2009年12月31日

2009アワード

 師走もきょうで最後。いよいよ恒例の2009アワードだ。
 今年の観劇数は143本(同一作品の複数観劇含む)。昨年より2本減った。
 今年は北海道演劇界、いや私にとっての北海道演劇界は、従来と比べて活況を呈していたかは別として、水準が高かった。思うに、充実の年だった。
 それは再演が多かったことからも実感する。再演される作品は各カンパニーの十八番か、少なくとも自信作か、である。そうした再演があちこちで見られたのだ。見る側としては、初演を見た作品はその当時との比較が楽しめるわけだし、初演を見たことがない作品も、なぜこのカンパニーがこの作品をいま再演したかったのか推測しつつ楽しむことができる。そういう意味での2009年の充実ということである。
 だからして今年は大盤振る舞いをする。絞って絞って絞り込んだものに贈呈するのが本来の賞のあり方だろうが、シアターホリック(演劇病)の場合、私が趣味の観劇の延長で行っている独断と偏見のブログである。
 もともとアワードといっても言葉だけのものだから、安いものである。でも安いとはいえ、1作品1500円と見積もって、年間ざっと20万円の入場料をかけてのアワードである。みなさまには、そこのところだけでも理解していただきたい。
 さてシアターホリック・マイベストは、団体としての「劇団イナダ組」に贈呈する。「コバルトにいさん」(再演)、「プーチンの落日」「水に油 糠と釘」(いずれも作・演出イナダ)、3作品とも現代、それも現代の病巣とも課題とも言える問題、状況を的確に照射する力作だった。全国ツアーも成功させ、2010年はいっそう飛躍することだろう。
 シアターホリック奨励賞は4本。
 yhs「しんじゃうおへや」(脚本・演出南参)は、「死刑制度」という難しいテーマに切り込んだ作品だった。南参は鉱脈を掘り当てた気がする。実際、北海道でも裁判員裁判が始まっていることだし、さまざまなバリエーションをつけて、ぜひ再演してほしい。
 劇団動物園(北見市)「ホテル山もみじ別館」(作鈴江俊郎、演出松本大悟)は、岸田國士戯曲賞作家鈴江の本に、見事に血肉を通わせた。札幌・ことにパトスの満員の観客に、「道東小劇場の神髄ここにあり」と素晴らしい実力をいかんなく発揮してみせた。
 TPS+劇団青羽(チョンウ、韓国)提携公演「蟹と無言歌」(作斎藤歩、演出キム・カンボ)は、演出の才気がふんだんに現れた。特に感心したのは、映画でいう「カット割り」の手法を取り入れてみせた点。日本の演劇人も学ぶところが多かったのではないか。
 十勝管内清水町立清水中学校全校生徒32人の劇団クリオネ「修学旅行」(作畑澤聖悟、指導者複数)。芝居としての見せ方が中学生演劇としての枠を圧倒的に超えていて、抜群に面白かった。欲を言えば、演出は単独の責任者であってほしいし、劇団としての責任者もほしい。来年の全国大会がんばれ。
 道外カンパニーの道内公演賞は、今年は残念ながら該当作なし。どれも少しずつ足りない印象だった。
 シアターホリック殿堂入り(再演)は3本。
 TPS「冬のバイエル」(作・演出斎藤歩)は、なぜ今ごろ殿堂入りなのか不思議なくらい見ている作品。説明台詞を極力排したストイックな作劇は見る側をいつまでも想像(=創造)に導くから不思議だ。東欧ツアーも無事終え、まだまだ深まるだろう。
 弦巻楽団「果実」(作・演出弦巻啓太)は、「再演して、再演して」という私の6年越しのわがままがかなった名作。弦巻の一連のセンチメンタル路線の王道と言える作品だろう。ラスト、すべてが終わった後の切なく静かな余韻はどこまでも印象に深い。
 千年王國「贋作者(ガンサクモン)」(作・演出橋口幸絵)は、千年ならではのけれん味とスペクタクルがマッチした、このカンパニーならではの見せ所ふんだんの作品だった。今回の10周年記念トリビュート再演が、北海道演劇界の伝説になることは間違いない。
 そして今年新設した最高賞、シアターホリック「北海道演劇の宝」賞を1本。
 予想された方も多いだろう、劇団北芸(釧路市)「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)。このブログだけでも感動を何度書いただろう、まさしく「至芸」の極みだ。かつて演出家・女優の木野花が勧めた通り、別役作品の伝道師として、できることなら全国を回っていただきたい。
 さて来年はいったいどんな年になることやら。今回該当しなかった演劇人も、もしかしたらあの作品はもう一度やる価値があるかもしれないなどと、再演にも目を向けてほしい。足元の石だとばかり思っていたものが、磨けば宝石になることだってあるはず。そしてこれからつくる作品は、ぜひ何度でも再演する価値のあるものにするぞとの気概を持って、腕によりをかけてつくってほしい。
 来年もシアターホリック(演劇病)をどうぞよろしくお願いします。
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2009年12月30日

訂正その2

前々項「快楽主義の哲学」で、サド侯爵夫人の役者名が文字化けしていました。名字は「黒」に「木へんにタに、その右に柳の一番右」、名前は「朋哉」です。
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訂正

前項「快楽主義の哲学」で、「これが私の今年の観劇収め」とあるのは「観劇納め」の誤りでした。訂正します。
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快楽主義の哲学

 実験演劇集団「風蝕異人街」番外編・宇野早織初プロデュース公演「快楽主義の哲学」(作宮藤ちぐさ、演出こしばきこう)は12月27日(日)、同集団の本拠地である札幌・アトリエ阿呆船で見た。
 チラシによるとあらすじは、森の奥深い白亜の館でサド侯爵夫人(黒\x8F\xF4栃\xFE哉)の誕生パーティーが開かれている。女中頭(サド侯爵の愛人)のシモーヌ(Saori Uno.)はパーティーの準備をしている。そこに、招待状を持った美女たち(令嬢ジュリエット=新井正美、サン・タンジュ侯爵夫人=酒井陽香、令嬢ウージェニー=国門綾香)が集まる。サド侯爵夫人に依頼された、二人のテロリスト(令嬢ジュリエット、サン・タンジュ侯爵夫人)はシモーヌ暗殺計画のため、このパーティーに招待されている。隠微な出し物が繰り広げられ宴もたけなわになる。そしてある事件が起こる。その事件とは…。そして、それは全てサド侯爵夫人が仕組んだものだった。だが、この物語の結末は、この館に倒錯の世界が広がるだけであった−。ほかに出演は人形娼婦アリス(れい子)。
 ガーターベルトなど露出度の高い下着姿の女性たちがもつれ合うなど隠微な世界を繰り広げる妖しい世界。風蝕異人街の代名詞は以前「北方の暗黒タカラヅカ」だったが、女優たちがニップレス姿で踊る最近は「北方の暗黒毛皮族」(「毛皮族」を調べてみてください)というのもうなずける。
 この日は宇野が誤ってワイングラスを割ってしまったが、それを物語の中にうまく取り込んでフォローして芝居を続けたあたりは、なかなか実力的にも安定していると見た。
 「妖しい世界」と前に書いたが、それだけではなく、「モーニング娘。」の「LOVEマシーン」や「パラパラ踊り」などをも芝居の中に組み入れ、一種独特な不思議な清潔感を漂わせているのも特徴だ。こしばの演出によるものだけではない、女優たち自身の輝きあっての楽しさだろうと思う。
 実はこれが私の今年の観劇収め。最後の作品が、こうした明るいエロスを楽しめるもので本当に良かったと思う。
 明日はいよいよ2009アワードの発表だ。
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2009年12月25日

ゴドーを待ちながら

 横尾寛と清水友陽の二人ユニット、平和の鳩(代表横尾)の「ゴドーを待ちながら〜2幕の悲喜劇」(作サミュエル・ベケット、訳青井陽治、演出横尾)は12月25日(金)、札幌・シアターZOOで見た。予想以上に重厚なつくりで、楽しめた。
 田舎道。一本の木。夕暮れ。今で言うホームレスのような感じの二人、ヴラジーミル(清水)とエストラゴン(横尾)がひたすら「ゴドー」を待っている。
 待っている。と、そこに、首輪をかけた人ラッキー(赤坂嘉謙=WATER33-39)と、彼に命令するポッゾ(西本竜樹=劇団東京乾電池)がやって来て、ひと騒動。彼らが去って暗くなり月が出て、少年(野崎翔=劇団ひまわり)が「ゴドーさんはきょうは来ません。ゴドーさんはあした来ます」と伝言を伝えに来る、という芝居。
 ゴドーとは誰か。ゴドーが来ると何があるのか。それは説明されない。ゴドーは「ゴッド(神)」かもしれない。などとさまざまな憶測を世界中で呼んだ、20世紀演劇界に革命をもたらした不条理劇の古典中の古典。
 私は串田和美演出で串田、緒形拳コンビの「ゴドー」を見たことがあり、今回はそれ以来の観劇。その時に比べて今回は少々生真面目な感じがした。もっと自由におおらかに遊んでもよいのに、というのが正直な印象。でもそう思ったのは役者たちがこの大作にがっぷり四つに組み合って、十分にある程度のレベルに達しているからであって、なかなかそこまでもいかないだろう。年の瀬も押し迫って力作を見たと実感した。
 それからこの回(昼)は「親子の回」として料金が半額で、小学生以下の子どもたちが大勢見に来ていた。子どもが見るには難しいのではと思っていたが、なんのなんの、子どもの方がよっぽどこの不条理劇を楽しんでいた節がある。子ども(の想像力=創造力)ってすごいなあと素直に思った。
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2009年12月23日

カラクリヌード

 劇団SKグループを活動休止中のすがの公が主宰する企画運営団体ハムプロジェクトの演劇カンパニー「札幌の人」(主宰すがの公、それにしても関係性がややこしいなあ)の旗揚げ公演「カラクリヌード〜わたしは、わたしを改造スル。〜」(脚本・演出すがの)は12月19日(土)、札幌・シアターZOOで見た。
 「札幌の人」は、すがのが札幌の人109人と出会い、芝居を作ってみようというカンパニー。昨年同趣旨の「東京の人」を旗揚げしており、本作はその時と同じ台本を使っての作劇だ。
 世界戦争が始まった未来社会。日本はロボット(芝居の中では「ロボット」と「機械」などを微妙な違いで使い分けているが、この文章では便宜上、同じ意味で「ロボット」を使う)などの武器を輸出して生き残りをかけている。そこでの人間の女性と男性ロボット、人間の男性と女性ロボットなどの恋愛、出会いと別れを描く。こうした未来社会やロボットの出てくる物語自体は、いつかどこかでお目にかかったような、すがのお得意の分野という気もして、目新しさは感じない。
 それよりも特筆すべきは演出の新趣向だ。すがのの作劇はどちらかというと、舞台装置や衣装に凝る印象があったが、今回の舞台は「T」の字型に高く設えられた素舞台。役者はみな黒装束で、自分の出番でないときには「T」の字の縦軸の下側両端に分かれて座り、コロス(古代ギリシャ劇の合唱隊。狂言回しの役回りも担う時がある)となって台詞を吐いたりうごめいたり、芝居を展開した(演出家・俳優の串田和美が北海道で演劇人と合宿し演出した「串田WORKINGin北海道」の「コーカサスの白墨の輪」を思い出すとよい。あの舞台も役者たちが輪を作って、登場人物はその中で演技し、周りの役者たちはコロスになっていた)。それが、軽快なテンポと乗りの良さ、動きのメリハリも利いていて、視覚的にも効果的に映った。こうした作劇は、すがのにとっても新たな試みであり、何らかの手応えを感じたのではないか。
 今回の出演者は、すがののほかに、それぞれ所属するカンパニーで活躍中の赤沼政文、岡村智明、重堂元樹、谷口健太郎、中塚有里、原田充子、福地美乃、渡邉ヨシヒロの8人で、残るはあと101人。
 これから何年かけて、いったいどんな作品が生まれていくのか。既成のカンパニー以外からの新たな才能は出現するのか。興味は尽きない。
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2009年12月08日

永劫の館

 シアター・ラグ・203「永劫の館〜アンニュイ・ウロボロス〜」(作・演出村松幹男)は12月6日(日)、札幌・ラグリグラ劇場で。雰囲気のある椅子やテーブルなどの舞台美術や音楽、照明で、札幌の冬の夜に異空間が立ち現れたような錯覚を覚える劇作だった。
 ある森の中に、美しいものを収集しているという「永劫の館」と呼ばれる建物が建っている。そこには不老不死の女主人(田中玲枝)がいるという。あるところのお嬢様(吉田志帆)と婆や(斉藤わこ)がこの館を訪れ、年代物ワインのご相伴にあずかる。そして見た美術品には、召使い(柳川友希)の弟(柳川)と妹(瀬戸睦代)の禁断の愛を再現した蝋人形があった。
 一方、昆虫博士(村松)と助手(湯沢美寿々)も昆虫を追ってこの森へ。二人はこの館で何を見たのか−というのがあらすじ。
 「永遠」をめぐる(特に女主人の)言葉の数々が美しく、詩のように響いてくる。今井大蛇丸によるザ・ドアーズの「ジ・エンド」を思わせる音楽も実に効果的。音響、それに照明(佐藤律子)で、この劇場ならではの奥行きを生かした芝居が展開される。
 ラストはこの劇団にしては珍しく、ヒッチコック監督の映画「レベッカ」を連想させるスペクタクルな終わり方。あの「永劫の館」がどうなったのか、観客にさまざまな想像を促す優れた劇空間が現出した。
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十二月組曲

 弦巻楽団「十二月組曲」(作・演出弦巻啓太)は12月5日(土)、札幌・シアターZOOで。
 2000年12月1日に始まり、12月26日に終わる約20の挿話。
 和菓子職人の夫婦(丸山将、橋本久美子)と高校生の娘・六花(塚本智沙)。六花がアルバイトするコンビニの店長(塚本雄介)と中年バイトの古田(棚田満)。六花の教師雪村(楽太郎)と同僚教師(石川藍)。雪村の昔の恋人美保(藤谷真由美)と小学生の息子(佐井川淳子)。秘密結社「二十世紀を焼き捨てる会」が目の敵にするテレビ局のアナウンサー(佐藤春陽菜)。古田が拾ったオス犬(茅原一岳)。
 これら出演者たちが小さなエピソードを積み重ね、やがて複雑に絡んだ糸がほぐれるうちに物語が見えてきて、ラストに至るという芝居である。難しそうに見えて、弦巻の巧みな作劇で頭にすっと入ってくるのがみそである。
 およそ関係ないと思われていた人物と人物の出会い、再会、愛と憎。それが12月というもののもつ白い雪のイメージにくるまれて、テンポ良く展開される。
 いま思えば、それが、21世紀を前にした20世紀最後の12月に設定されたのが皮肉でもあり、うまいところでもある。あれからもう10年が経ってしまった、夢に見た21世紀最初の年には「9・11テロ」もあったと、見る側には少しの悔恨も後悔も浮かび上がってくるだろう。それこそが弦巻の思いのつぼだろう。
posted by Kato at 20:28| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コトナリ

 前項のエビバイバイ「声嗄れカラス」の追記だが、斉藤麻衣子の作劇には「声」「言葉」より「身体」を重視する傾向があるように思う。ゆえにダンスなどのパフォーマンスにも積極的に取り組むのだろう。
 さて、国境なき意志団「コトナリ〜不思議の国の二人の少女〜」(作・演出kony)は12月5日(土)、札幌・ブロックで。
 チラシによるとあらすじは−、年に一度の学園祭。高校3年生のトオル(阿部一希)とアイ(塚本奈緒美)は、この大イベント内で行われる演劇コンテストの参加メンバーに選ばれた。…その時、奇妙な現象に巻き込まれた!?
 目の前は真っ暗になり…身体はまるで無重力をさ迷う様に浮き…次の瞬間、深海の様な水の中に沈んでしまう!?
 やがて辿り着いたのは「コトナリ」と呼ばれる不思議な世界だった。そこで出会うのは兎や猫になってしまったクラスメート達。トオルとアイはこの世界を無事に抜け出す事ができるのだろうか!? そしてこの奇妙な出来事の真実とは!?
 −そうか、そうだったのか。このチラシを読んだのは観劇後だったので、見ている間中、「コトナリ」とはこの異世界を意味するのか、異世界の住人を意味するのか、分からないまま隔靴掻痒だった。ただ、静かなシーンを大切にする作劇は若手劇団としては珍しく、抑制が利いてメリハリがあって好印象を持った。
 総じて女性陣が印象深い。今後に期待したい劇団の一つだ。
posted by Kato at 19:49| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

声嗄れカラス

 エビバイバイ「声嗄(が)れカラス」(脚本・演出斉藤麻衣子)は11月30日(月)、札幌・市民活動スペース アウ・クル301号室で。
 どうやら札幌・すすきので清掃作業に従事しているらしい女性3人。井上さん(細木美穂)はおしゃべりで何にでも首を突っ込みたがる性格。高橋さん(南あい子)は夫思いの端正で静かな性格。松本さん(斉藤)は何事も「われ関せず」といったマイペースな性格。この3人組の日常が淡々と描かれる。
 斉藤の作劇は、あまり説明調ではなく、さまざまな物事を観客に想像させるのが特徴だ。この芝居も3人がそれぞれ経験したことなどをあまり説明せず、だから物語を物語として追おうとすると、ちょっと難しい。
 ある日、井上さんが、高橋さんが集めたごみを分別収集していないことに腹を立て、叱る。と、高橋さんは何事かを叫びながら、部屋いっぱいにごみ袋をまき散らす。この迫力、すごい。これまでの芝居の持っていた静けさのようなものを突き破る迫力だ。
 高橋さんのどこにこんな力があったのだろうか。もしかしたら夫とうまくいっていないのかもしれない、といったふうにも観客の想像力は働く。
 ラストはごみ袋いっぱいの部屋の中に佇む井上さんと松本さん。不思議な余韻が印象的な芝居だった。
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2009年12月07日

アグリカルチャー・追記

弘前劇場「アグリカルチャー」で姉の役者名が文字化けしていますが浜の難しい字で浜野有希です。
posted by Kato at 10:38| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

LET IT BE

 劇団32口径の20周年記念公演「LET IT BE」(脚本・演出MARU)は11月27日(金)、札幌・サンピアザ劇場で見た。日高管内浦河町にある精神障がい者らの地域活動拠点「べてるの家」をモチーフに、障がい者の自立、障がい者との共生といった、取り扱いが非常に難しいテーマに挑んだ意欲作だ。
 べてるの家は、1984年に設立された浦河町にある精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点(ホームページから)。自ら会社なども経営しているという。
 芝居は、「どんぐりハウス」(べてるの家がモデル)を取材に来た月刊誌記者ささき(MARU)の視点などから、そのハウスで生きる障がい者たちの様子を描く。ソーシャルワーカーむかいかおり(三富香菜)が紹介するのは、はやせたかし(高井ヒロシ)、みしまみのる(ベティ)、しみずえりこ(佐藤雅子)、よこたけんいち(井口浩幸)、すぎさわかずや(浮田啓、28日は恵琳のWキャスト)の面々。
 統合失調症の人がほとんどで、いずれも自分の中にもう一人の自分がいたり、いままさに戦場で戦っていると思っていたり、鳩山由紀夫首相に言い寄られていると思いこんでいたり、なにかと人を殴る者がいたり−と症状はさまざま。きょうも「どんぐりハウス」は問題だらけだが、その代わりそれぞれの個性を尊重した場所には笑いも絶えない。
 私は芝居を見ている間、さまざまなエピソードの断片をつなぎ合わせただけの感じがしたが、これもささきの取材というフィルターを通しての描写ということならば納得のできる範囲の作劇だろう。ただ、物語としての展開は、でき得ればもう少しスムーズな練り上げは必要だったようにも思える(話がぶつりと切れたり、不要な暗転が多い)。
 また「正しく美しい」言葉やメッセージが生のまま矢継ぎ早に出てきて、それはそれで感動も誘うのだが、私などにはちょっと気恥ずかしい。確かに、「あきらめる」ということ。「がんばらない」ということ。でもそれは「生きる」ということ。とか、「降りていく生き方」とか、考えさせられ、我が身を省みさせられる言葉やメッセージが貴重なのは十分承知してのことなのだが。
 ただ、公演終了後の劇団との交流会に「べてるの家」の関係者も参加していて、「これは我々そのものだ」と感動し喜色満面だったのは、そばにいて気持ちが清々しくなる光景だった。この一点を持ってして、この劇団32口径20周年記念公演は大成功だったと言えるだろう。実際、私の芝居への評価は高まった。いつか浦河でも上演すべきだし、もっと広く各地で上演して、障がい者へのあらぬ偏見を振り払う一助にでもなればと願う。
posted by Kato at 16:17| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする