2006年06月27日

シアターキャンプin北海道

 チーフ講師・斎藤歩(北海道演劇財団主宰劇団TPS=シアタープロジェクトさっぽろチーフディレクター)の書くところによれば、「シアターキャンプin北海道」とは、「プロ野球選手が1年に一回シーズンオフにキャンプを行うように、役者やスタッフ、演出家も日常生活空間を離れて朝から晩まで芝居のことだけを考えて合宿する」ものである。
 北海道では、演出家・俳優串田和美の提唱で2002年度から3年間、札幌市、富良野市、朝日町(現士別市)、長野県松本市で「串田ワーキング北海道」が行われ、それがブレヒト作「コーカサスの白墨の輪」(松たか子主演)に結実した。
 このワーキングは私自身にとっても思い出深いもので、演劇担当になって初めて取材し、演劇担当を離れる前の最後に取材したのがこのプロジェクトなのだった。それで「コーカサス」公演の際には関係者にお願いして、パンフレットに3年間の様子をまとめた「北海道伝説」を書かせていただいた。
 そんな来歴を持つシアターキャンプは昨年から3年計画で札幌市・芸術の森と深川市文化交流ホールみ・らいを会場に始まっており、このほど試演会が行われた(24日、会場は別の芝居公演と重なっていたため深川市生きがいセンター)。
 試演会といっても「夕鶴」の時とは違い、完成に近い形の作品を見せるのではなく、シアターキャンプではどんなことをしているのかを紹介する側面が強いものであった。
 で、まずは楽器や声でフリーに(一定のルールをつくって)即興的に音楽をつくるワーキング。
 と言葉で書いてもなかなかその楽しみは伝わらないかもしれない。
 この日は札幌や東京などからの参加者約30人が女性だけ、男性だけ、男女混合の3チームに分かれ、1分ごとに音楽をつくるという試みが披露された。
 これがミュージック・コンクリートというか偶然性の音楽というか、実に多彩で面白いものだった。ああ、伝えたいのに伝わらないのがもどかしい。
 続いて上演されたのが、来年の本公演の演目に予定される中世の騎士物語「トリスタン・イズー物語」の2、3話(全19話からなる)。
 騎士トリスタンと女性イズーの出会いの場面などが、楽器や声、手近な小道具を使い、会場も観客席まで目いっぱい使って表現された。参加者1人ひとりの伸びやかな感性が各場面に満ち溢れていて、実に興味深かった。
 そう言えば私は2002年度の演劇部門のマイベストに、当時のTPSスタジオで行われた「コーカサス」の試演会を選んだのだが、あの時のなんだか分からないけれどすごいパワーの充実が再現されたかのようであった。
 試演会はこうして1時間半にわたって滞りなく終わり、山のそばにあるバーベキュー小屋での交流会でジンギスカンと生ビールに舌鼓を打ったのであった。
 この日は天候にも恵まれ、空知の宵は実に楽しく更けていった。
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2006年06月24日

珊瑚の指

 札幌の劇団「芝居のべんと箱」から枝分かれした「劇団怪獣無法地帯」というけったいな名前の劇団の公演である(18日、札幌・レッドベリースタジオ)。
 劇団名はけったいだし、過去におバカな路線の作品で楽しませてくれもしたのであるが、今回の作品はシリアスな内容だ。
 この劇団で役者をしている伊藤しょうこが伊藤樹(たつる)の名で書いた、確か「北の戯曲賞」か何かを受賞した作品ではなかろうか。あるいは十勝管内鹿追町出身で東京で活躍する鐘下辰男の戯曲塾での作品だったろうか。
 とにかくそうした出自のよい作品で、確か2002年度か03年度だったが、鐘下監修の下で清水友陽が作品を練り直して「相生珊瑚(あいおいさんご)」という作品名で上演されもしたものの原型である。
 今回の演出は棚田満。
 舞台は妙子(伊藤)の部屋。妙子の8年前の彼氏で、沖縄の海で死んだというあつやの通夜を、仲間内でやっているという設定である。
 訪れるのは、妙子がいま付き合っている年下の紘(こう・柴田智之)、妙子の友人美奈代(進藤智生)、了(さとる・小林テルヲ)の夫婦、それに妙子の妹瑠璃子(三宅亜矢)。
 飲みながら他愛もない会話を交わすうちに、彼らの過去や現在(了と瑠璃子が不倫している、など)が浮かび上がってくる。
 今回の上演に当たりラストを少し加筆したとのことで、それは昔の米国テレビ番組「ミステリーゾーン」のような、というか、短編小説の落ち、ショートショートの終幕のようであった(実際、上演時間は1時間程度と短い)。
 つまり、ラストに紘が、あつやが亡くしたという妙子からの贈り物の銀の指輪をかざしたことで、舞台には描かれないもう一つの物語を見るものに想像させたのだ。
 そこから先を膨らませて描く手はいくらでもあるが、今回は今回で、中盤にやや中だるみがあるが、ラストにどんでん返しのある短編小説を読むような思いで面白く見られたのである。
 この作品のように、出自がよくてもなかなか上演される機会に恵まれない戯曲というものはあるものである。
 そうした意味からも、今回の上演はようやく実現されて良かったことである。
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夕鶴・3羽

 時間がずいぶん開いてしまったが、「夕鶴」の本公演(札幌・シアターZOO)である。
 10日に「松」と「梅」、11日に「竹」組(プレビュー公演した組)を見た。
 「松」組は与ひょう・永利靖、つう・中川原しをり。永利は四十路にさしかかった実年齢もあり、「ああ、長かった冬にやっと春(つうという嫁)が来たんだなあ」という哀愁を背中で物語って好演。一方、中川原は細身の体といい、細面といい、3組の中では最もつうのイメージに近いのだが、なぜだか声がかすれてしまって残念であった。
 「梅」組は与ひょう・木村洋次、つう・山本菜穂の比較的体格大型コンビ。木村は映画「事件」の時の永島敏行を思わせる作業員姿で、素朴な感じがそれらしかった。山本は体は大柄だが、3組の中では最もつうの内面的なものを感じさせたのではないか。気丈夫な中のはかなさをも思わせた。
 この組は惣ど・宮田圭子、運ず・林千賀子という意表を突いた配役も楽しかった。
 「竹」組はプレビュー公演の時にも触れたが、与ひょうにイメージの近い川崎勇人、つうに伸びのある歌声の内田紀子という、20代そこそこのフレッシュコンビ。
 私が見た楽日の最終「竹」公演では演出の斎藤歩も子どもたちの1人として出演。
川崎と内田が見ていないうちに(観客には見えるように)、後に2人が飲む汁に唐辛子をたっぷり入れるという悪戯などもあり(実際、2人は飲んでみて驚いたようだ。客席からはくぐもった笑い声が出ていた)、舞台全体が弾けていた。
 総じて、今回の音楽劇「夕鶴」の試みは成功と言ってよいのではないか。
 斎藤にとっては自身の代表作「亀、もしくは…。」の「亀」に対応する「鶴」を、きっちり踏まえておこうとの狙いがあったのかもしれない。というのは、うがった見方だろうか。
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2006年06月05日

夕鶴(プレビュー公演)

 劇作家の巨匠木下順二の手になる「夕鶴」といえば、中学だったかの国語の教科書に出ていた(少なくとも私が在学していたころは)ことから、読んだことのある人も多いであろう。
 その単元で考えたのは人間の業、また文明批評というものであったろうか。
 それはさておき、この戯曲は読んだことがあるだけ、つまり読んではいるが実際に上演された芝居は見たことがない、というよりも見る機会にさえ恵まれたことがないという方が多いのではないか。
 これには、この作品がある意味、主人公の「つう」役が故山本安英さん(1906年生まれ、93年死去)という伝説の女優へのあてがき(特定の俳優を念頭に戯曲を執筆すること)であって、彼女が没して以後は坂東玉三郎さんら特定の人が演ずる以外には上演を許可されにくいという事情があるものと考えられる(作家の上演許可を取らずに公演されている例はあるだろうけれど)。
 それがこの6月、札幌で見られるというのだから、この滅多にない機会を逃す手はない。それがシアターZOO企画「夕鶴」だ。
 制作は北海道演劇財団付属劇団TPS(シアタープロジェクトさっぽろ)で、演出はTPSチーフディレクターの斎藤歩。
 プロ、もしくはセミプロの劇団が上演するのに対しては上演許可が得られにくいなどの事情から、俳優はTPSの役者陣に、オーディションを経て選考された「アマチュア」5人を加えての構成である。
 7日(水)からの6公演(その後3公演が追加され、合計9公演となる)を前に1日(木)、NPO法人TPSくらぶ(いわゆるTPSのサポーターだ)やマスコミ関係者を対象にしたプレビュー公演(試演会)が行われ、私も一足先に見てきた。
 舞台は、都ではないある所。小心者で朴とつな与ひょう(川崎勇人)は、賢明で純真な働き者のつう(内田紀子)と暮らしている。つうは実は与ひょうが助けた、矢に射られた鶴の化身であった。
 つうはこの世の物とは思えぬほど美しい、不思議な千羽織という織物を織った。それは高く売れるのであったが、つうがそれを織れば織るほど彼女は痩せていくのだった。
 噂を聞きつけた隣の村の惣ど(岡本朋謙)と運ず(山田慎也)が売り上げの上前をはねようと画策する。与ひょうをそそのかしてつうに織らせようというのだ。
 つうは惣どらの思惑を見抜いたように断るが、織物を持って憧れの都へ上がりたいという与ひょうの思いが強いのを見て取り、とうとう最後の1反と約束して織り始める。
 決して、織っている最中、部屋を覗かないでくださいと言い残して。
 というあらすじは、戯曲を読んだことがない方も聞き覚えがあるのではないか。
 というわけで、今回の芝居であるが、これが音楽劇の体裁をなして、民話風の仕立ての中にも現代的な意匠が凝らされ、なかなか面白く見ることができた。
 役者陣19人による冒頭の楽器演奏から、物語は折々に歌、演奏(それは「かごめ変奏曲」とでもいうものだ)を織り交ぜてテンポよく進む。上演時間55分はあっという間。
 歌は、戯曲のせりふをそのままに生かして斎藤が曲をつけたものだというが、内田の歌声は伸びやかで、昨年見た「コーカサスの白墨の輪」の松たか子を一瞬、思い起こさせもしたものだ(誇張ではない)。
 この、せりふを歌で表現する作劇を斎藤は「夕鶴」のチラシで、「オペレッタ」あるいは「『軽喜歌楽劇』という新しいジャンル」と紹介している。
 そこで私が思うに、「好き」だとか「幸せ」だとか、正面切って発するには(見ている側も)時に気恥ずかしくなるせりふが、先の趣向では素直に発し、受け取れるのではないかということだ。
 これらの言葉は山本安英さんら伝説の人が発したならば、観客も芝居に入り込んで熱心に聞こうものだが、そうではない場合には、「寒くなってしまう」ことも十分に考えられる。
 そうした事態を避けるのに、斎藤の試みた「新しいジャンル」は有効であったように思われるのだ。その意味でこの手法は、古典を現代に生かす趣向の一手立てとして、なるほどと納得させられるものであった(それにしても、山本安英さんのオリジナルを見ておくべきだったという思いは残るのだが)。
 さて、今回の芝居はトリプルキャストで上演され、プレビュー公演は若手が主要キャストを占める「竹」組であった。内田のつうが愛らしく、川崎は与ひょうのイメージにぴったりの適役、ただし歌は…である。
 このほかベテラン主体の「松」組(与ひょう・永利靖、つう・中川原しをり=オーディション、惣ど・高田則央、運ず・安藤啓佑)、中堅主体の「梅」組(与ひょう・木村洋次、つう・山本菜穂、惣ど・宮田圭子、運ず・林千賀子)があり、見比べるのも一興だ。
 ちなみに子どもたち役は、その組の主要4キャストを外れた役者や他のメンバーらが務める。
 楽器の演奏は、以前と比べると皆ずいぶん上達したように思う。ただプレビュー公演では、パーカッションが強すぎるようにも思えた。
 「新しいジャンル」で古典を現代(いま)に上演する意味を探った野心作ともいうべき「夕鶴」。本公演が楽しみである。
posted by Kato at 22:45| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする