2006年11月30日

B計画〜ビー・プラン 彼の住む星〜

 前項「センチメンタル」でリアルアイズプロダクションの英語表記に変な?、クエスチョンマークが入っていた。あそこはアポストロフィである。文字化けしたのだ。
 さてSKグループの「B計画〜ビー・プラン 彼の住む星〜」(29日、札幌・シアターZOO)である。グループ団長すがの公の脚本・演出で、彼らしいサスペンス仕立ての物語だ。
 建設途中のマンションの一室。深夜、この3LDKの一室に、ここを購入したウノサトシ(立川佳吾)が潜入していた。自らを宇宙人と名乗る者たち(小山めぐみ、天野さおり、高橋逸人)が夜な夜な何やら話し合っていると知ったからだ。そして何より、彼の妻が数カ月前、「宇宙人の子どもが出来た」と言って失踪していたからだ。
 サトシが会った者たちは「この星には次のプランが必要だ」と言う。そして「彼」という謎の存在の意向に添って活動しているという。
 果たして彼らの正体とは何なのか。「彼」とは誰か。そして妻はどこへ行ってしまったのか。
 すがの作品の特質である、場面場面の断片から構成されるような物語。最初、観る側はとまどうだろうが、ばらばらのかけらだったものが骨格を整え、筋立てが分かってくると、その周到さ、ごく微妙なバランスの上に立ったような物語の繊細さに驚くことになるだろう。
 今回も笑いの場面はさほどなく、役者たちのアンサンブルも巧みな緊密な劇空間が1時間半余り続いた。
 ただラストの、ある一言のキーワードは、客席にはっきりと聞こえるようにすべきだと思う。きょうは聞こえたけれど、あれが聞こえると聞こえないとでは、物語の受け取り方がまるで違うだろう。
 今回は15ステージという長丁場で、5通りのキャストがあるという変則構成も見ものだ。そしてここから選抜したキャストで、新たに台本を書き下ろし、2007年2月に東京・こまばアゴラ劇場での冬のサミットに参加するのだという。何とも挑戦的な姿勢が頼もしい。すがのは、そしてSKGは、どこまでも突っ走り続けるのだろう。
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2006年11月29日

センチメンタル

 札幌の多角的プロデュース・ユニットReal I's Productionの「センチメンタル」をビデオで観た(25日夜、札幌・ブロックでの様子を27日観劇)ビデオで、というのがなんとも残念だが、これは23日に義母が急逝し、週末、函館に行かざるを得なかったためである。それでRIPの横山勝俊代表に電話でビデオを貸してくれるようにお願いしていたのだ。演劇病の私は、こんな場合にはこうして手段を選ばずワクチンを強制注入する。
 「センチメンタル」は弦巻楽団代表弦巻啓太の脚本・演出で約6年半ぶりの再演(弦巻が以前在籍していた「シアターユニット・ヒステリックエンド」時代に初演)弦巻作品については7月8日「幻じゃなく、夢のようなだけ」の項で、「健康でさわやかな清涼感」と、私なりに分析した特長を記したが、まさにそう思わせるだけの作品で、かつどうにも切なく、ビデオながらに満喫して観た。
 死にゆく病の床にある小説家の妻(安福展子)とある約束をする小学校教師の夫(潮見太郎)。妻は看病の甲斐なく亡くなってしまう。それが1984年のこと。教師は妻への思いが深く、なかなか自分から幸せになろうとはしない。彼の耳の底に残るのは、「幸せになったら、私のことなんて、忘れちゃうね」という妻の言葉だった。
 芝居はそこから妻の3回忌、教え子(石崎真弓、三島祐樹)の母親(下河原由起子)との出会い、結婚など2003年までを、時に大胆とも思える省略、抑制の技法を取り入れてテンポよく描いていく。
 一方、学校の教師たち(大沼誠、かとうしゅうや)との交流や、亡くなった妻が残した小説をめぐる編集者たち(川瀬佳奈江、小林テルヲ)のやり取りをややミステリアスな伏線的にも描いており過不足がない。
 そしてそれらが一点に集中するラストは感動ものである。「センチメンタル」という題ながら、抑制的にストイックに描かれてきた物語が終幕の一点でスパークする。観客は息を飲んだことだろう。
 蛇足だが、ここでの「センチメンタル」は男性的なものではないか。女性より男性の方が圧倒的にセンチメンタルであると私は思うのだが。女性は忘れて、忘れて、たくましく生きていくのではないかと思うのだが、偏見だろうか。
 それにしても弦巻の作劇はうまいなと感じる。卑近な例で申し訳ないが、映画「世界の中心で、愛をさけぶ。」とか「いま、会いにゆきます」とか、ちょっと前では「Love Letter」とか、最近で言えば「虹の女神」とか、韓流ものとか、そんな雰囲気も漂わせて、うまい。彼はシナリオを書いても良いものを書くのではないかと思
う。
 本作も今年の収穫だった。
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2006年11月22日

リゼットについて訂正

先に札幌・シアターZOOでの公演企画「リゼット」2007年度分(07年4月〜08年3月)の応募締め切りを11月末までとご案内したが、北海道演劇財団の平田修二事務局長によると、応募は07年1月5日まででよいとのことである。
このあたりは国の方もまだ方針が定まっていないらしく、12月に募集要項ができるとのこと。
ただ、郵便事情などから(まあメールという手もあるが)12月中には演目や日程、入場料を決めておかねばならないということであり、それはそれはしっかり手抜かりなく企画を整えて構えてほしい。
なぜならその中から、私どもZOO幹事団が自信を持ってお薦めできる1年間のラインナップを決めるのだから。
どうぞよろしくお願いします。
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2006年11月19日

アンダンテ・カンタービレ

 斎藤歩作・演出・音楽のTPS「アンダンテ・カンタービレ〜歩く速さで、歌うように〜」(18日、札幌・シアターZOO)。
 この芝居は確か私が文化部勤務時代に最後に書いた劇評ということで、それ自体が思い出の深い舞台だ。
 2004年5月28日夕刊に掲載された劇評を再掲しよう。
 見出し「“劇的”避け気張らず描かれる人間模様」
 北海道演劇財団主宰劇団シアタープロジェクトさっぽろ(TPS)のチーフディレクター斎藤歩が4年ぶりの新作を自ら演出した。前回公演のシェークスピア作「冬物語」の楽器演奏を身一つの歌声に代え、過疎の町の合唱団の人間模様を笑いを交えて描く佳品だ。
 市町村合併がとりざたされる過疎の町の青年団合唱団。明治からの歴史があり、かつて50人もいた団員が今はわずかだ。団長で吸収合併に反対の僧侶(永利靖)、町内に唯一銅像が建つ前町長の孫(木村洋次)、気の良い教育委員会職員(高田則央)、札幌から転勤してきたばかりの高校教員の合唱指導者(宮田圭子)、派手な衣装でせわしない生命保険外交員(原子千穂子)、帰郷したバツイチの女性(吉田直子)、忙しい介護職員(山本菜穂)と高校を卒業したてのフリーター(金子剛、今回は川崎勇人)の姉弟。性別も世代、合併や合唱への思いも考えも違う8人が、心も揺れながら晩秋の町民文化祭へ向け練習を重ねるさまが、一場20分程度の五場に季節を凝縮して描かれる。
 とはいえうまく歌うことにかけた熱血根性ものではない。「できる以上のことをやってしまうと問題になる」(劇中せりふ)ような小さな町で、“劇的”な物事を避け、何とか自分たちの好きなことをできる範囲で続けていこうとする自然な姿だ。だが発表が近づけば、人それぞれ頑張りの尺度の違いが表面化し、関係もぎすぎすし始める。芝居はそのあたりの様子が、時に淡いと思えるほどに気張らずに描かれる。
 心のひだまでには立ち入らず抑制したせりふ、いくつかの“劇的”な場面の省略と併せ、終幕の合唱に至って観客個々に心の中での物語の創造を促す作劇だ。
 以上が2年半前の劇評。
 時を経て見ると、芝居は思いのほか感情が露出している。高校教員が団員を叱咤する場面など、結構言葉が毛羽立っている。
 それでは2年半前、淡いと思ったのは何だったのだろう。
 いや、それも真実なのだ。
 それも真実で、今回見たのも真実。
 ただ演ずるものも見るものも年を取ったことで、少しずつ何かが変わっている。
 これが生身を見る芝居ということなのだ。
 分かるよね。サトエリ、ズッコ、マアヤ、カワバタ、マリコ、そしてヒロミ…我が愛すべき女性たち。
 ある芝居の誕生から、それがレパートリーとして再演を重ね、それに立ち会うということは初めてなので、年を重ねるということに思いを至すのだった(TPSの「亀、もしくは…。」も「冬のバイエル」も誕生には立ち会っていない)。
 もう42歳(来年1月で)だもんね。そういうことだよね。
 作・演出・音楽の斎藤歩も同い年だけど、私は何をしているのだろうと、吹き来る風も私も思う。
 初演から変わったのは、北空知のパバロッティこと山野久治の出演。男ながらに芝居に花を添えていた。
 あらためて佳作だと思う。21日まで札幌公演し、その後道内を巡演する。一見すべし。
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緊急告知・リゼット

 札幌・シアターZOOの企画「リゼット」(3月24日参照)に参加する劇団・カンパニー・ユニットを11月内に緊急募集中。
 募集は本来なら年内で良かったのですが、文科省の補助金の関係で早まったみたいです。
 早くから準備していたカンパニーもあったようですが、締め切りが年内なら大丈夫と考えていたカンパニーはすみませんが急いでください。
 劇団名、演目名(私には信じられないんだけど、ここが国への申請には重要みたい。なんだか教育基本法改正を連想させるけれど)、日程希望(2007年4月|08年3月)、入場料、スタッフ・キャストを明記し、北海道演劇財団(電話011・520・0710)の平田修二プロデューサーか笠島麻衣さんへ。このうち、どこかがはっきりしなくても、思いがあれば電話してみてください。
 申請書類の手当ては、北海道演劇財団のホームページからシアターZOOに入り、リゼットページにいくこともできます。
 じゃんじゃん来ることを楽しみにしてるよ(私も幹事だから)。待ってます。
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2006年11月18日

25日は映画の2本立てを

 前項のyhs「THE KING OF ROCK AND ROLL」のことを
考えていて思い至ったのが、ノーベル賞作家大江健三郎の初期の作品「セヴンティー
ン」だ。
 1960年に起きた17歳の少年による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件をモチーフに、
性の抑圧が政治に、テロにつながる可能性を書いた小説。1、2部からなるが、2部
は社会的に影響が計り知れないとして、当時から今もなお発売自粛されたままだ。
 yhs作品の作者がどの程度「セヴンティーン」を意識していたかどうかは分から
ないが、同じ鉱脈に光を当てたものであるように私には思える。
 興味のある方は、新潮文庫「性的人間・セヴンティーン」を読まれるといい。

 さて、今日は演劇から一歩離れて映画のお誘い。
 25日(土曜日)に午前11時から道新ホール(札幌市中央区大通西3)で開く「北海
道シネマ・クラシック」のご案内だ。
 実は私はNPO法人「北の映像ミュージアム」推進協議会
http://www.kitanoeizou.net)の理事ということもやっていて、イベントは協議会
と北海道新聞社の主催である。
 協議会の趣旨は簡単にいえば、北海道を舞台にしたり、北海道でロケ撮影した映像
のミュージアムをつくろうということである。上映会はその活動の一環だ(ほかに毎
月最終週を除く土曜日の北海道新聞夕刊に「シネマの風景」を連載中)。
 「名匠山田洋次監督 北の大地に見るその映像世界」と題し、作品は「家族」
(1970年、キネマ旬報ベストテン第1位)と「男はつらいよ・寅次郎忘れな草」(73
年、同第9位)の2本立て(いまや珍しい2本立て。完全入れ替え制ではありませ
ん)。どちらも北海道が重要な舞台となっている(前者中標津、後者網走)。ちなみ
に寅さんのマドンナはこれが初登場となるリリー(浅丘ルリ子)。
 午前11時から「家族」上映、午後1時から評論家川本三郎さん(有名ですね。村上
春樹論でも有名です)のトークがあり、「男はつらいよ」の上映は同1時35分から
(3時14分終了予定)。
 料金は当日1500円(安い)だが、入り口で「シアターホリックで見ました」と言え
ば、前売り料金1300円(もっと安い)になるという「シアターホリック割引」を設け
た(前売り券そのものは道新プレイガイドで扱ってます)。
 ぜひぜひ、25日は観劇を一休みしてでも、弁当持参で道新ホールに足を運んでみて
ほしい(ちなみに開場は午前10時半だが、とかくご高齢の方はもっと早く来るので、
早める場合がある)。
 どうぞよろしく、お待ちしています。私も会場でなんかやってます。

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2006年11月17日

THE KING OF ROCK AND ROLL

 札幌の若手劇団「yhs」といえば、1995年の青春群像を描いた昨年の作品「95(キューゴー)」が、シアターホリックの栄えある?第1回マイベストに輝いたカンパニーだ。
 1年ぶりの新作「THE KING OF ROCK AND ROLL」(12日、札幌・コンカリーニョ)は主宰の南参でなく、OY−Zee.05(いったいなんと読むのか分からないが、ミヤザキという男性らしい)の脚本・演出。これが昨年の「95」に勝るとも劣らぬ、なかなかの面白さ。「yhs」は実力を上げたなあと思わせる出来栄えだった。
 雑誌を読んだり、麻雀をしたり、ただノンベンダラリと部室で過ごしている男子生徒だけの高校貞球部(部の名はチラシ通り。庭球ならテニスのことだが、確かに貞球部はなんの部か分からない)。テレビでは国が他国からのミサイル攻撃を受け、ミサイルによる報復を始めた、つまり戦争状態に入ったことが報道されている。
 そんな中でも、男子生徒の思惑はといえば、モテたい、楽したい、カッコつけたい。でも、努力はしたくない。そんな日常に手芸部の女子生徒が現れ、うだつの上がらない教師が現れ、格好だけいっぱしの番長が現れ、日々問題が立ち起こる。
 芝居は、そんな多くの人たちが共感し思い出しもするであろう高校生活を描きつつ、そこに生きる人々すべてを覆う国の大状況、つまり戦争と結び付いた、驚くべき終幕を迎える。
 まず第一に小状況と大状況とを結び付けた脚本がよい。初めはただの背景としてあるとしか思えなかった、国の戦争をめぐるテレビ報道が度重なり、やがて物語の重要な伏線だったことが分かる仕組みだ。心憎い。
 次に役者たちの演技がよい。誰かが突出して目立つのでなく、といって引いているわけでもなく、その折々で一人ひとりのキャラクターが際立っている。
 つまり、役柄が生きている。登場人物たちが確かに物語の中で生き生きしている。昨年の「95」で南参が演出した方法論が、とてもよく息づいているといえよう。細かいところにも目配りの利いた演出で、落語のように「間(ま)」でもって笑わせる。この「間」で笑わせることの巧みさに関して言えば、札幌でこの劇団をおいて他には見当たらないのではないか(その達者さは釧路の劇団北芸の別役実芝居をほうふつと
させる)。
 場面場面がメリハリが利いて生きているから、男女の生徒の淡い恋の場面にじんわりさせられたかと思うと、次にはてんやわんやの場面に大笑いさせられるというジェットコースターの気分だ。
 ここで再び脚本の面白さに言及するが、物語はラスト、男女交際もできず、懸けるものも見当たらず、その一方で屈託はあり、「何かでかいことをやる」という野望だけはあるという男子生徒が、女子生徒に扮していた国防関係者のリクルートで兵士に徴用されるという結末だ。
 なんとも今日の若者たちについて批評的であり、皮肉の利いた物語ではないか。私はこのラストで背筋がぞっとし、次にはじっと考え込まされた。
 全てを見終えての帰途、チラシの文言を読み返すと、「そして、気が付いたら始まっている戦争。ダラダラしながら進んでいく。ダラダラしながら呑み込まれていく。」とあるではないか。
 なるほど。チラシが完成した時点で、物語は周到に準備されていたわけだ。
 良いものをつくるには時間が必要(札幌芝居は粗製濫造が多すぎると思う)という見本のような作品だ。
 本作は間違いなく今年の収穫の一つである。
 最後に出演者名を書き記しておく。
 能登英輔、今井香織、吉竹歩、井上亮介、小林エレキ、菜摘あかね、小原アルト、福地美乃、イシハラノリアキ、氏次啓。このうち誰一人欠けても成立し得ないような、緊密なつくりの物語でもあった。お見事。
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2006年11月14日

イージー★ライアー

 富良野塾OBの劇団11☆9(イレブン☆ナイン)の「イージー★ライアー」(12日、札幌・シアターZOO)は納谷真大の「北の戯曲賞」優秀賞受賞作。久保隆徳が演出した。
 明日が結婚式という、同棲して1年になるカップル(水津聡、松本りき)の元に、その女が5年前まで付き合っていた男(大山茂樹)がヒマラヤへの旅から帰って来た。実は当時2人は同棲していて、男がヒマラヤへ旅立つ5年前、女は男に「待っているから」と訴えてしまっていたのだ。
 女は許婚に、とっさの嘘をついて急場をしのごうとするが、さて、この恋愛トライアングルはどうなるかというシチュエーション・ラブ・コメディー。
 物語としては細かいところまでうまく出来ているし、面白く笑える。だが、演出のトーンがどうにも重く、野暮ったい感じになってしまった。それで結局、私は乗り切れずじまいだった。
 もっとメリハリをつけたら良かったのにと残念だった。
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夏の匂い

 長谷川孝治作・演出の弘前劇場「夏の匂い」(4日、札幌・シアターZOO)は、
静かにかなしみをたたえたような芝居だ。そこはかとなくユーモアも交えて、胸にじ
んわりとくる舞台だ。
 パンフレットから「物語」を引こう。
 とある地方病院の一室。長い間入院している男のもとに友人が入院してきます。病
室を出入りする患者、家族、友人、看護婦はそこで病気のこと、学生時代の思い出、
家族のことなどを話し、そして去っていきます。
 生きていく者と死んでいく者
 昔感じた夏の匂いと今感じる夏の匂い…
 人はいつかは必ず死んでしまいます。いつ死んでもおかしくありません。誰かが死
んでしまっても誰かが生きています。そして世界は変わらず持続していきます。
 この夏、病室にいた誰もが確かにそこで生きていました。

 そうなのだ。病室に生起することどもが、淡々と、しかし確かさを伴って舞台空間
に表現される。
 見ている間、私は、私が9歳の時に38歳で死んだ父のことや、一昨年に亡くなった
妻の父のことや、名馬シンザンと1日違いで逝った母方の祖母のことなどを思い起こ
していた。
 あの時の病室、あの時の病院の匂い、陰り、光、言葉。
 二度と帰らないあの日。
 確かに人々は生きていたのだ。
 そんなことどもが次々に思い出されては、消えていった。
 これというのも、静かで確かな佇まいの芝居に触発されてのことだろう。
 選挙ブローカーや古本屋経営の男やその妻、建設業の男たちなど、出てくる誰もが
リアルにそこに存在していた。
 良いものを見た。
 良いものを見せてもらった。
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2006年11月10日

遊戯祭06

 ふう、疲れたというのが率直な感想である。
 虚脱感と満足感。
 1日5本見たことは過去にもあるが、やっぱり年なのかなあ。
 旧コンカリーニョ時代から復活した「遊戯祭06」。今年は札幌・琴似のコンカリーニョとパトスの2会場で、「死ぬ気で遊ぶ 近松門左衛門祭り」をテーマに、5団体が参加した。
 私が見たのは3日。五者五様、近松のさまざまな解釈あり、破壊あり、脱構築あり、を楽しんだ。
 ANDの「廻り花 観音巡り」(亀井健脚本、舛井正博演出)は「ANDを午前11時から見るなんて」と思って臨んだが、意外にも落ち着いた印象の芝居だった。むしろ静か過ぎて、AND本来の持ち味が薄かったというべきか。
 Theater Unit Hysteric End produce introの「NAGAMACHI女ハラキリ」はイトウワカナの初脚本・演出。ちょっとしたところに女性ならではの視点が感じられた芝居。子役の小学生の女の子の堂々とした役者ぶりに驚く。
 04:03featuring Kitagawa徹の「愛のいぢわる」は北川徹脚本・演出・出演の一人芝居。近松の周辺をなぞっているような語りから、人形2体を使った心中の道行を感じさせる暴力的なラストが印象的。
 弦巻楽団「死にたいヤツら」は弦巻啓太脚本・演出。近松研究の大学教授の四十九日を舞台に、彼が全財産を贈ると遺言書に書いた愛人はだれかをめぐって繰り広げられるコメディー。物語としての完成度は一番高かったのではないか。
 WATER33−39「近松殺札幌心中」は清水友陽脚本・演出。ありていに書けば、8人の男達の1人の女をめぐる攻防戦。セリフはなく、代わりにパソコン入力の文字が舞台奥に投影される実験的な手法が取り入れられている。
 遊戯祭自体は5日間に渡って行われ、5本すべてを見た人の投票によって最優秀賞が弦巻楽団と決まり(11票)、コンカリーニョの07年の使用権が与えられた。ほかに9票が2団体、4票が2団体(無効票あり)。
 来年のテーマは何かなあ。別役実なんて、やってほしいなあ(と前にも書いた記憶がある)。
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2006年11月05日

踊りに行くぜ

 「踊りに行くぜ」vol.7はジャパン・コンテンポラリー・ダンス・ネットワーク(JCDN)主催の全国ダンス巡回プロジェクト。
 札幌では10月28日、コンカリーニョ再オープン記念特別プログラムとして4組が出演して行われた。
 エビバイバイは札幌選考会選出のユニット。振付・出演は細木美穂、斉藤麻衣子(エビバイバイにはこのほかに南あいこも参加)。演目「ペットボトル」は水の入った2リットル程度のペットボトルを小道具に、そのペットボトルの動きに合わせてユーモアたっぷりに動く踊り(という説明で分かるかな。ダンスの解説って本当に難しい)。斉藤が1リットル以上の水をごくごくごくごく飲む場面もあり、そこはちょっと大変そう。
 近藤良平&野和田恵里花(東京)振付・出演の「小さな恋のメロディ」は、あの映画のイメージを大切にしたような、伸びやかでリリカルな踊り。近藤は、9月に見た「コンドルズ」の時よりもしっとりした感じで踊っていた。
 ほうほう堂?」船Д襯侫?奪船紂陛豕?砲録景瀏?臓??塚??∧[泳穃た局佞如「出演は新鋪、福留。エビバイバイにかぶった感じもちょっとしたが、こちらの方が理知的なものを感じたかな(この場合、「理知的」は優劣を意味しない)。
 ラストはKo&Edge Co.(東京)の「DEAD1+」。構成・振付室伏鴻で、出演は目黒大路、鈴木ユキオ、林貞之の3人。3人は銀粉塗りで、首の後ろを起点に倒立した形から、じっくりと時間をかけて起き上がるまでを描く緊迫もの。でもこれにもユーモアが感じられるのだった。
 アフタートークでは「どこまでがダンスなのか」「4作ともにコミカルな味が感じられる」といった感想が出ていた。
 コミカルというか、ユーモアは私自身が感じた印象だった。
 そしてダンスって自由、ダンスって楽しいと、何よりも思ったものだった。
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2006年11月02日

贋作・寺山修司 身毒丸

 前項で「筋道がなく、ピントが大きく外れているような物語」と書いたが、実は演劇の楽しみ、面白さは物語が全てではない。
 そんなこと言ったら、今回の「贋作・寺山修司 身毒丸」(作・寺山修司、構成・演出こしばきこう、10月28日、札幌・シアターZOO)など、物語の飛躍というか、ぶっ飛び方は凄まじく、評価には値しない。
 ところが、ここが演劇の不思議なところで、物語がちっとも頭に入ってこなくても、また頭の中がこんがらかるばかりでも、面白いものは面白く、心ひかれるものは魅力的なのだ。
 これは実験演劇集団「風蝕異人街」プロデュース「さっぽろテラヤマ祭2006」と銘打たれた公演で、出演はザ・ユニットテラヤマ。風蝕異人街は「北方の暗黒タカラヅカ」との異名を持つ女性がほとんどの劇団だが、今回は看板女優三木美智代が出演できないため、新人ばかりをかき集めて、ユニットの形で上演したものらしい。
 これが、なかなかパワーがあって、見応え十分なものだった。
 物語は、少年しんとく(水戸康徳)の「母探し」に尽きると言っていいだろう。寺山修司終生の大テーマである。
 そこに父(舛田佳弘)や継母(容由美子)とその連れ子せんさく(岩渕安希子)、それに娼婦たち(宇野早織、堀内まゆみ、篠原花菜子、田中優子、菅原香菜子、新海あずさ)らが絡んで、それはもうどろどろの物語が展開して、頭の中は混乱する。
 娼婦たちは幻の母にもなる一方、全身白塗りのカラス(米田友祐、香本佳彦)は狂言回しを務め、舞台上手の檻に琵琶弾き(井上望)、下手の檻にトランペット吹き(相良真弓)がいて、それはもう、暗黒世界の一里塚、札幌は中島公園そばの“恐山”といった雰囲気そのものである。
 私はやはりこういうのも好きなのだな。
 こしばが当日配布のパンフレットに「見世物の復活 猥雑さ・下品さ・土俗さ・ばかばかしさが寺山芝居の本質!」と書いているが、それが確かに具現化された舞台だった。
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