2011年05月22日

ザ・ダイバー再見

 実験演劇集団「風蝕異人街」の「ザ・ダイバー」(作野田秀樹、演出・照明・装置こしばきこう)が昨日、あまりに良かったので、今日22日(日)も札幌・シアターZOOで見た。あらためて感動した。
 野田の戯曲であり、能の所作を生かしているのは当然だが、その上で完全に“風蝕のもの”になっているのがすごい。それは発声法や足を屈めてすり足のように歩く歩き方など、風蝕の特徴である鈴木メソッド(国際的演出家鈴木忠志の編み出した演劇訓練法)に基づく演出にも顕著に表れている。ただ今回は意図的にか、従来よりその度合いを薄めたとも思え、風蝕は初見という観客にもさほどの“違和感”は与えなかったのではなかろうか(鈴木メソッドは観劇歴の長い私でも時に“違和感”を覚えることがある。それこそが演劇の醍醐味なのは分かるのだが)。
 そして今日はこれも意図的にか、女の死刑執行後の、女と精神科医の共鳴する舞踏にさらなる奥行きが与えられたほか、警部が女の取調室を開ける際などのマイムを昨日よりもはっきりした切れのある演出に変えたため、なお切れ味が鋭くなっていた。
 ただ1点、私が両日を通じて残念に思うのは、ラスト、女=山中ユミ(李ゆうか)と精神科医(三木美智代)が「ザ・ダイバー」の題名通りに海中(ユミの深層心理)に深く潜る(踊る)場面で、「海中」があまり深くは感じられないことだ。それは生演奏での音が、波打ち際の潮騒を思わせる擬音であることに由来するのかどうか、それは分からないのだが…。もし再演する機会があれば、そこはぜひ「深海」を表現する新たな方法を編み出していただきたい、と身勝手ながら要望する。
 李の、時に愛らしく時に狂気に満ちた熱演、あらためて称賛する。とにかく素晴らしかった。ありがとうございました。
posted by Kato at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

訂正

 前項「ザ・ダイバー」で「精神分析医」と書いたのは、すべて「精神科医」の誤りでした。実験演劇集団「風蝕異人街」関係者の方にお詫びし、訂正します。
 なんで間違えたんだろう、こんなこと。パンフレットにはちゃんと書いてあるのに。思い込みが過ぎたんですね。
 先が思いやられますね、項目400件で、訂正はいったい何回目だろうか。
posted by Kato at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ザ・ダイバー

 実験演劇集団「風蝕異人街」の「ザ・ダイバー」(作野田秀樹、演出・照明・装置こしばきこう)を5月21日、札幌・シアターZOOで見た。昨年秋、こしばからこの企画を初めて聞いた時には、これまで寺山修司や三島由紀夫の戯曲、またギリシャ悲劇などを熱心に上演してきた風蝕が、なぜ現代日本演劇界のトップランナー野田の作品を? いったいどんなものになるの?−などと、失礼ながら思ったのが正直なところだったが、実際に見てみて、なるほどこれは札幌では、いや道内広しといえども、風蝕にしか上演できないだろうな、と得心した。日ごろからの特長である身体性を最大限に生かした素晴らしい挑戦であり、期待を裏切らない上質な出来栄えだった。
 作品は東京・世田谷パブリックシアターの「現代能楽集」シリーズとして2008年に英国・ロンドンで初演。その年に東京・シアタートラムでも上演された。09年には野田の東京芸術劇場芸術監督就任記念プログラムとして、日本バージョンが野田(精神分析医)、大竹しのぶ(女)、渡辺いっけい(警部・頭中将)、北村有起哉(検察官)で上演された。私はWOWOWの放送で、能の様式美を大胆に取り入れて魅せられた英国バージョン、野田と大竹の台詞の速射砲的応酬が印象深かった日本バージョンの両方を見ているが、今回の風蝕はその中間点あたりだったろうか。いや、日本バージョンよりは圧倒的に能の様式美が強調されていたし、その開演直後から終演後の退場に至るまでに、風蝕独特の妖しさ、土着性、その一方での開放性のようなものも感じたのだ。
 物語は上司と不倫した挙げ句、彼の幼子2人を放火殺人した罪に問われた、多重人格の疑いのある女(李ゆうか)の心の闇を、精神分析医(三木美智代)が拘留期限までに解き明かそうとするものだ。女は、芝居の題名の由来でもある能の「海女」の物語に共鳴し、さらには「海女」での非業の死者である母の像が「源氏物語」の桐壺や夕顔、六条御息所といった光源氏(宇野早織)を取り巻く女たちに重なって、女=山中ユミ(李)はこれらの女たちの人格に次々と変わっていく。警部・頭中将は赤坂嘉謙、検察官は遠山達也。
 風蝕ならではの演出の面白みは、まず舞台正面に毛氈の敷かれた3段の雛壇があり、ここで冒頭に様式を重んじて入場してきた三人官女(平澤朋美、宇野、丹羽希恵)と右大臣・左大臣(田村嘉規、山谷義孝)が太鼓や鼓、鈴、笛を終始生演奏する点だ。それは時に海になり、時に激しく鳴り響いて役者たちを躍動させ、時に端的に役者の動きの契機ともなる。それはまるで女=ユミの哀れな運命(さだめ)をも象徴しているかのような効果を上げた生演奏だった。
 また能面がおそらくは野田自身演出の英国バージョンよりも多用され、役者の素の表情との対照が際立っていた。そして驚いたことに、私には能面が役柄の“本当の表情”として真に迫ってきたのだ。私も能を見たことは何度かあるが、こうした経験は初めてで、身震いがする思いだった。
 それより何よりも李が素晴らしい。大竹の演じた東京芸術劇場の舞台の何分の一もの小さなスペースながら、「源氏物語」の女たちになる=取り憑かれるさまは、大竹に勝るとも劣らない変幻自在、迫真の演技で、シアターZOOに夢幻の世界を現出させた。
 そしてここが最も重要なところだが、「身体性」である。それはこれまでの諸作品でも舞踏や舞踊を重視してきた風蝕のこと、お手のものといっては容易な表現に過ぎるが、精神分析医と女との身体性の応酬は見応えがあった。ラストシーンの見事で美しいこと!
 私は3月20日の項で風蝕の三島作「近代能楽集」を見たことを書いているが、こしばは今回の上演のために虎視眈々と布石を打ってきていたのだなということがあらためて分かる充実の出来栄えだった。今回の役者陣には、札幌市教育文化会館での能のワークショップも体験させたのだという。
 私は断言する。2011年上半期の札幌演劇界の大きな収穫と言える作品であり、最も刺激的な舞台だ。ちなみに21日は満席だった。
 22日は15時開演。
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2011年05月14日

カカフカカ

 札幌・コンカリーニョ演劇講座事業「劇をつくるということ」プロジェクト第2期発表公演「カカフカカ〜私たちはいつもハイかイイエの波の中を生きている〜」(作=劇をつくるということメンバー、構成・演出イナダ=劇団イナダ組代表、演技演出納谷真大=イレブン☆ナイン代表、プロデューサー斎藤ちず=NPO法人コンカリーニョ理事長)を5月14日(土)、コンカリで見た。経験者、未経験者を合わせ12人(男性3人、女性9人)が昨年8月から、「『舞台上で生きる俳優のからだと感性』を主眼に、シチュエーションエチュードから立ち上げた作品」(コンカリHPより)。私にとっては過去に何度も見てきて食傷気味だったはずの「自分探し」の物語だったのに、見終えて心がほわんと温もった。12人の息がとても合っていて、このままこの1回限りで終わらせるのはなんとももったいないと思った。
 素舞台に折りたたまれたパイプ椅子が12脚。開演前から12人が1人ずつ出てきて、椅子を舞台上のあちこちに置くところから始まる。開演すると、役者は椅子を自分たちで舞台の内外に出し入れしながらさまざまな役、エピソードを演じていく。それが、初めはアトランダムに演じられているようでいて、実はラストに「物語」のパーツとして収斂されていくのだ。
 舞台は4部構成。簡潔にまとめれば、「春」は12人が「合コンした相手と付き合うことに賛成か反対か」などをめぐって行う討論や寸劇、芝居。「夏」は「自ら命を絶つことに賛成か反対か」などをめぐる討論や寸劇、芝居。「秋」は「あの芸術作品は面白かったか否か」などをめぐる討論や寸劇、芝居。そして「冬」は、それまでのエピソードがすべて役者のうち1人の女性をめぐるものだったことが至極自然に描かれ、それまでのトーンとは違う、叙情的なものになって、思わず、うーんと唸らされる。各エピソードは誰しもが共感できる、身に覚えのありそうな等身大のものだから、最後の最後になってじんわり胸に染み込んでくる。
 もともと彼ら彼女らが演劇を「学ぶ」ためのワークショップの発表公演だから、料金は一般1500円と安い。でもそれ以上に私が得られた、感じられたものは大きくて温かい。本当に、誇張ではなく、既成の劇団が演じてもおかしくないような出来栄えだった。いや、既成の劇団じゃないから新鮮だったと言えるのかもしれない。
 15日(日)は14時開演。
 
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2011年05月13日

SWEET SOUL

 弦巻楽団「SWEET SOUL」(作・演出弦巻啓太)を5月13日(金)、札幌・シアターZOOで見た。
 ミドリガメ団地の603号室に二組の夫婦が集まり、夫たちは居間でビールを飲み、妻たちはキッチンでケーキを作っている。この部屋の主、清瀬敬史(小野優)はずみ(江崎未来)夫妻と、上の703号室に住む福永譲(楽太郎)ひびき(藤谷真由美)夫妻だ。はずみとひびきは学生時代からの親友で、入籍日も一緒。きょうは二組の結婚記念日なのだ。
 だが、はずみとひびきが作っているのは実は毒入りのケーキ。この団地に越してきた菓子教室の女性の先生から「夫からの自立」「女性の解放」を吹き込まれ、すっかり洗脳された二人は、自分たちの夫を殺害するのが目的なのだ。
 そんなところに(譲が招いたのだったか失念)301号室の林間十一(温水元)節子(佐井川淳子)夫妻もやって来、さらに十一が勝手に招いた、205号室に越してきたばかりの新婚8カ月の倉田飛呂彦(吉原大貴)朱里(大沼理子)夫妻、403号室に独居する詩人らしい百塚尚樹(弦巻)もやって来る。
 いよいよ皆で乾杯してケーキを食べる段、意外な人物が毒で死ぬ。はずきとひびきの目論見はもろくも外れた−。
 「サスペンスコメディー」と銘打っているだけあって、笑いの底にも緊張感がある。そしてラストが近付くにつれ、どんでん返しの連続技。ああ、そうだったのか−と思ったときには、もう弦巻の術中にはまっている。
 謎解き的面白みがあるからあまり詳しくは書かないが、弦巻のコメディーにしては見終えた後、単なるお笑いでない、一筋縄では解けないある深いもの、心の底にたまるおりのようなもの、しこりといってもいいものが残る。それはコメディーの枠には収まらない、夫婦とは何か、友情とは何か、真の愛情とは何かを問いかけてくるからだろう。
 私など、実生活を省みて、ぞっとしてしまった。笑えないなあと。
 14日(土)は14時・19時、15日(日)は14時、16日(月)、17日(火)は20時の開演。
posted by Kato at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

INDEPENDENT札幌予選会

 「最強の一人芝居フェスティバル」をうたい文句に、大阪・インディペンデントシアターが2001年から毎年11月末に開催している「INDEPENDENT」の初の札幌予選会が5月7日(土)、札幌・ターミナルプラザことにパトスで開かれた。
 9月3(土)、4(日)両日、コンカリーニョでの札幌開催にはすでに全国から4作品の参加が決まっており、今回はそれに加えて上演される2作品を選ぶ予選会。
 坂本祐以「ひとみとじろうとみさこ」(作上田龍成、演出太田真介)、赤谷翔次郎「3」(作・演出亀井健)、作・演出・出演原田充子「なべ」(協力稲田桂)、今井香織「アフリカ産オスジロアゲハのメス」(作・演出イトウワカナ)の4作品で、観客投票を参考に相内唯史(INDEPENDENTプロデューサー)、小室明子(コンカリーニョ・プロデューサー)が審査し、赤谷翔次郎「3」と今井香織「アフリカ産オスジロアゲハのメス」が選ばれた。
 私個人の評では今井香織×イトウワカナがぶっちぎり。4作品とも、見た目の印象では閉塞感を感じさせる内容だったが、ワカナの演出が細かいところにも目配りが利いていて、まるでコンテンポラリーダンスを見ているようだった。その他3作品はどんぐりの背比べといった感想を持った。
 イトウワカナは9月の札幌開催にもすでに作・演出作品「0141≒3088」(出演榮田佳子)の参加が決まっており、今回の選出で計2作品が上演されることになった。すごいな。
posted by Kato at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする