2013年10月30日

最後の伝令

 じゃぱどら!!捧腹編「菊谷さんと安部」の劇団回帰線「最後の伝令」(原案榎本健一、脚色菊谷栄=初演1931年、演出西脇秀之)を10月27日(日)、札幌・シアターZOOで見た。
 榎本健一とは「エノケン」の愛称で親しまれた「日本の喜劇王」。菊谷栄はエノケンの座付き作家として人気を支えたのだという。西脇はよくもまあ、こうした喜劇の戯曲を探し当てたなあと率直に驚く。
 アメリカ南北戦争が舞台の、若い兵士とその帰りを待つ恋人の物語を上演する日本の劇団の話だが、その芝居が表も裏もとっちらかるとっちらかる、脱線する脱線する、果たして最後までたどり着くのか−という軽演劇。出演は小林なるみ(女優)、京極祐輔(舞監)、松岡春奈(受付嬢)、西山佳奈(メリー)、仁和享平(新人)、金戸一基(トム)、齋藤純基(うどん屋)、公平舞(大道具)、甲斐大輔(座長)。
 最初に舞監が物語を説明する場面から、ぐいぐい引き込む力は十分に魅力的。劇団の劇中劇もテンポ良く、ドタバタと快調だ。劇場配布の西脇の「ごあいさつ」によれば、この作品自体が「極楽大一座 アチャラカ誕生」(56年)という映画になっているという。西脇もフィルムのありかはわかったのだが、見ていないらしい。
 というわけで、どうにもお馬鹿な笑い話なのだが、見ていてなんだかとても温かな気持ちになれるのが西脇演出たるところだろう。札幌市東区の市民劇団オニオン座の座付き作家としての西脇の立ち位置にも通ずるところがある。この戯曲をこうしてよみがえらせたのは、まずもって功績だといえよう。
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一人芝居「桜の園」

 三木美智代in実験演劇集団「風蝕異人街」の一人芝居「桜の園」(作アントン・チェーホフ、演出はクレジットがないが、三木&こしばきこうだと思われる)を10月27日(日)、札幌・北海道文化財団アートスペースで見た。
 三木演ずる、結局最後には「桜の園」を手放してこの地を離れざるを得なくなる女地主ラネーフスカヤの一人芝居。ただ舞台奥に下がった黒幕(これには金縁の窓が二つ開いていて、冒頭とラストには馬車になる)の向こうにこしばが控えていて、ロパーヒンやトロフィーモフら男性登場人物の台詞を声色を変えて発声する。その手前の平場に小さなテーブル一つと白塗りの椅子が4脚。誰もいない、人物不在の空席は、ラネーフスカヤらの心の孤独感を表してもいるだろう。
 ちゃんと戯曲に忠実に上演すれば2時間半はかかるだろう戯曲だが、この日の上演は50分。深い読み込みに基づいた、エッセンスの凝縮された緊密な芝居だった。チェーホフが戯曲の表紙に「喜劇 四幕」と書いているように、人が懸命に生きることに伴うそこはかとない「喜劇性」が立ち上ってきた。中盤、都はるみの「好きになった人」が流れ、ラネーフスカヤも踊りながら熱唱するが、いかにも哀しい喜劇性である。(もちろん風蝕ならではの遊び心、異化効果でもある)。
 昨年に三谷幸喜演出の「三谷版『桜の園』」(東京・渋谷のパルコ劇場。ラネーフスカヤは浅丘ルリ子)を見て以来の同演目の観劇だったが、遜色は感じなかった。古典戯曲をこうして“遊ぶ”ことの貴重さ、大切さをあらためて思った。そしてそうされてこそ、古典は古びないのだとも。
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2013年10月26日

神露淵村夜叉伝

 劇団新劇場「神露淵村夜叉伝(じろぶちむらやしゃでん)」(作石山浩一郎、潤色・演出菅村敬次郎)を10月20日(日)、札幌・やまびこ座で見た。
 九州出身の高校演劇関係者石山の平和への熱い思いがこもった作品を、旧知の札幌の元高校演劇指導者菅村が演出した。
 太平洋戦争末期、九州の人口300人余りの神露淵村に、突然、焼夷弾1発が落とされ、村役場は損壊、さらに負傷した若い米兵1人が白いパラシュートで落下してきた。若い男性はほとんどが出征し、残った高齢者や女性らがどう対応するか鳩首会談するが、話はあっちへいったりこっちへいったり…。小さな村の予想もしなかったザ・ロンゲストデー。
 決して幸福なことではないが、なんだかきな臭くなってきたこの時代に、多くの人に見られるべき作品だ。先にも書いた通り、石山の平和を希求する思いが痛切なブラックコメディーを伴って展開される。でもきっとこの村人たちの姿は現代の私たちにも大いに呼応しているのだろう。なんだかぞっとするけれども。
 年齢層の幅広い役者たち20人余りが出入りして、舞台はにぎやか。ラストには希望が託されており、見終えた後味は良い。
 ただ、あの時代の狂気を剔抉するなら、役者の動きなどはもっと破天荒に羽目を外してもよかったかもしれない。舞台装置がしっかりとして立派だっただけに、演技のほとんどがその中に収まってしまったようで、ちょっともったいない気もした。
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私の父

 札幌厚別高校演劇部「私の父(「中谷先生の娘たち」改題)」(作厚別高校演劇部、演出佐藤みきと、高島美玖)を10月19日(土)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 「雪は天から送られた手紙である」という言葉で有名な物理学者(北大教授)であり、随筆家でもあった中谷宇吉郎をモデルとした中田弥吉郎(佐藤)を中心に、長女佐知子(白野実季)、次女芙由子(小松玲菜)、妻志津(高島)、夭折した弟、まだ幼い三女(以上2人は役者としては登場しない)を描いた“家族演劇”。中田の友人たちの配置も適度で、良い芝居だった。心が温まった。
 「イグアノドンの唄」「立春の卵」など中谷の随筆が巧みに物語に取り込まれている。部員全員で中谷を周到に調べ上げて物語化したのだろう。けれども「これだけ調べました」という成果羅列のこれ見よがしの芝居にはなっていない。むしろ膨大にある伝えたいことをずいぶんと刈り込んだ印象で(上演時間60分)、感心するほどに、心憎いほどに、程がよい。
 題名「私の父」の通りに、家族演劇としては長女佐知子の視点を中心にしたのも奥深さの一因かもしれない。父と娘という関係は、私などからすると、ちょっと微妙な恋心的なものも含んでいるようで、端からそっと見守っていたいものだ。
 役者たちも粒ぞろい。動きも全般的に過度ではなく、むしろ控えめ。そう、「エッセイ」ではなく「随筆」にふさわしい演技。でもそうした淡々としたところから、中田や家族、友人らの心の交流がしっかりと浮き彫りになる。
 中谷宇吉郎をモチーフとした芝居としては、私が心酔する風琴工房(東京)が、中谷が雪の人工結晶を作った一日を描いた作品「砂漠の音階」(作・演出詩森ろば、2005年初演)を07年に札幌・コンカリーニョで見て感動したのだが、それよりもしっとりと心に残る芝居だった。
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2013年10月06日

ミエナイ家族のハロー・マイ・ゴースト

 空飛ぶ猫☆魂(東京)「ミエナイ家族のハロー・マイ・ゴースト」(脚本・演出西永貴文)を10月6日(日)、札幌・シアターZOOで見た。
 「紹介します。 霊です」。愛する恋人(佐々木光弘)と結婚の約束をしていた女(久米田彩)。だが、その夢は叶わぬまま、恋人が事故で亡くなってしまう。時が過ぎても、悲しみに暮れる女。そんな女の前に現れたのは、死んだはずの恋人であった……。その時、女は、幽霊との結婚を、決意する。予測不能の悲喜劇が、ここに始まる。 出演はほかに西興一朗、辻修、長谷真行、石倉良信+日替わりゲスト(在札演劇人)。 ワンシチュエーションもので1時間50分とはちょっと長めかなと思いつつ見ていたが、テンポ良く笑わせ、見飽きることはなかった。佐々木と久米田が素朴で誠実、清楚な雰囲気を醸しだしており、作品というか、このプロデュースユニット自体を上品なものにしていて好感を抱いた。ほかにどんな作品を上演するのか、次回作を見たいなと思わせるユニットだった。
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