2008年01月31日

春遠からじ…

 劇団「ドラマシアターども」(江別)の「春遠からじ…」(作安念智康、演出ども=安念のことである)は1月27日、札幌・かでる2・7で上演された。
 1960年代の道東の厳しい原野開拓の物語である。
 私は釧路出身なので、言葉の訛り方とかがなにか懐かしく見られた。そして、ともすれば、じめじめ湿っぽくなりがちな物語が、どこか乾いた感じがして好感を持ったのだ。ちょっと食い足りなさもあったのは残念だったが。
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伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪

芝居は内容が分かったからといってすべてが面白いわけではなく、逆に分からなくたって面白いものは面白いのだ。
 そんな当たり前のことを感じたのは、1月25日に札幌・アトリエ阿呆船で見た実験演劇集団「風蝕異人街」の「伯爵令嬢小鷹狩掬子(こたかがりきくこ)の七つの大罪」(作寺山修司、構成・演出こしばきこう)を見たからだ。
 例によって、芝居を流れる一本の幹のような筋などは感じられないのだが、寺山特有の「自分探し」、人生と芝居は裏腹、人の世は劇場といったテーマが、実に含蓄を込められて演じられ、楽しいひと時であった。
 特に、主役つぐみを演じた宇野早織の、何物かに憑依されたような、「いっちゃったような」感じがものすごく良くて、私は宇野のファンになったのであった。
 風蝕異人街は一時メンバーが少なくなって、どうしたものかと思ったものだったが、どっこい存在感を増しつつあるなと頼もしく思ったのだった。 
posted by Kato at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ボクサー

1カ月も経って、バカかと思われる方もおられると思うが、一応縁起ものなので、あいさつから始める。全国の観劇愛好者のみなさん、本当に遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年もシアターホリック(演劇病)をよろしくおねがいします。
 さて、今年は1月6日にダンススタジオマインドの公演に招待されていたのだが、体調不良で行かれず(二日酔いではない)、16日のシアター・ラグ・203「ボクサー」(札幌・ラグリグラ劇場)が観劇初めであった。
 村松幹男の作・演出で、1993年ごろ、ラグの旗揚げ公演で打った芝居だという。せりふなどは当時のままということだ。
 脱サラして、彼女(吉田志帆)の元からも失踪した男(田村一樹)。3年ぶりに現れたのは、バンタム級のボクサーとしてだった。芝居は、日本チャンピオンに挑戦する試合を舞台に、男と女の心の中の対話形式で綴られる。
 映画「ロッキー」に代表される根性ものではない。むしろアンチ根性ものと言えるかもしれない。
 男が闘うのは、いわば何ものかへのアンチテーゼ、反体制の思いなのだ。
 劇中、日の丸、君が代問題や資本による人民の搾取、さまざまなレベルでの差別問題といった、ちょっと尖った問題が生のままにせりふとして表れる。村松の若かった頃の問題意識が今も蒸気を上げているかのようだ。
 田村は肉体を鍛え上げなければついていかれないほどの芝居に、全身全霊を込めて熱く取り掛かっているようだ。唐十郎の「特権的肉体論」を思い出すのは、私だけではないだろう。ちょっと下半身にもろさを感じてはしまうのだが。
 ただ男と女との絡みがもう少しあった方が、物語としては広がりを持つのではないか。
 女役は16日限りで吉田が終わり、続いて久保田さゆりが登板する。おそらく2月も熱い芝居が繰り広げられることだろう。
 肉体の特権をまざまざと見せつけられた、渾身の舞台であった。
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