2011年12月31日

やっぱり! 今年最後の訂正

 もう年始の初笑いに先だって笑ってください。
 今年の観劇数(同一作品の複数回観劇含む)を、もう一度訂正します。
 なんだか心がざわざわして、観劇仲間の送ってくれた一覧票と私の手帳をあらためて付き合わせたら、コンカリーニョでの重堂元樹演出「制服」とか、弦巻楽団「テンプテイション」とか、「奨励賞」にしたのに手帳には記載しておらず、数から漏れてました。なんともずさんなことです。
 正確な観劇数(同一作品の複数回観劇含む)は190本、昨年比47本増です。
 前項の締めにかっこいいこと書いたのに、形無しだなあ。
 でもほんと、みなさま、良いお年を!
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2011アワード・続

 独断と偏愛に満ちた「2011アワード」の発表を続ける。
 その前に今年最後の訂正(にしたいなあ)。前項で今年の観劇数は179本(同一作品の複数回観劇含む)と書いたのは186本の誤りでした。よって昨年比は36本増ではなく43本増。訂正します。ブログを読んだ観劇仲間の指摘で手帳を調べ直すと、確かに7本少なかった。こんな細かいことを自分の誤りのように気にして教えてくれるなんて、そこつな私には本当にありがたい存在。持つべきものは友だ。
 シアターホリック「マイベスト」。
 実験演劇集団「風蝕異人街」の「ザ・ダイバー」(作野田秀樹、演出・照明・装置こしばきこう、5月21・22日、札幌・シアターZOO=以下、特記しない限り札幌)。なぜあの風蝕が現代日本演劇界のトップランナー野田の作品を? 日ごろの風蝕の芝居から想像するに、いったいどんなものになるの?−などと思っていたが、なるほどこれは札幌では、いや道内広しといえども風蝕にしか上演できないだろうな、と得心した。特長である身体性を最大限に生かした素晴らしい挑戦であり、期待を裏切らない出来栄えだった。
 東京・世田谷パブリックシアター「現代能楽集」シリーズとして2008年に英国・ロンドンで初演し、同年に東京・シアタートラムでも上演。09年に野田の東京芸術劇場芸術監督就任記念プログラムとして、日本バージョンが野田(精神科医)、大竹しのぶ(女)、渡辺いっけい(警部・頭中将)、北村有起哉(検察官)で上演された。
 風蝕版は野田演出・日本バージョンより能の様式美が強調され、開演直後から終演後の退場に至るまで、独特の妖しさ、土着性、その一方で開放性のようなものも感じた。
 上司と不倫した挙げ句、彼の幼子2人を放火殺人した罪に問われた、多重人格の疑いのある女(李ゆうか)の心の闇を、精神科医(三木美智代)が拘留期限までに解き明かそうとする物語。女は芝居の題名の由来でもある能の「海女」の物語に共鳴し、さらに「海女」での非業の死者である母の像が「源氏物語」の桐壺や夕顔、六条御息所といった光源氏(宇野早織)を取り巻く女たちに重なって、女=山中ユミ(李)はこれらの女たちの人格に次々と変わっていく。警部・頭中将は赤坂嘉謙(WATER33-39)、検察官は遠山達也。
 風蝕ならではの演出の面白みは、舞台正面に毛氈敷きの3段の雛壇があり、冒頭に様式を重んじて入場してきた三人官女(平澤朋美、宇野、丹羽希恵)と右大臣・左大臣(田村嘉規、山谷義孝)が太鼓や鼓、鈴、笛を終始生演奏する点だ。それは時に海を表現し、時に激しく鳴り響いて役者たちを躍動させ、時に端的に役者の動きの契機ともなる。それは女=ユミの哀れな運命(さだめ)をも象徴しているかのような効果を上げた。
 能面が野田演出・英国バージョンよりも多用され、役者の素の表情との対照が際立っていた。そして私には能面が役柄の“本当の表情”として真に迫ってきた。私も能を見たことは何度かあるが、こうした経験は初めてで、身震いする思いだった。
 そしてここが最も重要なところだが、「身体性」である。それはこれまでの諸作品でも舞踏や舞踊を重視してきた風蝕のこと、お手のものといっては容易に過ぎるが、精神分析医と女との身体性の応酬は見応えがあった。ラスト、女の死刑執行後の、精神科医が「ザ・ダイバー」の題名通りに海中(ユミの深層心理)に深く潜り(踊り)、共鳴する二人の舞踏の見事で美しいこと!
 3月20日の項で風蝕の三島由紀夫作「近代能楽集」公演を書いたが、こしばは本作上演のために着々と布石を打ってきていたのだなということがあらためてわかった充実ぶり。役者陣には札幌市教育文化会館での能のワークショップも体験させたのだという。
 時に愛らしく時に狂気に満ちた女を熱演した李ゆうかに女優賞を贈る。福地美乃(yhs「忘れたいのに思い出せない」)も素晴らしく、昨年(yhs「しんじゃうおへや」)に続いての連続授賞としてもよかったのだが、一世一代とも言いたい鬼気迫る名演技をした李に今回は贈りたい。美乃ちゃん、ごめんね。
 シアターZOO演劇祭「ZOO11(ズーイレブン)」から、Drei Bananen(ドライバナナン)「枕のしたのしたの」(作かとうしゅうや、演出彦素由幸→重堂元樹、7月10日)。舞台は「『弦崎東総合病院』の泌尿器科入院病棟」(当初予定の脳神経外科から変更)。かとうの本が男の切なさを隙なく過不足なく描いており、私の想像力=創造力を喚起した、見る側である私の思いの入り込む余地が十分にある芝居だった。
 愛の物語だ。それもとびっきり切ない愛の物語。登場人物は男性3人ばかり。彼らがそれぞれに愛する女性たちは舞台上には登場しない。それでも物語が進むにつれ、見る側の心の中に彼女たちは像を結ぶ。それこそが先に書いた、見る側の想像力=創造力を喚起する、見る側の思いの入り込む余地が十分にあるという劇作だ。それゆえ舞台上の登場人物は男性3人だけであっても、彼らが大切に思う女性たち3人との愛の物語は成立する。
 勃起障害(ED)で2人が医師・幸村誠(重堂)の治療を受けている。彼女といいところまでいくのに、そのたびにEDでセックスは果たせず、2週間悩み続けてきた若者・光橋(彦素、役名は劇中せりふから筆者が漢字を勝手に想像して当てた)と、医師を友人と呼ぶED歴2年のどこか謎めいた吉本(かとう、同)。吉本は入院患者だが、医師からは「もう大丈夫なんですよ、退院しても」と言われている。一方、光橋は彼女には中学2年で初体験をしたと告げていたが、それは真っ赤な嘘で、まだ童貞だ。また医師自身も、外科のナースと思われる女性に思いを寄せているらしい。
 医師は光橋に当初、特効薬バイアグラを処方していたが、それでも効果が上がらないため、メンタルトレーニングでの治療に方針を変える。想像を駆使して天使の降臨を夢に見、初体験への希望に新たな地平を開いてようやく自信がついてきた光橋。でも、大切な彼女と一緒になり、ここぞという時になると、やっぱりなぜか駄目になる。医師にバイアグラでの治療再開を頼み込む光橋。だが医師はバイアグラは副作用による命の危険を伴ううえ、そうして無理なセックスをしてもなにも良いことはない、幸せなセックスにはならないなどと光橋を逆に説得する。だが、医師の言葉のほとんどが、実は本に書かれていることや人から聞いた内容だと、吉本はすっかり見抜いているようでもあるのがおかしい。
 ある日、光橋は吉本にEDになったきっかけを尋ねる。吉本は告げる。自分の妻は花火大会が大好きで、どこから見るのが一番美しいか、毎年、自分を連れ歩いては探していた。そんな2年前の花火大会の夜、「どーん」と大きな花火の音がしたかと思うと、止まった車のそばで妻が倒れていた。交通事故だった。EDになったのは、その、妻が交通事故で死んだ日からだ、と−。光橋はそっとしておくべきだった吉本の心の痛みに触れてしまったことを悟る。そして通院をやめる。おそらく吉本の妻が事故で運ばれたのがこの病院で、その時に吉本は医師・幸村と初めて出会ったのだろう。
 花火大会の晩、医師はその日だけ開放された屋上で見るよう吉本を誘うが、彼は断る。医師は一人で屋上へ行く。病室に残った吉本は棚の中から、たまりにたまった2年分のバイアグラを出し、飲み始める。そこへ光橋が訪れる。彼女とはEDかなにかが理由で別れてしまい、いまは一人だ。
 バイアグラを無茶に飲む吉本の様子を見て、光橋は彼を殴って止める。だが逆にベッドに押し倒され、ナイフを喉元に突きつけられる。俺は妻の所へ旅立つんだ−。吉本が2年間、いまは亡き妻を愛し続けながら生きていたことが明かされる。それに対し光橋は、まだ初体験を夢見る童貞であることをある種の“強み”に、それは間違いだと明確に指摘し、吉本に死出の旅立ちを思いとどまらせる。喪った人を愛しながら生きていくこともできるはずだと−。
 ここで観客は、東日本大震災で亡くなられた大勢の死者たちと、彼ら彼女らを愛し続けてこれからも生きていく、生きていかなければならない、死者の数十倍の生者たちに思いを致すことは可能だろう。そして北海道に住む我々により引きつけて考えれば、大震災などの大ごとではない、新聞にも載らない、ごく自然で日常的な死を死んだ死者を思って生きていく、生きていかざるを得ない大勢の生者に思いを致すことも、自分がまさにそんな生者の一人であることを自覚することもまた、同様に大切なことであると思うだろう。
 こうして病室での一瞬のサスペンスが、普遍的な愛の物語に昇華する。
 光橋はその晩、花火大会が終わった後に元彼女に携帯電話を掛け、きょう彼女が着ていただろう浴衣姿はとてもきれいだっただろうこと、自分が実はまだ童貞で、ずっと嘘をついていたことを告げ、謝る。
 吉本は翌日、旅に出ると宣言して退院する。もう死出の旅ではない。愛する、いまは亡き妻を思いながらの鎮魂の一人旅だ。医師は言葉にならない思いを胸に、見送る。一人病室に残った医師は、思いを寄せているナースと思しき女性を食事に誘う。
 ここで私は、一番の“精神的な童貞”は、実はこの立派な言葉を繰り出してきた情熱的な医師だったのではないか、と想像してみる。そうして全体をあらためて振り返ってみると、なんだかとても愉快な気分になる。愛を成就できずにいる人も、素敵に愛を語ることはできる。きっとそういうことだ。そしてその言葉にこそ励まされ、生かされる人がいる。きっとそういうことでもある。その意味で、この医師は尊敬に値する人なのだろう。
 男たちの、いや女性にもきっと共感されるだろう、喪失から再生への物語。新たな始まりの物語は、こうして清々しく幕を閉じる。
 先に書いたように、かとうの戯曲が実に良い。登場人物3人の人生の短い期間の交錯をよく浮き彫りにした。役者3人の抑制かつメリハリの効いた演技も素晴らしかった。
 実験演劇集団「風蝕異人街」の「熱帯樹」(作三島由紀夫、演出こしばきこう、7月24日、シアターZOO)。「和」の様式を取り入れた作劇で、役者たちの入魂の演技もあり、見応え十分の力作だった。
 舞台前面に木の葉が敷き詰められ(最前列に座った私には緑のかぐわしい香りがした)テラスを表現し、瀟洒な洋館の雰囲気を醸し出す。その一段高みにテーブル、さらに真正面奥にもう一段高くなってベッドという、簡にして要を得た舞台装置。恵三郎(今井尋也=Megalo Theatre)と妻・律子(三木美智代)、兄・勇(吉松章=同)、不治の病で死を意識している妹・郁子(宇野早織)の一家。妻は溺愛する勇をそそのかして富豪である夫を殺そうと企む。それを察知した郁子は愛する勇に母殺しをそそのかす。郁子を愛する勇は兄妹相姦から、やがて心中へ。その一家の妖しい人間模様を、恵三郎のいとこで未亡人の信子(平澤朋美)は家政婦的に働きながらじっと見つめている−。
 冒頭、今井が小鼓を打ち、吉松が能舞を舞う(この時の衣装は古典芸能そのもの)。「和」の手法が積極的に生かされて様式美を強調する。そうなのだ。私が今年になって、こしばの演出する劇作が良い意味でわかりやすくなったと実感するのは、こうした「和」の手法で様式化することにより、見る側にとってのある種の導きとなっているからなのだ。だが、それは見る側をお仕着せで拘束しはせず、あくまで解釈が開かれているから、見る側の想像=創造は広がるのである。
 考えてみれば、風蝕の10年秋ごろからの上演作は、それが次の作品の予告編ででもあるかのように、数珠つなぎのように連関して次の演劇の魅力の世界へ観客を誘(いざな)ってきていた。その意味では確信的な作品選択に間違いがなかったということでもあろう。
 物語はすべてが終わった後に、今度は心中を果たしたかのような全裸で後ろ姿の勇と郁子を後景に、律子が恵三郎の小鼓で舞う。「ザ・ダイバー」に続いて、三木の本領発揮である。
 宇野が全裸を辞さぬ渾身の女優魂を発揮して実に魅力的だった(この作品を最後に退団。残念)。「家政婦は見た」(いまなら「家政婦のミタ」の方が通りがいいかな?)的な役柄だった平澤も、地味ながら重要な役どころで渋い個性を生かし切った。
 劇団千年王國「『きみしかいない』−Only you−」(作・演出橋口幸絵、作曲福井岳郎・さとうしほ、9月29日・10月1日、コンカリーニョ)。もしかしたら橋口にも手に余った題材かもしれない。でもそうした途方もない題材に果敢に挑み、破綻覚悟でつくられる芝居が、いや、たとえ破綻してしまっても、実は私は一番好きだ。演劇人、より広く言えば芸術家、表現者とは、そうした破綻覚悟で、でも表現せずには居ても立ってもいられない人なのだろう。業(ごう)とでも言うのだろうか。「3・11」を北海道にいて「見聞き」するしかなかった北海道人に、橋口はかすかな「希望」を示してくれた。あらすじは私には手に負えないので、豪華なチラシにある長いものをそのまま書く。
 「第一の世界」。女たちが妊娠しないという奇病にとりつかれた南島の小国の王女ミキヨリ(=キヨ、榮田佳子)は、島の産婆たちをあつめ、古くから伝わる薬草を煎じて女たちに飲ませることによりこの危機を救う。島には再び平穏な日々が訪れるが、面目を潰された島のシャーマンたちは、ミキヨリと産婆たちこそがこの災いを招いた魔女であると告発し、彼女たちは民衆裁判により火あぶりの運命を言い渡される。唯一その運命を免れた最も若い産婆のイマルド(=マル、村上水緒)は、王女の身代わりとなりミキヨリを逃がす。身代わりとなったイマルドに火が掛けられると、その炎は町中に広がり、世界の全てを焼き尽してしまう。焦土の中、独り生き残ったミキヨリの頭上に白い鴉(彦素由幸=札幌ハムプロジェクト)が訪れ、イマルドがこの世界の栓であり、それが抜けると世界は全てこぼれてしまうのだと告げる。昼は雲、夜は星に導かれて行けという白い鴉のさえずりに導かれ、果ての無い旅路を行くミキヨリの前にひとつの扉が現れる。「この世界は三度滅びる。イマルドの命を守ること、世界の栓を抜かないために。」そう鴉から約束されたミキヨリは扉を開ける。そこには「第二の世界」が広がっていた。ネイティヴ・アメリカン(加藤注・橋口によると、ホピ族)の世界創造の神話をベースにした、三つの世界をめぐる魔女たちの物語と、それを上演する市民劇団の物語が絡み、2000年に渡る、女たちの友情が浮き彫りになってゆく。
 以上。出演者はほかに堤沙織、赤沼政文、坂本祐以、木村洋次(TPS)、茂木聡(TPS)。
 全編を通じて「第一の世界」「第二の世界」「第三の世界」の雄大で骨太な芝居が貫かれてあり、その部分と、それを稽古している結成10年目の札幌の市民劇団「劇団ゆめ★ぴりか」の内実の部分が、行ったり来たり、また突然挿入されるようにして描かれる。
 初日の観劇は正直、私は冒頭からすんなり芝居に入っていけなかった。千年王國ならではの躍動感あふれる身体の動きや歯切れのいい台詞回しは見ていてすんなり楽しめたのだが、なにより物語が込み入っていて、幾層幾重にも重層的に構築されており、かつ同様のシーンが少しずつずらされながら繰り返され、なかなかつかみどころがなかったのだ。1時間10分の前半部分を過ぎて10分間の休憩中にチラシ掲載のあらすじを読み、なんとか納得した。
 推測を書けば、橋口が本当に訴えたかったのは、1時間10分の「前段」とも「前説」とも言えそうな前半の部分ではなく、休憩が終わった後の残り40分だったのではないだろうか。前半部分は、それがそのまま後半も同様に続けば、私にとっては、壮大だが難解な作品というだけで終わってしまっただろう。
 だが、休憩後の後半になって、芝居はがらりと趣を変える。神話が、我々が生きる「今」につながってくるのだ。それは見ていて爽快なほどである。そしてこの40分の後半部分は実に切なく、心に染み入ってくる。ここで思うのは、1時間10分の「前段」あるいは「前説」がこれほど雄大で骨太でなければ、最後の40分間への求心力は薄まっていただろうということだ。橋口の頭の中はいったいどうなっているのか、驚かされるほどに実に理知的に計算し尽くされた劇作なのだ。
 その後半40分間に描かれるのは、すでに書いたが、劇団の内実である。元演出・役者の清原(=キヨ、榮田)がおり、脚本・役者の丸山(=マル、村上)がいる。二人は神話のミキヨリとイマルドに対応する。劇団員が稽古している芝居を丸山は最後まで書き終えておらず、書き上げた部分だけの稽古を積み上げていたのらしい。ことほど左様に重層的なつくり、刺激的なメタシアター(私なりの定義では「演劇とは何かを考えさせる構成の演劇」)なのである。
 そしてその劇団員たちは「3・11」を札幌で「見聞き」した北海道人であり、観劇する我々と同じ「今」を生きている。東京電力福島第1原子力発電所から628キロ離れた札幌で妊娠が分かり、それだけ離れていても放射能の影響を恐れ、より原発から遠い日本の南方へ避難しようかと考える人もいる。それが、作り事ではない確かな「今」として、神話世界をも強引に伴って、見ている側に突き刺さってくるのである。
 私が思い出した芝居がある。85年に東京・下北沢の本多劇場で見た第三舞台の「リレイヤー」だ。あれも、劇団の内実をめぐる切ないメタシアターだった。
 千年王國2年ぶりの新作は「3・11」があった今年の「今」をくっきりと描く力作だった。そして、橋口が「3・11」とそれをめぐる状況を書くことを引き受けた覚悟と責任がひしひしと伝わってきた。あまりにも時事問題に近づいた作品なので、再演は二度とないかもしれない(「9・11」を描き、03年のイラク戦争開戦直後に上演され、状況を予言したとも言われた野田地図「オイル」が再演されていないのと同様に)。とても残念なことだけれども。
 この作品で重要な役を演じた彦素由幸に、「枕のしたのしたの」、「若い演出家と日本の戯曲♯00 安部公房『制服』」(演出重堂元樹、3月6日、コンカリーニョ)での刑事役、さらに所属する札幌ハムプロジェクトのワゴン車旅回り公演での活躍も合わせて男優賞を贈る。硬軟の幅広い役柄を素晴らしく演じ分けていた(それにしても大学卒業は大丈夫なのか? まあ卒業するだけがすべてではないけど…。いまでも2カ月に1度は大学を卒業できずに北海道新聞社の内定をふいにする夢を見て寝覚めが悪い私は思ってしまう)。
 第6回北海道中学生演劇発表大会から、札幌市立北野台中「学級出し物プロジェクト」(作竹生東・室達志=顧問創作、指導者竹生、代表生徒桑野むぎほ、11月27日、札幌市教育文化会館小ホール)。3年2組の修学旅行での学級出し物を決めるに当たってのクラス内の一悶着を、歌あり演奏ありスタンツありで描いたコメディー。出演した生徒16人の個性が際立っていたうえに、いかにも日常の学校生活であるかのように生き生き、きびきびとした動きで描かれ演じられており、文句のつけようがなく素晴らしかった。
 この大会の審査員を依頼されて3年間続けてきたが、中学生の演劇は想像以上に素晴らしい。まだ色がついていない、まっさらな感じが素敵で大好き。おそらく関わっている中学生たちはみんな、どきどきしているのだろうけれど、私は審査員席で無責任にもわくわくしている。このわくわく感は、ほかのカンパニーでは味わえないものなんだなあ。そして見ている私の方が元気をもらえる(こういう言い方はあんまり好きじゃないけれど、ほんとにそうなんです)。来年も楽しみでならない。
 シアターホリック「殿堂入り(再演)」。
 TPSレパートリーシアター「秋のソナチネ」(作・演出・音楽斎藤歩、3月1・13・26日、シアターZOO)。私がなによりうれしかったのは、大病の死線を越えた岡本朋謙の、まさに劇的な復活だ。3演目すべてに出演した。このレパートリーシアターを最後に惜しくも退団したが、第2の人生が素晴らしいものであることを祈る。
 13日の開演前には、出演者の一人である元札幌交響楽団首席チェリスト土田英順が特別に、鎮魂の祈りを込めてチェロを弾いた。そして幕が開けた、無事に。
 TPSレパートリーシアター「アンダンテ・カンタービレ〜歩く速さで歌うように〜」(作・演出・音楽斎藤歩、3月5・16日、シアターZOO)。「できる以上のことをやってしまうと問題になる」(劇中せりふ)小さな町で肩肘張らずに“劇的”な物事を避け、なんとか自分たちの好きなことをできる範囲で長く続けていこうと前を向く合唱団の姿は時に切ない。心のひだまでには立ち入らず抑えたせりふ、“劇的”な場面の省略と併せ、終幕の合唱に至り観客個々に心の中で物語の創造=想像を促す。04年の初演から7年経て見ると、以前見たときより時事的な問題は後景に退いて、より各人物一人ひとりの像がしっかりと立って、心に焼き付いてきた。それと同時に人物間の関係も、である。
 16日の観劇時、作者の斎藤はパンフレット折り込みのコラムで、以下の通り書いた。

「私がこんな芝居を創ったからといって、世の中何も変わりません。地域の崩壊も、巨大津波もこの芝居では防げません。何の役にも立ちませんし、何も出来ないんです。私は劇場で祈り、願うばかりだとこのコラムの第一回で書きましたが、その通りです。芝居をするしかないのです。私に出来る事はそれだけなんだと思い知るばかりなんです。だから、どんな時でも、不謹慎だと言われても、劇場で芝居をするしかないのだと思っています。
 どんなに大きく、ドラマチックな出来事が世の中で起きようと、やはり小さな生活とか、人間とか、そのことに着目して、小さな劇場で描き続ける事が私の仕事だと思って、三陸の方角に向かい静かに目を閉じ、やはり、祈り、願うしかないのです。」
 どもプロデュース「父と暮せば」(作井上ひさし、演出ども、6月11日、札幌市こどもの劇場やまびこ座)。名作、古典の芝居を上演するのは難しい。時を経ても残り続ける名戯曲として、観客の感動は織り込み済み。けれど演出や役者の演技が追いつかなければ、「本はいいんだけれどね…」と言われておしまいだからだ。それゆえ挑むには相当な勇気と覚悟がいる。どもプロ版・通称「父暮(ちちくら)」は03年の初演から9年目。見るたびに新たな発見があり、あらためて深く感動するのは、戯曲の良さはともかく、相当な実力で見せている証拠だろう。昨年亡くなった井上が94年、原爆投下3年後の広島を舞台に書いた、文庫本も出ている渾身の二人芝居だ。
 48年の広島。一人住まいの23歳の美津江(西村知津子)の元に、3年前の8月6日、“ピカドン”で死んだ父・竹造(斉藤誠治)が幽霊となって現れる。図書館に勤める美津江が、原爆資料を集める利用者の岩手県出身の大学講師(26歳)にほのかな思いを抱いたのを知り、恋の応援団長を買って出たのだ。だが美津江は、原爆で友人たちを奪われ一人生き残った申し訳なさ、後ろめたさから、自分だけが幸せになってはいけないと心に誓っている。そんな娘の心を開こうと、父は孤軍奮闘、悪戦苦闘しながらエールを送り続ける−。
 この超難関とも言える戯曲に03年から敢然と取り組んでいるのが、どもプロデュース。演出はドラマシアターども(江別)の代表ども(安念智康)、美津江役は劇団にれ(札幌)の中堅女優西村知津子、竹造役は劇団新劇場(同)の代表兼ベテラン男優斉藤誠治の三人組だ。一徹さを持つ半面、清楚なはにかみ屋の素顔も見せる西村の美津江と、頑固者っぽいが憎めない人の良さを漂わせる斎藤の竹造。私は江別での初演以来、各地の劇場で上演されるたびに都合が合えば赴き、合計6回は見ているが、前にも書いたように見るたびに発見があり、そのうえ深みを増しているのには本当に頭が下がる。昨年は井上の死、そして今年は東京電力福島第1原子力発電所のとんでもない事故。上演の折々の出来事で見え方も感動も変わるが、今年はなんと、とうとう原爆と原発が結び付いてしまった!
 「人類史上最悪の暴力」(井上)と、その後も人生を生きなければならない人間存在への限りない慈しみ。それは「迫真の舞台」「演技達者」といった言葉では評し切れない、どもと西村、斉藤の、戯曲への敬意と芝居への真摯な取り組みからこそにじみ出る味わいの妙であり、あふれる真情だ。2012年はどもプロ版の初演から10年の記念の年。そういえば、どもは初演時、「10年はやり続けます」と宣言していた。来年もどこかで上演されるだろう。ぜひ大勢の方々に見ていただきたい。
 シアターホリック「北海道演劇の宝」賞。
 劇団北芸(釧路)「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)のために09年に創設した最高賞だ。昨年はyhs「しんじゃうおへや」(脚本・演出南参)に贈った。今年も贈りたい作品があった。
 TPSレパートリーシアター「西線11条のアリア」(作・演出・音楽斎藤歩、3月9・20・27日、シアターZOO)。この作品については06年2月21日付と07年11月10日付で劇評を書いている。そして「2005アワード」で次点、「2007アワード」では「マイベスト」に選んでいる。それからメンバーが結構入れ替わっているのだが、やはり私はどうしようもなく好きだ、この物語、この世界、そして世界観。不条理に死んでしまうこと、生者が死者を悼むこと、残されて生き続けること−。とりわけ今年は「3・11」があって、いつにも増して切なさが胸に迫ってきた。涙が出た。そうした「忘れたくても忘れてはいけないこと」のあった年にこそ、この作品は「北海道演劇の宝」として後生に残したい、伝えたい。
 今回のキャストは、アーティスト(林千賀子)、若いカップル(木村洋次、高子未来)、謎の男(佐藤健一)、アルバイトの女(伊佐治友美子)、札幌市電の運転手(齋藤由衣)、停車場でコメを炊く青年(鎌内聡)、その姉(宮田圭子)、東京から出張で来ていたサラリーマン(岡本朋謙)。高子と伊佐治、齋藤、鎌内は初出演で、岡本は運転手役からの抜擢だった。
 感想はもう何度も書いているから繰り返さない。ただ3月のTPS初の1カ月ロングラン、レパートリーシアターの3演目が、これと「秋のソナチネ」、「アンダンテ・カンタービレ〜歩く速さで歌うように〜」という、広い意味で「生と死」を考えさせるテーマだったものでよかったとあらためて思う。演劇人にも観客にも、こうした状況下で演劇に触れるという決意と覚悟が試された時間だった。
 劇団千年王國「狼王ロボ」(原作アーネスト・T・シートン、脚本・演出橋口幸絵、11月19日、サンピアザ劇場)。神谷忠孝・北大名誉教授の発案、賞金提供で今年創設されたサンピアザ劇場神谷演劇賞の審査員の一人として、見終えた瞬間、「ほかのカンパニーには申し訳ないけど、これに決まりだな」と確信した。同時に「札幌劇場祭2011大賞もこれだな」と思った(12月3日付ブログの本命予想、ずばり的中!)。そして「副賞はなんにもないけど、『北海道演劇の宝』賞も贈ろう」と決めていた、もう、見終えてすぐに、劇場の椅子に座ったままで。何度も見ては感動しまくり、賞創設の必要を感じさせた「この道はいつか来た道」、再演でぐぐっと深化した「しんじゃうおへや」、三演で今年こそ贈らなければと思わせた「西線11条のアリア」と違い、初演だが、まったく躊躇はない。いつまでも浸っていたい演劇空間であり時間だった。
 橋口によると、原作には手を加えていないとのことだが、劇場空間をいっぱいに生かして使い、民俗音楽の生演奏とダンサーを交えた創意工夫の劇作がとにかく面白く素晴らしく、上演時間80分があっという間だった。
 1893年の米国ニューメキシコ州コランポーは牧場の牛がハイイロオオカミに襲われて困り果てていた。イエロー(櫻井ひろ)、ジャイアント(高久絢斗)、メスのブランカ(堤沙織)を率いるのは、人々に「魔物」と呼ばれて恐れられ、並外れた知性を持つ古狼ロボ(鈴木明倫)。その首には多額の賞金が掛けられ、大勢が銃や毒薬で挑むが、みなロボの知性の前に失敗する。そこで請われたのが博物学者シートン(赤沼政文)。牧場主(村上水緒)とその妻(榮田佳子)の協力を得ながら、シートンとロボとの命を懸けた壮絶な“知恵比べ”が始まる−。
 客席前方を外して舞台を張り出させ、客席下手にも高みに舞台を設置、さらに客席中央にも細長い舞台を横切らせるという設え。正面舞台奥には高い雛壇があり、広大な荒野を見下ろす山並みを表現する。
 狼たちのダンスを交えた動きがスピーディーでダイナミック(鈴木、櫻井は本来ダンサーだが、高久、堤も遜色はなかった)。台詞は一切なく遠吠えするだけだが、舞台狭しと駆け回り、時に整然と、あるいは仲良く群れる様子を見ているうちに、大自然への畏怖を感じさせる。観客が座る固定椅子の背もたれを伝って縦横に動くという“野生”を表現するにふさわしい素晴らしい発想と動きも、まさに唐十郎言うところの「特権的肉体」の具現化だ。
 赤沼、村上、榮田の3者はあらすじで紹介したほかに、それぞれ4〜7種もの役を演じて大忙し。その早変わり自体もそうだが、変わるきっかけなども見ていてなんとも楽しい。観客がある役になって参加する場面もあって、大いに会場が沸いた。影絵や照明を使った表現の工夫、数々の小道具も気が利いていた。
 よどみなく進む物語の楽しさ、時にかなしみを余すところなく表現し増幅するのが、いまやすっかり千年とのコラボが定着した福井岳郎、有本紀、小山内嵩貴による民俗楽器の生演奏だ(作曲福井・さとうしほ)。
 実はこの作品、橋口の出身地である宮崎県の県立芸術劇場から「子供と、かつて子供だった大人のための名作文学を題材にしたお芝居を作りませんか?」と誘われたのが制作のきっかけだそう。その依頼には十二分に応え得た名作であり、名演出だと思う(宮崎公演は来年1月28日)。少なくとも私は80分間、すっかり童心に帰った。楽しく、最後には自然の尊厳、そして自然への畏怖を感じさせる芝居だった。
 思うに、橋口は「3・11」から派生したもろもろのことについては「きみしかいない」で目いっぱい格闘して形にし、この芝居にはエンターテインメントとして全力投球できたのも良かったのかもしれない。いわゆる原作ものだが、この出来栄えは小劇場演劇の枠を超えているとも思え、橋口が商業演劇に進出してもある程度やるのではないかとの期待も抱かせた。
 それにしても、これほどの芝居が札幌で6ステージと宮崎で1ステージとはもったいない。エゾオオカミを絶滅させた結果、エゾシカの増加に悩む北海道の自治体ででも招けばいいのに。某劇団のライオンなんとかより、よっぽど手作り感の創意工夫があるように思うのだが。ぜひともロングランをしていただくよう期待する。
 最後に、「サンピアザ劇場で芝居を観る会」の依頼で会報「SPOT NO.18」に書いた原稿を紹介し、来年に向けたメッセージとさせていただく。9月の芝居で観客に配られたものだ−。
 サンピアザ劇場へお越しの皆さま、こんにちは。サンピアザ劇場神谷演劇賞の審査委員の一人、加藤浩嗣と申します。食いぶちは北海道新聞記者。一方で演劇好きが高じて、2006年2月から趣味で劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」を主宰しています(簡単な自己紹介はブログの冒頭に書いてあります)。
 これは私が見て感動、感激した芝居について、思い浮かんだ言葉を忘れないように書き付けておく備忘録的な意味と、ブログを見てくださる方に「この芝居は面白いですよ。公演中なので、ぜひご覧ください」とか「今回の公演は終わってしまいましたが、おそらく数年後には再演されると思うので、楽しみに待っていてください」と、広くご紹介する狙いを兼ねたものです。芝居は毎年120本以上見ているのですが(おそらく札幌の地元カンパニー公演の90%近くです)、年末には“独断と偏愛に満ちた”「アワード」で、「マイベスト」などを選出してもいます。
 私は映画も40年来のファンですが、なぜそれにも増して演劇が「病」になるほど好きなのか。理由はいろいろ挙げられますが、最大のものは、やはり目の前で役者さんたちが汗をかく「生もの」だから、でしょうか。映画はいまやコンピューターグラフィックス(CG)などの普及で、極端なことを言えば、表現できないものはまったくない、逆の言い方をすれば、生身の人間がいなくても事前にその人間の情報を取り込んで加工し表現できてしまうところにまできています。それに対して演劇は、やはりどうしたって生身の人間が主人公。息づかいや唾、汗のしぶき、目の前で躍動する身体がなんとも魅力的です。そして映画ならさまざまな加工で簡単にできてしまう難しい表現を、演劇公演に携わるたくさんの方たちが創意工夫して、舞台装置や効果、照明、音響などのアイデアをなんとか劇場空間で実現する−というところに驚き、称賛し、演劇人たちを尊敬しもするのです。
 それに加えて、映画は「完成形」で全国どこの映画館に行ってもまったく違わない同じものが見られますが、演劇はその日その日に新たに創る真剣勝負。きょう見た芝居が役者さんたちの好不調、または演出のさじ加減で翌日には違って見えることもしばしばです。そもそもサンピアザ劇場という劇場のある種の“制約”でこう見えたものが、場所、時には国も違えて韓国の劇場ではその劇場ならではの“制約”でまるで違って見えることもあるという、いわば「永遠に未完成の芸術」であることも、私にとっては重要な演劇鑑賞のポイントの一つです。
 神谷演劇賞は今年創設された賞です。初の受賞はどのカンパニーのどんな作品になるのか。私も皆さんと同様、一人の観客としてどきどきわくわくしながら、サンピアザ劇場に足を運び、新たな芝居との出会いに胸ときめかせているのです。
 −以上。
 長々とした「アワード」にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年は、かなしみや怒りが少しでもゼロに近くなり、喜びや楽しみがいっそう増しますように。いまはただ本当にそう祈り、願うばかりです。今年一年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。みなさま、良いお年を!
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2011年12月29日

2011アワード

 激動の年もとうとうか、ようやくか、終わる、終わってくれる。今年はやはり「3・11」、東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故に尽きる。その日以降、なにを見ても、なにをしていても、震災への思い、生者・死者の別なく被災者への思いが消えることがない。こうしている今もだ。感情という感情がすべてそちらに持って行かれてしまった。だからなのか、今年はよけい心に染み入る芝居が多く感じられた。結局どの部門も少数に絞ることはできなかった。絞りたくなかった、とも言える。手を差し延べたかった。あるいは、心の振れ幅が大きくなったのかもしれない。表現すること、それを受け取ること、つまりは生きる意味そのものを見つめ直す年になった。
 独断と偏愛に満ちた「2011アワード」を発表する。
 観劇数は179本(同一作品の複数回観劇含む)。昨年より36本も増えた。これはただ、短編演劇が増えたのが理由だ。
 シアターホリック「奨励賞」から。
 「ニコルソンジャック」(主演ナガムツ、作・演出亀井健=AND、観劇日1月23日、札幌・ブロック=以下、特記しない限り札幌)。演劇専用小劇場ブロックの和田研一代表がプロデューサーの一人芝居「LONERY ACTOR PROJECT VOL.13」の一つ。落語もするナガムツらしさが全開。なにより、その女性の過去から現在、そして未来をも想像させる亀井の本が良かった。
 温故知新音楽劇「旗ヲ出スベカラズ〜琴似フラグステーション〜」(脚本すがの公、演出斎藤ちず、2月12日、コンカリーニョ)。明治時代の小樽−札幌間の鉄道をモチーフに、急用の際、旗を掲げることで汽車を止めて乗り込む、駅のない琴似の住民たち。後半は一大スペクタクルとなった。てっきり実話かと思っていたらまったくの創作と知り、驚いた。
 じゃぱどら!!地区大会「井上さんと岸田さん」から、WATER33-39「犬は鎖に繋ぐべからず」(作岸田國士、演出清水友陽、2月17日、シアターZOO)。シアターZOOを会場に今年から始まった「じゃぱどら!!」は清水がプロデューサーを務め、日本の近代・現代演劇の戯曲を見つめ直し、札幌の若手演劇人が上演する新シリーズ。「犬は−」は1930年作で、上演時間約1時間。岸田の戯曲は現代に上演されても通じてくる「今」をしっかり描いていることに感心した。
 弦巻楽団「死にたいヤツら」(作・演出弦巻啓太、2月26日、サンピアザ劇場)。「遊戯祭06最優秀賞」、「札幌劇場祭2006大賞」というW受賞作の再演だが、あらためて見て観劇仲間と感想を話し合った際、相続先を誰々と明示しない遺言書は本来、効力を持つはずがない−といった話題になり、ちょっと点数が辛くなった。でもそれを差し引けば、うまくできていることは確かだ。
 「若い演出家と日本の戯曲♯00 安部公房『制服』」(演出重堂元樹、3月6日、コンカリーニョ)。実力派の役者陣を力業の手綱さばきでまとめた重堂の演出が良く、抑制しつつ切れがあった。見て良かった。シリーズの次回作はなんだろう?
 実験演劇集団「風蝕異人街」の三島由紀夫作品上演企画第1弾「『近代能楽集』−『班女』『葵の上』−」(演出・照明・音響・美術こしばきこう、3月20日、アトリエ阿呆船)。「班女」はかねて見てきた風蝕の方法論を踏襲、延長した感じだったが、「葵の上」にはびっくり。三木美智代が光源氏を、客演の赤坂嘉謙(WATER33-39)が女装し六条御息所を演じたが(両作とも時代は“現代”)、この赤坂が故大野一雄の「ラ・アルヘンチーナ頌」を彷彿とさせた。私は思わず「大野先生だ!」と口走りそうになった。
 やまびこ座プロデュース公演・東区市民劇団オニオン座「ハロー・グッドバイ」(作・演出西脇秀之、3月21日(月)、やまびこ座)。やはり西脇は心がほのぼのとするユーモア芝居をつくらせると、だれよりも優しい眼差しで、うまい。
 柄本明(劇団東京乾電池)ひとり芝居「煙草の害について」(原作アントン・チェーホフ、演出・出演柄本明、3月30日、シアターZOO)。ロシアの偉大な劇作家チェーホフの作品に大胆なアレンジを加えた1時間少しの舞台で、93年5月に東京・下北沢のザ・スズナリで初演。柄本はいつもながら、どこまでが戯曲通りで、どこからがアドリブなのかが分からない名演(迷演?)。実生活での奥さん角替和枝さんとのことかも?−と想像してしまうエピソードまで披露した。
 劇団アトリエ「悪いのは誰だ」(脚本・演出小佐部明広、4月3・4日、アートスペース201)。昨今の社会事象を批評を絡めて描く一方、ほんの心のすれ違いから一般人が起こした凄惨な事件とその後、その一般人にもあり得ただろう望ましい生活などを演劇的企みに満ちた見せ方で描いた力作。今年1月旗揚げで、鮮烈なデビューと言えよう。
 男肉 du Soleil(オニク・ド・ソレイユ、大阪)「Jのとなりのオニク」(作・演出・振付池浦さだ夢、4月30日、シアターZOO)。いやあ、踊る踊る。踊るというか、舞台狭しと動き回り、圧巻。
 札幌・コンカリーニョ演劇講座事業「劇をつくるということ」プロジェクト第2期発表公演「カカフカカ〜私たちはいつもハイかイイエの波の中を生きている〜」(作=劇をつくるということメンバー、構成・演出イナダ=劇団イナダ組代表、演技演出納谷真大=イレブン☆ナイン代表、プロデューサー斎藤ちず=NPO法人コンカリーニョ理事長、5月14日、コンカリーニョ)。過去に何度も見て食傷気味だったはずの「自分探し」の物語だったのに、見終えて心がほんわかと温もった。出演12人の息がとても合っていた。
 赤星マサノリ×坂口修一・二人芝居(大阪)「男亡者の泣きぬるところ」(脚本ごまのはえ、演出山浦徹、6月5日、シアターZOO)。エレベーターに閉じ込められた二人の男、サラリーマンとフリーターが、実は同じ「おさむ」という名で28歳で、同じ高校だったことが判明して、さらに…という上演時間80分のコメディー。これも肉体を酷使した身体表現に感動。
 TPS(北海道演劇財団付属劇団)・劇団青羽(チョンウ、韓国)共同制作「蟹と彼女と隣の日本人」(作斎藤歩=TPS、演出キム・カンボ=青羽、6月10・11日、サンピアザ劇場)。09年に斎藤、キムのコンビで札幌で制作、上演し、「札幌劇場祭2009特別賞(演出賞)」を受賞した「蟹と無言歌」を、斎藤が5月の韓国公演に際して書き直した。落ち着き、熟成された上に、観客の想像=創造を促す物語に深まっていた。
 弘前劇場(青森)「家には高い木があった」(作・演出長谷川孝治、6月25日、シアターZOO)。初演は95年で、役者の変更に伴う改稿などが行われたうえで再演に再演を重ねている劇団の代表作。このカンパニーならではのしっとりした感動がじっくりとこみ上げた。
 シアターZOO演劇祭「ZOO11(ズーイレブン)」の舞台は「『弦崎東総合病院』の入院病棟」。TBGS.「可愛そうなアノコ」(作・演出ミヤザキカヅヒサ、7月2日)は脳神経外科病棟の一室。コメディーの枠にとどまらない、第一級のサスペンスを感じた。物語の運びが巧みで、ざわざわと胸騒ぎがした。
 yhs「ヘリクツイレブン」(脚本・演出南参、7月3日、ブロック)。過疎の地方都市での小さな出来事を描いたコメディー。このようなことがまかり通っている自治体はけっこうあるのではないか。後味が良かった。
 「ZOO11(ズーイレブン)」のエンプロ「いつか、ひとやすみ。」(脚本・演出遠藤雷太、7月10日)は内科。舞台の共通セット(舞台装置)である上手、下手に二つずつあるベッドを、上手側を男性が入院中の7階、下手側を女性の8階と見立てての芝居。これがなかなかのアイデアで、スピーディーでコミカルな芝居づくりに効果的だった。人の出入りが絶えないスピーディーなノンストップコメディーで、しかもその舞台が7階かと思えば次には8階、また7階とめまぐるしく変わるのに、見せ方が巧みで手際良かった。
 札幌市中学校文化連盟演劇専門委員会主催「5日間で作る『親の顔が見たい』演劇ワークショップ発表公演」の「親の顔が見たい」(作・演出畑澤聖悟、8月12日、シアターZOO)。中学2年の女子生徒が学校で首つり自殺。担任の女性教諭や親切にしてくれていた女生徒らにその晩、“遺書”が届く。いじめをしていたらしい女生徒5人が学校に集められ教諭から事情聴取を受ける一方、5人の親たちも学校に集められ校長らから説明を受ける−。上演時間1時間10分超。ちなみに女生徒5人は舞台には登場しない。8中学校の男女生徒13人による熱演で真に迫っていて、私は心の底から怒りがこみ上げてきた。それだけ物語が突き刺さってきたわけで、参加した中学生たちの演技が素晴らしかったということだ。その親の会であらわになるのは、ひたすら娘かわいさでいじめなどなかったと保身に走る親や、“遺書”を燃やしてまで証拠隠滅を計る親など、「この親あってこそ、この子あり」とでも言いたくなるような身勝手な大人たちの姿だ。発表公演では親や教諭らを演じているのは中学生なのに自然で真に迫っていて、私は本当に胸くそが悪くなった。言葉は汚いけれど、これは最大級の賛辞だ。畑澤のZOOでの中学生対象WSは3年連続3回目(過去2回の題材は「修学旅行」「河童」)。来年も楽しみ。
 コンカリーニョ企画、劇団イナダ組「マーブル2011 ハシビロコウのように」(作・演出イナダ、8月19日、コンカリーニョ)。94年初演(イナダが33歳の時)で、98年、03年と再演された「マーブル・テーブル・トラブル」の改訂版で、今回はイナダ組所属の俳優は主役の上總真奈だけという大胆な配役。結婚を控えマリッジブルーに陥った女性とそれを取り巻く恋愛模様を描いた女優主体の芝居だ。ありがちな話だとは思うのだが、今回は福地美乃(yhs)とイトウワカナ(intro)の掛け合いが絶妙だった。
 実験演劇集団「風蝕異人街」の「風蝕版 銀河鉄道の夜」(原作宮沢賢治、構成・演出こしばきこう、8月27日、アトリエ阿呆船)。「3・11」を経験してなにものかを失った人たち(それは死者にも生者にも)への「祈り」があった。原作に忠実に演出したら上演時間2時間近くになるはずのものを1時間10分ほどにエッセンスをぐぐぐっと凝縮した、「準団員」による「新人公演」だが、「素直で正直な『さいわい』をとどけたい」(演出ノートより)との思いがひしひしと伝わってきて心に染みた。とかく感傷的な情緒に流れがちな演出が他のカンパニーでは多々見受けられる場面がそうはならず、かえって淡泊とさえ言えるほどにあっさりとした事実の描写が続いた。それは、感傷とはいったん距離を置き、情緒的に流れがちなものを注意深く摘み取ったのではないかと思えるほどだった。
 「最強の一人芝居フェスティバル」こと、大阪・インディペンデントシアターが01年から毎年11月末に開催している「インディペンデント(本来はINDEPENDENTとローマ字表記のようだが、当ブログでは便宜上、片仮名表記にさせていただく)」のうち、06〜10年に上演された60作品から厳選したセレクション全国7都市再演「インディペンデントシアタープロデュース“インディペンデント”:セカンドシーズンセレクション ジャパンツアー」(総合プロデューサー相内唯史)から、玉置玲央「いまさらキスシーン」(脚本・演出中屋敷法仁、東京、9月3日、コンカリーニョ)。08年初演。スポーツ万能&頭脳明晰な新入女子高生は国道をひた走る。入学早々出会った先輩に心奪われつつも、短い女子高生ライフをエンジョイすべく、恋に部活に勉強にと奮闘する…。玉置、中屋敷は劇団「柿喰う客」のコンビ。同劇団の作品は09年4月にシアターZOOで「恋人としては無理」を見ていたが、その時の刺激的だった劇作がまた見られてうれしかった。繰り返される印象的な台詞、驚異的な身体能力、とにかく見応えがあった。この作品には、道外カンパニーの道内公演賞も贈る。
 弦巻楽団「ラブレス」(作・演出弦巻啓太、9月18日、コンカリーニョ)。弦巻が「シアターユニット・ヒステリックエンド」時代の00年に初演した作品の11年ぶりの再演。私は初見だったが、弦巻の楽団としての最近の作品にはあまり見られない「毒」が満載、横溢していた。劇団アトリエや劇団パーソンズといった在札若手劇団の役者陣を大勢客演に迎え、ダンスも交えて溌剌とした中にもメリハリの効いた劇作が楽しい。赤、青など原色を生かしたチラシが男優の写真ごとに4種類あったのも珍しい試み。すべて集めようといろいろ回って、集まった時のうれしかったこと!
 実験演劇集団「風蝕異人街」第50回記念公演「大山デブコの犯罪」(作寺山修司、演出こしばきこう、9月25日、アトリエ阿呆船)。風蝕としては04年に初演。その時は見ていないが、歌あり踊りあり、趣向を凝らした映像も駆使しての劇作に、デブコと娘の哀しみが浮かび上がった。いかにも楽しげに演じ、時に情念をたたえてみせる平澤朋美が大活躍。そして端正な役柄の多い客演の梅津学が、こうした役柄にも挑戦するとは、こしばマジックならではだったなあ。
 同じく実験演劇集団「風蝕異人街」の「少女仮面〜愛の亡霊〜」(作唐十郎、演出こしばきこう、10月22・30日、アトリエ阿呆船)。風蝕は唐作品に意外にも初挑戦。それが信じられないほど、かつての宝塚大スター春日野八千代(22日=李ゆうか、30日=三木美智代、初演は白石加代子)と甘粕大尉(22日=三木、30日=李)の配役を違えた2バージョンとも、わがもの、風蝕の世界にしていた。唐が69年、鈴木忠志の早稲田小劇場に書き下ろした、岸田國士戯曲賞受賞作。宝塚ファンの16歳の少女、緑丘貝(初演は吉行和子)を演じた新人・丹羽希恵のコケティッシュな魅力にも目を奪われた。それにしても今年の風蝕はいずれも水準が高くてすごかった。
 札幌厚別高演劇部「夢見る人〜厚別弾薬庫の青春〜」(作藤根知美、信山E紘希、戸塚直人、演出鎌田有紀、10月22日、サンピアザ劇場)。同劇場のまさにその土地に太平洋戦争中には弾薬庫があり、女子学生が勤労動員されていたという史実を生徒自らが関係者らに取材して上演した労作。忘れてはいけない歴史の重みと、それを後生に伝えることの大切さが切々と演じられた。参加者全員の財産だ。
 yhs「忘れたいのに思い出せない」(脚本・演出南参、11月5日、シアターZOO)。10年7月に同劇場で上演された作品の改訂再演。とにかく認知症を抱える吉田センリを演じた福地美乃に尽きる。良い芝居を見たなあと、熱いものが胸にこみ上げた。説明しすぎない寸止めの劇作が、さまざまな思いを去来させたのだろう。10年7月10日付の初演劇評では、ホームヘルパーのエピソードが物語全体の焦点をぼやけさせた…云々と書いたが、今回は改訂もあってか、その部分がしっくりはまって感じられ、生と死への思いを深くした。
 intro「蒸発」(作・演出イトウワカナ、11月5日、ターミナルプラザことにパトス)。実験的精神に溢れた前衛的な意欲作。役者たちは時にぶっきらぼうに、無機質的に、無感情に台詞を話す。そして時に意味の分からない、いや、意味などないかもしれない、ダンスとも言える動きを繰り返す。そこで浮き彫りにされるのは、家族の解体、というより、たしかに「親子」ではあるものの、「家族」のあらかじめの不在である。コミュニケーションが希薄な現代そのものの縮図である。ワカナは周到に念入りに観客の「感情移入」を排するべく演出したのではないか。私は情ではなく、ワカナの理知的な冴えに喝采を送った。観客は、舞台上に繰り広げられる、温もりのない、冷たいとさえ言える芝居に感情移入して情を動かされるのではなく、むしろ我が身を省みたのではなかろうか。演劇ならではの表現を体感できた、札幌では珍しい部類の芝居だった。
 「空の記憶」で「札幌劇場祭2010特別賞(作品賞)」を受賞した、在札プロ演出家鈴木喜三夫率いる「座・れら」の「トランス」(作鴻上尚史、演出(指導)鈴木喜三夫、11月6日、サンピアザ劇場)。93年初演作。実にうまかった。けれども、そのうますぎるうまさゆえに、時としてルーズな小劇場演劇のファンとしての私は勝手ながら「居ずまいの悪さ」をも感じてしまったのだった。すみません。
 弦巻楽団「テンプテイション」(作・演出弦巻啓太、11月11日、シアターZOO)。弦巻としては意外にもあっさりとした味付けの人情もの。滝川在住の墨絵師杉吉貢の手になる墨絵が素晴らしかった。
 イレブン☆ナイン「プラセボ/アレルギー」(作・演出納谷真大、11月12日、コンカリーニョ)。ある懐かしさをたたえたラストシーンを見終えた後、自分の幸せ、保身しか考えない身勝手な登場人物へのやり場のない怒りや、妹の幸せを最優先するために工場長がなした重大な決断など、なんとも言えないしこり、やりきれない切なさが心に残った。
 AND解散公演「『ばらひまわり』 よいと悪いのまんなかでキッス」(作・演出亀井健、11月12日、ブロック)。97年旗揚げ以来、かなしいまでの刹那の美しさを表現してきたAND。その解散、つまり観客にとっての喪失は、想像以上に札幌演劇界にとっては大きいだろう。この喪失を埋められる才能は出現するのか? 亀井はどこへ行くのか? テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」、待ってるよ〜。
 弘前劇場(青森)「海辺の日々」(作・演出長谷川孝治、11月19日、シアターZOO)。「東日本大震災」と固有名詞こそ出ないが、「3・11」あっての物語だ。いわゆる劇的な大ごとは観客が目にする“舞台上では”起きない。一日の小さな、ごく小さなエピソードが積み重ねられる。そこに、平凡な日常への限りない愛おしさが編み込まれる。「3・11」後の長谷川の人生観を反映してもいるであろうその独特の静けさ、観照の表現は心憎いほどに巧みだ。
 WATER33-39「バッカス・マラカスは誰だ?」(作・演出清水友陽、11月23日、ターミナルプラザことにパトス)。昨年、ディケンズ原作のTPS「クリスマス・キャロル」を客演出して「札幌劇場祭2010大賞」を受賞した清水だけに注目された一作。まことに不思議な、でもどこか心地よく切ない感覚にとらわれる作品。これも「3・11」後の作品だ。冒頭の巧妙な仕掛けが印象的だった。
 TPS「霜月小夜曲(ノヴェンバーセレナーデ)」(作・演出・音楽斎藤歩、11月30日・12月3日、シアターZOO)。北海道の高校の同級生で、いまは不惑を越えた仲良し女性3人組の人生のありようを、温かな眼差しで描いた。元キャンディーズの田中好子さんの死を劇作の契機に、チェーホフの「三人姉妹」も絡め、吉田直子、宮田圭子、林千賀子と、TPS創設当時から10年間活躍してきた同年齢の俳優を実年齢に近い役柄にした当て書きは、この劇団に長年親しんできた身にはそれだけで面白かった。斎藤が書いてきた過去の諸作品に比べ「死」のイメージが薄く、「生」を肯定するおおらかさがいっそう前面に出た。たくましく生きている“肝っ玉かあさん”(覚えている方はおられるだろうか。68〜72年に放送された大人気テレビドラマで、主演は京塚昌子)的な友紀の存在感だろう、吉田の見事なはまり役だ。人形劇を織り交ぜたユニークな芝居の運びも思わず笑ってしまった。題名の「霜月小夜曲」は、仲良し3人組が歌う3人組アイドルグループのレコード「スキ好きセブンティーン」のB面に入っていた歌。不惑を過ぎて人生の折り返し地点を迎え、これから“B面の人生”を送っていく3人組のその後とは−。老若男女、見る人によってさまざまに想像=創造が広がったことだろう。
 TPS「クリスマス・キャロル」(原作ディケンズ=翻訳森田草平訳より、演出清水友陽=WATER33-39、12月24日、サンピアザ劇場)。昨年はシアターZOOで上演された「札幌劇場祭2010大賞」受賞作だ。サンピアザという広い、しかも私が開演間際に会場に着いたので最前列で見上げる観劇になったのが一因かもしれないが、驚きは昨年の方が大きい。それにサンピアザそのものをまだ使いこなせていない感じがした。ただ劇場が広くなったことで、さまざまな新たな創意工夫が見えて面白さが広がった。主人公のけちん坊の金貸しスクルージ役の佐藤健一は初演では「馬鹿馬鹿しい」という台詞自体がうるさく若い印象だったが、今回は落ち着いて“じじい”になり、格段に良くなっていた。毎年クリスマスに合わせて上演するレパートリー化を願う。まだまだ良くなるはずの芝居だ。
 「マイベスト」「殿堂入り(再演)」などは大晦日に発表します。
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2011年12月25日

クリスマス・キャロル 2011

 TPS「クリスマス・キャロル」(原作ディケンズ=翻訳森田草平訳より、演出清水友陽)を12月24日(土)、札幌・サンピアザ劇場で見た。昨年、札幌・シアターZOOで上演され、札幌劇場祭2010大賞を受賞した作品だ。
 ただ、私には昨年の方が良く見えたんだなあ。狭く、しかも見下ろす形のZOOで、えっ!と驚く舞台装置の転換が素晴らしかったからではないか。サンピアザという広い、しかも最前列で見上げる形の観劇になったのが一因かもしれないが、サンピアザそのものをまだ使いこなせていない感じがした。劇場の特性を生かすという芝居の作り方を私が特に意識し始めたのは、サンピアザでの劇団千年王國「狼王ロボ」から顕著だ。ただ劇場が広くなったことで、さまざまな新たな創意工夫が見えて面白さが広がったのは確かだ。
 主人公のけちん坊の金貸しスクルージ役の佐藤健一は初演では「馬鹿馬鹿しい」という台詞自体がうるさかったが、今回は落ち着いて“じじい”になり、格段に良くなっていた。子役の子どもたち二人にも拍手!
 終演後、第一回神谷演劇賞の授賞式があり、本賞の劇団千年王國と奨励賞の札幌厚別高演劇部が紹介された。千年の“おばさん”たちに比べて厚別高の女の子たちの若くてぴちぴちだったこと!(榮田、沙織ちゃん、ごめんね。でも、本当だったよね? 悪いけど)
 交流会終了後、TPSチーフプロデューサーの平田修二と飲んだ席で提案した。この作品は毎年、サンピアザでクリスマスに上演することにし、その終演後に神谷演劇賞授賞式をすることにしては、と。平田もなんとなく受け止めたような、いい雰囲気だった。
 カンパニーの皆さん、サンピアザ劇場神谷演劇賞というのは穴場ですよ! まだまだエントリーには空きがあります。札幌劇場祭に向けてカンパニーを決めてかかるZOOとかコンカリーニョとかパトス、ブロックとは違って自由ですから。それに今年の千年王國「狼王ロボ」のように、固定席でなければできなかった趣向もあるし、ご利用をご検討ください!
 私の観劇はこれが今年の見納めです。「2011アワード」は、昨年の「2010アワード」で原稿用紙30枚以上を一挙に送ったら改行がなくなってご迷惑をお掛けしたので、今年は2回に分けて掲載します。第1弾は30日より前の予定。第2弾は大晦日です。よろしくお願いします。
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2011年12月19日

風蝕異人街プロデュース・2ユニット出演募集中

 実験演劇集団「風蝕異人街」プロデュースのクリスマスショーに12月18日(日)、札幌・アトリエ阿呆船で参加してきた。
 例年、劇団員のきれいどころと取り巻きが乳首だけを隠して、あとは全裸な姿などのちょっとセクシーな踊りを楽しみに鼻の下を伸ばして今回も行ったのだが、なんと、今回は可愛い日本人4人組の札幌発「地下アイドルGIFT」に加えて、米国はニューヨークで活躍しているらしい女性3人組「アフロD」も初来日して、こんな小さな舞台から始めていることに驚いてしまった。
 GIFTは丹羽希恵ら4人組。小回りが利いていてミニセクシーという感じ。初音ミクらの歌声で登場するのがいかにも、いまらしい。韓流のKARAの楽曲で歌い踊りもすれば、小芝居もするといった感じで、いまや国際も如才がない。身長も150a台から170a台と差があって、それぞれに好みの幅があるのではなかろうか。とにかく、札幌に現れた小悪魔、といった印象である。
 アフロDはCMビデオで驚いた。1994年に自殺した米国のミュージシャン、カート・コバーンや、シンディ・ローパーが独占インタビュービデオで語っていたのである。ロックやニューミュージックが、平澤朋美ら彼女らにかかるとすっかり演歌だった。ラストに歌われた研ナオコの「かもめはかもめ」、あれは自分たちを思いなしているのだろうか尋ねそびれたが、見事な選曲でもあった。3人とも小回りの利く体型で、日本人好みのするタイプであった。今後もダイアナ・ロスのいたザ・シュープリームスのような存在であってほしい。
 なお、今後はGIFTは札幌・ススキノで、アフロDは道内の温泉街で日銭を稼ぐようだ。
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2011年12月18日

中学生へ、曲の贈り物

中学生のみんなへ。
私は中学3年生ぐらいから、ジャズ、フュージョンを聴いていました。
クリスマス、お正月に、心を込めてこの曲を贈ります。
ユーチューブです。
米国のジャズ・ギタリスト、パット・メセニーの「イフ・アイ・クッド」です。
でも、本当なら「アイ・キャン」といきたいよね。
それが、私の「おじさん」なるゆえんです。
年末にはシアターホリック・アワードを発表します。
今年は中学生演劇はランクされるかどうか?
期待していてください。
http://www.youtube.com/watch?v=yoWqHZl5hg8&NR=1
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3連覇できなかった清水中、それに中学演劇のみんなへ

 こんにちは。きょうは劇評ではなく、随筆(かな? 私、エッセーという言葉は嫌いなんだよね、随筆が好き)を書きますね。というのも、十勝管内清水町立清水中のクリオネのみんなが、十勝代表になれず全道大会に行けずにがっかり、自信をなくした…でも、ブログを読んでくれて、もう一度立ち上がろうという思いをコメントにいっぱいくれたからです。
 あのね、全道3連覇って、そうそうないよ。駒苫のマー君だって、2連覇止まりだったしょ、まあ、全国だけど。それはね、ちょうど、いいタイミングってものがあったのかもしれないなあ。
 っていうのはね、今回、札幌・北野台中が優勝したじゃない、私(46歳)もあの配役いいなあって思った、身長180センチ以上の男子生徒が劇中で竹刀を振るってたんだけど、竹生東先生の当て書きで、1年生の時はバレーボール部だったんだって。これが見事にはまってました。そういう、とりわけ身長が高いとか低いとか、そのうえ舞台上でわざとらしく演技するわけでもなく普通に立っていられる人がいると強いよね。ただ、竹生先生も残念で、来年3月には彼が卒業するから、全国大会は別の戯曲を書くんだって。いやあ、素晴らしい芝居だったのに…。みんなに見せたかったなあ。
 でも、そういう人がいなくても、みんながこんな芝居をやりたいっていうことを先生に言えばいいんだと思うよ。うるとらくんがコメントに書いてくれていたけれど、「問題意識を持って演じたがっていた芝居」、つまり今の中学校生活の中でなにが気になっているのか、なにを取り上げたらいいのか、そういうことをみんなで話し合って、それを演劇部員で相談し合った上で、先生に戯曲にしてもらえばいいんじゃないかな。
 ちなみに私は故郷・釧路の三十数年前の中学校の卒業生でね、一学年十五クラス六百人、全校生徒千八百人の北海道随一のマンモス学校の生徒でした。それでね、当時出たて(1979年)のウォークマンとかを万引する奴が多くてね、まあ、それは火の粉がかぶらなくてよかったんだけど…。
 学校祭の合唱コンクールではガムを噛んでる連中が多くて、私は学級委員長として注意しなかったという理由で(だって、注意するにも四十人中、二十人以上が噛んでるんだよ!)、ガムを噛んでた十数人と連帯責任で(つまり学級委員長の役目を果たしていなかったということ)二時間正座させられたうえに、ばっつり往復ビンタされたんだよ。いまでも覚えてるよ、ビタッ、じゃないんだもの、ボクッだもの。手首使われて。いまだったら、こんな体罰、信じられないでしょう? だから、中学校時代には全然いい思い出がありません。ただ、入学当初に可愛い女の子と交換日記をしていただけです。結局、とっぽい男子に気を奪われて、彼女に裏切られたけどね…。可愛かったのになあ…。
 閑話休題。そんなこと、いまはないのかな? 東日本大震災とか、福島第1原発事故とか、沖縄の米軍駐留問題とか、大切な問題はいっぱいある。それも大事。それを芝居にするのもいい。でも、それができなくても、北海道の自分たちのほんの日常の生活の中から、そういうテーマに響く題材はいっぱいあると思うけれどもなあ。友達と、先生と、話し合ってみてください。
 私は、中学校時代に忌まわしい記憶しかないからこそ、中学生みんなの本当の気持ちを芝居で見たいのです。楽しみにしてるよ!
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2011年12月12日

千年王國、初のサンピアザ劇場神谷演劇賞に

 札幌・サンピアザ劇場で上演された芝居を対象に今年から設けられたサンピアザ劇場神谷演劇賞の選考会が12月9日(金)行われ、劇団千年王國「狼王ロボ」に決まった。発案者である神谷忠孝北大名誉教授(北海道立文学館理事長)がポケットマネーで賞金10万円を贈る。同作品は札幌劇場祭2011で大賞、オーディエンス賞をW受賞しており、今回の結果でトリプル受賞となる。
 また神谷演劇賞奨励賞は札幌厚別高校演劇部「夢みる人〜厚別弾薬庫の青春〜」に決まった。同劇場を運営する札幌副都心開発公社が商品券2万円分を贈る。
 表彰式は同劇場で12月24日(土)17時開演のTPS「クリスマス・キャロル」終演後に行われる。
 来年から札幌演劇シーズンが冬、夏とコンカリーニョとシアターZOOで各1カ月間行われることになっており、この期間の札幌の小劇場(ブロックなど)は空きがなくなることが予想される。ぜひ貴カンパニーもサンピアザ劇場で公演し、神谷演劇賞を狙ってみてはいかがだろう。
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2011年12月05日

札幌劇場祭2011

 札幌劇場祭2011の公開審査会&表彰式が12月4日(日)、札幌・cube gardenで行われ、大賞には審査員票21票(1人3票)のうち6票を集め、劇団千年王國「狼王ロボ」(脚本・演出橋口幸絵)が選ばれた。千年の大賞受賞は2009の「贋作者(ガンサクモン)」以来、2回目。
 特別賞は作品賞が弘前劇場(青森)「海辺の日々」(作・演出長谷川孝治)。演出賞がintro「蒸発」(作・演出イトウワカナ)。ほかの最終候補作は人形劇団ぽっけ&ばおばぶ&ボクラ「人形劇『ジャックと豆の木』」、TPS「霜月小夜曲(ノヴェンバーセレナーデ)」。
 新人賞は劇団アトリエ「もういちど」(作・演出小佐部明広)。
 フライヤーコンテストはヨミガタリを楽しむ会とミュージカルユニットもえぎ色が同時受賞。
 観客投票によるオーディエンス賞は平均点が最高の“リーディングヒッター”、単純星累計が最高の“ホームラン王”とも劇団千年王國が受賞した。審査員だけでなく観客の支持も集めたというわけだ。
 審査員特別賞は3カンパニーで、yhsは特に主演女優福地美乃に、とのスピーチ付き。またAND、座・れらも受賞した。
 あなたの予想通りでしたか?
 私の予想はけっこういい線いっていたようです。
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2011年12月03日

札幌劇場祭2011・公開審査会結果公開予想

 札幌劇場祭2011の公開審査会&表彰式が12月4日(日)17時から、札幌・cube gardenで行われる(入場には各劇場配布の入場整理券が必要)。それを前に初の試みとして、大賞の行方を予想することにした。最近はウェブ上で芥川賞・直木賞も予想されて盛り上がっていることだし、このぐらいの遊び心は許されるのではないかと勝手に占う。人形劇やオペラは見ておらず、対象は私が特化して見ている演劇のみ。演劇に限定しても、大賞エントリー作品すべては見られなかった(だが、出来栄えを想像して名前を挙げたものもある)。新人賞エントリー作品はあまり見ていないので予想しない。
 この予想は、当ブログで毎年大晦日に発表する、独断と偏愛に満ちた「シアターホリック(演劇病)・アワード」とは違い、必ずしも私が感動した、あるいは心揺さぶられたものだけを挙げているわけではない。こうなるだろうかなあ、また、こうなったらいいなあなどという、直感や願望をも加味したお遊びだ。審査員7氏の中には、おそらくあのカンパニーは推すだろうと予測できる仲の良い観劇仲間もいれば、お名前さえ存じ上げない方もいる。もちろん私のこの予想で、主張がぶれるような無責任な方はおられないはずだ。言わずもがなだが、部外者である私の予想を参考にして決められるようじゃ、各カンパニーは困るだろうし、その結果として落選してしまっては浮かばれない。競走馬だってオッズに関わらず全力を尽くすのだから。なお、劇団アトリエは審査会当日の4日に見る予定なので、残念ながら除外した。
 はたしてどれぐらい当たるだろうか。もし運良くけっこういい線いったら、来年からは「札幌劇場祭大賞予想屋」を自称し、秋〜冬限定の副業にしてみなさんが賭ける際に参考にしてもらい(賭けに勝った分の5%を分け前としてください)、年末の入り用ぐらいは稼ぎたいものだが。
 嘘です。賭けはいけません。
 さて、大賞(新聞の競馬予想表に倣えば◎)は、ずばり劇団千年王國「狼王ロボ」とみる。老若男女が楽しめる、スピーディーで切れ味鋭くコクがある、民俗楽器生演奏付きのジェットコースター的エンターテインメント。小劇場演劇の枠を超えているとも思え、脚本・演出橋口幸絵が商業演劇に進出してもある程度やるのではないかとの期待も抱かせた。大賞は逃しても、特別賞で演出賞かなにかは受賞するのではないだろうか。
 対抗(○)はyhs「忘れたいのに思い出せない」。脚本・演出南参が実生活にもモチーフを得た渾身の作。初演から1年を経ての改訂再演で、私の評価はぐんと上がった。シアターホリック「2010アワード」で「北海道演劇の宝」賞(過去2作しかない)を贈ったほど素晴らしい出来の「しんじゃうおへや」が、昨年の札幌劇場祭で、主催者側がエントリーできる旨を伝え忘れていたうっかりミスで審査会の俎上に載せられなかったという残念なこともあり、私は心情的に応援してもいるが、はたしてどうだろう。これも、女優賞など特別賞のチャンスありだろう。
 大穴(×)は迷いに迷ったあげく、弘前劇場(青森)「海辺の日々」にした。長らくこのカンパニーを見てきた私などにすると、作・演出長谷川孝治の従前通りの劇作に「3・11」という思いもかけない途方もない現実が影を落とした分、いつもよりいっそう感慨深くなったというところだろうが、札幌のカンパニーにはない一種独特の方法論なだけに、審査員諸氏がそれをどう評価するかも審査会での聞きどころだ。
 その他の買い(△)では、intro「蒸発」、座・れら「トランス」、演劇ユニット イレブン☆ナイン「プラセボ/アレルギー」、AND「ばらひまわり」、TPS「霜月小夜曲(ノヴェンバーセレナーデ)」を流しておく。
 特別賞には上に挙げた各作品のほか、脚本や演出、美術、衣装、照明、音響などで(審査員提案で新たな賞の設定もあり得る)、弦巻楽団「テンプテイション」、WATER33-39「バッカス・マラカスは誰だ?」、札幌ろうあ劇団舞夢「舞夢のたまて箱」、東京タンバリン(東京)「ゼロから始める」、ミュージカルユニットもえぎ色「Teardrop」、きりがたりシアター、アイ★ワカナ博(「もえぎ色」以降の3作は私は見ていない)あたりの名が出てくるかもしれない。
 審査結果発表まで19時間余。はたして今年はどのカンパニーが栄えある大賞を受賞するのか。なんとも待ちきれなくて眠れない。あなたの予想はどうですか?
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ゼロから始める

 東京タンバリン(東京)「ゼロから始める」(作・演出高井浩子)を12月3日(土)、札幌・コンカリーニョで見た。
 あらすじはチラシから。
 とあるフランス語会話教室。ここでは少人数でフランス人による直接の指導が好評である。今回も新規受講者5名が参加。彼らはアットホームな雰囲気の中、仲もよくなっていく。そして男と女がお決まりの関係になり…。
 このカンパニーは初観劇。パンフレットには「いつもとはテイストの違うお芝居ですが、シリーズ化して欲しいとの声もあり、なかなか評判のよかった本作をご覧いただきたく初上陸いたしました」とある。
 なるほど、役者がそれぞれにせりふをリエゾンさせながら早送りで演技したり(リエゾンって、ほんとは違う意味なんだろうけど、なんとなく感じをわかっていただきたい。それぞれバラバラな言葉なんだけど、ほぼ同時に発声する感じです。ご容赦ください)、ある場面を巻き戻したり、ナレーションに役者が従わずに演技したりなどと、斬新な演出はすがすがしい。
 ただ、巻き戻し再現フィルム的演出は札幌劇場祭2006大賞受賞の弦巻楽団「死にたい奴ら」ですでに見ているので、既視感があったのは確か。
 むしろ、ある意味で観客の感情移入を阻んでいるかのような演出は、見ていて、潔いなと思った。全編を通して情に流されることがない。それゆえ、“いつものテイスト”も、ぜひ札幌で上演していただきたいと思ったものだ。
 ただ、物語半ばの、主人公笹本美月(ミギタ明日香)が携帯電話でフランス語でだれかと会話する場面は不要に思う。上演時間70分という短編なのに、あの場面があるだけで、残りがすべて私には予想され、その通りに終わって興ざめだった。別に、観客が探偵などと一緒に犯人を推理するミステリー演劇ではないのだから、すっぱり削ってしまってもいいと私は思う。むしろその方が不条理感が増すし、観客の観劇後のいらいらさ、割り切れなさが増してよいと思うのだが。高井の劇作はある意味で丁寧すぎるのかもしれない。
 個人的感慨を一つ。出演者の一人、青海衣央里はかつて弘前劇場(青森)に所属していて、たしか最後に札幌で公演したのはシアターZOOで中国人妻役だった。全編、せりふが中国語だった。それが、今回はおおかたフランス語。これぐらいの(必要に迫られての)勉強は道内演劇人にも望みたい。ちなみに私は彼女のファンで、弘前時代にサインをいただいた。ミーハーである。
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2011年12月02日

ハローグッバイ

 劇団パーソンズ「ハローグッバイ」(作・演出畠山由貴)を12月2日(金)、札幌・ことにパトスで見た。
 田辺麗子(佐藤愛梨)が切り盛りする「みなみ珈琲店」には多くの写真が飾られている。4年前に海外に行ったきりの思い人、カメラマン草太の作品。実は店自体、草太の母から受け継いだもの。麗子は写真を見ながら働き、草太の帰りを待っている。無愛想な高校生アルバイト北大路真(宮崎安津乃)がおり、常連客はロリータ・ファッションの笹野りか(工藤舞子)、ウエディングプランナー遠藤皐月(能登屋南奈)、麗子に横恋慕の池内謙二(鎌田大介)。ある日、真の高校の厳格な教師平岡成美(阿部星来)が客として訪れ、真は慌てる。校則でバイトは禁止されていた。だがそこで意外な展開が。麗子と成美は高校時代の同級生で、麗子は学級委員長、片や成美は「喧嘩上等、修羅場最高」が口癖のレディースの総長だったというのだ−。
 芝居はこの現在と、麗子と成美の高校時代を行き来して進んでいく。登校拒否の成美の世話係として担任教師岡田陽一(村上義典=客演)が指名したのが麗子。二人の間に細いながらも友情が芽生え始める−。
 札幌劇場祭2011も最終週(この作品は新人賞エントリー)。物語自体が大きな構えだったり、趣向を凝らした舞台装置だったりする作品が多い中で、この日常のなにげないありよう、心の移ろいを丁寧にすくい取るように描かれた芝居は、美術も下手に喫茶店、上手に教卓と机・椅子一組という最小限なものだったけれども、かえって新鮮に印象深く感じられた(物語全体の色彩こそ、ちょっと淡いかな、という感じがしたけれども。でも短所というまでではない。きっと特長になっていくものだろう)。高校時代のままに謹厳実直に前向きに生きる麗子と、あるきっかけから人生観が180度変わった成美の人生の交錯、対照がうまく表現されていたと思う(余談だが、ヤンキー先生とは本当にいるもので、私の釧路の中学時代の、万引はする、喧嘩はするといった、どうにも手がつけられないやんちゃ同級生男子がいま、高校教師をしているという。その話を聞いた時には信じられなかったなあ)。
 客演の村上は道内演劇界で私が最も注目している男優の一人で、やはり巧みだし華がある。岡田と麗子、成美のシーンでは会場からけっこう笑いも巻き起こった。
 パーソンズは昨年の札幌劇場祭で第1回公演を見て、2回目は見られず、ほぼ1年ぶりの観劇。畠山の、大上段に構えず、日常観察に題材を得ての目配りの利いた芝居作りは、女性ならではの繊細さも感じられ好感が持てる。劇団千年王國の橋口幸絵やintroのイトウワカナとはもちろん、また違った独特の感性の持ち主なんだろうな。このまま精進して上質な作品づくりを心がければ、きっと静かに心に染み入ってくる素敵な作品(それも、今まで札幌演劇界にはなかった感じの)をつくってくれそうな気がする。例えて言えば、原稿用紙何百枚の長編小説というより、30〜50枚程度の短編小説的な、という感じかな。期待して見守っていきたいカンパニーだ。
 楽日3日(土)は14時、19時開演。
posted by Kato at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする