2008年10月17日

東京観劇

東京で芝居を2本見てきた。1本は、以前「千年ZOO」の項で紹介した、浅草の遊園地「花やしき」でジェットコースターを巧みに利用した芝居「ムーンライトコースター」を前に見たことがある、劇団KAKUTAの「STAR MAN」(作・演出桑原裕子、10月3日、こどもの城青山円形劇場)。人間付き合いの下手な男の物語で、ちょっと考えさせられるものだった。「ムーンライトコースター」のDVD2種も買ってしまった(初演、再演バージョン)。もう1本は劇団唐組の「ジャガーの眼・2008」(作・演出唐十郎、5日、井の頭公園内紅テント)。相変わらず訳の分からない独特の世界で、普段血が巡っていかないところにもぐーるぐる。これがまた快感なんだなあ。
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2008年10月16日

再びyhs「95」を推す

10月1日付の項に書いたように、札幌の若手(いやもう中堅かな)劇団yhsの再演「95(キュー・ゴー)が本日16日、札幌・ターミナルプラザことにパトス(地下鉄東西線琴似駅構内)で幕を開ける。
 本日と17日は午後8時、18日は午後2時と7時半、19日は午後2時。
 このうち18日午後2時からの回ではアフタートークに、劇団代表南参氏と私が出演する。ぜひとも会場に駆けつけてほしい。南参本人も「芝居の出来は保証できる」と宣言しており、傑作の予感だ。
問い合わせは080・5595・4103へ。
 
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2008年10月01日

しんせかい

2007年に「石のうら」でシアターホリック・道外カンパニーの道内公演賞を受賞したFICTION(東京)の「しんせかい」(作・演出山下澄人)は9月15日、札幌・シアターZOOで。
 両親の位牌をバッグに詰め、眠るとき以外はいつもプロレスの覆面を被っている「ネットカフェ難民」のコタニ(竹内裕介)。彼がようやく見つけた、住み込みで働く工場での1カ月間の成長物語である。
 工場には乱暴者のイケタニ(山下)やチンピラ風の障害者ミウラ(井上唯我)、男色のロシア人アレク(大西康雄)、胸に患いがあるが気のいいオオキ(山田一雄)、イケタニの内縁の妻だが、オオキも気にかけている紅一点のみちこ(福島恵)ら、個性的なメンバーがいた。
 ある日、オオキが余命1カ月を告げられる。それからの人間模様が、いかにも小市民的で、ありそうで、哀しくもおかしい。
 最底辺を描く山下の筆致は、そして最底辺の世界観を表現する劇団員らのパワーは相変わらず頼もしい。上演時間は2時間だったが、私は見ていて、この時間がもっともっと長く続いてほしいと願ったものだった。
 ラスト、オオキの最期の頼みで、コタニは覆面を外す。個性的なメンバーの中でもまれて、彼にも人間としての一区切りがついたことが分かる。見終えた後、胸がじんわりとする佳品である。
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狂人教育

 流山児★事務所の暗黒★歌劇「狂人教育」(作寺山修司、演出流山児祥)は9月14日、札幌・コンカリーニョで。
 本作は1962年に寺山が書いた唯一の人形劇台本だ。流山児は今回、人形の役を中国人女性6人が演じ、日本人男性の人形遣い(黒衣)6人が狂言回しの役を演ずるという実験的な試みで演出している。
 人形の6人家族の中に、1人だけ気狂いがいる、と医師に告げられた家族。やぶにらみで船の設計師の祖父は「狂人の首をはねる」と宣言し、それ以来、祖父をはじめ、猫好きな祖母、どもりの父、男好きな姉、蝶を室内に閉じ込める虚無的な詩人の兄の5人は、自分が狂人だと思われるのを恐れ、互いに同じような振る舞いを始める。それに、小児まひの末娘だけが素朴な疑問を抱くが、物語は切ない衝撃的な結末を迎える。
 飛び交う中国語(字幕付き)、黒衣たちの日本語による歌の数々。人形家族6人の赤、青、緑といった原色の衣装もきらびやかで、あっと言う間の1時間20分だった。
 寺山没後25年。21世紀になっても寺山は我々を挑発し続けると確信した(もちろん流山児の意欲的な演出もあるが)素晴らしい舞台だった。
 舞台は香港、杭州、上海にもツアーするという。
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yhs「95」を推す

 札幌で昨年10周年を迎えた中堅劇団、yhsの主宰者・南参(なんざん)に請われて、次回公演(10月16日から19日、ターミナルプラザことにパトス)のチラシやホームページなどに掲載される文章を書いた。次のようなものである。


 帰らざる日々への挽歌〜yhs「95(キュー・ゴー)」を推す〜
      北海道新聞記者 加藤浩嗣
 yhs「95」(脚本・演出南参)は、2005年に私が観劇した舞台144本の中で、マイベストに選んだ芝居である。その年1月に見たTPS「西線11条のアリア」の独走を、年の後半になって押し切ったのだった。
 その「95」が脚本を改訂し、配役も一部変更して再演される。なんとも楽しみだ。
 舞台は、1995年の札幌の、とあるボランティアサークル。95年といえば、阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件があった、あの激動の年である。
 物語は、それら社会的事件や文化事象、流行をちりばめた中に、学生や会社員ら、若者の横断的な集まりの群像劇が展開される。
 集う人は皆、「善」を志向している。だが、「善」をまとった人の中には「悪」も芽生え、そうこうするうちにサークル自体の行く先が危うくなっていく。ねたばれしないよう注意深く書けば、以上のような悲喜劇だ。
 これが、テンポよく面白い。南参演出の間(ま)が実に小気味よく心に響いてくるのだ。上質な落語の間に通じるものがあるのではないか。南参は落語ファンなのではないか、と私はひそかに思っている。
 劇中、絵本パフォーマー岸田典大のパフォーマンスが、ユーモアがあって大変にほほ笑ましいものながら、サークルに集う若者を次第に覆っていく暗雲めいたものを予感させて、物語に奥行きを与えている。
 そして終幕、若者たちはある事件を経験して、「青春」に一区切りついたのを知る。

 95年、南参は多感な高校3年生だったという。そうなのだ。この芝居は南参にとっての、帰らざる日々、また、青春へのほろ苦い挽歌なのだ。
 爆笑の渦の後、見る者一人ひとりの胸には、じわりと切ない思いが染み込んでいるだろう。


 実はここには大きな間違いがあるんですねえ。分かりますか。
 もう文章にして、なんと二つ目。「その年の1月」というのが、実は2006年の1月のことで、だからその後の部分の「年の後半になって押し切った」というのはあり得ない表現なのです。
 なぜこんなことが起こったのかというと、yhsは2006年のマイベストも受賞していて、その作品「THE KING OF ROCK AND ROLL」と「95」を混同したのであった。
 大事な頼まれ原稿で重大なミスを犯してしまい、南参はじめyhs、並びにTPS関係者に多大な迷惑をおかけしたことをお詫び致します。
 というわけだが、この芝居「95」、ぜひご覧になってほしい。18日昼の会の後には、私と南参のアフタートークもあるので、よろしかったらどうぞ。
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