2006年08月22日

3人の演出家による競演ワークショップ発表公演

 「3人の演出家による競演ワークショップ」発表公演は教文演劇フェスティバル2006の一環として21日、札幌市教育文化会館大ホールで行われた。3人の演出家が2週間程度行ってきたワークショップ参加者による、各20分程度の作品発表会だ。
 通常なら閉館である月曜日の、大ホールである。役者志望の人間なら、一度は立ってみたいと思う舞台だろう。
 通常役者が演じる舞台上に観客を上げて「コ」の字に客席を組み、発表者はその中で演じるという形式だ。
 初めて行われた昨年は「5人の演出家」で、演出家の数が減った点では今年は物足りなさを思わせたのも確かではあるが、多くの人手のかかった労多い舞台。三者三様、それぞれに面白かった。
 1番手は川尻恵太作・演出の「イカロ」。川尻は札幌で劇団ギャクギレや苗穂聖ロイヤル歌劇団を主宰していたが、現在は活動の中心を東京に移している。
 神話の世界で(だと思うのだが)、人々から言葉を奪う少年イカロをめぐる物語。
男女5人(男1、女4)の白装束が荘重な雰囲気を漂わす中、川尻の打楽器や笛に合わせて5人が動き回る。
 物語は終盤、叙情的なイメージをたたえて幕を閉じるのだが、その前にもう一つ突き抜けた感じがあればなお良かったのではないか。川尻のせっかくの生演奏も今ひとつ生かしきれておらず、食い足りない印象を受けた。
 2番手は早川渉作・演出の「LOOP」。早川は札幌在住の映画監督で、北海道産長編映画「壁男」が来年にも公開される。
 映画を撮影中の中学生の映画を撮っている映画監督の映画を撮っている女性の物語(いわゆる劇中劇構造)で、これも受講者は男女5人(男1、女4)。
 舞台客席側に向かって大スクリーンが下り、ビデオ撮影のモニター用テレビも置かれ、いかにも映像作家ならではのしつらえだ。物語はビデオでモニター用テレビを映すとテレビの中にテレビが無限に映る、という現象(これをLOOPと言うらしい)を題材にしたホラーで、作品の完成度という点ではこれが一番かもしれない。
 ただ、役者の肉体の動きやせりふ回しなど、残念ながら小さくまとまり過ぎているように感じた。舞台と映像世界との違いということでもあろうか。
 3番手は橋口幸絵脚色・演出の「不倫」。原作は北杜夫(新潮文庫「星のない街路」より「不倫」)とパンフレットにある。橋口は劇団千年王國(札幌)主宰で、今年3月に若手演出家コンクールで最優秀賞・観客賞を同時受賞したことは以前このブログでも触れた(その作品「イザナミとイザナキ」が9月29日から10月2日まで札幌・ブロックで上演される)。
 「不倫」というからどんな下世話な物語かと思ったら、まったく違った。男が女に子どもを産ませたら3年以内に(だったと思うが)その妻を殺し、次の女に乗り換えなければならないという世界の話。ここでカーという男はたった1人の妻ヒービーを生涯の伴侶として生きようとするが、という内容。
 受講者は男1人が黒、女5人が赤の衣装で、コントラバスか何かの前衛的な演奏(選曲が良い)に合わせて舞い、踊る。出演者個々の空間のつかみとり方、空間への伸び方、つまり世界の把握の仕方が、3作品の中では最も意識化された舞台だった。物語は(原作を読んでいない私には)あっと驚く結末を迎えるのだが、それはあえてここには書かない。ただ、小さな個別的な物語だと思っていたものが、壮大な宇宙規模の内容に一瞬にして広がった、とだけ書いておこう。

 教文演フェスはこの後、舞台芸術工房森の会「ホルのいた森」公演(22・23日)、ミニライブシアター「5分間劇場」(27日)、SKグループ「ナチュラルスイーツ」公演(30・31日)などがあり、9月3日にフィナーレと交流会が行われる。
 札幌の小劇場の世界に近付くにはまたとないチャンスだ。この機会に訪れてみてはいかがだろう。
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2006年08月20日

北緯43°のワーニャ

 今回また初めにおわび。
 前回、流山児祥のワークショップ発表会の開始時間を16時半としたのは、16時15分の誤りでした。さらに受講者14人とあるのは出演者14人であって、受講者11人プラス賛助出演3人ということでした。
 誤った情報で開演時間に間に合わなかった方がいたらごめんなさい。
 でもほとんどの出演者が顔面白塗りの異形で、演じられるシェークスピアの「夏の夜の夢」の劇中劇はなかなかに迫力があって面白かった。
 さて、きょうは北海道演劇財団主宰劇団シアタープロジェクトさっぽろ(TPS)の「北緯43°のワーニャ」(19日、札幌・シアターZOO)。
 題名から察せられる通り、一昨年に没後100年を迎えたロシアのアントン・チェーホフの4大戯曲の1つ「ワーニャ伯父さん」の、ほとんどそのままだ(神西清訳)。
 演出・音楽の斎藤歩TPSチーフディレクターは、今回、坂口芳貞、山崎美貴の2人の役者を文学座(東京)から迎えるのを、劇中の2人の役、退職の大学教授とその後妻が都会から田舎に来たとの設定と重ね合わせた上で、北緯43度の札幌で創る「ワーニャ」であることを強調するために、このタイトルにしたのだという。
 果たしてその芝居は、せりふの一つひとつのおかしみや哀しみをかみしめるに十分な、落ち着いた大人の演劇になっていた。
 ロシアの片田舎。47歳のワーニャ(永利靖)はこのところ一向に落ち着かない。というのも、嫁いで死んだ妹の農地をその娘(ワーニャから見れば姪)ソーニャ(宮田圭子)と一緒に守り、25年間も仕送りしてきた元大学教授セレブリャコーフ(坂口)が、27歳と若く美しい後妻エレーナ(山崎)を伴って都会から訪れて以来、すっかり生活のペースをかき乱されているからだ。
 セレブリャコーフにご執心の先妻の母(つまりワーニャの母であり、ソーニャの祖母)ヴォイニーツカヤ夫人(原子千穂子)はまだしも、現代文明に批判的な医師アーストロフ=37=(斎藤)や落ちぶれた地主テレーギン(高田則央)、年寄りの乳母マリーナ(山本菜穂)、下男(川崎勇人)も、2人の都会人の習慣にはなかなかついていけない様子だ。
 そうした中、俗説を受け売りするだけのセレブリャコーフの俗物ぶりがあらわになるにつれ、ワーニャは人生を浪費してしまったと自堕落になる。一方でエレーナをめぐりワーニャとアーストロフの間で恋の鞘当てがあったりなど、どこにでもありそうな人生の断面が次々と生じる。
 チェーホフをよく手掛ける札幌市出身の演出家松本修いわく、「チェーホフは取り立てて劇的ではない日常を演劇のそ上に載せた初めての作家」だという。
 そうした点から見ても、今回の斎藤演出は奇をてらうことなく、丁寧に端正に登場人物一人ひとりの人生に光を当ててみせた。
 永利は長らく人生の重みに疲れ果てた男ワーニャの哀感を好演し、宮田はワーニャ伯父さんへの敬愛とアーストロフに一途な思いを持ち続けるけなげな娘ソーニャ役を巧みに演じていた。
 また坂口のセレブリャコーフも俗物ながらどこか憎めない、いまどきの言葉でいう「ちょい悪」親父を独特の色気を交えて体現。
 山崎も2人の男を魅了しながら、肝心なところでは無頓着、無自覚な女性像をうまく表現していた。
 それにしてもチェーホフの先見性にはあらためて頭が下がる。
 登場人物一人ひとりが孤独を抱え、誰かに手を差し延べつつそれもかなわず、心の空白を分かち合い切れずに悶々と悩み苦しむ姿は現代人そのものではあるまいか。
 斎藤演出では視線一つにも繊細な注意が向けられていたであろうことが、第3幕のアーストロフがエレーナに図面を指し示すあたりの描写でよくわかる。
 また幕間の楽器による演奏も、登場人物の心象を表し、古典を現代に生かす試みの一つとして注目されよう。
 そうして終幕、都会人が去って行った後に残されたソーニャとワーニャの2人の場面、ソーニャの有名な長せりふが、この「北緯43°のワーニャ」の真骨頂である。
 ソーニャ「でも、仕方がないわ、生きていかなければ。ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね(後略)」。
 これは、北海道演劇財団10周年・シアターZOO5周年記念公演と銘打たれたこの芝居の中で発せられた、次の10年いや100年への宣言ではないか。北緯43度の札幌で良質の芝居を創造していくことへの決意そのものではないか。
 斎藤は「永利が40になった頃、こいつとワーニャをやろう」と長く温めてきたことをパンフレットに書いているが、それが幸運にも財団10周年の節目の年に当たったのであると私は考えている。
 なお、この芝居はシアターZOOでは23日まで、新札幌のサンピアザ劇場で25、26日と上演された後、東京・こまばアゴラ劇場で30日から9月3日まで行われ、さらにキャストを変え、シアターZOOで7、8日と「びっくり。どっきり公演」がある。
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2006年08月11日

緊急告知・ワークショップ発表会

 緊急のお知らせです。
 演劇大学2006in札幌の、50歳以上を対象にした「セカンドライフの演劇講座」(14人受講、講師・流山児祥、小林七緒)の発表会が12日(土曜日)午後4時半から、札幌市教育文化会館(中央区北1西13)の小ホールとホールを出たロビーとか(移動するのか、同時多発か)で行われるそうです。
 無料です。慣れていない受講者も、いざとなれば多くの人に見てもらえると喜ぶでしょう。
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札幌舞台衣装コレクション

 芝居といえば、大切なのはまず役者の肉体、そして物語というか筋立てだろう。
 だが舞台装置や照明、音響など、演劇を下支えするものは数多い。その中でも衣装は特に観客の目を引く重要なポイントではないか。
 「札幌舞台衣装コレクション 2006SUMMER 粋sui」は札幌衣装連合組合の主催で6日、札幌・コンカリーニョで開かれた。過去に上演された芝居の衣装による、いわばファッションショーである。
 競演したデザイナーは佐々木青、小野寺厚子、岡本嚇子、藤野羽衣子、アキヨ、高橋綾香、矢野あい、の女性7人。どの人もよく見る名前だ。
 そういえば、数多く芝居を見ているけれど、舞台装置は男性であることが多いが、衣装はほとんどが女性だなと思った。細やかな神経が必要だとか何とか、理由があるのだろうか(でもそれを言ったら、細やかな神経はどの分野でも大切なのだが)。
 役者として活動している27人、プラス元道頓堀劇場(ストリップ)の踊り子だった藤野本人がモデル。
 その芝居のスライドが投影された後、役者陣が衣装を着込み、パリコレばりにしつらえられた花道(と言うのだろうか)を歩いて回った。
 とても良いアイデアの企画だった。
 札幌では芝居で食えている人が少ないけれど、舞台衣装の分野ではどうなんだろう。数少ないデザイナーに仕事が集中するから、食えているんだろうか。でもアマチュア劇団相手だから、もらえるものといってもたかがしれているのではないかな、などとそんなことを思ったりもした。
 見せ方では藤野がやはりうまい。獣のような衣装をまとって登場し、だんだん脱いでいき(獣柄のブラジャーとパンツ姿)、ロープを使って観客を挑発してみせる動きの冴え。道頓堀劇場で人気の踊り子だったことはだてではない。彼女は札幌演劇界にとって財産であると、私は常々思っている。彼女の魅力が存分に生きる本(戯曲)との出会いを私は待望してやまない。けっこうあちこちの芝居に出ているので、藤野羽衣子の名を見つけたら、ご覧になってみてください。
 役者の中には、歩くのがぎこちない人もいた。歩くということは人間にとって基本的な動作だけに、意識して行うとそれだけ難しいのだろう。芝居で立つこと、歩くことの難しさ、大切さをあらためて考えた舞台でもあった。
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2006年08月07日

緊急告知・演劇大学について

 前項の指輪ホテル代表羊屋白玉が学長を務め、多彩な演出家が講師を務める「演劇大学in札幌」(日本演出者協会など主催)では学生を募集中だ。
 場所はいずれも札幌市教育文化会館(中央区北1西13)。
 日程の近いものから書くと、8月8|12日が50歳以上対象の「セカンドライフのための演劇講座」。講師は流山児祥と小林七緒。
 「演劇について考えていること」は9|11日が岡田利規、24|26日が坂手洋二。
 「ミニライブシアターAコース」は24、25の両日で、講師は深津篤史と三浦大輔。
 このほかに演劇大学シンポジウムが10日と27日の各午前10時からある(無料)。
 羊屋は「今が旬の演出家がこれだけ集まって、演劇について学べる機会はなかなかないです。ぜひご参加を」と話している。
 問い合わせはオフィスティンブル(電話011・633・1271)へ。
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Please Send Junk Food in Hokkaido

 まずは追加から。
 前々回「GOOD-BYE YESTERDAY」で、観劇日は7月22日であったことが抜けていた。
 前回「雨夜の喜劇」で、母親役の小林なるみの好演ぶりを書くのを失念していた。
父親(夫)が心臓ペースメーカーを入れているため、携帯電話の電源には病的なまでに神経質な母親役。歯切れ良く舞台にしっかり根付いた演技で、芝居をしっかり引き締めていた。
 さて、ここから北海道出身の羊屋白玉(ひつじや・しろたま)率いる指輪ホテル(東京)の「Please Send Junk Food in Hokkaido」(5日、札幌・コンカリーニョ)である。
 羊屋演出による1996年の初演で、今回は劇団員2人(酒井由貴、緒田果南)に道内オーディションから選ばれた9人(三上敦子、稲垣郁、ワタナベヨヲコ、喜井萌希、イマブチハルエ、比屋定尚美、のしろゆう子、福村まり、斉藤麻衣子、でいいのだと思う)を加えた、全員女性の出演だった。
 指輪ホテルの公演は札幌では初めて。現地採用メンバーを加えた構成による創作も、初めてのことだという。
 私は2003年の演劇大学の取材で羊屋と意気投合し、それ以来、毎年の演劇大学で交流してきたが、指輪ホテルの公演を見たのは初めて。刺激的で楽しい舞台だった。
 私流の解釈を施すと、これは女の子が少女、女性へと成長する過程を30分余に凝縮した物語である。そしてそれは私に、その成長過程への物狂おしいほどの愛おしさを心の底から生じさせた。例えば、中学校に入って前の席の少女の白いブラウスの背中越しに、初めてブラジャーの影を見つけてハッとした時のような。そんな、胸がキュンとなるような懐かしさである。
 舞台は初め、発寒川の水辺で遊ぶ女の子たちの映像から始まる。スイカ割り、追いかけっこ、最近テレビCMにも使われている邦題「気になる女の子(メッセンジャーズ)」に乗ってのダンス。女の子たちは自転車に乗って琴似の街を駆け巡り、コンカリーニョにやって来る。ここから映像と実像がダブる。女の子たちはいったん舞台上から去り、やがて白いブラジャーとパンツ姿で現れる。少女への成長の隠喩と読んだ。
 白いブラジャーの胸のカップには「75 B」とか「85 B」とか書かれ、少女たちが話すのは「ピー」とかいう擬態語。やがて少女たちは客席の中に、ピンクハウスというブランドの服に身を包んだ少女を見つけ、舞台上に担ぎ上げる。そしてエルガーの「威風堂々」に合わせ、縫いぐるみパラソル、バッグを取り上げ、服を脱がせ、ついには同じ白のブラジャーとパンツ姿にしてしまう。虚飾をはぐ、ということか。
 白のブラジャーとパンツ姿で「気になる女の子」に乗せてのダンス。次に少女たちは白のブラジャーを脱ぎ、胸のカップ部分がパンのブラジャーに、それぞれがお気に入りの漫画のページを入れ込んだ透明なビニールドレス(カトゥーンドレス)に着替える。そして会場中に散らばり、観客と漫画を読み合うのだ。いわば「言葉」の獲得、コミュニケーションの成立というわけだ。ここではその漫画に仮託した形で少女たちの心の傷や叫びも表現されていよう。
 最前列で見ていた私のところにも1人の少女が来て、私も「俺を感情的にさせるなよ」などと漫画のせりふを読み上げたのだった(打ち上げの席で「ときめきトゥナイト」だということが判明)。
 少女たちはなんと、漫画を読み上げた相手にパンを手渡し、トップレスに。そして今度は舞台上で後ろ向きになり、手を使わずに腰を震わせてパンツまで下ろして全裸になる。「女性という性」を自覚した存在への脱皮を暗示させた瞬間、暗転。
 照明が点くと、伊藤咲子の「乙女のワルツ」に乗せてバスタオル姿でのカーテンコール。大粒の汗をたたえて踊る生身の肉体は美しく、唐十郎の「特権的肉体」という言葉を思い出させた。そして女性たちの恍惚とした表情が何より、この衝撃的な、そして楽しいパフォーマンスの成功を明らかにしていた。
 公演終了後のポストパフォーマンスは羊屋と札幌の演出家北川徹との2人で行われ、羊屋は指輪の札幌初公演にこの演目を選んだことについて、コンカリーニョの生誕祭にふさわしい明るい作品を選んだ旨、話していた。本当に30分余、会場中が女の子たちの成長とともに盛り上がる祝祭空間になっていたと言える。
 見る側の五感すべてを刺激する、衝撃的にして前向きな娯楽性に富んだ素晴らしい舞台であった。
 え、少女にもらったパンはどうしたかって。打ち上げ前の腹ごしらえに、もちろんおいしくいただきました。
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2006年08月06日

雨夜の喜劇

 今日、いや、明けたので昨日(5日)は良い日だった。見た2つの芝居ともが、私の中に染みついている、ある一定程度の水準の上を行っていたからだ。
 プロデュース集団・エンプロ(札幌)の「雨夜(あまよ)の喜劇」(札幌・ブロック)と劇団(なのかな。名刺にはシアター・カンパニーとある)「指輪ホテル」(東京)の「Please Send Junk Food」(札幌・コンカリーニョ)。こんな日が毎週続くといいな。頭も体も軽くなる。
 まず、6日楽日なので、これを読んで劇場に駆けつける人もいることを願って、「雨夜の喜劇」を。代表遠藤雷太の脚本をyhs(札幌)の南参(なんざん。芸名です)が演出した。
 南参といって、覚えているだろうか。「シアターホリック」第1回に2005年のマイベストに選出した作品「95」のyhsの代表であり、作・演出者だ。だから、期待していた。
 舞台は、25歳で小さなケーキ店に勤めている片桐夕矢(イシハラノリアキ)と妻・藤実=27=(阿部祐子)宅のマンションの一室。
 きょうは結婚記念日である両親、父潤一郎=58=(城島イケル)と母ゆかり=49=(小林なるみ)が田舎から訪れ、ホームパーティーを開く予定だった。
 というのは夕矢のたくらみ。実は28歳で居酒屋にバイトしながら小劇場系劇団で役者をしている兄光一(佐々木彰)と両親を引き合わせるのが目的だった。なぜなら、母ゆかりが、食えない役者なんて絶対ダメといって、ここ数年会っていないようだったから。
 そこに、劇団のスタッフ田辺葵=29=(長麻美)や、光一(女性の出入りが激しい)の現在の恋人で劇団の役者の大学生立花亜希子=21=(後藤貴子)、なぜかしら夕矢のお隣さんの赤石良太=26=(小松悟)、道雄=24=(塚本雄介)も交ざり込んできて、すったもんだの騒動を繰り広げる、という内容。
 大笑いの連続だった。
 さて、今、「すったもんだの」という形容詞を使ったが、これがなかなかに抑制された作劇で、(吉本や松竹新喜劇風の)ドタバタ調ではあっても、遠くに流されていっていないのだ。つまり、ある種、洗練されている。
 これは遠藤の本もそうであったろうし、その意を汲んだ南参の演出も的確なものに見えたのだった。
 何より、いわゆる「間(ま)」が生きているのが特長だ。落語が好きな私などは、同じyhsの役者であるイシハラの(プロデュース公演だから、さまざまなところから役者を集めている)、南参ゆかりの間合いなど見ていると、立ち姿だけでおかしい。イシハラが窓のそばで立って、舞台上のほかの役者のやりとりを見ている、その姿、呼吸、間合いが感じられてくるだけで笑えてくるのである。
 遠藤の脚本も、食えない役者であることをいかに両親に隠すかのシークエンスなど、なかなかに良く書けていたと思う。
 総じて良質の喜劇であったとまとめよう。
 楽日6日は13時と17時。当日券1800円。映画を見るつもりで見ても(映画と同料金、シルバーは除く)、損はしないだろう。お薦め。
posted by Kato at 02:18| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする