2012年06月25日

不知火の燃ゆ・続

 前項で書きもらしたことを書く。
 終演後のカーテンコールで、胎児性水俣病で12歳の誕生日を迎えた三女千恵子(フクダトモコ)はその役のまま、だらっと寝たまま兄の長男真一(前田透)に抱きかかえられて終わった。もちろん一人だけあいさつはしない。異様な光景だった。通常の芝居では死んだ役柄の俳優も立ち上がってあいさつし、物語の終焉を告げる。今回の芝居、ことにカーテンコールは、水俣の悲劇がいまなお現実に続いていることを如実に印象づけた。細かいことだけれど、演出戸塚直人の緻密なアイデアだろう。共感した。再演に期待する。声高に叫ぶ必要はまったくない。なにも足さず、なにも引かなくてよい。北海道の演劇人は11月の再演を見るべきだ。ことに若い人は。
 
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不知火の燃ゆ

 座・れら「不知火の燃ゆ」(作鷲頭環、演出戸塚直人)を6月24日(日)、札幌市こどもの劇場やまびこ座で見た。
 テーマは水俣病。ものすごい芝居だった。なにがすごいって、悲劇を悲劇として声高に叫ばない。実に抑制されている。あくまで人々の日常的な暮らしの中で描く。それがすごい、すごすぎる。だからすでに魅入られている私は、抑制された芝居が続くのに、ああ、ああっと、いっそうずいずい引き込まれる。いっそのこと、叫んでくれーとも思いながら。泣かせ芝居ではないのにとことん泣かされる。傑作だ。水俣を撮り続けた世界に冠たるドキュメンタリー映画監督土本典昭さん、水俣病患者と添い続けたアンチ権威の世界的臨床医原田正純さん(11日死去)が亡くなられたいま、「苦海浄土」の作家石牟礼道子さんに見ていただくほかないのではないか。見ていたいただくべきだ。石牟礼さんはご高齢で来道はかなわない。北海道文化財団などの助成金を申請して、早急に動くべきだ。なぜなら、石牟礼さんには失礼だが、明日どうなっているかわからない身だからだ。「いま、なぜ、水俣?」と、正直思っていた。それが見終えた後、すとんと胸に落ちた。こんな感動を久々にした。初演にして最高の出来だ。
 下世話だが、札幌劇場祭で上演されれば大賞も有力だと思った。と、11月に札幌・サンピアザ劇場で再演とのこと。期待したい。もっとも、受賞はならなくとも、再演はし続けるべきだ、全道だけでなく全国各地で。座・れらは発足3年ほどにしてレパートリーを得た。その代わりに全国で上演すべき望ましい“義務”もできた。
 熊本県水俣市。海沿いの家に住む杉原とし子(竹江維子)は夫勝之が出稼ぎ中。次女笑子を三つになるころに原因不明の病で亡くし、三女の千恵子(フクダトモコ)は胎児性水俣病だ(ということは、劇中では明かされない。病はすべて「奇病」扱いだ。芝居はおそらく胎児性水俣病が確認される前の1950年代後半の設定と思われる。また劇中では水俣病、原因となった会社チッソ=皇太子浩宮さま夫人の雅子さまの母方の祖父が、後に社長。原因が特定された後の彼の対応のまずさを指摘する声も多い。それゆえ、雅子皇太子妃は昭和末にいったん、浩宮さまのお妃候補から外されたという説もある=という固有名詞は一切使われない)。秋の日のきょうは千恵子の12歳の誕生日。会社(チッソだろう)に勤める長男真一(前田透)も祖父茂三(澤口謙)もうれしそうだ。長崎の旅館に就職した長女良子(玉置陽香)が千恵子の誕生祝いに4年ぶりに帰ってきた。そこへ、ある事情を抱えた、良子の旅館の跡継ぎの滝沢正(信山E紘希)がやって来る−。ほかの出演者は小山由美子(由美子ちゃん、しばらく見かけなかったけど、元気そうでなによりだねえ)、西野輝明、松永ヒサ子。
 冒頭にも書いたが、芝居はこれ以上ないほどの抑制が効いている。だからこその感動なのだ。これが、馬鹿チッソへの批判だとか水俣病患者を抱えての苦労だとかがこれみよがしに描かれると、観客は引く。
 舞台、いや、物語を全編覆う海の造形が素晴らしい。最前列で見たので、なんのことはない仕掛けだとはわかったが、あれだけであんなに素晴らしくなるんだとあらためて思った(舞台美術高田久男=札幌座の斎藤歩曰く「世界の高田」)
 水俣病、というかその周辺について私は人よりは詳しい。東京にいた大学3年のころ、シナリオライターを目指していた私は土本さんのそれまでのすべての映画を上映する企画(池袋・西武)で、すべてを見た。とりわけ白黒映画「水俣−患者さんとその世界−」(71年)は泣けた。胎児性で耳が聞こえない男の子がスピーカーに指を当ててその振動で音楽を楽しむところ(屈託ない明るさだからこそかえってかなしい)、ラストの一株株主になった女性たちが御詠歌を詠いながら(その苦労する稽古場面は笑いどころ)株主総会で社長に非暴力で責任を迫るところ。その社長の馬鹿さ加減。大島渚監督は叫んだものだ。日本映画の質の低下が言われた70年代、「土本典昭と小川紳介(主要テーマは成田闘争)のドキュメンタリー映画がある限り、そんなことは言わせない」と。確かにそうだった。
 座・れらが今回、「なぜ? いま?」と思われるかもしれない水俣病をテーマに取り上げたのは、「3・11」、東京電力福島第1原子力発電所の事故と無関係ではないだろう(演出の戸塚もパンフレットで書いている)。東電もチッソも馬鹿な会社だからだけではない(ああ、個人ブログっていいな。弊社公式ブログだったらこんな言葉は書けないよ)。そしていま、水俣も原発も、なお現実の問題として横たわっている(驚くべきことに、土本監督の主要テーマはその二つだった! 40年前から)。土地を立ち去る人、居続けざるを得ない人、差別、被差別−。
 玉置がいい。落ち着いた芝居をする。去年11月の座・れら「トランス」で知ってから、彼女がクレジットされた芝居は期待するようになった。あなたには芝居で食っていってほしい。TPS改め札幌座というのもできたことだし、本当に考えてほしい。声を掛けてくれれば相談に乗る(まあ、当てにならないけどね)。どもプロデュースの井上ひさし作「父と暮せば」(演出安念智康)が7月で西村知津子(すっこ)、斉藤誠治コンビは公演10年を限りに終わる。あなたにはずっこの後を継いで、ヒロイン美津江を演じてほしい。あなたにならできる。北大の劇団しろちゃん所属だが、勝手に言うが、つまらない芝居には出なくていい。時間の無駄だと思う。
 今年上半期、北海道演劇最大の収穫だった。
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2012年06月20日

学生対校演劇祭 第三章 〜挑戦狂騒曲!!〜

 札幌圏8大学の演劇カンパニーが仕込み、撤去を含め持ち時間30分で激突する「学生対校演劇祭 第三章 〜挑戦狂騒曲!!〜」(実行委主催)を6月17日(日)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 2010年に始まり3回目。私が見た順は、北海道教育大学札幌校・演劇集団空の魚「マンガを愛してやまんがな」(脚本加納絵里香、演出大田剛史)、北海道情報大学演劇部・劇団ELEMENTs「あなたは何様ですか?」(脚本伊藤めい、演出宿屋亮太)、酪農学園大学・劇団宴夢「バラバラマン」(作・演出きどみも)、北海道大学・劇団しろちゃん「ひとりうたう」(脚本・演出鎌塚慎平)、札幌学院大学・劇団SON's SUN「野球帽」(作・演出望月凜太郎)、北星学園大学演劇サークル「写心」(作鈴木倫尚、演出鈴木倫尚、佐藤文子)、北海道医療大学演劇サークルりょだ「キオクノセンタク」(作浅田千草、演出りょだ)、北海学園大学演劇研究会「喉から出るほど」(脚本・演出坂上伊史)の8校。審査員は演劇専用小劇場ブロックの和田研一、WATER33-39の清水友陽、劇団イナダ組のイナダの3氏で、観客投票も行われた。
 芝居自体は実質20分程度とはいえ、正直疲れた。正午から6時間の長丁場だったからだけではなく、芝居の中身や演出に、なんだか「挑戦」が感じられなかったんだよなあ。感想は昨年と同様で、若者の特権である噴出するエネルギーというか無鉄砲さというか、そんなものが見たかったなあということ。今回も全体的にこぢんまりとしちゃってるなあと思った。もっとも、いまの大学生を取り巻く状況は大変で閉塞感いっぱいで、そんな元気なんて出せるわけないよと言葉を返されたらそれまでなんだけれども。でも芝居ぐらいは、演劇の中だけぐらいは、壁をぶち壊して突き抜けてほしいと思うな。
 審査結果は審査員合議によるものが、最優秀賞に劇団宴夢、優秀賞に劇団SON's SUN、準優秀賞に北海学園大学演劇研究会と劇団しろちゃん、役者賞に吉田諒希(北海学園大学演劇研究会)、観客投票による一般審査賞が劇団SON's SUN。イナダ、清水両氏が各カンパニーに対して具体的で的確な批評とアドバイスをしたから、ずいぶん勉強になったんじゃなかろうか。
 私としては3日目のこの日だけ上演された札幌厚別高校演劇部「モモタロー!」(作信山E紘希、戸塚直人、演出小松玲菜)が一番面白かった。大学生より元気が突出してたし。舞台が一番輝いていたこの元気を、進学しても就職しても失わないでほしいな、と思います。
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2012年06月11日

天国への会談

 演劇ユニットイレブン☆ナイン「天国への会談」(作・演出納谷真大)を6月10日(日)、札幌市教育文化会館小ホールで見た。老若男女、だれもが笑えてほろっとさせられるエンターテインメント。家路を辿る私の足並みも軽やかだった。
 教文演劇フェスティバル2010短編演劇祭優勝記念公演。イレブン☆ナインは11年も2連覇を達成したから、教文小ホール公演はもう1回権利があるわけですね。ほかのカンパニーには羨ましい限りでしょう。というわけで、今夏の短編演劇祭も激闘を期待しています。
 閑話休題。あらすじを。
 幼なじみのタケ(納谷)、チーボー(杉野圭志)、バク(江田由紀浩)、ケン(明逸人)、イシイ(山下智博)の5人は草野球仲間。78連敗を喫したきょうも試合後、幼なじみのアヤ(小島達子)が切り盛りする溜まり場の喫茶店「楽園」にやって来た。アヤがオムライス用の玉子を買いに出掛けた後、タケが煙草を吸おうと着火した途端に漏れていたガスに引火して大爆発。5人は死ぬ。そこへ現れたのが天界の使者ルカ(小島=2役。3役目もあり、それが泣かせる)。彼女によると、5人は現在、天界の分岐点におり、生前の行いから4人の天国行き、残る1人の地獄落ちが決定。その地獄行きの1人を5人で話し合って決めてほしいという。だが実はだれがどちらへ行くのかは決まっているのだが、生前の行いが記された書類を紛失してわからなくなったための出任せ。かくて、ああでもない、こうでもないといった5人の“天国への会談”が始まる−。
 04年のイレブン☆ナイン旗揚げ公演演目の再演だ(残念ながら私は初演を見ていないが、イレブン☆ナインで演目再演は初めてとのこと)。どの芸術分野でも、デビュー作にはその作家のエッセンスが詰まっているとよく言われるが、本作などはまさにそうだろう(納谷は01年に「北の戯曲賞」に入賞しており、厳密にはイレブン☆ナインとしての「デビュー作」)。笑わせ泣かせ、最後にはカタルシスを感じさせ、エンターテインメントの王道を外さない。
 なにより納谷ならではのある種の理屈っぽさ、叙情性がとても程よい加減だ(納谷の近作が私にはべたべたに感じられることが多いとブログに書くのは、近作ではこの理屈っぽさや叙情性が私の受容量を超えて大量過ぎるからではないだろうか。あくまで私事だけれど)。本作はむしろ、からっと乾いた感じさえするのが、逆に観客に眠っていた情緒をえらくくすぐる。
 幼なじみ5人の配役が当て書きしたかのようにピッタリ(初演の役者は別人だったはずなのに…)。それに老獪なババアから無垢な少女まで役柄の幅が広く、小柄ながら何を演じても確かな説得力のある小島を配したことで、物語のスケール感がいっそう増した。
 伏線も大きなものから小さなものまで緻密に綿密に張られており、いずれも巧み。転回に転回を重ねた末、ラストにはあっと驚かされる真実が明かされる(小島3役の真骨頂!)。見終えた後は、なんとも清々しい心持ちになった。
 旗揚げ公演演目にして名作だと思う。今年から始まった「札幌演劇シーズン」の演目に選ばれるのもそう遠くないのでは、と期待するばかりだ。
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ふすまとぐち

 劇団野の上(青森)「ふすまとぐち」(作・演出山田百次)を6月10日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。
 小山内家の長男トモノリ(山田)に嫁いだ桜子(三上晴佳)は、姑キヨ(藤本一喜)の強烈な嫁いびりにより、押し入れから出られずに暮らしていた。そんな中、義理の妹・幸子(鳴海まりか)が小6の娘・小幸(音喜多咲子)を伴って出戻ってきた。ようやく押し入れから出ることができた桜子だが…。
 のっけから津軽弁のバトルトークが炸裂。会場は爆笑の渦に包まれた。方言は言語表現にとって豊かですてきな武器だなあと思う。私も大いに笑いながら、でも周囲の過剰なまでの爆笑の反応にはある種の違和感も覚えてしまった。私には温泉地として有名な青森市浅虫に親友がおり、そこの訛り丸出しの会話に免疫ができていたからかもしれない。
 とはいえ、見終えた後は「面白かったな」と素直に思った。ただ時間が経つにつれ、すとんと胸に落ちないことがもろもろ出てきた。あくまでも私個人の感想として読んでいただきたい。
 一つは、なぜ桜子とキヨがここまで対立するに至ったかである。思うに優柔不断なトモノリが一因であることはそこはかとなく漂っているのだが、それは本質的な原因ではないだろう。キヨは桜子の顔面を火で炙り火傷を負わせまでするのである。れっきとした傷害罪だ。コメディーとして処理するにはちょっと重すぎる。キヨをそうした行為にまで至らせた深い原因が、少なくとも私には感じられなかったのが、残念と言えば残念だ。ゆえに(ネタバレです)キヨが脳梗塞かなにかで入院した後のラスト、思い出すままに、トモノリが初めて桜子を自宅に連れてきたことを述懐し「可愛いおなごだよう」などと独り言を言うのだが、うまく感じられれば切なさが身に染みるはずのこの台詞が浮いていた感じがした。
 もう一つは、いったんは新興宗教的な団体(赤刎千久子、木村元香)に救いを求めた桜子が結局、キヨをただの物体のように認識するに至って、従前のように小山内家に戻ってきたこと。それ自体はあり得る話だし、おかしくはないのだが、キヨがいた頃といなくなってからの桜子を迎える小山内家全体のなにかが大きく変わっていてほしかった。このままではなんだか桜子の今後の不幸も暗示されているようで、心が晴れ晴れとしなかった(一時期、トモノリは桜子とキヨの対立から逃れるように中古の一軒家を買って一人暮らししようとまでするのである)。この辺りの終わらせ方は劇作家によりさまざまだろうし、同じテーマで渡辺えりなどが女性の視点から書いたら全然違ったものになっただろうな、と私などは思う。
 ただ、青森という地元に根差した力作であることは間違いない。
 終演後、山田百次一人芝居「或るめぐらの話」(高木恭造作「方言による三つの物語」から)が特別上演された。
 今後、大阪、三重、東京でも公演する。
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2012年06月08日

幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい

 アマヤドリ(東京)「幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい」(作・演出広田淳一)を6月7日(木)、札幌・シアターZOOで見た。「ひょっとこ乱舞」から最近になって改名したカンパニー。確かに「ひょっとこ−」だと、演目もお笑い系だけだと誤解されるかもしれない。でも「ひょっとこ−」の2001年旗揚げ時には、野田地図「南へ」に抜擢されるなど売り出し中のソンハもいたというカンパニーだ(先々週だか、ソンハが読売新聞水曜夕刊に見開きで特集された時にもそう書かれていた)。
 小田ユキヒト(松下仁)、星野カズユキ(広田)、仁村ヒトミ(小角マヤ)の三人は都内で一軒家を借りてルームシェアをしている。星野はある日、長期監禁から逃亡してきたという女、三谷クミコ(笠井里美)とコンビニで遭遇。たまたまそれを保護する。星野から彼女を警察に連れて行くよう頼まれた小田は、ふとしたきっかけから自分自身で三谷クミコを守りぬくことを決意してしまう。そうして始まった奇妙な4人暮らしは段々と歪みを見せはじめ……。
 09年に東京・三軒茶屋のシアタートラムで上演した「モンキー・チョップ・ブルックナー!!」を大幅改訂したとのこと。この、ある種の密室劇を見ながら、「狂気の連鎖」という言葉が思い浮かんだ。知らず知らずのうちに狂気にはまっていく怖さ。出口のない、円環する狂気の連鎖。でも本作を見終えた後の感慨はそれほど悪くないんだな、これが。一定の距離感を持って表現されているからかもしれない(アングラ劇だと、これがもうどこまでもどろどろいくんですねえ、エロくグロく。私はそっちも好きです、ご存じでしょうが)。
 役者が舞台の外にはけたりするときにダンスっぽい動きをするのが特徴のよう。もちろん群舞やダンスそのものも少しだけある。というか本作は演目の中ではダンスは少ない方らしい。今度はもっと多いのも見てみたい。「身体性を絡めた表現を展開」とパンフレットにあったので。
 題名でちょっといちゃもんを付けたい、というより提案かな(まあ読み流してください)。「東京はそれよりも」と「大きい」の間に「無駄に」などという言葉が入っていたら、よりいっそうこの芝居の本質を言い表していたのではなかろうか。大東京砂漠で孤独を抱えながら生きている人、いつすれ違う人を刺してやろうかとナイフをポケットの中で握りしめている人があちこちにいそうな無駄に大きい東京の感じが伝わったのではと思った(でもそれは文学の問題か)。
 この後の開演は8日(金)19時半、9日(土)14・19時半、10日(日)14・19時。
 あ、そうそう、ダンスっぽい動きということで言えば、1月にZOOで見た世田谷シルク(東京)「渡り鳥の信号待ち」を思い出した。これ系の動きって東京のカンパニーで流行ってるんだろうか。
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2012年06月02日

ことほぐ

 intro「ことほぐ」(作・演出イトウワカナ)を6月2日(土)、札幌・コンカリーニョで見た。3月の北海道舞台塾公演シアターラボ「言祝ぎ」(作・演出イトウワカナ、ドラマドクター畑澤聖悟=渡辺源四郎商店)の姉妹作品だ。
 友人愛子(菜摘あかね)の家に、さとみ(のしろゆう子)、えりこ(柴田知佳)姉妹が居候している。三人とも妊婦だ。バツイチ愛子の子は不倫相手の子。さとみの子は旦那河野(佐藤剛)の子。大学生えりこの子は父親がわからない。さとみが宅配ピザに愛子とえりこの金4000円を一人で使ってしまい、水道代が払えず水道が止められて一悶着。壁が薄くて騒動はすべて隣家に筒抜けで、隣人の無職の杉田(加藤智之)がペットボトルに入れた水を持ってくる。折しも窓の下の公園では盆踊りの真っ盛り。愛子の兄でゲイの英一(大高一郎)がパートナーと行った“新婚旅行”のハワイ土産を持ってくる。町内会青年部員として盆踊り会場で焼き鳥を焼いていた、えりこのバイト先の上司山下(宮沢りえ蔵)もやって来た。河野もさとみを連れ戻しにやって来た−。
 「言祝ぎ」との関連で言えば、英一と愛子が同じ役柄で出ている(これには出ていない独り住まいの長女はどうしているだろうなあと思ったものだ)。
 見終えて、女性は強いなあとあらためて感じさせられた。劇中、「妊婦が不幸なわけがない」という台詞が何度か出てくるが、確かに自分の道を自分で切り開いているなあと、この作品を見た限りでは思わされる。騒動が騒動を呼んでだれにも大変な一日になるわけだが、ラストシーンからは愛子の人生肯定の感が伝わってきた。
 劇団アトリエから客演の柴田が若々しくてなかなかいい感じを出していた。大高はゲイの役がほんとに達者だなあ、かわいいし。
 円形の舞台を座席が六方向から囲む仕立て。ブランコやシーソー、ジャングルジムといった公園を示す物が置かれた舞台の中央が愛子の部屋になっている。クライマックスの盆踊りはなかなか良かった。
 開演は3日(日)15時、4日(月)20時。
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