2010年03月28日

赤い薬

 立命館大の学生劇団のOBを中心に1989年発足、京都を拠点に活動するMONO(土田英生代表)の「赤い薬」(作・演出土田)を3月28日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。パンフレットによると、1997年秋に上演したコメディーの再演とのことだ。
 別名「姥捨て山」ともいわれる臨床医学センターが舞台。なぜそう呼ばれるかというと、ここの治験(臨床試験)に来るのはほとんどが身寄りのない人だから。
 今も森(水沼健)、城山(奥村泰彦)、間瀬(尾方宣久)、山岸(土田)の4人の被験者が、医師佐伯(金替康博)、看護師永田(山本麻貴)のケアの下、半年間で謝礼1000万という言葉に誘われて治験している。
 はじめは飲むとハイになる薬などだったが、ある日から「赤い薬」に。佐伯がセンター長と製薬会社の担当者の話を偶然聞いたところ、それは飲み続けると廃人になるかもしれない薬だった。佐伯と10年の「個人的関係」がある永田はそれを佐伯から聞き、被験者4人を脱走させようとするが−という内容。
 これまでさまざまな賞を受賞している土田だけあって、やはり話の持っていき方が巧みだ。演出も一人ひとりの個性が際立っていて的確。コメディーとして上質なものに仕上がっていた。
 実は必ずしもハッピーエンドというわけではない物語だが、それがかえって見る側の心にひっかかりを残して余韻となっている。
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2010年03月27日

珊瑚の指・追記

 物語の本編の始まる前の冒頭で、登場人物5人が薄暗がりの中、だるまのような形で地べたに転がる場面がある。あれは戯曲にはない斉藤オリジナルのシーンだ。登場人物の人間関係の不安定さ、人間存在の不確かさを象徴するようにも思え、ダンスなど身体表現にも造詣の深い斉藤ならではの演出だった。
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珊瑚の指

 Real I's Production(リアル・アイズ・プロダクション)の「珊瑚の指」を3月27日(土)、札幌・ブロックで見た。劇団怪獣無法地帯の伊藤樹(たつる)の戯曲を、エビバイバイの斉藤麻衣子が演出した。最後まで緊張感の持続する見応えのある芝居だった。
 私はこの戯曲をもとに清水友陽(WATER33-39)が脚色し演出した「相生珊瑚(あいおいさんご)」を最初に見て、2006年6月にはこの戯曲そのものを劇団怪獣無法地帯が棚田満演出で上演した作品も見ている(当ブログ06年6月24日の項参照)。それらと比べても、遜色のない良い出来映えだったのではないか。
 劇場に入るとまず、舞台両袖の幕を取り外し、通常の倍近い空間が広がっているのに目を奪われる。リアル・アイズの第1回演劇公演である、ここブロックで上演された「KING OF DENMARK」での空間の使い方を思い出した。あの時も下手側の幕は取り払われて、いつもと違う異空間が生まれていたのだ。
 この広い空間が、芝居の舞台である妙子(伊藤若菜)の部屋という設定だ。上手にはベッド、中央にテーブルとソファ、下手に台所、玄関が設えられている。
 妙子の8年前の彼氏で、沖縄の海で借金苦から自殺したという、あつやの仲間内だけの通夜を、今夜、ここで行うのだ。
 部屋には、妙子がいま付き合っている年下の紘(こう・大原慧)がすでにいて、後から妙子の友人美奈代(榮田佳子)・了(さとる・杉野圭志)の夫婦、それに妙子の妹瑠璃子(原田充子)がやって来る。
 飲みながら、また酔って嘔吐もしたりしながら(紘)、他愛もない会話を交わすうちに、彼らの過去や現在、仲良く見えて実は危うい人間関係(実は了と瑠璃子が不倫している、など)が徐々に浮かび上がってくる。
 斉藤演出は奇をてらわず正功法で、この微妙な人間関係のひだを淡々と描くことで、逆に観客にさまざまなことを想像させた。私の得意な、観客の「思いの入り込む余地」、というやつである。
 物語の様相は全体にサスペンスの色調。だがラスト、2人きりになった紘が妙子に行うある行為で、実はこれはホラーともスリラーとも読み込むことのできる物語であったことが分かる。斉藤がここに至るまで丁寧に人物を描いてきたことで、ラストシーンの持つ意味合いもことさら深長に迫ってきて、私は思わず背中がぞくっとしたほどだった。
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2010年03月24日

鍋のナカ(脚本共作公演)

 前項「ヒア・カムズ・ザ・サン」で「パーティーの首謀者である3女ともこ」を「パーティーの企画者である3女ともこ」と訂正します。首謀って良くないはかりごとだから、ここで使うのは適切ではありませんでした。 さて札幌福岡演劇交流発信プロジェクトMeets!2009、南参(yhs、札幌)×川口大樹(万能グローブガラパゴスダイナモス、福岡)脚本共作公演「鍋のナカ」を3月22日(月)、札幌・コンカリーニョで見た。
 08年に「プロ野球中継の流れる部屋」という設定で2人が書いた台本を、一場面ごと交互に見せる構成で上演した「逃げろ/にっちもさっちも」からさらに共作という形を発展させ、今回はインターネットのチャット機能を使って脚本を本当の意味で共作。6人の登場人物を3人ずつ担当して1本の台本を書き上げたという。
 舞台は札幌、風介(小林エレキ=yhs、椎木樹人=ガラパ)が従業員・花(福地美乃=yhs、多田香織=ガラパ)を使って経営するラーメン店。福岡から来て、細麺ストレートの豚骨スープのラーメン店出店を目指す鳥郎(能登英輔=yhs、松野尾亮=ガラパ)が北海道出身の妻・月子(青木玖璃子=yhs、横山祐香里=ガラパ)を伴い、風介の店を借りて亡父の味づくりに余念がない。だがなかなか亡父が福岡で開いていた「梅龍」の味にはならないのだ。鳥郎の研究には、風介の店に出入りしている製麺業者・春高(丹治誉喬=yhs、阿部周平=ガラパ)も協力。ストレートの細麺を提供する。
 鳥郎以外の4人が店を出払った折、風介に金を貸している高利貸のやくざ(すがの公=ハムプロジェクト、現地ゲスト)が店に金を取り立てに訪れる。鳥郎ははじめラーメン査定の審査官だと勘違いしてラーメンを出すが、どうもそうではないらしい。そしてあろうことか、自分のラーメンを馬鹿にされたのに腹を立て、そのやくざを倉庫の中で…というコメディー。
 私は先にyhs(演出南参)、後からガラパ(演出川口)という順で見た。yhs版には台詞のない鳥郎の亡父の幽霊役として城島イケルも出演していた。
 yhsはとにかくテンポが良く、メリハリも利いていて大笑いした。小林が怪演で大爆笑。彼の神経症的とも言える動きは札幌演劇界の中でなかなか貴重なものだ。福地らほかの役者たちも脇をしっかり固めていて、南参演出の手堅さとともに随所に目配りの良さを感じさせた。
 一方、ガラパは私には少々淡泊に映った。yhsに比べて台本にあまりに忠実に演じている感じがして(つまり良い意味での脱線、逸脱がない)、より濃厚なものを期待していた私は乗り切れなかった。
 でも、まさに貴重なプロジェクト。今後もなんらかの形で継続してほしいものだ。
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2010年03月22日

ヒア・カムズ・ザ・サン〜屋根の上に、春雲帰りぬ〜

 やまびこ座プロデュース公演・東区市民劇団オニオン座第2回公演「ヒア・カムズ・ザ・サン〜屋根の上に、春雲帰りぬ〜」(作・演出西脇秀之=劇団回帰線)は3月22日(月)、札幌市こどもの劇場やまびこ座で見た。 札幌・東区にある内科・小児科の家族経営の小さな病院「石川医院」。きょう土曜日は院長「おじいちゃん先生」の古希(70歳)のサプライズパーティーが計画されている。そんな病院を舞台に、院長の妻の奥さん先生(入江明美)、15年前に家を出たまま帰らない、売れない物書きの長男信幸(大塚修司)、長女エミ先生(小林なるみ=劇団回帰線)、次女矢崎美佐子(佐川知子)、パーティーの首謀者である3女ともこ(江崎未来)らの家族関係を縦軸に、病院の看護師や外来、入院患者らの人間関係を横軸にして描いた、どったんばったんのヒューマンコメディーだ。
 出演者は小学生から年配者まで総勢39人。これまで何度も芝居に出たことのある人もいれば、今回が初めての人もいる。その芝居、演技の達者度合いからくる、なんともいえないおかしみも市民劇の楽しみの一つだろう。市民劇は演ずる方も見る側も、そんなアットホームな雰囲気に包まれているのが温かい。 ドタバタ喜劇のテイストでありながら、最後にはそこはかとない人情の機微を描き出すことにかけては、いま、西脇の右に出る作者はなかなか北海道内にはいないのではないか。本作では、陰の主人公である古希の院長を舞台上に出演させないまま、東区で長らく続いてきたであろう病院内の家族関係のひだを浮き彫りにすることに成功している。実に味わいのある脚本だ。
 出演者たちもみな熱演。見終えた後、とても清々しい空気が劇場内に満ちていて、なんとも贅沢な気持ちにさせてもらった。また来年も楽しみだし、いまの子役が大人になったら、いったいどんな芝居になるのだろうと想像するとわくわくする。コンカリーニョのある西区といい、やまびこ座の東区といい、恵まれているなあ。
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CRIME〜芥川龍之介「藪の中」より〜

 THE UNITED COLLABORATION(ザ・ユナイテッド・コラボレーション、TUC)の「CRIME〜芥川龍之介『藪の中』より〜」(演出甲斐大輔、構成・脚色・演出補高橋千尋)は3月21日(日)、札幌・シアターZOOで見た。黒澤明監督が「羅生門」の題で映画化もしている原作をどう料理するのか、とても興味があったが、独特の美意識に貫かれていて見応えがあった。
 山科から若狭に向かう山中で侍、武弘(甲斐)の死体が発見される。連れ立っていたのは妻、真砂(高橋)。殺人の容疑をかけられたのは洛中を騒がす盗人、多襄丸(HIRO)だったが、死体の第1発見者や、前日に夫婦を見かけた者、また真砂や多襄丸本人、巫女の口を借りて武弘の死霊に聞いても証言は食い違い、真相は藪の中、という物語。
 舞台は4人の女性によるコロス(もとは古代ギリシャの合唱隊。転じて観客に劇の背景などを何らかの形で説明したりする役柄のこと。斎藤もと、蓮見せい子、下道小百合、中村有沙)とさまざまな楽器の生演奏(三島祐樹)により、様式的かつダイナミックさを伴って展開する。このコロスの舞や踊り、それに時に応じて瞬間を切り取る生演奏(それは笛や太鼓、鉦などさまざまな楽器で)というのが、この舞台の生命線と見た。それほどに重要な役目を果たしていた。
 武弘ら3人の芝居も、簡潔にして要領を得ており、物語が素直に見る側に浸透してきた。映画とはひと味もふた味も違う、演劇ならではのライブ感のある描写だ。古典を現代に生かす試みが随所に十分生かされていた。
 思えば、TUCの芝居に私が魅了されたのは、岸田國士の「チロルの秋」「紙風船」「ぶらんこ」をオムニバス形式で上演した「こんな、ゆめを、みた。」(当ブログの2007年9月30日の項参照)以来ではないか。
 ここ数本の作品は、劇作をちょっと観念でとらえ過ぎている感がしないでもなく、難しいものが多かったが、今回はそれがうまくはまったとでもいうことだろうか。このカンパニーならではの、しかも、前項の「ガラポンモノガタリ」の項とは矛盾するかもしれないが、わずか55分間に凝縮された緊迫感のある舞台を存分に味わったのだった。
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2010年03月21日

ガラポンモノガタリ

 前項「CANDIES」で観劇の日と場所が抜けていた。3月20日(土)、札幌・コンカリーニョである。羊屋白玉は来年8月、コンカリーニョと結託してJR琴似駅前で大イベントを打つとの予告もこの日にあった。なんとも期待大だ。楽しみに待とう。
 さて「CANDIES」を見終えた足で行ったのが、札幌・cube gardenでのザ・ビエル座(雨夜秀興、箕輪直人)第3回公演「ガラポンモノガタリ」(脚本・演出雨夜)。1月から札幌の音楽イベント企画・運営会社「ミュージックファン」の初の所属劇団となり、いわゆる「プロ化」しての初舞台は、ハートフルコメディーだった。
 チラシなどによると、あらすじは−舞台は寂れた商店街の福引会場。商品は「ティッシュ」か「中国旅行」。最初に訪れた90歳の老婆はつえ(木村愛里)が、ガラポンを回して引いた玉は一等の赤玉「中国旅行」。だが商店街は資金不足のため、そもそも「中国旅行」など用意していなかった。赤玉はある手違いで、ガラポンに入ってしまっていたのだった−。
 青果店主でお調子者の「かわだ」(箕輪)、美容室経営でスピリチュアルカウンセリングもできる「しだ」(雨夜)、リーダー格の気のいい金物屋「おだじま」(黒岩孝康)と、商店街の登場人物の描き分けがくっきりしているなど、とても見やすく分かりやすい芝居だ。
 はつえは満州からの引き揚げ者で、引き揚げ時に愛児を死なせてしまった、ゆえに今一度だけ中国へ戻ってみたい−このエピソードも重いながらも苦しい見せ方にはなっておらず、展開に興味がそそられた。
 「リンゴの唄」の使い方も含め、全体によくできた、笑えて泣かせる芝居だった。だからこそなのだが、あっさり1時間5分で終わってしまったのは、なんとももったいない。まだまだ膨らませられる物語のはずなのだ。これまで出演者4人の芝居しか創ってこなかったからなのか、それともほかの理由があるのか。本当に、鉱脈を掘り当てた感じなのだから、膨らまし練り直しての再演を望みたい。
 ただ細かいことを言えば、はつえが「ロシア軍」「ロシア」というのは時代考証的に疑問が残る。憎きはやはり「ソ連軍」であり「ソ連」のはずだ。
 それからもう一つ。私は事情があって開演前、2人のスタッフに上演時間を尋ねたが、「すみません、分かりません」「60分は超えると思うのですが…」と心許ない対応だった。これは「プロ」の劇団スタッフワークではないし、はっきり言って恥ずかしいことだ。今後はこうした細かなところにも心配りを願いたい。カンパニーがいっそう大きくなり、人気を高めるためにも。
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CANDIES〜girlish hardcore

 北海道出身の羊屋白玉(女性です)が芸術監督を務める「指輪ホテル」(東京、当ブログ2006年8月7日「Please Send Junk Food in Hokkaido」の項参照)が、また刺激的な作品を持って札幌にやって来た。06年から07年にかけて創ったという「CANDIES〜girlish hardcore」(作・演出羊屋)。「女の子」5人を主人公にした1時間半のパフォーマンスだ。
 出演は北村あらた、酒井由貴、角田真奈美、原田有貴、村田朋未の5人。ほかに幼女から年配まで、世代の違う3人(石垣和枝、田中亜矢、芹沢花)が声の出演をする。
 素舞台の上に散らばった(確認できるものだけで)無数の飴玉や鉛筆、一つのビオラ(?)、そのケース、譜面台、楽譜などを女の子たちが片付けるところからパフォーマンスは始まる。やがて赤ランドセルを背負って踊ったり、スカートを頭まで被ったり、上半身裸になったり(全員の背中に梵語で「愛」や「幸せ」などの言葉が書かれている)、中の1人は全裸(観客には後ろ向き)でホットケーキの素をホットプレートに垂らして焼いて食べたり、5人がパンダ、カエル、ブタ、ウサギ、ニワトリの面を被って登場したり、バスケットボールをパスし合ったり(弘前劇場の芝居「職員室の午後」を思い出した)、蜘蛛や蛾、蠅などの描かれたクッションに座ったり、死んだと思われたパンダ役が持ってきた(ソフトクリームなどに使う)コーンをみんなで食べたり、終盤には煙草を吸いながら10分近く、ひたすらに指を鳴らしつつ踊ったり…見る人によってさまざまに解釈される動きが繰り広げられる。
 そしてそれはすべて、かけがえのない生と畏怖すべき死を反映したものに私には思えた。
 物語は見る人さまざまと先に書いたが、私には、人生、いや、この場合パンダやカエルもいるから、存在そのもの(いる、あるということ)を全肯定した物語に感じられた。それはラストの踊りの場面で、声の出演者たちが「どのみち二つに一つなのだから、私はいる方にかけた。いるんだよ」と何度も何度も繰り返した言葉に象徴されたように思えたのだ。この言葉、実にいいフレーズだなあ。
 とにかく羊屋の創るもの、(今回は4年前と違って「触る」はないが)見る側の五感をびりびり刺激するパフォーマンスであることは間違いない。
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2010年03月17日

春の夜想曲(ノクターン)〜菖蒲池の団欒〜再演千秋楽

 いい芝居は何度見てもいいものだ。TPS「春の夜想曲(ノクターン)〜菖蒲池の団欒〜」(作・演出・音楽斎藤歩)は初見からちょうど2年経った3月16日(火)、札幌・シアターZOOで見た。初演時に東京・沖縄・韓国を巡り、今回は道内外12都市で28公演をするという大ツアーの千秋楽だった。
 以下、初演時の劇評も中心としながら、新たな感慨に耽ってみよう。
 元札響首席チェリスト土田英順とピアニスト伊藤珠貴、それにTVドラマ「俺たちの旅」などで知られる女優金沢碧を迎えての公演である。
 札幌・中島公園の中にあるホテルが舞台。公園の中にある菖蒲池の浮き島に、春の始まりだけ季節限定で建てられるという特別室に泊まりに来た叔母(金沢)と姪(宮田圭子)の、そこはかとなく哀しみをたたえた対話の物語である。
 そこに、特別室での夕食の特別プログラムとして、支配人(斎藤)の父(土田)と姉(伊藤)による生演奏が加わり、ボーイたち(木村洋次、佐藤健一、高子未来)が絡む。
 以上のように書くと、「静かな演劇」の一種と受け取られるかもしれないが、全然違う。なにしろハチャメチャな設定なのだ。中島公園の中のホテルは、札幌を知る人なら誰しも「札幌パークホテル」と思うだろう。そして菖蒲池にある浮き島に季節限定の特別室が設けられ、そことホテル本体や札幌コンサートホール・キタラや豊平館、渡辺淳一文学館などが地下通路でつながっていたり、もう一つの浮き島には露天風呂があって、特別室からはボートで往復したりと、それはもう破天荒な物語なのだ。
 でもこの芝居には、とりたてて物語らしい物語、劇的な展開といったものなどはない。ただ、叔母が病気の初期を患っているらしいことが明かされ、それが物語に陰影を落としている。
 雰囲気の物語、雰囲気を感じさせる物語といってよいであろうか。大向こう受けする際立った筋立てはなくても、芝居は立派に成立することの貴重な見本のような作品である。
 金沢の存在感が印象的だ。必ずしも近くではない、でも必ずややってくる死のイメージを背負っているように思われる。そして特別メニュー「春ニシン」を食するときに道産子が必ず着用するという(?)燕尾服を着た姿の凜とした佇まいの美しさといったら!
 劇中の音楽は9曲。ショパンとチャイコフスキーのノクターン2曲(斎藤編曲)を除いて、斎藤が作曲したものだ。音楽に造詣のある斎藤の面目躍如たるところだろう。
 札幌の春の夜の静かな、本当に静かな佇まいの物語だ。
 それが2年経って、やはり確実に深みを増していた。今や身寄りのなくなった叔母に、亡き母(叔母の姉)のお骨と一緒に東京に帰ってきては? 一緒に暮らしましょう、と勧められた姪の「いえ、私は北海道で生きていきます」という確固たる信念。最初はその理由が明確に伝わらずに、ボーイたちの懸命な接待を受け、「春ニシン」を食してのち、ようやく姪の思いを受け取る叔母の心情。金沢碧の透明感のある神々しいまでの存在感、そして演技の幅の広さ、そしてそれに気圧されず自然に対そうとする宮田の所作に、私は物語の「自然さ」を感じとった。
 札幌の春の夜の静かな、本当に静かな佇まいの物語。おそらくは今後も三演、四演とされていくだろうが、これからはどのように熟成していくのだろうか。なんとも楽しみなレパートリーがTPSに加わった。
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2010年03月06日

ビビアンにあいたい

 士別市朝日町がまだ士別市と合併する前の朝日町だったころから、あさひサンライズホールという各種事業にとにかく活発、元気な施設があって、演出家・俳優串田和美の「串田ワーキング・イン・北海道」の合宿地になった時に、私も取材に行ったことがある。そのホールが2003年度から毎年、札幌などから演出家らを招き「体験版 芝居で遊びましょ♪」という、いわゆる市民劇を創作していて、今回初めて市を飛び出しての公演があった。「ビビアンにあいたい」(作・演出イナダ=劇団イナダ組代表)で、3月6日(土)、札幌・コンカリーニョで見た。
 チラシなどによると、あらすじは、千秋(五十嵐有紀、15年前=佐々木彩歌)、香澄(大島しのぶ、同=田渕優茉)姉妹は15年ぶりに古びた喫茶店にやってきた。そこは自分たちを捨てた父親(小玉昌宏)と一度だけ再会した場所。懐かしいその場所。彼女らは遠い記憶を巡らせる。あの暑い夏の日の出来事を…。姉妹の両親は、彼女らが幼いころ離婚した。母親(上村夕紀子)と姉妹とで暮らしていたが、その母も4年後に亡くなる。父親とは…母親とは…そして家族とは…。
 と書くと、なんだかすごくシリアスな物語を想像させるが、ところがどっこい、単なるお涙頂戴にいかない、むしろ時折ドタバタ調にもなるコメディーを展開するのがイナダ流の企みなのですね。
 15年前の再会の時、父親は映画「風と共に去りぬ」のビビアン・リーに憧れ、「ビビアン」の源氏名で同名のバーを経営しているオカマになっていたのですね。つまり千秋が21歳で、香澄が16歳の時のこと。
 物語は、現在、30歳を超えた姉妹の思いと、15年前の再会の様子を一つの店を舞台に往還する描き方で(当時のオカマバーは現在は別の人の経営する喫茶兼バーになっており、父親ビビアンはここにはいない)、これはイナダがたびたび使うお得意の作劇。巧みな構成と大勢の登場人物の出し入れのうまさ(役者総数25人)で、物語にもすんなり溶け込めた。
 それにしても感心したのは、出演者たち誰もが気負わずてらわず自然体なこと。オカマの役柄の人も、普通そういう突飛な役柄を振られたら余計な動きでもしてしまいそうなのに、抑制が利いているから真(まこと)のことに見えてくる、思えてくる。今回は高校生から60歳代までの出演者というが、このドタバタにもなろうかという物語の中の自然体こそが、長年続けている、続いているということの証なのだろう。
 終わり方はちょっと唐突かな、と見た瞬間には思ったが、しかし考えると、「お父さん」という短い台詞一つでもう十分なのだ、あの場面では。あの短い台詞の中に、オカマの父親と姉妹との人生が凝縮されているのだ。
 機会があれば、ぜひぜひまた新たな面白い芝居を創って来札公演をしていただきたいと思ったカンパニーだった。
 なお今回配られたパンフレットで、同じくイナダ作・演出の07年度「芝居で遊びましょ♪」の演目名が「春日ノ原駅のこと」だと分かった。当ブログ09年6月23日付「プーチンの落日」の項で「春日の原の駅のこと」と書いたのは誤りでした。訂正します。
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2010年03月01日

想フハ君ノ事バカリ

 劇団怪獣無法地帯の「想フハ君ノ事バカリ」(作伊藤樹、演出棚田満)は2月28日(日)、札幌・レッドベリースタジオで見た。フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリと彼の代表作である「星の王子さま」をモチーフに、花のバラやヒツジ、キツネも登場するなど、さまざまにイメージを膨らませて描いたファンタジー色の濃い1時間10分ほどの短編だ。
 短編とはいえ、まったく侮れない素敵な出来映え。会場の決して広いとはいえない空間は、天井から星がぶら下がるなど細かく念入りに飾り付けられ、これから始まる物語への期待が自然とわき上がる。
 登場人物は役名がついている人だけで9人(伊藤しょうこ=バラ、長流三平=パイロット、塚本雄介=キツネ、長岡登美子=王子さま、新井田琴江=彼女、長谷川碧=ヒツジ、三戸部大峰=彼、シチュー山本=もう一人のバラ、渡邉ヨシヒロ=先生)だったが、白っぽい衣装で統一感を出していた。
 物語は筋を再現するのが複雑なのでやめるが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を連想させる、先生と生徒たちの宇宙に関する語り合いに始まり、時折役者が会場狭しと舞ったり、サン=テグジュペリが飛行機の操縦士だったことならではの全員による飛行機のマイムなど、数少ない小道具をうまく使い、全体的にエチュードの発展形のような、見る側の思い(想像=創造)の入り込む余地の十分にある魅力的な作劇だった。
 これぞ「怪獣」二枚看板の伊藤樹(もう一枚は棚田満)ならではの真面目路線の真骨頂。ラスト、王子さまとパイロットが自分たちの小さな星を「コンスエロ(サン=テグジュペリの妻の名)」と名付けたシーンを見終えた後、星や宇宙への夢が見ている私の心の中で広がったのだった。
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