2011年07月24日

熱帯樹

 実験演劇集団「風蝕異人街」の「熱帯樹」(作三島由紀夫、演出こしばきこう)を7月24日(日)、札幌・シアターZOOで見た。「和」の様式を取り入れた作劇で、役者たちの入魂の演技もあり、見応え十分の力作だった。
 それにしても今年の風蝕はすごい。会場配布パンフレットと当ブログを参照すると、1月と6月を除いて毎月、大小の作品をなにかかにか上演することになっているのではないか。しかも芝居への向き合い方がストイック。総じて水準も高い。本当に加速度がついたかのようにすごい。
 舞台前面に木の葉が敷き詰められ(最前列に座った私には緑の良い香りがした)テラスを表現し、瀟洒な洋館の雰囲気を醸し出す。その一段高みにテーブル、さらに真正面奥にもう一段高くなってベッドという、簡にして要を得た舞台装置だ。
 恵三郎(今井尋也=Megalo Theatre)と妻・律子(三木美智代)、兄・勇(吉松章=同)、不治の病で死を意識している妹・郁子(宇野早織)の一家。妻は溺愛する勇をそそのかして富豪である夫を殺そうと企む。それを察知した郁子は愛する勇に母殺しをそそのかす。郁子を愛する勇は兄妹相姦から、やがて心中へ。その一家の妖しい人間模様を、恵三郎のいとこで未亡人の信子(平澤朋美)は家政婦的に働きながらじっと見つめている−。
 冒頭、今井が小鼓を打ち、吉松が能舞を舞う(この時の衣装は古典芸能そのもの)。「和」の手法が積極的に生かされて様式美を強調する。そうなのだ。私が今年になって、こしばの演出する劇作が良い意味で分かりやすくなったと実感するのは、こうした「和」の手法で様式化することによって、見る側にとってのある種の導きとなっているからなのだ。だが、それは見る側をお仕着せで拘束しはせず、あくまで解釈が開かれているから、見る側の想像=創造は広がるのである。
 そして考えてみれば、昨秋ごろからの上演作は、それが次の作品の予告編ででもあるかのように、数珠つなぎのように連関して次の演劇の魅力の世界へ観客を誘ってきているのだ。その意味では確信的な作品選択に間違いがないということでもあろう。
 物語は全てが終わった後に、今度は心中を果たしたかのような全裸で後ろ姿の勇と郁子を後景に、律子が恵三郎の小鼓で舞う。「ザ・ダイバー」(5月22日付参照)に続いて、三木の本領発揮である。
 宇野が全裸を持さぬ渾身の女優魂を発揮して実に魅力的。この作品に懸けて、確実に一皮むけただろうと私は思う。「家政婦は見た」的な役柄だった平澤も、地味ながら重要な役どころで渋い個性を生かし切った。
 思うに今の風蝕は、看板女優三木を追って、平澤と宇野、今回は出演しなかったが「ザ・ダイバー」で主役を張った李ゆうかが切磋琢磨してお互いを高め合っている。跡目争いなどといった下世話な世界とは全く違うが、平澤ら“三羽がらす”の芝居への真摯な向き合い方、その切り結んだ先に見えてくる説得力のある演技が、他のカンパニーでは信じられない上演数をこなしながらも、それぞれの作品の質を落とさない、むしろその向上につながっているのではないだろうか。
 8月27(土)、28(日)両日は宮沢賢治原作「風蝕版・銀河鉄道の夜」、9月24(土)、25(日)両日は寺山修司作「大山デブコの犯罪」、10月29(土)、30(日)両日は唐十郎作「少女仮面」、11月26(土)、27(日)両日は高取英作「聖ミカエラ学園漂流記」(これは私、個人的にエロスに期待大です)と、本拠地・アトリエ阿呆船での公演を控える。なんともすごいことで、楽しみでならない。
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2011年07月21日

訂正ではないけれど…

 訂正ではないけれど…、自分で読み直すと、どうにもやっぱり変なので、はっきり書いておきます。
 前項のうち「ベッジ・パードン」部分で、最初は野村萬斎とフルネームで書いていたのが、次からは「野村」「野村」…。
 これはやはりおかしいですね。つまり、古典芸能の方は、例えば落語で言えば柳家小三治であって柳家ではない。同様に立川志の輔であって立川ではない。あえてつづめて呼ぶならば、「小三治」であり「志の輔」」。それを私は「野村萬斎」、あるいは「萬斎」とするところを「野村」としてしまったのです。
 書き直したり、前に書いた原稿を直したりするのは管理してくれている人の手を煩わせるので、ここは一つ、「野村」と書いてある部分は「野村萬斎」あるいは「萬斎」と読んでください。すみませんでした。よろしくお願いします。
 これも現在の職場が校閲部という、原稿や見出しを直す新聞社の“最後の砦”ならではなんです。
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2011年07月20日

東京観劇記2011年7月

 東京で芝居を4本見てきた。
 7月16日(土)夜は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターでシス・カンパニー公演「ベッジ・パードン」(作・演出三谷幸喜)。英国・ロンドンでの既婚の日本人留学生夏目金之助(=漱石、野村萬斎)と下宿先の小間使いアニー・ペリン(深津絵里)との淡い恋の物語だ。アニーは下町出身でコックニー訛りがひどく、「アイ・ベッグ・ユア・パードン」(相手に「もう一度お願いします」と聞き返す時に使う慣用句)が「ベッジ・パードン」と聞こえることから、金之助は彼女を「ベッジ・パードン」と呼ぶようになる。そこに、同じ下宿に住む日本の貿易会社の駐在員で英語の流暢な畑中惣太郎(大泉洋)や下宿の大家ブレット(浅野和之、浅野はブレットの妻やその妹、ビクトリア女王など11役を早変わりで演じ分ける! これが見ものの一つ)、ベッジのやくざな弟グリムズビー(浦井健治)が絡んでひと騒動が巻き起こる−。
 野村はこれまで重たい役柄が多い気がしていたが、この芝居では日本で英語教師をしていたのに、その英語が全く通用せず思い悩む金之助を重くなりすぎずに演じて新境地を感じさせられた。それになによりベッジ役・深津の明るく軽快で可愛らしいこと! その姿は例えて言うなら「のだめ」そっくりなんだなあ。そして大泉。すらっと背筋が伸びた姿が野村に負けず劣らず舞台映えして、動きも自然で巧みだった。彼は主役ももちろんいいけれど、脇に回ったときにこそ実は舞台全体を引き立て、真価を発揮する俳優なのではないかと私は思っている。
 ちなみに全編ほとんど「英語」での会話という設定だが、それをアナウンスが出て「日本語でお伝えします」というアイデア。だから、大泉が実際に流暢な英語を話すシーンはないんですね(ご心配なく、というべきなのか、残念にも、というべきなのかは分からないけど)。一方で、金之助と惣太郎が「日本語」を話すシーンは、互いに「日本語訛り」で表現される(ちなみに畑中は「秋田弁」。秋田弁では馬鹿にされるという屈折した思いから英語を猛勉強したという設定)。
 物語はやくざな弟グリムズビーのある計画から悲劇性をも帯びていく。そしてラストの小説家夏目漱石誕生を予感させるエピソード。さすが三谷、勘所をつかまえた素敵な仕上がりの芝居で大いに楽しませた。
 17日(日)はまず雲一つない午後に、にしすがも創造舎体育館特設劇場でBunkamura 大規模修繕劇団(故井上ひさしが命名)旗揚げ公演「血の婚礼」(作清水邦夫、演出蜷川幸雄)。スペインの詩人・劇作家フェデリコ・ガルシア・ロルカの同名戯曲(1933年初演)からインスピレーションを得て執筆された1986年初演作。
 ビデオショップとコインランドリーに挟まれた路地。遠くのネオンと泥に汚れた自動販売機の光が降り続ける雨ににじんでいる。どこからか少年少女の鼓笛隊が現れ、行進しながら路地を通り抜けていく。その不穏な気配に、何かが起こりそうな予感が…。
 ほとんど全編、大量の雨が降り続ける芝居。前から2番目の席だったので、ビニールシートを渡され前を隠したが、けっこう濡れた。で、物語はというと…、これが猛暑で我知らず頭が惚けていたのか、途中で寝てしまったんですねえ。窪塚洋介、中嶋朋子、丸山智己、田島優成、伊藤蘭(ランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんのランちゃんです)とかって、配役もなかなかだったし、劇場に入った途端、先に書いた機械が並ぶ無機的な舞台装置に目を引かれたのですが…。こうなりゃ、最前列でびしょびしょになっていれば、眠らなかったのかもなあ。
 ただ、終盤に出てくる、ロルカ版「血の婚礼」にもある台詞「血を流して死ぬ方が、血を腐らせて生きるよりましだ」の部分はしっかり目覚めてました。身が引き締まりました。というわけで、ちょっと残念な思い。
 夜は新宿・花園神社で昨夏に引き続き、椿組2011年夏・花園神社野外劇「けもの撃ち」(作・演出竹重洋平、主題歌友川カズキ、プロデューサー外波山文明)。唐組とかのテント芝居と違って舞台部分が土をそのまま生かす椿組の野外劇。今年は北海道にも馴染みが深い熊とマタギの闘いの物語だった。はっきりとは地名が出てこないのだが、役者たちの訛りの感じからして、もしかしたら北海道が舞台だったのかもしれない。主役のマタギは昨年の「天保十二年のシェイクスピア」(作井上ひさし)の主役・悪漢役に続いて山本亨。
 劇中、女郎役でひときわ艶めいて美しい女優がいて、「なんだか松たか子の姉の松本紀保に似てるなあ。でも太股をさらけ出したりしてるし、まさかなあ」と思って、終演後にチラシをあらためて見たら、なんと本人だった。こういうどちらかというとアングラ的な芝居にも出なさるのねえ。なんとも美しい女性だった。でも、彼女はチラシなどを見ても、ちょっと写真写りが悪いのかも。ほんとに美しくて艶のある女郎役だった。
 今回も終盤の見せ方はダイナミックそのもの。暑すぎるということもなく、またこの芝居は熊に襲われたマチの人々の人間模様もしっかり描かれていて、存分に楽しめた。
 18日(月)午後は下北沢・本多劇場で加藤健一事務所 加藤健一プロデュース100本記念「滝沢家の内乱」(作吉永仁郎、演出高瀬久男)。「南総里見八犬伝」を執筆中の滝沢馬琴(加藤健一)と、息子宗伯(声の出演・風間杜夫)の元に嫁いできたお路(みち、加藤忍)の物語だ。すぐヒステリックに喚き立てる馬琴の妻お百(声の出演・高畑淳子)と、病弱で神経質な宗伯のせいで、滝沢家はてんやわんやの内乱状態。馬琴とお路の距離は自然に近付く…。そんなある時、馬琴は両眼の視力が衰えて完結していない「八犬伝」の執筆が困難に。絶望に打ちひしがれる馬琴に、そっと手を差し延べたのは、漢字の読み書きができないお路だった。一文字、一文字、漢字を教えながらの口述筆記で、「八犬伝」は再び動き始める−。
 と、素敵な実話です。なのに、私はまたしても寝てしまったのだ! 加藤健一といえば、私が早稲田大学に入った1984年ごろ、本多劇場でしょっちゅう北村想の名作「寿歌」を上演してたっけ。その印象が強く心に残ってるなあ、なんてことを思っているうちに、す〜っと眠りの妖精が舞い降りてきていたんですねえ。加藤忍(加藤健一事務所俳優教室9期生だが、実の娘ではないよう)も清楚なお路役を好演していたのに、私ったら、駄目だ駄目だ。ほんとに私にとって真夏の東京観劇は、睡魔との闘いでもあることだなあ(というか、この日は早朝まで「なでしこジャパン」の決勝戦を応援していたわけで、その影響も多大にあっただろう、うん)。
 というわけで、観劇は2勝2敗。でも、その2敗は決して後悔していないということもあり、2引き分けに近い、と自分を納得させておく。
 そうそう、16日に三軒茶屋から新宿に移動して、よく行く店である陶玄房へ行って晩飯と酒を楽しもうとしたら、見た顔が「いらっしゃいませ」。なんと元TPSで現東京乾電池の深川市出身の役者川崎勇人ではないか。「川崎か?」と尋ねたら「はい〜。いやあ、もしかしたら加藤さんじゃないかと思ったんですけどぉ〜」と、懐かしい頼りなさで頷いたもんさ。TPSチーフディレクター斎藤歩の紹介もあって、アルバイトしてるんだって。今度、芝居に出演する際には案内を送ってもらうようにお願いしておいた。そんなこともあって、(2本は途中で寝てしまったのは覆いようもない事実だけれど)充実した3日間だったと、ブログには書いておこう。
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2011年07月11日

枕のしたのしたの・続

 前項を書き終え、ブログにアップしてから考えたのだが、吉本は医師が言うように、治療を経ての「もう大丈夫」ではなく、もともと勃起障害(ED)を治す気などなかったのではなかろうか。だからこそ、2年分のバイアグラが病室の棚にたまっていた。
 いや、もっと言えば、もしかしたらもともとEDではなかったのではないだろうか。今は亡き妻を愛し続けるがゆえに、それを阻害するかもしれない要因(具体的に言えば、亡き妻以外の、生きている女性たち)から自らを遠ざけ、守るために、EDという内的障害を装い、2年間も入院していたのではないだろうか。
 もしそうだとすると、それは、井上ひさしの名作戯曲「父と暮せば」(1994年)で、広島に投下された原爆で愛する友人たちを奪われ、一人生き残った申し訳なさ、後ろめたさから、自分だけが幸せになってはいけないと心に誓い、大学講師に抱いたほのかな恋心を自ら頑なに否定しようとする主人公・美津江の姿に重なるのだ。
 そして美津江にとっての父親・竹造の幽霊、吉本にとっての光橋が、それぞれの強固な“呪縛”から心を解き放って、新たな始まりへの一歩を踏み出させたのではないだろうか。「枕のしたのしたの」の細部をいま一度静かな心持ちで思い出すと、そう考えてみた方が合点がいくところもあるのだ。
 いやあ、優れた戯曲って、どこまでも解釈が広がって楽しいものだなあ。
 
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枕のしたのしたの

 7月10日(日)に閉幕した札幌・シアターZOO演劇祭「ZOO11(ズーイレブン)」は参加6作品が粒ぞろいだった。芝居の水準は、共通舞台装置でのコメディーという弦巻啓太プロデューサーのアイデアが始まった前々回、それに前回にも増して高かったと思う。中でも私の心に最も響いたのは、最後に見たDrei Bananen(ドライバナナン)「枕のしたのしたの」(作かとうしゅうや、演出彦素由幸→重堂元樹)だ。昨晩はブログの原稿執筆が深夜になってしまい、明日の仕事は早出なのに…と焦っていたのと、なにより感動に見合うだけの言葉が浮かんでこず、表面的な感想をなぞるだけに終わってしまった。
 それで、この作品について、もう一度書いてみようと思う。ネタバレは存分。でも、失礼ながら、あれだけの豪華で精緻な病室の舞台装置の中で再演されることはおそらくもうないだろうから、どうかご容赦いただきたい(それでも読みたくない方は飛ばしてください)。こうしている今も、言葉が次々に湧いてくる。それだけ私の想像力=創造力を喚起した、見る側である私の思いの入り込む余地が十分にある芝居だったということだ。
 愛の物語だ。それもとびっきり切ない愛の物語。登場人物は男性3人ばかり。彼らがそれぞれに愛する女性たちは舞台上には登場しない。それでも物語が進むにつれて、見る側の心の中に彼女たちは像を結ぶ。それが、私が先に書いた、見る側の想像力=創造力を喚起する、見る側の思いの入り込む余地が十分にあるという劇作だ。それゆえ、舞台上の登場人物は男性ばかり3人であっても、彼らが大切に思う女性たち3人との愛の物語は成立する。
 弦崎東総合病院の泌尿器科。勃起障害(ED)で2人が医師・幸村誠(重堂)の治療を受けている。彼女といいところまでいくのに、そのたびにEDでセックスは果たせず、2週間悩み続けてきた若者・光橋(彦素、役名は劇中せりふから筆者が漢字を勝手に想像して当てた)と、医師を友人と呼ぶED歴2年のどこか謎めいた吉本(かとう、同)。吉本は入院患者だが、医師からは「もう大丈夫なんですよ、退院しても」と言われている。一方、光橋は彼女には中学2年で初体験をしたと告げていたが、それは真っ赤な嘘で、まだ童貞だ。また医師自身も、外科のナースと思われる女性に思いを寄せているらしい。
 医師は光橋に当初、特効薬バイアグラを処方していたが、それでも効果が上がらないため、メンタルトレーニングでの治療に方針を変える。想像を駆使して天使の降臨を夢に見、初体験への希望に新たな地平を開いてようやく自信がついてきた光橋。でも、大切な彼女と一緒になり、ここぞという時になると、やっぱりなぜか駄目になるのだ。
 医師にバイアグラでの治療再開を頼み込む光橋。だが医師はバイアグラは副作用による命の危険を伴ううえ、そうして無理なセックスをしても何も良いことはない、幸せなセックスにはならないなどと光橋を逆に説得する。だが、そうした医師の言葉のほとんどが、実は本に書かれていることや人から聞いた内容だと、吉本はすっかり見抜いているようでもあるのがおかしい。
 ある日、光橋は吉本にEDになったきっかけを尋ねる。吉本は告げる。自分の妻は花火大会が大好きで、どこから見るのが一番美しいか、毎年、自分を連れ歩いては探していた。そんな2年前の花火大会の夜、「どーん」と大きな花火の音がしたかと思うと、止まった車のそばで妻が倒れていた。交通事故だった。EDになったのは、その、妻が交通事故で死んだ日からだ、と−。
 光橋はそっとしておくべきだった吉本の心の痛みに触れてしまったことを悟る。そして通院をやめる。ここで私の想像だが、吉本の妻が事故で運ばれたのがこの病院で、その時に吉本は医師・幸村と初めて出会ったのだろう。
 2年が経ち、この年の花火大会の晩、医師はその日だけ開放された屋上で見るよう吉本を誘うが、彼は断る。医師は一人で屋上へ行く。病室に残った吉本は棚の中から、たまりにたまった2年分のバイアグラを出し、飲み始める。そこへ光橋が訪れる。彼女とはEDかなにかが理由で別れてしまい、今は一人だ。
 バイアグラを無茶に飲む吉本の様子を見て、光橋は彼を殴って止める。逆にベッドに押し倒され、ナイフを喉元に突きつけられる。俺は妻の所へ旅立つんだ−。吉本が2年間、今は亡き妻を愛し続けながら生きていたことが明かされる。それに対し光橋は、まだ初体験を夢見る童貞であることをある種の“強み”に、それは間違いだと明確に指摘し、吉本に死出の旅立ちを思いとどまらせる。喪った人を愛しながら生きていくこともできるはずだと−。
 ここで観客は、東日本大震災で亡くなられた大勢の死者たちと、彼ら彼女らを愛し続けてこれからも生きていく、生きていかなければならない、死者の数十倍の生者たちに思いを致すことは可能だろう。そして北海道に住む我々により身近に引きつければ、大震災などの大ごとではない、新聞にも載らない、ごく自然で日常的な死を死んだ死者を思って生きていく、生きていかざるを得ない大勢の生者に思いを致すことも、自分がまさにそんな生者の一人であることを自覚することもまた、同様に大切なことであると思うだろう。
 こうして病室での一瞬のサスペンスが、普遍的な愛の物語に昇華する。
 光橋はその晩、花火大会が終わった後に元彼女に携帯電話を掛け、きょう彼女が着ていただろう浴衣姿はとてもきれいだっただろうこと、自分が実はまだ童貞で、ずっと嘘をついていたことを告げ、謝る。
 吉本は翌日、旅に出ると宣言して退院する。もう死出の旅ではない。愛する、今は亡き妻を思いながらの鎮魂の一人旅だ。医師は言葉にならない思いを胸に、見送る。
 そうして一人病室に残った医師は、思いを寄せているナースと思しき女性を食事に誘う。ここで私は、一番の“精神的な童貞”は、実はこの立派な言葉を繰り出してきた情熱的な医師だったのではないか、と想像してみる。そうして全体をあらためて振り返ってみると、なんだかとても愉快な気分になる。愛を成就できずにいる人も、素敵に愛を語ることはできる。きっとそういうことだ。そしてその言葉にこそ励まされ、生かされる人がいる。きっとそういうことでもある。その意味で、この医師は尊敬に値する人なのだろう。
 男たちの、いや女性にもきっと共感されるだろう、喪失から再生への物語。新たな始まりの物語は、こうして清々しく幕を閉じる。
 かとうの戯曲が出色の出来栄えだ。登場人物3人の人生の短い期間の交錯をよく浮き彫りにした。役者3人の抑制かつメリハリの効いた演技も素晴らしかった。このトリオは3月に重堂が演出した安部公房作「制服」(当ブログ3月6日参照)がきっかけでの座組だと思うが、だれか一人が突出するのではなく、とてもバランスが取れていたと思う。
 この芝居は、できることなら、ぜひ若い人たちにこそ見てもらいたい。それも、愛という言葉の意味さえ知らずに(まあ、私もよくは知らないが…)、危険なセックスをしてしまうような、そして自ら悲劇を招き寄せてしまうような、そんな若い人たちに…。
 なぜならそれは、これが愛の物語だからだ。それもとびっきり切ない愛の物語だからだ。愛を成就できずにいる人も、素敵に愛を語ることはできる。きっとそういうことだ。そしてその言葉にこそ励まされ、生かされる人がいる。きっとそういうことでもある。
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「ZOO11」その2

 札幌・シアターZOO演劇祭「ZOO11(ズーイレブン)」楽日の7月10日(日)、残り4カンパニーを見た。
 劇団アトリエ「緑に息吹 目に鱗」(作・演出小佐部明広)は消化器外科。寺田真理恵(柴田知佳)と篠山かおる(小池瑠莉)は斜め向かいのベッドに入院中。真理恵には脱力系のいい加減な人柄の恋人・小沢(小佐部)、かおるには会社の先輩で彼女に気がある島村(有田哲)と同僚・矢部(江崎未来)が見舞いに来る。と、かおるの借金の関係で訪れた弁護士・品川(小山佳祐)は真理恵の高校時代の彼氏。一方、島村はかおるに婚約者(伊達昌俊)がいると知り、がっくり。この病室担当の看護師(信山E紘希)は小沢の中学の後輩だった。そんな“狭い札幌”のちょっと複雑な人間関係が、あることから少しずつ違った色合いを帯びてくる−。
 劇団自らパンフレットの自己紹介に「脱力系口語喜劇」と書いているように、物語自体は難しくなく流れており、さらりとじわりと笑わせるコメディーだ。ラスト、真理恵と品川の二人のシーンが静かでなかなかに良かった。
 エンプロ「いつか、ひとやすみ。」(脚本・演出遠藤雷太)は内科。舞台の共通セット(舞台装置)である上手、下手に二つずつあるベッドを、上手側を男性が入院中の7階、下手側を女性の8階と見立てての芝居。これがなかなかのアイデアで、スピーディーでコミカルな芝居づくりに実に効果的だった。
 この病院の食堂の調理師・皐月(長麻美)は、夫がこの病院の看護師・久米(梅津学)。でも八百屋(楽太郎)からもらったホタテに当たって8階に入院中だ。その事情は7階に入院中の保健所職員・誠人(小松悟)も一緒。実は皐月と誠人はW不倫の関係だった。皐月の隣のベッドにいる話し好きな可奈(長原桂)は医師・石上(三島祐樹)と元夫婦。石上は未練がありありだ。そんな中、誠人の妻・亜子(阿部祐子)が依頼した探偵(塚本雄介)が皐月の病室にまで現れたことから、看護師・片岡(後藤貴子)をも巻き込んでひと騒動勃発。W不倫ご両人の入院の原因をつくり、自らもホタテ中毒で誠人の隣のベッドに入院中の八百屋も大慌てし、すったもんだの大騒ぎ−。
 始終、人の出入りが絶えないスピーディーなノンストップコメディーなのに、しかもその舞台が7階かと思えば次には8階、また7階とめまぐるしく変わるのに、見せ方が実に巧みで手際良く、観客が戸惑うことはない。最初からノンストップで笑いっぱなしだ。さすがワンシチュエーション・コメディーを創り続けてきた遠藤の手腕。「旧姓=急逝」「結婚=血痕」をかけた言葉の誤解の場面など、細かいところにも心配りがあり、笑いどころも満載だ。特に石上と可奈の造形が隠し味のように、うまく効いていた。
 セブンスロバ「したいこと。」は循環器科。悪戯好きなあっちゃん(永田雅美)と、ともちん(橋本久美子)が入院する一室に、あっちゃんの姉だという騒がしいゆうこ(荻田美春)が突然訪れる。当然、あっちゃんは長年の不在を起こる。そしてゆうこには、死を宣告された人と霊感が強い人にしか見えないはずの死神(濱道俊介)が見えてしまう。でもどうやら、死神はゆうことあっちゃんを人違いしているようだ−。
 あっちゃんが悪戯好きという点がミソのハートフルな物語。見終えた後、本当はその後の悲しい物語があるはずだと思いつつも、ほんのり心が温まった。
 Drei Bananen(ドライバナナン)「枕のしたのしたの」(作かとうしゅうや、演出彦素由幸→重堂元樹)は泌尿器科(当初予定の脳神経外科から変更)。彼女がいるのに勃起障害(ED)に2週間悩み、医師(重堂)の元を訪れた光橋(彦素、役名は劇中せりふから筆者が漢字を勝手に想像して当てた)。だが上には上がいて、医師を友人と呼ぶ吉本(かとう、同)はEDで2年間入院しているという。医師の指導で、命の危険を伴う特効薬バイアグラには頼らず、メンタルトレーニングを受ける光橋。ようやく自信がついた頃、つい病気の原因を吉本に尋ね、実は彼のEDは2年前の花火の夜、彼の妻が交通事故で死んで以来だと聞き−。
 この「ZOO11」だけのための3人ユニットなのかどうかは分からないが、とにかく素晴らしい出来で、感動した。コメディーという大ぐくりがあるからコメディーなのだろう、でも笑いの底の奥深くに、男の哀感が痛切に流れていて、私は心で泣けた。
 そうなんです。女性が乳がんで乳房を切除せざるを得ないときの心の痛みときっと同様に、EDは男のアイデンティティー喪失の問題でもあるんです、ほんとに、大袈裟でなく。男性ならきっと分かってくれるはずだと思うけど…。
 かとうの入魂の戯曲を、3人が抑制の効いた、時にほとばしる情熱の演技で心の通ったものにしていた。そして時折の狂気! 2年間分のたまりにたまったバイアグラ、光橋にナイフを向ける吉本!
 今年のシアターZOO演劇祭の全20ステージ最後の演目がこれで良かったという余韻に浸って帰ってきた。
 と、これで弦巻啓太プロデューサーによる同演劇祭は終了。弦巻くん、3年間、本当にお疲れさまでした。来年以降は誰がプロデューサーになって、アイデアを凝らしていくのだろう。少なくともこの共通セット(舞台装置)のアイデアは、各カンパニーの経費削減にもなるし、見る側にとってはアイデア勝負の競演にもなり(もちろん中身も、だが)、1日4演目の観劇が可能といった利点が多いと思うので、継続してほしいと思うのだが。もう来年のことを考えて、わくわくしてきた。皆さん、お疲れさまでした!
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2011年07月03日

ヘリクツイレブン

 yhs「ヘリクツイレブン」(脚本・演出南参)を7月3日(日)、札幌・ブロックで見た。
 チラシによると、あらすじは−
夏真っ盛りの日曜日の朝、町立志津山高校の空き教室。集まったのは町役場の役人たち。9時からキックオフとなる草サッカーの練習試合のために来たのだった。やがて始まる作戦会議。しかし、その内容は試合に勝つためのものではなく、なぜか負けるためのものだった。
そこで、一人の新人職員(櫻井保英)がその作戦に異議を唱える。
「僕、負けたくありません。」
圧倒的な正論に、口から出まかせのヘリクツで立ち向かう11人の戦士たち!! 最後に笑うのは正論か、ヘリクツか。これが世に言う、ヘリクツコメディ!!−。
 実は役場職員の対戦相手は、この町一番の大企業であり、町長選挙では現職を支えている建設会社なのである。親睦に名を借りた、いわば“接待サッカー”なのだ。
 見ていて、ふとTPSの「アンダンテ・カンタービレ」を思い出した(当ブログの今年3月6日参照)。テーマもアプローチの仕方ももちろん違うが、同じ過疎の地方都市での小さな出来事。「ヘリクツ−」のようなことがまかり通っている自治体はけっこうあるのではないか。
 サッカーの芝居なので舞台装置が教室であることに虚を突かれたが、要するに、正論を言ってグラウンドへ向かわない新人職員を、ほかの職員たちが入れ代わり立ち代わりヘリクツをこねて説得する様子が、これでもかこれでもかと理詰めで(!)描かれる。でも全然飽きはしないし、とても面白い。登場人物12人の人間描写が巧みに的確に描き分けられていることもあり、事態が少しずつ変化していくことにある種の感動すら覚える。
 新人職員は小学校時代にこの高校が天皇杯サッカーで2勝したのをテレビで見て感動し、サッカー少年団に入ったこと。ある職員は双子で、兄は建設会社におり、心にわだかまりを抱えていること。高熱で来られなくなった息子のため、迷惑を掛けてはいけないと馳せ参じた高齢の親父さん。みんな、なにか愛おしい、懐かしい存在だ。
 そして結局、試合は行われるのか? は、見てのお楽しみにしておこう。終演後、すがすがしささえ感じているかもしれない佳作。
 楽日4日(月)は20時開演。
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「ZOO11」その1

 札幌で通算5回目のシアターZOO演劇祭「ZOO11(ズーイレブン)」が7月1日(金)から始まった。今回の参加6カンパニーのうち2カンパニーを2日(土)に見た。
 プロデューサーが、すがの公(札幌ハムプロジェクト)から弦巻啓太(弦巻楽団)に変わって3回目の開催。弦巻の発案による豪華で精密な共通セット(舞台装置)での各カンパニー知恵比べのコメディー連続上演だ(上演時間各70分)。2009年「温泉旅館『山荘 津流塔(つるた)』の和客室」、10年「『ファミリーレストラン つるーすと』の客席」ときて、今年は「『弦崎東総合病院』の入院病棟」。いかにもそれらしく立派で、病院そのものに見える。入り口の看板、病室のベッドはもとより、各ベッドには備え付けの料金先払いのカード挿入式テレビまである。でもどうして扉の向こうにあるパンフレットはいつも「みずむし」なんだろう。関係者に誰か悩んでいる人がいるんだろうか。そんなことよりまず“病院”に入ると、白衣の可愛い看護師(ナース)さんたちが受付で出迎えてくれる。この3年で、私は今年の受付がなんとしても一番好きだなあ。
 ええ、ただ助平なだけなんです。
 閑話休題。TBGS.「可愛そうなアノコ」(作・演出ミヤザキカヅヒサ)は脳神経外科病棟の一室。看護師白迫聖(原田充子)は新婚。よく夫(潮見太郎=弦巻作・演出のリアル・アイズ・プロダクション「センチメンタル」で大学生ながら主役を張り、いい味を出していた=当ブログ2006年11月29日参照。久しぶりに見たが、やはりいい味だった)が、聖の忘れ物の弁当を届けに来る。度々そうしているうちに夫は、その病室の入院患者・夜口(寺地ユイ)と男女の仲になる。当然、夫婦仲は冷え切る。一方、婦長(今の呼び方は本当は師長かなあ。小林由香)や看護師丹羽(山崎亜莉紗)は何か、男性の心をくすぐる秘密を共有している。そして実は夜口は事故で両親を亡くしていた−。
 単なるコメディーの枠にはとどまらない、第一級のサスペンスを感じた。物語の運びが実に巧みで、見終えた後にざわざわと胸騒ぎをかき立てられる。この濃密で、かつ人としての温かさと冷たさの両方を醸し出す作品を70分で仕上げたミヤザキの手腕はさすがだ。私がブログの「2010アワード」で、作品「117」をマイベストにしただけのことはある実力だ(自画自賛ですが…。ミヤザキについては2006年にも、作・演出を手掛けたyhsの作品をマイベストにしている)。
 映画のように“簡単に”コンピューター・グラフィックス(CG)を使えない生(なま)の役者が演ずる芝居で、そこに存在する人と、同時に、別のある人にとってはまさに同時間に別の位置に確かに存在するはずの同じ人との両方を、どう表現するかは非常に難しいところだ。それをミヤザキは見事に克服して表現している。これは北海道演劇を10年近く見てきた私にとっても初体験かもしれない。
 なによりラストの、ある人物の一言がよい。この病室が「脳神経外科」であることを端的に最大限に表して過不足がない。最後の最後の最後の大どんでん返し。みんながどこか狂っていて、でももしかしたら最も狂っていたのは、あの人なのかもしれない。そんな深読みの楽しみが観客には用意されている。大きな拍手を贈りたい。
 5日(火)・8日(金)20時、9日(土)15時開演。ぜひ多くの人に見てほしい。
 亀吉社中「お銀十番勝負 二番 お銀錯乱!!」(作・演出村上孝弘)。「銀狐のお銀」とライバル「大雪山おろしのお熊」が、ある事故に巻き込まれて、あろうことか整形外科の同病室に入院させられた。それぞれの手下は一触即発、不穏な空気にびくつく看護師。そして、それは起こってしまった−。藤純子ファンの年代にはことに受けることだろう。姐さんは二人とも、数年前に札幌西高を卒業したばかりとは思えないほどの艶っぽい美人。そのにじみ出る美を極めた極道ぶりを見に行くだけでも価値があるのではないか。
 3日(日)15時、6日(水)20時、9日(土)12時半開演。
 仕事の都合で、次の「ZOO11」観劇は楽日10日(日)に一挙4カンパニーとなるため、私の劇評を参考にして観劇日程を組んでおられる、誠にありがたい殊勝な方には申し訳ありません。日程などは北海道演劇財団のホームページ http://www.h-paf.ne.jp/ からシアターZOOのページへ行くと、特集ページがあります。
 この“病院”、一回行くと病みつきになること間違いなし!
posted by Kato at 05:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする