2011年10月31日

リピート

 LyricaL BuLLeT(リリカル・バレット)「リピート」(作・演出谷口健太郎)を10月30日(日)、札幌・ブロックで見た。
 父一人、娘一人で暮らしていた科学系教授神崎優(谷口)と娘夏美(岡田怜奈)。久々の行楽に2人で出掛けようとしたところで交通事故に遭い、夏美は死ぬ。その娘への愛から作ったのがアンドロイドのエンジェ(岩杉夏)。しかしアンドロイド法の改正で、感情を持ったアンドロイドの排除、廃棄が決まり、神崎は弟子の安田(立川佳吾)にエンジェを託す。一方、神崎のライバル櫛灘(明逸人)は感情を持ったアンドロイドが動かなくなるプログラムを、自分の秘書アンドロイド(原田充子)を通じてエンジェにインストールしようと企む−(本当はもっと複雑で込み入った物語。わかりやすく単純化した)。
 谷健の芝居といえば台詞は絶叫系だし、照明グワーッ、音響ドヒャーッで、私はいつも引いてしまい、あまり好印象を持っていなかった。ただ、今回は抑制が効いていて、じっくり見ることができた。小さなエピソードもしゃれていて、心に染み込んでくるものがあった。
 ただ、題材、テーマとも既視感が拭えなかった(たとえば映画「ブレードランナー」)のが残念といえば残念。それでも丁寧な描写を積み重ね、希望のあるラストに感銘を受けた。
 札幌劇場祭(TGR)のトップバッターとして、おそらくは相当プレッシャーがあっただろうと思う。でも人気のあるカンパニーとして、その役目は十二分に果たしたのではないか。これからも熱狂系エンターテインメントの一方で、今回のようなしっとりと抑制の効いた物語をも紡いでいってほしい。
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少女仮面〜愛の亡霊〜・再観

 実験演劇集団「風蝕異人街」の「少女仮面〜愛の亡霊〜」(作唐十郎、演出こしばきこう)を10月30日(日)、札幌・アトリエ阿呆船で見た。22日(土)に見たものの再観だが、今回は宝塚の大スター春日野八千代を三木美智代が、甘粕大尉を李ゆうかが演じた別バージョン。
 演出も出だしとラストが前回とまったく変わっており(これは風蝕のオリジナル)、印象が違った。春日野は、細身の三木が男装の麗人を演じた今回の方がはまり役ではないだろうか。春日野に憧れる少女・緑丘貝を演じた丹羽希恵が短期間で、説得力をいっそう増していた印象だ。
 それにしても今年の風蝕はいずれも水準が高くてすごいなあと思う。12月には年末恒例のエロス全開(?)の芝居イベントが待つ。なんとも楽しみだ。
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2011年10月22日

少女仮面〜愛の亡霊〜

 実験演劇集団「風蝕異人街」の「少女仮面〜愛の亡霊〜」(作唐十郎、演出こしばきこう)を10月22日(土)、札幌・アトリエ阿呆船で見た。風蝕は意外にも唐作品は初挑戦なのだという。それが信じられないほど、我がもの、風蝕の世界にしていた。
 唐が1969年、鈴木忠志の早稲田小劇場に書き下ろした作品で、岸田國士戯曲賞受賞作。あらすじは…といっても、唐の作品だから荒唐無稽すぎて、あまりうまくは伝えられない。時空の移り変わりが広大なのだ。
 かつての宝塚大スター春日野八千代(李ゆうか、初演は白石加代子)の隠れ家でもある地下の喫茶店「肉体」。店内は、腹話術師(平澤朋美)と人形(富樫真衣)が座っていたり、水をくれとせがむ男(田村嘉規)が来たりと、不思議な空間。そこへ宝塚ファンの16歳の少女、緑丘貝(丹羽希恵、初演は吉行和子)と老婆(山谷義孝)が春日野に会いにやってくる。ボーイ(遠山達也)に邪魔されながらも、ようやく貝は春日野に認められる。「老いていく肉体」を刷新することへの渇望を貝に話して聞かせる春日野。折しも喫茶店のそばで地下鉄工事が始まった。そしてまた、そこはいつしか満州になり、春日野と旧知の甘粕大尉(三木美智代)が現れるのだった…。
 野田秀樹の「ザ・ダイバー」(今年5月、札幌・シアターZOO)で一皮むけた感のある李が演じた男装の麗人・春日野が圧倒的な闇の光を放つ(言語矛盾かな?)。それと対照的に明るい貝を、丹羽が可憐に生きていた。平澤の確かさ、三木の存在感、この二人が出ると、芝居全体がびしっと締まるなあ。
 ラストは、こしばらしく風蝕ならではの趣向も凝らしている(はず。以前、東京で見た時の終わり方ではなかった)。全体に唐の作品世界を大切にしながらも、風蝕としての味付けを忘れていない作劇だった。
 23日(日)は15時開演。
 また29日(土)19時、30日(日)15時開演は、李と三木が役柄を交代しての別バージョンとなる。これも見ものだろう。
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2011年10月17日

ラグ、水曜劇300回!

 シアター・ラグ・203(村松幹男代表)が毎週水曜日午後8時から上演している「ウェンズデーシアター(水曜劇)」が10月12日、本拠地・ラグリグラ劇場(札幌市南区澄川3の3)で300回を迎えた。1992年に旗揚げした実力派劇団で、水曜劇の開始は2001年3月。以来、盆や年末年始、劇団員総出演の本公演前や劇団員の仕事の都合などでできない日もあったが、10年半の歳月をかけて偉業を達成した。
 きっかけは代表の劇作・演出家村松幹男の「常に芝居を上演しているという環境を札幌につくりたい」「気軽に芝居に足を運べる環境を」との熱い思い。出演者1〜4人、上演時間は1時間前後の小品で、入場料も1000円と手ごろ。上演前には劇団員がいれるコーヒーのサービスもある。演目は2〜3カ月ごとに変わるが、これまで21ある作品群は内容の充実ぶりや面白さ、緊密さで、時に本公演を凌駕し、再演に再演を重ねているものもある。私が過去に見た中でも、孤独で疲弊したサラリーマンの白昼夢を描いた「りんご」や、都市生活にふと現れた夢幻をダンスも取り入れて魅惑的に表現した「Die Puppen Spiele(ディー・プッペン・シュピーレ=ドイツ語で「人形芝居」)」など、何度見ても飽きない素晴らしさであり、高水準だ。
 村松は水曜劇について、「劇団員は日常から芝居にかかわる意識が高まり、演技力も向上した」と言い、上演中の作品と次回作の稽古をぶっ続けで行い、深夜に及ぶこともあるという。「お客さんや地域の人には、常打ちの寄席のような感覚で見ていただければ」と、住宅街の一角にある劇場で行われる演劇の魅力を強調する。
 というわけで、第21弾はもちろん村松作・演出の「ングッ!!」であった。真海(湯澤美寿々)が自宅への闖入者(平井伸之)から小さな銀色の箱を渡される。「これをあなたに預けます。絶対に開けないでください」との言葉とともに。箱は叩いても熱湯をかけても冷蔵庫に入れても壊れない。ちょうどそのころ真海は脱サラし、友美(久保田さゆり)、厚子(斉藤わこ)の協力を得て、弁当屋を始める。しかし業績は思わしくない。謎の箱は真海の人生にとって、いかなる意味を持つものであろうか−というサスペンス。
 上演時間1時間40分程度と、水曜劇としては異例の長さで、正直冗漫に感じるところなきにしもあらずだったが、その長さが実は最後の開放感に生きてくるものだった。村松お得意のどんでん返しがあるかと思いきや…、いや、やめておこう。19、26の両日にも追加公演がある。
 ただ私は、先に書いた「りんご」の女性版のような味わいを感じたのだった。ぜひ、ご覧ください。
 この日は終演後、おめでとう会があり、劇団員とファンで会食したが、その時に村松自らが水曜劇300回達成の劇団代表を演じた寸劇が面白かった。観客がゼロの中でのショックの公演、観客1人という、やる側も見る側もなんとなく緊張する公演など、自虐的な内容ながら、さらに今後も続けていく強い決意表明の内容だった。本当に頑張っていただきたい。楽しみにしています。
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2011年10月02日

きみしかいない・再観

 劇団千年王國の「『きみしかいない』−Only you−」を10月1日(土)、札幌・コンカリーニョで再観した。初日は心の中で泣いたが、今回はラストシーンで本当に涙が出た。悲しいのではなかった。かすかな「希望」を受け取りましたよ、という涙である。
 初日に見ていただけあって、芝居がすんなり入ってきた。演出も微妙に変わっていて、ゆえに役者たちの立ち位置、台詞も少し変わっていた。それが良い意味で作用していた。さすが橋口である。
 なにより彦素由幸が素晴らしい。客演なのに、おいしいところをすべて持っていっている。私が涙を流し始めた、ラストの「ルールを変えます」以下の台詞は今年の芝居の出色ではないか。
 なのになぜか集客が少ない。先日亡くなったノーベル平和賞の女性の言葉を借りれば「もったいない!」。
 楽日の2日(日)は15時開演。ぜひご覧ください。
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