2008年07月25日

ジョウジマイケル物語

 「ジョウジマイケル物語」と書けば、どこの外国人の物語かと思われる方もおられようが、これが札幌に実在する「城島イケル」(劇団「にれ」など所属)という役者の半生を描いたコメディー。yhsが10周年記念公演ファイナルと城島イケル還暦記念を合わせてシアターZOOで公演(脚本・演出南参)、私は6月28日に見た。
 冒頭、城島が城島を演ずる、50歳を過ぎて脱サラしての演劇界への飛び込み(TPS養成所)からして笑わせ、長崎県に生まれ育った幼少期の初恋の思い出、不良の道に入った中高生時代、学生運動と恋愛に翻弄された東京での大学時代、転勤で札幌へやって来た営業マン時代と、折々に役者が変わって城島を演ずるが、そのおかしいこと。yhsはやはり間(ま)の取り方がいいなあ。
 南参、うまいなあと思ったのは折節でメタシアター(演劇についての演劇)の要素がうまく取り込まれていた点。一人の役者・人間をつぶさに描くことは、広く普遍的な物語世界に通ずるものだとあらためて感じ入った。
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闇に咲く花〜愛敬稲荷神社物語〜

劇団新劇場と言えば、プロの劇作家による良質な芝居に挑戦する意欲的な劇団という印象がある。
 今回は井上ひさし作「闇に咲く花〜愛敬稲荷神社物語〜」。山根義昭の演出で、6月14日、札幌・やまびこ座で見た。
 昭和22年、東京・神田の愛敬稲荷神社を舞台に、神主(斉藤誠治)と、戦地から帰還した一人息子(実は捨て子だった)の元職業野球エース(星野晃之)、彼らを取り巻く市井の人々の物語。
 誰がなんと言おうと、大作に体当たりした力作であることは間違いない。
 ただ、物語自体にさほどの起伏がない中での2時間50分(休憩含む)は、ちょっと長く感じた。演出に、光に、音に、もうすこし工夫が凝らされてよかったと思う。
 せりふのとちり、忘れも多く、見ているこちらがはらはらした。せっかくの力作、いま一度の完成度がほしかった。
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バウンティ!

ここから、少しさぼっていた6月の劇評を書こう。
 プラズマニア「バウンティ!」(脚本・演出谷口健太郎)は6月7日、札幌・ブロックで。
 舞台は未来の日本らしき国。そこでは木という木は切られ、酸素は人工的に作られていた。その工場が実は、一定期間になると労働者=多くは犯罪者たちを抹殺する機関で、その企みを主人公(谷口)が暴く。
 工場のトップ(太田真介)と旧知の主人公との戦いを縦軸に、トップの亡き妻(黒沼陽子)、その息子で、ある事情から自分がどこの誰かよく分からないままに育った桜太(村上義典)、同じくトップの娘で、父に暴挙を止めさせようとする「ちえり」(=名前は桜の英語「チェリー」からきている。亡き妻が1本の桜の木を大切にしていたためだ。喜井萌希)の家族関係を横軸に物語は展開する。
 「全力疾走系エンターテインメント集団」の異名もあるとか。なるほど元気がいいカンパニーだ。今回の物語も分かりやすくまとまっている。
 ただ、「善悪」という大きなテーマを物語の軸に据えた割には、ラストがあまりにも能天気に安易ではないか。ここまですべてがすべて都合良くいくと、ちょっと待ってよとも言いたくなってしまう。
 深みがないのだ。見終えて、「良かったねえ」という以上の何物も残らないのだ。要するに、まさかなあと思うような浅薄なところでとどまっているのだ。現代の若者のハッピーエンド志向に迎合しているのではないかとさえ思ってしまう。
 現在、最も活況を呈しているカンパニーであることは認める。ただ、私の中で今一つ高い評価にならないのは、ちょっと厳しく書けば、今回のような深く掘り下げられる題材なのに、見た者の心の傷にもならない安直なラストをさらっとやられてしまうからかもしれない。
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デパートメントシアター・アレフ

私は当時実際に見ておらず聞いただけだが、かつて札幌に劇団デパートメントシアター・アレフ(代表萬年俊明)というカンパニーがあった。1982年、北大劇団アトリエのメンバーで結成。90年までの全17作品で萬年が脚本・演出を担当し、小劇場内にとどまらず、札幌芸術の森野外、閉店後のデパート店内やビルの屋上、遊園地跡地の廃墟など、多彩な場所で公演をした記録が残っている。
 萬年は2006年、47歳で死去。劇団復活の願いはかなわなくなった(ただ、アレフの流れとして、札幌の劇団シアター・ラグ・203が活動している。代表の村松幹男、たなかたまえ、平井伸之らがアレフの元メンバーである)。
 今年4月、そのカンパニーの回顧展が紀伊國屋書店札幌本店で開かれ、5月からは貴重な公演のビデオ上映会がラグの本拠地、札幌・ラグリグラ劇場で行われている。
 私は5月31日に「RICCACHAN(リカちゃん)〜ムラサキの雨降る夜空に消えた夢の理科室〜」(87年3月13〜15日、札幌本多小劇場)と「遊星天幕・百億光年漂流之段」(89年10月25〜31日、札幌・マルサ1階遊星天幕)を、6月28日には「THE END OF ALEPH〜ジ・エンド・オブ・アレフ=アレフの終焉〜」(88年10月21〜23、26〜30日、札幌・百貨劇場)を見たのだが、どれもせりふの発声法や暗転の仕方など、80年代のテイスト満載で、しかも内容が過去に遡及するもの、未来の物語と多彩で、実に面白かった。
 次回は7月26日午後6時半から「OKUJO〜ドゥムデイズ・マシーン〜」(89年9月20〜23日、エスタープラザビル特設会場)である。
 問い合わせはラグリグラ劇場、電話011・813・8338へ。
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リ・ダムウェイター

ザ・ユナイテッド・コラボレーション(TUC、札幌)の第4回公演「リ・ダムウェイター」(原作「料理昇降機〜ザ・ダムウェイター〜」ハロルド・ピンター作、喜志哲雄訳)は7月20日、札幌・CAI現代芸術研究所で。演出はTUCである。
 第1回公演の「ダム・ウェイター」を趣向を変えて再演するとのことで、この題になったようだ。
 密室の中の殺し屋の2人(甲斐大輔、二唐俊幸)。彼らには実は密命が下りていた。「お前の相棒は危険だ。疑わしければ始末しろ」。そして、その時が来た。2人は、というサスペンス。
 今回は「運命」を象徴するコロス(高橋千尋、中川原しをり、横岡諒)がさまざまに殺し屋2人に仕掛けを施したり、舞台設定を設えたりという趣向。まさに、「その時」に向けての運命の役割を果たしていた。映像も駆使し、さまざまなアートの集合体といった感じもある芝居。
 だがしかし、私の中ではそれらアートがうまい具合に「コラボ」せず、かえって芝居を見るには悶々としてしまったのも事実。コロスの「存在感」が殺し屋2人に比べて大き過ぎた感もある。
 さまざまな試みに挑戦しているTUC。次回作にも期待したい。
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遭難、

乙川千夏が主宰する札幌の演劇ユニット「ダリア・リ・ベンジャミン」の「遭難、」を7月19日、札幌・ターミナルプラザことにパトスで見た。
 東京で活躍する劇作・演出家本谷有希子の作品を、乙川が演出した。
 中学校2年生の職員室。自殺未遂した少年の母仁科(ワタナベヨヲコ)が連日、原因究明と若い担任の江國(西村光代)いびりのために入り浸る。同僚の石原(ナガムツ)、不破(梅津学)もただ見ているしかない。
 そんな中、ベテランの里見(伊藤裕子)がうまく仁科をとりなし、今日は事なきを得た。だが、石原は知っていた。少年が担任の江國あてでなく、里見あての遺書めいた文書を書き、それを里見は無視して捨てていたことを。石原は里見を追及する。そこで里見は関係者すべての弱みを握って立場を逆転させようと、ある画策に出る。
 見ていて、かんに障る芝居だ。
 自分のことしか考えない、利己主義的なエゴイズムの塊の里見の姿は、現代日本人のある側面を描き当てているのではないか。
 これがいずれも芸達者な役者たちによって演じられるから、本当にかんに障る。伊藤、ナガムツ、ワタナベの存在感は秀逸。西村、梅津もよく脇を締めていた。
 乙川も奇をてらわない正攻法の演出で、現代の病理を描き出して見せた。とても上質な2時間だった。
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2008年07月11日

椅子・2

TPSの「椅子〜悲劇的笑劇〜」を札幌・シアターZOOで7月9日に老人=斎藤歩、老婆=伊佐治友美子版、10日に老人=斎藤、老婆=林千賀子版(ともに弁士は鎌内聡)を見た。
 斎藤の老人はさすがの出来。血肉が通った老人が造形できているというか、全人類に真実のメッセージを伝えるという、人生最後の野心に燃える老人像が感情の高ぶりとともに生き生きと表現されており、その高揚感、名誉欲、そして最後に自死する意味合いまでもがひしひしと伝わってきた。
 それにしてもこの芝居、2人の元を訪れる名士たちは、会場狭しと並べられる椅子で表現されるので(つまり名士役の役者はいない)、最後には会場が椅子でいっぱいになってしまうのだが、その名士たちの訪問が老人2人の幻想、幻だと見ることもできるのだ。この世に名を、足跡を残そうと野心に燃えた2人の最後に見た夢。
 そうみると、いっそう「悲劇的笑劇」という言葉が重きをなしてくるようだ。名作というのは、こうした意味合いでも深く広く楽しむことができるもののようである。
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2008年07月08日

椅子

「椅子〜悲劇的笑劇〜」(作イヨネスコ、翻訳安堂信也、演出斎藤歩)は、北海道演劇財団付属劇団TPSが「tps小文字で大作シリーズ」と銘打って古今東西の名作戯曲に挑戦する第3弾。1昨年の「夕鶴」(作木下順二)、昨年の「三人姉妹」(作チェーホフ)に続いての演目で、私は7月5日、札幌・シアターZOOで見た。
 辺り一帯、水の中の孤島に住む95歳の老人(佐藤健一)と94歳の老婆(深澤愛)。2人には夢があったがそれもかなわず、今は孤独の身だ。そんな2人だが、今日という今日は老人が考え抜いた世界へ向けたメッセージを発信するという。自分の思いのありったけを弁士(斎藤)に頼んで、各地からの名士たちに伝えようというのだ。
 さて、その、各地からの名士たちがやって来た(舞台上には現れない。演ずる役者はいないということで、老人、老婆役のパントマイムで表現される)。2人は世界の救済を弁士に託して自死する。そこへやって来た弁士は、意外にも意外な人物だった|。
 「不条理演劇」の古典といわれる作品。しかし、老人と老婆の孤独感と鬱積、そして一発逆転にかける思いは現代人と通底するものがあるのではないだろうか。昨今の、メールでの予告を経た上での殺人などを見ていると、どうもそう思ってしまう。
 とにかくせりふの量が膨大だ。佐藤はなんとかよくこなしていたが、感情表現はついて行くのがやっとのようで、少々流れてしまっていたようなのが残念だ。
 今回の芝居はTPS劇団員が自分で望む役に挑戦するという試み。ゆえに老人は佐藤と斎藤のWキャスト、老婆は深澤のほかに林千賀子、伊佐治友美子、高子未来、弁士は斎藤のほかにTPS養成所生の鎌内聡が挑戦するという、さまざまな可能性が試される公演でもある。演劇好きは、この組み合わせが最も面白いなどと楽しむこともできるだろう。
 TPSチーフディレクターの斎藤によると、「tps小文字で大作シリーズ」は今後も継続するとのこと。私の希望で言えば、核戦争後の男女3人芝居、北村想作「寿歌(ほぎうた)」などいかがであろうか。
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