2010年10月30日

君の瞳に王国は映るか

 シアター・ラグ・203「君の瞳に王国は映るか」(作・演出村松幹男)を10月29日(金)、札幌・ラグリグラ劇場で見た。エンターテインメントの王道を外さない、小劇場ならではの劇作で、大いに楽しんだ。
 ジン(平井伸之)、ダン(柳川友希)、メグ(斉藤わこ)、ルナ(久保田さゆり)、アン(吉田志帆)、ニホ(田中玲枝)という正体不明のプータロー的な男女6人が共同生活する一室。誰が稼いでいるのか、働いているのかも分からない不思議な共生関係だ。食料は配給制。女主人(瀬戸睦代)が持ってくる。そんなある日、ント(湯沢美寿々)という女性がやって来て、ジンに、王国が危機に瀕しており、今すぐに国王として戻ってきてほしいと懇願する。果たしてその王国の正体とは、そして珍事件に巻き込まれた一室の住民の行く末は−。ほかの出演者に田村一樹ら。
 村松得意のパラレルワールドものだ。物語は初めけだるい雰囲気で進むが、ある、観客がびっくりのことがあってからは、トントントントーンと一気に加速。小劇場ならではの素早い場面展開が心地よい。小さく細長い劇場空間の生かし方を熟知した村松の演出も心憎い。
 そしてあっという間に1時間40分の上演が終わると、観客はそれぞれの登場人物の行く末に思いをはせることだろう。これも、前半部分で各人物の描き分けがしっかりしている証拠だ。
 30日(土)は15時と19時、31日(日)は15時、1日(月)・2日(火)は20時、3日(水)は15時。問い合わせはラグ事務所011・813・8338へ。
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2010年10月29日

しんじゃうおへや・2010追記

 昨日見て感想を書いたyhsの「しんじゃうおへや」(脚本・演出南参)だが、きょうになって、以前南参から頂いていた初演版のDVDをあらためて見てみた。そうすると、やはり今回の再演版の方が格段に良くなっている。
 特に1話目「きたえるおへや」から2話目「こいするおへや」への自然な流れ(初演では福地美乃が初めから私服で登場する)、そして初めはちょっと色合いがほかとは違うと思われる3話目「あかないおへや」(初演で作業員は2人なのが再演では3人になっている)のエピソードが、最終「たずねるおへや」にちょろっと出てくるところなどなど−。
 これは「2010アワード」の選考で、再演作というより、改訂新作としてでも考えた方がいいかなとまで思った。
 それと特筆すべきは、劇中音楽作曲の川西敦子(yhsの前作「忘れたいのに思い出せない」も彼女の作曲だった)。彼女の存在はいまのyhsにとってはとてつもなく大きい。そして彼女の作曲した楽曲が今回の芝居のテーマを音に託して見事に表現していると思える。
 劇団と作曲家との幸福な関係と言えば、シアター・ラグ・203や怪獣無法地帯の芝居を手がける今井大蛇丸(おろちまる)、TPSのチーフディレクターでもある斎藤歩自身らが想起されるが、yhsと川西の関係もとても素敵だ。ぜひ劇場で確かめてみていただきたい。
 なお「しんじゃうおへや」はきょうは売り切れらしい。土、日もおそらく込み合うことは必至だろう。私にとってもうれしいことだ。
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2010年10月28日

しんじゃうおへや・2010

 yhsの「しんじゃうおへや」(脚本・演出南参)を10月28日(木)、札幌・シアターZOOで見た。初演時より物語の流れも良く、役者たちの抑えた熱演が光る、南参入魂の力作だった。
 ストーリーなどについては初演時の劇評(2009年7月23日付)を参照してください。

 今回はストーリーの大枠は変えず、2話目「こいするおへや」と3話目「あかないおへや」を中心に改訂したという(上演台本を買った)。それが功を奏したのか、初演時に若干感じた物語の流れの停滞めいたものはなく、スムーズにすーっと心に入り込んできた。4話の構成も実に巧みだと感心する。
 新人役者も多いが、違和感はまったくなし。ずいぶん稽古したのだろう、それぞれの役に成りきっていて見応えがあった。「こいするおへや」の福地美乃、最高!
 そしてやはりテーマがテーマだけに、深く考えさせられる。これほど考えさせられる芝居には、なかなかお目にかかれないだろう。
 できるだけ数多くの方に、見て、考えていただきたい作品だ。
 29日(金)は20時、30日(土)は19時、31日(日)は13時と18時の開演。ぜひ劇場にお運びを。
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2010年10月26日

連載企画1回目の雑誌販売は31日まで!

 縁あって始めさせていただいた道内の月刊誌「ウイングサッポロ」の連載企画「チームナックスだけじゃない! 北海道の劇団たち」の第1回「yhs」編が掲載された11月号は10月31日(日)までの販売です。
 11月1日(月)には12月号が発売されます。
 まだご覧になっていない演劇関係者、演劇ファンの方は、ぜひ主要書店やキヨスクでご覧ください。
 またyhsの「しんじゃうおへや」再演は28日(木)から、札幌・シアターZOOで。
 新作から一段と深まった芝居を私も期待しているので、みなさんもお楽しみに。
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2010年10月25日

SPINがHP開設

 札幌の演劇関係者でつくる「札幌演劇情報ネットワーク(SPIN)」が10月11日(月)からホームページを開設した。これまではブログのような感じのページだったはずだが、きちんと整備されたようだ。
 当面、コンカリーニョとシアターZOO、ブロックの3劇場での公演情報などが主体のようだが、札幌の小劇場公演はほとんどがこの3カ所での上演だから(コンカリの弟分の「ことにパトス」もあるが)、過不足はないと言えるだろう。
 見てみると、リンク集の劇評のところには、特にお願いもしていなかったのだが、この「シアターホリック(演劇病)」も入っている。実は昨年だったか、設立に当たってある方から「出席しませんか」とお声を掛けていただいていたのだが、当日は夜勤でやむなく出席できなかった。そういうことも関係しているのだろう。
 このホームページが札幌の演劇振興の足掛かりになることを祈って、URLを紹介しておく。
http://spin-hp.com/
 どうぞご覧になって、ご活用ください。
 
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2010年10月24日

劇団北芸の「この道はいつか来た道」を推す

 生まれ故郷で、いまも実家がある釧路市の劇団北芸の芝居がとにかく好きだ。ということは、このブログの熱心な読者の方なら、とっくにご存じだろう。
 その北芸が11月13(土)、14(日)の両日、札幌・シアターZOOで別役実の戯曲「この道はいつか来た道」(演出加藤直樹)を上演することになった。おそらくは札幌でのこの作品の上演は、これが最後になるのではないか。
 それで、チラシなどを作る際に自由に使っていただければと思い、代表の加藤さんに推薦文を書き送った。上演まで1カ月を切ったので、ここでも紹介しておく。


劇団北芸の「この道はいつか来た道」を推す
      北海道新聞記者・加藤浩嗣
 劇団北芸(釧路市)の「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)は、2003年、私が1年間に舞台芸術を、過去にも、おそらく将来的にも最多の244本見た時(同一作品の複数回観劇含む)の「マイベスト」に選んだ作品である。
 それが09年9月、韓国・光州広域市で開かれた光州平和演劇祭の招待を受け、加藤ら関係者が誰も予期していなかったグランプリ「光州平和演劇賞」を受賞した。観劇の感動が国境を超えて共有されたということだ。
 私はその年、帯広と地元釧路の両市で行われた凱旋上演を札幌から見に行った。また、自ら主宰する劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」の「2009アワード」で、この作品のために「北海道演劇の宝」賞を新設し、贈らせてもいただいた。
 今年、劇団北芸は記念すべき創立50周年。
 ある事情を秘め、日々新たに出会い、日々新たに愛し合い、日々新たに結婚する老境の男女−。この作品における加藤、森田啓子コンビは、いまやまさしく「至芸」の極みだと言ってよい。かつて演出家・女優の木野花氏が自分の目で見て最大級の賛辞を贈った上で加藤らに勧めた通り、別役作品の伝道師として、10月には宮城県内2カ所を巡演してきた。
 そして、満を持してのシアターZOOでの04年6月以来の再演である。これは「期待する」という言葉ではいかにも足りない。長く遠く離れて、待ち焦がれていた恋人と再び会う日の喜びと同様の高揚を感じるのだ。
 再び見る人は私と同じく再会の歓喜を味わってほしい。初めて見るという人はぜひ一目惚れをしてほしい。そう願わずにはいられない。それだけの魅力を、この2人によるこの作品は備えている。


 というわけで、ぜひ見ていただきたい。「不条理演劇」とは、とかく難しく思われがちだが、実はこう自然にすーっと入り込め、感動できるものなのだと思うことだろう。
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2010年10月23日

かっこいい宇宙人のぼく

 演劇企画運営団体ハムプロジェクト(主宰すがの公)企画「札幌の人」の「かっこいい宇宙人のぼく」(脚本・演出・舞台美術すがの公)を10月23日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 「札幌の人」とは、札幌の人・すがのが札幌の109人と出会い、芝居を作ってみようという演劇カンパニー。同趣旨の「東京の人」という演劇カンパニーもある。
 現実とは別次元の昭和86年、“おかあちゃん”(あおきともや)の元で、ミスド(森田亜樹)、ドミノ(長流3平)ときょうだいのように、東京湾の埋め立て地・6代目夢の島に約20年間幽閉されて暮らす、自分を“宇宙人”だと思っているネギ(金子綾香)。護摩堂(浦竜也)がその生活実態などを書いた本がベストセラーになるが、彼は新種の麻薬を取り扱った疑いで、刑事金田(すがの)と、実の妹で精神科医の妹(古崎瑛美)に捜索される。金田と妹はネギの思考、記憶を解析し、護摩堂捜索の足掛かりにしようとする。そんな折、“北コリア”から特殊工作員キム(彦素由幸)がある特命を帯びて潜入する−。
 劇場の壁という壁に、また天井という天井から、段ボール箱を裂いたオブジェが飾られており、いかにもおどろおどろしい異様な雰囲気。中央奥に正方形の八百屋舞台(後ろが高い、斜面になった舞台)が置かれている。コロス(原義は古代ギリシャ劇の合唱隊)が10人ほどおり、折々に他人やカラスなどを演じるとともに、さまざまな効果音を発する(この辺り、すがのが役者として出演したTPS公演「ペール・ギュント」での斎藤歩演出の影響が見られる)。
 物語は一見したところ叙情的に流れながらも、現実に存在する北朝鮮を思わせる国の特殊工作員を登場させ、現代社会を見据えたサスペンスの味わいも。その折り合い、スパイスの効かせ方ががなかなかの妙味だった。すがのならではの精神分析的な展開もあったが、分かりにくいほどではなく、うまく料理されていたと思う。何より、ネギ役の金子の自然な伸び伸びとした演技が魅力的だった。
 私はこの「札幌の人」の前に、「東京の人」の二人も入った「○○の人大会」も見たのだが、「札幌の人」の方がコンパクトで切れ味が鋭かったように思った。両方ご覧になった方はどう思われただろう。
 それにしてもこの日は、ハムプロジェクト所属の若手役者による「育成A」「育成B」を合わせて4ステージ。2時間近い公演が終わると、間もなく次のステージの開場で、役者たちも満足に食事ができなかったのではなかろうか、と余計なことを心配してしまった。
 24日(日)はハムプロジェクト所属の若手役者を交えた「シャッフル公演」が13時、15時30分、18時と、3ステージ繰り広げられる。
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2010年10月17日

藪の中

 セブンスロバの「藪の中」(原作芥川龍之介、作・演出小林琴枝)を10月17日(日)、札幌・ブロックで見た。
 原作の主要登場人物3人の設定は、市議会議員のかなざわたけひろ(濱道俊介)、妻まさこ(荻田美春)、宅配便の配達人多襄丸(齋藤龍道)。そこに議員の秘書(長原桂)やまさこが記憶障害になって入院する病院の看護師(橋本久美子)が絡む。また冒頭で、「私は殺されました」という独白をする謎の女性(永田雅美)が、その後は各登場人物に寄り添う影のような、各人物の心のもう一つの側面のような存在として折々に登場する。
 物語は芥川の「藪の中」の構造を生かしつつ、その物語を大胆に解釈、再構築し、独自の展開をする。とても複雑でうまく書くことができそうにないので割愛するが、何が真実で何が嘘か、というテーマだけを巧みに生かして膨らませた感じの物語の構成だ。
 登場人物が「殺された」のか、「自殺した」のか、謎は謎として最後まで明かされない。だからといって退屈するものでもない。
 作・演出の小林が当日配布のパンフレットの「ごあいさつ」で、「相変わらず少し分かりにくい、でも、なんとなく分かる。そんな話になっているかと思っています。というか、そうなっていることを願っています。」と書いているが、私にはその通りに受け取れた。小林の企みの通りに。
 ラストも、曖昧と言えば曖昧。でも、静かな不思議な余韻がなにか心地よい。
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2010年10月16日

地域演劇の人々

 弘前劇場「地域演劇の人々」(作・演出長谷川孝治)を10月15日(金)、札幌・シアターZOOで見た。
 当日配布のパンフレットによると、あらすじは−夜。地域で演劇を続けている劇団の稽古場。本番を間近に控えているようだ。皆が揃う前の稽古場を、若い男が掃除している。そこに、客演の女優が上海から訪ねてくる。彼女は、出演以外に、大切な人と会う。という目的があるようだ。一日の仕事を終え、三々五々、稽古場に集まってくる俳優達。新聞記者も取材に来ている。研修の為、国外に居るらしい脚本家と、風邪をこじらせ欠席している俳優を除いて稽古が開始される…。稽古場に設置されたセット上で繰り広げられる劇中劇「夜のプラタナス」と、それを創作する俳優、スタッフ…。そして、俳優・スタッフは創作以外にも様々な想いを抱えて生きている…−。
 同じく劇中劇「夜のプラタナス」については−海辺の崖の上に立つ一軒の家。舞台は、その家の離れにある書斎。そこには、かつて俳優で現在はエッセイストである男が住んでいる。男の世話をする姉妹が二人。二人は炊事、洗濯…男の身の回り一切の世話をしに、ふもとの町からこの家に通ってきている。男は病を得ており、残されることになる姉妹は、男の最後の瞬間を濃密に、しかし、互いを牽制しながら必死に生きる…−。
 3人芝居「夜のプラタナス」は実際今年3月に札幌・コンカリーニョで上演されたが、私は「上海バンスキング」を見に上京していたので、未見だった。その「夜の−」がほぼ忠実に、この「地域演劇−」で引用、再現される。まさにメタシアター(私なりの定義では「演劇とは何かを考えさせる構成の演劇」)だ。
 しかも出演者クレジット(配役名)は現在の弘前劇場そのまま(中には芝居の都合上、死んでしまうスタッフ中村昭一郎もいるが=笑)。「地域演劇に携わる人は、食いぶちとして本業をもたなければならない」が持論の長谷川孝治は、香港に研修という名の遊び!に行っている設定。その意味ではある種、弘前劇場の今を反映したドキュメンタリー演劇とも言える。
 舞台は「夜の−」のセットをそのまま再現。舞台奥の大きな書棚ばかりでなく、手前の床にも数え切れないほどの本が平積みされている。そして真正面奥には大きなカヌーが立て掛けられている。下手には望遠鏡。手前には立派な書き物兼食卓用の机(座卓)。いかにも歴史を刻んだ書斎として雰囲気がある。
 そこで繰り広げられる「夜の−」の稽古(姉役の小笠原真理子は実際に「夜の−」にも出演している)。上海から来たという客演の女優蜜蜜(みみ。李丹が客演している)が抱える、息子の出生にまつわる複雑な過去。彼女と中村との関係。適度な緊張感の中で、さまざまな事柄に見る側が思いをいたせる、静かにだが深く、想像=創造を促される芝居だ。
 従前の弘前劇場の芝居同様、「死」のイメージが全体を覆っている。「死」が「生」を掛け替えのないものにするのだということ。
 そして蜜蜜が中国語で電話する内容はいちいち出演者の誰かによって翻訳されることはない。つまり観客の大多数を占める日本人にとっては、ディスコミュニケーション。私は弘前劇場の作品をこれまで10作以上見てきて、長谷川孝治の劇作は「人と人とは絶望的に分かり合えない。だからこそ、物狂おしくコミュニケーションを図ろうとするのだ」という確信に端を発しているのではないかと勝手に推察している。
 俳優兼演出(そこには長谷川孝治の姿も投映されているはずだ)役の福士賢治は、出演中、半分近くの時間を観客に背を向けて芝居する。後ろ姿での芝居。実に味があるなあと脱帽する。
 メタシアターでありドキュメンタリー演劇の要素もあるからか、弘前劇場にしては、見終えた後、従前より明るい気持ちでいる「観客としての私」を意識した。
 言うなれば私は「地域演劇を見る人」だ。こうしてこの芝居は「地域演劇の人々」を描きながら、「地域演劇を見る人」として人生という芝居を生きる私に深く内省させた。さすがは長谷川孝治、長らく見続けてきて良かったと思わせられたものだ。
 時間の経過だけでなく、出演者たちの心象風景の変化までをもあぶり出すような中村昭一郎の照明(こちらが本職。お元気でした)が素晴らしかった。
 16日(土)は14時と19時30分、17日(日)は14時開演。ぜひ「地域演劇を見る人」としての自分と向き合っていただきたい。
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2010年10月14日

CUT

 Takayuki Suzui Project「OOPARTS」の「CUT」(作・演出鈴井貴之)を10月8日(金)、札幌・Zepp Sapporoで見た。
 チラシによると、あらすじは−10年前、ひとつの映画が作られた。たった1週間で打ち切られてしまった映画−“青い空の果てに”。幼い兄妹が亡き両親との思い出が詰まった遊園地を目指す。苦難の末、辿り着いた果てにあったのは…。10年の歳月の後、その映画がリメイクされる。舞台はその撮影現場。純粋な物語の裏で蠢く人々の思惑。浮上するスキャンダル・仮想世界からのバッシング・仕組まれた現実・ひび割れていく物語…その先にあるものは?−。
 私は鈴井が1990年から98年の解散まで主宰していた「OOPARTS」の芝居を見たことがない。それで、いま飛ぶ鳥を落とす勢いで各分野で活躍している彼の演劇を期待に胸膨らませて見に行ったのだが…。
 はっきり言って感じたのは失望だ。劇中映画に代表されるセンチメンタリズム一つとっても、ちっとも私の心には響いてこなかった。開演前にさまざまな趣向で笑わせようとするなどの(私にすれば「余計な」)“サービス精神”だけは旺盛だったのだが。
 なにか全体を通じてまったり弛緩した時間が流れ、「小劇場」ならではの躍動感や序破急も感じられず、今や見ようと思ってもそうそう見ることもない古色蒼然とした「新劇」を見ているかのような気がした。映像もふんだんに使い、大掛かりではあったが、退屈だった。
 宇梶剛士、田中要次、占部房子といった私の好きな個性的なメンバーがそろっているにもかかわらず。どうして私はそう感じたのだろう。唯一、イレブン☆ナイン主宰の納谷真大だけが異彩を放って迫ってきたのが救いと言えば救いか。ただ、彼の役柄がどうして最後にああなるのかも、唐突な気がしてわからなかった。
 まあ鈴井は北海道のエンターテインメント界になくてはならない人物であることは間違いないだけに、今後の公演に期待することだけは確かなのだが。
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2010年10月05日

国際演劇交流セミナー2010「ベルギー特集」・追記

 前項「国際演劇交流セミナー2010『ベルギー特集』」で映画「ルワンダ94」の完成は2006年とのこと。また4段落目「ミイラ状態というにもあまりにも“乾燥」”し切った」で“乾燥」”とある部分から」を消し忘れてしまった。訂正します。
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国際演劇交流セミナー2010「ベルギー特集」

 国際演劇交流セミナー2010「ベルギー特集」を10月3日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。
 ベルギーの演劇集団「グルポフ」が、1994年にルワンダで起きたジェノサイド(フツ族がツチ族を約100日間に100万人殺した大量虐殺)を現地に取材し、虐殺当時の話や現在の状況、歴史を調べて4年がかりで完成して99年にアヴィニョン演劇祭で初演した上演時間6時間のドキュメンタリー演劇「ルワンダ94」を、ジェノサイドから10年後の2004年に現地ルワンダで上演した模様と、その際の現地での被害者、加害者、そして強姦された女性のインタビューなどで構成した映画「ルワンダ94」の上映と、グルポフ創設者のフランス人演出家ジャック・デルキュヴェルリ、グルポフメンバーで同映画を監督したベルギー人マリ=フランス・コレールのシンポジウム「演劇と倫理」からなるプログラム。
 芝居も、ルワンダ公演(芝居自体は長大な上演時間なので割愛されている)を記録した映画も、そのあまりに酷く凄惨な事実の重みで、見ているうちに腹の奥底になんとも重い物がぐっときた。
 映画は、ルワンダの土地に掘られた穴から、殺された後、または生きたまま埋められた大量の遺体が引き揚げられるショッキングなシーンで始まる。手足を曲げた状態のそれらの遺体は、ミイラ状態というにもあまりにも“乾燥」”し切った、救いようのない姿だ。作業に当たる人々は遺体が着ている衣服を剥がす。この衣服で、それが誰であったかを探り当てるというのだ。
 映画の場面は変わってルワンダ公演の芝居は、生き残った女性が夫と3人の子どもたちを殺された経験談を語るところから始まる。やがて会場から、すすり泣きや嗚咽が漏れ聞こえてくる。それが今まさに進行中のように感じられるのだろう。そう、そうだろう。今も同じようなことが世界の至る所で行われているかもしれないのだ。
 映画はこうしてルワンダ上演中の芝居と、公演期間中に虐殺を被害者、加害者として経験した人たちの体験談を交互に映し出す。最初は白人の映画クルーに反感を持っていた人たちが、芝居を見終えた後は彼らに心の扉を少しずつ開き、重い口を開いていく様子も克明に描かれている。
 映画の中にはなかったが、芝居は、女性ジャーナリストがなぜこのような大惨事が起きたのかを取材しながら、三つの夢想を見る場面もあったようだ(そのうち二つの夢想は、シンポジウム開催前に少し上映された)。そして芝居のラストは虐殺された人たちの名前を読み上げていく、つまり追悼することで終わるようだ。
 セミナーに参加する前は、ベルギーという小国のカンパニーの作品であり、私は正直言ってあまり期待してはいなかった。でもグルポフは、フランス人の演出家、ベルギー人の映画監督、アメリカ人の音楽家など多国籍の表現者からなっている演劇集団なのだという。「ルワンダ94」は、重い事実を素材とするのに、確固たる信念で目を見開き、耳を研ぎ澄まし、つまり五感を駆使して得たものを十分に表現し切っているように思えた。私は自分の偏見と不明を恥じた。
 そして、政治でも経済でもなく、演劇というジャンルを通じて広く世界とつながっている実感をあらためて感じた。見て、本当に良かったと思えるセミナーだった。
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2010年10月01日

月刊誌連載開始 表紙はあの人!

 私が縁あって執筆し始めた「演劇刮目(これは編集部の方がつけた題名) チームナックスだけじゃない! 北海道の劇団たち」が載った道内の月刊誌「ウイングサッポロ」11月号がきょう1日に発売された。もう手に取って読んでいただけただろうか?
 自宅にも1冊、掲載誌が送られてきた。封を開けて取り出してみると、表紙はなんと! 鈴木宗男前衆議院議員の差し迫った顔の大アップ。本誌の最初の特集も彼についてである。また彼は、同誌に連載も持っている。
 「そうだよなあ。硬派の雑誌だもんなあ」と妙に納得しつつ、自分の連載企画のトーンとのあまりのギャップに、少々めまいがしたことも、ここだけの話、事実だ。
 気を取り直して、目次から探して、連載の104ページを開く。ゲラ刷りで見せてもらった時には、記念すべき第1回に取り上げた劇団「yhs」より「チームナックス」の方が目立つ感じだったのだが、修正をお願いしたこともあって直っている。これなら「yhs」について書かれた文章であることはすぐに分かるだろう。
 1ページで原稿用紙3枚半の分量。第1回ということもあって、冒頭の14行分は連載の趣旨も書かねばならず、その分、yhsについて書く分量が減ってしまったのが残念と言えば残念。だが、そこのカッコ書きの部分、(それどころか、私の目には−)はyhsのことを念頭に置いての記述であるからして、南参はじめyhsの皆さんにはどうかご勘弁願いたい。
 このブログの連載企画告知の文章(9月15日付)に書いたように、この月刊誌を読まれた方が興味を持って、その劇団の芝居を見に行ってほしいというのが私の願い。その意味では今回のyhsのパターンは10月末に公演が控えており、理想的と言えるのではないだろうか。この取り上げる劇団の調整が今後もうまくいくかどうかは分からないが、まずは無難な船出ができたことでほっとした。
 いま一度、各カンパニーの方にお願いしたいが、もし私から取り上げたいとの声がかかったら、ぜひとも写真データや資料(メールでの通信が主)などで協力していただきたい。またこの連載企画についても広く宣伝していただきたい。よろしくお願いします。
 95ページの販売網を見ると、この月刊誌は書店だけでなく、キヨスクにもあまねく置いてあるようだ。と、私の自宅そばのキヨスク円山公園店が大通西52丁目になっている。これは編集部の方に指摘してあげねば。
 というわけで、少なくとも2年間は続くと思います。なにとぞよろしくお願いいたします。
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