2009年10月27日

劇団北芸が11月13日凱旋公演

 韓国「光州平和演劇祭」での「光州平和演劇賞」(グランプリ)受賞と、釧路市文化賞受賞、さらに創立50周年を記念した劇団北芸(釧路市)の凱旋公演「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)が11月13日午後8時から、釧路・アートスペース・ジス・イズ(栄町8−1、電話0154・22・2519)で行われる。入場無料で限定50席。投げ銭、おひねりOKとのこと。
 行きたいなあ、でもまだダイヤがどうなるか分からないし、別のダイヤ希望も大量に出しているしなあ。
 これを読んで、よし、この機会にと思われた方はきっと観劇すべし。芝居の質の高さはこの私が自信を持って保証します。
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2009年10月24日

 シアター・ラグ・203の水曜劇第20弾「姫」(作・演出村松幹男)は10月21日(水)、札幌・ラグリグラ劇場で見た。結末が幾通りにも受け取れる不思議な芝居だった。
 石崎安夫(村松)はしがない派遣労働者。その自宅にスナックのホステス谷岡奈津美(斉藤わこ)がやってくる。どうやら二人はいい関係らしい。だが、石崎の押し入れとつながっているという世界から「姫」と自称する女(湯沢美寿々)がやってくることから話が混乱する…という内容。
 冒頭に書いた、結末が幾通りにも受け取れるというのは、石崎が本当に「姫」のしもべのようでもあるし、そうでもないようでもあるし…ということ。「姫」は石崎から、彼女の世界で渦巻いている陰謀への対処法などを伝授されるのだが、石崎が本当に「姫」のしもべだとしたらそれはそれでファンタジーの要素が強まるし、しもべでないとしてもそれはそれでファンタジーの要素は別の意味で強まる。つまり多様な見方ができるファンタジーなのだ。
 一方で「姫」の要素を除いては、淡々とした男女二人の日常を描いて、それはそれで人生を感じさせる。個人的には石崎と奈津美との関係の濃淡をもう少しくっきり描いた方が面白いとは思うのだが。
 この作品は28日(水)でいったん区切り、12月のラグ本公演を経て、来年1月にも再演される予定だ。
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2009年10月20日

月夜の告白

 演劇ユニット・夫婦印のプロデュース公演「月夜の告白」(作・演出水谷龍二=苫小牧出身)を10月17日(土)、札幌・サンピアザ劇場で見た(サンピアザ劇場企画公演プレミアムステージ)。実際の夫婦である菅原大吉と竹内都子(かつて「ピンクの電話」で活躍していた)の息の合った二人芝居だ。
 恋愛に縁のなかった中年男女が、お見合いパーティーでも当てが外れ、しかし「甘党」ということを唯一の共通点として東京都心の公園のベンチで語り合う。次の日、そして次の日と…。
 それが一筋縄でいかないのがミソだ。この辺りの話の持って行き方、さすがに水谷の物語の作りはうまい、とうならせる。「ストーカー」という言葉を男に浴びせるとか、「スタンガン」まで実際に持ち出してまで男をいやがっていたのに、実は、実は…、なのである。
 単純なハッピーエンドではないのだが、そうであるがゆえに見終えた後に観客に想像力を促す優れた作劇だった。
 この夫婦印、2007年に「満月〜平成親馬鹿物語」でサンピアザ公演を成功させている。そして今回も結構な入りだった。255人という収容人員がちょうど良い具合なのだと思う。
 もともと一回こっきりで、ということで始まったプロデュース公演らしいが、カーテンコールで竹内は「3度目、4度目とサンピアザ劇場に来たい」と話していた。終演後の交流会で聞いた話だが、3話目はもうすでに計画が始まっていて、どうやら今度は夫婦役らしい。これも楽しみに待っていよう。
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2009年10月14日

道東小劇場演劇祭・追記

前項で劇評を書いた「この道はいつか来た道」の観劇日を書き忘れた。◇2004年3月17日(水)、釧路・波止場の芝居小屋(今はもうない)、である。
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道東小劇場演劇祭

 10月10(土)、11(日)の両日、帯広市の演研・茶館工房で「第6回道東小劇場演劇祭」を見てきた。
 劇団北芸(釧路)と劇団動物園(北見)、劇団演研(帯広)が2001年から持ち回りで開いている演劇祭。今年は劇作家・演出家の劇団「渡辺源四郎商店」店主・畑澤聖悟氏をアフタートークゲストに招いた。
 初日10日夜は劇団北芸の「この道はいつか来た道」(作別役実、演出加藤直樹)。このブログの10月1日(木)付で、韓国演劇協会光州広域市支会と北海道文化財団が07年から交流してきたことに端を発する「光州平和演劇祭」への招待で、「光州平和演劇賞」(グランプリ)を受賞したと報告した劇団だ。今回が凱旋公演である。
 実はこの劇団のこの演目、ブログの最初の自己紹介で書いている私の年間最多観劇数が244本を数えた時(03年)のマイベストなのだ。
 以下に紹介するのは、その翌年、北海道新聞夕刊の芸能面に書いた劇評だ。再掲しよう。
 04年3月24日 (水) 夕刊・芸能
劇団北芸「この道はいつか来た道」*出会いの意味 静かにかみしめる
 一九六一年旗揚げの釧路市の劇団。「不条理劇」で知られる劇作家別役実の戯曲を、劇団代表の加藤直樹が演出し再演を重ねる。今回はこの五年半本拠地で、近く閉じる劇場の「さよなら公演」。遠く海鳴りとカモメの声が聞こえる空間に熟成の芝居が見合う。
 舞台中央にひしゃげた街灯の木製電柱。傍らにごみ捨て用のプラスチックのバケツ。ハーモニカの「この道はいつか来た道」が寂しく流れ、芝居は静かに開ける。電柱の下で出会うのは、段ボールを引きずってきた女(森田啓子)と背中にござをくくりつけてきた男(加藤)。ささやかなお茶会を楽しみ、「お友達」になる。初対面とも知人とも見える二人は不思議な会話を重ね、やがて日々新たに出会い、日々新たに愛し合い、日々新たに結婚する意味−「生の感触」をかみしめる−。
 別役戯曲は理屈、へ理屈を取り交ぜ、人を食う独特のユーモア、皮肉の会話が特徴だ。「不条理劇」を意識し過ぎてか、無機的な人物造形の演出も多く見る。この点、加藤演出は実に血の通った表情豊かな言葉であり登場人物。落語に似た味わい深い間(ま)があり、「不条理」を突出させずに人の世の「不条理」をにおわす。懐かしさ、切なさが染み込んでいる。
 その自然さは、「不条理劇はない。逆に言えばすべてが不条理劇だ」との加藤の持論のためだろう(努力すればかない、愛すれば愛される「条理」の世界で、人は創造表現などするだろうか)。それゆえ、二人の願いがかなうラストの美しさに素直に胸打たれるのでもあろう。(加藤浩嗣)
 以上のような次第。
 今回も加藤の男と森田の女の存在感が圧倒的だった。まさに至芸。この芝居は今度いつどこで見られるか分からないが、もしチラシなどを目にしたらきっと見ていただきたい。損などは絶対にさせない。それだけの自信が私にはある。
 畑澤氏は「別役芝居で初めて泣けた」と言い、「佇まいのかなしみ」という言葉をおっしゃっていた。まさしくその通りだと思う。
 2日目11日昼は劇団動物園の「ホテル山もみじ別館」(作鈴江俊郎、演出松本大悟)。ただ、なんとも大失態。私、前日飲み過ぎて寝坊して見られませんでした(いったん早朝に目覚めたのがよくなかったのだな、これが)。
 同作品は11月8日(日)午後2時から北の元気舞台として、札幌・ことにパトスで上演があるので、今度こそ勇んで見に行くことにしよう。
 夜は劇団演研の「驟雨(しゅうう)」(作岸田國士、演出富永浩至)。大正末期に書かれた作品で、新婚旅行途中に妹(金田恵美)が帰ってきてしまう、その今後についての相談を受けているうちに、姉夫婦(坪井志展、富永)の家庭の陰影も浮き彫りになってくるという短編である。登場人物はほかに家政婦(上村裕子)。
 これも、豪華なソファーといい、着物姿の登場人物の佇まいといい、何気ない所作といい、良く丹念にけいこされた多彩色の秀作だった。
 私は帯広へ行く前に札幌・ATTICで10月4日(日)、WATER33−39の同作品(演出清水友陽、出演赤坂嘉謙、久々湊恵美、中塚有里)を見たのだが、こちらは現代にも通じる普段着での演技で、単彩色と感じていたのだった。それゆえ、両作品の解釈や作劇の対照が実に興味深いとも思えた。
 道東小劇場演劇祭、実にレベルの高い作品群だった。札幌で芝居をやっているからといって、北海道一レベルが高いなどとはゆめゆめ思ってくれるなという、それは東からの厳しい風にも思えたのである。
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2009年10月07日

果実

 弦巻楽団「果実」(作・演出弦巻啓太)は10月4日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。これは私にとって6年越しの待望の再演だ。この間、弦巻には「再演して〜、再演して〜」と無理を承知でお願いしてきた。それが実現したのだ。まずそのことが本当にうれしい。
 以下に初演時に北海道新聞夕刊の芸能面に掲載された私の劇評を再掲しよう。ストーリーもほとんど変更ないし、自分で言うのもなんだが、物語や感想を過不足なく伝えていると思うからだ。配役も当時のままに再掲する。
 2003年9月1日 (月) 夕刊・芸能
シアターユニット・ヒステリックエンド「果実」*奇抜な設定に古典劇の風合い
 初恋の物語だ。二十代半ばの脚本家と、事故で高校三年から約十年間眠り続ける女性が語り合い、戻れぬ過去に思いを巡らす。設定は奇抜。だが奇をてらう方向に流れず、むしろ古典劇の風合いを帯びた。劇団代表、弦巻啓太の作・演出だ。
 物語は「エピローグ」から始まる。季節は冬。舞台中央に白いベッド。脚本家・梳々月桃太郎(立川佳吾)が、この数カ月の思い出を語るうち、婚約者の夏緑杏(知北梨沙)が亡くなっていることが明かされる。ここから物語はさかのぼる。
 初夏、彼は高校一年時に同級だった杏の両親(弦巻、田中佐保子)に、彼女が眠る部屋に連れて来られる。「ふりだけでいいから、娘と恋をしてください」。杏の梳々月への思いを知る両親が、眠る彼女の眼前で「幸せな情景」を演じさせようとしたのだ。
 やがて眠っているはずの杏が、梳々月の前でだけ覚醒し、動き始める。二人が「ロミオとジュリエット」の主役を演じるはずだった高一の文化祭の前日、彼が何も告げず転校した真相。打ち明けていれば両思いだった互いの初恋。二人は親密に回想の言葉を交わす。だが現実には、杏の脳死による臓器提供の日が近づいていた。
 生と死、現在と過去、現実と幻想。その間で引き裂かれるイメージが痛切だ。立川と弦巻の男性陣が、そこで葛藤(かっとう)する姿を演じ切る一方、知北、田中は負の現実を受け入れながら、寛容な表情を見せる人物造形が巧み。梳々月と杏の心の声をスライドで表現したのも一趣向だ。
 ラスト二場を丁寧に描き込んだ分、すでに観客を満たしている感動に物語が遅れ気味の感もした。要領の良い省略法があったかもしれない。
 終幕は「ロミオとジュリエット」のけいこ中の二人の姿。観客だけが知るその後の運命−。静かな清澄さと透明感が心に残った。(加藤浩嗣)
 ◇8月27日、札幌市教育文化会館(教文演劇フェスティバル2003参加作品)
 と、まあ以上のような次第。「シアターユニット・ヒステリックエンド」とは懐かしい。
 もう一度読み返して、今回の再演と比べると、「婚約者の」という部分は違っていた。梳々月(村上義典)はすでにこの時、別の女性と結婚していた。その二十代半ばの彼が、杏(下河原由起子)の父(松橋勝巳)に拉致されるように病院に連れてこられるのだ(母=石川藍)。
 いま振り返ると、初演時の教文小ホールはやたらに広くて空間をもてあましているかの印象だったが、再演ではコンパクトな舞台設計になっていた。白いベッドは舞台下手。その分、上手から中央部分にかけてのスペースで濃密な演技が繰り広げられた。
 村上、下河原のカップルは初演時の二人に勝るとも劣らない初々しさを醸しだし、実年齢に近いと思われる松橋は絶望の淵を笑顔を絶やさずに生きる父を好演。石川もカップルを優しく見つめる母を慈しみを感じさせる表情で見せ切った。
 スライドによる心の声もこの芝居の重要な要素だが、今回もばっちり。スライドに投映される杏の言葉と、梳々月が発する台詞がずれると大変だが、それもなく、安心して見ていられた。
 ラスト、初演時にはいくばくかのもたつきとも感じられた場面の描き方が、今回はそうは感じなかった。むしろ丁寧な描き込みがその後の二人の運命を暗示させてなんとも言えない、息をのむ切なさにつながった(すすり泣きの声があちこちから聞こえた)。6年間、私が年を取ったせいもあるのだろうか。それとも弦巻が新たな演出を施したのだろうか。
 この芝居、弦巻作品としては、彼が得意とする「コメディー路線」の一方で、私が「センチメンタル路線」とくくる一連の作品(弦巻には「センチメンタル」という題の作品もあるが、それも含めての呼称)の中でも最も好きな作品の一つであり、演劇ならではの趣向を最大限生かした名作だと思う。今回の村上や下河原のように生きの良い役者が見つかったときには、ぜひまた上演してほしい作品だ。
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2009年10月06日

橋の話

 北海道大学公認サークル劇団しろちゃん「橋の話」(脚本・演出小庭留斗)は10月3日(土)、札幌・ことにパトスで見た。全体的に静かな印象の、良い雰囲気を持った芝居だった。
 舞台装置は橋一つ。ここで一つの(?)橋をめぐる五つの章に分かれた物語(時代を過去から描いている日本の物語のように思えるのだが、一章だけ中世の西洋かと思われる異質なハイテンションの物語が挟まっている)が展開する。
 始まりは江戸かと思われる時代劇。そこから明治期のような舞台へと移り、中世の西洋が挟まり、「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたような橋の両端の対立するマチの恋人の悲恋ものとなり、ラストは現代、橋を絵に描く女性と散歩に訪れた男性の静かな対話で終わる。
 初め見ていた時はチャンチャンバラバラの破天荒な物語が続くのかと思ったのだが、その後は総じて静かな印象の物語になった。五章に分かれるオムニバス形式の芝居だったのだ。
 その点、オムニバスとしては各章のラストの「締め」が弱く、全体に間延びした印象を受けてしまった。オムニバスでも各章の結末はそれなりに小さなエピソードもおろそかにせず描かれるべき大事な部分だろう。
 それに全体の上演時間が2時間20分とはこの物語では長い。中世西洋の章など刈り込む要素はありそうだし、ラストの章も不用意に長い。2時間に収められれば、観客の想像力を喚起する部分も増しそうだし、より良い印象の芝居になっていただろうと思う。
 出演は河内博貴、小佐部明広ら16人。
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2009年10月01日

劇団北芸がグランプリ受賞

 韓国・光州広域市に芝居鑑賞に行っている右谷誠特派員(札幌・シアターZOO幹事仲間)からの緊急メール(10月1日=木=午前2時1分着信)によると、現地で9月23日(水)から開催されていた「2009光州平和演劇祭」で、釧路市の劇団北芸の「この道はいつか来た道」(作・別役実、演出・加藤直樹)がグランプリに輝いた。
 私の周辺取材によると、北芸は参加7劇団中、唯一の海外からの招待劇団で、29日(火)と最終日の30日(水)に上演。「老いと死」をテーマにした、しかしユーモラスでもある二人芝居を「近松浄瑠璃的美学」で演じ上げ、審査員(市民20人、新聞記者3人、演劇関係者3人)の高い評価を得てグランプリを受賞した。賞金は200万ウォン(日本円で20万円にちょっと足りないくらい)。
 私の電話取材に、演出で主演でもある加藤は「思わずこんな賞をいただいて。これからも良い芝居作りをしていきたい」、音響などを担当する佐藤徳子は「海外からの招待なので賞には関係ないねと言っていたのに。本当にびっくりで、うれしい」と感激していた。
 同劇団は1960年創立の老舗劇団で、本年度の釧路市文化賞に決まったばかり(10月22日=木=に授賞式)。
 直近の凱旋公演となる上演は10月10日(土)、帯広市の演研・茶館工房での第6回道東小劇場演劇祭となる。
 いやあ、書いていて自分でも興奮する。本当におめでとうございます。10日、見に行きます。楽しみにしています。
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