2007年02月13日

棲家

 故郷釧路市で芝居を見てきた。10、11日、アートスペース「ジス・イズ」2階ホールでの太田省吾作、加藤直樹演出、劇団北芸(加藤代表)「棲家(すみか)」。
 私の文化部記者時代からの北海道新聞の熱心な読者なら、劇団北芸と聞いてピンと来る方がおられるかもしれない。
 そうである。別役実作、加藤演出で2003年のマイベストを受賞した「この道はいつか来た道」の、あの北芸である。
 「棲家」、まさに至芸である。北海道演劇の極北である。
 いまはこの至芸に触れ合えた時への感謝と満足感が私の中を満たしている。まさに充足である。歓喜の歌を歌いたい気持ちだ。
 舞台は、数本の柱と床(六畳)が残されているだけの、解体工事の終えかけている家。どうやら娘夫婦が新しく現代的にリフォームするらしい。そこで、その家とともにあった来し方への思いにひたる孤独な老人が、亡き妻との対話にいざなわれてゆく…。
 老人・加藤、老女・森田啓子、娘信子・山谷真悠の三人芝居である。
 加藤の老人が素晴らしい。何より自然で、演技を超えた演技である。どこかしこにいそうな、一人の老人が目の前に立ち現れているのである。この加藤の演技ならぬ演技、役者ならぬ役者ぶりは、皆さんに一度でも見てもらうほかはない。この自然さには驚くべきものがある。
 そして森田の老女。加藤の老人の記憶の産物か、思いの結晶か、途中、自らが涙ぐむ場面もあったが、老人を支えて余りある好演だった。
 信子の山谷はこれが初舞台だという。なかなかどうして、そうは見えない堂々たる役者ぶりだった。
 老人は老女と話していて、すると老女が向こうの世界へ戻ろうとするのである。バッハの「アリオーソ」の音楽と相まって、何とも切ない、やるせない、それでいて生きることの意味を問い掛ける、「老い」と「死」をテーマとした名作なのであった。
 太田省吾と聞いて、このブログの熱心な読者ならば思い出すかもしれない。
 そう、私が生涯を通じたマイベストとしている転形劇場「水の駅」(06年3月「エア」の項参照)の作・演出である、あの太田省吾である。
 この「棲家」という作品は、太田が、今は亡き名優中村伸郎(小樽市出身)に当てた「あて書き」(ある俳優を念頭に書かれた作品)なのである(1985年)。
 そして、実は私自身が、この作品を、「この道はいつか来た道」を見た後に、「加藤・森田コンビならできるかもしれない。成立するに違いない」と、戯曲をコピーして北芸に送ったのであった。
 加藤・森田も以前から考えていたと言い、つまり私はこんかいの芝居を上演するに当たって二人の背中を押したようなものである。
 そういう意味合いからも、この舞台が相当な高水準で成立したことには、私は感慨深いものがあるのである。
 さらに場としての「ジス・イズ」(マスター小林東)は釧路の名にし負うジャズ喫茶である。その2階が演劇や美術などの多目的ホールとして使えるようになった、そのこけら落としとしての公演であった。
 この「ジス・イズ」は、私が高校時代から通っていた場所で、村上春樹の「風の歌を聴け」の「僕」にとっての「ジェイズ・バー」のような、私の青春にとって、いや今なお大切な場所なのである。
 そうした「場所」と「思い」が幾層にも積み重なって、今回の「棲家」が成立したのであった。
 今年はすでにこの2月にして、「マイベスト」の最有力候補が出てきたというのが、偽らざる心境である。
 いつか札幌でこの「棲家」がより多くの人に見られることを願って、この項を終える。
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2007年02月09日

アイヌ逓送人 吉良平治郎

 「アイヌ逓送人 吉良平治郎」(1月20日、札幌・かでる2・7ホール)である。
 アイヌ逓送人と、あえてアイヌ民族を謳ったのには訳がある。それは、この殉職が伝えられるにおいて、吉良がアイヌ民族であることが、あえてかなにか、伝えられていなかったからである。
 この芝居は、この殉職した主人公がアイヌ民族であることを意識し、その上でこの主人公がいかに仕事に殉じたかを緻密に描いたものなのである。
 作・松浦寛、脚本制作グループ・秋辺日出男、中村博、松浦寛、監修・松本成美、演出・尾田浩。
 芝居はアイヌ民族の山本多助エカシ(浅太郎)と叔母吉澤サク(上西千鶴子)の昔語りの形で上演される。幼くして両親と別れ、15歳にして病気で左半身を不自由としたコッコッ(平次郎の愛称、アイヌ語で「かわいい」の意)こと平治郎(たまだまさき)。その人生が2時間の中に実にうまく凝縮されて表現される。
 「文学」が先にあるはずの新劇で、「文学」が先に際立ってとんがって見えてこない、いわゆる「新劇臭」がないのが尾田の演出の一番の功績だったと思う。
 これは市民劇場ならではのことなのだが(今回は「吉良平治郎」公演実行委員会となっているが、母体は釧路演劇集団だろう)、あまた出る子役にまで尾田の演出の神経は行き届いていた。あっぱれである。
 物語も、平治郎を単なる英雄と描くことはせず、血の通う一人の人間としてと訴えるに十分な説得力を持っていた。
 会場は立ち見も出る盛況だったが、それにしても中劇場ではまれにみる成功した舞台ということができるだろう。
 我が故郷釧路よあっぱれ、である。 
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2007年02月04日

バグダッドの夢

 前回の項から1カ月も経ってしまった。あっと言う間である。だが、この間、楽しみにしてくださった方には申し訳ない。さぼりの虫が居ついてしまったのである。このままだと、ずるずるどこまでもいきそうだ。気分を入れ替えて、さあ2007年のスタートだ。
 さて、新年の第1回はイラクの劇団ムスタヒール(しかめっ面の)アリス「バグダッドの夢」(1月16日、札幌・シアターZOO)だ。サラーフ・アルカサーブ(バグダッド大学演劇学科主任教授、博士)の作・演出。
 札幌が世界初演の演目である。東京の小劇場「タイニイアリス」の企画で、札幌、東京、仙台を巡演することになり、その1カ所目になったのである。
 芝居は、ある一軒の古い家にどうにか耐えて住んでいる人々の物語。屋根が穴や割れ目だらけで、彼らはいつ雨が降るかとても心配している。
 そんな中での食事。やがて彼らは何ものかに蝕まれるように、リンゴをかじったり、そのリンゴを床に叩きつけたり、喧嘩をしたりと、その行動が狂気を帯びたものに変化していく。そして、舞台奥にイラクの現状(硝煙の上がる街並み、米軍兵士たち…)のビデオが投影され、彼らの狂気はさらに深まっていくように見える。という物語が俳優の身体とセノグラフィ(シーン+グラフからつくられた美術や建築、演劇など芸術分野で使われる特別な造語)という前衛的な手法で表現される。(なお芝居は、真っ暗な劇場内に、イラク製の懐中電灯を持った観客が分け入っていくという趣向で始められる)。
 「バグダッドの夢」という題名からは「夢」や「希望」といったものを予想していたが、それとは全く逆に、過酷な、極めて辛酸な現実を反映した物語が展開された。
そこには日本で見るニュースだけでは分からない、イラクに、バグダッドに生きる、生きなければならない人たちの、想像を絶する厳しい現実が反映していたように思えてならない。
 劇中、上半身裸の男が身体をくねらせるダンスを踊るが、あれは何かの象徴だろうか。家族に降りかかる災厄とも、かすかな希望の兆しとも、どちらとも受け取れるのだった。
 アフタートークは役者やスタッフら約10人と、観客30人余りが残って飲食つきで行われた。「フセイン政権時代と今とで表現するものが変わったか」との私の質問に対し、「以前から今回のような芝居を上演しており、変わっていない」との回答がなされたのが印象的だった。
 2007年はこうして、深く考えさせられる芝居で「シアターホリック(演劇病)」も幕を開けたのである。
posted by Kato at 23:18| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする