2009年11月26日

蟹と無言歌・再見

 TPS+劇団青羽「蟹と無言歌」を11月26日(木)、札幌・シアターZOOで再見し、あらためて国の違いを超えたコミュニケーションの素晴らしさを実感した。
 それと、前項で「特に中華料理店の玄関の扉を手前に置いたり舞台奥にずらしたりすることで、店内と店外の違いを表現したのには、なるほど一つのアイデアだと思った」と書いたのは、実は映画で言う「カット割り」の手法だと思い当たった。
 例を持ち出すとすれば、小津安二郎監督映画に代表される、AとBの二人の男が真正面に向き合っていて、Aを写してAが「おい」と言った後に、Bを写してBが「なに」という手法。
 この日、昼の回のトークショーには演出のキム・カンボが不在だったので尋ねることはできなかったが、中華料理店の玄関扉の移動と、扉の向こうに見える店内の役者の配置の移動は、まさにこのカット割りの効果をもたらしていた。なるほど気鋭の演出家だ。
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2009年11月25日

蟹と無言歌・再送

 「蟹と無言歌」ですが、コメディーをコメディーたらしめる重要なエピソードを書き漏らしたので、加筆し再送します。



 TPSと韓国の劇団青羽(チョンウ)との提携公演「蟹と無言歌」(脚本斎藤歩、演出キム・カンボ=青羽代表)は11月23日(月)、シアターZOOで見た。国を超えた人と人とのつながりをユーモラスにかつ温かな目で見据えた、心温まる佳品だった。
 中華料理店も営んでいる大家・よしこ(宮田圭子)の札幌・すすきの近辺の古アパートに、来日して2年になる韓国人留学生キム・スジョン=金水晶(キム・エリ)が東京からやって来て入居した。一方、中華料理店ではアルバイトの韓国人パク・ソング(イ・ホンジェ)がなにやら新たなメニューを考案中。そこへ宅配便配達の近藤(佐藤健一)が来て荷物を置いていく。ソングが開けてみると、大きな生きたタラバガニだ。だが、ソングが荷物にふたをしなかったため、出前をしている間に、そのタラバガニが逃げ出してしまう。
 しかも実はそのタラバガニは、近藤が別の家に配達するべきものを誤配したことが判明する。ソングやよしこ、アルバイトのはっとり(岡本朋謙)とその恋人・貴子(高子未来)らも巻き込んで、どこだどこだと捜しているところに、スジョンの隣の部屋に住む、おかしな韓国語を話す筒井三郎(木村洋次)が、遠来の客(一目惚れ?)スジョンへのプレゼントだとして、茹でたタラバガニを持って現れた。さあ、そのカニのいきさつは−というコメディー。
 韓国語の部分は字幕付きで上演されたが、翻訳・通訳の木村典子のこなれた訳で、とても安心して見られた。
 出会うまではまったくの他人で、国籍も違う者同士が、言葉というより心と心で通じ合っていく様子が丁寧に描かれ、それは感動的ですらある。斎藤の脚本は、現代日本が抱える、また韓国とも共通する不景気の問題なども随所に表現され、批評的な部分も感じられた。幕間の曲はさまざまな人が作曲した「無言歌」が流されたが、「これもそうだったのか」というものがあり、目からうろこが落ちた思い。
 キム・カンボの演出は手堅く緻密で、人情の機微に通じていた。それに、暗い照明の中で役者たちが中華料理店の椅子やテーブル、スジョンの部屋の襖や畳などを用意していく様子を見せるのも興味深い演出法だ。特に中華料理店の玄関の扉を手前に置いたり舞台奥にずらしたりすることで、店内と店外の違いを表現したのには、なるほど一つのアイデアだと思った。
 ラストは三郎とソングが一計を案じて、スジョンにカニとは別の素敵なプレゼントをする。韓国人が北海道に抱くイメージを有効に生かした印象的なラストシーンだ。
 それにしても木村が乗っていて、調子がとても良い芝居をして物語を魅力あるものにしていた。韓国の役者二人はおおらかで、初々しさも残しつつ、さすが鍛錬されていると思わされた。
 私が見た回は終演後にトークショーがあったが、キム・カンボが「言葉がない方が通じ合う場合もある」と語ったのが印象的だった。
 26日(木)までシアターZOOで上演後、旭川や釧路、岩見沢でも上演されるので、ぜひご覧頂きたい。
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2009年11月24日

蟹と無言歌

 TPSと韓国の劇団青羽(チョンウ)との提携公演「蟹と無言歌」(脚本斎藤歩、演出キム・カンボ=青羽代表)は11月23日(月)、シアターZOOで見た。国を超えた人と人とのつながりをユーモラスにかつ温かな目で見据えた、心温まる佳品だった。
 中華料理店も営んでいる大家・よしこ(宮田圭子)の古アパートに、来日して2年になる韓国人留学生キム・スジョン=金水晶(キム・エリ)が東京からやって来て入居した。一方、中華料理店ではアルバイトの韓国人パク・ソング(イ・ホンジェ)がなにやら新たなメニューを考案中。そこへ宅配便配達の近藤(佐藤健一)が来て荷物を置いていく。ソングが開けてみると、大きな生きたタラバガニだ。だが、ソングが荷物にふたをしなかったため、出前をしている間に、そのタラバガニが逃げ出してしまう。
 ソングやよしこ、アルバイトのはっとり(岡本朋謙)とその恋人・貴子(高子未来)らも巻き込んで、どこだどこだと捜しているところに、スジョンの隣の部屋に住む、おかしな韓国語を話す筒井三郎(木村洋次)が、遠来の客(一目惚れ?)スジョンへのプレゼントだとして、茹でたタラバガニを持って現れた。さあ、そのカニのいきさつは−というコメディー。
 韓国語の部分は字幕付きで上演されたが、翻訳・通訳の木村典子のこなれた訳で、とても安心して見られた。
 出会うまではまったくの他人で、国籍も違う者同士が、言葉というより心と心で通じ合っていく様子が丁寧に描かれ、それは感動的ですらある。斎藤の脚本は、現代日本が抱える、また韓国とも共通する不景気の問題なども随所に表現され、批評的な部分も感じられた。幕間の曲はさまざまな人が作曲した「無言歌」が流されたが、「これもそうだったのか」というものがあり、目からうろこが落ちた思い。
 キム・カンボの演出は手堅く緻密で、人情の機微に通じていた。それに、暗い照明の中で役者たちが中華料理店の椅子やテーブル、スジョンの部屋の襖や畳などを用意していく様子を見せるのも興味深い演出法だ。特に中華料理店の玄関の扉を手前に置いたり舞台奥にずらしたりすることで、店内と店外の違いを表現したのには、なるほど一つのアイデアだと思った。
 ラストは三郎とソングが一計を案じて、スジョンにカニとは別の素敵なプレゼントをする。韓国人が北海道に抱くイメージを有効に生かした印象的なラストシーンだ。
 それにしても木村が乗っていて、調子がとても良い芝居をして物語を魅力あるものにしていた。韓国の役者二人はおおらかで、初々しさも残しつつ、さすが鍛錬されていると思わされた。
 私が見た回は終演後にトークショーがあったが、キム・カンボが「言葉がない方が通じ合う場合もある」と語ったのが印象的だった。
 26日(木)までシアターZOOで上演後、旭川や釧路、岩見沢でも上演されるので、ぜひご覧頂きたい。
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2009年11月18日

この道はいつか来た道

 前項「アグリカルチャー」は書き足りなかった面があるかもしれないので、もう一言だけ。言いたかったのは、要するに「農業」に私などがイメージを喚起される「より濃密な人間関係、人間模様」を見たかったということです。
 さて、話は相前後するが、11月13日(金)に故郷釧路市のジャズ喫茶「ジス・イズ」2階の「アートスペース ジス・イズ」で、劇団北芸(釧路市)「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)を見てきた。9月の韓国・「光州平和演劇祭」での「光州平和演劇賞」(グランプリ)と本年度の釧路市文化賞というW受賞の地元凱旋公演だ。
 以下、ネタバレあり。でもこのぐらいの名作、名演なら、ネタバレで知ってても感動するだろう。
 私が初めて北芸の「この道」を見たのは2003年10月、東京・こまばアゴラ劇場での「道東小劇場演劇祭inアゴラ」だったから、まだ6年前だ(当時、東京の前に釧路での演劇祭上演を見ていた女優・演出家の木野花が2回も見にアゴラに来て、げらげら笑っていたことを思い出す)。私もそこでえらく感動し、以来、札幌や帯広など今回を含めて7ステージは見ている。ツボにはまったとはまさにこのことだろう。
 舞台中央にひしゃげた街灯の木製電柱。傍らにごみ捨て用のプラスチックのバケツ。ハーモニカの「この道はいつか来た道」が寂しく流れ、芝居は静かに開ける。電柱の下で出会うのは、段ボールを引きずってきた女(森田啓子)と背中にござをくくりつけてきた男(加藤直樹)。ささやかなお茶会を楽しみ、「お友達」になる。初対面とも知人とも見える二人は不思議な会話を重ね、やがて日々新たに出会い、日々新たに愛し合い、日々新たに結婚する意味−「生の感触」をかみしめる−。
 物語の後半、実は二人は人間らしく「痛がって死ぬ」ことを願い、10日に1回の割合でホスピスを抜け出してこの道に来ているがん患者であることが明かされる。そしてこの逢瀬がもう7回目にもなることも。二人はこれまで「死」に近づいては「生」を実感し、「生」を享受してはより望ましい「死」を望んで生きてきたのだ。
 だからラスト、雪がしんしんと降る中で、男と女が背中合わせでの心中は「近松浄瑠璃的美学」を思わせて秀逸なシーンだ。
 「ほら、天が言うことを聞いてくれましたよ(雪が降ってきたこと)」
「私たちは痛がって死ぬことはできない。でも寒がって死ぬことができる」
 この場での何気ない所作にも心と目配りの行き届いた、そして抑制の利いた演出、作劇は、釧路市の財産というだけでなく、北海道演劇界の宝だと私は確信している。まさしく「至芸」というほかない。
 演出の加藤と話すと、札幌など地元釧路以外での上演は諸経費などに多額がかかり、なかなか難しいという。もし今後、シアターホリック(演劇病)読者の方で見られる機会に恵まれたならば、何をおいても必ず見てほしい、期待は絶対に裏切らないだろうから、と私は北海道内はおろか、全国の演劇ファンに、そして演劇など見たことのない人にも声を大にして言いたい。
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2009年11月17日

アグリカルチャー

 弘前劇場(青森県)の「アグリカルチャー」(作・演出長谷川孝治)は11月16日(月)、札幌・シアターZOOで見た。
 パンフレットによると、あらすじは−十二月。東北の、現在は下宿屋も営んでいる古い農家。この家は大学のすぐ隣にあり、そこには、父(長谷川等)、兄(林久志)、弟(藤島和弘)そして下宿人の大学准教授(柴山大樹)が暮らしている。次男道隆を産んだ直後に亡くなった母(小笠原真理子)の命日。他県に嫁いだ姉(\x8F髭野有希)とその夫(田邉克彦)も帰ってきている。
 農業を継いで5年目の長男と大学生の次男は、なぜかお笑いの練習をしている。彼らの父親は、妻が亡くなった後、農業を営みながら彼らを育て上げてきたのだが、近頃、様子がおかしい。
 惚けてしまったのか、それとも違う理由があるのか…。
 そこに、養蜂家の男(福士賢治)が訪ねてくる…。
 静かな端正な芝居だ。淡いといってもいい。ほんの小さな石でも投げ入れたら、それこそ大きな波紋を広げるであろう静かな芝居。私は静かで端正なこの芝居の雰囲気が好きだっただけに、見ていて、逆に小さな石を投げ入れてしまいたくなった。なにか、泡立たせたくなった。それほどまでにこの芝居の物語は淡く、儚い。
 別に私はそれが嫌いではなかった。ただ、題名でもある「農業」の持つ、大地に根ざして土まみれになって、というイメージからはほど遠い作劇だったからかもしれない。
 長谷川が今回描いた世界は、これまでの彼の芝居の中でも静かで端正な世界だったといえる。それと、「農業」に私が勝手に抱いたイメージとのギャップが、私をして先のような行為を促したのだろうか。
 養蜂家の男は、亡くなった妻(母)の兄である。妻には双子の姉がいて、姉は実家で育てられ、妻はもらわれていった子であるというエピソードが作品に深く陰影を落としている。それは、この作品を多角的にとらえ得る重要なエピソードだ。しかしこれにしても、私にはより深い人間関係のひだが描かれてもよかったのではないか、と思えてくるのだ。TPS「冬のバイエル」(作・演出斎藤歩)などとはまた別の意味で、説明を極力排した作劇だが、私には今回の芝居は、より人間関係の機微が詳細に描かれてしかるべきではないかと思えた。
 でも芝居の醸す雰囲気はものすごく好きだ。好きだった。だから、いっそのこと小石でも投げ入れたかった。
 他の出演者に永井浩仁、平塚麻似子。
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2009年11月16日

ヘッダ・ガーブレルの死

 THE UNITED COLLABORATION「ヘッダ・ガーブレルの死」(作ヘンリック・イプセン、構成・演出高橋千尋)は11月15日(日)、札幌・ブロックで。近代演劇の父と称される彼の作品を上演するシリーズの第1弾だ。
 ヘッダ・テスマン(旧姓ガーブレル=高橋)は学者と結婚したが、あるのはひらすらに倦怠の日々。そんなある日、彼女の元に学生時代に友人だったテア・エルヴステード(斎藤もと)が現れる。テアはかつてヘッダが付き合っていた物書きエイレルト・レェーヴボルク(甲斐大輔)を手伝っていた。ヘッダはそんな二人を見て、ある奸計を計る−。
 立派な長いすを舞台真正面に置き、緻密な心理劇が展開される。甲斐はブラック判事も演ずるのだが、なかなか巧みな一人二役で紛うことはない。
 ただ、あまりに原作に忠実に演じられるためかどうか、全体に、現代にイプセンを生かす試みとしては平板な印象もつきまとう。今後シリーズ化するに際しては、この辺りの、どうすれば平板な印象を拭えるかが課題になりそうだ。
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2009年11月12日

贋作者

 「トリビュート! 千年王國!!」のトリを飾るのは、もちろんご本家の劇団千年王國。2002年初演の「贋作者(ガンサクモン)」(作・演出橋口幸絵)を11月12日(木)、札幌・コンカリーニョで見た。
 舞台は文明開化華やかなりしころの明治日本。江戸の文化は急速に廃れつつあり興隆を誇った狩野派も後ろ盾を失って、偉大な父の才能を受け継いだ、兄・河鍋清一郎(梅津学)が支えているにすぎない。一方、遊郭の一室に篭り、ニセモノ師としての天賦の才を発揮する弟・鴈次郎(立川佳吾)。謎のブローカー、ミツコ(村上水緒)が売りさばく鴈次郎の贋作は、西洋に渡ると法外な値段で売れるというが、それが兄には許せない。伝統を守る兄、それをせせら笑う弟の確執はやがて一つの悲劇を生む−−。
 千年王國の諸作品の中でも最も人気があり、成功したという作品の一つらしいが、それももっともだと思える快作だ(私は初見である)。初めは写楽か誰かの絵が飾ってあるだけの一つの壁かと思って見ていたものが、実は舞台上でぐるりと回る大仕掛けの五つのセットで、後ろに回ると格子状になったところに美術品がずらりと飾られてあったり、天井から七枚もの掛け軸状の絵が降りてきたり、噂には聞いていたが、それはそれは絢爛豪華なのである(舞台美術高村由紀子)。
 その中で役者たちは生き生きと、舞台狭しと駆け巡る。まるでセットに生かされている、力をもらっているかのようでもある。兄弟役の二人はもちろんのこと、鴈次郎の愛人の女郎・吉野(榮田佳子)の色気、鴈次郎の仲間の町絵師(堤沙織、赤沼政文)の息の合った動き、河鍋家の母・清(佐藤素子)の渋く厚い存在感は目に焼き付くし、、女性新聞記者を目指す女を演じた坂本祐以や紳士・太鼓持ち・やくざの三役を演じ分けた重堂元樹の好演も欠かせないものだった。
 私と一緒に初めて千年王國を見た母は、パンフレットで橋口が今回の作品の見どころについて「美男美女揃い(笑)」と書いてあるのを読んで、「本当、そうだよね。鴈次郎の人なんてジャニーズ系じゃない?」と感心していた。
 閑話休題。物語は後半、ある血の宿命が判明し悲劇的な色彩を帯びる。それをしも取り込んで、舞台は目に楽しく、視覚的に充足感をもたらしつつ展開する非常に優れたものである。舞台転換の際に流れる音楽もジャズなどが選曲され、洒落たムードが満載だ。
 この初日はプレビュー公演とのことで、アンケートを書くことが条件で料金が低額だった。私は「舞台の初めのうちの台詞が聞き取りにくく、苦労した」と書いたが、それも日を追うごとに解消されるであろう。
 公演は23日(月)までで、17日(火)は休演。ポストパフォーマンストークがある日が設定されているので、興味のある方はコンカリーニョ(011・615・4859)に電話ででも問い合わせて観劇日程を組むのもよいだろう。
 私はもう一回、感激に浸りに行こうと計画している。
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2009年11月09日

COLORS

 「トリビュート! 千年王國!!」第2弾は2001年初演の「COLORS」(作橋口幸絵)。谷口健太郎が主宰するプラズマニアが谷口の脚色・演出で上演、11月8日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。
 銭湯の番台で働く少年イサム(森高真由)は、つり銭をごまかしたことから地下40メートルの過酷なボイラー室で、光を浴びることができず記憶も保持できないアルビーノの少年パンタ(谷口)と働くこととなる。地下水道に拘留されていた犯罪者「COLORS」と触れ合うことでパンタのなくした記憶は次々と色を取り戻すが、彼が最後に辿り着いたのは、前世、少女(のばら=森高)だったイサムと共に夢見た妄想の「カラーの大地」の悲しい記憶だった−。
 見ているうちに、野田秀樹の「夢の遊眠社」や唐十郎の「唐組」の芝居を思い出して懐かしさがこみ上げたのはなぜだろう。色とりどりの派手な照明、衣装、大音響、それにどこか郷愁を誘う物語だったからだろうか。
 プラズマニアは自作公演では、いつも一本調子の絶叫口調が気になるのだが、今回は抑制とメリハリが利いていて、いいなと思った。絶叫はあってもいいのだが、ここ一番というところで使わないと、せっかくの効果が半減すると思う。
 森高の演技はもしかしたら初見かもしれないが、とても新鮮で役柄にぴたりとはまっていた。谷口の演技も抑えが利いていて良かった。
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ホテル山もみじ別館

 劇団動物園(北見市)の「ホテル山もみじ別館」(作鈴江俊郎、演出松本大悟)は11月8日(日)、札幌・ことにパトスで。記憶力の良い方なら、私が10月の「道東小劇場演劇祭」で寝坊して見逃したことを覚えておいでだろう。満を持して見に行くと、予想にたがわず上質な舞台だった。
 この作品は2008年に創立20周年を迎えた同劇団に、その記念として岸田國士戯曲賞受賞作家鈴江俊郎が書き下ろした作品である。12年までの独占上演権もある。なぜそんなことが可能なのか。それには実は10月のブログに書いた「道東小劇場演劇祭」がある。劇団北芸(釧路)、劇団演研(帯広)、劇団動物園の3劇団によるこの演劇祭では、単なる「良い出来だったね」では終わらない、忌憚のない批評が、毎回中央で活躍している劇作家・演出家をゲストに迎え交わされるのだ。
 そこで人間関係ができて、触発されて、平田オリザ(青年団)が演研に「隣にいても一人」を書き下ろしたし、別役実作品を追求している北芸は韓国・光州平和演劇祭でグランプリを受賞した。そして今回の劇団動物園である。いわばあて書きである。こんな素晴らしいことはないのではないだろうか。
 あらすじは−紅葉が美しいホテル山もみじ別館。403号室には高校の国語教師森ともゆき(中村聡)=45歳、配偶者あり=と教え子の母岡野まゆみ(岡歌織)=40歳、配偶者あり=が初めての不倫旅行に来ていた。その下の303号室には高校の定時制学生木田かずき(廣部公敏)=35歳、独身=と担任教師の宇喜田のぶえ(佐藤菜美)=40歳、独身、処女=が初めての恋愛旅行に来ていた。それぞれの部屋の様子が交互に上演されるうち、それぞれのカップルが持つ恋模様も雲行きが怪しくなっていき、やがてなんと煙草を買いに自動販売機に行った森と宇喜田が鉢合わせしてしまう。二人は同じ高校の教師同士で、互いに尊敬し合ってもいたのだ。さあ、秘密を持ったカップル同士、どうなるのか−といった内容。
 ある意味、エロティックな芝居である。そしてそれぞれのカップルの恋模様は真剣で大真面目であるだけに、滑稽でおかしい。そんな様子が丹念に緻密に説得力を持って描かれる。「道東の小劇場は実にレベルが高い」ということを大勢(会場を埋めた満員の観客!)の前で実践してみせた、渾身の力作だった。
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幸せを呼ぶ、カナリヤ荘

 第3回さっぽろ学生演劇祭チームカナリヤ荘「幸せを呼ぶ、カナリヤ荘」(脚本・演出きむらゆうか=劇団平成商品代表)は11月7日(土)、札幌・サンピアザ劇場で。
 ある町の築30年のボロアパート「カナリヤ荘」。ここに、住むと誰でも幸せになれるという嘘のような本当の話がある。一人暮らしの恋に恋したOLと、オタクでダメ男な専門学生とそのクラスメイト。最悪なカップルと、不思議な女の子(かなやりな=木村優香)とぬいぐるみ。この4部屋にある日、手紙が届いた。私ね、みんなを幸せにしてあげたいの。−パンフレットより。
 最終的にはあらすじ通りのハッピーエンドに至る予定調和の物語なのだが、そこに到達するまでが予想していたよりシリアスな展開の作劇。舞台を上段、下段に分け、それぞれ2部屋ずつにした装置も工夫の跡がある。
 実は、このカナリヤ荘の「主」的な存在のかなやりなが鍵を握る人物で、彼女が狂言回しを務めながら展開される物語は、よどみも少なく、見終えて新鮮な気持ちになれた。
 学校の垣根を超えて芝居をつくる、この学生演劇祭、意義はとても深いものがあると確信するので、今後もずっと続けていってほしい。出演はほかに千葉雪絵、竹内俊一、南沙樹、沼田彰洋ら総勢10人。
 13日(金)から15日(日)まではもう一グループ、チーム原始人が「人間っていいな!!」を上演する。私は都合があって見られないのが残念だが、成功を祈っている。
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Faith

 PLANETES.「Faith〜誠義の代償〜」(作・演出丹治誉喬)は11月6日(金)、札幌・ブロックで見た。
 札幌劇場祭のチラシによると、あらすじは−とある小さな国。反政府派の反乱が続くこの国で、新しい国王が就任するが、まもなく何者かにより暗殺されてしまう。国を揺るがす事態の最中、特殊部隊「紫電組」内でも異変が。いったい犯人は…?−というもの。
 とても入り組んでいて複雑な内容の上、出演者も15人と大勢いた割には、見ていて分かりやすかった(ただこれだけいると、凝った役名だったこともあり、誰が誰なのかがちょっと判別しづらい)。公演チラシにある「疑惑と焦燥」、「正義と陰謀」の詳細なども、かみ砕いた感じで伝わってきた。
 ただ、ところどころで役者が発するおちゃらけは不必要なのではないか。生死を賭けた戦国の芝居の緊張感がそこだけ薄れ、白けて興ざめした(蜷川幸雄はこういう芝居でおちゃらけを演出するだろうか? もっと別の方面に力を割いているからこそ、今の蜷川があるのではないか?)。
 上演時間は2時間。もう15分程度短かった方が物語は引き締まったと思う。
 殺陣はやたらに多用されるのではなく(札幌ではなぜかそういう芝居が結構多い)、必要最小限に迫力あるものが展開されていた。相当な稽古を積んだのだろう。
 物語は終幕、二転三転して意外な展開を迎える。そうした重要な部分で映像が活用されるのも良かった。また、芝居が終演した後、提示されなかった物語の今後の行方が観客の想像に委ねられる作劇の仕方も珍しく、面白い取り組みだと思った。
 出演は丹治はじめ谷原聖、入江千鶴香、深浦佑太ら。
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楽屋

 ゆうの会「楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」(作清水邦夫、演出たいちさやか)は11月7日(土)、札幌・やまびこ座で。
 チラシによると、あらすじは−叶えられなかった夢。夜毎楽屋に現れる二人の亡霊(青坂章子、中村かんこ)。出番のないメークアップ。生きている主演女優(山本加知子)の日々の闘い。「役を返せ!」と迫る若い女優(阿部一恵)はプロンプター。四人の女優の華やかで、滑稽で、哀しい共演。それでも「生きていかなければ!」
 1977年発表の名作中の名作だ。私自身、北海道内の劇団が上演したのを2回見ているし、先日も、生瀬勝久演出で亡霊を渡辺えりと小泉今日子、主演女優を村岡希美、プロンプターを蒼井優が演じた「楽屋」がテレビ放送されたから、ご覧になった方も多いだろう(私の自宅にもチケットの先行予約の案内は来ていたのだが、結局テレビ観劇)。
 そうした名作作品の上演ははっきり言って難しい。本が良くできているというのが前提にあっての上演、そして観劇だから、ある程度の水準に達さないと、やっぱりね、無理だったねなどと言われるからだ。
 そこで今回のゆうの会。私としては結構良い水準に達していたと思う。比較的簡素な装置の中で、亡霊二人の息はぴたりと合っていたし、細かなメークアップの動作も的確だったし、若いプロンプターの「狂気」も自然だった。ただ欲を言えば、主演女優の華が少し足りなかった感じだ。
 全体に端正な中にもしっとりとした情感をたたえた作劇で、琴似神社とか旭山動物園とか、ご当地ネタが台詞に出てくるなど身近な物語に感じさせる工夫もあった。
 そしてその静かな佇まいの端々に「女優」の業(ごう)のようなものを滲ませる演出も手堅いものだと思った。
 今まで生(なま)で見た「楽屋」の中では一番、清水邦夫が心を込めて表現したかったであろうものをしっかりと舞台上に載せたのではないか、と思えたのだ。

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2009年11月06日

星空発電所

 前々項「いろいろ」で演出の江田由紀浩は高校生ではありません。札幌の劇団イナダ組所属です。念のため。
 札幌の劇団千年王國が10周年を迎え、「トリビュート! 千年王國!!」という企画が札幌・コンカリーニョで始まった。在札若手2劇団と本家の千年が同カンパニー代表橋口幸絵の過去の作品を再演するというもの。その第1弾、イトウワカナが主宰するintroの「星空発電所」(脚色・演出イトウワカナ)を11月5日(木)に見た。そもそも橋口とは作風も色合いも方向性も違うが、ワカナの演出家としての成長ぶりを目の当たりした、という観客も多かったのではないか。良い出来だった。
 パンフレットによると、橋口による学生時代の作品を千年王國の第2回公演で再演した時のあらすじは−、少年が夏休みのアルバイトに選んだのは、銀河交流電鉄で1時間の小惑星にあるという星空発電所。膨張しつづける夜空を埋める星屑を造りだすというこの発電所の燃料は「届かなかった手紙」。アヤシイ工場長の命令で売れない芸人志望の男と働くことになった少年は、夜毎星明りにのってやって来る過去の「思い出たち」と呼ばれる人に翻弄されてばかり。しかし少年は、星が人々の情熱をエネルギーとして創られその為に毎晩炉の中に人々が投げ入れられる事を知り、工場を破壊する決意をする。明るいダークファンタジー−とのこと。
 今回の再演に当たり、ワカナは大胆に脚色した。まず主人公が姉のいる少年だったのを、娘(奈良有希子)の修学旅行費を稼ぐために星空発電所に就職志願する中年の父親(宮澤りえ蔵)にした点。ここから、昨今の大不況の現状をいくばくかは映す広がりと、観客の想像力を促す物語になったと思う。
 登場人物は工場長(田中佐保子)、芸人志望の男(大高一郎)、「思い出たち」−スターを目指す歌手(佐藤剛)、そのマネジャー(のしろゆう子)、冒険家(菜摘あかね)−、織姫(ワタナベヨヲコ)たち。
 その動きは的確で、緻密に積み重ねられた演出の跡がうかがえる。特に、1等星をつくるために芸人志望の男を炉に入れようとする工場長が次第に狂気の様相を呈していく部分は、他の出演者たちの立ち姿も自然体で緊迫感に満ち、田中の好演もあって一種の心理劇を見ている感じがした。
 ラストは、千年の大がかりでけれん味たっぷりの作劇とは違い(私はこの作品は初見だが、5日は演劇大学デーで、公演終了後にワカナらと話す機会があった)、ちょっと力を抜いて父と娘の心の交流を想像させる、落語の上質な落ちをも思わせる終わり方(キーワード−「んなわけないか」)。本家の千年のスペクタクル性とはまた違った、なんとも言えない味わい深い妙味が印象に残った。
 この作品は7(土)、8(日)の両日にも上演されるほか、谷口健太郎演出のプラズマニア「COLORS」が6日(金)から8日(日)まで上演される(7日は両作品とも高校生以下招待)。
 本家の千年王國「贋作者(ガンサクモン)」は12日(木)から23日(月)まで(17日=火=休演)。
 ぜひこの機会に「劇団千年王國」の世界の魅力に浸っていただきたい。
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2009年11月03日

いろいろ・追記

 前項の「いろいろ」だが、せっかくミドリの部屋のセットが微に入り細をうがつように丁寧に建てこまれていたのにほとんど活用されなかったのは、正直もったいないと思った。小道具で使われるのは壺一つだけといってよい。これでは、女子高生ミドリの部屋を舞台にした物語としては少々もったいない。さまざまな小道具を動きに絡めれば、もっと物語は広く展開したはずだ(上演時間ももう少し長くなってもよい)。これは作・演出の江田由紀浩と監修の納谷真大の責任の範畴だが。
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いろいろ

 北の元気舞台、深川市の高校生劇団F.A-muse(エフアミューズ、万代美月代表)の「いろいろ」(監修納谷真大、作・演出江田由紀浩)は11月3日(火)、札幌・シアターZOOで見た。
 2007年8月から深川市文化交流ホールみ・らいのボランティアスタッフとして登録し、舞台制作にかかわってきた高校生たち。その過程の中で自分たちも表現する側になりたいと、08年5月から「劇団西高演劇部(仮)」として発足。演出家納谷氏(イレブン☆ナイン)の指導・援助を受けながら自分たちの生活体験を語り合ってワークショップを重ね、脚本づくりや大道具・ポスター・チラシを自分たちで作成、音響・照明などのスタッフを集め、09年2月に旗揚げ公演を実施。より多くの人たちとかかわれるように劇団名を変更した−という劇団(パンフレットより)。
 同じくパンフによるあらすじは、中学時代の親友5人(全員女子)がそれぞれの高校進学後も、時々近況報告会を開き交友を深めている。5人が集まる日、セーラームーンになりたかったミドリ(深津尚未)が一人で妄想しているところへ活発なアオイ(中嶋彩華)がやって来る。やがて静かで知的なアカネ(川井里保)が来るが、いつも一緒の可憐なモモ(万代)が来ない。アカネは、モモが男と会っているのだろうと言う。そしてマイペースで天然のルリ(川幡香奈)が、変な宗教にはまった兄(植田拳太)から託されたという小さな壺を持ってくる。2時間遅れでモモが来るが、当然4人はモモの話題に集中する−。出演はほかに知久彩七恵で、上演時間は約50分。
 現代の女子高生のある種の生態を垣間見たような芝居。ああ、今の女子高生って、こんなこと考えているんだということが等身大に伝わってきた。ただ小ネタがいくつも出てきて、同世代なら共感を持って笑えるのかもしれないが、それらが今一つ分からなかったのが私としてはつらかったような寂しかったような…。
 初の札幌遠征公演で多少緊張していたということもあるのか、冒頭とラストの、5人がセーラームーンの面を付けての決めの台詞とポーズを取る時ほどには、芝居本編になるとはつらつ感が薄れ、こぢんまりとまとまってしまった印象になったのは少々残念。ただ、まだ旗揚げ直後の劇団。今後の精進に期待しよう。
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2009年11月02日

GREEN GREEN

 EC.DELTA「GREEN GREEN〜キタカゼが吹く前に タイヨウが沈む前に〜」(脚本・演出・アクションコーディネートこ〜へ〜)は10月31日(土)、札幌・ブロックで見た。従来このカンパニーの作品は時空を超えて殺陣などが舞台狭しと登場するアクション系の色合いが濃かったが、今回は一転。一つの農園を舞台に、さまざまな人間ドラマが繰り広げられるホームドラマ、ということで、興味深く見た。
 帯広にある「畑野農場」に収穫時期のアルバイトに来た青年たち、元ビジュアル系バンドだったり、全国を弾き語りで歩いていたり、農家に憧れている人だったり、夢を探していたり…。それぞれの思いを胸に働く彼らと、農場の人たちが農作業や共同生活の中で徐々に絆を深めていくが…。都会から帰ってきた男が事件を巻き起こす…というのがチラシによる内容。
 従来の作劇を見慣れていた私には、今回の作品は舞台設定も、人物の動き方もとても新鮮に思えた。各登場人物の造形もある程度輪郭が鮮明で、物語にはまっていたし、従来のアクションとは違った意味の、スコップやバケツを使った踊りだとかも工夫されていた。
 ただ作品の本筋となるべき一番の根幹となる部分と、こういってはなんだが「枝葉末節」で軽く流した方がよい部分とのメリハリがあまりはっきりせず、その分、全体的には平板な印象を抱いてしまった。
 完全時空超えアクションではなくとも、芝居を丁寧に見せることができるカンパニーであることが、今回の作品で証明されたのではないか。来年は10周年を迎えるということで、今後の動向に期待したい。
 出演は天神ともみ、荒尾むつみ、濱道俊介、大沼誠、こ〜へ〜ら。
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