2014年03月31日

鈴木14世/彼女のスープレックス

 北海道舞台塾シアターラボ札幌で2本を3月30日(日)、札幌・かでる2・7ホールで見た。
 introは「鈴木14世」(作・演出イトウワカナ、ドラマドクター柴幸男=東京・ままごと=)。昨年はハムスター好きの妻とハムスターアレルギーの夫の話だったが、同じ題名で、今回は生まれたての男の子を「鈴木14世」と名付けた祖母以下3世代の女系家族の争いの物語。テンポ良し。祖母役、客演山村素絵の存在感。
 劇団アトリエは「彼女のスープレックス」(作・演出小佐部明広、ドラマドクター泊篤志=北九州・飛ぶ劇場=)。鬼が経営する金融会社に1000万円借りに来た人間の男。彼の妹は金融会社社員の鬼の初恋の人だったという、いわば昨年の物語の発展形。丁寧な作劇。妹役の斉藤詩帆、新鮮。
 両作品ともよく練られた跡がうかがえた。
 これでシアターラボは深川、士別、函館を合わせてすべて見た。士別が一番、僕の好みだったな。
 新年度以降はまた別趣向の舞台塾になるようで、こうご期待。
posted by Kato at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

伊達緑丘高校VS札幌厚別高校

 「春の祭典2014 サンピアザ劇場高校演劇部門 伊達緑丘高校VS札幌厚別高校」を3月29日(土)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 伊達緑丘高校演劇部は「Suki☆Yaki」(作佐藤香菜・寺沢英幸、潤色・演出寺沢英幸)。5人きょうだいで1人だけ男の子の高校生コウジが同級生ナツミちゃんに恋をする。思いを告白する作戦をいろいろ練るが、女きょうだい4人がしゃしゃり出てきて事態はてんやわんやに…というノンストップアクションコメディー。過剰なまでのハイテンション。後のシーンが前のシーンを追い出すかのような目まぐるしい展開。でも明るく元気な高校生を見ると、いいなあと思う(僕自身は中学時代は校内暴力などがあって地獄の季節だったけれども、高校時代は好きだったな)。
 札幌厚別高校演劇部は「ともことサマーキャンプ」(作畑澤聖悟、潤色戸塚直人、演出安喰果菜子)。高校生ともこがビルから飛び降りて死んだ。事故か? 自殺か? 翌日担任教諭に届いた“遺書”には「いじめられていた」とあり、同級生女子5人の名前が。5人の保護者が学校に集められる一方、当の5人は同じ校舎内で“サマーキャンプ”という名の学習合宿に。はたして真実はどこに? 生徒5人と保護者を同じ役者が演じるが、違和感がない演劇的面白さ堪能。ラストのかすかな希望まで、じりじり神経を逆なでされ続けたということは、良い芝居だった証拠だ。
 両校ともすてきな役者揃いだ。高文連の大会も頑張ってくださいね。
 奇縁なのだが今晩、釧路湖陵高1982年度卒業3年4組の札幌圏在住者7人でプチクラス会を開く。ゲストは、カナダ在住の同級生の女子と彼女のパートナーと彼のお母さま(カナダの方だと思うのだが…)。少なくとも僕は英会話は不得手なので、彼女は通訳に追われるのじゃないかな。
 彼女は、僕が初めて肉親以外の女性と二人きりで「どこかへ行った」という女性だ。
 「デート」というわけじゃない。僕が代々木ゼミナール札幌校の予備校生、彼女が札幌の名門女子短大1年生だった83年8月の最終日曜日。前の日に北大そばのファミリーレストランで彼女から「短大の友達の興味は男の子のことや、どうやって試験をクリアするかなんてことばっかり。当てが外れた。私、辞めようと思う」と聞いた。僕は翻意を促すためではなく、ただゆっくりした時間を一緒に過ごすのもいいかなと思って、海に誘った(釧路出身だから海を選んだのかな? これが旭川だったら山かな?)。
 金欠だったので予備校の寮の友達に1万円借りて、朝早くJRで小樽まで行って。バスに乗り換えて、もっと先まで行ったと思う(実はそこがどこだったのかだけ、覚えていない)。太陽が照りつける暑い日だった。岬があった。海は凪で、きらきらしていて、潮風が心地よかった。ほかに人は見かけなかった。ジーンズの裾をまくって岩場を歩いた。拾い上げる貝という貝にヤドカリがいた(釧路の冷たい海では考えられないことだ)。
 大学の話は一切しなかった。
 僕はなんとか大学に入ろうと浪人していて、彼女は現役で合格した名門短大を辞めようとしていた。
 昼食を食べて、岩場を歩いて、ヤドカリに驚いて、静かな時間はゆっくり流れ、夕方に札幌に帰ってきた。
 「きょうは本当にありがとう。それじゃ、またね」
 そして彼女は短大を辞めた。
 いまは便利なもので、カナダの彼女とはメールで手軽に近況を知らせ合っている。
 その日以来、きょう、これから、31年ぶりに彼女に会ってくる。楽しみだ。
 31年、あっという間だった。
posted by Kato at 16:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜

 劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」(作別役実=東京・下北沢の本多劇場の杮落としとして1982年初演、演出柄本明)を3月22日(土)、札幌・シアターZOOで見た。本作の題名には「アガサ・クリスティのサミュエル・ベケット的展開による悲劇的・喜劇的・不条理劇的推理劇、モンティー・パイソン風ドンデン返し付き」という文言も付くようだ。
 毎年度末、3月下旬に劇団東京乾電池、というより柄本明をシアターZOOで見るのが習いになっている(昨年は北村想の伝説の3人芝居「寿歌(ほぎうた)」)。柄本は本当にこの小劇場が好きなんだな。彼の名をもってすれば、より大きな劇場でも集客できると思うのだが、収容人数90人ほどの、この観客の反応がダイレクトに伝わりライブ感を味わえる隠れ家的空間がよほどお好きなんだろうと思う。今回の公演は追加1ステージを含め、あす23日(日)の楽日まで全7ステージが大入り満員らしい(あす当日券が出るかどうかは不明)。
 月夜の晩、ゴドーという謎の人物(? サミュエル・ベケットの不条理演劇の世界史的傑作「ゴドーを待ちながら」の“登場しない主人公”)から記念ピクニックの招待状をもらった男女8人と使用人夫婦の計10人が集まる。だがゴドーは現れない。代わりに使用人の妻が蓄音機でレコードをかけると、それらしき男性の声で、10人はそれぞれの罪状により死刑を宣告されている旨が告げられる。なおゴドーを待つ10人。やがて夜が更けるにつれ1人、また1人と殺されていき…。
 先に「推理劇」の文言が付くらしいと書いたが、なるほど笑いにくるまれつつ謎解きのわくわくさが全編を貫く。あらかじめ10人の罪状はレコードの男により明かされているのだが、それが具体的ではなく抽象的な表現で、何を意味するのか自体が謎なのだ。
 「十人のインディアン」とは「ワンリトル、ツーリトル」で始まる歌の題名で、劇の途中でゴドーからと思われる手紙がいつの間にか現場に届いていて読み上げられ、それまでに殺された人たちの殺され方についての隠喩が紹介されるのだが、謎はいっそう深まるばかりなのだ。
 論理的でありながら、その論理がどこか不思議でおかしい“別役節”の真骨頂。とかく難解と評されがちな不条理演劇に慣れていない観客にも、肩に力の入っていない自然体の東京乾電池メンバーの好演もあり、別役芝居独特の面白みは十二分に伝わったのではないだろうか。
 そして予告通りの大どんでん返し。僕もあっと驚く(別役ファンで、大学時代に彼の戯曲を数多く読んだ僕も、この芝居の存在は知らなかった)。
 別役の論理の積み立ての緻密さには本当に舌を巻く。それでいて、その緻密でありつつどこか不思議でおかしな論理が行き着く先の不条理演劇の面白さを堪能した。そして柄本の、昨年の「寿歌」に続いての戯曲の読み込みの深さに恐れ入った。
posted by Kato at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

LaLaLand ララランド

 YAMASHITA SUMITO+59×イレブンナイン「LaLaLand ララランド」(作・演出ハタノユリエ)を3月20日(木)、札幌市教育文化会館小ホールで見た。実験性に富んだ舞台で、「あー面白かったね」などと観劇後の食事の会話が弾むといった類いの作品ではなかったが、僕の中でなんらかのイメージが広がったのは確かだ。
 全編を貫く物語のような筋立てはないに等しい(少なくとも僕にはそう思えた)。役名もない。開演前から役者たちは幕の下りた舞台上や観客席などをうろついている。舞台と観客との垣根を取っ払う試みと僕は読んだ。
 と、観客席に座った女性(ハタノかどうかは裏付けを取っていないので不明)がマイクで役者たちに指示を出し始める。例えば、幕前に置かれた13脚の椅子に座れ、立ち上がれ、伏せて、腕立て伏せをして、舞台から降りて会場を走り回って…などなど。そうするうちに、13人のうちの1人だったはずの山下澄人がサングラスを掛け白杖を持った全盲の男性として登場。今度は山下が指示役(演出)になって、幕が上がった舞台上に無造作に置かれたおびただしい数の衣装に着替えさせたり、スナックの店内の点描のような芝居をやらせたり…。
 先に筋立てはないに等しいと書いたが、さまざまなエピソードがコラージュのようにつながり、見る側のイメージを膨らませる。むしろ逆に、意識的に物語に捕らわれるのを拒否しているかのようだ。見ながら、フリージャズ、あるいはひっくり返したおもちゃ箱のようだとも思った。演劇、芝居というより、パフォーミングアーツという言葉が似合う。さんざん観客の心をひっかいて、静かな最後には確かにイメージの残滓を感じるのだ。やはりこれは「時間芸術」だ。
 冒頭の女性のマイクによるさまざまな指示の場面で、ふと「演出は権力だな。これは支配の構図だな」と思っていたら、劇中、山下演ずる盲人がその女性にまさに「権力、支配ってどうなんや?」といった趣旨の発言をする場面があった。もしかしたらこの作品は、なにかを表現することの権力性、生きることそのものの権力性を暴いたものだったのかもしれない。
 と書きつつ、こうした物語性の薄い舞台をこうして言語化することの難しさをつくづく感じる僕なのであった。
posted by Kato at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月19日

とりあえず、がんばります。

 北海道舞台塾シアターラボ函館公演「とりあえず、がんばります。」(脚本・演出工藤舞、制作いいづかゆたか、ドラマドクターイナダ)を3月16日(日)、札幌・ターミナルプラザことにパトスで見た。
 人口7万人弱、高齢者率25%以上、東京から車で6時間…地域の若者の半分以上が街を捨てる「樺出市」で、まちづくりの一環として、一つの事業が動き出した。それは「樺出市公式女子カバディチーム」の発足。それぞれの立場からのそれぞれの思惑が蠢くなか、残された若者が「本当のまちづくり」について考えていく。「とりあえず、がんばります。」−。
 なにごとにも気負いすぎない、ドライな風潮の現代社会の中で、「とりあえず、がんばります。」という軽めの言葉そのものがキーワードになっているのだろう。でもそうはいっても実際はみんな必要以上に頑張ってしまうのだが。
 物語は市長が新体育館建設への市民の同意を得る思惑や打算から、甥が経営する漬物会社をスポンサーにカバディチームを結成、最後には甥から賄賂を受け取っていたとして辞職したため、チームはどうなるのか−というふうに展開する。そのさなかに、それまでは市スポーツ振興課職員として仕事のみの付き合いにとどめていた女性職員がチームの一員としても目覚める−という具合だ。
 「現在進行形の強み」ということを思った。先の女性職員のラストの台詞には(まちづくりなどについて)「心意気」「情熱」といった言葉が出てくる。使う場所を間違えば気恥ずかしくなる言葉でもあると僕などは思うが、実際の当事者であり、その思いや行動が現在進行形だからこそ、きらりと光る台詞でもあるのだ。
 大勢出てくる女性たちがそれこそきらりと光っていた1時間15分。一方で、カバディというスポーツについては、言葉やちょっとしたマイムで説明があったが、試合に勝ち続けるなどという台詞もあったので、その試合の様子をマイムやダンスででも描写する場面があればもうすこしわかりやすかったのではとも思った。
posted by Kato at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

突然バッドエンド

 yhs「突然バッドエンド」(脚本・演出南参)を3月14日(金)、札幌・コンカリーニョで見た。南参ならではのアイロニー、ブラック色が効いた作品だ。
 後ろ向きすぎる脚本家・田中(福地美乃)。劇団初のコメディ公演と銘打った公演が迫るが、台本が進まない。追い詰められた田中は、登場人物を全員殺して無理矢理終わらせ、台本を残して失踪。全員死亡の絶望的な終わり方の台本を発見した劇団代表森口(重堂元樹)、劇団員一条(最上朋香)は焦り、劇団員島田(曽我夕子)は田中捜索の旅に出る。一方、とある廃オフィスに辿り着いた田中は、そこで責任を取って首をくくる。だが、そこに住んでいた浮浪者(櫻井保一)に偶然命を救われる。その場所には、同じく自殺未遂を起こした人々が集っていた。果たして、告知通りコメディを上演できるのか!?
 このほかの出演者は、自殺未遂を起こした人たちとして、経営していた工場が倒産した下山夫婦に小林エレキ、青木玖璃子、売れないアイドル・カオリに佐藤愛梨、彼女と心中未遂をしたマネジャー鍋島に能登英輔、歌詞を忘れた自称歌手ワッスーに戸嶋智美、ゴーストライターを雇っていたなぞの脚本家に越智良知。
 劇団アトリエ「ピータァ・フック」の項で書いたように、本作もメタシアターの部類に入るだろう。メタシアターとは僕なりの解釈では「演劇についての演劇」「演劇について考えさせる演劇」。一つの演劇作品が出来上がるバックステージものとしても楽しめる。劇団名は「そよ風ルネッサンス」と明るいのに、苦手なコメディーを書くのに悶々とする田中の苦悩ぶりがよく伝わってくる。
 作劇は一言で言えば、シュールリアリズム。普段使わない頭の毛細血管に久々に血が通った感じだ。
 窓のない、正面と下手にドアが二つあるだけの灰色と黒に塗り分けられた密室は自殺未遂者の集まる場所であり、田中はここで執筆している。そんな簡素ながらちょっと複雑な設定から、この物語は単なる筋立てを追うのではなく、観客にも想像力=創造力を促す作品であることがわかる。その密室の屋上部分が物語の中の日常部分という作りはわかりやすく、凝っている。下山夫妻を演じたエレキと青木がいかにも命脈が尽きたという頼りなげぶりで、作品の有効なスパイスになっていた。
 ゴーストライターを雇っていたなぞの脚本家が最近話題のある人にそっくり。本作の劇作もその話題と併走して、ぎりぎりまでの試行錯誤を経てのものだったのではないか。
 開演は16日(日)13・18時、楽日17日(月)19時半。
 
posted by Kato at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

西線11条のアリア・再観〜伏島信治さんを悼む〜僕はどうしてこれほどまで「西線11条のアリア」に心惹かれるのか

 いま福岡市博多にいる。10日(月)から13日(木)までの妻との九州小旅行だ。
 観劇のためでなく、クラス会などの目的もない単なる“観光(温泉)旅行”は久しぶり、10年以上ぶりだろうか。
 10、11(火)の両日は今回の旅の眼目である大分県由布院温泉の「由布院 玉の湯」に宿泊した。広大な敷地に14棟の木造離れ家が点在し、右に左にくねる廊下でつながっている、すてきな田舎の温泉宿だ。
 昨年10月、宝くじとか博打とかではなく、僕がもらうのが正当な、でも僕は知らなかった、ある程度まとまった金が入り、どうせなかったものとして生きるはずだったのだから、普段はできない楽しいことに使おうと妻と話し合い、予約していた。
 「由布院 玉の湯」さんを選んだのは、「ゆふ」「たま」という言葉の響きが好きだったこと、離れの14棟のほとんどで自然味豊かな部屋食ができるということ、源泉かけ流しの名湯としてかつてテレビ番組で紹介されたのを見て好印象を持っていたことなどがある。
 本当は一昨日のうちに「いま大分県由布院温泉にいる」と書き出したかったのだが、僕はワイファイができる装置を持っておらず、こうして有線LANのあるJR博多駅前のビジネスホテルでこれを書いている。
 でも日頃、札幌で1日100通近く来るメールのことなどを一切気にかけず、まるで札幌の晩春の陽気の中、庭に出された椅子に腰掛けて煙草を吸い、時折木立を風が吹き抜ける音や小鳥たちの囀りなどを聞きながら、何をするでもなく日がなのんびり過ごせたことで、かえって心身ともにリフレッシュできた。
 チェックインの際に新聞の要望を尋ねられ、頼んだのはもちろん地元紙の大分合同新聞だ。
 「3・10」(1945年=昭和20年=約10万人が亡くなったとされる東京大空襲の日)と「3・11」には、静かに祈った。
 もう一つ、本当は、この文章は以下の書き出しで始まるはずだった。

 札幌座「西線11条のアリア」(作・演出・音楽斎藤歩=2005年東京初演、06年札幌初演)を2月15日(土)、札幌市教育文化会館で再観した。
ソチ五輪視察のためにロシアを訪問されて、本当に出演するのかできるのかが一部で心配されてもいた上田文雄札幌市長は、本筋とは絡まない場面で、市電事情に詳しく札幌市長とも親しい“下田さん”役で登場。すっかりしっかり寒がりおじさんの演技をしていた。カーテンコールでは上田市長、札幌演劇シーズン実行委員会の荻谷忠男委員長(公益財団法人北海道演劇財団理事長)、それに今回公演の開催に尽力された北海道演劇財団評議員で、闘病中により斎藤歩が本作を捧げた伏島信治さんが車椅子で登壇。プチ・アフタートークも行われ、札幌の小劇場演劇公演の枠を超えた盛り上がりだった。その場で斎藤は、いつか江別産小麦を使ったうどんをモチーフに作品を創ることを明かした。

 と、ここまで。これは「アリア」の後に見た笑の内閣(京都)「ツレがウヨになりまして。」のブログ原稿をアップした後に「下書き」に保存していた。
 九州小旅行の日程は先に書いたように昨年10月に決まっていて、この際、温泉につかりながらでも、ゆっくりと「僕はどうしてこれほどまで『西線11条のアリア』に心惹かれるのか」を考えたいなと思っていた。
 3月6日(木)の午後、演劇財団から伏島さんが亡くなられたとのメールを頂いた。享年66。
 昨年8月にがんが発見され、余命宣告を受け、“山男”らしく残された時間を「下山」と呼んで、ご家族と話し合い、立てた計画を決して頑張らずに実行しつつ過ごされたとのことである(このあたりは斎藤歩の「アリア」パンフレット原稿「私の極めて個人的な再演根拠」などによる)。
 僕が伏島さんと初めてお会いしたのは1994年の初冬、旭川報道部時代だ。34年(昭和9年)12月4日の大雪山国立公園指定から60周年で、旭川から大雪山系を南に見ながら帯広にまで行かれる国道が全線開通する→したのも記念して、報道部記者数人で「環大雪」という6部構成の年間企画を掲載していた。
 僕が担当したのは観光や上川、十勝両地域の文化交流で、5回連載。まさに伏島さんの独壇場だ。誰から紹介されたのかがもう思い出せない。札幌へ出張した記憶はないから、旭川か隣町・東川町でのインタビューだっただろう。伏島さんは立て板に水だった。新聞記者がわくわくするような、「その言葉、頂きました!」と感謝したくなるような勘所を踏まえたお話をしていただけた。
 その時は、それだけの出会いだと思っていた。まさかまた札幌で、今度は演劇財団、札幌座(旧TPS)を仲立ちに、約10年も芝居の話でお付き合いすることになるとは思ってもいなかった。まさに「類は友を呼ぶ」なのだろう。
 亡くなられた翌7日(金)夜の通夜には参列できた。ちょうど勤務が休みだった。いまの職場は完全なシフト制で、自分が休むとなれば誰か休みのはずの人が急に出社しなければならず、どんなに仲が良い友人が亡くなろうとも、死んだのが親族でなければなかなか「休ませてください」と言い出しにくいのが実情だ。
 斎藤歩が今回公演と伏島さんについてブログで書いている。無断で申し訳ないが、リンクを張らせていただく。「一つの物語」の終わりをご記憶にとどめていただきたい。
http://gree.jp/saito_ayumu/blog/entry/683684730
 8日(土)の深夜が圧巻だ。さすが斎藤歩! 制作の笠島麻衣、デザイナーの若林瑞沙もすごい!
 これはこのまま演劇であり、映画であり、小説でしょう。不謹慎な批評と指弾されるのは覚悟の上だが、伏島信治×斎藤歩コンビのパフォーマンスは、虚と実の間(あわい)を照射した寺山修司の最期を超えている。
 札幌演劇シーズン2014冬、札幌座「西線11条のアリア」は2月8日(土)の初日から15日(土)の楽日を経てちょうど1カ月、3月8日(土)をもって静かに、深く、重く、幕を閉じた。
 伏島さん、芝居と実人生が絡み合って最後に一つになった、こんなにすごい演劇はないです。素晴らしいプロデューサーでした。誤解を恐れずに言えば、本当にうらやましいです。
 僕の死の理想型、大好きな演劇に包まれて逝く、映画に吸い込まれて消える、小説に溶け込んでなくなるというのは、こういうことだったんですね。
 伏島さん、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 僕はどうしてこれほどまで「西線11条のアリア」に心惹かれるのか。
 本作を僕が見たのは、ちょうど10回になるだろうか。妻を誘ったが断られ、一人で見るにはあまりにももったいないので、今回も、昨年12月に弘前劇場(青森)「素麺」に誘った高校時代の同級生の女性、同期で一番美人だ、ったと僕が思う人妻である友人と最前列で見た。
 それにしても僕はどうしてこんなにも「アリア」が好きなんだろう?
 いや、「好き」の上限をはるかに超えている。好きか嫌いかというより、大げさに思われるかもしれないけれども、生きるために必要としている。それはいったいどうしてだろう? どういうことなんだろう?
 バカボン役(初演を見た妻が付けたあだ名)を当て書きの川崎勇人(元TPS=札幌座の前身=劇団員。現在は柄本明さん率いる劇団東京乾電池で絶賛売り出し中)が演じることも今後はそう多くはないと思われるので、じっくりと考えてみる。ほとんど趣味、嗜好の世界に入ると思うので、そのおつもりでお読みいただきたい。
 由布院温泉につかりながらつらつらと考えた結論は、真っ先に思いついて先に書いた「生きるために必要としている」ということだ。
 それはどういうことか?
 斎藤歩の「私の極めて個人的な再演根拠」に倣って、「私の極めて個人的な『西線11条のアリア』再観根拠」とでもいうものを書く。

 僕は9歳で、10歳の誕生日8日前の1975年1月4日(土)19時15分、札医大病院で肺がんの闘病中だった父に死なれた。38歳だった。でも父が肺がんだったことは死んでから親戚に聞かされたことだ。僕と母と妹とも。
 74年9月9日、父は夏前からの絶えない咳の原因を調べるため、札医大病院に検査入院した。父は裁判所書記官の転勤族で、当時、僕たち一家は札幌の公務員宿舎に住んでいた。
 父の死後、親戚から聞かされた話を総合すると、以下のことのようだ。
 検査の結果、病名は肺がん。余命数カ月。病院関係者と加藤家、母方・菅原家の親戚は話し合い、本当のことは父(9人きょうだいの末っ子)をはじめ母と僕、妹には告げないと決めた。当時の医療現場の対応はそれが主流だったのかもしれない。
 代わりに知らされた病名は急性気管支炎。数カ月入院、加療すれば治り、命に別状はないと言われた。それを信じた。
 以来、加藤、菅原の親戚たちは見舞いなどで僕ら4人と会う際は、事前に必ず泣けるだけ泣いてから顔面、まぶたが腫れていないかどうかを鏡で確認した後、病室に入ったという−。
 2、3カ月で退院するものだと僕が思っていた父はいつまでも退院しなかった。検査はいろいろとされたらしい。でも咳はいっこうに減らない。やせ細るばかりだ。
 10月14日の夕方、父と同世代の“ミスター”ことプロ野球・巨人軍の背番号3、長嶋茂雄の現役最後の試合と引退セレモニーは父の病室の共同テレビで見た。
 病院のまずい食事に辟易していた同室の青年は完治し退院後、母が父に差し入れていたおかずを父に分けてもらっていたお礼にと、復帰した職場で作っている若鶏の脚の焼いたものを僕の自宅まで持ってきてくれた。
 父が“退院”したのは74年のクリスマスの後だ。いま思えば最期を過ごすのは少しでも家庭で、という当時の病院関係者の配慮だっただろう。
 でも父と入れ替わりに僕と妹は小樽の父方の伯父の家に“疎開”させられた。父が亡くなる75年1月4日の昼まで。
 年が明けて1月4日の未明、自宅で父は容体が急変し、札医大病院に救急搬送された。この時点でも、1人で対応した母はまだ父が肺がんであることを知らされていない。
 一方、父方の伯父によると、父が救急搬送されたのとちょうど同じ頃、僕と、4月から新入学する妹は初めて夜泣きをしたのだという。それまではそんなこと、一度もなかったのに。それで4日の昼、心配した伯父夫婦は僕と妹を札医大病院に小樽からタクシーで連れて行った。
 僕が覚えている父の最後の言葉は、力のない「ごめんな」だ。病室のベッドの上に座りながら、背を丸めて言った。どういう意味での「ごめんな」だったのか、いまでも僕にはわからない。
 僕と妹はさほど長い時間、病室にはおらず、母方の叔母と札幌の自宅に帰った。友達らから年賀状が来ていた。
 夜19時前になって、父が入院してから取り付けた自宅の電話が鳴った。叔母と僕と妹はすぐにタクシーで病院へ向かった。この時もまだ僕は車中で「お父さん、またこんなに僕たちに迷惑かけて…大げさだな」と、急性気管支炎を信じて疑わなかった。
 病院で、僕は父の病室に入れてもらえなかった。その時以降、母と妹がどうしていたのかはまったく知らないし記憶にない。
 両家の親戚たちが血相を変えて病室を出入りしているこの時になってようやく、僕は父が“やばいらしい”と悟った。
 父の病室がある階のロビーの長椅子に1人で腰掛けた。テレビがついていた。僕は思いつく限りの神や仏に祈った。
 「お父さんを助けてください。お父さんを殺さないでください。知りませんでした。僕は何も知りませんでした」
 神様、仏様、アラーの神様、マホメット様、イエス・キリスト様、マリア様、仏陀様、お釈迦様、病院の神様、お医者さんの神様、看護婦さんの神様、長椅子の神様、テレビの神様、オズの魔法使い様(ちょうどその晩、日本テレビ系列のSTVテレビで毎週見ていたシェリー主演のドラマ「オズの魔法使い」で、ドロシーとブリキ男、かかし、ライオンがオズの世界に行くはずだった)、エレベーターの神様、階段の神様、煙草の神様、床の神様、壁の神様、床の上のごみの神様…「神は細部に宿りたもう」…9歳の僕は目につくものすべてに神様がいると信じた。考えられるすべての神様に手を合わせた。
 「これからは良い子になります、悪いことはもうしません、お父さんとお母さんの言うことを聞きます」…そう誓った。
 でも、かなわなかった。誰か男性の大きな手が僕の右肩に乗せられ、僕を揺すった。
 その時、僕は悟った。神も仏もない、と。そして誓った。もう何にも祈るまい、神頼みをするのは金輪際やめよう、と。
 そうして生き始めてから、来年で40年になる。
 もし余命が宣告されていたなら、残された時間の「下山」計画も家族で一緒に立てられただろう。僕は父に、父は僕に何かを伝え、託すこともできただろう。でも当時はそんな時代ではなかった。
 「西線11条のアリア」を見る時に必ず痛切に思い出すのは、この1975年1月4日19時15分前後の数分間のことだ。その時の時間はいつも「生きていて」、「垂直に立っている」、また「屹立している」。あの時間とあの場所、そして長椅子で手を合わせて祈っている9歳の少年の映像が手に取るようにわかる。それは僕の心の中でいまでもそうで、これからもそうあり続けるだろう。
 「アリア」に出てくる奇妙な人たちは皆、神も仏も信じない人ばかりだ。そのことにまず、あの日以来、信じなくなった僕は惹かれる。あ、僕も一緒だ、ここにいて、もしかしたら横に並んでもいいんだ、と。
 奇妙な人たちが行き着く先は、もしかしたら何もない世界かもしれない。そのことにもあの日以来の僕は惹かれる。何もない世界に行くことはそれほど怖くないことなんだ、と。
 ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは言った。「神は死んだ」と。でも、あの日、あの晩、あの瞬間、「僕は神を殺した」、そして「神も仏もない」と信じ始めた。断定した。
 だが、そうは言っても、やはり神も仏も信じず、何もない世界に行き着くなんて、とてつもなくつらく寂しい。信じないだなんて。何もない世界だなんて。
 そんなどうしようもないつらさ、寂しさを抱えた僕に、「アリア」は勇気をくれる。少なくとも一つのヒントをくれる。 
 信じなくてもゆるされる、ゆるされるかもしれないという可能性だ。それは僕にとって一筋の光明に思える。信じない、信仰を持たない者がゆるされるかもしれないという祈りの可能性だ。救われる、というのとは微妙に違う。
 ただ、信じない、信仰を持たない者がゆるされるかもしれないためには、最期の最期には何かをしなくてはならないということを「アリア」は提示する。信じない者がゆるされるために必要な最低限のこと…。
 信仰を持たない者がゆるされるために最低限しなければならないこと、それはこの「アリア」という作品では、吹雪の中でも白米が炊き上がるのを市電の電停でじっと立ち尽くして待っているということだ。そのあり方の何という身近さ、かつ思いがけなさ、そして奇妙な人たち本人、一人一人の無意識的な切実さ。ここに、僕はいつも深く強く胸を打たれるのではないか。
 これが、もっと高尚に見えたり、ありがたく思えたりすることだったりしたら、きっと僕はもう諦めてしまっているに違いない。激しい滝に打たれたり、長く急な坂や階段を少なくとも100回以上も上り下りしなければならなかったりしたら、いままで信じていなかった自分がゆるされることをはなから求めなくなっているかもしれない。
 それが、道路の真ん中の市電の電停で吹雪の中を炊き上がるのを待った白米に自ら箸を立て、大きな声で「頂きます」と言い、一粒残さず食べることだけでゆるされるのだとしたら…僕ならそうする。
 信じない、信仰を持たない者としてきっとそうする。いや、進んでそうする。
 僕の「無神論者」、否、「殺神論者」としての人生は、まだ40年程度の、いや、蓄積された時間の重みが関係ないならば関係ないものとして、厚みはその程度でしかない浅はかさなのだ。
 ゆえに僕は「アリア」が提示した、信じない、信仰を持たない者がゆるされるかもしれない最期の可能性に懸ける。懸けてみる。
 僕はきっとこの先も信じない、信仰を持たないまま、途方もないつらさ、寂しさを抱えながら生きていく。
 そしてそのために、斎藤歩が創造=想像した「西線11条のアリア」という芝居の世界を、生きるために必要としている。

 父は、生きていれば77歳の父は、仏ではなく普通の人として、いつもいつまでも僕の心の中に居座り続ける。

 「由布院 玉の湯」内のNicol’Barから部屋に帰ってきた。ここも離れ家。常連客である、ウェールズ出身で日本在住の作家C・W・ニコルさんの発案で、18年前にできたオーセンティック・バーだ(このあたりの情報収集は妻が頑張ってくれた)。
 バーテンダー小村朋子さんによると、ここができて住民が居酒屋やスナックとは違う「バーでの酒のたしなみ方」を知り、いいものだと思い始めたそう。いまは地域住民1万人超に対して5軒ほどのバーがあるらしい。
 妻の事前取材で知っていた、ニッカウヰスキーでニコルさんが自ら醸造に参加したという「余市」の特別限定品(アルコール度数59%。メニュー表には記載がない)のオン・ザ・ロックを4杯、3時間以上かけてゆっくり飲んだ。
 3月11日、深夜、由布院温泉は静かだ。
 釧路、函館、札幌、北海道、日本、それに世界全体が静かであってほしい。
 3年前、2011年の同日、仕事のためこの町、この宿にお泊まりになったニコルさんは、その日14時46分に発生した東日本大震災に深く心を痛めながら飲んでいらっしゃったという。
 「そういえばあの日、ニコルさんがお座りになっていたのはちょうどこのお席でしたよ」と、カウンターの右から2番目の僕の椅子の前で小村さんがおっしゃる。あしたは博多で「アラ」という名の魚を食い、小村さんお薦めのバーへでも行こうか。
 機縁。祈り。いつかへの夢、希望。
 生きていく。
 そして僕は逝く。
(2014・3・12(水)1時50分、記す)
posted by Kato at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月05日

喜劇 桜の園・訂正

 前項のテアトロ・マアルイ「喜劇 桜の園」で、「2012年10月に見た三木美智代の一人芝居『桜の園』」とあるのは、「2013年10月に見た」の誤りでした。訂正します。
 
posted by Kato at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

喜劇 桜の園

 実験演劇集団「風蝕異人街」の別働隊として設立されたユニット・古典劇上演集団「テアトロ・マアルイ」(主宰こしばきこう、代表三木美智代)の旗揚げ公演「喜劇 桜の園」(作アントン・チェーホフ、構成・演出こしばきこう)を3月2日(日)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 あまりにも有名な作品なので、あらすじは割愛する。主人公の女地主ラネーフスカヤ夫人を三木が演じた。基本的に2012年10月に見た三木の一人芝居「桜の園」を踏襲した作劇(題名にある「喜劇」という言葉はチェーホフの戯曲にある)。
 ラストシーンから始まり、それがファーストシーンになり、という円環構造。出演者11人のうち使用人4人はほとんどの場面がキャスター付きの椅子に座っての登場で、動きを含めて全体的に様式化された実験的手法が多用されている。
 もともと風蝕が母体のユニットだから、古典を古典として戯曲通りに上演することはないだろうなと予想していたが、案の定だった。先に書いた様式化の徹底や、家庭教師シャルロッタ(堀紀代美)の重用、最後には「桜の園」を落札する商人ロパーヒン(小此木潤一=こしばきこう)のラネーフスカヤ夫人への複雑な思い(愛憎)に焦点を当てることによって、解体をへての再構築的な新解釈ともいうべき作品になった。
 ラネーフスカヤ夫人の心象風景として、昨年10月の一人芝居では都はるみの「好きになった人」が異化効果をもたらしたが、今回は島倉千代子の「人生いろいろ」の堀による熱唱と三木ら3女優によるダンス、他の出演者らによる合唱!があった。まあ、なんとも屈託がない。
 前項、劇団アトリエ「ピータァ・フック」で「札幌、広く北海道では現在のところ演劇では食っていけない、そうしたことに関わっていたら一生を棒に振るかもしれない。それでも続けている、続けてしまうのは、実は大人になりきれない、あるいは大人になりたくないということの証しかもしれない−。そうした小佐部自身の問題意識が痛く深く全編を貫いている」と書いたが、風蝕=テアトロ・マアルイは良くも悪くもそうした葛藤を軽々と超越した存在であると僕は思う。意に介しているかの素振りさえ、観客には見せない。ただ自分たちが信じる演劇の道を飄々と歩いているといった風情である。とても対照的だ。
 「ピータァ・フック」では、ある物や事柄がコメディー(喜劇)かトラジディー(悲劇)かを劇団員が問い合う場面があった。この日、数時間前に見たその場面を思い返しながら、僕はそうしたこと一切を踏まえて、チェーホフはこの悲劇とも思える内容を「人生喜劇」と捉えたのであり、テアトロ・マアルイも今後、「人生喜劇」に軸足を置いた演劇活動を続けていくのだろうなと思った。
 この日、アトリエ→テアトロ・マアルイの順に観劇したのは単なる偶然だったが、僕にはとても幸運で豊かな観劇の一日だった。
posted by Kato at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ピータァ・フック

 劇団アトリエ「ピータァ・フック」(作・演出小佐部明広)を3月2日(日)、札幌・シアターZOOで見た。
 2011年3月、架空の地方都市・北海道北成別(きたなんべつ)市から演劇集団ネバー・ランドが札幌市のシアターZOOという劇場に公演をしにやってきた。劇団員は20歳前後が多く、自分の劇団の作品に自信を持ち、熱意を持っている。それから3年後の2014年3月、再び演劇集団ネバー・ランドが札幌にやってきて、3年前と同じ作品を上演する。演劇をやり始めた頃のあの根拠のない自信はどこにいったのか。3年後、団員の多くは座付き作家の作品をつまらないと感じるようになっている。彼らはいったいどうして演劇をやり続けているのか。演劇とはいったいなにが面白いのか、演劇にかかわることはどれだけ大変なのか、演劇をやっている人々はなにを考えているのか。この公演を最後に、彼らはそれぞれの道を歩み出す。演劇をやる現代の若者たち、大人になりきれない人々をドキュメンタリー調に描く。
 小佐部がパンフレットの代表あいさつに「劇団アトリエの3年間をかけた自虐ネタ」と書いた通りに、アトリエ同様に飛ぶ鳥を落とす勢いで出現してきた演劇集団の栄枯盛衰を少々ほろ苦い自戒と立ち止まっての自省に絡めてまとめた日記的、備忘録な作品だと言えよう。役柄も小山佳祐(23歳)、小佐部(23歳)、有田哲(22歳)、柴田知佳(22歳)、伊達昌俊(25歳)=以上、劇団アトリエ=などと出演者総勢11人ともが実名であり(ネバー・ランドの11年段階)、アトリエの現在と照応するように表現される。
 劇中劇、劇中劇団を巧みに描いたメタシアターだ。メタシアターとは僕なりの解釈では「演劇についての演劇」「演劇について考えさせる演劇」。しかし寺山修司の作品ほど「演劇とは何か」とか「演劇によって日常の惰眠を告発する」などと大上段に振りかぶっているわけではなく、演劇集団の日常を丹念に描写しており、観客としては追いやすく、共感も得られただろう。
 作品は11年3月5日、ネバー・ランドの千秋楽公演の前日公演終了後に始まり、14年3月、千秋楽公演の前日公演終了後の様子で終わる。11年3月公演の終了直後に「3・11」が起き、実家の家族が被災したメンバーもおり、被災まではしなくてもメンバーそれぞれの心模様になにがしかの影響を与えたであろうことが、これ見よがしでなく、織り込まれている。その意味で十分に「『3・11』後のアート」たり得ている
 札幌、広く北海道では現在のところ演劇では食っていけない、そうしたことに関わっていたら一生を棒に振るかもしれない。それでも続けている、続けてしまうのは、実は大人になりきれない、あるいは大人になりたくないということの証しかもしれない−。そうした小佐部自身の問題意識が痛く深く全編を貫いている。
 そうしたモラトリアム(大人になるための猶予期間)的な人々を取り上げた作品には往々にして、僕などは「勝手にやってくれよ」「マスターベーションまで見せなくていいよ」などと思ってしまいがちなのだが、本作についてはちっともそう感じなかった。なぜか−。
 世阿弥が残した能楽用語「離見の見(りけんのけん)」が効いていたと感じられるからだ。いまや演劇、アートの領域を超えて、人生を生きる場面についても応用されている言葉だと思うが、そうした、舞台で演ずる(人生を生きる)自分たちを、自分たちから離れた所から客観視する目が生きていたと思われるからである。そうした冷静な目で、決して声高にではなく自分たち演劇人のそれぞれの過去と現在、未来、つまりは歩みを描くことで、この作品は演劇集団ネバー・ランドも劇団アトリエをも超えて、何かに打ち込む、人生を懸ける、どうしようもなくそうしてしまう人たちの在りようを描いた作品として普遍性を獲得したのではないか。
 本公演を年に3、4本は上演する忙しい劇団として、小佐部本人にとってもこの作品の「ちょっと立ち止まって考える」姿勢はいま、必要だったのだろう。 
posted by Kato at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月03日

お詫び

 前項としてあった【スクープ】の記事を全文削除しました。
 訂正などでなく、全文削除は初めてです。取り上げた方から「そっとしておいてほしい」との要請があり、そうしました。
 劇評ブログと題しながら演劇そのものとは関係なく、基本的人権を著しく侵害する恐れのある記事を書いたことを反省しています。
 本当に申し訳ありませんでした。
posted by Kato at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

第3回サンピアザ劇場神谷演劇賞は劇団千年王國「ローザ・ルクセンブルク」

 2013年に札幌・サンピアザ劇場で上演された演劇作品を対象にした第3回サンピアザ劇場神谷演劇賞(エントリー制)の審査会が2月25日(火)、審査委員長の神谷忠孝北大名誉教授をはじめ審査委員6人が出席して行われ、15演目の中から、神谷演劇賞に劇団千年王國「ローザ・ルクセンブルク」(11月上演)、神谷演劇賞奨励賞に伊達緑丘高校「りんごの木」(3月上演)が選ばれた。
 劇団千年王國の受賞は初回11年の「狼王ロボ」以来2回目(12年は座・れら「不知火の燃ゆ」)。
 表彰式は同劇場で3月2日(日)15時開演のテアトロ・マアルイ「喜劇 桜の園」終了後に行われ、神谷審査委員長のポケットマネー10万円が贈られる(なお「喜劇 桜の園」は1日(土)は19時開演)。
 僕も審査委員の末席として議論に参加。各賞に1人2票までの投票の結果、大賞は短時間ですんなり決まった。奨励賞は7演目に票が入る激戦だったが、討議の結果、今日性に通じる「命」というテーマを明るく伸びやかに演じきった伊達緑丘高校に決まった。おめでとうございます。
posted by Kato at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする