2011年06月25日

家には高い木があった

 弘前劇場(青森)の「家には高い木があった」(作・演出長谷川孝治)を6月25日(土)、札幌・シアターZOOで見た。なにかまだ形容しがたいが、なにか「そうだよなあ」「そうだったよなあ」という思いと、しっとりした感動がじっくりじっくりとこみ上げてきている。
 当日配布のパンフレットによると、あらすじは以下の通り。かっこ内は私が見ての補足である。
 とある地方の旧家(青森の初夏らしい)。
 そこでは100歳近くして死んだ井戸掘り職人だった祖父の法事が行われている。
 葬式も無事に終わり、かつて祖父が寝起きしていた離れに4人の孫達がちらほらと集まってくる(4人の両親は既に他界したのか、登場しない。いや、父親はどうやら出奔したようだ)。
 長男(神崎龍郎・50歳・喪主、青森で高校公民教師=福士賢治)を除く3人(次男神崎子郎・42歳・秋田で高校美術教師=水下きよし、三男神崎虎・28歳・札幌で中学国語教師=林久志、長女肥後うさぎ・39歳・居住地不明だが高校国語教師=小笠原真理子、うさぎの夫一平・39歳・元教師の無職で小説化志望=相澤一成=も一緒に来ている)は既に他県で独立して生活しており、久々に再開した兄弟は互いの近況や思い出をまるで他人のように語り合う。
 そしてそれぞれが明日には帰ってしまう…。
 彼らが実家を離れていた時間は、兄弟たちの情を確実に薄れさせていたのである。
 しかし、長女の一言(「私、別れることにしたから」だと思われる)をきっかけに、兄弟たちの情が少しずつ通うようになっていく…。
 と、あらすじは以上だ。
 初演は1995年。役者の変更に伴う改稿などが行われたうえで再演に再演を重ねている、弘前劇場の代表作のようである。
 舞台は広い畳の間(最前列に座ったので、まだ青い畳の良い香りがした)で、マッサージチェアが置かれ、外には井戸水だろうか、蛇口もある。題名になっている「高い木」は観客席側にあり、鳥たちも訪れるという設定。一見、能舞台のようでもあり、シアターZOOの空間を熟知してマッチした舞台装置だ。
 いきなり私見だが、物語には「劇的」なものは、実はない。細かな説明描写も極力避けられており、私の好きな、見る側の思いの入り込む余地が十分にある芝居だ。それは、誰かが台詞を話している時に他の役者がその反応として表情だけ芝居をしている(いや、実際には全身なのは当然だけど)、そしてそれを見る私がいる、という観劇の基本的な楽しみを思い出させてくれた。父親の失踪、それゆえ父親代わりに育ててくれた、頑固だが優しい祖父との日々など、4きょうだいが過ごし、経験してきた紆余曲折した過去、現在、そして未来について、観客がさまざまに想像=創造することができる芝居である。
 「劇的」なものはない代わりに、物語の芯が「流行」に流されずにしっかりと舞台の底流を貫いてとうとうと流れているから、運良くそれに呼応できたならば、見終えた後の感動がじわりじわりと胸に染み込んできて止まらないはずだ。それはある種、枯淡の境地に通ずる味わいの妙とでも言えるもので、私が見た回もそうだったが、観客層が比較的高齢であるのも、むべなるかなという思いだ。今後も、役者自身の高齢化などとともに、少しずつ意匠を変え、演じられ続けていく名作だろう。
 あらすじの中で出した役柄のほかに、私の印象に深かったのは長男の妻かなこ・48歳・専業主婦。夫を支え、明るく気丈にてきぱきと動き回る様子がいかにも「こんなおばさん、いるよなあ」とつくづく納得され、演じている国柄絵里子が、以前に観劇した弘前劇場の別の作品で見た時よりもずっと“いぶし銀”の光を放っていた。
 また、この芝居では(私にとってはうれしいことに)煙草が重要な小道具でもある。そうなんだよなあ、煙草って、昔の演劇や映画、小説では、それ一本で、一本を一服することで、その後ろ姿、立ち姿で、登場人物の心模様を表したものだよなあ。煙草が健康には悪いということは承知の上だが、それが表現の場からなくなっていく、消されていく、黙殺されていくことはとても残念なことだ、もしかしたら表現の衰退につながっているのかもしれないとさえ、私は思う。
 楽日26日(日)は14時開演。
 
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2011年06月20日

学生対校演劇祭 第二章 皆拓狂騒曲

 「学生対校演劇祭 第二章 皆拓(かいたく)狂騒曲」を6月19日(日)、札幌・サンピアザ劇場で見た。
 昨年6月に続く2回目で、北海道情報大学演劇部「UMA」(作・演出知久貴大)、北海道大学・劇団しろちゃん「墓穴を掘る男」(作・演出河内博貴)、北海学園大学演劇研究会「井の中の蛙は知っている」(作・演出津川真大)、北海道教育大学札幌校・演劇集団空の魚「彼氏は都市伝説」(作・演出加納絵里香)、札幌学院大学演劇サークル・劇団SON’s SUN(脚本鍵谷紀元、演出有田哲)、小樽商科大学・演劇戦線「対怪獣戦線異常なし」(作西嶋一輝、演出山岸大)、酪農学園大学・劇団宴夢「無人島で」(作・演出望月凜太郎)の札幌圏7大学のカンパニーが参加(日程は17〜19日の3日間だったが、17日終演後、SON’s SUNは役者が怪我をしたらしく、18、19の両日は上演なし)。劇中に「スコップ」を必ず出すことを条件に20分程度の芝居を上演し、観客投票も行われた。審査員は飯塚優子レッドベリースタジオ主宰、納谷真大イレブン☆ナイン代表、小室明子コンカリーニョ・プロデューサーの3人。
 私の感想は、審査員の講評にも出ていたが、小さくまとまっちゃってるなあということに尽きる。もっと冒険性、実験性に満ちた、若者ならではの突き抜けた力強い何かを見たかった。
 で、審査結果は最優秀賞(審査員合議)に劇団しろちゃん、一般審査賞(観客投票)も劇団しろちゃん、役者賞(審査員合議)に北海学園大学演劇研究会の阿部大介だった。
 来年も再来年もずっと学生の実行委員会の手で続けられるだろうが、おじさんの願いとしては、「へえー、今の学生はこんなことを考えてるんだ」と驚かされるようなものを見たいということだ。楽しみにしている。
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2011年06月11日

父と暮せば

 どもプロデュース「父と暮せば」(作井上ひさし、演出ども)を6月11日(土)、札幌市こどもの劇場やまびこ座で見た。名作、古典の芝居を上演するのは難しい。時を経ても残り続ける名戯曲として、観客の感動は織り込み済み。けれど演出や役者の演技が追いつかなければ、「本はいいんだけれどね…」と言われておしまいだからだ。それゆえ、挑むには相当な勇気と覚悟がいる。
 どもプロ版・通称「父暮(ちちくら)」は2003年の初演から9年目。見るたびに新たな発見があり、あらためて深く感動するのは、戯曲の良さはともかく、相当な実力で見せきっている証拠だろう。
 昨年亡くなった井上が1994年、原爆投下3年後の広島を舞台に書いた、文庫本も出ている渾身の二人芝居だ。
 1948年の広島。一人住まいの23歳の美津江(西村知津子)の元に、3年前の8月6日、“ピカドン”で死んだ父・竹造(斉藤誠治)が幽霊となって現れる。図書館に勤める美津江が、原爆資料を集める利用者の岩手県出身の大学講師(26歳)にほのかな思いを抱いたのを知り、恋の応援団長を買って出たのだ。だが美津江は、原爆で友人たちを奪われ一人生き残った申し訳なさ、後ろめたさから、自分だけが幸せになってはいけないと心に誓っている。そんな娘の心を開こうと、父は孤軍奮闘、悪戦苦闘しながらエールを送り続ける−。
 この超難関とも言える戯曲に03年から敢然と取り組んでいるのが、どもプロデュース。演出はドラマシアターども(江別)の代表ども(安念智康)、美津江役は劇団にれ(札幌)の中堅女優西村知津子、竹造役は劇団新劇場(同)の代表兼ベテラン男優斉藤誠治の三人組だ。
 一徹さを持つ半面、清楚なはにかみ屋の素顔も見せる西村の美津江と、頑固者っぽいが憎めない人の良さを漂わせる斎藤の竹造。私は江別での初演以来、各地の劇場で上演されるたびに都合が合えば赴き、これで確か6回目になるが、前にも書いたように見るたびに発見があり、その上、深みを増しているのには本当に頭が下がる。昨年は井上の死、そして今年は東京電力福島第1原発のとんでもない事故。上演の折々の出来事で見え方も感動も変わるが、今年はなんと、とうとう原爆と原発が結び付いてしまった!
 「人類史上最悪の暴力」(井上)と、その後も人生を生きなければならない人間存在への限りない慈しみ。それは「迫真の舞台」「演技達者」といった言葉では評し切れない、どもと西村、斉藤の、戯曲への敬意と芝居への真摯な取り組みからこそにじみ出る味わいの妙であり、あふれる真情だ。
 来年はどもプロ版の初演から10年の記念の年。そういえば、どもは初演時、「10年はやり続けます」と宣言していた。来年もどこかで上演されるだろう。ぜひ大勢の方々に見ていただきたい。
 12日(日)は14時開演(手話通訳あり)。
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蟹と彼女と隣の日本人

 TPS(北海道演劇財団付属劇団)・劇団青羽(チョンウ、韓国)共同制作「蟹と彼女と隣の日本人」(作斎藤歩=TPS、演出キム・カンボ=青羽)を6月10日(金)、札幌・サンピアザ劇場で見た。2009年初演作品の内容・題名改訂の上での“再演”だが、落ち着き、熟成された上に、観客の想像=創造を促す物語に深まり、私は断然、こちらの方が好みだな。
 09年に斎藤、キムのコンビで札幌で制作、上演し、「札幌劇場祭2009特別賞(演出賞)」を受賞した「蟹と無言歌」(当ブログの09年11月25、26両日の項参照)を、斎藤が5月の韓国公演に際して書き直した作品。TPS陣は4月下旬から韓国入りし、ソウルで韓国役者陣とともにわずか、本当にわずか2週間の稽古をした後(TPSは札幌で稽古した上での海外公演は何度もあるが、海外稽古は初めて)、5月に約2週間かけ、釜山、光州、仁川富平区の3都市で公演した。これが縁で北海道演劇財団は富平文化財団と交流協定を結び、来年は富平の劇団が来札し公演する予定だ。
 以下は、以前のブログを基に改訂を加えたあらすじ。初演出演の岡本朋謙(3月末で退団。好きな俳優だった。またいつか再会を願っている)が外れ、韓国の二人の役者も代わっている。
 札幌市中央区南8条西9丁目、ススキノの南端の中華料理店。そこの店主よしこ(宮田圭子)が併せて経営する隣の古アパートに、来日して2年になる韓国人留学生キム・スジョン=金水晶(イ・ドウ)が1年間の東京生活に何か事情を抱えたためか来札して入居した。一方、中華料理店ではアルバイトの韓国人パク・ソング(イ・スンジュ)がなにやら新たなメニューを考案中。そこへ宅配便配達の近藤(佐藤健一)が来て荷物を置いていく。ソングが開けてみると、大きな生きたタラバガニ。だが、ソングが荷物にふたをしなかったため、出前の器を取りに行っている間に、そのタラバガニが逃げ出してしまう。
 しかもそのタラバガニは、近藤が別の家に配達するべきものを誤配したことが判明。ソングやよしこ、それに昼はここでアルバイトし、夜はススキノのスナックでホステスをしている貴子(高子未来)らも巻き込んで、どこだどこだと捜しているところに、スジョンの隣の部屋に住む、おかしな韓国語を話す筒井三郎(木村洋次)が、遠来の客スジョンに出会い、一目惚れし、プレゼントだとして、茹でたタラバガニを持って現れた。さあ、そのカニのいきさつは−というコメディー。
 韓国語の部分は字幕付きで上演され、コーディネーター・翻訳・字幕は旭川出身(確かそうだったよなあ。私が旭川勤務時代、古書店で働いていて、素敵で気になっていた女性。確か今はソウル在住)の木村典子。
 物語のあらすじの大筋は変わっていない。だが、3月11日の東日本大震災と東京電力福島第1原発のこともにじませ、明らかに何かが変わっている。そして、深まっている。
 考えたら、大震災からの3カ月、それへの思いを取り入れた芝居を私は札幌で一つしか見ていない(4カンパニーが上演した4月のテアトロ・リストランテの中の1作品)。東京では続々だという。これは札幌演劇人の怠惰ではないか? こういう時勢に的確に対処してこず、主張できてこなかったのが、札幌演劇界の現状ではないか? 私は残念だ。
 話をもとに戻すと、初演より出演者が1人減ったにも関わらす、設定をそのままに書き直されたことで、物語が、少し跳ねていた感じの初演よりそぎ落とされて陰影深くなり、女手一つで中華料理店を切り盛りしアパートを経営するよしこの人生や、そのほか細々としたことが、観客の想像=創造を促す部分が多くなり、滋味深くなった。脚本仕上がりは大震災後でTPS役者陣が韓国へ移動する直前の4月中旬だったらしく、斎藤の、静かながらも深いメッセージが底流を流れている。
 終演後、キムに直接話を聞くことができたので、尋ねると、やはり小津安二郎と黒澤明は好きだとのことだった。そして、この作品の小津からの影響については、観劇した日本人からは必ず聞かれますとのことだった。それでも演出の際には意識していなかったとのこと。初演で抱いた私の印象も、あながち間違いではなかったわけだ。
 高子が出色。一人のマイムで観客を沸かせるまでに成長した。見事だ。そして木村洋次。彼の素晴らしさに、この芝居は映画「男はつらいよ」の芝居版の新たな幕開けではないかとさえ思った。もちろん、木村が寅さんである。韓国で1カ月間を芝居に明け暮れたTPS陣の成長ぶりには目を見張らされる。ぜひご覧いただきたい。
 サンピアザ公演楽日の11日(土)は14時開演。13日(月)に小樽、15日(水)当別、17日(金)江別、19日(日)恵庭公演がある。問い合わせは北海道演劇財団011・520・0710へ。
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2011年06月05日

男亡者の泣きぬるところ

 赤星マサノリ×坂口修一・二人芝居(大阪)「男亡者の泣きぬるところ」(脚本ごまのはえ、演出山浦徹)を6月5日(日)、札幌・シアターZOOで見た。
 エレベーターに閉じ込められた二人の男、サラリーマンとフリーターが、実は同じ「おさむ」という名で28歳で、同じ高校だったことが判明して、さらに…という上演時間80分のコメディー。
 見終えて最初に思ったのは、ごまのはえ(ニットキャップシアター=京都)もちゃんとした芝居を書くんじゃないか、ということ。昨年9月12日の「VS.KYOTO」の項を読んでもらえば分かるが、この時の演目「サルマタンX vs ドクター・ベン〜こだわりすぎた男達〜」はハチャメチャだったもんなあ。
 山浦(化石オートバイ=大阪)の演出も的確でテンポがあり、その緩急取り混ぜた物語の展開を赤星、坂口2人の役者が見事に体現して笑わせた。とりたてて嫌らしく笑わせるのではなく、自然な間合いがおかしいという笑い。もちろん、なのかどうか、どうしてこういう展開になるの?という場面もあるが、それが不思議と自然な流れの中で感じられた。こういう無理のない、客に無理強いしないコメディーは好きだな。この芝居に関わった人たちはみんな、今後いっそう大きく飛躍することでしょう。そしてまた北海道公演をしてほしいな。
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2011年06月04日

立川志の輔独演会

 立川志の輔独演会を6月3日(金)、札幌市民ホールで聴いた。独演会といっても前座が2人に、仲入り後は志の輔の出囃子をしているという奏者の長唄三味線の演奏があったのだが。ここ数年、最もチケットが取れにくいといわれる人気落語家の独演会だが、私はなんと最前列で聴けた。文化部時代に道新ホールで初めて聴いてはまって以来、来札の折には必ず聴いている。今回は東日本大震災のことなども枕やカーテンコールで話し、「日本人の美徳」ということに落語を通じた笑いであらためて気付かされた。
 志の輔は「ハナコ」と「メルシーひな祭り」の2番。「ハナコ」は何事にもあらかじめ備えておき、客が尋ねてもいないことを「実は…」と話したり、したりする度を過ぎたサービスの女将の温泉宿の顛末。「メルシーひな祭り」は、フランスから来た特使の夫人と5歳の娘がホテルのパンフレットで見て素晴らしいと感じたひな人形を見に、帰国直前にある寂れた商店街の職人のところに来るが、その職人は顔を作っているだけで胴体がない。そこでなんとかひな人形の素晴らしさを伝えようとする商店街の親父さん、おかみさんの奮闘ぶりを描く。
 両方の話に共通していたのが、相手を思いやる日本人の特性だ。それが度を過ぎると、相手にも嫌な思いをさせることになるのだが。福島原発事故での政府や東京電力、国会の迷走ぶりも枕の糸口に、それでも日本人には実は素晴らしい点があるんだよ、と気付かされた。
 カーテンコールでは、必ず朝、ラジオ体操をした後に「一本締め」をするというある被災地の話を紹介し、会場を埋めた満員の1500人と志の輔とで、鎮魂と復興への祈りを込めた「一本締め」。これまで以上に感動が胸に迫る独演会だった。
posted by Kato at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする