2011年08月29日

桐田郁と劇団アトリエ、さっぽろ学生演劇祭のことなど

 教文演劇フェスティバル(札幌市教育文化会館)の教文短編演劇祭が8月28日(日)に終わった。決勝戦はイレブン☆ナインが圧勝するだろうなと見越した上で、私があえて1票を入れたのは北大3年生、小佐部明広が主宰する劇団アトリエ。
 実は私には北海道新聞文化部演劇記者時代から今に至るまで、ある一つの夢がある。それは、“野田秀樹”を見つけたいという夢だ。つまり大学時代の旗揚げ、勃興期から、(もし人気が出て続いていれば)全盛期にまで至る、そのカンパニーのすべてを見たいという夢だ。
 私が文化部記者で演劇担当になった2001年ごろから、その思いは持っていた。朝日新聞記者だった演劇評論家扇田昭彦が野田を東大のアトリエ公演時代に発見したというのを知っていたからだ。
 私にこれまで、その可能性を最も抱かせてくれたのが、北海道教育大出身の桐田郁(かおる)。彼女の芝居は最初にアートスペース201で演劇集団・空の魚を母体にした「梯提案舎」(表記はこれで正しいか、舎が社かは覚えていない)を見たのが最初。彼女は道教大で障害児教育を学んでいたらしく、芝居が始まってから最後まで真っ暗闇の中で4人の男女が演じ、観客には全盲を感じさせるという斬新な芝居づくりなどをしていた(その後、この手法は札幌のアーティストなどが“アート”としてやったりするが、起承転結のある芝居としては明らかに札幌では彼女が最初だったと思う)。
 そして彼女が2003年に旗揚げした箔紐夢(はくちゅうゆめ)劇場。それは彼女が思いのままにさまざまな演劇表現を試した場所である。私もシアターZOO幹事として推薦し、歴代最年少でのリゼット・シリーズに乗ったのではなかろうか。
 彼女には本当に期待していた。彼女は橋口幸絵(劇団千年王國)に続く、さまざまな可能性を見せてくれる女性の劇作・演出家になるのではないかと思っていた(いま飛ぶ鳥を落とす勢いのイトウワカナは、まだ劇作・演出には手を染めておらず、役者オンリーだったと思う)。
 それがある公演で、ことにパトスに見に行ったら、「加藤さん、実はこれがラストステージなんです」と彼女。彼女は詳しくは言わなかったが、幸い良いところへの就職が決まったようだった。私は「とても残念だなあ」と返すのが精一杯だった。
 と、実は彼女は教文演劇フェスティバルの一番近くにいる。その実施施設で働いている。当時は髪が短くてちょっとボーイッシュだったのが、すっかり大人の女性らしさを増して、近寄りがたい、本当に美しい女性になっていたからびっくりした、失礼ですよね。それだけ、劇作・演出作業からは離れきって、心にも体にも余裕が出来たということであろうか(橋口、ごめん。君も立派に素敵だよ)。
 俺はいまあえて桐田に言いたい。障害者の痛みを演劇の形で具現化し私の心を一発で射貫いたあなたの今の心情を、芝居の形で再び見たい。5年、いや10年先でも待っています。あなたの素敵な芝居、表現が見たい。「3・11」後の今こそ、と。
 で、劇団アトリエである。小佐部に聞くと、彼も所属する北大公認演劇サークル、劇団しろちゃんには実は80人もの人がいるとのことだ。大学演劇というと、近年は「大泉洋さんや、チームナックスの後輩になりたい」というのを理由に北海学園大演劇研究会に入る人が多いそうだが、劇団しろちゃんにこれほどの人数が所属しているとはまったく知らなかった。びっくりした
 ただ、小佐部はしろちゃんとは一線を画し、将来的にずっと演劇をしたいがためにアトリエを今年旗揚げしたそう。旗揚げ公演「悪いのは誰だ」(当ブログ4月3日付)については私も高く評価した。
 それで桐田の今とも関連するのだが、小佐部は演劇を続けたいがために、いま独立して開業出来る資格試験の勉強中だそうだ。けれど、「大学を卒業したら、どれだけの人がアトリエに残ってくれるのか」と、それも心配だという。「大丈夫。素晴らしい芝居をしていたら、やめていく人あれば入る人あり」と言ってもあげたいのだが、こればっかりは無責任なことは言えない。
 教文演フェス交流会で、私は小佐部に尋ねた。「私はいま46歳で、東京の大学時代に芝居を見始めたころ、同じ大学の第三舞台が初めて本多劇場とか紀伊國屋ホールとかに進出したり、野田秀樹の夢の遊眠社が全盛期だったり、渡辺えりの劇団300が元気だったり、上を見れば、別役実とか太田省吾、唐十郎とかが斬新な芝居をしていたりして師と仰ぐ人には事欠かなかったんだけど、小佐部くんにとって、それは今だれ?」。小佐部は言った。「それが、野田秀樹だったり、平田オリザだったりなんです」。それも学生ゆえ恒常的に金欠で東京まで行って生で見ることはなかなかかなわず、ビデオ視聴が多いのだという。
 これは北海道という辺境の地に生きるものの宿命でもあるが、実は私も同様に抱える、現代を的確に照射する小佐部と同世代の同時代演劇人が少ないのではないか、という問題意識にも通底するのだ。
 ここで小佐部に提言。君が長いスパンで考えている演劇生活。ここは一つ、1〜2年くらい、チェルフィッチュなどに中央(いわば東京ですね)に影響されることなどなく、かえって逆にとことん「北海道」を意識した芝居作りをしてもいいんじゃないかな。それが逆に中央を照射する可能性もあるんだし。それをどう発表していくか、その方法論については、私も北海道演劇財団の平田修二専務理事もいくらでも相談に乗るよ。
 で、札幌圏の大学生による「さっぽろ学生演劇祭」である。今年は11月11日(金)〜13日(日)、新さっぽろのサンピアザ劇場で上演される。で、びっくりしたのは先の劇団アトリエのメンバーに、昨年、小佐部が作・演出した「ハイパーリアル」に出演したことが縁で入団したという北海学園大の女優がいたことだ。学園大といえば、先に書いたように「チームナックスの後輩になりたい」という人が多数だと思っていた。それが、こうして学生演劇祭を機会に、大学の垣根を越えたカンパニーができはじめている…。これは、この企画の当初から知っている私にはうれしいことだし、驚きも驚きだ。
 「私は大学の演劇部にいますけれど、どうも先輩の作・演出にはついていけないし、そもそも惹かれない。でも新たな出会いを求めています」という大学生にはチャンスではないだろうか。パソコンでは「さっぽろ学生演劇祭」の名で検索すればヒットするので、ぜひ見てみていただきたい。
 と、先日、美しい女性になってしまった(いや、結局は元が良いんだけどね)、つまり遠くへ行ってしまった桐田郁嬢と偶然出会ったのをきっかけに、札幌の若者と芝居について、論文ならぬ論文を原稿用紙7枚分書いてしまった。ではまた。
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教文短編演劇祭2011決勝戦

 教文演劇フェスティバル2011の最後を飾るメーンイベント、「教文短編演劇祭2011」の決勝戦が8月28日(日)、札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。4カンパニーの中では抜群の知名度と人気、実績(札幌圏)を誇る、前回初制覇のイレブン☆ナイン(札幌)がどれだけ他を引き離して防衛するか、おそらくはそれだけが興味だろうなあと、私などは予想していたのだが、果たして結果は−。
 短編演劇祭は1カンパニーが20分の持ち時間で短編演劇を上演し、観客投票で競い合うもので、本年度で4回目(会場では参加が3カンパニーだけだった1回目はカウントせず、今回で3回目と案内された)。予選は26(金)、27(土)の両日、応募のあった道内外13カンパニーから戯曲の公開審査会で選ばれた8カンパニーが2組に分かれ、それぞれ競った。各日、観客投票を最も集めた1カンパニー、計2カンパニーが勝ち残った。
 決勝戦のみのゲスト審査員として劇作家・・俳優の佃典彦、HTBテレビ番組「水曜どうでしょう」初代プロデューサー土井巧の両氏が加わったが、両氏とも持ち票は一般観客と同じ1票ずつ。これはある意味で実行委の英断であろう。
 4カンパニーの作品概要と観客投票の結果を上演順に記す。上演順は前日の予選2日目終了後に、代表者のじゃんけんで勝ったカンパニーが好きな順番を選んだ。
 Words of Hearts(札幌、予選2日目トップ)「そそのかされて」(作・演出町田誠也)。仲むつまじそうな夫婦だが、夫は浮気相手にそそのかされ、妻を殺そうとしていた。いざ実行しようと妻の食事に毒を盛るが、お隣さんや謎の中国人、借金取りが現れて、なかなか事は進まない…。6票。
 イレブン☆ナイン「俺はジャッジャー!!」(作納谷真大、演出イレブン☆ナイン)。テレビ番組のヒーローに対抗し地球制覇を狙う悪の一味ショッカーの撮影の一日。演技へのこだわりとか、撮影自体への嫌悪感などでなかなか進まない。そこへ名案が…。202票。
 短編演劇祭として“兄貴分”の劇王(愛知県長久手町)で4連覇中の劇団あおきりみかん(愛知県)「合戦」(作・演出鹿目由紀)。彼氏とデート中、突如、私の中に織田信長が生まれた彼女。さまざまな幻想と闘いながら、本来の自分を取り戻していく。そして彼氏とあらためて向き合って…。36票。
 劇団アトリエ(札幌、予選1日目トップ)「みんな☆おんなじ!」(作・演出小佐部明広)。出てくる男女がみな同じ、どうでもよい台詞と意味不明の動きをする若者たち。ある時、1人の女性がグループから抜け出したいと言い出し…。伝染していく台詞と動きがチェルフィッチュ(横浜)の「三月の5日間」(作・演出岡田利規)を連想させた(ちなみにこの点は佃氏も講評で指摘し、交流会では小佐部本人が私に影響を認めた。でも私が投じた1票。小佐部はきっと素晴らしい作品を今後に創ると確信している)。40票。
 というわけで、イレブン☆ナインと劇団あおきりみかんは、かぶり物、コスプレ頻出という点で共通し、初代札幌チャンピオンである劇団怪獣無法地帯(札幌)をも連想させたが、同地帯の棚田満代表も「映像まで使ってあそこまでやれば、すごいとしか言いようがない」とイレブンに脱帽していた。
 おめでとう、イレブン☆ナイン!
 優勝賞品はチャンピオンベルト(手作り)と、劇王への招待公演権、来年度決勝シード権、来年度教文小ホールでの作品上演権と豪華だ。
 ちなみにラストの交流会、乾杯のあいさつに立ったイレブンの納谷は「このルールである限り、ずっと勝ち続けると思う」と、なんならちょいちょい掛かってこいという感じだったが、怒りに燃える北海道演劇人はおられるだろうか? 私は納谷にも刺客にも期待する。
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2011年08月27日

風蝕版 銀河鉄道の夜

 実験演劇集団「風蝕異人街」の「風蝕版 銀河鉄道の夜」(原作宮沢賢治、構成・演出こしばきこう)を8月27日(土)、風蝕の本拠地である札幌・アトリエ阿呆船で見た。妖しかったり、おどろおどろしかったり、はたまた女優がニップレス姿で踊ったり…という諸作品を見てきた風蝕にしては考えられない“健全さ”にびっくり。小さなお子さま連れでも安心して見られる芝居だ。
 そして、ここが何よりも肝心な点だが、「3・11」を経験して何ものかを失った人たち(それは死者にも生者にも)への「祈り」がある。こしばはパンフレットの演出ノートで「(加藤注・風蝕がよく上演する)寺山修司の作品と宮沢賢治の作品の共通点は、どちらにも他者に対する『祈り』がある」と書いている。原作に忠実に演出したなら上演時間2時間近くになるはずのものを1時間10分ほどにエッセンスをぐぐぐっと凝縮した、「準団員」による「新人公演」だが、「素直で正直な『さいわい』をとどけたい」(演出ノートより)との思いがひしひしと伝わってきて心に染みた。
 なにより構成が斬新だ。「銀河鉄道の夜」といえば、教室で先生(山谷義孝=これを含め5、6役の活躍ぶり)がジョバンニ(丹羽希恵)やカムパネルラ(遠山達也)、ザネリ(丸山晃奈)、ペンペル(三浦千絵、私は原作でこの子の名前・存在をあまり印象にとどめていないが…)に「銀河」を教える場面から始まるのが通常だが(北村想「想稿・銀河鉄道の夜」はどうなのか、私は見ても読んでもいないので不明)、なんとそれがラストシーンにくるのだ。それだけでも、原作を読んだことのある人には驚きだろう。
 で、冒頭はといえば、宮沢賢治(山谷)が1人やって来た岩手の町に先の子どもたち4人が来て、「私たちはあなたの思い出です」と言う。「23年前の3月11日、あなたの妹さんが水に流されるまで暮らしていた、あなたの思い出です」と(私自身が思い出しながらの記述なので、必ずしも忠実ではないが…)。そう、これは熱烈な賢治、また原作信奉者には眉をひそめられるかもしれないが、風蝕・こしばお得意のメタシアター(簡単に説明すれば「演劇に関する演劇」)構造で構成される。
 その後、本編が始まると、原作通りのところがあるかと思えば、銀河鉄道にはジョバンニとカムパネルラだけでなく、ザネリとペンペルも乗車していたりと、驚く箇所がいくつかある。言わば原作のエッセンスを抽出し、それを文字通り再構成した感じ。だが、破綻はしていない。手際が実に巧みなのだ。
 何より感じたのは、本編に入ると、とかく感傷的な情緒に流れがちな演出が他のカンパニーでは多々見受けられる場面がそうは流れず、かえって淡泊とさえ言えるほどにあっさりとした事実の描写が続く。それは、感傷とはいったん距離を置き、情緒的に流れがちなものを注意深く摘み取ったのではないかと思えるほどだ。
 そしてこの、おそらくはこしばの意識的な方法論が、芝居が進むにつれて生きてくる。冒頭の孤独な、23年前の3月11日に愛する妹を水に流されて喪った賢治の絶望的な眼差しや姿が、淡泊とさえ思える演出の物語の進展の中で、見ている私の中で何度もフラッシュバックするのだ。カムパネルラを喪った、でもどこか明日への希望をも感じさせる丹羽演ずるジョバンニの姿を見ていて、冒頭の賢治の希望のかけらも残されていないような姿が反射鏡のように思い出されてくるのだ。そしてその賢治に対して、私は祈らずにはいられなくなったのである。
 こしばが私のこうした鑑賞、受け取り方、一つの見方を意図して狙ったのかどうかは分からない。だが、私の「3・11」被災者・死者への決定的な無力感を思い知らされ、それでも祈らずにはいられない心持ちをかき立てられた、そうした一つの演劇に仕立てられた作品は、大震災後半年近く経ってようやく、初めてではなかろうか。
 こうした芝居は、表面的に感傷的でも情緒的でもない分だけ、あとからあとからじわりじわりと心の奥に効いてくるのである。
 先にも書いたように、山谷が八面六臂の活躍ぶり。丹羽は長かった髪をばっさり切って金髪に染め、よく通る声でジョバンニを生きていた。
 ラスト(原作通りなら冒頭場面)、カムパネルラだけがいない教室での丹羽ジョバンニの独白は切ない。この斬新な「風蝕版 銀河鉄道の夜」ならではの名場面の誕生である。
 この芝居はなんとも惜しいことにわずか2公演のみ。楽日28日(日)は15時開演。
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教文短編演劇祭2011予選2日目

 教文演劇フェスティバル2011の最後を飾るメーンイベント、「教文短編演劇祭2011」の予選2日目が8月27日(土)、札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。
 冒頭、齊藤雅彰・同フェス実行委員長が、前日の予選1日目で約20人の観客からの投票券の回収漏れがあったことが判明したと報告し、陳謝。ただ、この約20票を加えても1位の劇団アトリエの獲得票には及ばないことから、アトリエのトップ、勝ち抜きは有効と説明があった。
 また、前日なんらかの事情で未集計だった票数を加えた予選1日目の公式結果は、劇団アトリエ73票、劇団天然ポリエステル31票、TUC+KYOKU30票、ふかがわ市民劇団in11が19票と掲示があった。これにより天然ポリエステルがTUC+KYOKUを抜いて2位になった。
 以下、予選2日目の4カンパニーの作品概要と観客投票の結果を上演順に記す。
 パセリス(東京都)「まずは二人」(作・演出佐々木拓也)。喫茶店で1人の男を待つ2人の女。実は二股をかけられていた相手同士、きょうこそどちらかを選んでもらう日だ。だが男はなかなか来ない。そこへもう1人、別の女が現れて…。7票。
 yhs(札幌)「救急」(作・演出南参)。原因不明の腹痛で「救急病院」と書かれた病院にやっとの思いで辿り着いた1人の女。だが男性医師や女性看護師たちは合コンの話などに一生懸命な上、聴診器もなくしたとかで、まともな対応をしてくれない…。57票。
 Words of Hearts(札幌)「そそのかされて」(作・演出町田誠也)。仲むつまじそうな夫婦だが、夫は浮気相手にそそのかされ、妻を殺そうとしていた。いざ実行しようと妻の食事に毒を盛るが、お隣さんや謎の中国人、借金取りが現れて、なかなか事は進まない…。58票。
 ヒトリコト(札幌)「アイランド」(作・演出内田佳音)。散歩でもしているかのような1人の女性。そこにたくさんの靴が投げ入れられた。やがてもう1人、不思議な女の子が現れて…。女性の心象風景をスケッチしたような小さな小さな物語。12票。
 というわけで、前日のぶっちぎり勝ち抜きとは打って変わって、わずか1票差で、Words of Heartsが決勝戦に駒を進めた。
 28日(日)の決勝戦(14時開演)で、劇団アトリエとWords of Heartsは、前回の覇者イレブン☆ナイン(札幌)と、短編演劇祭としは“兄貴分”の劇王(愛知県長久手町)で4連覇中の劇団あおきりみかん(愛知県)と優勝をかけて争う。
 それにしてもなんだか今回は前回に比べて観客が少ないなあというのが予選2日間の実感。決勝戦はぜひ満席の中で雌雄を決してもらいたいものだが。
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2011年08月26日

教文短編演劇祭2011予選1日目

 8月4日(木)から行われてきた教文演劇フェスティバル2011の最後を飾るメーンイベント、「教文短編演劇祭2011」の予選1日目が8月26日(金)、札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。
 短編演劇祭は1カンパニーが20分の持ち時間で短編演劇を上演し、観客投票で競い合うもので、本年度で4回目。予選は26、27(土)の両日、応募のあった道内外13カンパニーから脚本の公開審査会で選ばれた8カンパニーが2組に分かれ、それぞれ競う。各日、観客投票を最も集めた1カンパニー、計2カンパニーが28日(日)の決勝戦で、前回の覇者イレブン☆ナイン(札幌)と、劇王(愛知県長久手町)で4連覇中の劇団あおきりみかん(愛知県)と優勝をかけて争う。
 優勝賞品はチャンピオンベルト(手作り)と、劇王への招待公演権、来年度決勝シード権、来年度教文小ホールでの作品上演権と豪華だ。
 以下、1日目の4カンパニーの作品概要と観客投票の結果を記す。
 ふかがわ市民劇団in11(深川)「ブラゾン、ダラゾン。」(作佐々木和美、演出桜庭忠雄)は男女1組の芝居。レストランを舞台に、男女とも、人間ともアンドロイドとも最後まで分からない不思議な未来社会の一断面を描いた。18票。
 劇団天然ポリエステル(埼玉県)「科人(トガニン)」(作・演出高原フヒト)。子どもたちを助けられないと自信を喪失したアンパンマンとドラえもんが病院に受診に来るが、そこの男性医師と女性看護師は不倫関係で…というコメディー。29票
 TUC+KYOKU(札幌)「朝においしい紅茶をどうぞ」(作橋本一兵、演出滝沢修)。首のない幼女の遺体が発見され、テレビ報道もかまびすしいある町の朝、母と息子が住む家に、その母の妹がやって来て朝食を一緒に取るが…という不条理劇。息子に人形を使い、不条理感が高まっていた。30票。
 劇団アトリエ(札幌)「みんな☆おんなじ!」(作・演出小佐部明広)。出てくる男女がみな同じ、どうでもよい台詞と意味不明の動きをする若者たち。ある時、1人の女性がグループから抜け出したいと言い出し…。伝染していく台詞と動きがチェルフィッチュ(横浜)の「三月の5日間」(作・演出岡田利規)を連想させた。72票。
 というわけで、劇団アトリエが圧勝し、決勝戦に駒を進めた。
 27日(土)の予選2日目は14時開演。
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2011年08月20日

マーブル2011 ハシビロコウのように・情報追加

 前項で末尾に書き忘れていました。
 コンカリーニョ企画、劇団イナダ組「マーブル2011 ハシビロコウのように」、楽日の20日(土)は14時と19時開演。
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2011年08月19日

マーブル2011 ハシビロコウのように

 コンカリーニョ企画、劇団イナダ組「マーブル2011 ハシビロコウのように」(作・演出イナダ)を8月19日(金)、札幌・コンカリーニョで見た。
 1994年初演(イナダが33歳の時)で、98年、2003年と再演された「マーブル・テーブル・トラブル」の改訂版で、今回はイナダ組所属の俳優は主役の上總真奈だけという大胆な配役。結婚を控えマリッジブルーに陥った女性とそれを取り巻く恋愛模様を描いた女優主体の芝居だ。
 私は03年版を文化部演劇担当記者時代に見て、面白くて観客に考えもさせる、よく出来た芝居だったとの印象が今でも残っている。だが、劇評を書いた記憶はない。土日は休みなので、月曜に出社したら記事データベースで検索してみるが、たしか書いていないはずだ。そう、あの時の私には書けなかったのだ。
 三十路を目前に結婚が決まった月山あかね(上總)。相手は交際6年になる35歳を過ぎた堅実なサラリーマン西尾康平(太田真介)だ。だが、あかねはマンションに一人でいた時、かつて憧れていた、今は半年アルバイトし半年世界中を旅している坂安岐亮(黒岩孝康)が風呂を貸してくれとひょいと訪れてからというもの、結婚に際して「不安ではないが、何かが足りない」との思いが湧き出し、自室に閉じこもってしまう。マンションに同居する、4年生大学卒業間近だが漫画の同人誌作りに忙しい妹めぐみ(山崎亜莉紗)も心配になってくる。
 いよいよ結婚式3日前という日、あかねの大学時代の友人2人、結婚して子どもと姑もいる守口佐恵子(福地美乃)、バツイチで5歳下の男と再婚した小原薫(イトウワカナ)が説得工作に来る。そこへめぐみの漫画同人誌仲間でゴスロリ衣装の広瀬理沙(森田亜樹)も来てひと騒動。
 いつしか自室を出てきたあかねに、実は西尾を好きなめぐみは「西尾さんを好きでもないなら結婚なんかしなければよい。自分の生きたいように生きるべきだ」と言い放ち、あかねは「あなたが西尾さんを好きだからそんなことを言うんでしょ。私は自分がつまらなく、かなしく思える。結婚はする。でも、もう夢は見ない」と言葉を返す。そして最後にあかねはある決断をする−。ちなみにハシビロコウとは、坂安岐があかねを称して言うアフリカ・ウガンダの湖にいたアホ面の鳥だ。
 イナダによれば、初演から大筋は変わっていない。ただ表層的なことを挙げれば、あかねのマンションの居間の装飾に「萌え系」のポスターやフィギュアが使われていたり、「KARA」とか「少女時代」とか韓流が台詞に紛れ込んできたぐらいだろう(劇場配布のパンフレットで、今回の再演についてイナダは「私の芝居にたいする考え方、捉え方の変化」とだけ書いている)。
 宣伝チラシには「適齢期の女性すべてに贈る」とあるが、はたして女性はこの芝居をどう見るだろう。初演の94年から17年が経ち、現実社会の晩婚化は顕著になった。その現実の変化とこの芝居の改訂版をどう捉えるべきだろう。もちろんそれは観客一人ひとりによって違うだろう。「あかねの選択、分かる」という人もいれば、「私ならそうはしないな」という人もいるだろう。そして私はといえば、西尾に自分を重ねた上で、深く考えてしまうのだ。答えの出ない問いを生きて続けてしまうのだ。その意味で、この作品は、男と女、結婚という制度がある限り、末永く再演に耐えられる内容だと思う。そしてその点で、私は03年版の劇評を書けなかったのだと今にして思う。
 上總、山崎が姉妹の葛藤を誠実に生きていた。それを十分に認めた上で、やはり福地(yhs)とワカナ(intro)の掛け合いは最高! 他の劇団から人選し出演依頼したというコンカリのプロデューサー小室明子の慧眼に拍手を贈りたい。彼女ら2人に、おそらくは同世代と思われる榮田佳子(千年王國)を加えたならば、東京を中心に活躍する演劇ユニット「グループ る・ばる」(松金よね子、岡本麗、田岡美也子の演技達者3人で86年結成。永井愛らの作による名作が多数ある)にも匹敵する女性ユニットが期待できるのではないだろうか。
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2011年08月12日

親の顔が見たい

 札幌市中学校文化連盟演劇専門委員会主催「5日間で作る『親の顔が見たい』演劇ワークショップ発表公演」の「親の顔が見たい」(作・演出畑澤聖悟)を8月12日(金)、札幌・シアターZOOで見た。札幌市内8中学校の男女生徒13人による熱演で、その内容が真に迫っていて、私は心の底から怒りがこみ上げてきた。つまりそれだけ物語が突き刺さってきたということで、参加した中学生たちの演技が素晴らしかったということだ。
 畑澤は青森市で公立高校美術科教諭の傍ら、劇団「渡辺源四郎商店」(通称なべげん)を主宰する実力派の劇作・演出家。高校演劇部顧問としては、従来型の「高校演劇」の枠を大きく逸脱したユニークな作風で、「修学旅行」、「河童」で全国高校演劇発表会で最優秀賞を受賞している。ZOOでの中学生を対象にしたWSは3年連続3回目で(過去2回の題材は「修学旅行」「河童」)、年々参加希望者が増加、今年は80人をオーディションし13人を選んだ。そういえば、6月のTPS「蟹と彼女と隣の日本人」の韓国、道内ツアー全日程終了後のお疲れさま打ち上げ会の日がオーディションの終了日で、畑澤も酒席に顔を出し、そのまま23時ごろの夜行列車で札幌から青森に帰ったということがあったっけ。実に精力的な人だし、誠実な人だ。その酒席で私と畑澤は同年齢、同学年ということが分かって、いっそう親しみが湧いた。
 「親の顔が見たい」は、中学2年生の女子生徒が学校で首つり自殺。担任の女性教諭や親切にしてくれていた女生徒らにその晩、“遺書”が届く。いじめをしていたらしい女生徒5人が学校に集められ教諭から事情聴取を受ける一方、5人の親たちも学校に集められ校長らから説明を受ける−という内容。上演時間1時間10分超。ちなみに女生徒5人は舞台には登場しない。
 その親の会であらわになるのは、ひたすら娘かわいさでいじめなどなかったと保身に走る親や、“遺書”を燃やしてまで証拠隠滅を計る親など、「この親あってこそ、この子あり」とでも言いたくなるような身勝手な大人たちの姿だ。それが、きょうの発表公演では、中学生が親や教諭らを演じているのに、自然で真に迫っていて、それで私は本当に胸くそが悪くなったのだ。言葉自体は汚いけれど、それはこの場合、最大級の賛辞だ。
 発表公演は13時からと15時からと2回行われたのだが、私と同様に大人たちの横暴さ、身勝手さに胸くそが悪くなった人、中学校演劇部員たちは多かったのではないか。ラストは「生きていかなければね」という、ある女生徒の両親のチェーホフを連想させるセリフで終わるのだが。
 畑澤の薫陶を受けた中学生たちがどんどん育つ。畑澤の指導ぶりから自分も何かを得ようと、札幌の中学校の演劇部顧問の教諭もいっそう努力するだろう。こうしてみんなが高め合えていけるのは、とても悦ばしいことだなあ。
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2011年08月06日

さようなら・書き漏らし

 前項「さようなら」で書き漏らしがありました。
 最終段落の一説を「ひょっとして内閣官房参与として参画している『最小不幸社会』を目指している菅直人政権へのエール?!」と訂正します。
 なお、アンドロイドの演技自体にはあまり触れていませんでしたが、まさに人間そっくりで手に触れてみたいほどの質感が遠目にも感じられたし(冷たいんだろうか、温かいんだろうか、触ってみたかった!)、台詞の口パクもなかなか巧みで、温もりが感じられました。
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さようなら

 北海道文化財団アートゼミ事業 アンドロイド演劇「さようなら」(脚本・演出平田オリザ=青年団、石黒浩研究室=大阪大学&ATR石黒浩特別研究室)を8月6日(土)、札幌・cube gardenで見た。上演時間約20分の芝居「さようなら」の後に、平田と大阪大教授石黒、北大教授小野哲雄によるトークセッション「新たなコミュニケーション/表現の可能性」が行われたのだが、私は観劇するとすぐに、シアターZOOへ「夏のシアターZOO寄席」(桂枝光・三遊亭竜楽二人会、聴き応え十分)を聴きに行くために退席して、トークは傍聴できなかった。往々にして“見もの”“聴きもの”はかち合ってしまう。この日もまさにそうで、なんとも残念無念だった。だが考えようによると、現代の技術の最先端である「アンドロイド演劇」と、400年からの歴史がある職人芸の「落語」をわずか30分後に連続して楽しめたとはなんと贅沢なことか。ものは考えようなのである。
 「さようなら」は死の淵にある女性(ブライアリー・ロング=青年団)と、彼女の父親が買い与えた女性型アンドロイド「ジェミノイドF」(動き・声井上三奈子=同、ロボット側ディレクター力石武信=大阪大石黒浩研究室)の“二人芝居”。ジェミノイドFは谷川俊太郎やアルチュール・ランボー、若山牧水、カール・ブッセらの詩や短歌を暗唱し、死への心の準備をせざるを得ない女性を和ませ、癒やす。
 トークは傍聴できなかったので、ここからは私の感想、思いにすぎないが、まず思ったのは、我が青春の米国映画「ブレードランナー」(1982年)の未来図がとうとう訪れたか、ということだ(映画での「アンドロイド」の呼び名は「レプリカント」。あの映画の設定年は2019年で、実はあと10年もない)。
 そして、これは平田がこの芝居を創るうえで意図したことかもしれないが(トークでは話題になっただろうか)、アンドロイドが人間と共生するならば、この芝居のように人間の心にやさしく寄り添うものとしての存在が望ましいということだ。例えばそれは今はある人たちにとっては犬や猫に代表されるペットという存在だろう。
 さらに言えばアンドロイドには、人が大切な人を喪ったときの代替存在としての重みもあるだろう。喪った子ども、親、つまり家族、そして友人、恋人、愛する人たち−。そうした人たちの記憶や言葉、動作をアンドロイドに託して、人は人として掛け替えのない自らの唯一の生を補完し、充実させていくのではないかということだ。
 というわけで、柄にもなく、人生観までも考えてしまった。
 ところで劇中、アンドロイドは「面白いですね。(中略)日本人は、寂しさのない国を捜します。ドイツ人は、幸せのある国を捜します」と言うのだが、これは平田が引用した若山牧水、カール・ブッセの短歌、詩からの連想の広がりからくる自然な言葉で、平田が単にそうした短歌や詩を引用しているからではないかと率直に思った。ひょっとして内閣官房参与として参画している菅直人政権へのエール?!なんて、ちょっと吹き出しそうになったのはうがちすぎか。いま、2011年3月11日以降は、どこの国の人より、日本人は幸せのある国を捜していると思うのだが。こう書くと不謹慎かなあ。
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2011年08月02日

A Vital Sign ただちに犬

 観劇から2週間が経つが、東京から帰って翌日の7月19日(火)に札幌・円山公園自由広場特設“犬小屋”テント劇場で見た劇団どくんご(鹿児島)「A Vital Sign ただちに犬」(構成・演出どいの)は迫力あるナンセンスで、その面白さが心から消えない。観劇仲間が「まるで、おもちゃ箱をひっくり返したよう」と、その形容しがたい娯楽を巧みに表現したが、なるほど言い得て妙であると思ったことだ。
 昨年は東京観劇中で見られなかったのだが、一昨年の「ただちに犬 Delux」(当ブログ2009年8月7日参照)をほぼ継承した内容。「内容」といっても、死んだ犬(ぬいぐるみ)を殺したのは誰かについて、出演の男女各3人が「犯人はお前だ!」と言い合うことを軸に、役者1人ずつがパフォーマンスを競演する芝居で、物語の明確な筋といったものはない。ただ、役者の飛び散る汗と唾、全身から立ち上がる湯気、縦横に動き回る肉体で見せる、見せきる芝居だ。その意味では、物語の前後の脈絡はどうあれ、「今」という時の掛け替えのなさを見る者に感じさせる、演劇の原点の一つのあり方に近い舞台だとも言えよう。
 09年の項でも書いたが、五月うかと私は故郷釧路で小中高と一緒。小学校と高校では同じ組だった。彼女が演ずる“人魚姫の伝説”は巧みでリリカルな上出来の一人芝居だ。
 12(金)、13(土)の両日は釧路・栄町公園での公演。五月は故郷での凱旋だけに、いっそう磨き上げた動きを披露することだろう。
 また来年も円山公園で会おうね!
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