2007年04月18日

野獣郎見参

 1980年に大阪で旗揚げした人気劇団「劇団☆新感線」に中島かずきが書いた作品「野獣郎見参」。
 その既成の原作を元に、演劇ユニット「BeeHive(ビーハイブ)」が佐藤紫穂の脚色・演出で札幌市こどもの劇場やまびこ座で上演した(14日)。
 以下、「イーオシバイドットコム」によるあらすじを(カッコ内は今回の役者名)。「今は昔、京の町。そこに秘術を操り、都を魔界の闇から救った天下無双の陰陽師がいた。名を安倍晴明。その霊力を封じた五条河原の“晴明塚”は、彼死して尚、もののけ共の魔力から京の都を護り続けていた。晴明の死からおよそ250年。時は応仁の乱、戦乱の世。焼け野原と化した京の町に、突如魔物たちが甦った。戦乱に乗じて何者かが、あの“晴明塚”を破壊したのだ。今や京は、魔物たちの怨念に満ちた呪いの都。そこに“あの男”がいる。頭は単純、気性は短気。男は殺す、女は犯す。金に汚く己に甘い、傍若無人のあの男、人呼んで、物怪野獣郎(梅津学)。両刃の剣を抜き放つ、その強きこと鬼神の如し。だが、女にはめっきりモテず、最愛の女、美泥(山村有樹子)は今や、ある男の妻となっている。その男、謎の魔事師・芥蛮嶽(浦本英輝)。蛮嶽はこの京の町で、密かにある秘物を狙っていた。それは“晴明蟲”。巨星・安倍晴明が遺した永遠の命を得る秘法。その力を以ってこの世を鎮めようとする蛮嶽の志に、美泥は惚れた。陰陽頭として都の平安を司る安倍家の総帥、西門(松橋勝巳)は、野獣郎と蛮嶽に、魔物の首領、道満王の馘首を命じる。二人の前に立ちふさがるは、羅生門の妖怪・婆娑羅鬼(佐々木彰)。更には、美しい横顔に氷の微笑を浮かべる女妖怪・荊鬼(伊藤しょうこ)。そして雷にも似た閃光と共に、金色の仮面と甲冑に身を包んだ怪人、道満王がついにその姿を現した。果たして二人が目撃した、道満王の正体とは何か。蛮嶽が狙う“晴明蟲”の、恐るべき真の力とは。そして次第に明らかにされる美泥の哀しい運命とは? 地獄の果てまで続く、その全ての無明の闇を、今、不死身の男・野獣郎の、熱き心がぶったぎる!!」
 全編繰り広げられる殺陣が迫力もので、なかなか素晴らしい(殺陣師・アクションコーディネイト吉田真生)。セリフの応酬も難しいが、刀(もちろん小道具)を駆使して、全身を翻しての立ち回りもとても難しいものじゃないだろうか。危険だし。それがうまく決まっていて、ずいぶん研さんしたんだろうなと率直に思った。
 物語も、善悪の二元論に止まらないところに面白みがある(妖怪が必ずしも悪の心だけを持つものではないところなど)が、出演者全員の熱気のこもった好演で、最後まで見ごたえのある作品に仕上がっていた。
 私自身は、「新感線」は見たことがないのだが、おそらく面白い芝居なのだろうなと思わされると同時に、出演者やスタッフがこの大掛かりな芝居に熱意を持って関わっていることが素直に伝わってくる公演だった。
 次回作にも期待したい。
posted by Kato at 00:22| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

スワチャントッド

 昨年、主宰の橋口幸絵が若手演出家コンクールで最優秀賞を受賞した実力派劇団・劇団千年王國。その新作(橋口作・演出)が「スワチャントッド」(4月15日、札幌・コンカリーニョ)だ。
 これは実に「居ごたえ」のある音楽劇だった。「居ごたえ」とは、見ごたえ、聞きごたえに同列すべく、私が考えた造語。つまり、演劇が上演される劇場に「居ごたえ」があったとは、私なりに、趣向が凝らされたこの芝居への何物にもかえがたい贈り言葉なのだ。
 物語をチラシから見ると、「北国のみなとまち。漁船で海を漂う男たちに、陸の家族からのこまごまとした伝言をモールス信号で送る姉(チネン=村上水緒)、妹(チキタ=栄田佳子)のもとへ家庭教師のトッカ(かとうしゅうや)がやってくる。言葉を使わずモールスの符号を使っておしゃべりする妹とその先生になったトッカはトントン・ツーのモールスから進化した、スワチャントッドのリズムを見つけ話しはじめる。そのリズムを偶然受信した電話交換師(能代祐子)は、スワチャントッドのリズムが打たれたその日、街で1件の殺人事件も起こらなかった事実を伝えに姉妹の住まいを尋ね1件の死刑執行を止めてくれるように依頼する…」。
 そして物語は、チネンの弟ジンカッタ(柴田智之)、チキタの兄カントット(岩田雄二、このあたりいよいよ複雑になってます)、すべての母サヤ(佐藤素子)、漁師(赤沼政文)らを巻き込んだ、血の恩讐の様相を呈していく。
 …という複雑な物語が、時間を追って登場人物が多くなるごとになかなか見えにくくなっていって、最後近くになってようやく見えるようになる(私の場合)のが、難点といえば難点。テーマは、普遍的な「許しと再生」、というのは分かってくるのだが…。
 しかししかし、この芝居の魅力はなんといっても、芝居全体で、暗転も含めて繰り出される、「スワチャントッド」に代表されるリズムだ(作曲福井岳郎)。これが、8人による手近なもの(鍋、コップ、いす、机などなど)による演奏となると、まさにジャズのインプロビゼーション(即興演奏)の感じ。自由、自由、自由万歳だ。書き言葉なんてくそくらえ、リズム、リズム、リズムだ。
 と、書いている私は矛盾しているのだが。そんなことくそくらえ。スワチャントッド、スワチャントッド…。橋口は、書き言葉を、実は信用しているからこそ、リズムに頼れるのだと思う。
 そして、コンカリーニョの舞台上に丸太5本を配し、木の触感を醸した見事な舞台装置(舞台美術松井啓悟)。素晴らしいというしかない。
 実は、橋口は、この地札幌で、独自に、チームナックスよりイナダ組より、TPSより、演劇に新たな手法を見出しつつある気がする。
 別の言葉で言えば、串田和美ワークショップに1年目だけ参加した橋口が、1人の女性演出家として、あの濃密な時間の実験の成果を、如実に、見事に結実しつつある気がする。そしてそれはいつまでも、しつつあるという状態だろう。
 同じく現代北海道を中心に芝居をしているチーム・ナックスがタレント化して芝居への観客の距離感を縮めている中、千年王國は、「こういうものも北海道にはあるのだ」と、本当に観客の集まってほしい劇団だ。
posted by Kato at 01:44| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする