2009年09月27日

綺談百夜

 劇団怪獣無法地帯(棚田満代表)の「綺談百夜(キダンヒャクヤ)」(構成棚田)は9月27日(日)、札幌・レッドベリースタジオで見た。3人の作・演出による「こわい話」オムニバス3部作だが、いずれも約30分間、緊迫感が持続して見応えがあった。
 第1夜「或る夜」(作・演出忠海勇)は、サトミ(荻田美春)を殺したタカシ(泉清高)と、その友人ヒロシ(濱道俊介)の3人芝居。幽霊であるサトミの不気味さがうまく演じられていた。
 第2夜「遺体」(作・演出渡邉ヨシヒロ)は車で人をはね殺してしまったリュウヘイ(重堂元樹)と、その親分方と思われるジュンイチ(渡邉)の芝居(2人とも殺し屋かと見える)。3部作の中では唯一ユーモラスな部分もある内容だったが、緊張感が光る。
 第3夜「紅い蛇」(作・演出伊藤樹)は、芝居づくりにかかわる「こわい話」。ツガワ(梅津学)とミドリ(長谷川碧)が、ツガワの浮気をめぐって喧嘩、ツガワがミドリを殺める、という芝居の稽古の最中に、本来ミドリの役を演じるはずだったマナミ(進藤智生)がやって来て…という内容。マナミ役の進藤の女性の業を感じさせる好演もあって、ぞっとするほどこわかった。題名にかかわる紅い布(ネッカチーフ?)も効果的だった。
 私はホラー映画は血がドバーッと出るのは大嫌い。心理的に追い込まれる方が好き。その点、本作は、エドガー・アラン・ポーの原作をロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニの3人が監督した名作「世にも怪奇な物語」(1967年、仏・伊)や、中田秀夫監督の「女優霊」(96年)を思わせ、心理的なこわさがとても良かった。
 それにしても思うのだが、この劇団怪獣無法地帯のラインアップの多彩なこと。棚田の作によるおバカ探偵、宇宙路線から、伊藤の文学的路線、そして今回はホラーときた。そのいずれもが一定水準にあり、面白いのだ。本当にうれしい劇団だ。次回は2010年2月、同じくレッドベリースタジオで伊藤作、棚田演出の「想フハ君ノ事バカリ」だとのこと。今度はいったいどんな内容なのか、楽しみに待っていよう。
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2009年09月20日

冬のバイエル・追記

 前項のTPS「冬のバイエル」についてだが、大事なことを書くのを忘れていた。
 各景の合間をつなぐ楽曲が、米国や英国の、時にボーカルが入ったものから、今回はバイエル(斎藤歩編曲のものも)に変わったのだ。これにより、(特にボーカルの)楽曲に引っ張られていたイメージがなくなり、芝居全体の透明感が増した。引き締まった。これは今回の進化と言えるだろう。
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冬のバイエル

 TPS「冬のバイエル」(作・演出斎藤歩)は9月16日(水)、札幌・シアターZOOで見た。9月下旬から10月上旬にかけてのハンガリー、ルーマニアでのヨーロッパ公演を前にした壮行公演だ。
 2000年初演の名作である。私は何度見たことだろう。もう10回を軽く超えている。役者たちも結構変わった。そしてそのたびに発見がある。見る側の「思いの入り込む余地」がある。
 02年のTPS+文学座提携公演を見た私は、請われて北海道演劇財団の広報誌(03年Vol.16)に「思いの入り込む余地」と題した文章を書いた。そこから一部が抜粋され、04年上演時のポスターに使われた。その部分を以下に再掲しよう。
 「さまざまな出来事があり、だが人生は堂々巡りのよう、それでも人は生きていかなければならない。チェーホフや小津安二郎の無常観を思い起こさせもした。そしてこの芝居は見る側に楽しませる自由さがあるのだと思い至った。極めて簡素な装置の中で演じられる抑制された物語が、実は限りない想像へ導くものだとあらためて感じ入った。」
 師走の札幌を舞台に、ピアノ1台と椅子2脚の簡素な装置。登場人物は、妻に先立たれ再婚を決意する父(山野久治)と東京での就職を目指す娘(齋藤由衣)、不妊ゆえ心に溝がある夫婦(木村洋次、宮田圭子)、バツイチでピアノ教師の妹(林千賀子)と借金を背負い逃げ回っている喫茶店経営の兄(斎藤)。物語はそれら男女3組の風景が9景、数珠つなぎに紡がれてゆく。
 説明的な台詞を極力そぎ落とした作劇。ゆえに外国でも観客が想像力(創造力)を自在に駆使して楽しむことができるのではないだろうか。私自身、これからも何度でも見たい芝居だ。
 なお、今回はヨーロッパ・バージョン(斎藤が同行できない)として、TPS準劇団員の鎌内聡が斎藤の代わりに出演する回があり、私は途中からだが見ることができた。その回は「兄」が「弟」になり、「妹」が「姉」に書き換えられていた。これも、見る側に「思いの入り込む余地」を十分に残している芝居ゆえにできることだろう。
 鎌内はいっぱいいっぱいの様子だったが、ヨーロッパで磨かれてくるのではないだろうか。今後の熟成に期待しよう。
 ヨーロッパでの活躍を期待する。
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2009年09月14日

水に油 糠と釘

 劇団イナダ組の「水に油 糠と釘」(作・演出イナダ)は9月13日(日)、札幌・コンカリーニョで見た。大江健三郎の小説「セヴンティーン」から岩井俊二の映画「リリィ・シュシュのすべて」にまで至る一連の青少年の心の闇を描いた秀作群に、演劇界から新たな一作が仲間入りしたと言っていいだろう。イナダ渾身の力作であり、問題作。
 出演は江田由紀浩、佐藤慶太、野村大、高田豊、山村素絵、宮田碧の6人。役名はない。みな白い衣装だ
 舞台正面にパソコンなどの文字を映し出すスクリーン。舞台には台座が六つと小さな箱が十数個。極めて簡素な舞台装置だ。
 2008年6月、東京・秋葉原で起きた無差別殺人事件について、6人がインターネット上で会話する場面から物語は始まる。
 やがて中学生ぐらいの成績優秀、スポーツ万能の少年(江田)が検察官に質問される場面。少年は何らかの犯罪を犯したらしい。
 続いて、少年が過去のことを思い起こしていく様子がさまざまな場面として描かれる。例えば、厳しい女教師「鉄の魔女」(山村)と少年たちの学校生活。
 江田以外の出演者は5人とも複数の役柄を入れ替わり立ち替わりこなしていく。山村は少年の母、野村は父。また高田や佐藤、宮田は同級生といったふうに。ただ、すべて匿名だ。実験的作劇が見事に適している。
 次第に少年は何物かに追い詰められていく。パソコンには「抑圧された現実」「憎むべき敵はいったい誰なのか」と書き、部屋に引きこもる。
 さらに学校ではいじめられっ子三人組の一人になる。両親は不仲。いよいよ追い詰められる少年。親殺しの欲望。出口のない心模様。そしてある日−。
 実験的な作風だが、複雑ではない。ただ、題材が題材だけに観客には賛否両論もあったのではなかろうか。もちろん私は「賛」だ。イナダが演劇の特質を存分に使って少年の心の闇に迫ろうとした、その意義に拍手を送りたい。
 少年の心模様やさまざまな心象風景を光を通じて表現した照明(高橋正和)も印象的だった。
 ただこれがロードツアーというのはいかがなものだろう。地方の観客はもっと娯楽作を求めているんじゃないかなあ。驚くだろうなあ、これは。ま、老婆心だけど。
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ディンドンガー

 劇団FICTION(東京)の「ディンドンガー」(作・演出山下澄人)は9月12日(土)、札幌・シアターZOOで見た。社会の最下層の人物たちをアナーキーに描く作劇ぶりは健在だった。
 これまで見た「石のうら」「しんせかい」と比べると、いくつかの物語が同時並行的に進行するため、とらえどころがちょっと難しい。
 飲食店からもらう残飯を食べて生きている初老の男(山下)と生物大(荻田忠利)、生物小(まさと)。男は妻が死んでしまい、その死体をばらしてバッグに詰めて山に捨てに行く。これが物語の一つ。
 流産したショックから、人形に母乳を与えるような動作をする妻ユリ(小林由梨)と喧嘩し、逆に自分が家を出て行く羽目になったユウスケ(竹内裕介)。
 宮沢賢治をモチーフにした芝居を上演中、いい場面で携帯電話のメールを見ていたゆり」(小林)と喧嘩し、ゆりを出て行かせる俳優カズ(山田一雄)。
 別々に家を出ていたユウスケとゆりはふとしたことから、一輪車乗りがうまい聾唖者の少女(佐久間麻由)と出会い、その招きで少女とひげをはやした女リキ(大島未由希)が同居する家に居候することになる。
 以上のような物語が同時並行的に進行するのだ。だが混同することはない。各物語が非常にしっかりした輪郭を持っているから、鮮明に記憶に残る。笑える場面も随所にある。そしてこの劇団ならではのアナーキーな社会的底辺の力強さもやっぱりきっちりと描かれているのだった。
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2009年09月08日

美男ペコパンと悪魔

 TPSの「美男ペコパンと悪魔」(原作ヴィクトル・ユゴー、構成・演出斎藤歩)は9月6日(日)、札幌芸術の森調整池で見た。小説を題材に斎藤が構成した芝居は、すり鉢状の調整池(水は張っていない)の周囲の自然環境を生かした作劇で、役者たちの体を張った演技を楽しく見ることができた。
 美男ペコパン(岡本朋謙)は許嫁(齋藤由衣)がいたが、ある事情から諸国を遍歴しなくてはならなくなる。ようやく帰って来た時には、許嫁は老女になっていたという、フランス版「浦島太郎」のような物語。
 これを、ビニール製の水道管(塩ビ管)を改良した笛のようなものや簡易ジンギスカン鍋を火であぶったパーカッションなどを使い音楽劇に仕立てた。周囲の木々やすり鉢の斜面など自然環境を取り入れ、役者たちが走り回る。個人的には、しばらくTPSから遠ざかっていた須貝美佳が復帰したのがうれしかった。
 今回は斎藤歩が仕事のため芸術の森に張り付くことができず、TPS劇団員だけで約1週間のミニキャンプ。でもやはり来年以降は全国の演劇人に呼びかけて大々的にやってもらいたいものだ。
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2009年09月01日

唯、優しさを織りこんでキミの修復

 演劇ユニット、イレブン☆ナインの「唯、優しさを織りこんでキミの修復」(作・演出納谷真大)は8月29日(土)、札幌・コンカリーニョで見た。一人の人間の二面性を並行的に、また重層的に描いており、納谷がパンフレットに書いた通り「これまでのイレブン☆ナインに比べると、随分と複雑で、わかりにくい、劇」だったが、私を含むある種の演劇好きにはその実験的作風が想像力(創造力)をかき立てられ、大いに楽しんだ。
 「ジェンガ」という積み木のようなゲームで遊ぶ、血のつながらない兄(杉野圭志)と妹(今井香織)。彼らは自分たちをモデルに連載漫画を描く漫画作家だ(兄がストーリー、妹が絵を担当)。だが、妹は人知れずある大きな悩みを抱えており、兄やその恋人(上總真奈)、編集者(納谷真大)を振り回していき、とうとうある「事件」を引き起こしてしまう。
 妹の二面性が交互に描かれる作劇は、なるほど複雑で分かりにくい。だが、狂言回し役のジジイ(山田マサル)とババア(小島達子)の存在が内容を理解する一つの手助けとなる。特にババアは芝居全体を俯瞰する視点ともなっている重要な役柄で、小島が好演。
 イレブン☆ナインは従来ウェルメードなコメディーを主とした作品を発表してきたが、前回の「サイレンとサイレント」に加えて、今回のような複雑難解な「知のたくらみ」的な芝居も上演できることを証明した点で、エポックメーキングと言えるだろう。
posted by Kato at 18:29| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする