2009年08月23日

教文短編演劇祭

 1カ月間にわたり行われてきた教文演劇フェスティバルのフィナーレを飾る「教文短編演劇祭」が8月20(木)から22日(土)の3日間、札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。審査の結果、2008年度優勝者の劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌の荒唐無稽アクション「探偵明智十三郎 地獄が俺を呼んでるぜ!」(作・演出棚田満)が連覇を達成した。
 15分の短編演劇作品を競演し、観客の投票で勝ち抜くシステム。初日20日は予選1日目で、演劇公社ライトマン「バス停」(作・演出重堂元樹)、ユニット突貫工事「てるてる坊主のワルツ」(作・演出村田昌平)、THE BIRDiAN GONE STAZZIC.「キラービーチ」(作・演出ミヤザキカヅヒサ)、イレブン☆ナイン「SHINDO」(作・演出納谷真大)の4組が争い、有効投票154票のうち82票を獲得したイレブン☆ナインが勝ち残った。
 2日目21日の予選2日目は、The United Collaboration「TUC版・ニーベルングの指環」(作・演出甲斐大輔)、劇団ファミスタ「山椒WAR」(作・演出和泉諒)、エビバイバイ「遮光」(作・演出斉藤麻衣子)、yhs「やめた。」(作・演出南参)の4組で、有効投票187票のうち81票を獲得したyhsが決勝に進出、同時に前日敗退の3組と当日敗退の3組を合わせた6組の中からエビバイバイが敗者復活枠で選ばれた。
 最終日22日の決勝戦は、エビバイバイ、イレブン☆ナイン、yhs、劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌の順に上演。観客投票に加え、演劇シンポジウム出席のため来札していた坂手洋二・日本劇作家協会会長、鐘下辰男・同理事と、斉藤雅彰・教文演劇フェスティバル実行委員長の3審査員も加わり(各氏の持ち点は 70点)、審査の結果、有効投票189票のうち127票(観客74票、審査員53票)を集めた劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌が見事に防衛を果たし、チャンピオンベルトと来年度決勝戦シード権、100万円が当たるかもしれない副賞(宝くじみたいな、こするやつ)を贈られた。
 ただ、坂手、鐘下両氏の見る前の期待感と実際に見た上演作品とのギャップは大きかったらしいのが、苦しそうな講評で伝わってきたのには苦笑。
 来年度はどこが優勝の栄冠をつかむのか、こうご期待。
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2009年08月19日

サンタのはし

 SKグループ(SKG)のチビユニットskcの「サンタのはし」(作・演出すがの公)は8月15日(土)、札幌・ATTICで見た。
 2006年に父と娘の「サンタのうた」で全国5都市、07年に兄と妹の「サンタのひげ」で同10都市を回った旅回りユニットの第3弾で、今回の設定は爺ちゃんと孫。2畳半の二人芝居をワゴン車1台に小道具や役者たちが乗り込み、南は北九州市まで全国22都市を回る旅回りユニットだ。
 物語は家を飛び出しパチンコ店の駐車場係をしている老人(すがの)を孫(天野さおり、大原慧、彦素由幸のトリプルキャスト)が連れ戻しに来るという人情ものだ。
 私が見たのは天野の回だったが、話の展開があまりない割には上演時間1時間半はちょっと長いかなという感じだった。もう少し刈り込んでもよいと思う、特にskcを初めて見る人の場所では。
 11月中旬までの長丁場。ぜひ交通安全を心がけ、元気で帰ってきてほしい。11月28日(土)に札幌・シアターZOOで凱旋公演がある。
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2009年08月13日

三弦橋まで

 舞台芸術工房森の会(赤川智保代表)プロデュース公演「三弦橋(さんげんきょう)まで」(作青山郁子、演出本山節彌)は8月12日(水)、札幌市教育文化会館小ホールで見た。青山が自作の小説「三弦橋まで」(「さっぽろ市民文芸24号(2007年度版)」札幌市民芸術祭特別賞受賞作品)を自ら脚本化しての舞台化だ。
 チラシ、パンフレットに書かれた文言は「シューパロダムが完成すると夕張のいくつかの街とともに湖底に消える三弦橋。夕張を。炭鉱を。仲間を。家族を…。絆を繋ぐ架け橋は、あの時確かにそこにあった。記憶の底に沈む前に、再び、それぞれの心に三弦橋はどう映るのか。」。
 舞台は夕張市。2013年にシューパロダムが完成すると、シューパロ湖の水位が約40b上昇し、大夕張(鹿島地区)や三弦橋、大夕張ダムも水没する。三弦橋は1958年から63年までしか使われなかった、三弦ワーレントラス構造の雰囲気のある森林鉄道の橋なのだ。
 新藤康雄(菅村敬次郎)は64歳。札幌で妻久美子(青山郁子)、娘佐和子24(原まどか)と暮らす。康雄は認知症で、施設に通っている。佐和子は幼少時、自分の誕生日に康雄からつらい仕打ちを受けたため、厳しく接している。
 だがある日、久美子が佐和子に出生の秘密を打ち明ける。佐和子は85年5月の夕張の炭鉱事故の日の生まれで、難産だった出産立ち会いのため康雄は仲の良かった後輩金城啓祐(佐藤淳)にその日の仕事を交代してもらっていた。それで康雄の代わりに金城が事故の犠牲になったのだ。康雄一家は事故から半年ほどで夕張を離れたのだったが、康雄は今も事故のこと、金城のことが頭を離れずにいる。
 そんな折、佐和子は金城の若き妻だった千代子(穂咲めい)の新聞記事を見つける。自作のカクテル「三弦橋」で賞を取ったとの記事。佐和子は康雄、久美子とともに千代子を訪ねる。感動の再会。しかし康雄の記憶は戻らない。そこで再度、佐和子は、今度は皆で夕張に三弦橋を見に行こうと提案する。康雄が何かを思い出すかもしれない旅、そして自分が生まれて半年で離れた故郷への旅へ。
 菅村が認知症の老人をまさに迫真の演技で見せる。千代子の耐えに耐え続けてきた24年間の蓄積を思わせる所作も印象的だ。
 劇中頻繁に歌われる「夕張わがふるさと」も効果的だ。さらにラスト、康雄の心象風景を象徴する赤川智保モダンバレエスタジオによる群舞も優しく爽やかで芝居に欠かせない重要な要素になっている。
 物語は詰めの甘いところもあるが、国策の誤りを声高に叫ぶことはなく、認知症への対応も全体に爽やかで、感情移入しやすいものになっており、見終えた後、温かさが体に浸透してくるよう。本山が終演後の舞台挨拶で、「夕張の先人たちへの鎮魂歌です」と語っていたが、まさに言い得て妙。これはいつか夕張公演をするしかないだろう。
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続・三弦橋まで

前項「三弦橋まで」で、この舞台が当初小説で書かれたようなことを書きましたが、最初から脚本だったようです。お詫びして訂正します。
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2009年08月09日

Confession 告白 ユリシーズの帰還は可能か?

 前項、劇団どくんご「ただちに犬 Deluxe」で「五月は実は私と釧路で小中高と同期だ」とあるのは、厳密には「小中高と同窓だ(同じ学校)」の意味です。念のため。
 さて、実験演劇集団「風蝕異人街」の「Confession 告白 ユリシーズの帰還は可能か?」(原案・手塚治虫「アドルフに告ぐ」、三島由紀夫「わが友ヒトラー」、構成・脚色・演出こしばきこう)は8月9日(日)、同集団の本拠地である札幌・アトリエ阿呆船で見た。私は「アドルフに告ぐ」(持ってはいる)も「わが友ヒトラー」も読んでいないが、この集団にしては物語の輪郭が鮮明な感じで、見ていて分かりやすかったし面白かった(だからと言って、以下に書く文章が分かりやすく書けているかどうかはまた話が別物なのだが)。
 チラシ及び当日配布のパンフレットには、「歴史が、民衆が、満たされない自分の欲望を生贄として次々と独裁者の替玉を造りあげる」とある。まさにその言葉通りの芝居だ。
 第二次世界大戦末期、夫がアドルフ・ヒトラーの替え玉だったという夢子(三木美智代)。彼女が、FA(総統崇拝秘密結社)の面々(平澤朋美、李ゆうか、田村嘉規、宇野早織)と出会う物語だ。芝居の時間軸、空間軸は、くびきを解き放たれている。
 FAは、ヒトラーが愛人エヴァ・ブラウンと結婚後、心中する様子などを再現しては、ヒトラーの再来を期待しているのだった。それは、ものまね(ごっこ)であり、こしばがパンフに大テーマとして書いているように「人はなぜ独裁者としての象徴(シンボル)を望むのか?」を地で行くものである。
 それぞれに総統への熱い思いを口にし、総統の替え玉になろうとする者たち。「本物の替玉」こそ「本物」以上であるという妄想に憑かれた者たち。そのさまざまな表現を見ていると、なるほど、こしばが指摘するように「真実を表現するのは真実の錯覚をつくること」なのだと思えてくるから不思議だ。
 物語全体にものまね(ごっこ)の楽しみが散りばめられ、「世界は劇場、人生は芝居」といったような、こしばの世界観(それは寺山修司にもつながる)が根底を流れている。見ていて、五感を刺激してくる演劇だ。
 ただ現代の日本でこれを舞台化する場合、やはり象徴(シンボル)としての「天皇」にわずかでも言及すべきではなかったか、というのが私の率直な感想だ。その方が広がりや奥行きが深まるのでは、と。いやいや言及などしなくても、すでに舞台の中から類推されると言われればそれまでなのだが。
 出演はほかに上牧玄。
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2009年08月07日

ただちに犬 Deluxe

 劇団どくんご(鹿児島)の「ただちに犬 Deluxe」(構成・演出どいの)は8月1日(土)、札幌・円山公園自由広場特設テント劇場で見た。札幌の夜に魅惑の幻想的異空間が現れた一夜だった。
 出演は、まほ、丹生みほし、時折旬、五月うか、暗悪健太の5人。
 五月は実は私と釧路で小中高と同期だ。小学校と高校の時は同級生。まさかこんなに多芸な女性だとは思ってもいなかった。
 この劇団、従来は埼玉が拠点だった。それが、今年の1月に鹿児島に拠点を移した。理由は、旅公演を1年を通じて行うため。そう、トラックに舞台のテントや居住空間のテントを積んで春から冬まで全国を旅公演する劇団なのだ。季節を考え、夏には北海道公演と決まっている(今年は余市、江別、釧路、深川、札幌、留萌の6カ所)。
 さらに従来の旅公演は、旅のない間に稼いで稼いで3、4年ごとだったが、これからは毎年だという。そう、旅公演で食べていくことを決断した劇団なのだ。本当に頭が下がる。
 今回の芝居の内容は、死んだ犬(ぬいぐるみ)を殺したのは誰かについて、出演の男女5人が「犯人はお前だ!」と言い合うもの。それだけと言えばそれだけなのだが、その合間に役者1人各10分ほどの一人芝居の時間があり、ほかに皆で行うパフォーマンスが加わる。脚本といったものは特になく、役者たちが自由に動いてみたものを、どいのが構成・演出するという作劇法なのだという。
 時間の経過とともにだんだんと外界と舞台とを遮断していた幕が外されていく。しまいには外界の森と舞台がそれこそ地続きでつながり、観客席も含めすべての世界が一つの異空間になるという仕組み。
 これでたっぷり2時間、役者の台詞と動きが舞台狭しと展開される。それは唐十郎の「特権的肉体」と言うにふさわしいもので、芝居は別に物語がなくとも、圧倒的なパッションで成立すると言えるものだ。
 札幌公演は8回目とかで(私は前回4年前の「ベビーフードの日々」から見ている)、評判が評判を呼んでか(余市公演を取材した吉雄孝紀さんのUHB報道も集客に一役買った)、1日は過去最高の 105人という観客数で熱気が溢れていた。先に書いたように、来年からは毎夏来道するとのことなので、ぜひ楽しみにしてほしい。
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2009年08月06日

訂正

前々項、AND「モブよ、泥棒の様に走れ」で冒頭の忰田麻里子さんの名前が違っていました。正しくは忰田麻理子さんです。お詫びして訂正いたします。
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続・モブよ、泥棒の様に走れ

なお、前項のAND「モブよ、泥棒の様に走れ」は8月6日(木)から9日(日)まで、札幌・ブロックで上演される。
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モブよ、泥棒の様に走れ

 日本女子大箏曲研究会OGの忰田麻里子さんから「ブログ精力的に書いてるね」とのありがたいメールを頂きました。
 そうだよ、君と同OGの笹川麻紀さんと、国分寺の早稲田大学虚竹会(尺八部)OB小笠原高志先輩宅にお邪魔して、その時、俺なぜだか上京した2日前から「声がぜんぜん出ない病」にかかっていて(全快まで2、3日かかった)、言葉のやりとりがほとんどできなくて、だからといって体のやりとりももちろんなくて、それで3月北海道に帰ってきてがたーんと「うつ」になって落ち込んで、3月の劇評はほっぽっておいたのよ。
 それをいま必死になって書いているというわけ。
 ところで笹川麻紀さん、これを読んでいたら、渡した名刺のアドレス(このパソコン)にメールを送ってみてくださいな。なぜだか、俺が送るとエラーが出るのだわ。
 というわけで、今回は7月29日(水)、札幌・円山公園自由広場特設テント劇場のAND「モブよ、泥棒の様に走れ」(作・演出亀井健)だ。ANDはエロ、グロ、それにちょっとしたナンセンスをかまして、現代若者の刹那的な心情に直接に響いてくる、突き刺さってくる表現を展開する、札幌でも特異なカンパニー。熱狂的なファンがいる。それが、今回は初のテント演劇だ。というのも、長年札幌公演の受け入れに責任を持ち、交流している九州・鹿児島の「劇団どくんご」が数日後にこのテントで公演することから、そこを借りる形で行われたのだ。
 行きましたよ、1泊2日の人間ドックの1日目の夜。クリニックで夕飯食べてから。「午後9時までに帰って来てください」というのを「10時までには帰ります」と言って。なんたって翌朝、胃カメラ飲むんだから。
 で、出来は素晴らしくよかった。
 つねづね「ANDにはテント芝居がよく似合う」と思っていたけれど、やっぱりそれを実証した芝居だった。
 クリーニング店の深田(亀井)と恋人夕凪(矢野杏子)。深田の親友は政治家だった親の七光りの木村(山田マサル)。その木村がある日首相になる。狂った首相。彼は日本人総玉砕計画(一部は高等遊民的に生き残る)を立て、手始めに「あかさたな」の「た行」を発音することを禁じる。「愛した」は「愛し」。続いて「ま行」。だから木村にとってのともだち深田は「OOOO」(木村だけは「ともだち」と何でも発音できる。)
 続いて、は行、か行ときて、ついには「わ行」と「ん」だけが許される。出演者の言葉は「わん」だけ。わん、わん、わん。
 突拍子もない設定から生まれ出ずる真実。
 一方、深田は「ギャングピエロ」になり、深夜、自分のクリーニング店を何でも発音できるバーにして対抗する−。
 そこに集まる若者たち。そして禁止令を破ったのを警察に見つかり、舌を切られる若者たち。
 テントの奥行きの幕を取っ払い、手前のステージでの多彩なアクションと、向こうに見える森の中のパフォーマンスが交錯する見事な美しさ。亀井ならではの詩的で断片的な言葉の数々が禁止され、やがて演劇の中の言語そのものが失われていく皮肉。
 これは他のカンパニーとは別のあり方で言葉、言語というものを考え続けてきた亀井の新境地を開いた作品であると言えるのではないか。
 この狂った首相が、北朝鮮の独裁者はおろか、日本のあまたいる政治家たちを彷彿とさせるのも、容易に納得できるところだろう。
 ラスト、私は20代の亀井なら、深田の裏切りを知った首相をテロリストが暗殺して終わるのだと思っていた。それがどうだろう。なんと優しい終わり方。そしてそれが不思議な余韻を醸す。
 奥行き、広がり。それはテント芝居だからだけではない、亀井の作劇の確かな深まり、円熟を感じさせたのだ。
 出演はほかに小原綾子、赤谷翔次郎、小林尚史ら。
posted by Kato at 15:47| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする