2007年09月30日

You Can

プロデュース集団Real I\x81\xC2s Production(リアル・アイズ・プロダクション、札幌)の「You Can\x81\xC2t Hurry Love!」(ユー・キャント・ハリー・ラブ!)(脚本・演出弦巻啓太)は8月15日、札幌・教育文化会館小ホールで。
 弦巻と言えば、ここで何度も書いたが、札幌きってのストーリーテラーだ。
 その彼が今回挑戦したのは(再演だが)、恋を馬鹿にしている、どころか恋を憎んでさえいる、シェークスピア文学専門の英文学教授奥坂(松本直人)の、あらぬことか恋の行方。もちろん、弦巻御得意のシチュエーション・コメディーだ。
 恋の相手はコミュニティーFM「ラジオヘルツ」のDJ里絵(安福展子)。しかし、奥坂は恋を憎んでいて、さて、果たしてこの恋の行方は、というストーリー。
 軽快なテンポで、今回も見せた。私は、小さな小さな札幌・レッドベリースタジオでの初演も見ているのだが、やはり物語は大きさに応じて、打つ場所もところを得た方がよい見本であろう。
 それにしても、弦巻のシェークスピア勉強の厚いこと。劇中、シェークスピアのさまざまな言葉、せりふが引用されるが、これらは弦巻のあくなき演劇心に支えられていると言って過言ではないだろう。
 軽快なコメディーを書かせたら、いま札幌で弦巻の右に出る者はいないのではないか。
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銀河鐵道ノ夜

 宮沢賢治原作、北川徹演出のTPS「銀河鐵道ノ夜」は、2005年の初演から2年ぶりの再演。今回は札幌交響楽団の元首席チェリスト土田英順を生演奏に迎え、小劇場ながらもスケール感のある舞台に仕立てあげた。
 観劇日は7月27日。折しも札幌・サンピアザ劇場(地下鉄東西線新さっぽろ駅)周辺は夏祭りの最中。子どもたちや家族連れが大勢繰り出していた。物語の設定は「銀河のお祭り」の日のことであるから、またとない日の観劇である。夜店に集う人たちの雑踏を縫いながら、すでに私は物語の一員になったようなわくわく感を抱いて劇場へ入った。
 元映画館であったサンピアザ劇場は、TPSが本拠とするシアターZOOの約2倍の広さ。今回の芝居では、会場後ろの入り口からもキャストが登場する機会が何度もあり、会場をめいっぱい使った感がある。
 冒頭、あの有名な「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」とのせりふが、先生(林千賀子)ばかりか教室中の男女から発せられる。見方によっては少々小うるさい場面だが、これによって主人公ジョバンニ(斎藤由衣)の抱える孤独感がいっそう増すのである。
 物語は、唯一人の友カンパネルラ(川崎勇人)を心の拠り所とするジョバンニが銀河のお祭りの夜、いつの間にかカンパネルラと銀河鐵道に乗っていて、見知らぬ世界を旅し、鳥捕り(永利靖)や燈台守(岡本朋謙)、沈んだ大型客船に乗っていた青年(立川佳吾)と少女(内田紀子)らに出会い、「ほんとうの幸」を探そうと決心するが、気が付くと元の丘に戻り、カンパネルラは川に流されているというもの。
 2年前に見た初演の印象は、北川演出の特長である「ここ(劇場内)ではない、どこか遠くの誰かに伝わるような芝居づくり」ではなく、ただ名作をなぞった感がしたのだったが、今回は新たな構成で、まったく違う印象だった。
 理由はいくつかあるが、まず何と言っても土田の参加が挙げられよう。物語全体を俯瞰するような、もの言わぬ宮沢賢治のような立場で随所でチェロを生演奏し、芝居に膨らみと奥行きを持たせた。特に青年が客船の沈む様子を語る場面での、土田唯一の作曲であるという「想念」はぴたりとはまっていた。
 照明(赤山悟)、音響(五ノ井浩)、美術(高田久男)の仕事も忘れてはいけない。元映画館という特性を最大限に生かし、そこがまるで星空の下であるような、いままさに銀河鉄道が走り抜けていくような効果を存分に現出した。
 役者陣では川崎の成長ぶりが目覚ましい。ちょっと謎めいた不思議な少年カンパネルラを静かな佇まいで好演。斎藤の繊細な糸が張りつめたような緊張感も印象的だ。立川、かとうしゅうや(車掌役など)の客演陣も十分に力を発揮したと言えるだろう。
 名作をなぞっただけのような感のした初演にはいささかがっかりしていただけに、私には、今回の再演で北川版銀河鐵道がまさに旅を始めたように思える。(この項目、北海道演劇財団広報紙No.25より)
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こんな、ゆめを、みた。

 前々項の「タルタル・タウン」で、また文字化けですか。
 劇団名の羅列のところで、RUSHの後にびっくりマークがひとますに2つで、そのあとにyhsと続くのです。
 さて今日は、7月7日に札幌・ことにパトスで見た、The United
Collaboration(ユナイテッド・コラボレーション、札幌)の「こんな、ゆめを、みた。」である。
 岸田國士(くにお)という、劇団文学座の創立(1937年)メンバーでもあり、劇作界の芥川賞ともいわれる岸田戯曲賞にも名を遺し、次女は先日亡くなった女優岸田今日子という、日本の劇作家の古典「チロルの秋」「紙ふうせん」「ぶらんこ」の3作をオムニバス形式で上演した、挑戦的な試みである(演出はTUC)。
 果たしてその結果は、今年の札幌演劇界における一つの成果だったと言えよう。
 ひと時の「夢」にように幻想的に構成される3作を通じて(登場人物は少ない)、男は甲斐大輔、女は高橋千尋が演ずるのだが、2人とも入魂の演技だったと思う。
 そして作品と作品の間は、1人の少女によって狂言回しされるのも、一趣向であった。
 古典を今に生かす試みには、戯曲をよく読んで大胆に脚色することが必要だということの証だったとも言えよう。
 ただ、ラスト、女が死んだようなイメージとなるのは、戯曲にもしないのならば、その点だけは少々なくもがな、だったかもしれない。後味が微妙にまずくなった気がする。
 この劇団というか、ユニット、様々な実験的試みをもくろんでいるようで、今後が楽しみである。
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2007年09月28日

ポーリュシカ・ポーレ〜2007年の三人姉妹

 シアターZOO企画・TPS制作公演「ポーリュシカ・ポーレ〜2007年の三人姉妹」(作アントン・チェーホフ、脚色・演出斎藤歩)を見た6月24日(札幌・シアターZOO)は、私が引っ越して10日も経っていない時である。
 何かと気ぜわしい中、芝居など楽しめるのかなとも思っていたのだが、前衛的で、かつ様式的な感覚で仕立てたチェーホフは、通常2時間半程度かかるところを1時間半程度に短縮したこともあって、意外にもすーっと心に染み込んできたものである。
 配役はアンドレイに川崎勇人、オーリガに山本菜穂、マーシャに山口清美、イリーナに内田紀子ら。ナターシャ役の吉田直子のぶっ飛び方も何か懐かしい芝居である。
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タルタル・タウン

 yhs「タルタル・タウン」(脚本・演出南参)は6月3日、札幌・シアターZOOで見た。
 実は今年4月から、SKグループのすがの公団長の主導で、「シアターZOO演劇祭」(今年の通称「ZOO7=ズー・セブン」)なるものが始まっていて、これにはSKGをはじめ、AND、ラビカ、演劇公社ライトマン、RUSH\x86箸硲\x8F粡茖鵑\xAC参加していた。
 私は6劇団のうち、3つしか見られなかったが、最後を飾った「タルタル・タウン」は私にとって最も面白かった印象なので紹介しておく。
 舞台は、タルタル・ソースをつくっているというブラジルの架空の日系人街タルタルタウン。そこでの80年間を描いた群像劇である。まるでソーントン・ワイルダーの名作「わが町」を思わせる話の運び方だ(早川文庫から出ていますので、ぜひご一読を)。
 ただ、今はすっかり寂れてしまっているというのがミソで、芝居はその寂れた現代から、幽霊(小林エレキ)の昔語りのような展開で、過去へとさかのぼっていくという構成である(いい味だしてたなあ、小林エレキ)。
 そこに切ないものが立ち上るのだが、ただそれだけに終わらせないのが南参特有の才能で、切ないながらも大笑いさせる手腕はさすがである。
 俳優では、ホームレスの娘役を演じた井上美幸に特に好印象を持った。最近、女性のきんきんした声に滅入っていたのだが、彼女の声は少なくともそうではなかった。
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君は素敵

 弦巻楽団「君は素敵」(作・演出弦巻啓太)は5月28日、札幌・コンカリーニョで見た。
 弦巻といえば、遊戯祭2006の「死にたいヤツら」で同祭最優秀賞を受賞。さらに同作品で「さっぽろアートステージ2006舞台芸術部門札幌劇場祭シアター・ゴー・ラウンド2006」の大賞をも受賞した、札幌演劇界きってのストーリーテラー。
 今回も知北梨沙ら女性ばかり7人の俳優で、結婚詐欺をなりわいとする4人姉妹のシチュエーション・コメディーをテンポ良く仕立てていた。
 だが私には狂言回し役の4女の声がどうも耳に障って、そのことばかりに頭がいってしまって、これぞ楽しきとまではいかなかったのが残念。
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2007年09月25日

HONOR

 チームナックス「HONOR〜守り続けた痛みと共に〜」(森崎博之作・演出)は5月5日、札幌・道新ホールで。
 3月だったかの電話予約で2時間ぐらいかけてようやく取った座席である。
 芝居は、ある村の木を守り続けている老人と青年たちの成長の物語とでもいえばいいだろうか。
 もう書くまでもない人気者5人(森崎、安田顕、佐藤重幸、大泉洋、音尾琢真)がそろっての和太鼓演奏は見事であり、エンターテインメント的にも確かに成長し続けているなと思わせた。いわゆる「役者やのう」(古い)というやつである。
 5人が今後どういう活動を示していくのか、興味深いところである。
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オレタチ

 3月31日に札幌・マルチスペースFで見たのは、コントユニット「オレタチ」である。
 「オレタチ登場」と張り切っていたのは、南参、小原アルト、イシハラノリアキ、小林エレキらの劇団yhs(札幌)所属者とほか2人(氏次啓と須田慶太)。
 主に南参が作・演出するコント数本を上演したのだが、中でも南参が患者に、小林が気違い医者になっての2人コントは出色ものであった。小林は端正な顔立ちだが、そういう顔立ちなゆえに、マジになってのコントは真に迫っていて怖いほど面白かった。
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2007年09月18日

…それでも彼女は続く。

 THE BIRDiAN GONE STAZZIC.「…それでも彼女は続く。」(脚本・演出OY-Zee.5)は3月18日、札幌・ブロックで。
 脚本・演出の彼(ミヤザキというらしい)はyhsにも所属していて、昨年のシアターホリック大賞受賞の立役者の一人だ。
 あらすじは、
〜その日、樋野下家の姉妹達は久しぶりの三人での夕食を楽しんでいた。心配性の長女、夢見る次女、抜けてる三女。とりとめのない会話、何でもない日常、なにもかわらない三人、その時、携帯が鳴る。…それは、ある男の死を知らせるものだった。〜
 で、チラシには、恋人と死ぬはずだった女に紅月鴉海、女に惚れられる女に十日市恵子、恋人が死んだ女に菜摘あかね、恋に恋する女に青木玖璃子、恋人の妹に手を出す男に潮見太郎、女が好きな女に小助川小助、様々な女にこもりまりも、とあって、芝居では確かにその通りなのだが、ここまでチラシに書いてあっても、けっこう見せ方がうまい。
 OY(以下、略)はけっこう手堅い演出をすると見た。これから目が離せない札幌の演劇人の一人だと思う。
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僕達の彷徨

  演劇集合体マキニウム「僕達の彷徨(ほうこう)」(作・演出槙文彦)も3月10日、札幌・ことにパトスで見た。
 死んだ者たちが、生きている人たちに何か良いことをしようと集まるが、方向性が定まらず、ましてや死んでもなお悪に手を染めようとする者がいて、思いが瓦解していく物語。
 一見、丁寧なつくりで好感を覚える。だが、その半面、見る人に思いの入り込む余地がないつくりなのではないか、とも思える。
 すべからく言葉に頼っている感じで、結果的に説明的なのだ。
 もっと見る者を信頼していいのではないだろうか。
 見る者の想像力に任せてもいいのではないだろうか。
 毎回、実に微に入り細をうがつような芝居づくりに感心するだけに、今回は特にそう思った。
 最後の創造は見る者に委ねよ、と。
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不思議の国の大人のアリス

 北海道舞台塾「不思議の国の大人のアリス」(脚本・演出清水友陽、芸術監督イナダ)は3月10日、札幌・ちえりあで見た。
 内容は31歳の独身女性さくら(高石有紀)がウサギの耳をつけた憧れのシロカネ(イシハラノリアキ)の後をついて穴に入り、中学生時代に戻り、自らの心の傷を癒やす、といったもの。
 ここがホールではなく、紅(劇団唐組)でも紫(劇団新宿梁山泊)でも黒(劇団黒色テント)でも、とにかくテントのテント芝居だったら、印象はもっと良かっただろうなと思う。
 芝居には内容に合った場のしつらえというか、そういうものがあると思うのだが。
 物語はエンターテインメントを目指しているのだろうが、そうともなりきらず、便座に座った女王様が出てきてから動き出して、なんだか中途半端な自分探しの旅に終わってしまった気がする。
 ただ、踊りが浮ついておらず、物語にはまっていたのは幸いだった。
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失われしもの

 前回の「カノン、カノン」で文字化けが発生した。以下、
 それぞれが長い間心に抱き続けている「解決されない問題」は解決することができるのか。
 というのが正解です。当たったでしょうか。
 さて今回は3月にさかのぼって、4日、札幌かでる2・7ホールでの劇団うみねこ(小樽)「失われしもの〜昭和20年7月15日 その日小樽に空襲があった」(作・演出吉川勝彦)。
 あらすじは、元教師、文江(石田美樹子)の周りから次々と男が戦争にかり出されていった。残る者は竹槍訓練や防空壕づくりに明け暮れていた。かつての教え子、京子(木内彩花)と夏子(高野晴香)がお土産に砂糖を持ってやってきた。甘く作った片栗粉を囲んで、明るい彼女たちとしばし楽しい時を過ごす山田家の人々であった。
しかしある時、元同僚の里子(高野秀子)から「あなたはかつての教え子に何か吹き込んでいるのではないかと通報があったのよ。軍国の元教師としての姿勢がなっていない」と叱責されてしまう。夏子が軍国少女として生きる悩みを相談しても、満足な答えを返してやれない文江を見て、長男良一(川口岳人)は「なぜ」と問う。「治安維持法のもとで、お国の方針と違う答えの教師がたくさん逮捕された。戦争が本当は悪いことだって言えなかった。こわくてこわくて、言えなかった」と告白する。次女智子(武部亜沙美)には、お互いにほのかな恋心をいだく相手がいた。しかしその彼に召集令状が届き、ついに良一にまで召集令状が来てしまった。
 そして、その日は小樽祭りの日。「空襲!空襲!」の声が響く中、山田家の人々は…。
 小樽公演の時、事前に戯曲を見せて頂いていた(当日は見られなかったので)のには、現代の場面もあり、現代の脳天気な人々の批評的視点もあったのだが、今回は時間の関係か何かで省かれていた。
 みな好演ではあったし、「戦争はいけない」ということを抑えた中にも真摯に伝えられていた。
 だが、何か私には芝居が全体的に舞台上にだけこもってしまった印象で、観客席にどっと押し寄せるものが感じられなかったのが惜しい。
 そしてラストも、あっけなく終戦を迎えたのは意外だった。もっと延ばしてもいいのではないかと思ったのだ。
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2007年09月15日

カノン、カノン

 お待たせいたしました。そろそろブログを再開することにする。別に閉鎖していたわけではないのだが。要するに、またぼちぼち書き始める。しばらくは時系列がばらばらになると思うので、ご容赦ください。
 今日、あ、もう昨日(9月14日)か、札幌市教育文化会館小ホールで見たのは、札幌芸術劇場と銘打たれた「カノン、カノン」(脚本・演出深津篤史)。
 深津は大阪・桃園会主宰で1998年に「うちやまつり」で第42回岸田戯曲賞を受賞した実力派だ。
 物語の粗筋はパンフレットによると、こう。
 かつては鰊御殿と呼ばれた一軒家は、1年前自衛隊機の墜落で屋根に穴があき、廃屋同然になっている。その家に、長年音信普通だった家族が祖母の百日法要のために集まった。作家となり、19年振りに戻った木元敏弘(菅野良一)と新妻の奈津(渡辺香奈子)、叔父の修造(武田晋)と妻の晴子(松岡春奈)、従兄弟の義明(岩尾亮)。しかしそこに8年前に家を出た父の姿はない。それぞれが長い間心に抱き続けている\x85_魴茲気譴覆ぬ簑\xEA\x85△浪魴茲垢襪海箸\xACできるのか|。
 なお、タイトル「カノン、カノン」には、追想曲の(Canon)とカノン砲(Kanon)から、センチメンタルな、そして攻撃的イメージが込められている、とも書き添えられている。
 出演はほかに高田豊、立川佳吾、斉藤麻衣子、中塚有里、南あいこ。
 見終えて、数年前に清水友陽(WATER33-39)が演出した(原作者は別)札幌の芝居「相生珊瑚(あいおいさんご)」と非常によく似た内容だと感じた(その前に同じプロジェクトで鐘下辰男が演出した「五月の桜」とも)。
 というのも、キャストが「相生珊瑚」とでは、武田、岩尾、南の3人がダブっているのだ。
 それに今回、清水は演出助手としてついている。
 さて物語は、19年振りに戻った敏弘のこれまでの思いの数々や家族関係が複雑で、そのうえに重層的に描かれていて、必ずしも分かりやすいとは言えない。
 そして現実の描写のあちこちに、敏弘のひと時の夢の連鎖や一抹の思いの交錯、不在の「父」の書いた小説の一節が立ち現れるから、こうした観念的なものに重きを置く芝居を見慣れない人には少々つらかったかもしれない。
 不在の「父」は女性問題か何かを契機に出奔したらしいが、詳しいことは説明はされない。
 結局のところ、登場人物の中で一番カタルシスを感じさせるのは、「父」の愛人でもあり、主人公敏弘とも関係のあったらしい、「隣人」的な斉藤知津(斉藤麻衣子)
だ。
 感動というものとは別だが、私には想像力をいくらか刺激し、何らかを持ち帰られたことは確かな芝居だった。
 それにしても細かいことを書くが、ラスト、卓袱台に向かって敏弘が靴を履いたまま正座して飯を食うのは違和感があった。
 この場所がまだ敏弘にとって「外」であり、「内」ではないことを暗示したものなのかどうか、そこまでは分からないが。
 さてさて、いつもこの種のプロジェクトの芝居を見て思うのだが、札幌での公的資金を使った演劇はどうしてこうも難解なのだろうか。
 もっと万人が見て万人が笑い合えるような芝居はできないものだろうか、とも思うのだ。
 今日は午後、立川志の輔の落語の独演会である。場所は同じ教文の大ホール。思いっきり笑って来ようっと。
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