2012年10月28日

その男の事情

 北海道文化財団・韓国演劇協会光州広域市支会交流事業、劇団オル・アリ「その男の事情」(作・演出ヤン・テフン)を10月28日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。
 夫(チョン・スンギ)が妻(チョン・ギョンア)に内緒で汽車に乗って旅をしてきたという理由で、妻に怒られている。妻は夫が「初恋の人」(キム・ギョンスク)に会ってきたと疑っている。夫は言い訳をする。「信じられないかもしれないが、実は宇宙人に誘拐されていたんだ」。そこへ夫の友人である男(チョン・テソク)が来る。「俺の妻(キム・ギョンスク=2役)を返せ」と。夫は男の妻とも会っていたようだ。夫はまた「宇宙人に誘拐されていた」と言い訳するが、どうにも立ちゆかない。妻は唐辛子入りの水の入った水鉄砲を男に貸し、縛り上げた夫を攻めさせる。男の運命やいかに−。
 白い線路のオブジェが飾られたシンプルな舞台装置。時折、ある人物の失踪事件を伝えるテレビの報道番組の映像が流れ、不穏な空気感を増幅する。
 シリアスな心理的サスペンス。終幕に入って、物語は二転三転する。どう収束するのだろうと思って見入っていたところ…突然、B級映画さながらの展開に転がりだしてびっくり(私はB級映画の大ファンですが)。「あっ、これはまさしく韓国の劇団怪獣無法地帯(札幌)じゃないか!」と、心の中で叫んでいた。瞬間、怪獣代表の棚田満さんの顔が思い浮かんだもんね。ただ、それをも含めて夫の心象風景と思わせても辻褄が合うメタシアター(演劇について考えさせる演劇)だ。犯罪などの社会事象を考えさせながら、エンターテインメント性にも優れている。
 劇中、テーマ曲のように「ねこふんじゃった」が流れる。日本で「ねこふんじゃった」の名で親しまれているこの曲は、人づてに劇団関係者に聞いたところによると、韓国では「猫の踊り」というらしい。そして10年ほど前に新たな詞がつけられて「鼠100匹」という童謡になり、子供たちに愛唱されているらしい。その○○○までが出てくるとは−。難しい芝居だと思ったら、ほんと、B級映画テイスト満載の娯楽作なのだった。
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2012年10月21日

星の王子さま

 実験演劇集団「風蝕異人街」の「星の王子さま」(作寺山修司、構成・演出こしばきこう)を10月21日(日)、札幌・アトリエ阿呆船で見た。
 この作品、文化部時代の2003年4月にTPS公演を見ており、戯曲も読んでいる。あらすじ紹介の代わりというわけではないが、その時に書いた劇評を以下に記しておく。
2003/04/07 (月)
<客席通信>TPS「星の王子さま」*寺山戯曲 現代に生かす
 没後二十年の寺山修司作で一九六八年の初演。今回、札幌の「劇団千年王國」から招かれた橋口幸絵の演出は、寺山芝居独特の“粘液”は薄く、現代的な乾いた感性が身上だ。六〇年代の「反戦デモ」に対し、今は「ピースウオーク」の時代。下着姿の妖艶な女の笑いが響く「悪徳の栄え」の世界は同じだが、時代と切り結んだ芝居を今に生かす工夫が凝らされ、興味深い。
 舞台はサンテグジュペリの「星の王子さま」を愛読する永遠の処女ウワバミ(林千賀子)が経営する元売春宿のホテル。流浪の旅人、男装の麗人オーマイパパ(宮田圭子)と娘の点子(栄田佳子)がそこに訪れたことから、「見えないものだけを見る」「見えるものを見ない」ホテルの中の世界の実情が暴かれてゆく。
 札幌の画家、森迫暁夫の極彩色のイラストを使った紗幕、天井に輝く満天の星や小道具の数々など、細部へのこだわりが会場全体を宝箱のような小宇宙にした。冒頭から観客を劇空間に引き込む工夫もある。演出は、紗幕を透かして売春婦然の女たちが媚態を見せる様子など、脇役の動きにも十分目配りが利いている。
 舞台は終幕、衝撃的な「メタシアター」(演劇とは何かを考えさせる構成の演劇)になる。現実と虚構の境を溶かし、観客の常識を揺さぶる寺山得意の戦略。好き嫌いは分かれるだろうが、橋口が、戯曲にある六〇年代ならではの仕掛けやセリフを整理し、寺山の挑発は現代にも有効な問い掛けだと示したことを特筆したい。
 栄田が背伸びしたがりのおてんば点子を、林がこの芝居の世界観を背負う偏執的なウワバミを熱演。宮田のオーマイパパは現実(女性)と虚構(男装)の相克というテーマを体現する役柄だけに、前半部分、もっと観客への押し出しや挑発があってもいい。(浩)
 ◇4日、札幌・シアターZOO(13日まで)
 −以上。
 今回の風蝕版はウワバミに平澤朋美、点子に丹羽希恵、オーマイパパに三浦千絵という配役。3人ともTPS版に負けず劣らずの熱演だった。
 戯曲を読んだ者の目としては、風蝕版の方がラストのメタシアターや登場人物たちのエロさ、寺山独特の“粘液”べっとり−などを忠実に演出していた。特にメタシアターには驚いた観客も多いのではないか。それに加えて、こしばは二重三重にメタシアターを仕掛けた、それこそ寺山も驚くほどにだ。さすがは寺山戯曲を取り上げ続けてきたカンパニーだけのことはある(9年前のTPSは観客層のこともあり、あそこまでのエロさなどはできなかったのだろうといまにして思う。言葉を換えれば、抑制が効いていた)。
 風蝕には1960年代のアングラな雰囲気がよく似合う。東京の大学入学前年に寺山に死なれ、劇団天井桟敷に解散されてしまった私としては、本当にありがたいカンパニーだ。札幌にいながらにして「寺山ワールド」を満喫できるのだから。
 さて、風蝕の次回公演は11月9日(金)〜11日(日)、札幌・シアターZOOでの「身体詩劇−ダンサーのための無言劇『水の駅』〜孵化する女たち〜」(作太田省吾、演出・構成こしばきこう)だ。
 最近、顔を合わせた演劇関係者によく「風蝕の『水の駅』って、どうなんでしょう?」と尋ねられる。私は確かにシアターZOO幹事として、こしばから企画を聞いたうえでリゼット公演カンパニーに推薦したが、出来ばっかりはわからない。本当にわからないのだ。
 3月に東京(演劇フェスで、前後に別のカンパニーの公演があったため、水そのものは使えなかったらしい)、9月に韓国・ソウル(初日終演後に観客からあまりに質問攻めにあったから、2日目終演後には急遽アフタートークを開いたらしい)で上演し好評だったらしいが、札幌公演はそれらとも違うらしい。
 本家である転形劇場(大学卒業の88年に解散。大杉漣らがいた)の沈黙劇「水の駅」は大学生時代に東京で見て、帰路の地下鉄内で「言葉という言葉」が体の内外から一挙に溢れ出てきたり浴びたりして、とうとう地下鉄駅のトイレで嘔吐してしまったという、私の「生涯マイベスト」。感動した、なんてもんじゃくくれない、生き方を変えられたものの一つである。
 本当にどうなるんだろう?
 
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二十二夜待ち/父歸る

 米倉斉加年が新劇の仲間と芝居をするために作った一座・海流座の「二十二夜待ち」(作木下順二、演出米倉)と「父歸る」(作菊池寛、演出米倉)を10月21日(日)、札幌・シアターZOOで見た。
 9月20日〜10月31日の北海道巡演の一環。2作の間に休憩20分を挟んで全体で1時間半ほど。これが実に密度が濃い。新劇では初めてと言ってもいいほど満ち足りた時間を過ごせた。配役表などパンフレットがないので名前は記せないが、それぞれの短評を。
 「二十二夜待ち」−仏教の集まり「二十二夜」にお堂に来た乱暴者の男が、祖母と、早くに両親に死なれた孫息子との情愛に触れて改心する話。単純と言えばそうなのだが、余計な物をそぎ落とした感じがいい。その他大勢の村人役は巡演先のアマチュアだそうで、この人たちも余計なことをせずに素朴で、なかなか良かった。旅回り一座ならではの魅力を満喫。
 「父歸る」−母と長男(28歳)、次男、長女が暮らす質素な家に、20年前に情婦と出奔した道楽者の父(米倉)が帰ってくる。苦労を背負って生きてきた長男だけは受け入れないが…。まさに新劇の確かさ、王道に魅了された。米倉の存在感、白眉というほかない。ここ何年も新劇は地方では演劇鑑賞会などのプログラムとして、数百人もが入れる大ホールで上演されるのが普通だが(その方が集客が確実で“食いっぱぐれない”という事情もある)、実はZOOのような、満員で100人程度の小劇場で上演されてこそ、戯曲の機微を余すところなく伝え、観客をして人生の観照に至らせるのではないか。そんなことも考えさせられた素晴らしい舞台だった。お時間がある方は、ぜひご覧いただきたい。
 開演は21日18時(これからじゃ、もう無理だと思うけど、一応)、22日(月)14時。
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2012年10月20日

東京観劇記2012年10月

 東京で芝居を見てきた。1月、6・7月に続いて今年3回目。例年だと2回だから、1回多い。やはり年に3回の上京は財政的に厳しいな。帯広へ行って1週間後だったので、肉体的にも少々きつかったし。
 1本目は10月12日(金)に下北沢のザ・スズナリでブス会*「女のみち2012」(脚本・演出ペヤンヌマキ)。苫小牧市出身の三浦大輔主宰の演劇ユニット「ポツドール」から派生したユニットのようだ。ホームページによると、ペヤンヌマキはAV監督としても活躍しているらしい。で、「女のみち」はAV女優たちの群像劇で、2006年の作品の続編。もちろん私はその設定に大いに惹かれて見に行ったのだ。予定していた以上の観客で、通路にも椅子を出す大入り満員の大盛況。助平なのは私だけではなかった。AV女優の群像劇ではあるが、プロ意識の欠如とか“仕事”ができないときの焦りとか、私をはじめどの業界にも通ずる物語なのだった。楽しみにしていたセクシーさもなかなかのもの。そしてしたたかに、大胆に生きる女たちのたくましさ。ラストの切なさとか驚きとかは、三浦の岸田國士戯曲賞受賞作であるポツドール「愛の渦」を思い出させて、なかなかのものだった。
 2本目は13日(土)に池袋・東京芸術劇場で野田地図「エッグ」(作・演出野田秀樹、音楽椎名林檎)。1年以上かけた劇場の改装が終わっての初公演だ。「エッグ」という名のスポーツで東京オリンピック出場を懸けて中国と対戦している日本のチーム(この時期、対戦相手が中国というだけで、なんだか不穏な空気が漂う)。
 ベテラン選手の粒来幸吉(仲村トオル。自殺したマラソン選手円谷幸吉を思わせる)、東北出身の新人阿倍比羅夫(妻夫木聡)、チームのオーナー(秋山菜津子)と監督(橋爪功)との間の娘でシンガー・ソングライターの苺イチエ(深津絵里)。苺は粒来に憧れつつも阿倍と結婚する。
 野田の作品らしく、競技が行われている最中でも時空はめまぐるしく変転する。やがて、この対戦が行われているのが戦前・戦中に日本が中国に建国した満州であり、東京オリンピックとは1964年に実際に開かれた大会ではなく、現実には第二次世界大戦のために中止になった40年の大会であることが明らかになる。スポーツ「エッグ」に使われる卵はワクチンづくりに必要な物。物語は日本陸軍の細菌戦を想定した研究機関731部隊の“その後”にも関わってくる。
 問われる日本人の心、生き方の問題。野田の劇作はこのところ日本人の無責任さや節操のなさ、あっけらかんとした忘却をこれでもかというほどに問い詰めるものが多かったが、本作もそうだった。
 野田はメタシアター的に劇場案内係/芸術監督として登場するが、彼が東大時代に最初に劇評を書いてくれたという寺山修司についての言及が随所に出てくるのも意外で、新鮮な取り合わせで、効果的だった。見終えて、心にずっしりと重い物を背負わされた観劇だった(決して嫌ではないが、つらい)。
 3本目は14日(日)に三軒茶屋・世田谷パブリックシアターでまつもと市民芸術館企画制作「K.ファウスト」(作・演出・美術串田和美、音楽coba)。「ファウスト」をテーマに2008年、10年と、串田自らが芸術監督を務めるまつもと市民芸術館(長野県)を拠点に創ってきた芝居の集大成的作品。
 ファウスト博士(笹野高史)、メフィストフェレス(串田)、道化?カスペル(小日向文世)、パルマ后妃ほか(雛形あきこ)。劇場狭しとサーカスの空中ブランコが観客席の上を前後に揺れ、ジャズリングなどの大道芸が披露され、アコーディオン奏者cobaらが音楽を生演奏する。串田がかつて串田ワーキングin北海道を経て舞台化した「コーカサスの白墨の輪」(作ベルトルト・ブレヒト)を思い出させる祝祭的空間、見世物小屋的道化芝居だった。ラストは串田らしく(だと私は思うのだが)、悲劇的ではない終わり方。休憩含めて3時間超の長丁場がいっこうに苦痛でなく、こちらは後味の良さが心を高揚させた。
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2012年10月10日

第7回道東小劇場演劇祭

 10月6(土)、7(日)の両日に帯広の演研・茶館工房で第7回道東小劇場演
劇祭(以下の3劇団でつくる「道東小劇場ネットワーク」主催)を見てきた。6
日に見たのが劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤
直樹)、7日は劇団動物園(北見)「蝶のやうな私の郷愁」(作松田正隆、演出
松本大悟)と劇団演研(帯広)「夫婦善哉」(作平田オリザ、演出片寄晴則)で
ある。各演目終了後のアフタートークゲストは東京の劇団五反田団主宰である前
田司郎氏だった。
 北芸の「この道−」については前項でも触れており、というより当ブログでも
何度も書いており、詳しくは書かない。ボロのコートを着て曰くありげな男(加
藤)と女(森田啓子)が日々新たに出会い、日々新たに愛し合い、日々新たに結
婚する−「生の感触」をかみしめる芝居だ。秀逸だった。来年の札幌公演も急遽
決まり、それがもはや楽しみでならない。
 動物園の「蝶のやうな−」、実は私は松田の作品を生で見るのは初めてだっ
た。結婚して何年目くらいかな、新婚でもなく、といって10年以上たっているよ
うでもない、夫(松本)と妻(佐藤菜美)の何気ない日常生活。それが、不穏な
空気に包まれてゆく。松田作品はいつも題名がすてきなので、シリアス一辺倒か
と思っていたが、結構笑いどころもあるのだった。それがラストに向けて不穏さ
を増していくのが不気味だった。落ち着いて、ラストには少し心震えて、見応え
のある出来栄えだった。
 演研の「夫婦−」は2006年6月に見た札幌・シアターZOO公演について当ブ
ログ7月6日付で書いている。その時と同じく夫(富永浩至)、妻(坪井志
展)、妻の妹(上村裕子)の配役だった。6年前に見た時より重くなっている
な、というのが見終えての率直な感想だった。当時は深川でのシアターキャンプ
in北海道から帰ってきて劇場に入り、淡々とした中に抑制された演技がいぶし銀
の光をたたえていた印象があったが、今回はちょっと重苦しい感じがしてしまっ
た。前田氏も私とは別の意味でそう感じられたのだろうか、アフタートークで
「戯曲を愛しすぎてしまって重くなったのではないか」という趣旨の感想を述べ
られていた。なるほど、そういうことってあるのかもしれない。
 とはいえ、3劇団とも一つの作品とじっくりと向き合い、解釈し、熟成させて
舞台に載せているのはさすがというよりほかない(正直に言えば、なんだいこ
りゃ、と思うことがない)。札幌の演劇関係者も機会があればぜひ足を運んで、
なにかを感じ取っていただきたい。
 
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2012年10月07日

この道はいつか来た道

 帯広に来ています。第7回道東小劇場演劇祭を見るためにです。帯広の劇団演研、釧路の劇団北芸、北見の劇団動物園が道東小劇場ネットワークをつくっていて、2001年から持ち回りでやってる、すごくレベルの高い演劇祭です。
 きょう(もう昨日か)は09年に「北海道演劇の宝」賞をあえてつくって選定した、別役実作、加藤直樹演出の劇団北芸「この道はいつか来た道」を見ました(2009年11、12月に劇評書いています)。というか、この芝居を見に来たようなもんです。で、あしたも、質の高い芝居を2本見るわけです。
 幸せです。
 みなさんも、幸せな週末を!!
 あ、そうそう、劇団北芸、1960年結成で、道内で一番古いアマチュア小劇場劇団なのに、来年、解散するそうです。その前に一発!!札幌・シアターZ00で「この道−」を上演するのだそう。これは必見ですね。なんせ、作者の別役実本人が感動して唸った芝居だから。
posted by Kato at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする