2010年08月31日

新聞に出てしまった!

 昨日30日、朝から暑かったので、「これは屋外ビール日和だ!」と、夕方から妻と札幌パークホテルのビアガーデンに出かけたら、あとから北海道新聞の写真記者がやって来て、写真をハチバチ撮って行きました。
 今朝31日の朝刊社会面に載っています。
 どこだか分かりますか?
 女性が右手に持ったジョッキに埋まりそうになっている小さな白シャツが私です。
 まるで「ウォーリーを探せ」か、自作映画のどこかにちょこっと“出演”するアルフレド・ヒチコック監督みたい。
 もう9月間近というのに暑さが続きますね。
 今回は演劇にまったく関係ない、つまらない項目ですみません。
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2010年08月30日

間奏曲・追記

前項の「間奏曲」(作ジャン・ジロドゥ、潤色・演出弦巻啓太)だが、弦巻によると、今回のテキストは白水社のジロドゥ戯曲全集第2巻、西村熊雄、梅田晴夫訳
であり、西村氏の訳を元に、梅田氏が上演可能なように訳したと解説にあるという。ご参考までに。
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間奏曲

 札幌・琴似にあり、演劇やコンサート、展覧会などさまざまに使われてきた小さな可愛いアートスペース、レッドベリースタジオ(飯塚優子主宰)の10周年記念公演、ツルマキ・アーケストラ!!!(弦巻啓太代表)の第1回公演「間奏曲」(作ジャン・ジロドゥ、潤色・演出弦巻啓太)を8月29日(日)、札幌・シアターZOOで見た。会場が小劇場ならではの特性を生かしたコンパクトでスピーディーな演出で、活力と静謐のめりはりの利いた魅力的な舞台に仕上がっていた。
 飯塚が、同スタジオが今年12月に満10年を迎えるにあたって、自ら1970年代前半に東京・日生劇場で劇団四季公演を見て、今も心に残るフランスの劇作家ジロドゥ(1882〜1944年)のこの作品(1933年)の札幌公演を約1年前に企画。「青い鳥」や「マクベス」などの古典を再構成する手さばきが鮮やかだったと感じた弦巻に演出の白羽の矢を立てたという(当日配布のパンフレットから)。
 一方、劇団弦巻楽団の主宰者でもある弦巻は飯塚の思いを意気に感じて、「若い演劇人を中心に、未経験者でも参加でき、技術的な経験も積める実践型の演劇ユニット」(チラシから)として同アーケストラ(弦巻によると、「アーク=箱舟」とオーケストラからの造語。ジャズ界の用語という)を発足。約2カ月間、同スタジオで稽古を重ねてきた。
 チラシなどによると、あらすじは−フランスのとある田舎町。どうやら最近おかしなことばかり。なんでも男の幽霊(大沼理子)が森に現れては人々を驚かせているらしい。そして。噂の的は女学校の女教師イザベル(江崎未来)。彼女は夜な夜な幽霊との逢瀬を重ねている…? 科学が全てを解き明かす少し前。超常現象に翻弄されながら、幽霊と女教師を奪い合う町の人々の姿を通して、詩情豊かに生と死の対決を描いた傑作コメディー−。
 舞台中心に直径1メートル超ほど円形の台座を置いて、何か重要な台詞を話す人などがその上に上がるという作劇。死を畏れると同時に死の世界に憧れもし、幽霊に惹かれていくイザベルや、彼女を死後の世界に誘おうとする幽霊をはじめ、パンフレットに弦巻が書いた通り、「ジロドゥの言葉は(中略)逆説的な修飾語、皮肉や諧謔としての自己主張、飛躍し、時に暴走する賛辞」から成っており、作劇する側も、また見る側も一見、一筋縄ではいかない感じだ(私がジロドゥ作品を見るのは初めて)。
 だが、出演者15人が時間をかけて戯曲を読み込み、解釈を共有することによって、みんなの言葉がある種の力=言霊を帯びて、はっきりと、確かに、見る側に伝わってきた。
 青春を謳歌する女学生たち(木幡美紗子、脇愛美、トマト、小池瑠莉、堤亜美、吉原大貴、大原達也)の目映いばかりに溌剌とした躍動感。幽霊出現の謎を解明するに、その存在に否定的で、どこまでも現実的な視学官(濱道俊介)の饒舌。いまや陶磁器と切手の収集にしか情熱を感じない好々爺の町長(小松悟)の戸惑い、イザベルへの思いを心中密かに抱いている検査官ロベール(若林大志)の内に秘めた情熱などが、それぞれの役者たちの熱演で、とても現代に近しいものに感じられた。
 中でも、事態を冷静に分析し、芝居全体の狂言回し的役割も担う薬屋を演じた長岡登美子の存在感が、抑制の利いた切れのある演技で光っていた。
 戯曲通りに上演すれば2時間半から3時間かかるところを、観念的な台詞などを短くカットするなどして、上演時間は1時間50分。日ごろ弦巻楽団でウェルメードなコメディーの作・演出を得意としている弦巻にとっても、充実した節目の一作となったのではないか。大団円前の出演者ほぼ全員による遊び心いっぱいの音楽生演奏を取り入れたシーンに、劇団四季公演とは明らかに違うだろう、小劇場演劇ならではの心意気、神髄を見た思いがする。
 そのほかの出演者は、町の情報通、老いたマンジュボア姉妹役に長原桂と長麻美。この2人のやりとりがまた、趣向を凝らして面白かった。
 レッドベリースタジオ10周年、ほんとうにおめでとうございます。ここで幾多の名作、珍作(?の代表例は主に劇団怪獣無法地帯によるもの。でも、「怪獣−」は面白くって楽しくって斬新なアイデアいっぱいで、見ずにはいられないんですよねえ)が演じられたことか。この先の、まず10年も、飯塚さんお元気で、楽しい企画を期待していますよ。
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2010年08月27日

ボロトーク「教文短編演劇祭を振り返る」

 動画が見られるユーストリーム(http://www.ustream.tv/channel/borotalk)で8月26日(木)午後10時から27日(金)の2時ぐらいまで、ボロトーク「教文短編演劇祭を振り返る」(札幌・ATTIC)が放送された。
 教文演劇フェスティバルの斉藤雅彰実行委員長をはじめ、演劇祭で優勝したイレブン☆ナインの納谷真大、予選通過したyhsの南参、予選敗退したTBGS(THE BIRDiAN GONE STAZZIC.)のミヤザキカヅヒサの各氏らが、創作過程や今大会に賭けた思いなどを振り返り、次回大会への意気込みを話し合った内容。
 南参氏が言い出し(た、とされている)、ツイッター上を賑わせている「裏短編演劇祭」についても触れられている。
 私は職場で仕事をしながらの視聴で、すぐ隣に同僚はいるし、音量を極小にしなければならなかったのだが、あとからもう一度見直してなかなか面白い白熱したトークが繰り広げられていた(上記のURLで、過去の放送が見られます)。
 「Engeki2」の方を見ると、私の名前も突如として出てきたので、ちょっとびっくりしたが。
 今後は2カ月に1度くらいの割合で、演劇について語り合う場になるようだ。
 次回は10月下旬、「演劇の集客について」とのこと。
 私も時間などに折り合いがつけば駆け付けたいのだが、なにせ夜勤が多い職場なので、こればっかりはわからない。
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2010年08月24日

ああ! なんとも情けない訂正

 演劇の新たな可能性を発見、具現化した素晴らしい作品の劇評を書いていた私自身が一番興奮していたようで、なんとも情けない訂正です。
 8月22日付の題名「177」は、もちろん「117」の誤りでした。関係者にお詫びして、訂正いたします。加藤浩嗣
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風蝕異人街「女中たち」・告知

 札幌・円山公園でのファンとの花見会などに私も誘ってもらう、風蝕異人街の仲良くさせていただいている女優宇野早織さんから、次回公演の案内をいただいたので、ここで紹介します。

 実験演劇集団「風蝕異人街」第43回公演「女中たち」(作ジャン・ジュネ、構成・演出こしばきこう)
 現代社会にひそむ人間関係の歪みをジュネの「女中たち」を通して、その心の奥底を覗く。奥様ごっこにふける二人の女中、ソランジュとクレール。二人の奥様に対する嫉妬と憎悪。その根底にある殺意は本物なのか。二人の女中の欲望が「ごっこ」という戯れを真実の殺意に向かわせる。
 場所・シアターZOO(札幌市中央区南11条西1丁目ファミール中島公園地下1階)

 9月11日(土)19時 A班(現代的解釈の演出法)李ゆうか、宇野早織、三木美智代

   12日(日)15時 B班(原作に忠実なリアリズムバージョン)平澤朋美、宇野早織、三木美智代
 料金・前売り(1公演のみ)2000円
       (2公演)3000円
    当日2500円
 予約・問い合わせ 080・6097・8605(制作)、090・8272・4299(アトリエ)、ijingai@hotmail.com
 宇野さんによると、「ジュネという人の劣悪な生育環境や犯罪、同性愛に対するコンプレックスが顕著に表れている作品」とのこと。
 この風蝕異人街、ふだんは南4条西9丁目のビルの地下にある本拠地・アトリエ「阿呆船」でひっそりと寺山修司作品などのいけない快楽=エロスを表現している集団で、私も大好きな孤高のカンパニー(女性が多いので、文化部時代、劇評を書くのに「北方の暗黒宝塚」と表現したことがある)だが、今回は久々の劇場公演(まあ、シアターZOOも地下には変わりないが)。どんな表現を見せてくれるのか楽しみだ。
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惜しい!400 でも変な欲を出すといけないね

 再度、加藤浩嗣です。
 眠る前にあらためて23日の閲覧者数を見直してみたら、なんと399人!
 400人の大台超えは本当に残念ながらなりませんでした。
 でも変な欲を出すといけませんね。
 今後もたくさんの方に読んでいたけるよう、なにより私自身が楽しみながら、書き綴っていきます。
 読者拡大へ、演劇仲間や周囲の友達、会社の同僚の方たちなどに、どうぞお声おかけください。
 よろしくお願いします。
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「表現」に伴うある種の怖さについて。そして心新たに

 こんにちは。加藤浩嗣です。シアターホリック(演劇病)を読んでいただいて、本当にありがとうございます。
 今回、「教文短編演劇祭2010」について書いた項目は22日に129人、23日はなんと388人の閲覧者がいらっしゃいました(カウンターにカーソルを合わせると1週間分の閲覧記録が表示されます。うちのブログのは実は閲覧ページ換算=トップページから過去ページにいくと、それも「1」とカウントされるので、本当の数え方は閲覧者の数「人」ではなく、閲覧ページの数「枚」なのですが)。
 今年2月に消滅するまでのブログにはカウンターはなかったのですが、ブログ復活の際に管理してくれている方にカウンターを付け加えていただきました。
 おかげで昨日、一昨日とこんなにも多くの方に読んでいただいたことが分かりました。

 推測の域を出ませんが、おそらく消滅した過去ブログを含めて、1日に388人というのは過去最多なのではないかと思われます。
 演劇関係者の中で、「おい、演劇病患者の加藤、今回予選で敗退した『117』について、かつてない長文の劇評を書いているぞ。読んでみな」っていうようなことが、ぐるりと回ったのでしょうか。
 ともかく素直に本当にうれしく思っています。
 それと同時に、「表現」に伴うある種の怖さをあらためて感じたのも事実です。
 簡単に言えば、「良くも悪くも公になってしまったブログで、絶対に変なこと、無責任な文章は書けないなあ」ということです。
 そしてそれはおそらく、演劇をはじめとする舞台や、映画、小説など、さまざまな芸術分野で表現している方たちが表現するに際して、日々感じておられることではないか、とも思い至ったのです(まあ、サラリーマンとしての私も仕事の際、それなりに別の意味での怖さを感じながら仕事をしているわけですが)。
 ですから、この、演劇をはじめとする舞台に特化して、演劇評、というか観劇感想(まあ駄文ですが)を書いているブログについて、書く側の私もそれを一種の「表現」として、ある種の怖さを日々抱き、責任を引き受けながら、今後も書き綴っていかなければいけないな、と心新たにしたところです。
 今年の「教文短編演劇祭」は本当に面白かったし、昨年に比べて出場各カンパニーのレベルが格段に向上していたと思います。
 3回目を迎え、作劇する方々も、15分という短い時間での創造の妙に慣れ、自分たちのものにし始めてきた、というところではないでしょうか。
 教文演劇フェスティバル実行委員長の斉藤雅彰さんが短編演劇祭終了後の交流会で、「最初はこちらから声をかけて3カンパニーに出てもらった演劇祭が、早くも3回目で、札幌市外からをも含め17カンパニーが応募してくれるまでになった。この演劇祭は札幌市内、国内だけでなく、世界に開かれている。世界中からの参加を受け付けている。ただし会場の教文に来るまでの交通費や宿泊費は自腹ですが」とおっしゃっていました。
 本当に来年の4回目が楽しみ、今からもう待ち遠しいです。
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2010年08月22日

177

 出場9カンパニーが持ち時間各15分で競い合った「教文短編演劇祭2010」(札幌市教育文化会館小ホール)で、私にとって最も刺激的だったのは、8月21日(土)の予選2日目に敗退したTBGS(THE BIRDiAN GONE STAZZIC.)の3人芝居「117」(作・演出ミヤザキカヅヒサ)だ。この芝居は、作品自体が一つの貴重な「発見」だと思う。見終えた後、緻密な構成で切れ味鋭い短編小説、あるいは短い語句で真実の深遠を観照させる一編の詩を読んだような感慨にふけった。以下、独断と偏愛に満ちた劇評を−。
 芝居は、タビトという男がこの世に生まれ落ちてから大学まで進学し、就職、結婚して男児に恵まれ、60歳で会社を無事定年退職し、最愛の妻に先立たれ、やがて死ぬまでの80年間の生涯を、1年間を10秒刻みの一場面にして次々描いていく斬新な作劇(当日配布のパンフレットによると、合計13分20秒)。と、一口に全体像を説明しても、見ていない方には分かりづらいかと思うのだが…。
 小道具は、椅子などとして使われる小箱1箱と、遺影などになる板1枚という素舞台。劇場内には絶えず時報が「ピ、ピ、ピ、ピ、ピ…」と流れている(ミヤザキによると、題名の「117」は時刻を案内する電話番号からの命名)。そして10秒ごとに「何時何分何秒」という案内の代わりに、「8歳」とか「75歳」、「45歳」、「3歳」、「28歳」、「38歳」、「60歳」などと、時間的に後先のばらばらな年齢がアナウンスされる。
 この10秒間のうちに、タビトを演ずる1人の男優と、彼の両親や息子夫婦、友人や会社の同僚を演ずる男女各1人の役者が、緩急のついた動きと短いセンテンスの的確な台詞で、タビトという男と彼を取り巻く家族らの一刻一瞬を次々に照らし出していく。
 例えば、「74歳」で息子夫婦に心配されながらよぼよぼ歩いているタビトが10秒後、「1歳」というアナウンスがあった瞬間から、両親に祝福されながら、たどたどしくよちよち歩きを始めた子どもになる(以下、年齢とそれに伴うエピソードの数々は、あくまで私の記憶と、私が勝手に膨らませているだろう印象によるもので、必ずしも実際に上演されたものとは違う場合が多い、はず)。そしてまた10秒後に「76歳」とアナウンスがあり、息子夫婦に心配されている老人のよぼよぼ歩きになる、といった具合。相手役2人の年齢や役柄はいちいち明示されないが、タビトが変化するのに応じて変わっていることは、芝居を見ていれば容易に分かるはずだ。
 だから、中学校を卒業した「15歳」のタビトが、10秒後には、高校を卒業する「18歳」のタビトになるし、大学を中退して音楽で食っていくと突如言い始めた息子をいさめる「50歳」の中年タビトが、10秒後には、大学を中退してギターで食っていくと家族に自信満々で決意を述べる「21歳」の青年タビトになる。「結婚してください」と女性に手を差し伸べてプロポーズする「25歳」のタビトは、10秒後には「26歳」になり、めでたくその女性と握手がかなってゴールインする。そしてタビトが何歳だったか(失念)の折の、孫の喜ばしい誕生の場面が、10秒後には、タビト自身の誕生の場面になる。
 そうかと思えば、ソープランドとおぼしき場所で(これももちろんマイムだけでの時空の表現)、椅子に腰掛けて恥じらいながら「こういう場所に来るの、初めてなんです」と、隣で腰を屈めて石鹸を泡立てているソープ嬢に告白する「23歳」の純朴タビトが、10秒後に、両者まったく同じ姿勢で、「君、この店で働いて長いの?」「いえ、きょうが初めてなんです」なんて、いかにも場慣れした常連客になっていて、入店したてのソープ嬢と会話を交わす「33歳」の助平タビトになったりもする。役者の動きと台詞にめりはりが利いているばかりでなく、遊び心もいっぱいなのだ。
 こうして舞台に立ち現れるのは、自然な編年体で描かれるタビトの人生ではなく、いったん10秒=1年ごとに細かく切り刻まれた後(解体)、後先はばらばらで行ったり来たりしながら、まるでジグソーパズルの一片一片を組むように入念、周到、繊細に計算され、構成し直されて現前化し、始めはおぼろげながらも見る者の心の内に確かに像を結んでくる(再構築)タビトという1人の男の、ある意味、平凡と言えば平凡な80年の人生だ。
 だが、10秒ごとにタビトと、彼を取り巻く家族ら他者が刻々と変わっていく、その変化のなんともリズミカルで小気味の良いこと!
 この知的で斬新な演劇的手法の採用で、平凡な人生こそ非凡で素晴らしいものに思えてくるから、不思議で、素敵だ。
 見ていた私はいつしか想像力=創造力がえらく刺激され、思いが深くへ遠くへとさまざまに飛躍していた。本当に貴重で、ありがたい演劇的体験だった。
 そう、「光陰矢のごとし」の言葉通りに、時の移ろいは人知を超えていかんともしがたく速い、そして人生はいかにも儚く、それゆえにこそ掛け替えがなく、どこまでも限りなく愛おしいものであるか!
 この芝居で採用された手法は映画や小説などでは難しく(私が見た数時間後に連想したのは、唯一、フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが「気狂いピエロ」の一場面、ジャン=ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナがマンションから抜け出して車で逃走するシーンで使った、なんとなく雰囲気の近い“文法破壊”のカット割りだ。ご興味のある方はビデオやDVDをレンタルするなどして見てみていただきたい。だが「117」は何歳の次に何歳がくればより劇的に効果的に見る人の心に響くか、などにも細かく心を配っていることが感じられ、全編この手法を貫き通したという意味合いで、「気狂いピエロ」のその試みをもはるかに凌駕しているとあえて言いたい)、これこそまさに時間と空間の制約を超越して、過去と現在、未来を、それに、こことそことあそこを自由自在に行き交える「演劇」ならではの手法を実に巧みに活用した、前衛的かつ実験的、そしてなにより意欲的な作品だった。
 この知的で斬新な演劇的企みに満ちた作品を、これまで200本以上の芝居の演出を手がけ、日本演出者協会副理事長で同協会主催の若手演出家コンクール審査員を務めておられる、今演劇祭のゲスト審査員流山児祥氏ならば、いったいいかなる評価をされただろうか。ぜひとも聞きたかった。
 追伸・ミヤザキくんへ。持ち時間15分というこの、いかにも「短編演劇」という「枠」あるいは「制約」を逆手にとって最大限生かし切った作品を、いつかどこかで、なんらかの折、機会に、ぜひ再演してください。お願いします。私自身もいま一度見て心に焼き付けたいし、今回は都合があって見られなかった多くの演劇ファンにも広く見てもらう価値のある作品だと、私は確信しています。
 そして、この作品をつくることで得ただろう確かな手応えと、この革新的な手法を“伝家の宝刀”に、これからも新たな芝居づくりに突き進んでください。私は、じっくりたっぷり期待して待っています。
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教文短編演劇祭2010決勝戦

 7月から1カ月間にわたり行われてきた教文演劇フェスティバルの最後を飾るメーンイベント、「教文短編演劇祭2010」の決勝戦が8月22日(日)、札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。観客の投票による審査の結果、イレブン☆ナインが見事に初優勝した。
 短編演劇祭は1カンパニーが15分の持ち時間で短編演劇を上演し競い合うもので、本年度で3回目。本年度のテーマは「家族」だ。
 決勝戦は、2年連続優勝しているディフェンディングチャンピオンの劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌が「ある日、お父さんが突然…」(作・演出棚田満)、敗者復活枠のエビバイバイが「焦げカラメリゼ」(作・演出斉藤麻衣子)、予選1日目を勝ち抜いたyhsが「P.S.I LOVE YOU」(作・演出南参)、同2日目を突破したイレブン☆ナインが「コロス」(作納谷真大、演出イレブン☆ナイン)を上演した。この決勝4カンパニーの顔ぶれは昨年とまったく同じ。
 ゲスト審査員として劇作・演出家、俳優の流山児祥、劇作家・俳優の佃典彦の両氏と、斉藤雅彰・教文演劇フェスティバル実行委員長も加わり(ゲスト審査員の持ち票は昨年は1人 70票だったが、今年はなんと一般
観客と同じ1人1票。これはある意味で実行委の英断だ!)、審査の結果、イレブン☆ナイン85票、劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌48票、yhs28票、エビバイバイ20票で、イレブン☆ナインが前回のリベンジを果たした。
 イレブン☆ナインの芝居は、殺されても生き返ってしまう、だから「愛」の表現としてつい殺し合ってしまうという家系の父と4姉妹の家庭に、ある日、娘の1人にプロポーズをしに訪れた会社の同僚が味わう悲哀を描く不条理演劇。
 優勝したイレブン☆ナインには、愛知県長久手町で来年2月に開かれる「劇王」という短編演劇祭への招待公演権とチャンピオンベルト(手作り)、来年度の「教文短編演劇祭」決勝シード権、同じく来年度の教文演劇フェスでの小ホール公演権が贈られた。なんとも豪華!
 さらに表彰式で佃氏から、来年2月の「劇王」で優勝したカンパニーが、次回の「教文短編演劇祭」にエントリーする旨が発表された。「短編演劇」を通じた北海道と愛知県の演劇交流がまさに始まろうとしている!
 ちなみに私が投票したのは、予選1日目がエビバイバイ、同2日目が敗退したTBGS(THE BIRDiAN GONE STAZZIC.)「117」(作・演出ミヤザキカヅヒサ)、決勝戦はイレブン☆ナイン。さて、あなたが1票を投じたカンパニーの結果はいかがでしたか?
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2010年08月21日

教文短編演劇祭2010予選2日目

 教文演劇フェスティバルの最後を飾る「教文短編演劇祭2010」の予選2日目が8月21日(土)、札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。
 高齢者劇団(平均年齢66歳)くしろゴールデンシアターきらり座「お母さんのおかげだよ」(作・演出佐藤伸邦)、演劇公社ライトマン「家(うち)の庭」(作・演出じゅうどうげんき)、TBGS(THE BIRDiAN GONE STAZZIC.)「117」(作・演出ミヤザキカヅヒサ)、イレブン☆ナイン「コロス」(作納谷真大、演出イレブン☆ナイン)の順に上演。観客投票の結果は、イレブン☆ナイン170票、TBGS75票、くしろゴールデンシアターきらり座36票、演劇公社ライトマン9票で、イレブン☆ナインが昨年度に続いて決勝戦進出を決めた。
 また実行委が選出する敗者復活枠の1カンパニーは、予選1日目に上演したエビバイバイが選ばれた。
 この結果、22日(日)の決勝戦は、2年連続優勝しているディフェンディングチャンピオンの劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌、エビバイバイ、yhs、イレブン☆ナイン(上演順)が優勝をかけて争う。
 実はこの4カンパニー、昨年度とまったく同じ顔ぶれ。劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌(今回は真面目路線でくるのか、お馬鹿路線でくるのかも注目すべきところ)が防衛するか、ほかの3カンパニーがリベンジするか、期待は高まるばかりだ。
 なお決勝戦(午後2時から)には劇作・演出家、俳優の流山児祥、劇作家・俳優の佃典彦の両氏がゲスト審査員として参加。両氏による特別トークセッションもある。
 短編演劇祭終了後は午後5時から教文研修室403で交流会。演劇祭参加者も観劇者も、世代を超えて演劇を肴に飲食し、語らうことのできる楽しい場だ。私も参加するので、気軽にお声おかけください。
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2010年08月20日

教文短編演劇祭2010予選1日目

 7月から行われてきた教文演劇フェスティバルの最後を飾るメーンイベント、「教文短編演劇祭2010」の予選1日目が8月20日(金)、札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。
 短編演劇祭はその名の通り1カンパニーが15分の持ち時間で短編演劇を上演し、競い合うもので、本年度で3回目。本年度のテーマは「家族」で、予選は20、21の両日、応募のあった17カンパニーから台本審査で選ばれた各4カンパニーが競う。各日、観客投票を最も集めた1カンパニーずつと、残る6カンパニーから実行委が選出する1カンパニーが22日の決勝戦で、2年連続優勝しているディフェンディングチャンピオンの劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌と優勝をかけて争う。
 この演劇祭の優勝賞品、最初はチャンピオンベルト(手作り)と翌年度の決勝シード権だけだったはずだが、年々充実してきていて、今年からは愛知県長久手町で2月に開かれる「劇王」という短編演劇祭への招待公演権や、翌年度の教文演劇フェスでの小ホール公演権が与えられるようになった。これは、いや応なしに「マジにならざるを得ない度」が高まったのではなかろうか。会場もほぼ満席に近い観客で埋まっていた。
 予選1日目は、劇団深想逢嘘(ウタタネ)「バトン」(作・演出城谷歩)、エビバイバイ「焦げカラメリゼ」(作・演出斉藤麻衣子)、星くずロンリネス「オサイファ−天使と悪魔と僕−」(作・演出上田龍成)、yhs「P.S.I LOVE YOU」(作・演出南参)の4カンパニーの順に上演。審査の結果、yhs108票、エビバイバイ58票、星くずロンリネス40票、劇団深想逢嘘26票(確定値。会場で発表された速報値と少し異なる)で、yhsが昨年度に続いて決勝戦出場を決めた。
 21日は午後2時から、くしろゴールデンシアターきらり座など4カンパニーが決勝戦進出をかけて上演する。趣向を凝らして15分に凝縮したどんな面白い短編が見られるか、なんとも楽しみだ。
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2010年08月18日

劇団クリオネのみんな、全国でも頑張れ

 きょう8月18日(水)、ちょっとした調べものがあって、このブログの2009年12月31日付「2009アワード」を読み直したら、1件コメントが来ていた。
 もしかしたら、駆除に成功しつつある悪質なエロサイトの宣伝か?(失礼)と思いつつ開いたら、先のアワードでシアターホリック奨励賞を贈らせていただいた十勝管内清水町立清水中学校全校生徒による劇団クリオネの一人、こんさんからだった。
 つい最近の8月5日付で「抜群に面白かったって言ってもらえて本当に嬉しいです!!」と書いてくれている。
 そして、全国大会は8月20日に福岡でやること。その前の8月17日には自分たちの町(清水町)で公演することも告知している。なんと昨日ではないか。
 その上で、「『演劇LOVE』ってことを町のみんな、全国の人に伝えられるように精一杯演じてきます!!」と力強く宣言してくれている。
 うれしいなあ。本当にうれしい。ブログを通じた心と心の演劇的交流のようで、なんとも感無量です。
 自分で書いたブログの過去ページを、たまには読み直してみるもんだなあ。
 こんさん、地元清水町での昨日の公演は無事成功したことと思います。
 そして福岡での全国大会、昨年、全道大会で熱演した先輩たちの分まで頑張ってきてくださいね。
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2010年08月13日

LAST OF LOST

 初めて聞いた名だが、今回の公演のためだけのカンパニーだろうか? 劇活くらぶの「LAST OF LOST〜諦めないと願う人々に」(作亀井健=AND、脚色・演出武田晋=劇団イナダ組)を8月13日(金)、札幌市教育文化会館小ホールで見た。「教文演劇フェスティバル2010」参加の小ホール公演だ。
 チラシによると、あらすじは−郊外に出来る大型ショッピングセンター、寂れ行く駅前商店街。昨今のよくある風景、よく似た街。そんな何処かの街に暮らす三人の若者の友情を軸に物語は進む。巨大企業のもとに街の人々は日々の暮らしを立てている。その企業の内部告発をしようとする男の正義。その正義の裏には大きな犠牲が伴う。はたしてその告発の後に残るものは…。−というものなのだが…。
 話があっちこっちに飛んではまたあっちこっちに飛んで拡散したまま芝居がどんどん進んでいくから、正直、私は物語の筋をほとんど追うことがかなわなかった。
 当日配られたチラシに亀井は「作品の題名は、『動脈と静脈』という名前で、僕はこの国の未来、それに関わる世界、資本主義だとかの限界の様、うつろなものの何かを、確かなものにしたいと考えていた。それによって人間の比類されない関係性だとかの不思議な間が息をして獲物を狙っているような」−と書いているし、実際、彼がそういうところを狙っているのだろうなという感触というか、雰囲気は伝わってきたのだが、そうであればやはり、物語を最初から最後まで貫く縦糸はもっと図太くし、最後にはもっと収斂していってもよかったのではないだろうか。少しばかり横糸の方に心配りが過ぎたように思え、残念でならない(脚色・演出の武田もこのあたり、苦労しただろうと推察する)。
 ただ、それぞれの劇団で、(大変失礼ながら)ギトギト芝居の亀井とコテコテ芝居の武田のタッグがいったいどんな化学反応を生じさせるのだろうかと、半ば期待と不安が入り交じったまま観劇したが、全体を通してしっとりとした情感が通奏低音として流れていたのは意外な収穫だった。
 それにしても、盆の真っ最中のうえ、3ステージの3ステージ目とはいえ、300人程度入る会場に観客が3、4割というのは、ちょっと寂しすぎるし、もったいない。主催者側は来年の小ホール公演の上演時期を検討し直した方がよいのではないか(もっとも、盆だから小ホール公演ができる、ということもあるのだろうけれども)。
 教文演劇フェスではあと、20日(金)から22日(日)まで「短編演劇祭」があり、22日には毎年楽しみな交流会が開かれる。
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2010年08月11日

河童(再送)

 なんだか「河童」がどこかへ紛れ込んでいるらしいので、全文を以下に再送する。結果的に「河童」が続いてしまったらすみません。

 札幌市中文連演劇専門委員会主催「5日間で作る『河童』演劇ワークショップ発表公演」の「河童」(作・演出畑澤聖悟)を8月11日(水)、札幌・シアターZOOで見た。札幌市内9中学校の男女生徒17人による熱演で、十分に笑わせ楽しませ、考えさせる芝居に仕上がっていた。
 畑澤は青森中央高美術科教諭の傍ら、劇団「渡辺源四郎商店」を主宰する劇作・演出家。高校演劇部顧問としては、従来型「高校演劇」の枠を大きく逸脱したユニークな作風で、「修学旅行」、それに今回の「河童」(2008年)で全国高校演劇発表会で最優秀賞を受賞している(いずれも青森中央高)。
 「河童」は、クラスの一人の女子生徒がある日突然、顔も手も緑色、頭のてっぺんには皿があり、手には水かきがある河童に変身してしまったことから起こる騒動を描いた不条理劇。
 河童になったのは日ごろの彼女の周りに対する汚い行いの報いだと無視を決め込む女生徒たちや、河童になった彼女に思いやりを持って接するが、いざとなると萎縮してしまう学級委員長の女生徒、河童の彼女を孤独にしまいと自分も河童に扮装してコミュニケーションを取ろうとする男子生徒などを通じて、差別や偽善の問題に鋭く切り込む作品だ。
 ワークショップは6月にオーディションが行われ、畑澤によると、その時すでに配役を決めたという。8月のワークショップ本番までに台詞をすべて覚えてくるようにし、この5日間(最終日は発表のため、実質4日間)で構成・演出したという。
 果たして、芝居の出来は上々。とても5日間で作り上げたとは思えない素晴らしい出来映えだった。何より出演した生徒たちが畑澤に寄せる信頼感が、芝居の端々から伝わってきて好感を抱いた。
 このワークショップ、昨年初めてシアターZOOで「修学旅行」を題材に行われ、その発表会の出来は素晴らしく、一部の演劇関係者の中では「伝説」と化しているもの。来年以降も継続して行われ、畑澤の薫陶を受けた中学生たちが広く大きく羽ばたくきっかけになることを祈らずにはいられない。すてきな時間と空間をありがとう。
posted by Kato at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

河童

 札幌市中文連演劇専門委員会主催「5日間で作る『河童』演劇ワークショップ発表公演」の「河童」(作・演出畑澤聖悟)を8月11日(水)、札幌・シアターZOOで見た。札幌市内9中学校の男女生徒17人による熱演で、十分に笑わせ楽しませ、考えさせる芝居に仕上がっていた。
 畑澤は青森中央高美術科教諭の傍ら、劇団「渡辺源四郎商店」を主宰する劇作・演出家。高校演劇部顧問としては、従来型「高校演劇」の枠を大きく逸脱したユニークな作風で、「修学旅行」、それに今回の「河童」(2008年)で全国高校演劇発表会で最優秀賞を受賞している(いずれも青森中央高)。
 「河童」は、クラスの一人の女子生徒がある日突然、顔も手も緑色、頭のてっぺんには皿があり、手には水かきがある河童に変身してしまったことから起こる騒動を描いた不条理劇。
 河童になったのは日ごろの彼女の周りに対する汚い行いの報いだと無視を決め込む女生徒たちや、河童になった彼女に思いやりを持って接するが、いざとなると萎縮してしまう学級委員長の女生徒、河童の彼女を孤独にしまいと自分も河童に扮装してコミュニケーションを取ろうとする男子生徒などを通じて、差別や偽善の問題に鋭く切り込む作品だ。
 ワークショップは6月にオーディションが行われ、畑澤によると、その時すでに配役を決めたという。8月のワークショップ本番までに台詞をすべて覚えてくるようにし、この5日間(最終日は発表のため、実質4日間)で構成・演出したという。
 果たして、芝居の出来は上々。とても5日間で作り上げたとは思えない素晴らしい出来映えだった。何より出演した生徒たちが畑澤に寄せる信頼感が、芝居の端々から伝わってきて好感を抱いた。
 このワークショップ、昨年初めてシアターZOOで「修学旅行」を題材に行われ、その発表会の出来は素晴らしく、一部の演劇関係者の中では「伝説」と化しているもの。来年以降も継続して行われ、畑澤の薫陶を受けた中学生たちが広く大きく羽ばたくきっかけになることを祈らずにはいられない。すてきな時間と空間をありがとう。
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ペール・ギュント

 TPS「ペール・ギュント」(原作ヘンリック・イプセン、構成・演出斎藤歩、翻訳は不明)は8月8日(日)、札幌・サンピアザ劇場で見た。客演を含め出演者総勢21人という数もさることながら、後志管内蘭越町での真夏の4泊5日のシアターキャンプで試行錯誤しながらの作劇、またチェリスト土田英順、ソプラノ後藤ちしを、さらには札幌で活躍する清水友陽(WATER33-39)、すがの公(ハムプロジェクト)、橋口幸絵(劇団千年王國)という3人のカンパニー主宰者であり、劇作・演出家を迎えての大がかりな芝居。10分間の休憩を挟んで2幕2時間半の大作の出来は、果たして私の予想以上に、観客の想像=創造を促す素晴らしいものだった。
 物語は、「自分を自分として生き抜くこと」を宿願とした若者ペール・ギュントが諸国を遍歴し、さまざまな出会いと別れ、命を賭すような冒険を体験し、年老いて死に向き合うまでを描いた一種の成長譚。
 その主人公ペールを、成長に合わせて4人の男優(高野大吾、田中春彦、鎌内聡=TPS、高橋正樹)が演じ継いでいく。さしたる舞台装置はなく、場面の折々に役者たちが大小の道具を持ち込んで、舞台を時に華やかに時に荘重に飾り立てる仕立て。そのアイデアが実に楽しい。
 私はこれを見ながら、演出家串田和美がかつて「串田ワーキング・イン北海道」2年目の「コーカサスの白墨の輪」試演会(札幌市教育文化会館小ホール)で醸し出した面白さと、演出家松本修(MODE、札幌市出身)が一連のカフカ原作芝居(「失踪者」など)で見せた抜群のアイデアの発露との関連を思い浮かべていた。
 そうだ、そうなのだ。これは串田や松本に薫陶を受けた斎藤歩が、自分より一世代若い清水やすがの、橋口、さらには出演する役者たちに身を持って伝えきろうとした懸け橋の芝居なのだ。良質な芝居づくりのノウハウが確かに受け継がれようとしている!
 ペールの妻を演じた後藤の凜とした立ち姿の美しさ、戯曲の解釈がしっかりと舞台に反映していた清水、すがの、橋口の存在感、それを陰で支えた土田のチェロ。そして観客の想像=創造を促す数々の演劇的企み。私は、次にはいったいどんな仕掛け、場面、台詞が登場するのか、期待にわくわく胸を躍らせながら見守っていた。
 有名なグリーグの組曲を一切使わず、劇中約20曲のほとんどを作った斎藤の才覚にもあらためて触れておかなければならないだろう。場面場面に応じたさまざまな作曲で芝居を盛り上げた斎藤のマルチな才能には本当に頭が下がる。
 最後にほかのキャストを紹介しておこう。TPSからは木村洋次、佐藤健一、宮田圭子、林千賀子、高子未来、伊佐治友美子、齋藤由衣、茂木聡、客演で藤田悟、品田実穂、飛世早哉香、中塚有里。
 この作品は今年随一の収穫というべきものである。
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2010年08月06日

東京観劇記2010年7月

 ずいぶん長らくのご無沙汰、申し訳ありません。日ごろの暑さに加えて、ブログが更新されないことへの苛立ちが増し、はたまた加藤はとうとう出奔したんじゃないかと心配された方もおられたのではないでしょうか(自意識過剰?)
 実は、10月末に2年間の有効期間が切れる、20年の永年勤続特休を利用して、8月1日(日)まで9日間、灼熱の東京に滞在して芝居を5本観劇、寄席にも1軒行って来ました。以下、簡単ながら備忘録を。
 上京初日の7月24日(土)午後は、これまで室内空間での上演ながらテント芝居を感じさせる舞台美術とテイストの演劇が評判で、かねがね一度は見たいと念願していた、劇団桟敷童子の「蟹」(墨田区・すみだパークスタジオ倉=本当は倉の文字が○の中に入る。作サジキドウジ、演出東憲司、美術塵芥)。劇場は桟敷童子の本拠地であり、倉庫群の中。ほかにも音楽の練習などをしていた様子の倉庫もあった。物語の詳細は割愛するが、立て込みのごちゃごちゃした、なるほどテント芝居を彷彿とさせるセット。水も舞台上に池が作られるなど重要なファクターなのだが、ただ物語の始めからその水が天井からどばどば滝のように流れ落ちるのはちょっともったいない気もした。クライマックスでこそ、ざぶんざぶんやればいいのに、と。まあ貧乏人のもったいない性ですね。
 続けて夜は新宿・花園神社で椿組2010年夏・花園神社野外劇「椿版 天保十二年のシェイクスピア」(作井上ひさし、構成・演出西沢栄治、プロデューサー外波山文明)。総勢50人余が出演する3時間の舞台は迫力満点、熱気むんむん。開演前や途中休憩に役者たちが売るビールや茶も飛ぶように売れていた。作り込みのセットはなく、役者自身が折々に大、小の道具を持ち出して演ずる芝居。全員での合唱や踊りが頻繁に入っていたが、これが井上ひさしさんの元々の戯曲にあったのかどうかは不明。TPT(シアタープロジェクト・東京)などで活躍する、主人公の悪漢役・山本亨の存在感がひときわ光った。ラストは仮設テントの奥が壊れて向こうが見える、待ってましたのお決まりクライマックス。これで私も遅まきながら、井上ひさしさんを追悼できたように思う。
 明けて25日(日)は、座・高円寺1で伊東由美子生誕50周年記念公演「少女仮面」(作唐十郎、演出久保井研)。昨年5月にオープンした新しい劇場で、テント芝居のエッセンスを楽しむのも一興だ。もう7、8年前、MODEの松本修さん(札幌出身)演出の「若草物語」の全国ツアーの一環で北海道にも来た伊東の、白いスーツ姿が男装の麗人のごとくびしりと決まっている。ただ、ラストの流水はやはり室内劇場の悲しさか、しょぼりしょぼり。でも唐十郎独特の世界がなかなかうまく表現されていた。
 29日(木)は、下北沢・OFFOFFシアターで東京ネジ「きみどりさん」(脚本佐々木なふみ、演出佐々木香与子)。何も予備知識はなく、飛び込みで見た。ある家の押し入れに住まっている謎のおばあさん「きみどりさん=名前の通り、いつもきみどり色の服を着ている」と家族の物語。不条理演劇ながら不思議さを通り越して温かなものが伝わってきた丁寧な作り。私にとっては拾い物だった。
 30日(金)は今回の眼目、池袋・東京芸術劇場中ホールの野田地図「ザ・キャラクター」(作・演出野田秀樹)。1995年の地下鉄サリン事件をモチーフに、「信じること」「信仰」の美しさ、尊さと恐ろしさ、怖さを、街の書道教室の模様から始まりギリシャ神話までもを絡めて描いた力作で、野田にはまたしても深く考えさせられた。野田特有の言葉遊び、豊かな身体性を生かした芝居を見ていると、私がふだん使わない脳の毛細血管にまで血が行き渡り、めまいがする感じなのだ。宮沢りえの神々しいまでの透明感、古田新太の図太い存在感、そして藤井隆がきびきびとした動きと台詞で「なかなか見せるなあ」と思わせた。やはり私の上京、東京観劇は、今後も野田地図を軸に巡っていくことになるのだろうな。
 初めて行った東京芸術劇場はロビーがむやみやたらに広い、広すぎる。こんな贅沢なところが、野田が芸術監督に就任する前まではただの貸し劇場だったなんて…、東京は金があるというか、もったいないというか、頭がなかったというか…。これからは良い劇場に育っていくでしょう。
 31日(土)は新宿末広亭で寄席見物。いつも通りに、近くの熊本ラーメン「桂花」で桂花ラーメンとご飯を食べ、正午からの昼の部に入る。もらった番組表には、神田紅とか桂米丸とか笑福亭鶴光とか、見知った顔ぶれがずらりと並んでいるのだが、これらがいずれも「欠勤」。つまり代役の登場だ。これじゃ、あんまりじゃないかとも思ったが、そこは、新たな芸人との出会いのチャンスでもあると自分を納得させて、ひたすら高座に見入る。途中休憩を挟んで、夜の部もちょっと見て6時まで。落語家も漫才師も、テレビにこそ出ていないけれど、こんなに笑わせてくれる人がたくさんいるんだということをあらためて認識した次第。テレビは本当に使い捨ての世界だなあとも思う。皆さん、東京には新宿、池袋、上野、浅草と4カ所に寄席があります。上京の際にはぜひ一度、足を運んでみてください。
 札幌に戻って8月3日(火)には市教育文化会館大ホールで作・演出倉本聰の富良野GROUP「歸國」(文字化け用心のために、「帰国」の旧字です)を見たが、観客に想像させる余地がほとんどない窮屈なメッセージ至上主義芝居にがっかり。これ以上は書くと悪口ばかりになるので、きょうはこの辺で。
posted by Kato at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする