2006年03月26日

マリ☆ナイト

 私の好きな空間の一つがラグリグラ劇場(札幌市南区澄川3の3は011・813・8338)です。劇団「シアター・ラグ・203」が本拠にしている劇場で、うなぎの寝床のような細長い空間が、独特の魅力ある芝居を生み出している源泉でもあります。
 ここで行われたのがコンテンポラリー・ダンス・パフォーマンス「マリ☆ナイト」(24日)です。ラグの女優でもある福村まりのソロ・ダンス(振付・構成も)です。
 覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、彼女は私がシアターホリック第1回で2005年のマイベスト個人賞を授賞した人です。今回の「マリ☆ナイト」はその001「Lost Night」の再々演でした。
 舞台は1.イ・エ・ア・オ・ウ、2.JIKO-ZOSHOKU、3.ヴォルケーノ エナジーなど6つの場面から構成されます。真っ暗な中、「ねえ、聞こえる、心臓の音」と問い掛けがなされたかと思うと、舞台の最奥からスーツ姿の福村が現れます。ダンスの始まりです。
 魂の直接的表現であるダンスを言葉で説明するのは難しいことですが、福村のこのプログラムは物語性に満ちているともいえ、初心者が見ても飽きることはないでしょう。中では、ピアソラのアルゼンチン・タンゴに合わせて仰向けに寝そべった福村が2本の足で男女の逢瀬を表現する場面が、見ていてとても楽しいダンスです。そこから「アベマリア」に合わせたしっとりした踊りや情動に任せたような力強い舞もあり、40分ほどの上演時間があっと言う間に過ぎていきます。
 この劇場の特長として照明が美しいこともあげられますが、「マリ☆ナイト」においてもその特質はいかんなく発揮されています。白く細い一筋の光の中を歩いていく場面の幻想美はなんとも素晴らしいことです。
 「マリ☆ナイト」は昨年、002として墨絵師杉吉貢とのコラボレーション、ボディーペインティングも行われ、これもまたエロティシズムと緊迫感が絡んで素晴らしいものでした。
 003は果たしてどんなものに挑戦するのか。「マリ☆ナイト」に注目です。
 加えて書いておけば、シアター・ラグ・203は毎週水曜日午後8時から「水曜劇」という1時間ほどのプログラムを進行中です(1000円)。次は5月10・17・24・31日の第16弾「箱」。こちらものぞいてみてはいかがでしょうか。
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2006年03月24日

リゼットについて

 きょうは「リゼット(Re:Z)」という演劇プログラムについて紹介しましょう。これは「Repeat:ZOO」の略。ZOOというのは、シアターホリックに取り上げた芝居で何回も登場している北海道演劇財団運営の小劇場です(札幌市中央区南11西1、ファミール中島公園地下1階、011・551・0909)。
 この演劇プログラムは、文化庁の芸術拠点形成事業の助成を受け、年間を通じて「精力的に活動する劇団と共に魅力的な舞台創り」(チラシより)を目指すというものです。
 つまり、劇場がただ単に場所貸しをするのではなく、公演してほしい劇団・カンパニーに自ら声をかけ、提携して公演を打つというものです。このためZOO幹事会というものが8人から構成され、私も幹事の1人として魅力ある劇団・カンパニー探しをしているという訳なのです。
 劇団・カンパニー側にも利点はあります。まず、企画内容に制約がほとんどないこと。国の助成事業だと、あらかじめ企画内容を提出させ、こうした方向性の芝居は、セリフは、表現は削除しなければならない、などと思われるかもしれませんが、それはありません。
 さらに利用料金が1ステージ1万円ぽっきりであること。小劇場といえど、1日借りると5、6万円もかかるのが通常ですが、リゼットだと1週間で9ステージ(土、日各2ステージ)として、9万円でいいのです。これはただでさえ大変な劇団・カンパニー運営のためには絶好の条件ではないでしょうか。
 このため応募(毎年末まで演劇財団が募集しています)には、今年も道内外から数多くの劇団・カンパニーから申し込みがあり、1月に幹事会が開かれて実績や期待度などを評価、4月から来年3月までのプログラムが以下のように決まりました。

4月8・9日 渡辺源四郎商店(青森の劇団です)「夜の行進」
5月25|28日 偉人舞台(東京)「HERO(仮題)
6月24・25日 演研(帯広)「夫婦善哉」
7月 楠美津香(東京)のひとりシェイクスピア
7月 音座風(札幌)
8月 愚安亭遊佐(加茂)
9月 枝光・竜楽二人会(札幌)
10月 風蝕異人街(札幌)
11月 弘前劇場(弘前)
11月 イレブン☆ナイン(富良野)
12月 FICTION(東京)
1月 ども(江別)
2月 箔紐夢劇場(札幌)
3月 東京乾電池(東京、柄本明やベンガルの劇団です)

 このうち弘前劇場とイレブン☆ナインは昨年のリゼット優秀作品賞を受賞したため(幹事会で選出)の副賞としての再登板です。
 こうして見ると、私も企画の末端にかかわっているのですが、なかなか楽しみなプログラムがそろっていると思います。でも劇評はもちろんえこひいきなどではなく、誠実に書いていきたいと思います。
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その手の物語

 札幌市東区北27東15にある札幌市の施設が、こどもの劇場やまびこ座です。ふだんは人形劇や児童劇を上演しているのですが、年に数回、劇場のプロデュースで、大人も興をそそられる芝居を上演しています。今回の劇団回帰線「その手の物語 ぐう・ちょき・ぱあ」(劇団代表西脇秀之の作・演出)も、そうした芝居の1つです(19日)。
 舞台は砂と硬い岩のほかには何もない砂漠。そこには王様(柴田智之)が1人だけいて、友達を探していました。その王様の宝を狙って、海賊たち(小林なるみ、吉江和子、奥俊介、京極祐輔、川瀬佳奈江、三上敦子)が海からやって来ました。
 と、今度は小学5年生の女の子(田中佐保子)が迷い込んで来ました。女の子は自分の名前の書かれたハンカチをなくしたために、名前を覚えていませんでした。友達になろうと誘う王様と、宝のありかを探る海賊たちとのはざまで、翻弄される女の子。彼女は、その手を誰と結べばいいのでしょうか、というのがあらすじです。
 この芝居が子どもたちにどう見られただろうかはひとまずおくとして、私は少々複雑な感慨を抱いたものです。それは、主人公の女の子が、自らは何事かをなそうとしない、今の言葉でいうなら「ニート」のような設定だったからです。
 彼女は積極的に王様の友達にもなろうとせず、さりとて海賊の仲間にもなりません。かといって、大切なハンカチを一生懸命探しているようにも見えない。ただ時が行き過ぎてゆくのになすすべがないように、というと否定的に聞こえますが、ただ時の移ろいにまかせているように見えたからです。
 西脇が昨春、やまびこ座プロデュースで公演した「うそつきのした」(再演でした)では、うそつきばかりの異界に紛れ込んだ主人公の小学生の男の子は、何やかやと出口を探してもがいていた姿が印象的でした。
 今回の少女にそうした懸命さは感じられませんでした。そのことが、昨今何かと論議の対象になる「ニート」と二重写しになって見えたことに、私は「児童劇も、実に時代を反映するのだな」と思ったのです。
 そうしてその分、女の子が物語の中で能動的ではなくおよそ受動的なため、主人公としての動きや存在の幅としては狭く、演劇的興趣、カタルシスが薄まったということも言えるでしょう。いわゆる「子ども向け」と大人が思ってしまう、冒険心にあふれた世界とは異質な、母親とも義父とも心を通わすことのできない少女の切ない孤独が反映した作劇と言えるでしょう(この点と、さらに、友達の定義について王様と少女の間で少々まどろっこしいやり取りがある点などで、今回の芝居は子どもたちに「楽しんでもらう」のには難しかったのではないかしらとも思いました)。
 ただ、少女の孤独をもっと突き詰めて、そこにエンターテインメント性を加味して世界をいっそう深めれば、これは十分、むしろ大人向けの見応えのある芝居になる可能性があると思われます。
 渡辺えり子が1983年に第27回岸田戯曲賞を受賞した「ゲゲゲのげ−逢魔が時に揺れるブランコ」が、いじめられっ子の少年の幻想をうまく描いており、今回の「その手の物語」の練り直しの道筋のヒントになるのではないかと思います。
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2006年03月21日

冬の大三角形

 見た時すぐには格別心が揺り動かされた訳ではないのに、しばらくしてからじわじわときいてくる。はっきりそれだとは明示し難い、でも何かしら不穏なイメージが舞台全体を覆っていて、それが見終えた後でも消え残っている。劇団極(札幌)の「冬の大三角形」(橋本一兵作、滝沢修演出)はそんな芝居でした(3月18日、札幌・シアターZOO)。
 分かりにくいとは思いますが、内容をごくかいつまんで要約します。舞台は、とある冬の日の公園のベンチ。鮎川優(比屋定尚美)、遼(竹内渚)、望(安藤真利子)の三姉妹が鯛焼きをくわえたりしながら、何をか相談しています。その少し前にはここで、三姉妹の弟・快(横溝将平)が、少年たちが忘れていった金属バットで素振りをしていましたが、高校の同級生の亜香利(石川美也子)とどこかへ立ち去ったばかり。
 さて、鯛焼きをめぐって公園を出入りする三姉妹の不在時には、謎の女性富岡真由美(長谷川明日香)や通称「一角獣」(宮田征紀)がベンチの所に来たり、ベンチの後ろにある枯れ木の所に何かの作業員(太田真介、滝沢)が訪れたりします。そうして物語が進行するうち、三姉妹の話している内容は、母親の誕生日に、母を苦しめている父親を殺害する計画であることが分かってきます。
 ちゃっかり者の長女・優としっかり者の次女・遼、それと物事に慎重な三女・望。この三人の、全般に取るに足りない会話だけではなく、この芝居は全体にテンションが低いのが特徴です。私も見ている間中、そのことが気になっていたのですが、見終えてしばらくしてから、実はこれが周到に計算された冷たさだということに気付きました。
 つまり、物語は終盤、二転三転し、思いも寄らぬ方向へ進むのですが、それにあっけに取られている観客を見下ろしているのが冬の大三角形ではないか、そう作家や演出家は意図しているのではないかということです。
 そうだとすると全体に低いテンションで進む芝居の仕組みが理解しやすいのです。
この場合、テンションの低さは芝居の優劣を意味しません。いや、むしろとても知的な企みといってよく、芝居全体を包んでいるその不穏なムードの面白さが後からじんわりときいてくるのです。
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2006年03月12日

職員室の午後

 「職員室の午後」は弘前劇場の主宰者長谷川孝治の作で、日本劇作家協会の第1回新人戯曲賞(1995年度)受賞作です。長谷川の演出で、札幌・シアターZOOで上演されました(3月11日)。
 ある地方の高校の第3学年職員室。舞台真正面の黒板には「10月23日(月曜日)中間考査第1日目」と書かれ、並んだ机の上には教科書やマヨネーズ、落花生などが所狭しと乗っています。まさに職員室は人種のるつぼ。そこには教職員をはじめ保険外交員らが出入りし、会話を交わすうちに、彼らの人間関係が立ち上がってきます。
そして女子生徒の万引き事件が起きます。
 せりふは弘前弁(というのかな。ともかく方言です)を中心に岩手弁、東京弁(いわゆる標準語)が飛び交います。長谷川によると、標準語で書かれた戯曲を役者らが自分の話しやすい方言に翻訳するという方法だそうで、方言の温もりがとても大切にされた芝居です。
 上演時間1時間40分のうちに、登場人物11人の人生観や抱えている問題、生徒や同僚への思いなどが的確に浮き彫りにされ、それは見事なものです。私は見ていて、(舞台に)人がいる、人々が確かにいる、立っている、話している、生きているという、素朴でいてどこまでも懐かしい思いがしました。それは、とかく言葉や仕草が上滑りした芝居では確かな実感を伴わないものですが、今回の弘前劇場の舞台では、教職員たちの人間としての存在が実に自然なこととして染み入ってきたのです。見ている途中から、本当の職員室の中を垣間見ているようなリアルさにとらわれていました。
 芝居はただ単に会話をするだけでなく、途中、教職員同士のバスケットボール大会を表現する動きの激しいシーンもあり、メリハリも効いて飽きさせません。劇中、観客をしんみりさせるエピソードもありますが、後味は良く、見終えた後でじわじわと効いてくるような芝居でもあります。名作の誉れ、確かなものです。
 この日は芝居終了後、打ち上げも行われ、観劇に訪れていた芥川賞作家花村萬月さんも交えて賑やかな宴が繰り広げられました。
 さて、話は変わりますが、日本演出者協会のホームページによると、札幌の劇団「千年王國」の主宰者である橋口幸絵が若手演出家コンクールで最優秀賞を受賞したようです。おめでたいことですね。これから一層の活躍に期待しましょう。
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2006年03月05日

シアターホリックについて

 ブログの開設から2週間になりますが、今日はあらためてこの細々とですが長く続けたい「シアターホリック」での私のこころがけを書きおいておこうと思います。
 まず「シアターホリック」は私が見た芝居の全てを書くものではありません。単純なことです。簡単に言えば、つまらないと思った舞台をあえてそ上に乗せて「つまらない」とは書きません。その労力は惜しいし、私は劇評で食べている訳でもありませんし、どこかの誰かに、「おい、シアターホリックってブログで悪口書いてたぞ。見たか」などと、あらぬことを言われたくもありませんから。
 ですから、このページの存在については、芝居を見た後に書くアンケートで、「こういうものを開設しています」と当該劇団などに紹介しています。
 ですが、だからといって、書かなかった芝居が全て「つまらない」ということでもありません。ここが複雑かつ多岐に渡るところで、さして感慨のわかなかった芝居もあれば、何かしら感じたのだけれども現在のところ(なるべく観劇後、素早く書くことにしました)うまく私の中で言葉にできない舞台という場合もあります。
 また、そんな中には、今はその公演について書くことはできないけれど、いつか何かの拍子に言葉が出てくるだろうな、と思われるものもあります。厄介なんですが、そうなんです。
 そういう訳ですから、もし私の素顔を見知っている芝居関係者で、「あ、加藤浩嗣が見に来ていたけれど、シアターホリックに何も書かれないな」ということがあっても、一様に印象が悪かったからなのだとはとらないでいただきたい。身勝手にこうしたページを作った上になんなのですが、そう思っていただきたいのです、芝居関係者の方々には(一方で、芝居ファンという方々には、「どれどれ、次はシアターホリックに書かれていたどこそこの劇団の芝居を見てみるとしようか」という形で参考にしていただきたい。まことに勝手です)。
 なんだか言い訳がましくなってきたので、もうやめます。

以下は自分のための備忘録。

 楠美津香のひとりシェイクスピア「超訳ハムレット」(1月21日、シアターZOO)は歯切れの良い講談調で、ハムレットが身近になった。

 シアター・ラグ・203「ビーハイブ」(28日、シアターZOO)は互いに正体を明かさず、正体を探り合う男女3人のサスペンスもの。新人のため少々硬さが残る。

 劇団ギャクギレ「アニメ」(2月18日、ブロック)は主宰の川尻恵太が東京に拠点を移すための無期限活動休止公演。札幌の小劇場界から多彩な客演を迎え、描く漫画が実際のことになってしまう漫画家が主人公のコメディー。

 劇団STILL「ノコルコトハ」(25日、レッツ円山)は観客参加型演劇と銘打ち、観客は出演者とともにフォークダンス講座の受講生との設定。「マイムマイム」「オクラホマ・ミキサー」を高校卒業以来、20数年ぶりに踊る。なかなか楽しかった。

 箔紐夢劇場「カレイド・テレイド」(26日、シアターZOO)は出演女優が謎の失踪をした芝居を10年ぶりに再演する、という劇中劇構造の物語。主宰の桐田郁の劇作には期待するところ大だが、本作は今ひとつ突き抜けたものがほしかった。

 劇団しろちゃん「世界一醜い男」(3月4日、ラグリグラ劇場)は魔女の命令で、ある国の姫を拉致した醜い顔の男と、彼が殺した兵士の息子(勇者)との因縁を描いた物語。丁寧な演出の半面、一本調子で、メリハリをもっと効かせてよい。
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2006年03月04日

煙が目にしみる

 「煙が目にしみる」はプロの劇作家堤泰之(プラチナ・ペーパーズ)の手による名戯曲です。大人はもちろん子どもも大いに笑って最後にはしんみり泣かせる物語なので、道内でもけっこう各地の劇団が挑戦しています。今回は札幌の劇団リベラルシアター(代表・千広峻史)が千広の脚色・演出(火葬場の管理人役も)で札幌・ブロックで上演したものを見ました(4日)。
 舞台は火葬場の待合室。窓の外には桜が咲き誇っています。死装束でタバコを吸っているのは、今まさに焼かれている最中の元高校野球部監督野々村浩介(山崎孝宏)と妻に先立たれている自営業北見栄治(大沼誠)、ともに44歳。
 遺族は野々村側が妻礼子(岡田みちよ)、大学生の息子亮太(小石川慶祐)、高校生の娘早紀(井上美幸)、いとこ原田泉(小林由香)とその夫(須田慶太)、北見側が芸能プロダクションに勤める娘幸恵(常本奈緒)と北見が1本のビデオを借りたままになっているレンタルビデオ店の店長(大高一郎)。死出の旅へ赴く2人の姿はむろん誰にも見えませんが、唯一、70歳で少々ぼけの入った野々村の母桂(佐藤真一)だけには見え、言葉を交わすこともできます。このため、北見は桂に、20歳も年の離れた恋人瀬能あずさ(小笠原瑞枝)を火葬場に呼んでくれるよう頼みます。果たして、あずさは現れますが、幸恵と鉢合わせ、険悪なムードが流れて…という内容。ラストには人生を観照させる優れた物語です。
 芝居の本家は鈴置洋孝プロデュース公演として、20代から70代までのプロの役者によるもの。テレビで放送されもしましたので、ご覧になった方もいるかもしれません。
 今回は20代主体の若手劇団の公演。このため、戯曲では60代の北見を40代に、舞台も「札幌」と特定するなど、脚色が施されました。また随所に笑いを誘うせりふやギャグ、仕草が散りばめられましたが、いやらしさを醸すほどではなく、物語の大筋を外さずに表現されていました。
 札幌で芝居というと、書きたいもの、やりたいものをやりたいままにというオリジナルものがほとんどですが、プロの作家の手による名作戯曲に挑むのも、その意気やよし、です。なぜなら、言葉は悪いですが、そのカンパニーの上手下手が如実に浮き彫りになるのも、数々の再演に耐えてきた名作戯曲ゆえだからです。その意味では今回の公演は、戯曲に真正面からぶち当たるというより、若手たちが戯曲を手元に引き寄せつつの勝負だったと言えるでしょう。
 ああ、いつか複数の劇団による、別役実(日本の不条理劇作家の第一人者)の短編連続上演なんて企画が実現されないかなあと切に願っている私です。
posted by Kato at 23:58| Comment(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする