2012年07月31日

なにわバタフライN.V

 パルコ・プロデュース「なにわバタフライN.V(ニューバージョン)」(作・演出三谷幸喜)を7月29日(日)、札幌・道新ホールで見た。ミヤコ蝶々をモデルにした女芸人の半生を戸田恵子が演ずる一人芝居だ。
 初演は2004年。パンフレットの三谷のインタビューによると、初演時は三谷も戸田も初の一人芝居だったことから、三谷は2時間をエンターテインメントとして持たせられるのか怖くて、マリンバを中心とした打楽器の生演奏や最後のどんでん返しなど“保険”をかけたそう。それが、上演してみると、「この作品は芝居ではなく戸田さんの芸、戸田さんそのものを観てもらうものなんだとわかったし、だったら余計なものは一切いらないと思った」。で、10年の再演は「N.V(ニューバージョン)」と銘打ち、「舞台美術も物語も限りなくシンプルに」したという。
 7歳で初舞台を踏み、2度に渡る結婚、離婚、ヒロポン依存症−などの“あらすじ”はウィキペディアなどで「ミヤコ蝶々」をご覧いただくことにして、芝居の感想を。
 舞台上には風呂敷に包まれた感じで、小道具がどっさり。戸田恵子は「前説」と称して現れ、観客から志願者を募って舞台をしつらえていく。そうするうちに風呂敷をひもとくなどしていつの間にか芝居が始まっている。私などは「前説」で無理矢理に舞台を温めようとする芝居は苦手というか嫌いな方なのだが、今回の芝居にはその嫌みがなく、冒頭からの軽妙な語りと立ち居振る舞いがすでに戸田恵子ワールド全開であった。
 芝居は、女芸人が楽屋で新聞記者に波瀾万丈の半生を語って聞かせる体裁。一人芝居だから当然、相手役はいない。その代わりに遺影とも見て取れる木枠(フレーム)がその時代、その場面の折々の“相手役”となる。小粋で気の利いたアイデアだ。終盤になると、その木枠が舞台の中空にいくつも並ぶ。まさに女芸人が関わってきた人々のように、そして彼女の半生を照らし出すかのようにだ。
 三谷の芝居は東京で、昨年「ベッジ・パードン」、今年「三谷版『桜の園』」(作アントン・チェーホフ)を見た。どちらも大掛かりな舞台装置で絢爛豪華だったが、私は今回のこぢんまりとした舞台に一番、三谷の才気を感じた。もちろん戸田恵子の女優としての魅力もだ。丁寧に時間をかけて紡がれた手仕事の温もりを感じた、とでも言えばわかっていただけるだろうか。
 思い出したのは井上ひさしの「化粧 二幕」だ。旅回り一座の楽屋が舞台の女座長の一人芝居で、渡辺美佐子がライフワークにしていた(1982〜2010年)。渡辺が“卒業”した後は、帯広出身の平淑恵が引き継いだ(早いところ再演してほしいものだ)。
 「なにわバタフライN.V」と「化粧」は、主人公が女芸人であることだけでなく、さまざまな点で比較してみても、似たところ、またまったく違う一人芝居としての作り方やアプローチの仕方があって、面白く興味深い。「なにわバタフライN.V」は名作「化粧」を思わせるほどに私にはすてきな芝居だった。戸田恵子のライフワークになるだろう。
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2012年07月28日

アンダンテ・カンタービレ(再見)

 札幌座「アンダンテ・カンタービレ〜歩く速さで歌うように〜」(作・演出・音楽斎藤歩)を7月28日(土)、札幌・シアターZOOで再見した。
 姉役がWキャストの高子未来バージョン。24日(火)に見た山本菜穂は性根がすわってどっしり構えた感じで、佐藤健一演ずる弟と五、六歳は離れた世話好き姉さんタイプなのに対し、高子の姉は佐藤の弟と年子なのかな?と思わせる、ちょっと頼りなげな姉さんの雰囲気が漂う(実際、高子は佐藤より年少)。どちらがいいとか悪いとかじゃなく、役者が一人違うだけで、観客にさまざまに想像=創造を促し膨らませる面白い実例だと思う(私はこの作品を2011年、シアターホリック殿堂入り=再演作品対象=にしている)。
 それに24日からまだ中3日なのに、それぞれの個性が早くも際立って見えた。微妙な間(ま)や細かい所作、台詞の掛け合い、作品の底を流れるものがくっきりと鮮明になってきていて、正直驚いた。ロングランの良さだろう。これからもぐんぐん進化、深化していくのに違いない。
 28日からはコンカリーニョで「歯並びのきれいな女の子」(作・演出イトウワカナ)も始まった。私は夜勤で見られなかったけれども。
 演劇シーズン2週目。私の場合、勤務ダイヤとにらめっこしながらの観劇日程組みに追われている。ロンドン五輪期間中は休み希望を出さないようにと上司に言われたんだよねえ。いやはやなんとも。
 両演目とも、上演時間など詳しい日程は札幌演劇シーズンのホームページ http://s-e-season.com/ をご参照ください。万が一、計画停電になってしまった場合の対応なども記されています。
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2012年07月25日

アンダンテ・カンタービレ

 札幌演劇シーズン2012夏が7月21日(土)から始まった。私の初見はTPS改め札幌座「アンダンテ・カンタービレ〜歩く速さで歌うように〜」(作・演出・音楽斎藤歩)。7月24日(火)、札幌・シアターZOOで見た。
 2004年初演のこの作品については、昨年3月のTPSレパートリシアターの一演目だったこともあるが、その前から何度も見ているし、感想を書いている。
 市町村合併が取り沙汰される過疎と高齢化の町の青年団合唱団。明治からの歴史があり、かつて50人もいた団員が今は8人。団長で合併反対の寺の和尚(すがの公)、町内に唯一銅像が建つ前町長の孫(木村洋次)、気の良い教育委員会職員(立川佳吾)、札幌から転勤してきた高校教員(宮田圭子)、せわしない生命保険外交員(林千賀子)、帰郷したバツイチ女性(吉田直子)、介護職員(山本菜穂と高子未来のWキャストで、この日は山本版)とフリーター(佐藤健一)の姉弟。性別も世代、合併や合唱への思いも考えも違う8人が、それぞれの事情に心も揺れながら晩秋の町民文化祭へ向け練習を重ねるさまが、1場20分程度の5場に季節を凝縮して描かれる。
 「できる以上のことをやってしまうと問題になる」(劇中せりふ)小さな町で肩肘張らずに“劇的”な物事を避け、何とか自分たちの好きなことをできる範囲で長く続けていこうと前を向く姿は時に切ない。心のひだまでには立ち入らず抑えたせりふ、“劇的”な場面の省略と併せ、終幕の合唱に至り観客個々に心の中で物語の創造=想像を促す(初演時に北海道新聞に書いた劇評は札幌座HP内の「再演可能なレパートリー作品」でも読めます)。
 出演者のうち新たなキャストは林と立川。林の前の原子千穂子も相当派手派手だったが、林の衣装には驚いた。立川の小商人っぽい地方公務員ぶりも見もの。すがのは昨年はちょっと浮つき気味のところもあったが、今回はぐっと渋さを増していい味を出している。
 見ながら、「3・11」東日本大震災を思い出した場面がある。レパートリーシアターはその大惨事を挟んで、これと「西線11条のアリア」「秋のソナチネ」が上演されていたのだ。
 和尚とフリーターの弟がテノールのパート練習をしている場面、母を10年前に亡くした弟の言葉が突き刺さってきた。「えっ、こんな台詞あったっけ」と思ったが、あったんだろう。昨年の大震災直後は、私自身が浮ついていて覚えていなかったのかもしれない。その台詞が1年4カ月ぶりに見て、実感を伴って心に染みてきた。
 名作は何度見ても発見がある。
 上演時間など詳しい日程は札幌演劇シーズンのホームページ http://s-e-season.com/ をご参照してください。万が一、計画停電になってしまった場合の対応なども記されています。
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2012年07月24日

太陽がいっぱい

 劇団どくんご(鹿児島)「太陽がいっぱい」(構成・演出どいの)を7月22日(日)、札幌・円山公園自由広場特設“犬小屋”テント劇場で見た。
 4月から11月まで、夏に北海道で折り返す旅回りテント芝居をしている劇団どくんご。毎公演そうだが、どくんごの芝居にはさしたる物語やストーリーはない。その点、演劇と言うより、まさに身体と言語からなる“芝居”“見せ物”そのものだ。それでいて格別に面白い。芝居には必ずしも物語やストーリーは必要ない、それでも十分楽しめるということを証してくれる。
 出演は2B、内田裕子、五月うか(前にも書いたが、私は故郷釧路で小中高と一緒。小学校と高校では同じ組だった)、サンチョJr.、たかはしみちこ、どいの。
 それぞれが3分の時間を与えられ、即興的に動く立ち居振る舞い、発する言葉から、見せ物としての肉付けをしていくのだという。結果、それぞれの独り舞台は10分ずつ程度になる。
 芝居は初めてというサンチョJr.の数の覚え方というのが心に残った。携帯電話の番号を覚えるのに、あえて歴史的な惨事(1995年1月17日の阪神・淡路大震災や2011年3月11日の東日本大震災など)を取り上げ、その数字と数字を足したり引いたり掛けたり割ったりしながら、携帯番号の数字にたどり着くのだ。8月下旬に宮城・石巻公演を控えるが、どいのによると、その部分を自粛するつもりはないという。
 舞台上で手作りのシーソーに男女が乗ってバランスを取り、その向こう、円山公園の林の下では高い物干し竿に、ズボンの下に仕込んだ竹馬に乗っているのだろう、五月が洗濯物を干す−なんて、美しくてまるで夢を見ているような絵だった(エリック・サティのピアノ曲「ジムノペディ」が聞こえてくるようだった)。
 6人全員が順々に素早く「その時私は○○○をした」と言って回る見せ物では、「○○○」の部分が即興で、誰かが前に言った「降りる」「上る」などを言ってしまったら負け。全国40カ所以上での50ステージ以上で、これを即興でやるのだから、すごいものだ。
 ここ数年見た「ただちに犬」シリーズは、死んだ犬(ぬいぐるみ)を殺したのは誰かについて、出演の男女各3人が「犯人はお前だ!」と言い合うことを軸に、役者1人ずつがパフォーマンスを競演する芝居だったが、今回はその“制約ならぬ制約”からも解き放たれて、存分に自由だった。そして私には一つ一つの出し物、エピソードが際立っている感じがして、かつてなく感銘を受けた。
 冒頭の映画「太陽がいっぱい」のテーマ曲の演奏、ラストのメキシコの民族舞踊曲「ククル・クク・パロマ」(作詞は五月)の歌と演奏はどちらも叙情的で、2曲に挟まれた間のナンセンスな芸と好対照をなし、しっとりとした気持ちにさせられた。全体として素晴らしい舞台だった。
 また来年夏、お会いしましょう。
 25日(水)は士別・あさひサンライズホール駐車場、29日(日)は留萌神社、8月1日(水)は岩見沢駅前、4日(土)は鶴居・つるい平田繁殖牧場、10(金)・11(土)日は釧路・栄町公園B面、16日(木)は帯広・緑ケ丘公園多目的広場、19日(日)は余市・円山公園でも上演。時間など問い合わせは劇団どくんご090・8568・5411へ。
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2012年07月16日

わらうかどにワ

 演劇ユニットLAUGH LAMP(ラフランプ)2012夏の会「わらうかどにワ」(作岩田雄二、演出LAUGH LAMP)を7月15日(日)、札幌・キューブガーデンで見た。
 北海道の港町(苫小牧と思われる)で、いまは寂れた飲食店を営む颯介(岩田)。前年は東日本大震災に配慮して自粛されたお盆の夏祭り直前で、小学生時代からの友人保(山崎大昇、息子けっけ=久礼涼介)は祭りのイベントとして行われる(札幌と思われる)タレントスクールのオーディション準備に忙しそうだ。そのスクールは、怪しい商売に手を出しては颯介に迷惑をかけてきた兄真樹(小野優)が関与しているらしい。大震災で母と家を津波で流され、宮城・石巻から父武井(明逸人)と前年に引っ越してきた中2の娘そら(松下芽萌里)は父に内緒でオーディションに出場したく、飲食店に出入りする謎の無職男治虫(弦巻啓太)から助言を得ている。そらだけには、生きていれば15歳の颯介の妹さな(杉渕菜々)の姿が見える。さなは数年前、真樹のとは別のタレントスクールのオーディションの帰り道に事故に遭い、亡くなった。盆だから、帰ってきている。祭りが近づく。真樹と、怪しげな集金屋航大(u−dai.)がなにやら画策しているらしい。そんな中、颯介が多額の借金を抱え、店を手放すらしいとの話が持ち上がる−。
 LAUGH LAMPの芝居を見ると、いつもやさしい気持ちになる。「優しい」と難しい漢字表記はしたくない、平仮名で書く「やさしい」気持ちだ。旗揚げ公演「4年4組へ行こう」(09年7月)からそうだった。「まきの家のヒーロー」(10年2月)、「ここだけの話」(10年11月)と過去の公演はみなそうだったし、今回もそう。どうしてだろう。他のカンパニーの公演ではあまり感じることのない、独特な「やさしさ」に導かれるのだ。
 奇をてらうことなく、抑え気味に淡々と紡がれる物語に、確かな生の温もりがある。そらのオーディション出場に反対する父武井。その様子を見て、かつて妹さなのオーディション出場を望ましくないと思っていた自分を省みる颯介(このことに関して、颯介は実は悔やんでも悔やみきれないとても深い自戒の念を持つエピソードがある)。役柄一人一人に目配りが利いていて、そばにそっと寄り添うようなやさしい視線が注がれる。
 時折、さなが生きていたころの場面が暗転なしに織り込まれるが、時間の行き来は照明の変化が一種のサインになっているので見誤ることはない。
 杉渕、松下、久礼は子どもたちのミュージカル劇団フルーツバスケットからの客演。とびはねたところはなく、みんな自然で達者だ。そのため観客にも低年齢層が多かったが、きっと心に温かなものを持ち帰られたのではないだろうか。
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2012年07月05日

輪舞−ロンド−・続

 前項で書きもらしたことを書く。
 芝居の中で、男女8人が2人ずつの数珠つなぎになっていくことによる計8組(“倫理的な”夫婦は1組だけで、それ以外は不倫や浮気、売春、援助交際ばかりだ)は、舞台に山と積まれた大量の衣類の上で“ベッドイン”する。もちろん、というか実際に裸で抱き合う芝居もあるにはあるが、橋口幸絵演出では寝ころんだ男女が互いに1本ずつ腕を上げ、それがもつれ合う様子が壁に影絵となって表現される、隠喩を用いたベッドインである(この時に必ずフランスのクロード・ルルーシュ監督のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞作=1966年当時の最高賞。現在の最高賞はパルムドール=「男と女」の有名な主題曲=フランシス・レイ担当=「ダバダバダ、ダバダバダ……」のスキャットが流れるのがなんともおかしみを醸す。そういえば私の大学尺八部の先輩=4年生の私と一緒に8年生で卒業=は部内の隠語としてセックスのことを「ダバダバダ」って言ってたっけなあ)。
 思うにあのさまざまな色や形の大量の衣類は、男女のおかしくも切ない、かなしくも愛しいこの営み=セックスというのだけではない、異性と異性とのつながり=が、過去、現在、未来と、男と女という性がいる限り永遠に続くことのメタファーではないだろうか。そうあらためて思うと、前項で書いたおかしみと同時に、原作者アルトゥル・シュニッツラーが思いを込めて描いたであろう人生観照の哲学が見事に演劇的に表現されていたのではないかともいっそう思えてくるのだ。
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2012年07月04日

輪舞−ロンド−

 文化庁・公益社団法人日本劇団協議会主催、日本の演劇人を育てるプロジェクト・新進演劇人育成公演「輪舞−ロンド−」(原作アルトゥル・シュニッツラー、脚色・演出橋口幸絵=劇団千年王國・札幌座)を7月2日(月)、札幌・シアターZOOで見た。
 19世紀ウィーンの原作を現代の札幌に置き換え、8人の男女(男女各4人)が繰り広げる恋愛ともなんとも言えぬ人間関係、というよりセックスありの男女関係を次々に「輪舞−ロンド−」形式で見せる芝居。これがハチャメチャおかしい。思っていた以上に入れ乱れてめちゃめちゃでおかしいというほかない。原作はどうなっているのか、読んでみたいと思った。それほどに橋口の芝居としての手さばきが巧みで、才気煥発だ。
 登場するのは、娼婦(伊佐治友美子=札幌座・育成対象者)、ヤクザ(赤沼政文=劇団千年王國・育成対象者)、人妻(村上水緒=劇団千年王國)、その夫(鎌内聡=札幌座・育成対象者)、女子高生(齋藤由衣=札幌座・育成対象者)、作家(納谷真大=イレブン☆ナイン)、女優(宮田圭子=札幌座)、国会議員(小林エレキ=yhs)。これが娼婦とヤクザにはじまってヤクザと人妻、人妻とその夫、夫と女子高生…というふうに数珠つなぎになっていき、まさに人間模様のロンドを奏でる。
 演出はスタイリッシュでエロティック。みんなが着る物をはだけたり、各組がやたらに口づけをしたりして、風蝕異人街同様にエロティックだ。変におちゃらけたり、昭和歌謡を流して異化効果をしたりしない分、風蝕よりよっぽどエロティックかもしれないなあ。ただ、各男女のそれなりに真剣なやりとりが皆、なんとも人間味に満ちていて、端から見ていて情けないほどに人間的で、一言で言うに、おかしい。男女が互いを求め合う生きようが実はこんなにおかしいとは思ってなかった。
 場面転換では舞台上をきりりきりりっと動きながら、壁に備え付けられた時計を回したり逆戻りさせて時間の経過を表現する。これなど橋口ならではのアイデアではなかろうか。舞台を挟んで客席を手前と奥に配置したのも、「ロンド」の趣旨を地でいっていると言えるだろう。
 登場人物の造形もそれぞれに巧みで妙。個人的には、私は釧路出身だから、道東方面選出と思しき、エレキ演ずる国会議員には「そうだよなあ、そうだよそうだよ」と笑ってしまった。某宗男氏でもモデルにしてるんだろうかなあと思ったっけ。
 文化庁など主催のため、TPS改め札幌座の第1回公演とは銘打っていないが、実質的には第1回公演。それがこんなにアイデアいっぱいの面白さ抜群の出来で、札幌座の今後がいっそう楽しみになった。各育成対象者も最適な相手役を得て、ひとまわり大きくなったと思う。いつの日かの演劇シーズンのレパートリーには持ってこいじゃなかろうか。
posted by Kato at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする