2012年11月27日

不知火の燃ゆ

 座・れら「不知火の燃ゆ」(作鷲頭環、演出戸塚直人)を11月25日(日)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 詳しくは今年6月25日付で書いているので、ご参照を(今回、「昭和31年、夏の終わりの物語」と特定された)。
 本当にすごい芝居だ。
 ぜひ道内各地、いや全国各地で上演していただきたい。
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2012年11月25日

ばつが悪い訂正

 なんだかつまらない訂正ですけれど、前項で「ガムを噛んでいなかったのを」とあるのは「ガムを噛んでいたのを」の誤りです。
 ばつが悪いね〜。
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清水中「もしイタ」

 第7回北海道中学生演劇発表大会が11月24日(土)、札幌市教育文化会館で行われ、十勝管内清水町立清水中が最優秀賞、札幌市立中央中、同北野台中が優秀賞に選ばれた。私は審査員(溝口博史さん=HBC常務取締役、飯塚優子さん=札幌・レッドベリースタジオ主宰)の一人で、おこがましいことに審査委員長もおおせつかった。
 清水中の演目は、「『もしイタ』〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら〜」(作畑澤聖悟=既成。本人による作・演出で青森中央高が今年8月に全国高校演劇大会で最優秀賞を受賞、その直後の札幌での札幌っ子を対象にしたワークショップ並びにあらすじは8月23日付で書いている。ご参照を=。潤色佐々木隆徳、指導者佐々木、代表生徒竹中理紗)。
 素晴らしい舞台だった。
 審査はかつてなく時間をかけて慎重にした。40分いっぱいかかった。
 優秀賞になった、中央中の「ミッション・E」(作森山奈緒子=顧問創作。横浜から全国大会の先生が見に来ていて、素晴らしい出来ということで、なんと来春、戯曲集に収録されるそうです! うれしいですね! 今回演じたみんなは“オリジナルキャスト”なんだからね! 心して後輩に伝えるように!=。指導者森山・川原憲、代表生徒横山梨花)、北野台中の「面接練習」(作竹生東・室達志=顧問創作、指導者竹生・片野真耶子、代表生徒東あかり)も、清水中と同等の素晴らしい出来だったからだ。
 表彰式で発表する時に、私は緊張しまくって、順番を間違えないように気を付けてしゃべった。それほど、拮抗していた。その瞬間にちょっと心が滑ってしまえば、違う中学校名を言ってしまいそうな感じがするほどだった。
 参加したみんな、感動をありがとう!
 私は12月の最初の土曜か日曜に、卒業して初めての(32年ぶり)中学校のクラス会が故郷の釧路市で開かれるらしいんだけど、札幌劇場祭を見るために行けなくて、欠席するんだ。
 いや、全然そうじゃない。
 劇場祭を見るためにという積極的な理由だけじゃなくって、あの頃、1学年15クラス600人、3学年45クラス1800人というマンモス中学校で、学級委員長をクラス替えのない3年間押しつけられて、煙草を吸ったり万引したりする輩がいて、文化祭でほかのクラスの合唱発表の時にクラスの連中がガムを噛んでいなかったのを注意しなかったという理由で連帯責任で4時間正座させられた上に往復ビンタを食らうなんてことをさせられた、その張本人の奴らと、彼ら彼女ら、それに私を往復ビンタした担任の教師が一緒に仲良く、あの頃を「若かったよなあ」なんて思い出話にして酒を飲む場になんて、絶対行きたくないんだ。
 すっかり、ひねくれています。
 その意味で、みんなはすてきな中学校生活を送っていると思うんだなあ。素晴らしい絆です。だって、進学したり就職したりして、もう3カ月後には、クラス会とか演劇部会とか、やるでしょう?
 ここからは個人的な書簡です。
 大谷くん。君が先生として活躍していてうれしいです。10年前には、札幌・ブロックで、私が見る芝居、見る芝居に出ていたでしょう! もう生徒諸君にカミングアウトするべきべすよ、本当は俺が芝居したいって。おまえたちに俺の情熱を伝えるよって。応援するよ!
 田島先生。寺原くんをよろしくお願いします。彼のことは1年生の時の札幌・シアターZOOでの畑澤WSから見て気になっていて、子どもがいない私はなんだか外部保護者の気分です。1年生から畑澤さんが主役的に抜擢したのも、彼になにか光るものがあるからだったのでしょう。彼には、最近の中学生にはなかなかない、いちずさ、ひたむきさを感じます。大きく言えば、高倉健さんのような(大き過ぎかな〜)。大器晩成でいいから、すてきに育ってほしいな。
 うるとらさん。あなたがとっても素晴らしかったと、昨年、審査委員長を務めた北海道演劇財団専務理事、平田修二・札幌座チーフプロデューサーがしきりに言ってくるのです。初恋をした少年のようです。で、一度、話をしたいんだってさ(私の左隣にいたオッサン。きょうの夜の大人の飲み会も、その話ばっかり!)。休み明けでいいので、先生と相談した上で、電話してあげてください(もちろん料金は相手払いのコレクトコールでいいよ〜)。北海道演劇財団011・520・0710です。
 それでは、みんな、また来年会いましょう! というか、ブログはちょくちょく見てくださいな、ね!。
 
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2012年11月23日

THE Lady・Blues 〜彼女に何が起こったか?〜

 劇団怪獣無法地帯「THE Lady・Blues 〜彼女に何が起こったか?〜」(作・演出渡邉ヨシヒロ)を11月22日(木)、札幌・ブロックで見た。
 ちょっぴりガサツなOL蜜子(ハナブサコウ)は、ある日、目覚めると、(心はそのままに容姿だけ)オッサン(棚田満)になっていた! 男の生理に戸惑う蜜子! 唯一の理解者は恋人の誠司(梅津学)だけ! 昨日までは女であることが面倒くさかったハズなのに! そんな時に限って次々とやって来る来訪者! 妹(原田充子)、同僚(長流3平)、そして父(=オッサン)を探しているという謎の女(大沼理子)! アタシが一体、何をしたっていうの!? 怪獣版「変身」のコメディー。
 怪獣はアーティスティック調の伊藤樹作品、おばかさんテイストの棚田満作品の極端な落差が魅力だが、これは棚田作品に近いけれども、そこまではハチャメチャではない、分をわきまえた感じのコメディー。話の流れ、持って行き方が、どこか弦巻楽団の弦巻啓太作品を思わせた。演出も細かなところに目が行き届いている丁寧な感じで安心して見られ、笑わせられた。伊藤、棚田に続く“第三極”として、渡邉作品の今後にも期待したい。
 ただ、上演時間2時間というのはちょっと長い感じがした。省略したり簡潔化することで10〜15分程度短くした方が引き締まって、いっそうテンポが良かったのではなかろうか。
 平日3日間のみの3ステージとはもったいない芝居。練り上げて再演してもいいと思う。今年はなにかと都合が悪くて怪獣の公演を見られないでいたけれども、今回大いに笑えてほっとした。
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2012年11月18日

火盗人

 劇団千年王國「火盗人(ひぬすびと)」(作・演出橋口幸絵)を11月17日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 狼の夫婦(櫻井ひろ、村上水緒)に育てられた人間の姉妹マツヤニ(堤沙織)とヒナギク(榮田佳子)が火と出会い、火守神(鈴木明倫)と出会い、成長していく物語。橋口オリジナルの叙事詩劇であり、創作神話だ。
 5人が舞台狭しと駆け回る、身体性を最大限に生かした芝居だ。そのダイナミックな舞台は昨年、札幌劇場祭2011大賞&オーディエンス賞、さらに神谷演劇賞大賞を受賞した「狼王ロボ」を彷彿とさせる。「ロボ」がサンピアザ劇場という客席数250の固定椅子劇場ならではの特徴を生かした演出だったのと同様、今度は客席数90程度の小さな空間を逆手に取り、花道を作ったりして劇場の特性を生かした工夫が凝らされている。
 舞台下手奥に設えられた“岩場”で福井岳郎らが民俗楽器を生演奏(作曲福井、さとうしほ)。彼らとのコラボレーションはいまや千年の芝居にはなくてはならない感じで、息もぴったりだ。
 そして陰の主役はまさしく火。火を扱いながらのダンスショーなどもあり、圧巻。物語が少々わかりずらいところもあるにはあるが、そんなことを乗り越えて、ずばっと演劇の魅力を伝えてくる。
 開演は19(月)・20(火)日は19時半、21日(水)は14・19時。
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2012年11月15日

18日(日)は演劇病の日

 北海道立文学館が「演劇病」でいっぱいになる日、18日(日)が近づいてきた。
 当日は11時から私一人で劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」についてブログに書けない内緒話(倉本聰さんのこととか出るかも)も語り(要観覧料)、14時からは平田修二・札幌座チーフプロデューサー、翻訳家マイエル・イングリッドさん(ハンガリー人)と鼎談する(無料)。
 お時間がおありの方は、ぜひいらっしゃってください。
 時間はたっぷりあるので、あとからこっそり「こんな芝居をしたいのだけれど、どこの劇団に入るのがいいのでしょうか?」「こういう芝居を見たいのならば、どこへ行けば?」などというご相談にものります。 
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2012年11月13日

続・風蝕異人街プロデュース「水の駅」

 前項で、書くべき大切なことを一つ忘れていた。
 それは転形劇場版「水の駅」はひたすら漂泊、流浪を思わせたのに対して、風蝕異人街版は定着、執着を感じさせたことだ(「土地」への、また「時」への)。こしばの書いた「公演によせて」の「3・11」に引っ張られたところが大きい連想だろうが、それは、出てくる女たちが砂や布に埋もれた靴や、水場をめぐって相当な勢いで争うことを見ても明らかだろう。靴=(生きていた、そしてあの日、津波に流された)人の記憶ということもできる。
 やはりこれは、水場とそこに立ち現れる人という設定だけを借りつつ、こしばが新たに創造、構築した風蝕版「水の駅」と言った方がいいのかもしれない。
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風蝕異人街プロデュース「水の駅」

 実験演劇集団「風蝕異人街」プロデュース「身体詩劇−ダンサーのための無言劇『水の駅』〜孵化する女たち〜」(作太田省吾、構成・演出こしばきこう。なお当日配布のパンフレットでは「ダンサーたちの無言劇」とある)を11月11日(日)、札幌・シアターZOOで見た。いまや伝説である舞台、転形劇場(1968〜88年。品川徹、大杉漣らがいた)の「水の駅」(劇団主宰者太田省吾の作・演出)に果敢に挑んだ意欲は高く評価されるべきだし、果たして上演された芝居は風蝕色に塗り込められて素晴らしく見応えがあったが、本家・転形版「水の駅」に人生を変えられた私としては、風蝕版「水の駅」が本家とはベクトル、方向性が真逆とも感じられるのがとても興味深かった。
 当ブログでは何度も書いているが、初めに私が「生涯マイベスト」と決めてしまった転形版「水の駅」についておさらいしておく。1981年初演で、国内外24都市で約200回上演された日本演劇史上に残る作品であり、演劇の概念を世界中に問い直した“事件”ともいえよう。「地の駅」(85年)、「風の駅」(86年)へと続く沈黙劇3部作の1本である。
 私が東京・T2スタジオ(85年に練馬・氷川台に開設された転形劇場の本拠地。劇団解散とともに閉鎖)で見たのは、手元の資料によると大学2年の85年が最初らしい(88年の大学卒業までに都合4回見ている)。舞台そのものは素舞台。上手奥にスクラップの小山。舞台中央に一本の水道管があり、蛇口から細く糸を引いて水が滴り落ちている。そこへ上手から、分厚いコートなどを着た、どちらかといえば粗末な身なりをした男や女がトランクを持ったり乳母車を引いたりしながら、3分間で1メートル歩行するなどという静止しているかのごとくにごくゆっくりと現れ、水と出会い、戯れ、沈黙したまま下手へ去っていく−。言葉も表情も、物語らしい物語、筋書きらしい筋書きもない。
 最初に見たその晩、とにかく「なんなんだ、これは!」と驚き、“感動”し、三軒茶屋の自宅アパートへ帰る電車に乗っていると、あらゆる言葉という言葉、物語という物語が身体の内外からどっと湧いたり降ってきたり、覆い被さってきた。胸がむかむかむかむかとむかついて、地下鉄の三軒茶屋の駅に降り着くなり、駅の便所に駆け込みとうとう嘔吐してしまった。
 私は大学時代、地元・釧路のジャズ喫茶「ジス・イズ」マスター小林東さんに先輩を紹介され、女子大の琴弾き乙女に恋をしたこともあって、尺八部「虚竹会(こちくかい)」に入っていた。沈黙、間(ま)と音について、自分なりに考えてもいた。それが「水の駅」との出会いで、木っ端みじんに粉砕されたのだ。3回目の観劇の前、ロビーにいた太田に勇気を出して問い掛けた、沈黙の意味を。「人間って、一日ずいぶん話したつもりでも、話した時間をぎゅっと凝縮すると、せいぜい1時間ちょっとなんですよ。それを演劇化してみただけです」。太田は気さくにそうした趣旨の劇作の秘密を打ち明けてくれた。
 これが私の“演劇的原体験”である。すでに状況劇場や第三舞台、夢の遊眠社などは楽しみ考えさせられながら見ていたが、転形版「水の駅」で“演劇的原体験”をしなければ、私は決してシアターホリック(演劇病)を発症しなかっただろうと思う。いまの私は、あの、嘔吐するまでの、なにごとだったのかいまでも意味のわからない演劇的体験をいまひとたび味わいたいと、毎週末に札幌中の劇場へ通いながら心の底で思っているのに違いない。
 風蝕版「水の駅」は私にとって、転形版「水の駅」がなにを問い掛けられたのか、いまでも問いが問いのままであるのとは、ベクトル、方向性において真逆だ。なにより上演の意図、テーマが明確化されている。演出のこしばがパンフレットの「公演によせて」で書いているのだ。作品制作の初期の着想は「3・11」「東日本大震災」であり、テーマは「再生と祈り」である、と。それだけに、11人のダンサー(三木美智代、平澤朋美、丹羽希恵、布上道代、福田泰子、相良ゆみ、安田理英、武藤容子、夕湖、博美、吉松章)による70分超の無言劇を、あの神の悪行としか思えない仕業からの「魂の『再生』」(こしば)と見たのは、観客のほとんどであるに違いない(舞台中央に水場。舞台は布や布きれ、靴、砂などで覆い尽くされている)。
 転形版が太田の著作「なにもかもなくしてみる」(2005年、五柳書院)という通りに、言葉や表情、つまりは感情、動きの素早さ、物語の一切を削ぎ落としたのに対して、風蝕版にはそれらが少しではあるがあったのも対照的といえよう。風蝕版の役者は時に呻き、ほほ笑み、泣き、水場をめぐって素早い動きで対決する。そして先のテーマに沿って「物語」が進行する。見ていて、わかりやすいのだ。こしばにとってはいま、「3・11」を普遍化することが芸術の役割であり、「再生と祈り」を生身の身体で具現化することがなにより切実なテーマであることが痛いほどに伝わってきた(前日10日に見た弘前劇場「素麺」とも響き合うものだ)。
 ただ、転形版「水の駅」フリークであり、人生をまで変えられてしまった私はここで、難癖ともいえる感想を二つだけ書いておく。まず1点は、風蝕版では芝居の最初(不穏な不協和音)から最後までが音楽で埋め尽くされていたことだ(バッハ「マタイ受難曲」。トム・ウェイツの歌。カーテンコールで美空ひばり「アヴェ・マリア」)。それは本当に必要だったろうか。転形版でもエリック・サティ「ジムノペディ」第1番と、アルビノーニ「オーボエ協奏曲」第2楽章=通常より高速度で再生=が使われているが、基本的に音は滴り落ちる水道水の細く、けれども確かで絶え間ない音だけである。その水を役者が手を差し延べて掬う瞬間に途切れる水の刹那−それこそが、あらゆる生命の源泉である水に象徴される生と性と死に懸けることではないだろうか。初見から27年の時を経て、風蝕版の歌詞入りの楽曲で掻き消された水の音に、私はあらためて発見したようなそんな思いを致すのだ。
 もう1点は先に書いた、こしばによる「公演によせて」でのテーマの披露は必要だったろうかということだ。27年前ではない、いまなら、「3・11」、そうとも受け取れるという世界を、そうとしか受け取れないという世界に矮小化してしまったのではないだろうか。念入りな構成・演出によって、見る人が見れば、明らかに「3・11」を想起したはずである。けれどもそれを、「3・11」としか受け取められない世界にとどめておいては、芸術の可能性をかえって矮小化してしまうのではなかろうか、という老婆心である。こしばにはこしばの伝えたいメッセージがあることはわかる。けれどもそれを観客があらかじめ読む「言葉」で書き伝えてしまっては、無言劇としては元も子もないのではないかということだ。日ごろよく上演する寺山修司らの芝居なら、言葉の人だからわかるが、こと沈黙劇「水の駅」に限っては、ぐっと堪えて内緒でいてほしかった。観客の想像力=創造力を信頼してほしかった。
 難癖をつけたが、ここまで原稿用紙7枚分も書いたのは、書いてしまったのは、この「水の駅」という芝居が太田省吾の早すぎる死(07年7月13日、享年67。私は縁者でもないのに、後日、東京で開かれた「お別れの会」に出席した)により、2度と出会えないと思っていたところ、奇跡的に新たな顔をして再会できたからだ。初めて出会ってから27年、本当に積もる話がたくさんあったからだ。あの衝撃の出会い、嘔吐から30年近く、よく私も生きてこられたな、と正直思う。「3・11」もあって…。でもやはり、こしばが書いたように「生き残った者は、生き続けなければいけない」のだ。
 風蝕異人街と東京のダンサーの皆さん、素晴らしい芝居、時、空間をありがとうございました(原稿用紙8枚と6行)。
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2012年11月11日

素麺

 弘前劇場「素麺」(作・演出長谷川孝治)を11月10日(土)、札幌・コンカリーニョで見た。東日本大震災で生き残った東北の人々を描いた作品。北海道に“疎開”してきている東北人がいるとはいえ、北海道に住んでいてはなかなかわからない、報道されない、報道されても伝わりきれない、岩手、宮城、福島3県と地続きの青森人の生の感触に心がずしりと揺さぶられた。
 あらすじというか、登場人物の背景を少し詳しく書くことにする。観劇予定があり、事前にお知りになりたくなければ読まないでください。少し詳しく書くことにしたのは、この芝居の感じ入るべきところは、こうした背景やストーリーを追うことそのものではないのではないかと思うからだ。言い換えれば、緻密に練り上げられた舞台そのものの機微にあると思うからだ。この芝居、“ネタバレ”するなよ、なんて演劇病患者が言われるほど、そんなにやわなもんじゃない。
 秋。青森県津軽地方にある旧家・佐々木家。大きな屋敷で、空いている部屋を下宿として貸し出してきて、居間の書棚が代々の下宿人らが残していった書籍であふれている。偶然、旅先の岩手で東日本大震災に遭遇し津波で流された両親を失い、いまの家主は市役所勤めの長女冬子(40歳=以下、数字は年齢。小笠原真理子)、頻繁に岩手・宮古へボランティアに通う次女奈津子(33。国柄絵里子)、教育実習を終えたばかりの三女春子(25。寺澤京香)の3人だ(一緒には暮らしていない)。
 鳶・頭の林崎清志(33、奈津子に気があるらしい。林久志)と若衆・横内又七(24、大卒。藤島和弘)により、古くからある蔵の修繕が終わった。佐々木家には、大学時代から下宿している市役所職員桃山勘太郎(36、新潟出身。田邉克彦)がおり、岩手で妻と19歳の娘を津波に流され、この市の運転手として再雇用された親戚の鈴木喜一郎(49。高橋淳)も出入りする。そして、桃山にだけは見え、会話もできる座敷童子(年齢不詳。永井浩仁)もいる。でもこの座敷童子、どうやらこの家からいなくなろうとしているらしい。そして奈津子の鍵を握る「素麺」の意味とは−。
 この芝居、長谷川版「三人姉妹」といえよう。実は私も「3・11」を乗り越えて生きる、なんて大それたものではなく、「3・11」を踏まえて生きていく、という物語ならば(「3・11」を乗り越えられなんてしない、そこまで人は強くなれない、と私は思う)、三人姉妹ものしかないのではないかと思っていた。少なくとも主人公は男性ではなく、女性が主人公の物語…。8月23日に書いた、畑澤聖悟作「もしイタ〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」も「3・11」を踏まえた傑作で、表面的には主人公は男子だが、「イタコ」そのものが女性ならではのものなのだ。
 この芝居を見て、やはり北海道と東北は違うのだなと思った(弊社記事ではことさらに北海道と東北との関係性の深さを書こうとしており、それは決して間違ってはいないが)。地続きであること、すぐそばに「3・11」の死者、あるいは生者がいること、もしかしたらそれは自分だったかもしれないこと…。さまざまな思いが頭を駆け巡る。自分の想像力は欠けてはいないか、想像力ごと津波に押し流されてしまったのではないか…。
 書棚いっぱいの書籍。あふれんばかりの本。それは言葉であり、記憶である。だれに読まれずとも自然と蓄積されていく記憶…それは時間と言い換えてもいいかもしれない。そしてそれはこの芝居の大テーマである「時間」、人々それぞれの「物語」を象徴するメタファーだ。
 昨年、やはり「3・11」を題材として作られ、札幌劇場祭で特別賞「作品賞」を獲得した弘前劇場の「海辺の日々」より、私は本作の方が好きだ。それはなにより、座敷童子が登場したことによる。座敷童子がこの芝居でああいう選択をしたことによる。それは簡単な言葉で言えば「再生」である。「生き直し」とも言えようか。「海辺−」では長谷川自身がまだ迷っていたように思えるところが、導かれたのだろう、座敷童子を登場させたことによって、逆に希望へとつながったのである。
 本作の大筋本流とは無関係に、登場人物の何人かによって、トマリ部長をはじめミハマ、イカタ、オオイ、ハマオカ、センダイ、カシワザキなどなどの原発名が、人名として頻繁に発音される(あえて片仮名で書いた)。それではフクシマさんはどこへいったのだろう? そしてオオマさんは現れるのだろうか? 反骨長谷川の真骨頂であろう。
 11日(日)は14時開演。
 
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2012年11月10日

CRY WOLF!

 劇団パーソンズ「CRY WOLF!」(脚本・演出畠山由貴)を11月10日(土)、札幌・ターミナルプラザことにパトスで見た。
 とある大学の情報発信サークル。構内のあらゆる噂を網羅し不定期にフリーペーパーを発行している。オカマの准教授梅田(上西佑樹)が顧問を務め、女性に目がない前部長宗司(湊谷優)、サークルきっての情報通である現部長ひなた(工藤舞子)、レポート提出に追われている明梨(能登屋南奈)、霊感の強い芽衣子(阿部星来)が活動中だ。サークル室にある日、和花(佐藤愛梨)という女性がやって来る。熱心なサークルの取材でとの名目だったが、どうやらそれは嘘らしい。ひなたが分析したのに対して白状したところによれば、6年前のある出来事について、梅田に復讐するためだった−。
 本がなかなかよく出来ていて、見応えのある芝居だ。時折笑いどころを折り込みつつ、女の業(ごう)というか、性(さが)というか、(少なくとも男の私には)そうした、ちょっとぞくっとするものを感じさせる心理サスペンスでもある。それに「あ、これがこうくるなら、ここはもう少しちゃんと輪郭をはっきりさせて観客にわからせてほしいな」と私が思えば、数分後にはそれについての台詞があったり、過去と現在のシーンを往還させて描いたりしてそうした部分をきっちりと埋めてくる、そんな目配りが全体に行き届いていて、緻密な作りであることがうかがえる。
 さまざまな種類の伏線もぴたり。先の登場人物紹介で記したことなどが後からじわじわと効いてくる。75分、余分なところがほとんどない。終幕は二転三転、目が離せない。唐突だけれど、ヒチコック映画を連想した。
 ただ惜しむらくは、役者6人の演技の巧拙がけっこうはっきりしてしまっていること。一部の役者が上滑りしていた感がしたのは本当にもったいない。全員が工藤ほどに自然であれば、私としてはもっともっと芝居にのめり込めただろう。今後、いっそう精進してほしい。
 間に合わないかもしれないが、10日は19時からも開演。時間があれば、ぜひご覧あれ。
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ねじまきロボットα

 トランク機械シアター「ねじまきロボットα(アルファ)」(企画・監修大門奈央子、脚本・演出立川佳吾、人形製作大門、ササラ・ラボ)を11月10日(土)、札幌市子ども人形劇場こぐま座で見た。
 “機械仕掛けの王国”のロボットお姫様(知北梨沙)が幼い子どもを亡くした悲しみのあまり、すべてのものの名前を奪い、番号で呼ぶことにした。そうすれば愛着を持つこともなく、たとえ失ったとしても悲しまなくて済むからだ。ただ“一人”名前を持ったままになったのが、ねじまきロボットα(曽我夕子)。αはある日、お姫様の悲しみを癒やすために国中が見える高く大きな塔を造ろうとしているロボット(立川)と出会う。友達になろうと、αは彼を「つぎはぎ」と名付ける。一緒に製作し、ようやく塔は完成する。だが、何者かに壊されるのだった−。
 名付ける、愛着を持つ、一方で失う悲しみ、喪失感から一歩を踏み出す勇気…。そんなささやかだけれど大切なことを思い出させてくれる芝居だ。立川の本が幼い子どもたちにもわかりやすく、よくまとまっていて、終わり方も洒落た物語。大人が見ても、ハッとさせられる箇所、台詞がいくつもある。出てくるロボットたちもいろいろな種類があり、工夫が凝らされていて面白い。
 私は1979年の「国際児童年」に協賛してゴダイゴが歌った「ビューティフル・ネーム」という名曲を思い出した(ユーチューブにもアップされている)。本当に名前って大切。愛情の証し、友情の第一歩。大人一人で見に行っても十分楽しめる人間+人形劇だ。
 開演は10日は14・17時、11日(日)は11・14時。
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2012年11月01日

18日(日)、北海道立文学館に「演劇病」が蔓延する!

 北海道立文学館で11月2日(金)から12月16日(日)まで、特別展「『戦後北海道の演劇』 芝居づくりにかけた演劇人たちの熱いメッセージ」が行われる。
 同館のホームページをご覧いただくとわかるが、ポスターやチラシ、パンフレット、上演台本、舞台写真などが展示される。そこでだが、11月18日(日)は朝から夕方まで、私は出ずっぱりなのだ。
 11時からはギャラリー・トーク(要観覧チケット)で、「劇評ブログ『シアターホリック(演劇病)』」と題し、僭越ながら個人の演劇との出会いや観劇史などを話す予定。このブログには書いていない、いや書けない、書いちゃいけないようなことも、ちょっとだけ話そうかと思っている。お楽しみに。
 14時からは演劇フォーラム(無料)で、北海道演劇財団専務理事、札幌座チーフプロデューサーの平田修二さん、日本文学研究家、翻訳家で、かつてTPS(現・札幌座)のハンガリー公演に尽力したマイエル・イングリッドさんと「『劇団TPS』から『札幌座』へ−北海道演劇財団の新たな挑戦」と題し鼎談。こちらは午前中よりは少し硬派になる、と思う。
 同展の図録にも「21世紀初頭の小劇場演劇」という題で、“チームナックスより面白いかもしれない”カンパニーいくつかを紹介する文章を書いている。お読みください。
 期間中、同館ではさまざまな演劇人が熱くトークする予定。ぜひ一度、お越しください。なお12月2日(日)の札幌劇場祭の公開審査&受賞式も今年は文学館で行われる。
posted by Kato at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする