2014年10月01日

 古典劇上演集団「テアトロ・マアルイ」(母体は実験演劇集団「風蝕異人街)の第2回公演、ジャン・コクトー作「声〜La Voix humaine〜」(=1930年初演、演出こしばきこう)を9月28日(日)、アトリエ阿呆船で見た。
 ある女(堀紀代美)の寝室に、電話がかかってくる。1度目は間違い電話、2度目は混戦、そして3度目に、恋人だった男からの電話がくる…。
 一人芝居というのは井上ひさしの「化粧」などごく一部を除いてなぜか苦手な僕なのだが、堀の電話口での時に端正な、時に焦りを隠せない「声」、電話機と戯れる仕草の細かな一つ一つに魅了された。純白のセクシーなドレスを着た堀の妖しいまでの艶、色香…。上演時間63分という短時間に凝縮された「彼」との熱愛、そして「彼」に新たな恋人ができたがゆえの別れ。劇的などんでん返しがあるわけではないが、かつて幸せの絶頂にあった、そして今や絶望の淵に立たされた女の狂おしいまでの嫉妬、執念、悔恨、悲哀、諦観が如実に浮き彫りにされ、心をいたく打つ。
 それにしても堀紀代美、妖艶さをまとう女性を演じさせたら板について、当代の北海道演劇界では追随を許さないのではないか。少なくとも僕は彼女に匹敵する“妖艶な女性を演じられる女優”を北海道演劇界で知らない(昨年末に東京で、演出三谷幸喜で鈴木京香が演じたが、見たかったものだ)。それが、舞台後の打ち上げでは“妖艶な女優”の影も見せずに、気さくで如才ない振る舞いをするところがまた堀の魅力だ。舞台では神々しいまでに大きく、誇らかに“妖艶な女優”だったのが、実際は今の女性としても華奢な背格好なのだ。この落差が堀の芝居の魅力だ。
 こしばの演出は奇をてらうところなく、はったりもなく、原作に忠実。初演は20年ほど前で、今回は再演らしいが、初演時は「実はこの女性は狂気にあり、彼との電話もつながっていない“一人芝居”なのではないか」などといった解釈に基づく演出もしたらしい。
 だが、こしばも堀も豊かに年齢を重ね、そうした小手先ではない勝負をできる年になった。それが見事に結実したのが、今回の「声」ということだろう。「電話線」が珍しくなり、「電話交換手」もいなくなった現代に、そうしたものを知る最後の世代であろう現代人が、古典劇を古典劇として新たな息を吹き入れる。その心意気と完成度に惜しみない拍手を送る。
posted by Kato at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする