2013年05月22日

東京観劇記2013年5月

 東京で芝居を見てきた。上京前の札幌が寒くて寒くて、何を着ていったらいいのか迷ったが、上京日10日(金)は札幌も比較的暖かかったので、春物のセーターも持たず、色柄シャツに春物の薄手のジャンパーという格好。東京も私がいた3日間はそれほど暑くもならず、11日(土)は雨も降ったりしてしのぎやすかった。
 10日(金)は西池袋・東京芸術劇場シアターイーストで、元宝塚の月船さららの演劇ユニットmetro(本当はeの上に´が付く)「なまず」(作・演出天願大介)。2012年5月初演作品の再演。天願は映画監督今村昌平の長男であり、今村が「うなぎ」でカンヌ国際映画祭の最高賞(パルム・ドール)を受賞したから、そこからの関連で「なまず」かななどと思っていたら、全然違った。あらすじはなんともまとめにくいことから、月刊誌「シアターガイド」6月号より引く。
 舞台は、巨大津波で東京が壊滅し、京都が首都となった日本。東北地方に凶悪なテロリスト集団のアジトがあるという情報を得たエージェントは、単身で潜入するのだが…。
 で、その東北のテロリスト集団というか王国の王様が、札幌座チーフディレクターの斎藤歩。王妃に月船。共演は、なまずとしての踊りが素晴らしかった舘形比呂一(ほんとにこのダンスは指先の先まで神経が行き届いていて出色だった)、若松力、鴇巣直樹、菅井玲(王様とまぐわう愛人的℃悼獅焉I)。
 芝居としては設定も物語も筋の運びもとにかくアナーキスティック。このアナーキーさは札幌でもなかなかお目にかかれない。清濁のみこんで話をぐいぐい先に持って行く力業。ただ一方で(これは月船のユニットだから当然なのだろうけれども)随所に歌なども入ったりして、小劇場演劇を見ているというよりは「月船さららショー」の世界に比重が置かれている気もした(歩とのデュエットもあった)。
 歩はいつも体格の3倍近い大きさの岩を背負って(背中にくくりつけて)の演技だったが、札幌演劇シーズン2012夏・札幌座「瀕死の王さま」の死にゆく王をも思い出させる怪演だった。
 11日(土)昼は新宿・紀伊國屋ホールで「新宿昭和ラストナイト」(脚本・演出高平哲郎)。昭和の最後になる夜(昭和64年1月6日)、元ムーラン・ルージュ新宿座の作家(斎藤晴彦)が30年ぶりに新宿のバーを訪れ、ママ(えまおゆう)と昔語りを始める。昔、ここにはコメディアン、ストリッパー、チンピラ、娼婦、作家たちが毎夜現れた。全編に流れる懐かしい新宿歌謡とムーランの唄(ピアノ上柴はじめ)。昭和20年代から30年代の人々のたくましかったり、屈折していたり、挫折してたり…各々の人生を楽しく哀しく生きた市井の人々のことを思い出しながらバーで語る。昭和64年1月6日。やがて朝になり昭和の終わりを知る。
 と書いた通りの芝居で、芝居ならではの生ものの緊張感、一期一会といったものは残念ながら乏しく、演劇というよりもテレビドラマを見た感じがした。個人的には、NHKの「オードリー」(00年)などに出ていて、なかなかいい役者だなあと思っていた02年に大麻所持で逮捕されてテレビ業界から消えた仁科貴(川谷拓三の息子)が室田日出男の息子室田晃と共演して、いい味を出していた。バーの先代のママ役で久野綾希子(元劇団四季、やはり「エビータ」でしょう)が出演していて、ひときわ華やかだった。
 11日(土)夜は西池袋・東京芸術劇場プレイハウスで「おのれナポレオン」(作・演出三谷幸喜)。流刑地である大西洋の孤島セントヘレナ島で最晩年の日々を送ったナポレオン・ボナパルト(野田秀樹)の死の謎(死因は公式には胃がんだが、いまもヒ素などによる毒殺説が絶えない)をめぐるサスペンスミステリー調の、でも大いに笑わせられるコメディー。ナポレオンの愛人アルヴィーヌ・モントロンに軽い心筋梗塞で降板した天海祐希の代役で宮沢りえ、、妻アルヴィーヌを愛人として差し出した配下シャルル・モントロンに山本耕史、ナポレオンのおつきの者マルシャンに浅利陽介、主治医アントンマルキに今井朋彦、島の総督ハドソン・ロウに内野聖陽。打楽器演奏は高良久美子、芳垣安洋。
 いやー、三谷幸喜の劇作はうまいなあと、今更ながらほとほと感心する。昨年は渋谷・パルコ劇場で「三谷版『桜の園』」(作アントン・チェーホフ)を見たが、三谷は誰か既成の本を演出するよりは自分の本を自分で演出してこそ本領を発揮する演劇人ではなかろうか。もちろん野田秀樹もそうした自作で勝負する現代日本演劇界のトップランナーであり、うまいなあと感心させられてばかりいるのだが、野田を見ると深く鋭く考えさせられ、日本人としての生き方などについて容赦なく問題を切りつけてくるから、時折見ていて切なくなってしまったりして、つらいことも多いのだ。その点、三谷幸喜はいい意味で肩のこらないエンターテインメントとしての王道をいっていると私には思える。
 本作ではチェスがナポレオンの人生を象徴するものとしても、ハドソン・ロウとチェス対決したうえでの人生哲学を語る部分としても、また物語全体の展開としても大変に重要な役割を果たすのだが、三谷はその使い方が実にうまい。伏線とは思えなかったところが伏線だったりもする。ちなみにラストの台詞はナポレオン=野田秀樹の「チェックメイト」です(この芝居、8日=水=に販売用DVDとWOWOW放送用のカメラ撮影が行われる予定だったが、天海の降板で撮影はなされることなく、従ってDVD販売もWOWOWでの放送もないよう)。
 宮沢りえのことを書く。劇場全体が異様な空気感の中での開演だったが、始まってみると心配は一切無用だった。実質2日間で新作の台詞を入れ、舞台上でその役柄を生きてしまうということの奇跡。驚きを超えて、私として個人的には感謝感謝だけだった。
 私は真ん中下手通路側の席だったのだが、登場人物が何度もそこから舞台上に行き来して、まるで歌舞伎の花道の感じ。宮沢りえの首の左側にほくろがあるのまではっきり見えた。
 天海祐希版とは見比べられないが、(台詞が大幅にカットされたらしい)宮沢版になって出てきたと思われる台詞などをいくつか紹介する。
 アルヴィーヌは夫シャルルと二人で、モリエールの芝居をナポレオンに見せるシーンがあるのだが、ここで
 宮沢「台詞、入ってるわよね?」
 山本「おまえが言うかよ」
 宮沢がモリエールの戯曲を手にしたまま演じ始めると、
 山本「おまえだけは戯曲見るのかよ?」
 宮沢「だって、いっぱいいっぱいなんだもの」
 その様子を見ていた野田「稽古すれば、1日や2日でうまくなるものなの?」
 宮沢「とりあえず、やってみましょう!」
 というわけで、公演打ち切りもやむなしという絶体絶命のピンチを英断をして受け止め、見事にこなした宮沢だけでなく、三谷はじめ野田、山本ら全スタッフが観客席に笑いまでを持って(この場合、楽屋ネタといえるのかどうかはわからないが)見せきってしまったところに、この座組全体のチームワークの素晴らしさを感じ取ったのだった。
 芝居全体の印象をいま一度記すと、天海×山本の夫婦だと、どうしても体格がよく天性の格好良さを持つ天海が姉さん女房に見えるだろうなと思った。三谷はそれを生かしたかったのかもしれないが。その点、宮沢は華奢で可憐で、山本が年上の夫婦に見えた。山本が演じた役はナポレオンと葛藤し、ある意味で復讐心にも燃え、ナポレオンの財産を狙って妻を愛人として差し出す野心家なのだが、そうした役柄からは宮沢×山本の夫婦の方が私的には似合っていたように思う。
 上京する前には「私は観劇後、彼女の心意気、プロ根性にあっぱれと心の中で叫びたい。」などと落ち着き払って書いた私だったが、実際には終演後、いち早く立ち上がって拍手し「宮沢りえさん、ありがとう!!」と大声で叫んでしまった。それほどに、想像以上の出来だった。
 公演パンフレットの天海のプロフィールの欄には、宮沢のプロフィールの紙が挟み込まれていて(こういう小さな作業自体がものすごい労力の要ることだろう)、作・演出野田秀樹×出演宮沢りえの作品で言えば、この紙で紹介されていた「透明人間の蒸気(ゆげ)」(04年、新国立劇場での上演だったから、野田地図としてではなかったのかもしれない)「ロープ」(06〜07年)「パイパー」(09年)「ザ・キャラクター」(10年)=以上、野田地図=を見ている。あと、12年1月には「下谷万年町物語」(作唐十郎、演出蜷川幸雄)も見た。
 野田×宮沢で見られなかったのは、唯一「THE BEE−日本バージョン−」(12年)だが、実はこれもひょんなことから見ようと思えば見られる状況だった。というのは、月刊誌「シアターガイド」の読者プレゼントで限定1人のチケットプレゼントに当たったのだ。
 去年の2月末、朝刊担当で出社前の18時頃、私は自宅マンションの便所で踏ん張っていた(汚くてごめんなさい)。と、胸ポケットで携帯が震える。出ると、「シアターガイド」の編集部からだった。「おめでとうございます!」という。「?」マークだったが、聞くと「THE BEE」のチケットが当たったのだという。ただ私の住所が札幌で、公演はもう1週間後だから、本当に来られるかどうかを確かめるために電話をしてきたらしい。
 実は私は自分で見に行こうと思って応募していたわけではなかった。プレゼントは野田地図の意向により、3月のロンドンバージョンと5月の日本バージョンを(公演日が逆だったかな? 忘れてしまった)両方見られる読者が対象だった。私は航空券や宿泊代などの金がなかったし、もし万が一、ほんとこんなこと万が一でしか考えられないが、幸いにも当たったならば、チケットは東京に住む観劇仲間にプレゼントし、付録に付いてくるNY公演のパンフレットとかポスターだけをもらおうと思っていた。なのに、私はそうしたプレゼントに応募したことを、肝心の東京の観劇仲間に事前に伝えていなかったのである。
 当然、電話口で私は口ごもる。友人に伝えてさえいれば…という思いは募る。で、「5月の公演には行けると思いますが…」と、そんなことを答えたような記憶がある。電話の向こうでしばらく編集部内の話し合いがもたれたらしい。そのうえで「野田地図さまの意向により、3月と5月の両公演を見られる方に限定でのプレゼントということになっております。今回は大変申し訳ありません」。で、プツン。電話は切れた。
 結局、友人は自力でチケットを買い求め、両公演を見たようだ。
 私にとって野田秀樹×宮沢りえの芝居にはそうした、見られなかった芝居の思い出も濃密にある。まったくもって笑い話だが。
 情けは人のためならず、という。私の代わりに「THE BEE」公演が当たった人はきっと楽しんでくれただろう。私にもなにかいいことがあるといいな。自覚症状はまだないから、きっとその時になしたことの良い報いはまだまだこれから先のことなんだろう、と思ってはいるのだが。まあ、単純に野田地図が示した条件を満たしていなかっただけと言われればその通りなんだけれども。
 天海祐希が45歳で心筋梗塞。この45歳という私にも近い年齢と、「心筋梗塞」という病気がはらむ、どちらかといえば高齢者っぽい感じが、私の中ではまだあまり結びつかない。ただ48歳の私がいつなってもおかしくないということだけは確かだ。気をつけよう。そして本当に天海には万全の体調で芸術の世界に舞い戻ってきてほしい。全快を心から祈っている。
 12日(金)は渋谷・パルコ劇場で寺山修司没後30年/パルコ劇場40周年記念公演「レミング〜世界の涯まで連れてって〜」(作寺山修司、上演台本松本雄吉、天野天街、演出松本雄吉)。私が映像分野への就職という夢を描き、東京・早稲田大学を目指して代々木ゼミナール札幌校の寮に入って1カ月後の1983年5月4日に寺山は亡くなった。享年47。新聞で知った私は「そうか、遅かったか」と嘆いた。その年7月31日に演劇実験室◉天井桟敷は解散した。最後の公演が寺山が亡くなったすぐ後の同年5月の「レミング−壁抜け男」だ。それだけに見たかった作品だ。
 コック1・タロ(八嶋智人)とコック2・ジロ(片桐仁)が暮らす部屋。二人は地下に母親(松重豊)を飼っている。母親は地下で畑を耕している。ある日、その二人の部屋から突然、壁がなくなる。と、隣りの部屋が筒抜けになり、寝込んだ男を介護する女がいる。別の方向は映画撮影所につながっており、影山影子(常盤貴子)が主人公の映画が撮影中だ。壁という壁がなくなり、現実と幻、虚、夢の境目も、日常と非日常の垣根もなくなる。壁、仕切り、あるものとあるものとを分け隔てることがなくなった世界で、人は人で、はたして自分は自分でいられるのだろうか−。
 とても哲学的な演劇だったが、「ヂャンヂャン☆オペラ」と呼ばれる独特な演出で著名な維新派の松本の美意識も加わり、見ていてなんとも不思議で美しくこころよく面白い芝居だった。
 維新派はもともと野外の廃虚のような場所に大きな舞台装置を創って、その前で大勢の役者がラップ調の意味不明な、というか脈絡のなさそうな台詞を吐きながら踊りとも機械的な動きともつかない動作で、観客の心の中に物語を紡いでいく。私は新国立劇場で1度見ただけだが、何度も見たいカンパニーだ。
 八嶋の芝居は初見で、私にとってはこれまで口のうまいテレビタレントでしかなかったが、認識を改めた。役者としてちゃんと立派に立っている。片桐の真面目なおかしさには笑った。そして常盤の神々しいまでの美しさ。松重も奇矯な役を落ち着いてこなし、芝居をしっかり引き締めた。
 ラストは雪が舞い落ちる中、まるで現実の生が夢にのみこまれていくかのよう。夢幻という言葉が思い浮かんだ。
 「寺山さん、やっと私はあなたに会いに来られましたよ。30年経って」−。
 私は寺山にそっと言葉をかけた。私は18歳になっていた。
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2013年05月20日

この道はいつか来た道

 劇団北芸(釧路)さようなら公演「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)を18(土)、19(日)の両日、札幌・シアターZOOで見た。素晴らしかった。豊かで充実した50分間。すべてを心に刻んだ。もう心残りはない。
 劇場の後片付けを終えて、JRで釧路に帰る加藤さんを送りがてら、駅構内の居酒屋でのみ、いろいろな話をした。たとえば今回の演出。芝居は冒頭、ハーモニカによる「この道はいつか来た道」がかかった後、森田啓子さんが「この道は〜」と歌って出てくるのだが、初演ではハーモニカの代わりにビオラの生演奏、その後も長くハーモニカの生演奏だったという。その美しい旋律の生演奏と対比させるために、森田さんにはあえてがならせて♂フわせていたという。近年はハーモニカの録音を流すようにしているので、がならせる≠アとはしなくなったと。死に直面した女性の生への執着をがならせて♀謦」って歌わせることで浮き彫りにしていたとのことだ。
 それにしても加藤さんが67歳、森田さんがそれより5歳ほど下。ちょうど戯曲に見合う年齢になって、これからいっそう実人生とダブらせて深く進化するであろうところでの解散。なんとももったいないが、その潔さに感嘆するほかはない。
 加藤さんを送り、まっすぐ帰宅する気にはなれなかったので、円山の自宅近くの居酒屋「円か」に行った(お薦めの店です。店名の揮毫は直木賞作家伊集院静)。ここの大将が唐十郎・状況劇場以来の小劇場演劇ファン。札幌座もよく見ている。昨日は17時半営業開始なのにもかかわらず、14時からの公演を見てくれた。
「いやあ、とてもアマチュアとは思えなかった。すごかった。入場料、5000円でもいいですよね」
 ありがたい感想だ。
 本当に至福の2日間だった。
 なお、加藤さんのことだが、劇団北芸は解散しても、芝居から離れるという訳ではないようだ。もしかしたら古希公演、喜寿公演、傘寿公演などということも考えられるかもしれない。私も長生きをしないと、とあらためて思った。
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2013年05月09日

劇団北芸さようなら公演「この道はいつか来た道」に寄せて

 「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」(レイモンド・チャンドラー著「長いお別れ」での私立探偵フィリップ・マーロウの台詞、訳清水俊二)。
 劇団北芸(釧路)さようなら公演「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)が18(土)、19(日)の両日、札幌・シアターZOOで行われる。1960年5月旗揚げの老舗劇団の、加藤さんと森田啓子さんによる「至芸」の二人芝居だ。
 北芸の初演は98年10月の北海道舞台塾釧路地域大会。講演の講師だった別役が見て、加藤さんに「感動しました」とじかに話したそうだ。
 私の初見は2003年10月、東京・こまばアゴラ劇場。女優・演出家木野花は前月9月に釧路で見たうえでアフタートークで「別役さん本人が演出する別役芝居より格段に面白い。ぜひ別役芝居の巡礼者になってください」とまで激賞した。さらに実際に東京でも3ステージのうち2ステージを見に来て、大笑いしていた。私はその年に見た舞台芸術244本の中から、文句なしにマイベストに選んだ(当時は文化部演劇担当で、マイベストは文字通り1本だけ選んで紙面に掲載していた。また、この時の新聞記事が小劇場演劇関係者必見のウェブサイト「fringe」に紹介され、「年間の観劇本数を明らかにしたうえでのベスト作品の選出は珍しく、好感が持てる」旨、評価をいただいた。そうした縁で当ブログは「fringeセレクション 参考サイト」にリンクを張っていただいている)。
 北芸の「この道」を、それからいったい何ステージ見たことだろう。
 09年9月に北芸は本作で、招待された韓国の「2009光州平和演劇祭」で審査員(市民20人、新聞記者3人、演劇関係者3人)の高い評価を得てグランプリを受賞。私はその年10月に帯広、11月に釧路で凱旋公演を見て、年末のアワードで、この劇団のこの演目のためだけに「北海道演劇の宝」賞を創設した。
 舞台中央にひしゃげた街灯の木製電信柱。傍らにごみ捨て用のプラスチックのバケツ。ハーモニカの「この道はいつか来た道」が寂しく流れ、芝居は静かに開ける。電柱の下で出会うのは、段ボールを引きずってきた女(森田)と背中にござをくくりつけてきた男(加藤)。ともにホームレス風だ。二人はささやかなお茶会を楽しみ、「お友達」になる。初対面とも知人とも見える二人は不思議な会話を重ね、やがて日々新たに出会い、日々新たに愛し合い、日々新たに結婚する意味−「生の感触」をかみしめる−。
 別役は日本における「不条理演劇の第一人者」といわれる。その作品は、登場人物が淡々と無機質的に言葉を交わす演出で上演されるのがほとんどだ。それに対して加藤さんはこの芝居に「落語のような間(ま)」を読み込んだ。加藤さんは「たいていの別役作品は喜劇≠ニして成立しなければいけないと私は思っています」という。
 かくして出来たこの芝居に、私は「近松浄瑠璃的美学」を見た。切なく、尊く、美しい。桜の花びらのような雪が舞い落ちるラストシーン、私には二人が神々しいまでの光をたたえているように思える。鳥肌が立った。北芸の血の通った別役の世界に初めて触れ、それまでいくつも見た「別役芝居」から解き放たれ目を見開かされた。これこそが不条理を抱えた人生そのものだ、と思った。
 説明が長くなった。今回、「さようなら公演」と銘打たれているのは、北芸が本作の12年10月の帯広、11月の地元釧路公演をもって解散してしまっているからだ。
 10月の帯広公演を見に行き、開演前に森田さんから「実は、11月の釧路公演限りで解散することになりました」とうかがった私は驚き、加藤さんにも確認を取ったうえで、その場から携帯電話でシアターZOOの笠島麻衣支配人に事情を言って提案した。「13年度のシアターZOO提携公演(リゼット)にすいせーん!! おねがーい!!」と。シアターZOO幹事としての立場を利用したわけだ。そしてリゼット演目を決める幹事会では、ありがたいことに全員一致で即決だった。
 変な比喩で恐縮だが、劇団の解散は、人に例えれば「死」とも「永遠の眠り」とも言えるかもしれない。それを一日でも先延ばしにしたい一心だった。なにより、60年の旗揚げから半世紀余生き、国内外で愛された劇団の「死に目」にあい、看取りたかった。
 でも、突然の「解散宣言」から半年が経ち、私も「長いお別れ」への心の準備は整った。加藤さん、森田さんのお二人に札幌までご足労を煩わせ、とうとう「さようなら公演」がかなう。観劇人として本当に幸いだ。感謝の心一つで送りたい。胸に刻み込みたい。演劇と出会い、芝居を見続けてきて良かった。本当にありがとうございました、と。
 開演は18日19時、19日14時。上演時間は約1時間。料金は前売り、当日とも1500円。
 ラストに降る雪が桜の花びらに映るかもしれない。
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2013年05月08日

東京観劇を前に、なんと…

 10日(金)から2泊3日で東京観劇する。昨年10月以来だ。
 今回見るのは札幌座チーフディレクター斎藤歩が王様を演ずる「なまず」、ステージドア「新宿昭和ラストナイト」、三谷幸喜×野田秀樹「おのれナポレオン」、寺山修司「レミング」の4本。
 近年の東京観劇は野田地図の日程に合わせて行っている。野田地図は公演の発表がすごく早いから、この日あたりが都合がいいなあと思っても、その時にほかの劇場で何をやっているかはまだわからないことがほとんどだ。ただ不思議なことに、というより運がいいことに、ほかにも面白そうな芝居が重なってくることが多い。今回で言えば「なまず」「レミング」がそうだ(今回は野田地図ではないけれども)。
 観劇は1日1本におさめて時間に余裕を持とうと思ったら、数日前になって「新宿昭和−」のご招待状を頂いて、ありがたくお受けすることにした。昔取った杵柄というか、東京のカンパニーから年間5本程度のご招待状を頂いてもほとんどは見られない、金がない私としては、今回はとてもラッキーだ。
 なんてことを考えていたら、「−ナポレオン」で野田演ずるナポレオンの愛人を演じてきた天海祐希が6日に軽い心筋梗塞であると診断され、降板するとの情報が飛び込んできた。で、8日(水)ソワレと9日(木)マチネは公演中止。「あちゃー、どうなるの?」と思ったら、なんと宮沢りえが代役を務めるという。9日のソワレはどうするかなど、詳しいことはきょう17時ごろに発表されるらしい。
 天海においては一日も早く健康を回復し、天性の輝きを復活していただきたい。
 一方、宮沢の英断はすごいなと思う。公演自体が12日(日)が千秋楽で、もうあと少しなのだが、おそらく正味一日で台詞も動きも入れるのだろう。かつて遅筆堂こと井上ひさしは新作公演初日の前日に戯曲を書き上げ、役者陣は一日で体現したというが(だから、そうしたことに慣れている役者は自ずと限られ、井上ひさしの芝居出演者は常連の演技巧者が多い。良くも悪くも鍛えられるのだ。でも、初日前日でも書き上がらず、公演自体が延期、中止になったこともある)、いまこの時代にそれに挑戦するとは。おそらくは宮沢を起用することの多い野田との関係からかもしれない(今回の作・演出は三谷)。
 宮沢は舞台で、代役の責任を背負った悲壮感は決して見せないだろう。
 私は観劇後、彼女の心意気、プロ根性にあっぱれと心の中で叫びたい。
 そうした芝居になることを、きっと誰もが願っている。
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伊達緑丘高校VS札幌厚別高校

 サンピアザ劇場春の祭典2013高校演劇部門「伊達緑丘高校VS札幌厚別高校」を3月30日(土)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 同劇場での両校のバトルは今年で3回目。
 伊達緑丘高演劇部は「りんごの木」(原作後藤竜二、脚色影山吉則、演出寺沢英幸)。りんごの木と爺ちゃんと、人と自然の、恵みと生命の物語。出演者みんなが舞台上で生き生きと躍動していた。見たことがある芝居だなあと思ったら、数年前に北海道中学生演劇発表大会で登別明日中等教育学校が上演した演目だ。
 パンフレットによると、伊達緑丘高が創立30周年を迎えたのを記念に、10年前に先輩たちが全国大会に出場した作品を再現したとのこと。想像にすぎないが、この戯曲は胆振地方の学校演劇の財産になっているのかもしれない。こうして毎年毎年の積み重ねで、伝統は形づくられていく。
 札幌厚別高演劇部は「河童」(作畑澤聖悟、潤色戸塚直人、演出白野実季)。共学高校のあるクラス、1人の女子生徒が全身緑色、頭頂には皿が載った河童になってしまった不条理を通じて、「差別」を描く。これも昨年の北海道中学生演劇発表大会で登別明日中等教育学校が上演した。で、私を含め3人の審査員の講評を、体調不良の部員さんが出てしまって、審査講評発表の時に別室で待機していて聞かれなかった生徒さんと思われる読者の要望を受け、私は昨年12月5日に書いた。概要は以下の通り。
 演目は畑澤聖悟さん作の差別をテーマにした「河童」でした。畑澤さんの指導する青森の高校が全国大会で最優秀賞を受賞した作品です。
 今回の審査員3人による話し合いでは、台詞も動きも一つ一つがはっきりしていて、役柄が生きている素晴らしい舞台との評価でした。
 ただ、できれば、こういう差別があるという問題提起から一歩先に話を進めて、ではその差別をなくするためにはどうしたらいいのかをまで、なにか提示してもよかったのではないかということでした。
 もちろん原作の戯曲に忠実に演じられた素晴らしい舞台でした。
 それは認めた上で、中学生のみんなが考える、かすかな「希望」の光が差すような芝居になっていたら(そのためには先生と相談して、戯曲に少し加筆し潤色する必要があったかもしれません)、見た人がより前向きに受け止められる作品になっていたのではないだろうかということです。
 畑澤さんの執筆意図や、青森の高校が最優秀賞を受賞した際に全国大会の審査員の方々がどのような講評をしたのかはわかりません。
 ただ私たち3人の審査員の話し合いでは、以上のような講評になりました。
 今回の戸塚の潤色は(彼も「演劇病」を読んでくれているようなので、私の拙文を意識されたかもしれないが)、私たち審査員3人の要望を取り入れた感じの終わり方だった。私ももし劇作に携わる関係者の一人なら、まず考えられるのはこの手だろうなという感じのことだ。ただ、それがどういうものだったかはあえて書かないことにしておく。問題提起から一歩先に話を進めた「希望」への道筋は、もっともっと多様性、可能性があるのではないかと思うからだ。戸塚が示した一つの「希望」を書くと、今度はそれをそのまま上演するカンパニーや学校ばかりが増えないとも限らない。それはそれでなんだか寂しい。
 音楽にはサンバ(ジャンルとしてはサンバなのかな?)の名曲「ブラジル」を使って、「差別なんか、吹っ飛ばせ!!」といった趣の若い世代の祝祭的ラスト。それは痛快なものだった。
 いま日本では差別というか、近隣諸国との関係が微妙な、むしろ危ういところにある。それを克服する有効な手立てはあるのだろうか、ということにも思い至った。
 ちなみに迷いに迷った末、私は伊達緑丘高に1票入れた。
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2013年05月07日

彼岸花

 東京タンバリン(東京)「彼岸花」(作・演出高井浩子)を3月30日(土)、札幌・ターミナルプラザことにパトスで見た。
 俳優養成所時代の共通の友人が結婚することになり、披露宴での余興を話し合うためにフトシ(森啓一郎)の経営するカフェに当時の仲間3人が集まった。フトシと、いまも俳優修業中のレイコ(大田景子)、保険会社で働くミスズ(青海衣央里)だ。ところがそこに謎の女アキ(屋木志都子)が現れる。彼女はいったい誰なのか。フトシと仲が良さそうだが−。
 上演時間1時間で、見終えた後にじんわりしたものを感じさせる佳品。中盤には役者らが台詞を発しながら、こま送りのように素早く舞台狭しと動き回り、ちょっとした過去に戻り、未来?に行って、現在にまた戻ってという感じの場面が何カ所かある。それはまるでそれぞれの役柄は、時と場所がなんらかの拍子に違っていれば、それぞれ別の人生を生きていたかもしれないということを思わせる(たとえば順にA、B、Cの人の人生をB、C、Aが生きていたかもしれないというふうに)。この演出は、数年前にコンカリーニョで見た東京タンバリン「ゼロから始める」でもあったように記憶している。高井の得意技だろうか。これが小気味よく、全体的に静かめに物語られる芝居の中で効果を上げていた。
 舞台が見上げたり見下ろしたりする場所に位置するのではなく、カフェの中という設定で、観客の目線の高さにあったのも、この芝居には似つかわしかったと思う。
 実は屋木だけ同劇団員ではなく、札幌在住の役者。そうとは思えないほどに4人の息がぴたりと合っていた。いつここまで合わせたのだろう。
 先に書いたが、ラストはじんわり。べとつかないのが程よく、「彼岸花」という題名もまさに過不足ない。こうした1時間もののさくっとした短編芝居を、北海道の演劇人にも創ってほしいなと思った(短編演劇祭などの20分というのは、単独公演をするにはちょっと短すぎると感じるので)。
 
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