚いた。
 ▽Theatre Company Ort-d.d(東京)「想稿・銀河鉄道の夜」(原作宮沢賢治、脚本北村想=1986年、演出倉迫康史、4月20日(日)、札幌・シアターZOO)。13年3月の三島由紀夫「わが友ヒットラー」もそうだったが、倉迫の緻密な演出には独特の手触り、肌触りがある。それはまさに小宇宙と言うに相応しい。観客動員何千人という世界ではないかもしれないけれど、それは好きになった、しっくりくるようになった人間にはどこまでも引き込まれる秘密の宝箱のようだ。
 ▽projectDREAMER2014(東京)「スリーカードモンテ」(脚本・演出西永貴文=空飛ぶ猫☆魂(東京)、5月3日(土)、札幌・シアターZOO)。三つの話が絶妙につながる、
あえていえばサイコ・サスペンス・ホラー。人は死ぬ、あまたに。でも笑えもする、時に。実に抑制の効いた演出で、じわりじわりとくる、胸に。全然知らないユニットだったけれども、今後の活動に期待したい。ちなみに役者陣はほとんどが札幌の演劇人だった。
▽劇団どくんご(鹿児島)「OUF!」(脚本根本コースケ、構成・演出どいの)、7月20日(日)、札幌・円山公園自由広場特設“犬小屋”テント劇場)。毎年7〜8月に北海道を巡演し、熱い「夏」をもたらしてくれる、どくんご。今年は「宇宙」をテーマにさわやかな風を吹かせてくれた。僕の見た日の日替わりゲストは柴田智之。裸一貫、すてきだったな。もともと物語性は薄く、即興を大切にして「特権的肉体」(唐十郎)を体現している劇団だが、今回は「脚本」があるせいか、いつもより全体を通しての物語性を感じた。五月うかさん(僕の釧路湖陵高校の同級生)、来年もよろしくね。
▽ユニット together again(埼玉)「父と暮せば」(作井上ひさし=1994年初演、構成演出+ト書き朗読宇都宮裕三、9月6日(土)、札幌・シアターZOO)。板垣桃子(劇団桟敷童子)、若林正(大沢事務所)とも最小限の動きで見る側の想像力=創造力を喚起した。ブラボー!! 落涙。
 ◇シアターホリック「マイベスト」
▽劇団怪獣無法地帯「必剣!花の影」(作・演出棚田満、1月12日(日)、札幌・シアターZOO)。棚田お得意のちょっとおバカな脱力系コメディー時代劇ではない、「大まじめな娯楽劇」。細部が丁寧で一つ一つにこだわりがある、見る者をしゃきっとさせて年明けにふさわしい、きりっとした味わい深い出来栄え。ラスト、すぐに仕返しをする、人を殺すということをもとから嫌う、珍しい侍が我慢に我慢を重ねた末にとうとう剣を抜く場面の劇場いっぱいの花の舞い。見事な演劇的仕掛けを堪能した。満を持してマイベストとする。にしても、この芝居の年に高倉健さんと菅原文太さんが亡くなるとはなあ。合掌。
▽座・れら「鈍獣」(作宮藤官九郎=2004年初演、05年に第49回岸田國士戯曲賞受賞、演出戸塚直人、7月26日(土)、札幌・サンピアザ劇場)。小佐部明広に瞠目した。劇団アトリエ代表として劇作・演出のほかに自作に出演もするが、おそらくは初めてと思われる他カンパニーへの主役的出演ながら物語を引っ張った。
◇シアターホリック「殿堂入り」(再演作品対象)
▽座・れら「不知火の燃ゆ」(作鷲頭環、演出戸塚直人=2012年初演、2月17日(月)、札幌・コンカリーニョ)。決して告発ではない、人々が日常を生きる時間の中で観客の想像力=創造力を促す劇作。気高く怒りを持続することの深い意味。人間として普通に生きる、ちっぽけだけれども、ありったけの尊厳ということ。そうしたことを、この芝居は描ききっている。水俣病の問題は形を変え、残念だが現代も世界中で続いている。それらがすべて解決される日まで、この芝居は上演され続ける意味、価値があるだろう。
▽イレブン☆ナイン「あっちこっち佐藤さん」(原作レイ・クーニー「Run for Your Wife」、脚色・演出納谷真大=2007年初演、8月3日(日)、札幌・コンカリーニョ)。爆笑、爆笑、ほろり、爆笑…傑作だ。世界的な笑劇作家による原作自体が傑作だが、それを現代の札幌らしき場所に設定を換えて巧みに描いた。ありそうもない話のはずが、「碁盤の目の街」札幌らしき場所、というのが一つのミソではないか。見ているうちに本当のことらしく思えてくるのが不思議だ。虚構の中の真実が立ち上がった。
▽弦巻楽団「死にたいヤツら」(作・演出弦巻啓太=2006年初演、8月15日(金)、札幌・ターミナルプラザことにパトス)。06年11月の初演(パトス)、11年2月の再演(サンピアザ劇場)でも解けなかった僕の解釈の誤解が解けて、ほっと一安心した。来春、東京での演出家コンクール、朗報を期待しています。
 ◇シアターホリック「北海道演劇の宝」賞(09年に劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」のために特設した最高賞)。
▽札幌座「西線11条のアリア」(作・演出・音楽斎藤歩=2005年東京初演、06年札幌初演)、2月11日(火)、2月15日(土)、札幌市教育文化会館、2011年に「北海道演劇の宝」賞に選定済み)。この作品については何度も何度も「出会えたことのありがたみ」を紹介しているので、いまさら特段重ねて書くことが思い浮かばない。ただ、今回2カ月間入院して、窓の下を札幌市電が通って電車の音が間近に聞こえる病室にいて、それまでよりも死を身近に感じるようになったことも影響しているだろうか、誤解を恐れずに書けば、「死」はいま「怖い」ことではない。1週間ほどの仮死状態を経て「怖くなくなった」と言うべきだろうか。少なくともむやみやたらに「死」を怖がることはなくなった、「ケセラセラ」(ウィキペディアによる�
��文��
�的には不正確とされているが、スペイン語で「なるようになる」としての意味が知られている)というか…。自分を含めて、いま生きている人には「幸多かれ」、少なくとも「災いは少なかれ」と願い、死にゆく人、亡くなってしまった人には「心安らかに眠られんことを」と、心の奥底から祈っている。祈らずにはいられないのである。
 ▽イレブンナインプレゼンツ dEBoo(イレブンナイン内において、小島達子がプロデュースする企画)「12人の怒れる男」(作レジナルド・ローズ、訳額田やえ子、演出納谷真大、5月18日(日)、札幌・コンカリーニョ)。チラシの役者陣と演出者名を見て期待していた以上の出来栄え、完成度の高さ。小島、納谷、出演者らに「感謝」の一言である。ブラボー!! 本作に関わったすべての皆さんに「感謝」である。
▽札幌座「秋のソナチネ」(作・演出・音楽斎藤歩=2008年初演、8月7日(木)、8月10日(日)、札幌・シアターZOO、11年に「殿堂入り」に選定済み)。この、晩秋から大晦日にかけての市井の小さな物語を、8月の観劇時から「北海道演劇の宝」賞にすべきかどうか考えていた。結局、背中を押したのは僕自身の年末2カ月の入院である。死亡率3割と言われた病から帰還し、自宅で年を越えられるということの感慨である。劇評に感傷を交えないでほしいとおっしゃる方もいらっしゃるに違いない。でも、そうとしかできないのがいまの僕なのだ。大晦日の夕べ、天才と紙一重か、人並み外れた超人かという道化だったはずの一郎(木村洋次)が出前配達先の一人の老婆を偲びながら蕎麦を食いつつ、泣く。人が何かを食べながら一�
��泣��
�場面がこれほど切なく愛おしい作品は思いつかない。そこに被さって流れる「秋のソナチネ第1番」(作曲斎藤、チェロ土田、ピアノ林)。胸が熱く揺さぶられる。「西線11条のアリア」の項で書いたこととは相反するかもしれないが、「せっかく拾った命だもの、大切にしよう」と思うのもまた真実である。
 ▽yhs「つづく、」(脚本・演出南参=2012年初演、8月24日(日)、8月31日(日)、札幌・コンカリーニョ)。初演はyhsの結成15周年記念公演として上演された。南参の劇作の契機になったのは「東日本大震災」であり「東京電力福島第1原発事故」だが、初演時の僕は体調不良のままで見て、南参が思いの丈を込めたこの作品の魅力をこれっぽっちも受け取れていなかった。今年見て感じたのは、一言で言えば、「祈り」だ。なにもできない無力な人間たちへの「祈り」、そして無力な人間たちを尻目に、過去から現在、未来へと無慈悲に連綿と続いていく時そのものへの「祈り」。ひとたび人間として生まれたからには、産み落とされたからには、どんなに絶望的な状況下にあっても、末代に「つづく、」ものとして「時」��
�生き
ていかなければいけない。台詞や動きのその先の向こう、その先の奥にあるものが感じられたように思う。暗闇を大切にした劇作、確たるものしては表現されないさまざまな暗示、あることの「…」、数々と、見る者の思いの入り込む余地がある。かねての持論、「演劇の醍醐味は観客の想像力=創造力にある」ということを最大限に尊重してくれた南参の劇作にあらためて敬意を払う。
 公演時にも書いたが、最後に、yhs「つづく、」を心に刻む言葉として、また僕の49年間で一番の激動でもあった年を締めくくる言葉として、村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」の最初と最後の一文を引く。希望と絶望、光と闇…。「つづく、」と、とても深いところでつながっている気がする。
 南参、yhsのみなさん、本当にありがとう、そして、おつかれさま。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」

みなさん、よいお年をお迎えください。来年もどうぞ「シアターホリック(演劇病)」をよろしくお願いいたします。
 
posted by Kato at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月27日

退院しました

 こんにちは。お久しぶりです。きょうの昼、退院しました。10月28日(火)に入院して12月27日(土)に退院。ちょうど2カ月。給料激減! まあ、命あっての物種ですね。
 病名はヘルペス脳炎。ウィキペディアによると死亡率は19〜28%らしいです。野球に例えればけっこうな打率。それをなんとかかいくぐりました。今後どうなるかわかりませんが、ひとまず山は越えたのでしょうか。
 私事、父が肺がんで1974年の9月9日に札医大病院(建て替え前)に入院して75年の1月4日に死んだという過去を持ちます。当時、父本人(38歳)と私(9歳)とお袋(35歳)、妹(6歳)の4人だけが最後まで病名を知らされませんでした。事情を知っている親戚一同は涙を拭いてから父の病室に入ったと聞きます。
 僕が入院していた中村記念病院と札医大病院は直線距離400メートルぐらい。窓の外の下の札幌市電の音を聞きながら、40年前のことを思い出していました。父が死んで40年。死地のそばに伏せて2カ月。さまざまな思いが巡ります。
 なにしろ脳の病で、医師によると、昔の記憶はあるのだけれども、新たな記憶を積み重ねがたいというのが特徴のようです。回復率は80%ぐらいで、慣らし慣らしやっていくことにします。
 演劇関係者諸氏、すてきな芝居を見せてください。わがままだけれど、僕の記憶に刻まれる、すてきな芝居を期待しています。それがきっと僕の回復にもつながるのだと思います。
 これから円山の自宅近くの行きつけの酒場、バーに行って一息ついてきます。
 ご興味のある方のために住所などを書いておきますね。
 酒房・円か 南1西22(小さなビルの地下です。17時半〜24時、月曜休み) 011・622・1248 直木賞作家伊集院静さんが行きつけの酒場で、店名の看板は伊集院さんの揮毫です。伊集院さんは東京から突如として夜に「あした北海道にゴルフに行くから寿司握ってくれ」と無茶な電話をかけてよこすなど、とても気さくにご利用なさっているようです(著書を預けておいて予約すると、伊集院さんにサインも頂けるようですよ)。札幌出身の漫画家大和和紀さん(「ハイカラさんが通る」、東京在住、円山に家あり)も常連で、こちらもサインを頂けるようです。
 バー・ルラーシュ円山 南1西25(地下鉄円山公園駅から1分。19〜翌2時、日曜休み) 011・614・0006 元京王プラザホテル札幌のバーにいた40代男性2人による本格的なオーセンティックバーです。変にすすきのなどで安っぽい、カクテルの作り方も雑なバーに行くより、よほどこちらの方が本格的だと思います。
 あしたは風蝕異人街の忘年会に出るつもりです。楽しみでなりません。
 月曜から、シアターホリック年間ベストの選考に入ります。11、12月は選考外となりますが、ご容赦ください。それにしても今年は思い出深い年になりました。それでは。
posted by Kato at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする