2006年09月23日

 「ど」という変わった題名の芝居である。
 副題というのか何か、「ど、ど、ど、どうするって|ど、ど、どうしよう」という言葉が添えられている。
 で、どういう芝居なのかというと、吃音(どもり)者をモチーフとした芝居なのだ。つまり「どもり」の「ど」というわけである。
 劇団黒テント3年ぶりの道内旅公演だ。函館、室蘭、釧路、北見と巡演して(黒テント公演は各地で熱意ある人たちが実行委を組織して実現される)、札幌では12日にコンカリーニョで上演された。
 「新日本文学」に20年以上前に掲載された小寺和平「吃音集団」を原作に、黒テントの山元清多(やまもときよかず)が構成・演出した。
 どもりをモチーフにしているというと、人としての吃音者を「どもり」と表記することは新聞用語基準では差別につながるなどということもあってか、とても微妙な、いやむしろ危ない芝居だと思われるかもしれない。
 公演後の実行委と役者らとの打ち上げでは、「今回は題材が題材なので、○○(道内のある地域)で実行委を作ることは控えましたが、観てみると、これならよかったかなと思いました」という発言も出ていた。
 いや実際、実に示唆に富んで、見る側の想像力(創造力)を喚起する、素晴らしい舞台だったのである。
 山元は、劇中のウエーター(愛川敏幸)や3人のウエートレス(畑山佳美、伊達由佳里、太田麻希子)による時代背景・用語説明や音楽演奏などに手を加えたことを除き、「物語は小説そのまま。それだけ小説に力があったのでしょう」というが、それだけではないだろう。
 1960年代の歌謡曲メドレーによる軽快な導入部から、物語は吃音者が主人公とは思えぬほど(というのも吃音者の苦悩、焦燥、汗、涙など内的語りがモノローグの形式で素早く詳細に語られるゆえだが)テンポ良く運び、動きも細やかで機敏で、映像も使ったダイナミックな仕掛けは目にも鮮やかだった。
 舞台は高度経済成長真っただ中の1964年は東京・渋谷。名曲喫茶「どん」に集う男性3人衆、タケタニ(木野本啓)、スギオ(宮崎恵治)、ナカタ(内沢雅彦)は吃音カウンセリングを受けた者同士の仲間である。しかし残念ながら、3人のどもりは完治してはいない(ナカタだけは軽度になっている)。
 日々の屈辱感や挫折感を吐露し合う3人。その姿は差し迫った必死さゆえに、濃密でおかしい。笑えてしまうのだ(3人が吃音者ゆえの思考回路を事細かに説明すること自体が、かなしくもおかしさを呼び起こす演出法になっている)。
 だがタケタニは60年安保闘争の高揚の中で、ストを決行した6月4日のある切迫した状況下ではどもらなかったことを思い出す。そしてその日の昼、喫茶店で落ち合う約束をした電話口の向こうで、なぜかその時だけは平然としていたスギオに、自らのどもりの原因を見詰め直すように言う。
 タケタニとナカタの執拗な追及を受け、スギオが最後の最後に搾り出したのは「俺は、部落民(同和地区のように、いわゆる被差別部落出身者だということ)なんだ」という出自に関する悲痛な叫びだった。
 生の根幹そのもののしこりが取れたスギオはどもりが直っている。国鉄駅の切符売り場で目的地が言えずに仕方なく違う地名を言っていた過去と決別し、好きなだけ違う地名の切符を買い続ける。
 マイナス、マイナス、マイナスが続いた末の逆転のプラス思考であり、演劇的大転換の快感が静かでいて具体的な確かな場面で象徴される。
 ラストはノークレジットの男優1人を含め役者8人で、「辛よ さようなら 金よ さようなら」というプロレタリア詩人中野重治の詩「雨の降る品川駅」を朗ずるのだ(この詩はこれ以前の場面にも出てくる)。
 先ほど演劇的大転換の快感を書いたが、ラストの中野重治の詩の朗読に至って、私には重い部分も刻まれ、実はこの吃音者たちが日本のある部分を象徴した存在なのではないかとも見えてきた。
 例えば吃音を日本の「戦後民主主義」と置き換えてみる。でもそうすると、スギオのどもりの解消は幻想的なロマンとしかとらえられなくなる。
 この発想はやはり無理があるかなあ。
 しかし私には、吃音が何かを象徴しているように思えてならないのだった。
 公演後の打ち上げでは、役者から、「部落民」という差別語のインパクトが、関西以西では通用するが、関東以北ではなかなか通用しない(東北地方では「隣の部落」などと日常使っているらしい。北海道もそういうところ、ありますね)だとか、吃音者のセルフ・ヘルプ・グループ(自助グループ)「言友会」のメンバーが観に来て、役者が「お、お、お、お、お、お、お、お」と言っている時に、観客席から「がんばれー」と声が飛んだなど、旅公演ならではのエピソードを聞いた。
 いやまことに今回は、「ど」というのはけったいな題名だな、吃音をテーマにしているんだな、暗い芝居はいやだなと思って観たのだが、良い意味で非常に予想に反した、素晴らしい舞台だった。
 この芝居の大テーマは人間に根源的なものとしてあってしまう差別だ。つまり、この芝居に関しては見る前から、このテーマに関わっていた、関わらざるを得なかったということだろうか。
 考えたらこの作品、一昨年、昨年の東京公演に続いての3演目で、満を持しての全国42都市公演である。劇団黒テントとあろうものが、つまらないものをやるわけないよな。
 最後は恥じ入った私だった。
posted by Kato at 22:49| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月17日

アイン アルテス ハウス〜棲家〜

 「アイン アルテス ハウス〜棲家〜」(作・演出村松幹男)はシアター・ラグ・203の水曜劇第15弾として、同劇団の本拠地である札幌・澄川のラグリグラ劇場で上演された(13日)。実力派劇団による上質のホラー(再演)だ。
 長女治江(福村慎里子)、次女正江(田中玲枝)、三女和江(湯澤美寿々)という三姉妹が住む洋館。もう1人、いるのは父の代からの執事である徳次(平井伸之)だけだ。
 ワインなど酒を飲み続け、時に狂ったように笑う治江、乳飲み子を抱く正江、何者かの子を宿した妊婦の和江。しかし、この洋館には忌まわしい血の物語が伝わっており、3人も決してその物語の部外者ではないのであった、というストーリー。
 3女優の火花を散らすような、だがよく抑制された演技が物語をしっかりと引き締め、説得力がある。
 この、うなぎの寝床のように長細い劇場の特性を生かした舞台でもあり、終幕の薄暗い中でのワンショットは夢にでも出てきそうな怖さ。その怖さの源泉が、いろいろ物語を追うことで後からじんわり効いてくることもあり、実に怖い秋の夜の観劇であった。
 なお、水曜午後8時からの水曜劇は10月から再開し、11月22日をめどに200回記念となるという。次の演目は何なのか、いずれにしても今から200回公演(の打ち上げも)が楽しみだ。
posted by Kato at 23:34| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

「スケルツォ」について

 前項からずいぶん間が空いてしまった。この間、心配してくれた人もいて、「どこか体の具合が悪いんじゃないか」とか電話がかかってきたり、「毎日(期待して)見てしまうんですから、何かかにか書いてください」と忠告してくださる人もいた。
 大丈夫。私は健在です。
 ただ、やっぱり疲れてはいたんだな。
 それと、頼まれ原稿を長文書いていたこともあった。
 これは、私が一押しのステージパフォーマンス・ユニット「スケルツォ」についてのものだ。
 今年は11月10日(金)午後7時半から札幌・ゼップサッポロ(南9西4)でライブがあり、そこで配られるパンフレットの原稿を頼まれていたのだ。
 原稿用紙6枚程度と言われていたが、書いてみると、7枚以上になってしまった。
 今回はその原稿を特別に「演劇病」の皆さんに読んでいただくとしよう。
 もし、興味がわいたら、ゼップサッポロに足を運んでみていただきたい。



 「イマジン」を超えて〜「スケルツォ」小論〜
                  北海道新聞編集本部記者
       劇評ブログ「シアターホリック(演劇病)」主宰
             http://theater-holic.seesaa.net/
                         加藤浩嗣
 念のため断っておくが、「スケルツォ」はあらかじめ効能の定まった、予定調和的な毒でも薬でもない。ただ、あなたの出会い方しだいで、日常を活性化するほどよい毒にも、明日を楽しく生きるための薬にもなるのだ。

 私が「スケルツォ」の加賀城匡貴君、史典君兄弟(以下、加賀城君と書くのは匡貴君のことである)と初めて出会ってから、もうすぐ4年になる。あれは2003年の1月だった。当時、私は北海道新聞社の文化部で、演劇やパフォーマンスなど、音楽を除く舞台全般を担当していた。そこに加賀城君が、翌月札幌で行うライブ告知の宣伝を取材してもらおうと訪れたのだった。
 加賀城君はよく話した。これまでの活動のこと、いま考えていること、将来望ましい「スケルツォ」のあり方。印象に残っているのは、彼が目の前にいる聞き手のことを考えて、分かってもらいやすいように言葉を選んで話しているということだった。私はその姿勢に好感を抱いた。
 新聞社にはミュージシャンをはじめ創造的な活動をしている数多くのパフォーマーが全国から宣伝に訪れる。けれども、何が面白くないのか、こちら側の質問に「はい」「いいえ」としか答えなかったり、ろくすっぽ話もせず、何のために札幌まで来ているのか分からないような人もいるものなのだ。そんな中で、ほとんどアポなし飛び込み状態のようにして訪れた加賀城君の受け答えはとても新鮮に思えた。
 加賀城君は私をライブに招待してくれた。そうして見たライブは、簡単な言葉で恐縮だが、実に面白かった。熱い言葉は、期待を裏切らなかった。
 ここで「スケルツォ」初心者の方のために、若干私なりの解釈も含めて紹介しておこう。
 「スケルツォ」とは加賀城君が1999年から主宰する札幌のステージパフォーマンス・ユニットだ。事前に用意した、日常何気ない映像の上映に、舞台上で生の音楽や語りを乗せ、観客の想像を促す不思議な“笑い”“価値”を模索する。
 そこでは加賀城君が、日常を前後左右上下表裏から、時には斜めから、あるいはよく晴れた青空にかざしたように見つめる新たな視点・発想が感じられる。
 例えばこんな具合。作品名「年越し」は壁掛け時計の零時前後1分間の映像。「○○寺の夜は静かです」との語りは、秒針が「12」を過ぎると、「おめでとうございます。○月○日(元日ではない)の始まりです」。まぎれもなく「ゆく日くる日」であり、年末年始の特権性へのやゆとも、日々つつがなく過ごすことの重みとも、受け取り方は自由だ。
 「片端の数字」は「0」が数十並んだ後に「1〜9」の数字がくる映像数種。「00…97」に「長生きですねえ」、「00…1700000000000」には「1兆7000億円の負債で…」と説明がつく。そして「私たちはほんの片端の数字しか使っていない」。
 「カタカナ」では北海道各地の地名をアイヌ語に戻したらどうなるかを夢想する。男3人の草サッカーから転がって来たボールを拾うと、その3人のいずれか、あるいは第三者あてかの思いのこもった寄せ書きがある「寄せ書き」など、掌編小説の読後感に似て、胸にじんわりと迫るものがある。
 加賀城君は自由闊達な人だ。
 03年5月に文化部を訪れた彼は「今度は自腹で選挙応援を買って出ました」と真顔で言う。この年の統一地方選挙で再選挙となった札幌市長選を勝手に応援するため、「若者の選挙離れは選挙のイメージ自体が問題なのでは」と、ポスター1000枚、チラシ3000枚を作成したのだ。
 北海道がむやみに大きな日本地図に「日本の『顔』にあたるサッポロが笑っていなければ、地図を見てても、つまらない」との文字。さらに「6.8(日)これからのサッポロを選べ」などとあり、チラシの裏には「まったく盛り上がっていない市長選を、僕が勝手にデザインして変えます」と決意文。のちに彼は「大きな反響があった。ユーモアで、社会ってまだいじれると思った」と語った。
 加賀城君は行動の人でもある。
 それで思い出すのは、04年2月の前駐レバノン大使(当時)天木直人氏との対話。天木氏は前年、自らの信念で米国主導のイラク戦争に反対する公電を打ち、外務省を辞めることになった、当時の“時の人”だ。
 意外な取り合わせだと思ったが、「それこそが狙い」と言い、「イラク問題に無関心な若者にも、人間として正直なことを言って外務省を追われた天木さんという当事者から直接聞く『怒り』のリアルさ(現実味)は伝わるはず」と、スケルツォ流“出かけて見るニュース”を実現させた。
 天木氏のことは報道や著書で知り、人づてに知った電話で直接交渉したというから、思い立ったが吉日の実践である。そうした加賀城君の対話が直接的な政治談義に終始せず、ユーモアたっぷりの幅広い話題のものになったのは、スケルツォならではだったといえるだろう。

 少しだけ真面目な話をしよう。
 私が演劇やダンスを見ていてがっかりするのは、あらかじめ効能の定まった、予定調和的なものを見せられた時だ。
 例えば、あるダンサーの踊り。ラスト近く、平和のメッセージを託されて流れてくるのは決まってジョン・レノンの「イマジン」だったりする。
 パフォーマンスする側の発想の貧困、「イマジン」という名の平和を願う記号頼み。これだけかけておけば、ほかの創造的な試みは少々力を抜いてもよいというような名曲へのよっかかりにも、私には思えてしまう。
 その一方で、「イマジン」が40年近くかけられ続けていても、世界をめぐる状況は変わっていない。戦争、飢餓、貧困、そして01年9月11日に象徴されるテロリズム。
 こうした状況では、創造する側(創り手)も、受け取る側(観客)も、今までのありかに安住していては物事は良い方向に一歩も進まないのではないかとさえ思うのだ。
 そこでだが、「スケルツォ」の繰り出す新たな“笑い”“価値”といった世界観には、もしかすると、そこから新たな一歩を踏み出す可能性があるのではないかと私は信じている。「スケルツォ」のパフォーマンスには創り手と受け手との、時にはボールを取り損ねかねない、けれども真摯なキャッチボールが行われているように思えるからだ。
 「スケルツォ」は決して平和を願う記号「イマジン」頼みのようなステージは行わない。だから人によっては「分からない」「どう受け止めてよいのか」といった感想を持たれることもあるだろう。そこで今度は受け手としての想像力(創造力)が試される。作品の出来具合にも長短あるだろうから、ある作品が分からないからといって卑下する必要はないし、ましてやすべてを否定することもない。
 要は、今まで自分になかった新たな視点・発想に出会い、新たな“笑い”“価値”が自分の中のどこかの片隅に誕生してくれるのをじっくり楽しめばよいのだ。
 私の大好きな作品に「トーナメント」がある。天地逆さまのトーナメント表の映像に「1チームのメンバーが他人との違いを見つけて分かれ、個人になれれば誰もが優勝」と語りがつく。この発想の自由さ、豊かさ、柔軟さ。
 「スケルツォ」の“笑い”“価値”が北海道内、日本国内だけでなく、世界中の多くの人に共感される日が来た時、それはジョン・レノンが「イマジン」で夢想したような世界の招来にも通ずるのではないかと、ひそかに私は確信している。

 最後にもう一度念のため断っておくが、「スケルツォ」はあらかじめ効能の定まった、予定調和的な毒でも薬でもない。ただ、あなたの出会い方しだいで、日常を活性化するほどよい毒にも、明日を楽しく生きるための薬にもなるのだ。あなたと「スケルツォ」との出会いが幸、より大きなものとなることを祈っている。
posted by Kato at 23:40| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする