書かなきゃ書かなきゃと思いながら先延ばしにしていたら、もう3カ月も経ってしまった。皆さんには眠い話で申し訳ないが、当ブログは私の備忘録の意味もあるので、えいやっと書くことにした。
東京で芝居を見てきた。今は昔、6月から7月にかけてのことだ。
6月30日(土)はまず新宿・紀伊國屋サザンシアターでKOKAMI@network「リンダリンダ」(作・演出鴻上尚史)。全編がザ・ブルーハーツの楽曲で構成された、2004年初演の音楽劇の再演だ。
インターネットの「演劇ニュース」にあったあらすじを引くと−レコード会社からボーカルを引き抜かれ、ドラマーは失意のうちに故郷へ。残されたのは、リーダーのヒロシとベースのマサオ、マネージャーのミキ。壊れかけたバンドと、海を締め切った「あの堤防」。取り残されたバンドの計画に、人生に区切りをつけたい人々が、次々と巻き込まれてゆく…。
どうやら初演時の「あの堤防」とは、九州の諫早湾干拓事業で閉じられた堤防のことのようである。それが再演の今回はドラマーの故郷が福島県で(初演はどこだったか不明)、「あの堤防」が「あの原発」に。残されたバンドのメンバーたちは閉塞状況を打開するため、「あの事故を起こした原発」を封鎖する壁の爆破をもくろむ−。
と書いてて、というか見てきて、こうした形で東京電力福島第1原子力発電所事故を取り上げるのがいいのかどうか、私は正直、鼻についた。だからといって、あの原発事故をどう取り上げたらいいのかは全然わからないけれど。
確かにザ・ブルーハーツの楽曲がこれでもかというほど何曲も歌い演奏されるが、さしてかのバンドのファンではない私には、感動はいまひとつ。土曜の昼というのに劇場の後ろの方には空席もけっこうあった。今年1月に「第三舞台」が(10年間の)封印解除&解散してしまって(当ブログ1月をご参照ください)、鴻上の集客力にもなんらかの影響があったのだろうか。なんてことまで考えてしまったなあ。
と、ここまで書いたところで、8月20日(月)、札幌市内の中学生男女29人による「もしイタ〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」(作・講師畑澤聖悟)を見る機会を得た(当ブログ8月23日の項をご参照ください)。「もしイタ」は物語も生徒たちの演技も本当に素晴らしい作品だった。東日本大震災を演劇で取り上げ、死者と向き合うならばこうした作品でなくてはならなかったんだなと思わせるだけの作だった(もちろん演劇も芸術表現の一ジャンルだから、取り上げ方は人ぞれぞれであり、こういうのは駄目とは一概には言えないのは承知の上だが)。それにしても鴻上尚史の「リンダリンダ」での「3・11」の取り上げ方はひどかった。「もしイタ」が周到に念入りに描いていただけに、「リンダリンダ」の瑕疵、甘さが痛切に感じられる。「リンダリンダ」での「3・11」は福島の原発事故についてが中心だったが、被災者が見ても「なんだこりゃ」と思ったのではなかろうか。あまりにも軽く、あまりにも扇動的で、あまりにもご都合主義的なのだ。なんだか「3・11」がいいように使われている気さえしてくる。芸術表現は自由が保障されている(と私は思っている)が、なんだか今になって怒りさえ湧いてくるなあ、私は。
6月30日夜は池袋・シアターKASSAIで劇団風琴工房「記憶、或いは辺境」(脚本・演出詩森ろば)。偶然だが、これも04年初演の再演だ。当時、私は文化部の演劇担当で、チームナックスが芝居「LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜」での東京初進出の初日5月14日(金)を取材するために上京、ちょうど下北沢のザ・スズナリでマチネがあったので見て、とんでもなく感動した(実はその3週間ほど前の劇団黒テント「三文オペラ」の上京取材で「記憶、或いは辺境」の折り込みチラシを見つけ、題名と(後段に書く)物語に引きつけられ、なんとか見たいなあと思っていたら、幸運にもナックス東京進出と重なって観劇が実現した)。観劇、感激の思いを当時の文化面コラムに書いている。以下の通り。
2004年6月30日 (水) 夕刊
∧ぶっくまあく∨北海道の演劇に期待して
五月に東京で、風琴工房という劇団の「記憶、或いは辺境」を見た。題名と副題「1943−1949 樺太」に興味が引かれた。女性主宰者・詩森ろばさんの作・演出で、戦前から戦後に至るサハリン(樺太)での日本人と韓国・朝鮮人の交流を描いた上質の舞台。戦後、日本人のほとんどが引き揚げた後、許可の下りない韓国・朝鮮人はとどまらざるを得なかった歴史的事実を背景にしている。この問題は私も旭川報道部勤務時代に取材の経験があり、ぐいぐい引き込まれた。
観劇日は平日午後。観客は約八割だったが、さすが東京は年齢層が幅広かった。そして満場の熱い拍手。決して華やかな物語ではないが、舞台を通して劇団と観客に何かが通じた瞬間だった。
詩森さんに聞くと、十年以上前の中学生時代、テレビで女優薬師丸ひろ子さんのサハリンリポートで問題を知り衝撃を受けて以来、温めていたテーマだという。今度は私が、テーマの熟成のさせ方に感服した。「でもまだ浅いんです」という詩森さんに、いつか関係者が数多い北海道での上演を願うと、詩森さんも「ぜひ」とうなずいた。
多岐にわたるテーマの熟成と、受けとめる観客層の広い東京の演劇状況が、その意味ではうらやましい。北海道も、と願いつつ、七月から小樽報道部に異動する。お世話になりました。
−以上。もちろん私は現在は札幌に戻ってきている。
社会的な題材を取り上げ個々の叙情をも交えて繊細に丹念に描く詩森の劇作には本当に感銘するし、今回も感動した。その手付きはまるで心を込めて手織りものをしているかのようなのだ。北海道演劇界にもいそうで、なかなかいないタイプだ(そうした意味では6月に見た、座・れら「不知火の燃ゆ」が作品としてはイメージが響き合う)。この路線での劇作に励むカンパニーが北海道でもぜひ出てきてほしいな、と期待する。
観劇日にはアフタートークがあり、李恢成氏の小説「伽耶子のために」を映画化した小栗康平監督がゲストだった。詩森によれば、まさにこの小説を映画化したがゆえに対談相手として頼んだとのことだったが、この芝居を見終えた後の対話としてはちょっと論点がかみ合っていなかったのはご愛嬌だろう。
ただ、名作だがもう二度と見られないと思っていた「記憶、或いは辺境」と再び出会えたのは素直に本当にうれしかった。主人公の朝鮮人役の男優は初演の人の方が似合いだったと思うけれども。今回の再演は劇団創立20周年記念第1弾とされている。詩森の代表作であり、自信作でもあるのだろう。詩森は芝居を同名小説化した本を創英社から出版しているので、ご興味のある方は読んではいかがだろう(劇団HPからも買える)。
ところで、仙台市出身の詩森は「3・11」で知り合いに多くの被災者もいたであろう。彼女は「3・11」を演劇で取り上げるだろうか。それとも取り上げないだろうか。取り上げるとしたら、どんなふうにだろうか。下世話だが、興味が尽きないところだ。
7月1日(日)は渋谷・パルコ劇場で「三谷版『桜の園』」(作アントン・チェーホフ、翻案・演出三谷幸喜=小野理子訳「桜の園」に基づく)。チェーホフの作品は従来“悲劇”として舞台化されることが多く、三谷は戯曲自体の冒頭に「喜劇 四幕」と指定されているのだから「喜劇」として演出する、と意欲を語っていた作品だ。没落した女地主ラネーフスカヤに浅丘ルリ子、これが実に美しく、かなしくていい。また、藤井隆や青木さやかがいい味を出していた。
「喜劇だ!!」と気負って初の既成戯曲を演出した三谷だったが、やはりチェーホフにはそこはかとないかなしみがただようもののようだ。でも、それに拮抗しての三谷のコメディータッチも面白かったし、それでも残り香の香るチェーホフのかなしみにじーんときたことだ。
浅丘ルリ子ときて、ここで突如、「ブエノスアイレス午前零時」の映画化について書く。藤沢周の芥川賞受賞作だ(河出書房文庫から出ている。薄くて、すぐ読める)。実はこれを小樽出身の映画監督小沼勝が全編、小樽・朝里川温泉ロケで撮影する企画が決まっていた。私は2005年の正月に北海道新聞小樽版に書いた。でも、小樽の人って財布が堅い。資金面で頓挫した。映画化が決まった時には、藤沢周自身が、日活ロマンポルノ47作の独特の美学で名を馳せた小沼が監督するということで、週刊現代に喜びを書いていたほどだ。でも映画は金が掛かる。当時で8000万円。いまなら、もっとかなあ。
この映画の、気が狂った美人老娼婦の主人公役に小沼が考えていたのが、実は浅丘ルリ子なのだ。私は小沼と年が離れた親友だから明かすけれども、これを浅丘が演じた暁には、映画賞総なめだったろう。これを、今からでも小沼に撮ってほしいと思っている。「NAGISA」でベルリン国際映画祭児童映画部門でグランプリを取った小沼だ(ロマンポルノ47作の後の48作目で児童映画グランプリだもんね。この落差ったるや、すごいよね)。間違いはない。
どなたか1000万円は出すという方はおられないか。金は金を呼ぶ。話題が話題を呼んで、きっと8000万円なんてすぐに集まるかもしれない。最初の1000万円が肝心なのだろう。これについての相談も北海道演劇財団011・520・0710、加藤浩嗣で承ります。
実は小沼が「ブエノス〜」を撮れればちょうど50作目。撮らせていただきたいというのが本音です。よろしくお願いします。