私の文化部記者時代からの北海道新聞の熱心な読者なら、劇団北芸と聞いてピンと来る方がおられるかもしれない。
そうである。別役実作、加藤演出で2003年のマイベストを受賞した「この道はいつか来た道」の、あの北芸である。
「棲家」、まさに至芸である。北海道演劇の極北である。
いまはこの至芸に触れ合えた時への感謝と満足感が私の中を満たしている。まさに充足である。歓喜の歌を歌いたい気持ちだ。
舞台は、数本の柱と床(六畳)が残されているだけの、解体工事の終えかけている家。どうやら娘夫婦が新しく現代的にリフォームするらしい。そこで、その家とともにあった来し方への思いにひたる孤独な老人が、亡き妻との対話にいざなわれてゆく…。
老人・加藤、老女・森田啓子、娘信子・山谷真悠の三人芝居である。
加藤の老人が素晴らしい。何より自然で、演技を超えた演技である。どこかしこにいそうな、一人の老人が目の前に立ち現れているのである。この加藤の演技ならぬ演技、役者ならぬ役者ぶりは、皆さんに一度でも見てもらうほかはない。この自然さには驚くべきものがある。
そして森田の老女。加藤の老人の記憶の産物か、思いの結晶か、途中、自らが涙ぐむ場面もあったが、老人を支えて余りある好演だった。
信子の山谷はこれが初舞台だという。なかなかどうして、そうは見えない堂々たる役者ぶりだった。
老人は老女と話していて、すると老女が向こうの世界へ戻ろうとするのである。バッハの「アリオーソ」の音楽と相まって、何とも切ない、やるせない、それでいて生きることの意味を問い掛ける、「老い」と「死」をテーマとした名作なのであった。
太田省吾と聞いて、このブログの熱心な読者ならば思い出すかもしれない。
そう、私が生涯を通じたマイベストとしている転形劇場「水の駅」(06年3月「エア」の項参照)の作・演出である、あの太田省吾である。
この「棲家」という作品は、太田が、今は亡き名優中村伸郎(小樽市出身)に当てた「あて書き」(ある俳優を念頭に書かれた作品)なのである(1985年)。
そして、実は私自身が、この作品を、「この道はいつか来た道」を見た後に、「加藤・森田コンビならできるかもしれない。成立するに違いない」と、戯曲をコピーして北芸に送ったのであった。
加藤・森田も以前から考えていたと言い、つまり私はこんかいの芝居を上演するに当たって二人の背中を押したようなものである。
そういう意味合いからも、この舞台が相当な高水準で成立したことには、私は感慨深いものがあるのである。
さらに場としての「ジス・イズ」(マスター小林東)は釧路の名にし負うジャズ喫茶である。その2階が演劇や美術などの多目的ホールとして使えるようになった、そのこけら落としとしての公演であった。
この「ジス・イズ」は、私が高校時代から通っていた場所で、村上春樹の「風の歌を聴け」の「僕」にとっての「ジェイズ・バー」のような、私の青春にとって、いや今なお大切な場所なのである。
そうした「場所」と「思い」が幾層にも積み重なって、今回の「棲家」が成立したのであった。
今年はすでにこの2月にして、「マイベスト」の最有力候補が出てきたというのが、偽らざる心境である。
いつか札幌でこの「棲家」がより多くの人に見られることを願って、この項を終える。