2013年06月28日

散ル 咲ク−わらう花

 劇団怪獣無法地帯「散ル 咲ク〜わらう花」(作・演出伊藤樹)を6月28日(金)、札幌ターミナルプラザことにパトスで見た。
 2008年の教文短編演劇祭の優勝作品「わらう花」を2時間に長編化。
 生身の少女のような人形を作る人形師秋山(しゅうざん、梅津学)と、人形のように美しい少女、彼が作った人形たちをめぐる物語。第一話「桜貝」、第二話「水鏡」、第三話「揚羽蝶」からなり、それぞれ白雪(新井田琴江)、桜貝(三宅亜矢)、水鏡(原田充子)、揚羽蝶(伊藤しょうこ)らが艶やかに舞う。
 黒装束のコロスが芝居を引き締めるとともに、少女たちの美しさ、可憐さをいっそう引き立たせる。伊藤の女性ならではの繊細な美意識が光る作品だ。
 開演は29日(土)14時・19時、30日(日)13時・17時。
posted by Kato at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

毒殺魔・宮田圭子に魅せられて

 きょうは休みだった。もともと夕飯を食べてから、予約はしていなかったが、札幌座Pit「ブレーメンの自由」を見に行こうかと思っていた。
 きのう(もう今朝ですね)朝7時に寝て、15時に起床。すると、妻が、鼻血が出て眠れなかったという。25日から、そんなことが続いていた。幸い私が休みだったので、一緒に病院へ行った。薬をもらった。で、帰りに妻が「焼き肉が食べたい」というので、食べてきた。
 鼻血というと、私などは山口百恵のTVドラマ「赤い疑惑」を思い出す。放射線事故による白血病で、彼女はしょっちゅう鼻血を出す。そんな心配をよそに、妻は牛タンとかサガリとかカルビを、ばくばく食っている。少なくとも白血病ではないだろう。
 「ブレーメンの自由」は初日に見た後、あとは、予約済みの千秋楽を見るだけだと思っていた。それが、あの衝撃!!
 後味の悪さ、違和感、嫌悪感(これ追加ね)、居心地の悪さ−。そして、それらすべてをひっくるめての一観客としての肯定。一言で言えば、「ブラボー!!」。
 これは、この(ほかに言葉が見当たらないから)感動は、提供する側の札幌座チーフプロデューサー平田修二さんにとってはどうかわからないから、つまり、平田さんが「これはもう封印」と言ったらおしまいだから、目に焼き付けておかねばと思い、きょうも見たかった。でも、妻と病院に行って、それはかなわなかった。
 「ブレーメンの自由」について。
 とにかく、毒殺魔宮田圭子に魅せられた。彼女の芝居は何度も見ているのに、一目惚れした。ラストの、死ぬしかないところに追い詰められた恍惚と不安の表情−。事前に戯曲を読んで、札幌座の“優等生”といってもいい宮田には重すぎるかなあと思っていた役柄を、宮田は静かに淡々と身につけた。悪女ができるようになると、今後の活動にも幅が広がる。これは宮田にとってもエポックメーキングだったのではないだろうか。ルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」のジャンヌ・モローのようだ(あの時に即興で!!音楽を付けたのはマイルス・デイビスだが、今回の斎藤歩の音もいい)。
 で、焼き肉屋を出た後、近くのTUTAYAに行った。なんだか無性に見たくなった映画があったのだ。それは、ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞)だった。
 宮田圭子、あなたはビョークだよ!!
 
posted by Kato at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月25日

ブレーメンの自由

 札幌座Pit「ブレーメンの自由」(作ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー=1971年初演、翻訳渋谷哲也、演出弦巻啓太、音楽斎藤歩=歌詞は戯曲にある)を6月25日(火)、札幌・シアターZOOで見た。
 すごい芝居だ。見終えた後の、何とも言えない後味の悪さ、違和感、居心地の悪さ…。そして、それなのに、それらすべてを肯定してしまっている観客としての自分…。いったい何なんだろう、これは? こんな感覚、味わったことがないかもしれない。つまり、一言で言えば、「ブラボー!!」だ。
 札幌座Pitは、札幌座が本公演とは別に、実験的・先駆的取り組みの公演や、若手を中心とした配役で国内外の名作や前衛劇に挑戦する公演シリーズ。本年度から始まり、本作が第1弾。
 札幌座(旧TPS)の初演演目を初日に見て、終演後に初日乾杯をしたなんて、いつ以来だろう。文化部演劇担当で劇評を書くことが仕事だった頃には当然のことだったが。今回は初日の日付を確認してから、あらかじめ「6月下旬」とおおまかに予約していた人間ドックを25日とする奥の手を使った(弊社全体がそうなのか、校閲部だけなのかは不明だが、人間ドックの日は休みになる)。そのビールのうまかったこと、話が弾んだこと。これは札幌演劇シーズンの演目にすべきだ。全国の方に見てもらうべきだ(弦巻によると、この演目はほとんど上演されていないらしい。彼は過去に、平田オリザの青年団によるリーディング公演は見たと言っていた)。
 この作品でスタートした札幌座Pitで、札幌座はルビコン川を渡ったと言えよう。
 工場経営者の妻ゲーシェ(宮田圭子)は、夫ミルテンベルガー(佐藤健一)に日頃から家畜のように扱われていた。ある日、ミルテンベルガーが急死し、ゲーシェは夫の友人ゴットフリート(深浦佑太)と暮らし始める。恋人との同棲を非難する母親(山本菜穂)を毒殺し、別れ話を回避しようと我が子に手をかけ、逃げようとする恋人を毒殺する。愛に執着しながらも自由を求め続けるゲーシェの最後とは…。
 出演はほかに、弦巻、高子未来、温水元、明逸人、櫻井保英、井上嵩之、上西祐樹。
 チラシに載っているあらすじを書いたが、なんとも救いがない、毒殺魔。ファム・ファタール(フランス語で「男を破滅させる魔性の女(悪女)」)にしてもひどすぎる。これが19世紀初頭にドイツ・ブレーメンで実際に起きた事件を戯曲化したものだというのだから恐れ入る(戯曲の題名は「ブレーメンの自由 ゲーシェ・ゴットフリート夫人 ある市民悲劇」)。でも、先のあらすじを書きながら、私の頭の中には、大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の校内児童殺傷事件(2001年6月8日)や東京・秋葉原の無差別殺傷事件(08年6月8日)、さらには和歌山市・毒物カレー事件(98年7月25日)、もっとさかのぼってオウム真理教の一連の事件(95年前後)などがぐるぐるぐるぐる巡った。それぞれの事件にはそれぞれの事情があるのだろうけれど、人って変わっていないんだなあと。
 ファスビンダーの名は、私には映画監督として親しい。東京の大学に入学した84年、当時あちこちに出来始めたアート系のミニシアターで、ヴェルナー・ヘルツォーク、ヴィム・ヴェンダースとともに「ニュー・ジャーマン・シネマ(当時の西ドイツ)の三羽烏」として、よく特集上映されていた(ファスビンダー本人はすでに82年6月10日に37歳で亡くなっていた)。でも彼が映画だけでなく、演劇にものめり込んでいたことは知っていた。だから今回、自作の芝居としてはウェルメードなコメディーを得意とする弦巻が札幌座ディレクターに加わって最初の演出に本作を選んだと知った時、意外だったし、(ファスビンダーの演劇は見たことがなかったが)うれしさと懐かしさを感じたものだ。ちなみに弦巻は札幌座Pitという新シリーズ創設を知った上でこの戯曲を読んだのではなく、もともと読んでいて、かねがね挑戦したかった作品だったとのこと。
 私は早速、戯曲を買った。約60ページで(ほかに、渋谷氏による訳者解題「もっとも『反動的』な前衛作家」所収)、さほど時間を掛けずに読み終えた。で、これを舞台化するのは難しそうだなと、素人考えだけれども直感した。女性毒殺魔が主人公の凄惨極まる題材を扱っているのに、そうとは思えないほど、すーっと自然に入っていけたのだ。わかりやすく言えば、毒殺魔に「えぐさ」を感じなかった(これって、私も相当にやばいのかも)。それに、文字化されていない部分、つまり創り手、観客の双方にとって想像=創造を託された部分がとても大きい。思いの入り込む余地が大きい戯曲なのだ。素人考えでは、こうした「えぐい」内容の場合、仰々しかったり、おどろおどろしかったり、どこかがぶっ飛んでいた方が演出しやすいのではなかろうかと思ったのだ。はたして弦巻はこれをどう料理して見せてくれるのだろう? 期待は膨らんだ。
 上演時間80分。
 舞台装置は上手から、椅子とテーブルが一つずつ、蔓が絡んだ磔刑像、ソファ、コーヒーカップが八つ並んだ棚、そのそばにごみ箱。
 台詞回しなどに抑揚があり、かつ全体に目配りが行き届いていて、抑制のよく利いた芝居だ。コーヒーがポットからカップに注がれる一筋の小さな音にさえ、意味を求めたくなる。
 宮田は私がこれまで見た中で最高だった、と思う。もともと素が凛とした役者だが、その端正さが毒殺魔に見事に生かされている。毒殺魔をちゃんとしっかり生きていた。台詞が一番多い主人公だが、話していない時の目線一つ、肩の震わせ方一つに説得力がある。そうとうな稽古量だっただろう。2月の札幌演劇シーズンから4カ月しか経っていないのに、あれほど髪が伸びるとは(鬘ではないと確認済み)。神かファスビンダーかの思し召しだろう。
 ほかの10人もしっかり役柄を生きていた、間違いなく。
 思えば思うほど、考えれば考えるほど、わからなくなる、荒野の迷宮にさまようしかない芝居である。そうなのだ。人が人を裁くなんてことはできっこないんじゃないか、とまで思ってしまう。おそらくは、すべてがファスビンダーが投げかけた問いなのかもしれない、人間について、人生について。
 弦巻をはじめとしたこのカンパニーは、それにわれわれ観客は、永遠に解の出ない問いを問い続けなければいけないのかもしれない。なぜならファスビンダーはとっくに死んでしまっているから。彼の口からじかに解を聞き出すことはできないから。
 後味が悪い、違和感が残る、居心地が悪い−でも、そんなことはとっくにわかっているさ、そうファスビンダーはあの世でほくそ笑んでいるのかもしれない。
 とにかくすごいとしか言いようのない、素晴らしい舞台だ。弦巻はじめ関わったカンパニー全員は、そして観客は永遠に探求し続けなければなるまい。
 余談だが、役者が動く、ちょっと高くなった台座の部分が、ちょうど北海道の形に見える。別に意味はないだろうが。
 開演は26日(水)14時・19時、27日(木)・28日(金)19時半、29日(土)・30日(日)14時。
 29日(土)14時公演終演後に、演出の弦巻啓太と翻訳者の渋谷哲也氏によるアフタートークが行われる。
 見に行く際の注意を一つ。きょう私は地下鉄中島公園駅のキタラ側出口からボート乗り場そばを通ってZOOに向かったのだが、ボート乗り場近くに巣作りをしているのだろうカラス数羽に急降下で襲われた。このルートで行かれる方は気をつけていただきたい。
posted by Kato at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月24日

 ハイバイ(東京)10周年記念全国ツアー「て」(作・演出岩井秀人)を6月23日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。岩井の祖母が亡くなった時の実際のエピソードを基に創ったという私演劇的な芝居だ。
 井上家のベッドに、この家の主、井上菊枝92歳(永井若葉)が寝ている。認知症で、死期が近いようだ。孫である山田家の長女よしこ(佐久間麻由)の発案で、ここに、“家族虐待”を繰り返してきた父(猪股俊明)、それに耐えてきた母通子(=菊枝の娘、岩井)、次男から見て祖母に冷たい長男太郎(平原テツ)、次男次郎(富川一人)、次女かなこ(上田遥)、よしこの夫和夫(奥田洋平)、次郎の友人前田(高橋周平)が久々に集まり、ささやかな宴を催す。芝居はその日、菊枝の家で起きた出来事を、最初は次男の視点で、次に母の視点で繰り返し+αで描く。出演はほかに小熊ヒデジ(牧師)、青野竜平、用松亮(ともに葬儀屋)。
 舞台は「こ」の字型に設けられた観客席の中心に位置。次男の視点から母の視点に移ったことは、小道具であるドアノブの場所替えで、180度だけ回転して再び演じられ表現されるといった具合だ(つい21日に聴いたばかりの立川志の輔の古典落語「死神」を思い出した)。
 同じ出来事が、異なる二人の視点では受け取り方が異なる。同じ屋根の下で同じ体験を共有する家族も、まったく別々の思いを抱いているのだ。そうした、時と場合によっては認めたくない、でも認めざるを得ない当たり前のことが、押しつけがましくなく、抑制の効いたトーンで笑いを交えて演じられ、心にじわりときた。
posted by Kato at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月23日

神々の謡〜知里幸恵の自ら歌った謡〜

 ムカシ玩具(おもちゃ、東京)舞香一人芝居「神々の謡(うた)〜知里幸恵の自ら歌った謡〜」(作・演出・舞台美術・出演舞香、音楽・演奏・唄いわさききょうこ)を6月21日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 アイヌ民族の口承文芸カムイユーカラ(神謡)をアイヌ民族として初めて文字に残し、ローマ字と日本語に翻訳して「アイヌ神謡集」にまとめた、今年が生誕110年の知里幸恵(1903〜22年)の生涯を描いた作品で、2009年初演。以来、毎年のように道内で上演されている。
 知里幸恵の生涯を描いた舞台としては劇団えるむ(東京)の芝居を、私はちょうど10年前に見ている。参考までに、以下に北海道新聞夕刊芸能面に掲載された劇評を書いておく。
2003/06/21 (土)
<ステージ>劇団えるむ公演「銀のしずく降る夜」*19歳の短い生涯繊細に描く
 今年、生誕百年を迎えた「アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵の評伝劇。アイヌ民族文化の美を生かした簡素な舞台装置、著作の言葉もちりばめるなどの手法で、時代を経ても色あせず、いっそう輝きを増す幸恵の業績や存在感を描いた。知里や金田一京助、藤本英夫らの著作を基に、ふじたあさやが作・演出した。
 幸恵(小原めぐみ)の日記や手紙、関係者の証言などをもとにエピソードを再現、さらに十一人の全出演者による「神謡集」の朗読が加わる。
 旭川での伯母(青坂章子)、祖母(板倉加代子)との愛に満ちた生活や、離れて住む両親(渡辺大介、久江佐世子)への気遣い、言語学者金田一京助(草川光)との出会い、青年(吉田潔)との悲しい恋など、十九年という短い生涯が繊細に描かれる。
 舞台正面と上手、下手にスクリーンが置かれ、「神謡集」の一節や幸恵の年少時からの写真スライドが映写される。また、それぞれのスクリーンの間には、アイヌ文様を張ったついたてが三枚ずつ並ぶ。
 そうした中で、幸恵が紡いだ美しい言葉を生かした作劇は、差別や偏見に耐えながら、キリスト教を信仰し、病を押してアイヌ民族の物語を後世に残した彼女の一筋の道を描くのに、ふさわしかったように思われる。 
 全国各地での公演で幸恵を紹介し、一回りもふた回りも深く、大きくなった芝居でぜひ北海道で再演してほしい。
(加藤浩嗣)
◇9日、札幌・かでる2・7。
 この「銀のしずく降る夜」は思い出すに「静」の印象だった。そして今回の「神々の謡」は「動」の印象である。それも舞香の熱い思いのこもった、めりはりの利いた「動」だ。
 舞台奥の天井から、布が十字架の形に吊された簡素で象徴的な装置。下手に、いわさきの電子ピアノ。10分間の休憩を含めて約2時間半、舞香が舞台狭しと軽快に動き回る。知里幸恵を中心に、彼女をめぐる様々な人たちをも演ずる。
 台詞回しが聞いていて実に気持ちいい。ちょっと驚いたほどだ。演劇界では、良い役者の素養を大切な順に「一声、二顔、三姿」と言うが(歌舞伎の世界からきているらしい)、子どもから大人たちまで(もちろん男女)を演じ分ける発声や声質に、私はすっかり魅せられた。
 記憶に頼ってばかりだが、先の「銀のしずく−」ではあまり触れられなかったものとして、口承文芸カムイユーカラを文字として“定着”させてしまうことへの幸恵の葛藤も表現される。そこから、ある強烈で破壊的な衝動にまで描写は展開される。口承文芸を文字化することに伴い、失われるものがあるということ。この場面など、私には一つの発見だった。
 舞香のそうした繊細な感性が光る劇作により、本作は評伝ものの場合に陥りがちな、偶像崇拝にはなっていない。むしろ幸恵を、私たち“普通人”と同様な、喜び、怒り、哀しみ、楽しむ、一人の懸命に生きた女性として等身大に描くことに成功している。
 そして私などは、本作は知里幸恵という一人の女性の生き方を通して、そこよりなお遠く深いある大いなるものへ手を差し伸べている芝居にも思えたのだ。
 「3・11」の後、「生」や「絆」などをキーワードに、宮沢賢治に光が当てられた。それと同様の意味で、私は知里幸恵にも光が当てられるべきだと思ったものだ。
 舞香の夢は本作の道内全市町村での上演。この日のカーテンコールでは「道内のすべての子どもたちに見てもらいたい」と決意を述べた。そのための「『神々の謡』上演基金」を設立したそうだ。
 実は舞香は、旧知の二川純吉・演劇共和国シアターリパブリック代表の娘さん。本作については初演前から構想をうかがっていて、私もようやく見ることがかなった作品だった。偶像崇拝にだけはなっていてほしくない、なんて、そんな思いはまったくの杞憂で、私の想像を遙かに超えた良い出来栄えだった。
 上演や基金などの問い合わせは、シアターリパブリック内の事務局電話1(プッシュホン)042・373・1755へ。
posted by Kato at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月21日

英国にて

 気づくと英国に来ていた。斎藤歩さんが札幌座チーフディレクターの仕事と東京での活動の合間を縫って、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の「リア王」に出演中とのことで、取材、観劇しに来たのだ。歩さんが住んでいる閑静な住宅地の平屋の一軒家で、札幌座チーフプロデューサーの平田修二さんは一足先に来ていて、その公演をすでに見たらしく、「加藤、すごい芝居なんだよ、これがさあ」などと、例によって腹をかきながら満足そうにしている。
 すぐに「リア王」の劇場に行くのだと思ったら、歩さんは自身が出演した、湘南が舞台の日本映画を見せてくれる(主演は、私や歩さんら48歳の男性にとっては懐かしい、今で言う「グラドル」の水島裕子さん=別に私はファンではなかったのに、なぜか出てきた)。なんでもそれは朝日新聞記者だった女性が一念発起して退職し、監督したもので、そのことについて書かれた朝日新聞の記事もある。
 そうするうちに劇場へ行くことになり、「加藤さんも一緒に行きますか?」と歩さんに尋ねられたので、これ幸いとうなずく。迎えは大型バス。RSCの俳優やスタッフで満員だ。バスは閑静な住宅街を走っていく。と、急に視界が開けたかと思うと、目の前に大海原が広がる崖に。やばい!と思ったが、バスはそのまま走り続け、崖からふわりと海上に着地する。車内のRSCの人たちもやんややんやの大歓声。バスはそのまま海上を走り続ける。おそらく浅瀬なのだろう。振り返ると、崖からは美しい滝が流れ落ちている。バスはなおも沖へ沖へと走っていく。そのまま劇場入りするのだろう。
 そこで目が覚めた。歩さんのRSC出演なんて、そんな情報知らなかったぞとか、奇天烈な話だなあと思われた方、すみません。ただ、実質4時間の睡眠時間だったのに、夢のある夢を見たせいか、目覚めが良く、気分も良い。ブログには劇評以外はほとんど書かないことにしているが、鮮明で、心わくわくとした面白い夢だったので、書いてしまった。
 歩さんのRSC出演−。彼が北海道演劇財団のHPに書いているブログを読むと、あまりの激務に驚かされ、それだけに難しいかなあとも思ってしまうのだが、いつかはそうしたことも実現するかもしれない。歩さん自身でなくても、その下の世代の人とかね。その経験をまた北海道に持ち帰って、さらに下の世代に伝えて…と、夢は膨らむ。旭川生まれ、札幌育ちのバレエダンサー熊川哲也さんも英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルにまでなって、いまは日本でKバレエカンパニーを率いて活躍していらっしゃるのだから、北海道演劇界にもできないわけがないだろうと私などは思う、期待してしまう。
 夢ついでに、歩さんにお願い(当ブログを読んでくれていたらの話ですが)。旧TPSの開演前、終演後のテーマ曲「ようこそ(終演後は「さいなら」)に代わる、札幌座のテーマ曲を創っていただけないでしょうか。「ようこそ(さいなら)」は大好きで、聴けなくなったら寂しくなったなあ。もちろん、歩さん自身がテーマ曲の必要性を感じたならばの話ですが。なかなかないでしょうが、時間がぽっかり空いたときにでもどうかご検討ください。
 きょうは休みで、午後から、ムカシ玩具 舞香一人芝居(東京)、夜には立川志の輔独演会。その後、ハイバイ(東京)、札幌座、怪獣無法地帯、オイスターズ(名古屋)、intro、実験演劇集団・風蝕異人街、弘前劇場(青森)、劇団アトリエ、劇団どくんご(鹿児島)テント芝居、札幌演劇シーズン2013夏で札幌座、劇団イナダ組、劇団千年王國、イレブン☆ナイン、教文短編演劇祭、パセリス(東京)−と8月末まで観劇予定がびっしり。これより増えることはあっても、減ることはないだろう。チラシなどを眺めながら、どんな舞台に出会えるんだろうと想像を巡らせるのが、私の至福の時だ。
posted by Kato at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

学生対校演劇祭〜第4章〜

 「学生対校演劇祭〜第4章〜ドキドキ群青ラプソディ」を6月16日(日)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 大学を母体としている演劇集団が各20分の舞台で競い合う、2010年度から始まった短編演劇祭で、4回目。
 見た順に紹介すると、北星学園大学演劇サークル「言い訳しましょ♪ そーしましょ♪♪♪」(作・演出齋藤幸歩)、北海道情報大学・劇団ELEMENTs「SIN」(作・演出中村一希)、北海道大学・劇団しろちゃん「スイングバイミー」(作・演出鎌塚慎平)、北海学園大学演劇研究会「イマノトコロ」(脚本・演出桐原直幸)、北海道教育大学札幌校・演劇集団空の魚「馬鹿は死んでもなおらない」(脚本榎本光沙子、演出熊谷つぐみ)、小樽商科大学演劇戦線「ぼくの探偵運用計画」(作・演出澤田菜穂)、酪農学園大学・劇団宴夢「鮪!(まぐろ)」(作宮森俊也、演出坂内泰輔)。この後、北星学園大がもう一回上演(各集団が3日間でそれぞれ計4ステージ上演)、楽日のこの日は地元の札幌厚別高校演劇部が「来須村顛末記」(作・演出小松玲菜、戸塚直人)を特別上演した。
 観客が各集団を5段階評価し投票した一般審査賞は劇団宴夢が受賞。
 特別審査員3氏(NPO法人コンカリーニョ理事長斎藤ちず、弦巻楽団代表弦巻啓太、企画運営団体ハムプロジェクト主宰すがの公)が合議で選んだ役者賞は、男優が原田寛史(北海学園大)、女優が石田明子(しろちゃん)、優秀賞はしろちゃんと北海学園大、最優秀賞は劇団宴夢が受賞した。
 劇団宴夢の「鮪!」は、「いただきます」も「ごちそうさま」も言えない大介(宮森)がクロマグロの刺し身がおかずだった夕食時に、父にマグロにされてしまう物語。マグロの大介は海中を泳ぎ(4人の役者が舞台上でその場で駆け足をすることで泳ぎを表現する)、仲間がサメに食われたり人間に釣られたり、また自分たちも小魚を食べることで生きていく、そうした経験を通して、今度は人として「生き物を食べる」、ひいては「生きる」ことを知る。
 パンフレットに「テーマは食育」と明記されており、「特に教訓的なテーマを明からさまにした芝居は苦手なんだけどなあ」と思いながら見始めたが、実際の芝居はほとんどそうした“上から目線”を感じさせず、むしろエントリー作の中で一番、体力勝負の演目でもあり、楽しく見られた。私も一観客として劇団宴夢に最高点を入れた。
 難しい言葉も使われず、視覚的な面白さもあり、幼稚園・保育所や小学校へ出前公演して、それこそ「食育」するにはぴったりの芝居だろう。おめでとうございます。
posted by Kato at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロポーズ・楽日情報

 演劇公社ライトマン「プロポーズ」の楽日16日(日)は14時・17時開演(出演は代わる)。
posted by Kato at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ただいま!/プロポーズ

 うわの空・藤志郎一座(東京)「ただいま!」(作村木藤志郎、演出村木・土田真巳)を6月15日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 伊豆諸島の南部にある日本で最も人口の少ない地方自治体、東京都青ヶ島村。7月21日、高校2年生の次女桃子(藤田翔子)が終業式から帰宅した。父(水科孝之)、母(高橋奈緒美)、ニートの長男稼頭央(永井雅也)がおり、翌日が祖母キヨ(小埜遥)の一周忌と知ってか知らずか、千葉から長女鶴子(小栗由加)が帰省してきた。祖父ミキジ(村木)はどこかに散歩に行ってるようだ。キヨの幼なじみタマ(清水明子)と彼女の息子シゲル(西村晋弥)の家には、タマの孫(シゲルの姪)で高校1年生のみずほ(金子秋穂)が埼玉から帰省してきた。桃子の家に、担任教師(島優子)がやってきた。どうやら桃子がとんでもなく悪い成績だったので、両親と本人に相談に来たらしい−。出演はほかに荒木太郎、松宮可奈、台所鬼〆、小林恵悟。
 上演時間2時間、よくできた、うまく練られたドタバタ喜劇だ(7年ぶりの再演とのこと)。大いに笑わせ、ほろっとさせる。作劇に、台詞や動きに、うまく言えないけれどもどこか落語的なものを感じさせて、私などには慕わしい。べとつかず、むしろ乾いた感じがちょうど程よいのだ。
 芝居は現在と、若いミキジとキヨが一緒になった頃を行き来する。演劇として特別に技巧を凝らした往還ではないけれども、それがかえってこの物語には似つかわしい。特に私が大笑いしながら同時にうるうるしたのは、喧嘩ばかりしていながらも、互いに思いを寄せている若い頃のミキジとキヨが表面上は罵り合いながら、一緒に暮らすことを決めるシーン。つまりミキジのプロポーズ→キヨの承諾の場面。見ている私はそれまでにすっかり二人のことが好きになってしまっているから、なんだか二人の背中を押してあげたくてしょうがなかった。いじらしく、愛おしい、心に残る名シーンだ。上演がこの日一日、2ステージだけというのは、なんとももったいない。
 カンパニーは1998年旗揚げで、名付け親は放送作家の高田文夫さん。春の本公演は毎年ゴールデンウイークに新宿・紀伊國屋ホールで行っており、今年5月で10年目とのこと。札幌公演は過去2回、ブロックで行っており(私は見ていない)、今回が3回目。
 実は私はこのカンパニーを10年ほど前の文化部時代の東京出張の際に初めて見た。取材の空き時間に当日券で紀伊國屋ホールで(きっと紀伊國屋ホール公演の初期だったんだな)。数ある演劇公演の中から選んだのは、ただ月刊情報誌「シアターガイド」で、首都圏以外の人は500円割引だったかという特典につられてだったのだが。町内会だか商店街だかの野球チームの物語で、やはり笑わせ、ほろりとさせる、いい芝居だった。舞台は北海道ではなかったと思うが、やたら北海道についての言及があったのか、北海道出身者の設定があったんだったか、帰りがけに受け付けの女性と「北海道出身者がいらっしゃるのですか?」「いいえ」と会話した記憶がある(若いので当時はいなかったと思うが、桃子役の藤田が札幌出身とのこと)。
 終演後のあいさつで、村木は今後は年2回ほどのペースで札幌公演をしたいと抱負を語った。素直にうれしい(もう1本、観劇の予定があったので急いでZOOから出てしまったが、時間があれば村木と話したかったな)。ウェルメードな喜劇を創りたいと考えている北海道の演劇関係者にも朗報ではなかろうか。
 北海道神宮祭の露店の人出でごった返す中島公園を横切って、あけぼのアート&コミュニティーセンター(南11西9)へ。
 演劇公社ライトマン「プロポーズ」(作アントン・チェーホフ、演出重堂元樹)を見た。
 35歳のイワン・ワシリエウィチ(ヤマダケンジ。フレンチ、山崎孝宏とのトリプルキャスト)は、隣人である地主ステパン・ステパーヌィチ(重堂。田村嘉規、中島麻載とのトリプルキャスト)の娘ナターリヤ・ステパーノブナ(長麻美)にプロポーズするために隣家を訪問する。当初はうまくいくかにみえたが、プロポーズは次第におかしな方向に転がりだす。
 和訳で「結婚申し込み」とも言われる作品。上演時間30分の短編だが、さすがにチェーホフ、人生の一瞬間を切り取っている。重堂、長らの演技もちょっとした細かいところに心配りをしており、好感を持った。やはり若手が古典に挑むのはとてもいいことだ。
 3時間半のうちに長短2本の芝居を見た。公演場所も近かったし、コンパクトで有意義な時間を過ごした。偶然、共通したのは「プロポーズ」。これって、幸せのお裾分けを頂いた気分。なんだか、いい日だったな。
posted by Kato at 01:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

短いのん。

 演劇ユニット イレブン☆ナイン ショートレパートリー「短いのん。」(作・演出納谷真大)を6月8日(土)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 毎年夏の教文演劇フェスティバル(@札幌)のメーンイベント、教文短編演劇祭で観客から圧倒的な支持を受け続けている(観客+審査員投票で優勝を決める)イレブン☆ナインが、短編コンペの“本場”である「劇王」(日本劇作家協会東海支部プロデュースで毎年2月、愛知県長久手市で開かれる。出演者数に制限があり、1演目3人まで。北海道からは前年の教文短編演劇祭の優勝カンパニーが翌年の「劇王」出場権を得る仕組み。イレブン☆ナインは2010年から教文短編演劇祭3連覇中)にはどんな作品で挑んでいるのか、興味があった人は私も含めて多かっただろうから、とてもいい企画だった。
 で、今回は「劇王」に11〜13年に出品した3作と、11年の教文短編演劇祭優勝作品、さらに番外上演の計5本立て。
 1・「オッツカッツ」(12年劇王\参加作品。出演納谷、石川藍、小林泉)=劇作家オオツカツオは、劇王に参加するための台本書きが進まず頭を悩ませていた。「ベタ」と「シュール」の狭間で翻弄される優柔不断の彼は、どちらかを選ぶことができるのか?
 2・「失うモノを手に入れる」(13年劇王]参加作品。江田由紀浩、小島達子、納谷)=過去とも未来ともしれないとある戦場。最後の突撃が15分後に迫った3人の兵隊は、それぞれの過去に思いを馳せる。彼らは皆、失うはずのものを手に入れようとしていた者たちだった。
 3・「ひようりいつたい」(11年劇王[参加作品。明逸人、上總真奈、納谷)=オセロを打ち続ける男と女。二人はやがて二人ではなくなり、やがて、一人になる。白と黒。両方があってのオセロ。男と女、楽しい事と辛い事、両方あっての人生。オセロも人生も、『表裏一体』。
 4・「アーユーレイディ?」(番外上演。石川、上總、小林、澤田未来、生水絵理、廣瀬詩映莉。ただ、チラシには「※作品内容、出演者は変更になる場合がございます。」と断り書きがあって、私が見た回は、この4と次の5は出演者が変更になっていたかもしれない)=これは、告白できない女の闘いの物語。準備はいいか。武器を取れ。士気を上げろ。いざ!! 最終決戦へ!!
 5・「俺はジャッジャー!!」(11年教文短編演劇祭優勝作品。納谷、江田、小島、明、大川敬介、石川、上總、小林、澤田、生水、廣瀬)=売れないベテラン役者・チュウジがお馴染みの演技論を語る中、この日も撮影は始まった。が、しかし、突然、新人女優が役を降りると言い出し、現場は大混乱に…!!
 上演時間20分の短編演劇5本がぶつり、ぶつりと上演されるものだと思っていたら、照明がついたままで突如として始まった1の設定をベースに、2〜5へと物語がつながり、より大きな物語を形づくるといった案配。それは違和感なくスムーズで、芝居の「構成」というものに思いを至らされた。まさか納谷は10年から、いつかこうしたオムニバス形式で上演することを念頭に短編演劇を創ってきたわけではあるまい。この流れをつかむまでには相当な苦心があったはずである。まさに構成の妙だ。
 個人的には、人生を観照させる3が好き。5は11年の教文短編演劇祭での上演時には、勢いで圧倒的勝利を収めた印象があったが、時を経て再び見ると、勢いだけではなく、なかなかに味わいがあった。
 この8月18日(日)も、ディフェンディングチャンピオンとして教文短編演劇祭決勝戦で「にせんえん」を上演する。予選から勝ち上がり優勝を狙うカンパニーは、相当なレベルが求められることは間違いない。
posted by Kato at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月03日

サブウェイ

 演劇ユニット・極東退屈道場(大阪)「サブウェイ」(作・演出林慎一郎、振付原和代)を6月2日(日)、札幌・シアターZOOで見た。
 2010年初演。大阪・東京で再演した翌11年に佐藤佐吉賞2011(東京・王子小劇場で上演された全作品=というのがすごい=から選定されるらしい。ZOOの「リゼット大賞」も似ているが、こちらはあらかじめZOO幹事が決めた提携公演リゼットの演目14、15本から選んでいる)で最優秀脚本賞、最優秀演出賞、最優秀衣装賞を、また第18回OMS戯曲賞大賞(大阪ガス主催)を受賞した作品。
 再々演の今回は「列島縦断延伸ツアー」と題し、大阪(3月)、東京(4月)、札幌(5〜6月)、仙台(6月)、福岡(7月)という地下鉄保有都市を回っている。
 チラシなどの文言や絵の雰囲気などから、地下鉄をめぐる人々の物語なのだろうなとは思っていたが、開演前の前説で「物語らしい物語はない、コラージュのような芝居です」との紹介があり、見るとなるほどそうだった。
 出演者(あらいらあ、門田草、後藤七重、ののあざみ、猿渡美穂、小笠原聡、中元志保、井尻智絵)が月曜日から1週間(神が天地創造をした7日間に呼応する=その天地創造の様子は言葉として舞台奥にスライド投影される)、順々にモノローグし、その合間に寸劇やダンスが挟まれるという寸法。登場人物のモノローグの際にも舞台奥に彼、彼女らのプロフィール(21歳、学生。32歳、教員。35歳、ナース…)がスライド投影される。
 物語らしい物語はないと言いつつも、エピソードはどこかで少しずつつながっている。明からさまではないが、見る者の想像=創造を促す作りだ。そうしてまた、新たな月曜日がくる。
 サブウェイ=地下鉄は金が掛かるから、都市にしかない公共交通機関、そしてその都市はといえば「故郷喪失者」の集まり−という指摘にはなるほどと思った。
 そして都市伝説としてのサブウェイの鍵を握るのは、誰あろう、渡島管内知内町出身の演歌の大御所北島三郎である−という真相が明らかにされた時、私は道産子の一人として一本取られた思いがした。なるほど、本作は北海道(札幌)公演を打つ意味が大ありだったのね。
 と、作・演出の林は大学こそ京都大だが、出身は函館市。函館市〜知内町は車で約1時間(私は北海道新聞に入社しての初任地が、知内、福島=大相撲横綱千代の山、千代の富士の故郷=、桜で有名な松前も管轄する木古内支局だったので、よく知っている)。一方、北島も高校は函館西高中退だ(ウィキペディアによる)。地下鉄こそないものの市電は走る函館でつながる林と北島…。「サブウェイ=三郎の道」という真相は、道南ではけっこう有名なものなのかしら。
 後から思うと、チラシの表には「此レガ…日本ノ…マツリダヨ…」と書かれているし、この作品を読み解くヒントはあちこちにちりばめられていたのだなあ。
 見終えて、頭がシャッフルされて、少しクリアになった感じがした芝居だ。爽快。

 話は変わるが、3月にZOOで見て当ブログで3月10日に激賞したOrt-d.d(東京)「わが友ヒットラー」について、月刊誌「テアトロ」最新号(6月号?)で歌人林あまりさんが冒頭の「私の今月(3月)のベストスリー(正確な題名は失念)」の一本に挙げていた。
 林さんはもともとナイロン100℃とか大人計画などが好きなようだが、そうした路線とは毛色の違うこの芝居も賞賛していたのが興味深い。特に死の商人<Nルップが和服姿で演じられたことについて、三島の美意識を象徴する存在、あるいは三島が嫌悪する老醜を表現した存在であろうといった旨を書かれていたのが、歌人らしい芝居の読み込みだと思ったものだ。
 ZOOという小さな劇場で出会い、私がうならされた芝居が、東京・下北沢の小さな劇場でも上演され、水準の高い演劇を見続けておられるであろう人にも感慨をもたらしたらしいのが、私にはうれしい。
 劇場空間は時空を超えてつながってるんだな。もちろん、人と人も。
posted by Kato at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする