2006年07月23日

GOOD-BYE YESTERDAY

 「GOOD−BYE YESTERDAY」は演劇空間JAM Houseの第4回公演として、札幌・シアターZOOで上演された。
 劇団代表岩本幸治の作・演出。感想をごく簡単に書くと、面白かった、となるのだが、実はもう数段面白くなる可能性も秘めた芝居だったと思っている。その点ではちょっともったいない芝居だった。
 小説家黄木ヨシツネ(笠原瑞貴)の書斎。彼は13年前の高校時代の実体験を小説化しようとしていた。というより、小説の世界で過去の体験を書き換えようとしていた。
 というのは高校時代の自分(細口徹)にはできなかった、姫野桃子(仲道まい)への恋の告白。それに、2人で初めて海へ行った日に桃子がトラックにはねられて死ぬのを避けること。
 舞台は今の現実世界と本の中の世界を自在に行き来することで物語られる。そしてヨシツネのそうした試みを現実からの逃避として、ヨシツネの姉で出版社社長のミドリ(中野祐美)と妹のサキ(近田菜摘)、出版社社員の青矢城るり子(佐藤淑美)はやめさせようとする。一方、本の中の世界では高校生のヨシツネの友人赤井タカヒロ(岩本幸治)や安部先生(佐久間奈々)が、ヨシツネと桃子の2人を見守っている。
果たして小説家ヨシツネは自分の過去を自分に都合よく本の中に定着できるのだろうか、という内容。
 主人公が物の書き手で、その現実世界と本の中の世界を往復して自分の過去(または現在、未来)を都合よく仕立てるいうのは、とてもありがちな中身だ。この芝居もその王道を外すことなく、しかも作り手のある種の誠実さのようなものが感じられて、好印象を持った。
 ただ冒頭に書いた残念さというのは、例えばミドリとサキ、るり子の3人もいとも簡単に本の中の世界に入って行けているといったような点。この辺り、ヨシツネを追うのに少し苦労があった方が、よりリアルになるのではないか。
 またラスト、結局桃子の死という過去を変えられずにしまったことを少々ぼかしたように表現したのも残念。悲しみは悲しみとして的確に表現したうえで、けれど後味が悪くならないように現実世界での結末へ持っていくところに、演劇のさらなる広がり、深まりの妙味があると思うのだ。
 それからベタなギャグは中途半端に見る側の興趣を削ぐことがあるから、それも一考の余地がある。
 ともあれ1時間15分という短い時間の中に手ごろなスケール感の物語が確かに造形されていたということは言える。今後の作品にいっそう期待したい。
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2006年07月19日

演樽テイメント

 16日、小樽に行って来た。小樽演劇フェスティバル2006「第2回演樽テイメント」(小樽運河プラザ3番庫ギャラリー)を見るためである。
 これは04年7月に続いての開催。決して演劇人ではない板金屋さんの川口大輔(30)が「小樽市民の文化意識の向上」「自らの行動で人生楽しみましょう」というような理由(パンフレットより)から、実行委員会委員長となり、小樽市内外の演劇人の協力を得て開いているものだ。
 内容は演劇や一人芝居、コントなどのバトル形式。1、2部各4組の参加で、審査員3人(持ち点各15点)と観客(1点)の投票で「演劇王」を決める。
 今回のテーマは「運」。10分から20分程度(最長40分までの枠)の演目の中には必ずしもテーマに沿っていないものもあったが、さまざまな運の形があり、興味を誘った。
 見事「演劇王」となったのは、小樽の劇団「美型☆力士饅頭」(通称「ビケマン」)で、前回に引き続いての連覇。審査員45点満点中、43点を獲得したのだった(観客票は54点)。
 演目は5人の役者によるヒーロー戦隊もの(武部亜沙美作、中島恵演出、キラキラ戦隊ピカットファイブ第1話「戦士の苦悩」)で、私の中では5月に札幌・シアターZOOで見た劇団偉人舞台(東京)「ヒーロー」に重なりまくっていたのだが、発声といい、テンポの良さといい、なりきり具合といい、観客の飲み込み具合(観客を飲み込んでしまうこと)といい、他の7組からは図抜けていた(私の第2部の投票もビケマン。ちなみに第1部は微少女月トリップ)。
 このビケマン、初の単独公演「ルンペルシュツルツキン」(グリム童話より)を9月16、17の両日に、今回の会場である運河プラザで開くという。彼女ら(若い女性が主体の劇団のようなので)けっこう実力派ではないかなと…、これは宣伝ではなく推察である(それにしてもこの日パンフに入っていたチラシに問い合わせ、予約の連絡先が書いていないぞ)。
 この日は、小樽出身で東京の俳優集団SLAに所属し、舞台や映画で活動する岡雅史がゲスト出演。1枚の家族写真に苦境を救われる忙しい映像プロデューサーの姿を一人芝居で熱演し、満場の拍手を浴びていた(本人から聞いた裏話を披露すると、岡はよく故郷小樽関係のホームページを見ており、演樽も当初、HPで情報を見つけて出場するつもりで連絡してきたとのことだ。なんだかほほ笑ましい話ではある)。岡は今後も故郷小樽で何らかの活動をしたいとのことで、こちらも期待しよう。
 さて演樽に話を戻すと、審査員の吉川勝彦・劇団うみねこ代表は講評で、1・役者の基礎は腰であること(足で歩くのでなく腰で歩く。腰が姿勢に直結する)、2・声が会場にくまなく行き届いているか(発声の問題)について苦言を呈し、参加者を激励した。
 実行委員は川口はじめ4人だけ、スタッフも10人足らずという手作りイベント。成功は喜ばしいし、第3回目もぜひ実現してほしい。そしてその際は可能なら、参加者が交流できる簡単な打ち上げのようなものも企画してほしい。舞台を下りて健闘をたたえ合う中から、新たな芽が育つことにも期待したいものだ。
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2006年07月09日

一生同じ歌を鳥のように

 電気ウサギは北海道酪農学園大学、浅井学園大学合同近代演劇部・劇団宴夢に端を発する女性主体のユニットだ。現在の名になったのは2002年。
 その年の「エデンの星」、04年の「Ocean」は私も見ており、想像力の豊かさと女性らしい柔らかな発想に魅了された。「Ocean」は3つの劇場で上演されたのだが、感心して2つをはしごしたものだ。
 さてこの電気ウサギ、規則正しく2年に1度の公演が定着しており、今年がその年に当たる。「一生同じ歌を鳥のように」は代表で照明も担当する大橋榛名の原作を、満天飯店の手代木敬史が脚本化し演出した。
 会場は札幌・琴似に再建なったコンカリーニョ。ここで本格的に芝居を見たのは本当に久しぶりだ(9日)。
 劇場に入ると、白い素舞台(黒マジックでいろいろ描かれているが)を挟んで観客席が「こ」の字に配列されている。舞台中央には高い天井から、流木を利用したような立派な樹が吊るされている。この空間利用に、まず目を奪われる。
 この樹が主人公チヨばあちゃん(佐藤素子)が長年過ごした家の白木蓮だ。この芝居はチヨばあちゃんが長年住み慣れた白木蓮の城で過ごす最後の1年間の物語なのだ。
 3月、チヨばあちゃんは5年ほど一緒に暮らしたネイチャーカメラマンの娘ハト子(榮田佳子)の東京のマンションの25階からこの家に帰って来る。多発性骨髄種という死に至る病で、余命1年を住み慣れた田舎(吉野川の上流、つまり本州ですね)で暮らすことに決めたのだ。
 転居は8歳の雄猫スターキティ(山下カーリー)も一緒。田舎ではハト子の親友で独身のヒロ(村上水緒)が何くれとなく世話をしてくれる。
 それに春休みや夏休みにはハト子の一人娘の大学生ひより(山崎美世=物語全体が日記形式で構成され、その語り手も務める)がやって来る。
 女医ハルカ先生(村上麻紀)は20代最後の年を献身的にばあちゃんの面倒を見てくれる。
 そしてもう1人、猫のスターキティには見える、ばあちゃんの若くして死んだ夫シンじいちゃん(加藤健)も、時折彼女の元へやって来る。
 そんな訳で、ばあちゃんの周りは何かとにぎやかだ。
 芝居はそんなチヨばあちゃんと家族たちの何気ない日常を、素舞台と必要最低限の小道具で観客のイメージを喚起して演じられる。舞台のこちらがばあちゃんの家、そちらに移れば花見の宴、あちらに行けばシンじいちゃんが育った家の跡、というように。
 このあたりの観客の想像力に期待する舞台づくりが素敵だ。そしてエチュードから発展させたという役者陣の伸びやかな動きも過不足がない。
 終盤、転居してちょうど1年のばあちゃんの死ぬあたりで少々写実的に過ぎるかと思われる表現も出てくるが、それもまた役者たちの軽やかな身体の動きにつながっていく。
 題名の由来は、ばあちゃんの家の近くでさえずるヒバリである。そのヒバリのように「一生同じ歌をうたい続けるのは大事なことです」とばあちゃんは言うのだ。
 1つの舞台に2年間かける意気込みと練り込みはたいしたものである。見応えのある舞台であった。
 この公演、どういうわけか札幌には珍しく10日・月曜日が楽日である(13時・19時)。時間が合う方はコンカリ見学方々、ぜひみてほしい芝居だ。
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恋愛日記

 最初にお詫びと訂正。前回、弦巻楽団「幻じゃなく、夢のようなだけ」の項で、ユニット代表弦巻と書きましたが、これは苗字だけで、正確には弦巻啓太です。弦巻君本人及び関係者各位にお詫びして訂正します。
 さて、4月の入学式シーズンから3カ月がたち、この季節がやって来た。
 北海道演劇財団付属TPS(シアタープロジェクトさっぽろ)養成所の中間公演である。
 TPS養成所では初夏と秋、冬に計3回の公演を行っており、その第1弾。3月まで高校生、大学生だった人たちなどにとっては初舞台でもある。
 今回の演目は竹内銃一郎の「恋愛日記」。これをHAPPの北川徹が演出した(7月8日、札幌・シアターZOO)。
 姉キヌ子(堀内まゆみ)と結婚していながら、妹カノ子(篠原花菜子)の元にも通うシナリオ作家オオスギ(長岡卓)。
 オオスギの友人スズキ(近藤大介)はひそかにキヌ子に心を寄せているが、それを隠してアフリカに飛び立つ。
 オオスギはカノ子の友人ハル美(高子未来)とも関係している一方、オオスギの友人イシカワ(青木健太郎)はカノ子に心を寄せている。
 そこにオオスギの友人として結婚間近いマチ子(藤岡あかり)、独身の長そうなナガヤマ(佐藤恵莉)らが絡む。
 この中では長岡、堀内、藤岡が2年目の研修科で、他の5人(それと入院のため出なかった伊佐治友美子)が1年目の本科生だった。
 見終えた感想は、なかなかのレベルだということ。
 さして長くはないエピソードがいくつも連なる形の劇構造で、演ずるのも難しく、見る側にとっては感情移入しにくいようでもあるのだが、1つひとつの場面がよく練り上げられていて、見応えがあった。
 北川演出特有の不思議な透明感とでもいったものが感じられて、養成所の中間公演としては及第点ではなかったろうか。
 秋に向けてますますの精進を楽しみにしよう。
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2006年07月08日

幻じゃなく、夢のようなだけ

 これはスリラーか、サスペンスか、ミステリーか。それとも既存のジャンルにとらわれない新たな分野の作品か。
 見終えた後、そんな不思議な感覚に陥ったのが、劇団演研の後に見た、弦巻楽団「幻じゃなく、夢のようなだけ」(6月25日、札幌・ブロック)だ。
 ユニット代表弦巻の作・演出。弦巻の作品の特長を私なりに端的に言えば、健康でさわやかな清涼感とでもいうことになる。
 しかし今回の作品は健康さ、といった点が薄い分、それともちょっと違うのだ。
 人里離れた元ペンションの邸宅。作家大島樹一郎(立川佳吾)と心を病んだ妻・日夜子(知北梨沙)の家だ。ある嵐の夜、道に迷ったといって杉野そより(安福展子)がやって来る。
 樹一郎と2人になったそよりは突然、「8年前の恨みを晴らす」と言って樹一郎を刺し殺そうとする。右腕を切られただけで難を逃れた樹一郎は、そよりが誤解していると運転免許証を見せて告げる。そよりが遊ばれ捨てられたのは樹一郎の双子の弟で、彼は2年前に死んだというのだ。
 樹一郎はそよりにしばらくの同居を認めた上で、さらに意外なことを告げる。心を病んでいる妻・日夜子は実は弟の妻で、彼女が樹一郎を弟の方だと思っているのでその意に添って暮らしているというのだ。
 そうこうするうち、そよりの妹ひのり(石崎真弓)が姉の後を追ってやって来る。
彼女もかつて樹一郎の弟と関係があったらしい。そして樹一郎宅に出入りするカメラマン戸田顕伸(飯野方大)、出版社編集者澤森須実(東菜穂)。
 澤森は樹一郎が2年間も小説を書けないでいることから、彼が実は弟の方なのではないかと疑う。それを聞いて戸田やそよりも、もしかするとと疑い始める。
 果たして樹一郎は兄・樹一郎なのか、それとも2年前に死んだはずの弟なのか。一方、日夜子は本当に心を病んでいるのか、何らかの事情で病のふりをしているだけなのか。
 芝居は役者陣の発声もはっきりしていて歯切れよく、テンポも小気味よい。
 それにしても樹一郎は本当に樹一郎だったのか、などの点は観客に解釈が委ねられているのだ。でないと、劇中盤で樹一郎のはずの男が「実は僕は弟の方だ」などといった説明がつかないのではないか。
 私には樹一郎と弟の2人が健在で、実に巧みに場面場面で入れ替わっているように思えた(劇場で上演台本を販売していたが、あれを読むと分かるのかな)。樹一郎の右腕の包帯がない場面があったようにも思えるし。
 そうしてみると、これは観客を巧妙にだますサスペンス・ミステリーだったように思えてくる。題名もいかにも意味深長だ。
 ともあれ、実に不思議な感慨をもたらす作品だった。
 本人が読んでいることを祈りつつ、最後に願いを1つ。
 弦巻君、あの切なさ胸に迫る名作「果実」を再演してください。初演は2002年の教文フェスティバルで、映写機材がそろっていたのでやりやすかったと思うのですが、ぜひ再び見たい、心に刻み付けたい作品です。
posted by Kato at 23:29| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

夫婦善哉

 深川から帰って来た足で見たのが、劇団演研(帯広)の「夫婦善哉」(6月25日、札幌・シアターZOO)だ。
 劇団が親交を深めている東京の劇団青年団主宰者・平田オリザの作を、演研代表の片寄晴則が演出した。日常の何気ない所作にも目配りのきいた、静かで端正な芝居だ。
 見てから時間がたってしまって配役が心許ないので(どちらが姉か妹か、失念してしまった。大変申し訳ない)、別に書き出しておく。出演は3人、芳夫・富永浩至、佐喜子・上村裕子、智子・坪井志展。
 舞台は小料理店を営む男の家の居間。小学2年生の一人娘が病死し、仮通夜の晩である。妻は、かつて男が酒浸りだったころに生活に疲れ、幼い娘を置いて家を飛び出していた。代わりに妻の妹が男の仕事を手伝い、というより母代わりに娘に接してきた。
 芝居は仮通夜の晩の男と義妹との夕餉の場面に始まり、その翌朝、通夜の晩、明けて朝というように、細かな場面でつながっていく。料理でもしていないと逆縁に直面した自分を保てないと、通夜の料理まで作るという男がそこにいる。
 食事をするのが男と義妹だけだったのが、そこに妻が通夜に出席のためにやって来ることで、新たに少しだけ世界が広がる。
 淡々と繰り広げられる会話。男と義妹は妻(義妹の姉)が出奔した後、かつて1度だけ夜を共にしたらしい。
 妻は今もどこかの町で1人で暮らしているらしい。
 今は生活態度を改め、自宅と棟続きのカウンター10席だけの料理店を営む男は、妻との離婚にも踏み切れず(離婚届はすでに妻の署名入りで男が持っている)、やり直しにも未練がある一方、義妹との結婚という新たな生活にもほのかに希望を持っているらしい。
 妻と義妹は東京での生活にもそろそろ見切りをつけ、故郷の長崎に帰ることも視野に入れているらしい。
 そんな、そうしたことなどが、3人の、食事を仲立ちにした静かな会話の中で少しずつあぶり出されてゆく。
 10分余の場面が6つほど連なる形で構成されるが、どの場面も登場人物がものを食べ、飲んでいる。
 まるで「子はかすがい」というか、「食はかすがい」とでもいうかのようだ。衣食住という中の一つの食の中で、かすかに、そしてやがてたしかに立ち現れてくる微妙な心のひだ(暗転の中で、食事を準備する女性が運命を担っているかのように見えてくる)。
 3人の抑えた的確な演技がいぶし銀の光をたたえていた。
 あの、小料理屋の男は、その後、どうなったであろう。妻にも、娘の形見はいらないと言われ、どうして時を過ごしただろう。私は、妻にも妻の妹にも、結局見放されるように思えたのだが。
 そうした、見る側に限りない想像を抱かせたのも、作り手の功績だ。
 劇団演研は05年、結成30周年を迎えたという。こうした質の高い舞台を札幌で見られる幸福を喜ぶと共に、劇団の内奥である帯広へも行かねばと思う。
posted by Kato at 01:08| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする