2013年01月27日

冬のバイエル/ライナス

 札幌演劇シーズン2013冬で1月26日(土)、2作品をはしごした。作りは非常に対照的だが、どちらも見応えのある力作だ。
 札幌座「冬のバイエル」(作・演出斎藤歩)はシアターZOO。2000年初演。
 師走の札幌を舞台に、ピアノ1台と椅子2脚の簡素な装置。登場人物は、妻に8年前に先立たれ再婚を決意する父(斎藤)と東京での就職を目指す20歳の短大生の娘(玉置陽香=客演)、不妊ゆえ心にわだかまりがある夫婦(佐藤健一、宮田圭子)、バツイチでピアノ教師の姉(林千賀子)と借金を背負い逃げ回っているのか、素性不明だが一応喫茶店を経営している弟(木村洋次)。物語はそれら男女3組の風景が4景9場、1時間25分、数珠つなぎに紡がれてゆく。同じ1台のピアノが四つの場所に置かれた違うピアノに見えてくる−そんな観客の想像力=創造力を喚起する芝居だ。
 初演から13年経ち、斎藤と木村の役柄が変わり、佐藤と玉置は初参加。再演を何度も重ねている作品だが、これほど大きな配役変更は初めてだろう。札幌座の代表作として、新たにつるりと生まれ直しをした感じだ(役者6人の平均年齢も5歳は若返っただろうか)。
 この、初めて「バイエル」に出演した2人が特に良い。あくまでも静かな、けれど深く埋めがたい孤独感とそこからの再生をいつしか求めている人々の物語の中で、実に落ち着いて役柄を生きている。浮ついたところがない。もともと「人」そのものというよりも、「人」と「人」とが織り成す関係性、そこからふっと立ち上る余韻のようなもので見せる奥深く微妙な機微の芝居だから、役柄としての「人」が突出してしまっては全体の印象の中で浮き上がってしまうのだ。
 歩はピアノ教師の「弟」が「兄」とされていたこれまでの役柄から、今回は「父」に。ぐっと抑えた演技がいぶし銀の妙だ。札幌座を見続けて10年以上だが、考えるに、歩自身がここまで静かな芝居を見せるのは旧TPS時代からしても初めてではないか(もちろん外部出演などではよくあるが)。
 木村は「夫」から「弟」になった。押し出しの強かった「兄」時代の歩とは一風変わった小悪党を、少し儚げな印象をまといつつ好演している。私などなぜか、同じく歩作・演出の「秋のソナチネ」で木村が演じた謎の才人・一郎さんを思い出してしまってほほ笑ましいのだが。
 忘れてならないのは初演から同じ役の宮田と林の“若さ”だ。初演から13年と言えば、人はそれだけ年を重ねたわけで、女性について年齢のことを書くのは憚られるが、この作品がいつまでも鮮度を保っていられるのは、このベテラン女優2人がいつまでも“若く”いることが大きい。もちろんこれからこの作品が札幌座の中心レパートリーとして10年、20年、30年後と再演されていく時には、作者歩もいつかはなにがしかの決断をしなければならないだろう。でも初演から13年後の今、2人はまだまだ十分に“若く”、瑞々しい。
 本作が道内外だけでなく、韓国やハンガリー、ルーマニアでも圧倒的な共感、好評を得られたのはどうしてだろう。私が思うに、それは匿名性のゆえだ。作品の中には人物の固有名詞がちょくちょく出てくる。けれどもそれは芝居の中ではさほど重要な意味を持たない。むしろ私が感ずるのは、登場人物の固有名詞が頻発されるにもかかわらずの匿名性だ。つまり、これら登場人物は誰であってもいい誰かなのだと。見る人それぞれが頭の中で実在の誰かと引き比べてしまう、誰かを思い出してしまう誰かなのだと。それは先に書いたように、もともと「人」そのものというよりも、「人」と「人」とが織り成す関係性、そこからふっと立ち上る余韻のようなもので見せる奥深く微妙な機微の芝居だから、役柄としての「人」が突出してしまっては全体の印象の中で浮き上がってしまう−というのと同義だ。
 舞台は師走の札幌と限定されている。でもそれ以上のことからは解放されている、私が感ずる匿名性のゆえに。そして物語も、ある人の死という唯一「劇的なこと」を除いては、些事といってもいい小市民のエピソードからできている。そうした小さなシンプルな話が積み重なり、全体に円環構造を形づくり、終演後に気付くとふっと芝居が見る側の懐のそばに居着いているのだ。私が本作に感じるのは、そんな限りない懐かしさだ。
 それは煎じ詰めれば普遍性を持っているということになる。韓国の人も、ハンガリー、ルーマニアの人も、師走の札幌を舞台にした芝居を見ながら、「私」の、「私のそば」の物語と感じ取ったのではないか。数日前にプレビュー公演の項で書いたように、無常観はロシア人のチェーホフにも日本人の小津安二郎にも相通ずるものだ。そうした普遍性の獲得をなし得たのは、本作の場合、説明的な台詞を極端に減らしたという、ある意味で前衛的な劇作による観客の想像力=創造力の喚起によるところが大きいと私は思う。
 本作の劇場配布パンフレットに歩が、本作に「母」が出ないことによる「母性の不在」についての一考察を書いている。00年初演時の劇評家の指摘が、安田寛さんの著書「バイエルの謎」を読んで解けたのだそうだ。ぜひ劇場に足をお運びください。
 「冬のバイエル」の宣伝映像にミスがあったそうで、新たなバージョンがアップされている。ユーチューブで「冬のバイエル」と引くと、旧版と改訂版が見られるが、何回見ても私にはどこが変わったのかわからない。
 劇団イナダ組「ライナス」(作・演出イナダ)はコンカリーニョ。03年初演。1時間45分。
 初演時の公演中に紙面に劇評を書いており、以下に載せておく。「劇評を読んだ方からお問い合わせが相次いで、おかげさまで完売になりました」と、当時のイナダ組のプロデューサーからお礼の電話を頂いたことを思い出す(ちょうど釧路の実家に帰省していたなあ)。でもチームナックスの人気者たちも出ていたのに完売になっていなかったのが、今となってはむしろ不思議だ。
2003/08/01 (金) 北海道新聞 夕刊
∧ステージ∨イナダ組「ライナス」*抑えた演出「家族」問う
 観客動員数は道内一の人気劇団の第二十六回公演。「家族」という誰にも身近ながら、昨今は痛ましい事件の舞台にもなっている人間関係のあり方を見つめ直した芝居だ。劇団代表イナダの作・演出。
 松永竜一(音尾琢真)は妻、思春期の娘(山村素絵)と暮らす四十代前半。三十年近く前、母校の中学校に埋めたタイムカプセルが掘り出されると聞いた瞬間、竜一は、中学の一時期だけ町を離れ、東京・三鷹に暮らした日のことを思い出す。
 幼くして両親が離婚、母(棚田佳奈子)に死なれた自分(子供時代・江田由紀浩)と姉・千明(小島達子)を、十年も音信不通だった父(大泉洋)が呼び寄せた時の記憶だった。再会した父は女装し、安西という男(森崎博之)と暮らしていた。
 芝居は、大人の竜一が狂言回しとなり、娘が持ち込んだ難問に悩む現在の場面と、父との再会の日という過去が交互に描かれる。上手に応接セット、下手にバー・カウンターという装置の使い方がうまく、現在と過去の行き来も巧みだ。
 勢い任せではない抑えた演出により、役者の力や個性が臨場感を持って伝わる。竜一の叔母役の庄本緑子、オカマのハッチ役の岩尾亮の緩急付けたコミカルな演技がわきを固める。
 欲を言えば、観客の想像力を狭めかねない説明調の言葉はもう少し削ってもいいだろう。物語の鍵を握る、ある人物の「傷」の存在など、言葉頼りではない演技で布石を打ってこそ、物語の世界はより広がるのではないか。(加藤浩嗣)
                  ◇
 7月26日、札幌・道新ホール(3日(日)まで)
 −以上。
 イナダによると今回は改訂版で登場人物も増えたが、私がかつて書いたあらすじ部分は今回の再演の劇評でも通用すると思うので、それに準じて今回の配役を記すことにした。役柄名は今回の再演版に直し、役者名は初演→再演とした。
 松永亮介(音尾琢真→小林エレキ)は妻(松岡春奈)、思春期の娘(山村素絵→吉田諒希)と暮らす40代。30年近く前、母校の中学校に埋めたタイムカプセルが掘り出されると聞いた瞬間、亮介は、中学の一時期だけ町を離れ、東京・三鷹に暮らした日のことを思い出す。
 幼くして(5歳)両親が離婚、10歳で母(棚田佳奈子→山村素絵)に死なれた自分14歳(子供時代・江田由紀浩→大島宏太)と姉・沙織21歳(小島達子→柴田知佳)を、10年も音信不通だった父(大泉洋→武田晋)が呼び寄せた時の記憶だった。再会した父は女装し、安西という男(森崎博之→谷口健太郎)と暮らしていた。
 亮介の叔母役の庄本緑子は初演と同じ。
 10年で、山村は思春期の娘から母になったわけですね。十年一昔−。
 今回は下手に応接セット、上手にバー・カウンターで、装置の配置は初演とは真逆だった。
 「冬のバイエル」と対照的なのは、こちらは個性的な役柄が多く匿名性ではなく実名性を伴ってキャラクターが立っており、役者の押し出しが強いということだ。舞台でボーッとしていると、他の出演者にのみ込まれてしまう感じ。あくが強い人のオンパレードとも言えようか。そうして描かれるのは児童虐待。それが、見ている側の神経を逆なでするほどに、きりりきりりと締め付けてくるからたまらない。
 やばいよ、これ、芝居自体が自傷行為なんじゃないのか、いい加減にしてくれよ、問題提起だけして終わるなんてまっぴらごめんだぜ−そんなことを見ながらつぶやいてしまいたくなった頃、イナダはそっとかすかな希望の光を指し示す。そのさじ加減の巧みさに、むむむっとなる。
 イナダの作品の多くは同様で、役柄や観客の神経をぎりぎりのところまで追い込んでは、最後に落語の下げのような「この一言」的な台詞を持ってきて落とすのだ。その手法はなんとも心憎いばかりだ(見ていて、本当につらいこともしばしばだけれども)。
 エレキが一回り大きくなった感じ。それにしてもyhsだけじゃなく、コンスタントにお呼びがかかるな。まだまだ配役されても余裕があるのでは。谷健は抑えていい味を出していた。自らのカンパニーではいつも120パーセントの力でがなってばかりいる印象が強いが、もともと魅力的なキャラクターだし、目配りも利いて地声がいいのだから、静かな落ち着いた芝居も今後は見せてほしい。柴田が良かった。劇団アトリエの「熱海殺人事件」からわずか2週間! いまや札幌演劇界の有力な人材だね。
 ちなみに題名の「ライナス」は漫画「ピーナッツ」に出てくる安心毛布が手放せないライナスに由来する。
 札幌演劇シーズンについては
http://s-e-season.com/
 をご参照ください。
 こうしたロングランでは、どうしても公演日程の後半に観客が集中しがちです。「前半に見ても、まだ役者がなじんでいないでしょう」などという心配からなのは理解できますが、両演目とも初日からしっかり台詞が入った引き締まったいい芝居をしていました(「冬のバイエル」はいったん終わりましたが)。「初日から100パーセントの芝居を見せるのが当然」と、劇作の側の意識はすでに変わっています。あと、変わるべきなのはわれわれ観客の側なのです。
 いつ行っても、そこでは芝居をやっている。時間つぶしに、映画の代わりに芝居を見る。そんな街にしませんか、私たちの札幌を。
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2013年01月19日

売春捜査官

 ブロックプレゼンツ「売春捜査官」(原作つかこうへい、演出高橋聡)を1月19日(土)、札幌・ブロックで見た。
 名作「熱海殺人事件」(作つかこうへい=1973年、岸田國士戯曲賞受賞作)はその後、さまざまに派生したバージョンが書かれており、本作もその一つ。
 警視庁の名物女性刑事である木村伝兵衛部長刑事(藤谷真由美)と部下であるホモの井上タカユキ(井上嵩之)のもとに、熊田留吉刑事(宮沢りえ蔵)が着任、3人が悪戦苦闘しつつも、熱海の海岸で幼なじみの売春をしていた女性を絞殺した容疑で逮捕された大山金太郎(立川佳吾)を取り調べる趣向のコメディー。
 4役とも押し出しが強く、拮抗して対峙していたのがなによりも良かった。藤谷にもぴったりの役柄。先に劇団アトリエの「熱海−」を見られなかったという人には特にお薦めしたい。
 20日(日)は15時、21日(月)は20時開演。
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冬のバイエル

 札幌演劇シーズン2013冬のプレビュー公演、札幌座「冬のバイエル」(作・演出斎藤歩)を1月16日(水)、札幌・シアターZOOで見た。2000年初演。13年経って、配役も変わり、一部設定も変わった。見るたびにそうなのだが、今回も心が“浄化”された
 師走の札幌を舞台に、ピアノ1台と椅子2脚の簡素な装置。登場人物は、妻に8年前に先立たれ再婚を決意する父(斎藤)と東京での就職を目指す二十歳の娘(玉置陽香=客演)、不妊ゆえ心に溝がある夫婦(佐藤健一、宮田圭子)、バツイチでピアノ教師の姉(林千賀子)と借金を背負い逃げ回っている喫茶店経営の弟(木村洋次)。物語はそれら男女3組の風景が4景9場、1時間25分、数珠つなぎに紡がれてゆく。
 私は何度見たことだろう。もう20回ぐらいか。役者たちもけっこう変わった。ことに09年以来の上演である今回は玉置と佐藤が初出演だ。でも、違和感はない。むしろ今回は同い年の歩がとうとう父役を演じることになって(これまでは「弟」ではなく「兄」を演じていた)、「ああ、私も精子が精子ならば息子か娘がいてこうだったのだな」という感慨が深いのである(つまり私は劇中同様に調べてもらった上で精子が極端に少なく=普通なら1000匹いるところに6匹とか=子どもに恵まれなかったのですね)。私個人で言えば、歩が父を演じたのに加えて、不妊が夫婦に与える溝というものもこの芝居の場合はぐっとくるものとして大きいのである。
 なんだか、ちょっと露骨にすぎましたね。改めます。
 02年の(札幌座の前身である)TPS+文学座提携公演(演目としての再演)を見た私は、請われて北海道演劇財団の広報誌(03年Vol.16)に「思いの入り込む余地」と題した文章を書いた。そこから一部が抜粋され、04年再演時のポスターに使われた(林千賀子がピアノを弾いているポスター。繊細な指先が美しい)。その部分を以下に再掲しよう。
 「さまざまな出来事があり、だが人生は堂々巡りのよう、それでも人は生きていかなければならない。チェーホフや小津安二郎の無常観を思い起こさせもした。そしてこの芝居は見る側に楽しませる自由さがあるのだと思い至った。極めて簡素な装置の中で演じられる抑制された物語が、実は限りない想像へ導くものだとあらためて感じ入った。」
 02年に初めて見た私は、ちょっと驚いた。「これで演劇が成立するんだ」と。それでいて十分に感動しているのである。驚きは、説明的な台詞の極端ななさにである。それは、今はなき転形劇場の世界演劇史上に残る沈黙劇「水の駅」(作・演出太田省吾)に通じるものだったかもしれない。それでいて、札幌を舞台にした身近な芝居なのである。どこまでも観客の想像力=創造力を育むのである。胸を突かれたのは私だけではないだろう。
 説明的な台詞が極端にないという、ある意味では前衛的な劇作は、海外でも観客が想像力=創造力を自在に駆使して楽しむことができるのではないだろうか。それだけ、国内だけで通用する台詞=説明から解き放たれて、自由なのである。開かれているのである。
 「冬のバイエル」の宣伝映像ができたそうだ。語りは斎藤歩。あらためて聞いて、そういえばこの声、よく聞くなあと思った。以下のところを参照ください。
http://www.youtube.com/watch?v=SDI7F00A2ek
 札幌演劇シーズンについては
http://s-e-season.com/
 です。
 ことのほか雪が深い札幌での演劇シーズン、きょう開幕です!!!
 1カ月間、芝居漬けになりませんか!!!
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2013年01月12日

熱海殺人事件/少女仮面

 2013年の観劇初めはきょう1月12日(土)だった。
 そして実は私の48歳の誕生日でもあった(ちなみにノーベル文学賞候補作家村上春樹氏と一緒)。でも干支があと一巡すると還暦だ、なんて思うと、なんだかぞっとしない。
 でも勤務が休みになって、表題の日本演劇史上に残る名作2本をはしごして見て、ようやくほっとした(13、14両日は勤務である)。どちらも良くできていたからだ。素晴らしい出来だった。こうなると、故つかこうへい、唐十郎という敬愛する演劇人が誕生祝いをしてくれたようにも思えてくるから現金なものだ。
 劇団アトリエ「熱海殺人事件」(作つかこうへい=1973年、岸田國士戯曲賞受賞作、演出小佐部明広)は札幌・レッドベリースタジオ。
 警視庁の名物刑事くわえ煙草伝兵衛こと木村伝兵衛部長刑事(ビルタテル)と富山県警から着任したばかりの若手の熊田留吉刑事(小山佳祐)、婦人警官のハナ子(柴田知佳)の3人が、熱海の海岸で幼なじみのブスな女子工員を殺した容疑で逮捕された九州出身の工員大山金太郎(伊達昌俊)を取り調べ、“完全自白”させるまでの顛末を描いたコメディー。
 これがなかなかのテンポで、ぐいぐい引き込んで見せる。長渕剛や桑田佳祐らの楽曲を使うなど、小佐部のちょっとした現代的アレンジも良い。
 ただ熊田、ハナ子、大山ら3人の役柄に比べて伝兵衛の造形が弱く、印象が薄く思えたのが惜しまれる。4人が対等の“大きさ”になって丁々発止してこそ、つかならではの大仰で骨太でありながら、限りなく優しい繊細さが宿る、という戯曲が生き生きと活写されたのではないだろうか。
 客席には、若手劇団としては意外にも(と書くと怒られるかもしれないが)、つかと同年代らしきご年配の方がけっこういらした。もしかしたら、つかの「熱海−」だからかもしれない。もしそうならば、こうした名作が再演され続ける意味は大いにあると言うべきだろう。そしてカンパニー側は積極的にチャレンジするべきだ。
 13日(日)は14時・19時、14日(月)は13時・17時半開演。
 「じゃぱどら!! 激情編 唐さんと岸田さん」のWATER33-39「少女仮面」(作唐十郎=69年、岸田戯曲賞受賞作、演出清水友陽)は同・シアターZOO。
 かつての宝塚大スター春日野八千代(佐井川淳子)の隠れ家でもある地下の喫茶店「肉体」。店内は、腹話術師(明逸人)と人形(高石有紀)が座っていたり、水をくれとせがむ男(石川亨信)が来たりと、不思議な空間。そこへ宝塚ファンの16歳の少女、緑丘貝(中塚有里)と老婆(畑山洋子)が春日野に会いにやってくる。ボーイ(赤坂嘉謙)に邪魔されながらも、ようやく貝は春日野に認められる。「老いていく肉体」を刷新することへの渇望を貝に話して聞かせる春日野。折しも喫茶店のそばで地下鉄工事が始まった。そしてまた、そこはいつしか満州になり、春日野と旧知の甘粕大尉(小林テルヲ)が現れるのだった…。出演はもう一人、中川原しをり。
 清水はかねて「アングラがやりたい」と言っていたが、見事なアングラになっていた。“正統派アングラ”とでも言おうか、唐のテイストの正統な継承と言おうか。これは唐の作品を見たことがないという人にもお薦めである。
 ZOOというアングラ=地下劇場で、その空間を生かし切ってのアングラ。劇場入りしてすぐにわかるが、看板から始まって、あれがあって、あれが出てきて…いろんな仕掛けがあって、とにかく楽しい。想像以上の出来栄えだった。うれしいなあ。
 13日(日)は14時・18時、14日(月)は14時開演。
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2013年01月02日

2012アワード・続

 あけましておめでとうございます。
 原稿の謎の消失から時間をかけて(まあ酔っぱらっていたからでしょうが)、ようやく復活しました。
 12月29日(土)、深夜の仕事休みに喫煙室で煙草を吸っていたら、どの記事を紙面に載せるかを選び、見出しやレイアウトなども担当する編集本部のデスクが「きょうは記事が薄くて大変だよ」とぽつり。私は「便りがないのが良い便り(No news is good news.)」を念頭に、「ニュースがないのが良いニュースじゃないですか」と言った。デスクいわく「ああ、そうか。そういう考えもできるねえ」と、また一服。
 ほんと、そうなのだ。私もマスコミに身を置いて、編集本部にいたことがあるから、「でかい見出しが付けられるニュースはないかな」というデスクの気持ちはわかるのだが、いま、一歩引いて紙面を俯瞰する校閲部という部署で紙面をチェックしていると実感する。2011年3月11日の記事の差し替え、差し替え、差し替え、共同通信が次にどのようなニュースを配信するかを知らせる音声情報の前に鳴る「ピーコ」の連打、あの時はせき立てられるようで、心がどうしようもないほどつらかった。
 「原稿が薄い」といっても、事件、事故ではなく、心が温まる、いわゆるニュースだけではない“ため記事”“はこもの記事”で埋まる新聞が見てみたい。
 できれば今年は一日だけでも、全世界でだれ一人亡くならない日なんてできないものだろうか。できないんだろうけれどなあ、だから、祈るんだろうね。
 閑話休題。
 「2012アワード」の札幌市立中央中「ミッション・E」で「この戯曲は出演者として中高生に大人を交えて演じられてもよい水準にあると思う」と書いたのは、例えば「中高生に大人を交えて入場料を取って演じられてもよい水準にある」という意味である。中学生演劇が大人の演劇より水準が低いと読まれるのは心外なので、あえて書いておく。
 いままで書かないできましたが、私の“文化”の心の基である釧路のジャズ喫茶「ジス・イズ」のマスター小林東さんが2012年9月下旬に脳梗塞で倒れてしまいました(直後に劇団北芸の加藤直樹さんから「加藤浩嗣さんには伝えておかなければ」と連絡があり、東京中に連絡しました)。今も病棟におられるらしいです。もう、なにも言えません、本当になにも言えないんです。祈るしかないんです。
 では、あらためて発表します、「2012アワード」。
 シアターホリック「マイベスト」。
 yhs「プリンセスチェリー(原作鶴屋南北「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」=1817年初演、脚本・演出南参、3月24日(土)、コンカリーニョ=以下、特記しない限り札幌)。原作の物語や人間関係などのエッセンスをそのまま生かし、舞台を現代の高校に移し替えて「毒」と「笑い」を交えて描ききった。ぜひシリーズ化して「南参歌舞伎」を。古典として、役者陣のスキルアップにも最適ではなかろうか。
 座・れら「不知火の燃ゆ」(作鷲頭環、演出戸塚直人、6月24日(日)=札幌市こどもの劇場やまびこ座、11月25日(日)=サンピアザ劇場)。水俣病がテーマの「昭和31年、夏の終わりの物語」。それが心に深く突き刺さった。現代の“フクシマ”とも呼応し、「いま」「ここ」を照射する。比べればやまびこ座の方が、劇場入りした途端に舞台奥に遥かに海が広がって素晴らしかった。そしてあの、異様なカーテンコール。フクダトモコ渾身の祈り。悲劇のヒロインを演じた玉置陽香は、札幌演劇シーズン2013冬の札幌座「冬のバイエル」が楽しみだ。なお、再演作品として「殿堂入り」にしてもよかったが、初演時にすでに再演が決まっていたことなどから初演扱いとした。
 札幌市中学校文化連盟演劇専門委員会主催「5日間で作る『もしイタ』演劇ワークショップ発表公演」の「もしイタ〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」(作・講師畑澤聖悟、8月20日(月)、札幌・ターミナルプラザことにパトス)。
 同演目=十勝管内清水町立清水中 劇団クリオネ(作畑澤聖悟=既成。潤色佐々木隆徳、指導者佐々木、代表生徒竹中理紗、11月24日(土)、札幌市教育文化会館小ホール)。「3・11」とそこからの再生がテーマ。畑澤が顧問を務める青森中央高演劇部は2012年、本作で全国高等学校演劇大会で3度目の最優秀賞受賞。中学生たちは舞台の上で生き生きと役柄を生きていた。カラスもコロスも、樹木も、吹奏楽部員としてでも。中学生演劇には本当に救われる思いだ。ありがとう。
 弘前劇場(青森)「素麺」(作・演出長谷川孝治、11月10日(土)、コンカリーニョ)。これも「3・11」がテーマ。長谷川版「三人姉妹」でもある。座敷童子が選んだ一歩に再生への希望が象徴される。毎年毎年、東京と同じほど札幌公演を重ねてくださってありがたいばかり。札幌劇場祭2012大賞受賞、おめでとうございます。
 intro「モスクワ」(作・演出イトウワカナ、12月1日(土)、コンカリーニョ)。これも「3・11」がテーマ。物語などすっ飛ばしたように見せ掛けて、ぴたっとパズルがはまったように断片がつなぎ合わさった瞬間の快感。周到に情緒を排した末に、それでもにじみ出ずにはいられない感情、そして物狂おしいほどに鋭く痛切な希望。ワカナが時代と切り結ぶ視線のあり方に、目が離せない。
 シアターホリック「殿堂入り」(再演作品対象)
 劇団イナダ組「このくらいのLangit(作・演出イナダ、1月28日(土)ほか、コンカリーニョ)。2002年に劇団創立10周年記念として上演された大作の再演。小泉純一郎内閣による構造改革で拡大、定着してしまった格差社会。そんな社会的なテーマもはらんだ作品だ。
 演劇ユニット イレブン☆ナイン「天国への会談」(作・演出納谷真大、6月10日(日)、札幌市教育文化会館小ホール)。04年のイレブン☆ナイン旗揚げ公演演目の再演。老若男女、だれもが笑えてほろっとさせられるエンターテインメント。札幌演劇シーズンの演目にしてもよいのではないだろうか。
 札幌座「アンダンテ・カンタービレ〜歩く速さで歌うように〜」(作・演出・音楽斎藤歩、7月24日(火)ほか、シアターZOO、TPS時代の04年初演、11年「殿堂入り」に選定済み)。原子千穂子と林千賀子は似ているということだろうか。確かに名前の読みでは似ている。ぶっ飛び方も。
 札幌座「瀕死の王さま」(作ウジェーヌ・イヨネスコ、翻訳大久保輝臣、脚色・演出斎藤歩、8月9日(木)ほか、シアターZOO。09年7月初演)。この演目が札幌演劇シーズンにふさわしいのだろうかという懸念は見てすぐに吹っ飛んだ。初演の上演時間2時間を1時間20分にまで縮めたうえ、不条理演劇を超えて笑いどころ満載、“暴走”“暴発”気味のコミカルなアングラ演劇になっていた。
 弦巻楽団「果実」(作・演出弦巻啓太、9月26日(水)、サンピアザ劇場、03年初演、09年「殿堂入り」に選定済み)。03年8月に札幌市教育文化会館小ホールでの初演、09年10月にコンカリーニョでの再演と見て泣き、今回も泣かされた。3度見て3度とも泣いている。いくぶん過剰気味な台詞や動き、字幕文字をもう少し整理してすっきりすれば、立派な札幌演劇シーズン演目になるのではないか。
 シアターホリック「北海道演劇の宝」賞を贈るべき作品があった。
 TPS(12年4月以降札幌座)「亀、もしくは…。」(原作カリンティ・フリジェシュ(ハンガリー)「亀もしくは居酒屋の中の気ちがい」(岩崎悦子訳)、脚色・演出斎藤歩、2月4日(土)ほか、シアターZOO、1995年初演)。05年以来の再演で、ブログで取り上げたのは初めて。06年のブログ開始当初、「殿堂入り」や「北海道演劇の宝」賞などの概念はなかった。斎藤が書き加えたラスト数分の、世界への確かな意志表明が胸を打つ。同様に精神病院が舞台の演劇・映画「カッコーの巣の上で」のように直接人間性解放をうたったものではないが、マイナス要素ばかりの末のプラスへの劇的転換は、混迷した社会にあって人生肯定の乾いた希望のメッセージとして響くだろう。その意味では、ほとんど斎藤のオリジナル作品と言えるかもしれない。
 劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹、10月6日(土)、帯広の演研・茶館工房、98年初演、09年にこのカンパニーのこの演目のためにこの賞を創設)。ボロのコートを着て、いわくありげな男(加藤)と女(森田啓子)が日々新たに出会い、日々新たに愛し合い、日々新たに結婚する−「生の感触」をかみしめる。60年旗揚げの老舗劇団だが、昨秋の地元・釧路公演をもって解散してしまった。ただ、その前の帯広公演を見た私が「ぜひ札幌でもラストステージを」と無理を言ってお願いし、今年実現する。シアターZOOで5月18日(土)19時、19日(日)14時開演だ。ご期待ください。
 というわけで、今年もよろしくお願いいたします。
posted by Kato at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする