2014年02月24日

ツレがウヨになりまして。   補足として高間響さんへの手紙

 笑の内閣「ツレがウヨになりまして。」では2度も不具合が生じてすみません。相変わらずデジタルの落とし穴に陥っている次第。なんなんだろうなあ、これ。最初はそれこそネトウヨの陰謀かと思ったぜよ(栃木弁=立松和平原作、根岸吉太郎監督の映画「遠雷」を見るとわかります)。
 きょうは休み。
 高梨沙羅ちゃんも浅田真央ちゃんも、みんな頑張ったなあ。結果は惜しかったけれども。ヤフーのニュースなどを見ると、五輪についても「メダルは噛むな」とか「楽しかったなどとコメントする選手には、あなたは何のため、何を目指してここまで来たのかと言いたい」とか明治天皇の玄孫が言ってるんだもんなあ。ネトウヨもネタを探してるのかなあ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140223-00000115-spnannex-ent
 少なくとも昭和天皇の玄孫(いるとすれば)はそんな言いがかりはつけないでしょう。
 あらためて、きょうは休み。
 高間響さんに触発されて、もう少しだけ起きて、書くことにします。
 「ツレウヨ」の劇評で僕は感情と論理を二項対立させるような書き方をしましたが、もちろんこれらは混然一体となってこそ、あらゆる分野のアートの「瞬間の永遠」だと思っています。というより、生き方の、ですね。
 書き終えて思い出したのは、鴻上尚史がフランス文化省の招待で1カ月ほどパリに滞在していた時の講演会で、地元のジャーナリストから問われた言葉です(ここから数行は鴻上尚史著「名セリフ」(ちくま文庫)より。多少、表現を変えた部分があります)。
「あなたの作品は、論理でつながっているのか、イメージ(筆者注・僕の書いた「感情」に近いもの)でつながっているのか」
 鴻上は、無茶な分け方をするなあと思いながら、
「強引に分ければ、論理だと思います」
と返します。
「本当は、つなげるものとしては論理とイメージの他に、言葉と俳優というのもあると思いますよ」
とつけ足します。 
 「言葉」は「論理」に近く、「俳優」は「イメージ」に近いものです。
 鴻上は、イメージに近しい演劇人として、唐十郎と野田秀樹を挙げています。
 この2人ともが、僕が観劇するためにあえて上京する作家であることを、当ブログの長年の読者ならご存じだと思います。
 「非実在少女のるてちゃん」の時にもyhsに絡めて近いことを書いたし、「ツレウヨ」でも思いましたが、笑いの内閣は「論理…言葉」はとても強いけれども、「イメージ(感情)…俳優」はもう少し鍛錬の必要があるというのが実感です。つまり、はっきり言えば、俳優の身体が拙い。
 前項でも書きましたが、「ツレウヨ」は装いとしてのイメージ(感情)に流れての終わり方は良かった。でもその底に、高間さんのしっかりとした論理があったのです。それはそれでもちろん素晴らしいことです。でも30年余、芝居を見てきた僕には、論理を突き詰めて、突き詰めすぎて、突き詰めた末に破綻しても良かったのではないか、それはそれで「演劇的一瞬の永遠」になったのではないか、ということです。
 高間さんは取材も戦略も劇作も緻密な人だな、賢い人だなと、僕は2作を見ただけですが思います。
 そこでいま一番するべきなのは、「ツレウヨ」の韓国公演ではないでしょうか。日本にいるのはネトウヨだけではないですよ、という表明、そして連帯への意思表示ではないでしょうか。
 高間さんの行動力を持ってすれば、京都の韓国人+関係者の助力を得ての韓国公演は不可能ではないと思います。
 ぜひ、ご一考ください。
posted by Kato at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ツレがウヨになりまして。 −不具合により再々送−

 笑の内閣(京都)「ツレがウヨになりまして。」(作・演出高間響=北海道出身=2012年初演)を2月15日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 京都市に住む女子大生、日向あおい(鈴木ちひろ)は最近同棲中のツレ、富山蒼甫(清水航平)の様子がおかしいことに気をかけていた。気になりパソコンを覗いてみると、そこには韓国への罵詈雑言が。心配するあおいをよそに、蒼甫はK−POPアイドルばかりよぶ近所のスーパー・フジマーケットにデモにでかける。愛国心を問う思想系ラブストーリー。
 「あおい」「蒼甫」「フジ」と名詞がくると、わかる人にはわかる一連の騒動を下敷きにした物語だ(日向=いまの宮崎県あたり、富山県には高岡市がある、などというディテールへの高間のこだわりがミソ。ちなみに映画「ツレがうつになりまして。」の主演は宮崎あおいという女優)。しかもチラシに「初演時よりますます嫌韓デモが激しくなる中、ネット右翼(筆者注・通称ネトウヨ)をぶった斬る!」とあり、いわば確信犯。
 12年9月にZOOで見てブログに書いた、東京都の青少年健全育成条例改正案反対がモチーフの「非実在少女のるてちゃん」同様、全編を笑いが覆い尽くすが、三島由紀夫@楯の会の自衛隊決起呼びかけ+自害を模した場面なども出てきて、ここまでやって大丈夫?(文字通り、右翼からの表現活動への妨害、あるいはそれ以上の暴力)と、僕などは思ってしまうのだが、それがきっと大丈夫なんだな、きっと今は。1961年の大江健三郎の小説「セヴンティーン」のころとはちょっと変わってて。
 つまり、思うにネトウヨといわれる人たちは、こうした表現の奥底にある一貫した幹の太い論理が通った表現活動を逐一、その会場にわざわざ足を運んでまで見たり聞いたりはしないのではないか。その前の段階で、そうしたものがあるらしいという段階で、もう頭から湯気を出してしまっているのではないか。筋道を立てての人と人とのやりとりではなく、まず結論ありきなのではないか(先に報道された某国営放送経営委員の「天皇=現人神」的な文章には、僕もちょっと驚いちゃったけれども。いまもいるんだなあ、こういう人って(いわばガラパゴス右翼=ガラウヨかな=これはいま思いついた言葉。今上天皇のお心をお察しする)。そうした人たちで身の回りを固めている安倍晋三首相におかれましては、ではどのような形容詞がお似合いでしょうね)。各種の報道を見聞きするなどしても、結局、ネトウヨといわれる人にあるのは素朴な感情だけであって、突き詰めた論理ではないと僕には思える。まあ、それも度を越して暴力などにならなければ許容範囲でしょうが。感情が下で、論理が上というわけではありませんが。ただもう少しだけ、感情と論理とで、かみ合いたい。
 芝居は終盤、「愛は勝つ」といった感情的な方向にどんどん流れていく、あるいは流されていくが、もちろんそれは第一にはエンターテインメントとしての舞台を意識してのことだろう。それを意識した上で高間が、先に書いた「ネトウヨ=感情」一極論、つまり感情溢るるネトウヨといわれる人たちにもなんらかのリアクションを起こしてもらえるように、芝居としては“いかにも安直で薄っぺらくて予定調和的な”終幕へ劇作したのだったとしたら、それは逆にものすごい、また優しすぎるほどのネトウヨへの斬り込み方であって、僕はそれを表現者として称賛すべき勇気だと言おう。僕にはその通りに、少なくとも緻密に計算された結末だったと、そう思えた。
 ここでお詫びをしなくてはならない。実は札幌座「ダニーと紺碧の海」のコメント欄に、息子が京都で芝居をしているという方(高間のお母さまと思われる方)から、「ツレウヨ」の宣伝告知のコメントを頂いていたことが、つい先ほどわかった。僕が2月1日(土)の北海道新聞夕刊のコラム「校閲の赤えんぴつ」で当ブログのことを初めて紹介したのを読まれて、近々息子の芝居が札幌で上演されると、居ても立ってもいられずに書かれたものだったが、当方の管理運営のミスで画面にアップされないままになっていた。一人でも多くの方に見ていただきたいという真情溢れる文章を、僕は無にしてしまった。本当に申し訳ありませんでした。
 笑の内閣「のるてちゃん」の項でも書いたが、yhsとの近似性を感じていたら、僕の見た回はアフタートークのゲストがyhsリーダーの南参だった。高間に対してある質問をしたが、いま考えればもう少しましな、気の利いた、本質を尋ねる問いかけをしたかったなと、帰り道につくづく思った。それは今も2人に聞きたいことだ。死刑制度を取り上げた傑作「しんじゃうおへや」の南参とのツーショットなんだもの、「社会派作品を世に問うときの覚悟は?」なんてね。
 僕にとって芝居には二通りあって、ブログの記事がすぐ書けるものとそうでないものがある。本作は後者だ。つまり書くに当たって言葉を選ばせる演劇ということだ。見終えてから、もう1週間以上になる。
 北海道出身、高間の劇作をずっと見守り、応援していく。高間には、いつまでも戦闘モードでいてほしい。僕も芝居によっては、生きよくなるための戦闘モードになる。
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ツレがウヨになりまして。 −不具合発生により再送−

 笑の内閣(京都)「ツレがウヨになりまして。」(作・演出高間響=北海道出身=2012年初演)を2月15日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 京都市に住む女子大生、日向あおい(鈴木ちひろ)は最近同棲中のツレ、富山蒼甫(清水航平)の様子がおかしいことに気をかけていた。気になりパソコンを覗いてみると、そこには韓国への罵詈雑言が。心配するあおいをよそに、蒼甫はK−POPアイドルばかりよぶ近所のスーパー・フジマーケットにデモにでかける。愛国心を問う思想系ラブストーリー。
 「あおい」「蒼甫」「フジ」と名詞がくると、わかる人にはわかる一連の騒動を下敷きにした物語だ(日向=いまの宮崎県あたり、富山県には高岡市がある、などというディテールへの高間のこだわりがミソ。ちなみに映画「ツレがうつになりまして。」の主演は宮崎あおいという女優)。しかもチラシに「初演時よりますます嫌韓デモが激しくなる中、ネット右翼(筆者注・通称ネトウヨ)をぶった斬る!」とあり、いわば確信犯。
 12年9月にZOOで見てブログに書いた、東京都の青少年健全育成条例改正案反対がモチーフの「非実在少女のるてちゃん」同様、全編を笑いが覆い尽くすが、三島由紀夫@楯の会の自衛隊決起呼びかけ+自害を模した場面なども出てきて、ここまでやって大丈夫?(文字通り、右翼からの表現活動への妨害、あるいはそれ以上の暴力)と、僕などは思ってしまうのだが、それがきっと大丈夫なんだな、きっと今は。1961年の大江健三郎の小説「セヴンティーン」のころとはちょっと変わってて。
 つまり、思うにネトウヨといわれる人たちは、こうした表現の奥底にある一貫した幹の太い論理が通った表現活動を逐一、その会場にわざわざ足を運んでまで見たり聞いたりはしないのではないか。その前の段階で、そうしたものがあるらしいという段階で、もう頭から湯気を出してしまっているのではないか。筋道を立てての人と人とのやりとりではなく、まず結論ありきなのではないか(先に報道された某国営放送経営委員の「天皇=現人神」的な文章には、僕もちょっと驚いちゃったけれども。いまもいるんだなあ、こういう人って(いわばガラパゴス右翼=ガラウヨかな=これはいま思いついた言葉。今上天皇のお心をお察しする)。そうした人たちで身の回りを固めている安倍晋三首相におかれましては、ではどのような形容詞がお似合いでしょうね)。各種の報道を見聞きするなどしても、結局、ネトウヨといわれる人にあるのは素朴な感情だけであって、突き詰めた論理ではないと僕には思える。まあ、それも度を越して暴力などにならなければ許容範囲でしょうが。感情が下で、論理が上というわけではありませんが。ただもう少しだけ、感情と論理とで、かみ合いたい。そう\xBB
廚Α
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ツレがウヨになりまして。

 笑の内閣(京都)「ツレがウヨになりまして。」(作・演出高間響=北海道出身=2012年初演)を2月15日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 京都市に住む女子大生、日向あおい(鈴木ちひろ)は最近同棲中のツレ、富山蒼甫(清水航平)の様子がおかしいことに気をかけていた。気になりパソコンを覗いてみると、そこには韓国への罵詈雑言が。心配するあおいをよそに、蒼甫はK−POPアイドルばかりよぶ近所のスーパー・フジマーケットにデモにでかける。愛国心を問う思想系ラブストーリー。
 「あおい」「蒼甫」「フジ」と名詞がくると、わかる人にはわかる一連の騒動を下敷きにした物語だ(日向=いまの宮崎県あたり、富山県には高岡市がある、などというディテールへの高間のこだわりがミソ。ちなみに映画「ツレがうつになりまして。」の主演は宮崎あおいという女優)。しかもチラシに「初演時よりますます嫌韓デモが激しくなる中、ネット右翼(筆者注・通称ネトウヨ)をぶった斬る!」とあり、いわば確信犯。
 12年9月にZOOで見てブログに書いた、東京都の青少年健全育成条例改正案反対がモチーフの「非実在少女のるてちゃん」同様、全編を笑いが覆い尽くすが、三島由紀夫@楯の会の自衛隊決起呼びかけ+自害を模した場面なども出てきて、ここまでやって大丈夫?(文字通り、右翼からの表現活動への妨害、あるいはそれ以上の暴力)と、僕などは思ってしまうのだが、それがきっと大丈夫なんだな、きっと今は。1961年の大江健三郎の小説「セヴンティーン」のころとはちょっと変わってて。
 つまり、思うにネトウヨといわれる人たちは、こうした表現の奥底にある一貫した幹の太い論理が通った表現活動を逐一、その会場にわざわざ足を運んでまで見たり聞いたりはしないのではないか。その前の段階で、そうしたものがあるらしいという段階で、もう頭から湯気を出してしまっているのではないか。筋道を立てての人と人とのやりとりではなく、まず結論ありきなのではないか(先に報道された某国営放送経営委員の「天皇=現人神」的な文章には、僕もちょっと驚いちゃったけれども。いまもいるんだなあ、こういう人って(いわばガラパゴス右翼=ガラウヨかな=これはいま思いついた言葉。今上天皇のお心をお察しする)。そうした人たちで身の回りを固めている安倍晋三首相におかれましては、ではどのような形容詞がお似合いでしょうね)。各種の報道を見聞きするなどしても、結局、ネトウヨといわれる人にあるのは素朴な感情だけであって、突き詰めた論理ではないと僕には思える。まあ、それも度を越して暴力などにならなければ許容範囲でしょうが。感情が下で、論理が上というわけではありませんが。ただもう少しだけ、感情と論理とで、かみ合いたい。そう\xBB
廚Α
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2014年02月23日

アザミ・補足

 前項、弘前劇場「アザミ」の後段部分、2002年の第46回岸田國士戯曲賞最終候補作になったくだりで、野田秀樹さんが、俺の目が黒いうちは長谷川孝治さんは選ばないと言ったとかというのは、あくまで開演前のロビーでの長谷川さんとの立ち話で出ただけで裏付けはありませんので、その程度の風説と受け流してください。事実と思われると、長谷川さんにも野田さんにもご迷惑をおかけすることになるので、あえてこうしてことわる次第。書き方に配慮が足りませんでした。すみません。
 ただ野田さんについてはもう10年以上前、在京の演劇人から「野田さんは、俺の目が黒いうちはA(長谷川さんとは別人)は選ばないと言ってるね」などと実際に聞いたこともあるんです。似たような趣旨をしょっちゅう言ってるのかな? まさかな? ビッグな人ならではの「都市伝説」かもしれません。
posted by Kato at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月22日

アザミ

 弘前劇場(青森)「アザミ」(作・演出長谷川孝治=2001年初演)を2月22日(土)、札幌・コンカリーニョで見た。
 大学の平井正(村田雄浩。49歳の設定=僕と同い年)の部屋。深夜というのに准教授である平井を呼び出す大学生野口光彦(林久志)。平井はヒット作を持つラジオドラマ作家でもある。平井は、書けない原稿に悶々とし、はっきりしない今時の青年である野口に苛立ちを隠せない。やがて、同じゼミの林ふゆ(伊勢未知花)が、そして、平井の昔なじみであり、ラジオ局で制作をしている里中久美子(小笠原真理子)が登場してきて…。隠された真実、歪んだ男女関係、少女の不思議な旅を綴る劇中物語…。それぞれの追い詰められた不可解な状況が重なり合って…。
 01年、09年、そして今回が3演目という。開演前にロビーで長谷川から、初演時の平井は畑澤聖悟さんが演じたとうかがって、ちょっと驚く(僕と同い年で、弘前劇場を経て、現在、渡辺源四郎商店(なべげん)店主。青森の劇団ですよ、お間違えなく)。その事実に、なぜか軽く動揺したまま劇場入り。数多くの本棚と物書き机、応接ソファのある大学准教授の部屋のセットだ。
 開演間もなく、舞台に漂う不穏な空気。それが物語の進行に従って、エロティックなものになっていく。なんだか頭の中が、中だけが、ものすごくエロティックになる(僕だけかな?)。現実と空想、幻想、ノンフィクションとフィクション。全体的に薄暗い照明、時折外から聞こえる感じの不協和音が不気味さ、先行きの覚束なさを増して効果的だ。
 芝居は一人の女・ふゆを好きになった二人の男の物語、つまり三角関係ものかと思いきや、見ようによっては四角関係でもあるように思えてくる。そして、突然の衝撃−。
 男ってなんて情けないんだろう、女ってなんて怖いんだろう。主人公が同い年の男だと、ほかの観客より余計なことも考えて、我が身に引き寄せて思い巡らせてしまうものなのよねえ。
 02年の第46回岸田國士戯曲賞最終候補作で、検索すると選評が読める。その回は「該当作なし」だったが、僕が心酔していた故太田省吾さんは推したようだ。長谷川によると、野田秀樹は、俺の目が黒いうちは長谷川は選ばないと言ったとか…。
 本作のチラシで長谷川は、旧ソ連の亡命映画監督アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」について書いているが、僕にとってはなんだか、古き良きフランス映画の味わいだった。ジャンヌ・モローあたりが主演の。それから、劇団パーソンズが札幌劇場祭2012で新人賞を受賞した「CRY WOLF!」も思い出した。
 楽日23日(日)は14時開演。
 
posted by Kato at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月18日

不知火の燃ゆ

 座・れら「不知火の燃ゆ」(作鷲頭環、演出戸塚直人=2012年初演)を2月17日(月)、札幌・コンカリーニョで見た。
 八代海(不知火海)水俣湾。多くの魚種に恵まれた豊穣の海。人々は海とともに暮らしていた。月の浦の漁家・杉原家では、現金収入が必要な事情から父親と長女(曽我夕子)は出稼ぎに行き、長男(前田透)は地元が誇る会社で働いている。祖父(新井田廣)と母親(竹江維子)が細々と漁を続けていたが、美しい海はすでにその姿をかえていた。水鳥は消え、魚は浮かび、猫は狂い死に…。1956年(昭和31年)9月、三女・千恵子(フクダトモコ)の誕生日に、長女・良子が長崎から4年ぶりに帰ってきた。良子を追って良子の勤め先の息子・滝沢(信山E紘希)が現れると、やがて静かな村を蝕んでいるものの姿があらわになってくる。出演はほかに小山由美子、松永ヒサ子、西野輝明。
 本作については12年6月の初演の際に、水俣病を描いてフクシマを想像させるテーマ性に驚き、圧倒され、示唆を受け、思いのたけの大方は書いた。決して告発ではない、人々が生きる時間の中で観客の想像力=創造力を促す劇作に胸を打たれた。「札幌劇場祭に出品したら受賞するだろうな」とブログで予言し、その通りにもなった(特別賞脚本賞)。ぜひ一人でも多くの方に見て、何かを感じていただきたい芝居だ。
 開演前、戸塚が僕に「石牟礼道子さんに見ていただくことはかないませんでした」と言ってきた。僕は、水俣を書き続けてきた石牟礼さんに見ていただくべきだとも、初演時の劇評で書いていた。ならばこの際、人としてのあり方としては石牟礼さんよりは小さくなるが、細川護熙、小泉純一郎の両氏に見ていただくのはどうだろう。細川氏は世が世なれば熊本の殿様だし。この芝居はその価値が十分にある。
 「札幌演劇シーズン2014冬」のチラシで大写しになっている澤口謙さん(13年10月26日逝去)の穴を、新井田がよく埋めた。曽我夕子はyhsのプレイヤーだが、僕はなんだか、あちこちの芝居でしょっちゅう見ている気がする。それだけ外部出演も引っ張りだこだ。長く美しい黒髪を大切にね。
 気高く怒りを持続することの深い意味。人間として普通に生きる、ちっぽけだけれども、ありったけの尊厳ということ。そうしたことを、この芝居は描ききっている。
 「札幌演劇シーズン2014冬」のラスト、本作の楽日18日(火)は19時半開演。
 5回目の「札幌演劇シーズン」4作、とても良いラインアップだった。
posted by Kato at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月11日

西線11条のアリア

 札幌座「西線11条のアリア」(作・演出・音楽斎藤歩=2005年東京初演、06年札幌初演)を2月11日(火)、札幌市教育文化会館で見た。
 雪嵐が舞う、真冬の札幌。ススキノに向かうため、吹き曝しの電停で市電を待つ一人の男。やがて、奇妙な人たちが集まってくる。見た目はまあまあ普通。でも何だか様子がおかしい。炊飯器を抱えた姉弟がやって来て、ご飯を炊きはじめた。驚く男を巻き込んで、食事の準備が進められる。炊き上がったピカピカのご飯。まさか、そこが冷蔵庫だったなんて!
出演は、東京から札幌に出張に来た男に彦素由幸(札幌ハムプロジェクト副代表だが、この1年の札幌座では大車輪の活躍だ)、姉弟に宮田圭子と川崎勇人(元TPS=札幌座の前身=劇団員で、ワークショップに来た柄本明さんに惚れられて現在は劇団東京乾電池に“移籍”)、電停に集まってくる奇妙な人たちに木村洋次、佐藤健一、林千賀子、山本菜穂、高子未来、市電の運転手に弦巻啓太。
 この作品、大好きだ。「大好き」という言葉ではあまりにも足りない、僕の北海道演劇体験にとって大切な存在。2006年2月に札幌初演の劇評を当ブログの2項目として書いて以来、07年(シアターホリック「マイベスト」)、11年(シアターホリック「北海道演劇の宝」賞)と、上演されるたびに心に浮かんだ言葉を書き続けてきた。
 普通の人が普通に生きて普通に死んでいく−そうした当たり前のことをファンタジーにくるんで描く物語、例えれば斎藤歩版「銀河鉄道の夜」ともいえるものだが、見終えた後の僕はいつも自分の、そして他人の、つまりは人の「生と死」について考えている、考えてしまっている。考えている、というほど頭を巡らせるものではなくとも、そのことに思いをはせている。きょうも円山の自宅まで歩いて帰る道すがらそうだったし、いまも、あすもそうだろう。
 そして自分を含めて、いま生きている人には「幸多かれ」、少なくとも「災いは少なかれ」と願い、死にゆく人、亡くなってしまった人には「心安らかに眠られんことを」と、心の奥底から祈っている。祈らずにはいられないのである。
 作劇としては十二分にコメディーなのだが、見終えた後の僕はいつも厳かな気持ちになり、心が洗われた思いがする。天上のどなたかが斎藤歩をして創らしめた、この魂の根源からの祈りは、僕には奇跡的な出会いであり、別れであり、人として生まれ、生きてきた、そしてこれからも生きていく、一つの大切なよすがだ。
 私事だが、つい最近、慕っていた会社の先輩を病気で亡くした。
 17時出勤で会社そばの地下道から地上への階段を上がったら、その先輩が杖をついて地下道への入り口に歩いてきた。げっそりと痩せて、ほおの肉がそげ落ち、顔の骨格が病的に出ていた。
 「おう、加藤」と先輩。「お疲れさまです」と僕。僕は地上に上がり、先輩は地下へ下っていった。
 「もしかしたら、もしかして…」と、僕は嫌な予感がした。「仕事の引き継ぎをしに、わざわざ出社したのかもしれない…」
 先輩が亡くなられたのは、そのちょうど1週間後だった。この場をお借りして、心からご冥福をお祈りいたします。
 ソチ五輪の関係で、仕事が大変に忙しい。本当ならこの作品は全8ステージとも見たいのだが、今度見られるのは楽日。その日限り、上田文雄札幌市長も出演されるとのことだ。
 2月11日、「建国記念の日」。そして「3・11」まで、もう1カ月。
 ぜひ、ご覧ください。
 「札幌演劇シーズン2014冬」の作品、劇団、日程などの詳細はホームページ http://s-e-season.com/ をご覧ください。
posted by Kato at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月03日

ダニーと紺碧の海・再観

 札幌座「ダニーと紺碧の海」(脚本ジョン・パトリック・シャンリィ、翻訳鈴木小百合、演出橋口幸絵)を2月2日(日)、札幌・シアターZOOで見た。初見のAチームだ。
 千秋楽で、ダニー=谷口健太郎、ロバータ=山本菜穂。Bチームの彦素由幸(前項で名前を間違えていた。お詫びして訂正します)、榮田佳子のコンビより背格好が一回り大きい大型コンビだ。見る前はその大柄さゆえ、細かいところが大雑把な大味になるかなとも懸念していたが、まったくの杞憂だった。もともとが米国の戯曲だから、地元では演者も谷健、菜穂コンビほどの大きな容姿だったろう。それに予想以上にデリケートな心配り、目配り、めりはりの利いた出来栄え。A、B、2チームの違いの妙を堪能できた芝居だった。
 菜穂は札幌座でこれまで、しっかり者のお姉さんという役柄が多かった。札幌座ブログでも折り目の正しい日本で書いており、実際に会って話してもきちんとしている。それがロバータという、心に闇を抱えた、けれど内奥では救済を求めてやまないすれっからしの役。ちょっと疲れた感じの体の線からしても(失礼)、ロバータになりきっていた。昨年の映画「許されざる者」の女郎役といい、本作といい、役柄の幅が大きく広がっただろう。
 谷健も良かった。主宰するカンパニー(プラズマニア、リリカル・バレット)では元気すぎるほどのバイタリティー溢れる役柄で人気があるが、今回の台詞ではめりはりが利いていた。とくに、低い声でぼそっと話す感じが孤独感をたたえて良かった。
 本当に緻密に出来た良い戯曲だ。先週のダニー初見(Bチーム)の劇評で中上健次の小説を読んだ後の感じに似ていると書いたが、映画では中上原作の柳町光男監督「十九歳の地図」(1979年)を思い出す。新聞少年(本間優二)が社会に鬱憤を抱き、各地に爆弾を仕掛けたと嘘の公衆電話をかけながら、「便所のマリア」(寺山修司作の戯曲題名)とも言うべきすれっからしの女(怪女優沖山秀子)と交流する。女は生きている価値がないことを自覚しているが「死ねないのよう、死ねないのよお」と布団に仰向けで泣き叫ぶ。この映画の行き場のなさが、本作ではダニーとロバータの心の互いの救済という形で、この世にさようならをする直前のところで希望へと昇華されている。
 ぜひ再々演していただきたい名作だ。演劇シーズンではもうかなわなくとも「札幌座Pit」という手もある。その際には、まずはぜひとも2012年7月に橋口が札幌座メンバーらを配役した文化庁・公益社団法人日本劇団協議会主催、日本の演劇人を育てるプロジェクト・新進演劇人育成公演「輪舞−ロンド−」(原作アルトゥル・シュニッツラー、脚色・演出橋口幸絵=劇団千年王國・札幌座)の出演者を起用していただきたい。当時の出演8人のうち芝居から離れた人らを除けば、村上水緒=劇団千年王國、納谷真大=イレブン☆ナイン、宮田圭子=札幌座、小林エレキといったところ。そして出演者を代えつつ、ゆくゆくは、米国のA.R.ガーニーが制作し1988年初演、日本では青井陽治さんが翻訳・演出し、出演者(男女各1人)を代えて400回近く上演されている朗読劇「LOVE LETTERS」(ラヴ・レターズ)のように育てていってほしいものだ。
 「札幌演劇シーズン2014冬」の作品、劇団、日程などの詳細はホームページ http://s-e-season.com/ をご覧ください。
posted by Kato at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする